セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「或る夜の出来事」

2012-05-31 23:10:10 | 外国映画
 「或る夜の出来事」(「IT HAPPENED ONE NIGHT」1934年・米)
   監督 フランク・キャプラ
   脚色 ロバート・リスキン
   原作 サミュエル・ホプキンス・アダムス
   撮影 ジョセフ・ウォーカー
   出演 クラーク・ゲイブル
       クローデット・コルベール
       ウォルター・コノリー 

 1934年の作品です、監督は名匠フランク・キャプラ。
 スクリューボール・コメディという分野を開拓した記念碑的作品。
 Wikによれば、スクリューボール・コメディとは「常識外れで風変わりな
男女が喧嘩をしながら恋に落ちるというストーリー」だと紹介されています。
 ただ、これは厳格な定義で、今日的には「激しい台詞の応酬をしながら
恋に落ちる」、そんな感覚で大丈夫だと思います。
 「激しい台詞の応酬」が顕著なのは「おかしなおかしな大追跡」(1972
年)の元ネタである「赤ちゃん教育」(1938年・監督ハワード・ホークス)
で、僕はスクリューボール・コメディの感覚は、むしろ「赤ちゃん教育」の方
が強いと思っています。
 「或る夜の出来事」はスクリューボール・コメディ風味のロマコメで、ロマ
ンティック・コメディ、ラブ・コメディという分野の元祖として記念されるべき
作品であり、第一作にして、この分野の傑作に必ず数えられる作品。
 「ローマの休日」は、この作品のバリエーションにすぎない。そんな言い
方もある程です。(僕は、ちょっと、それは言い過ぎじゃないかと思ってま
すが)
 確かに話の骨格はそっくりで、ワイラー監督が、この作品を参考にして
るのは間違いありませんけど。

 お金持ちの令嬢エリー(クローデット・コルベール)が、父親の反対に反
抗して、監禁されていたマイアミのヨットから脱走、NYに居る婚約者の元
へ向かいます。
 その旅で出会ったイケスカナイ新聞記者の男(C・ゲーブル)との物語。

 この映画で一番素晴らしいのは、キャプラ監督が語る映画のリズムです、
緩急自在、1シークエンスの長さも、長すぎず短すぎず、殆んどピッタリ、
名人技の実例と言ってもいいでしょう。
 小道具の「ジェリコの壁」も憎らしいほど粋で冴えています。
 また、途中、歌われる「ブランコ乗りの歌」は陽気で楽しく、僕がアメリカ
人なら一緒に合唱してるかもしれません。
 ヒロイン、エリーを演じたクローデット・コルベールは、ちょっと髪型、服装、
顔立ちがサイレント時代の女優さんって感じがして、最初は馴染めない方
も多いと思います、それ程、美人にも思えないし。
 僕が40年前にこの作品を初めて観た時、ストーリーは凄く面白いんだけ
どヒロインが可愛くないので、完全にノリきれなかった覚えがあります。
 (僕は基本、ミーハーですから)
 でも、見直してみると、もうヒロインの顔は解ってるので気にならないし、
よく見れば、可愛い所もあるし、何より上手な事に気がつきました。
 まあ、前半、高慢チキな金持ち娘を余り可愛くない顔で演じてるから、余
計、嫌になったんだと思います。
 C・ゲーブルは、この作品で大スターになった訳ですが、充分に芸達者な
ところを見せてます、有名なヒッチ・ハイクのシーンは中々の見ものです。
 追っ手を誤魔化す為に、エリーのシャツボタンを外して肌けさせ、首尾よ
く落着した後は、真っ先にボタンを元に戻してあげる。
 口は悪いけれど、ちゃんと優しさを持ち合わせているのが解るシーン。
 ゲーブルがやるからサマになるんですが、好きなシーンの一つです。
 そして、エリーの父親で「問題は金で解決する」が信条の大銀行家アンド
リュース。
 イイトコ総取りの儲け役をウォルター・コノリーが、実に楽しそうに演じてい
ます。
 (あの役だったら、誰だって大喜びしちゃいますけど)

 戦前の映画だからって馬鹿になんか出来ませんよ。
 映画の演出法というのは、パンフォーカスを含め殆んどと言っていいくらい、この
時代までに出来上がっているのですから。
 アメリカやヨーロッパは勿論、後発国の日本でさえ。
 そして、いつの時代にも名人は居るのです。


※「用語解説」
 ジェリコの壁>「ヨシュア記」に出てくるエピソード。
          主の声に従い、イスラエルの民が、ジェリコの城壁を7日間
          一日も休まず回った後、一斉に角笛を吹くと城壁が崩れ落ち
          たという伝説。
 
 これ、子供の頃、NHKで放映してた「タイムトンネル」に、この話が有ったの
 で、直ぐにピンと来たけど、でなければ、キリスト教徒じゃない日本人には説
 明が要る気がします。
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「野良犬」

2012-05-22 00:03:01 | 邦画
 「野良犬」(1949年・日本)
   監督 黒澤明
   脚本 黒澤明
       菊島隆三
   音楽 早坂文雄
   出演 三船敏郎
       志村喬
       木村功
 
 世の中のイケメン好き女性達に、お勧めの映画です。
 日本にも、こういう人が居たんだ!って言うくらいのワールドクラスな美貌。
 全盛期のC・ゲーブル、A・ドロンにだって負けてない。
 ただ、今の感覚で言うと、ちょっと汗臭くて暑苦しい・・・かも。
 監督は黒澤明ですから。(笑)
 その人の名は「三船敏郎」。多くの人は無精ひげを生やした中年の三船さん
か、TVに出てた晩年の偉そうな(実際は、途轍もなく偉大な人なんだけど)オジ
サン三船しか知らなくて、デビューした頃の若い三船さんは想像できないんです
よね。
 シャープさで言ったら、黒澤映画デビュー作「酔いどれ天使」の方が、いかにも、
まだ新人ですって感じでシャープ、且つ、ワイルドなんだけど、本作の方が当人
も落ち着いてきてるし、物語も、こちらの方が面白いと僕は思っています。
 それに「酔いどれ天使」は台詞を聞き取るのが、慣れない人には困難、本作は
「酔いどれ天使」に較べれば全然マシですが、それでも慣れない人にはキツイん
で覚悟は要るかもしれません。 
 なので、DVDに「日本語字幕」が付いていたら、それを使う事をお勧めします。

 戦争が終わり、ようやく日本に復員した直後、たった一つの財産であるリュック
を盗まれた二人の男の物語。
 一人は、その時のドス黒い感情を忘れられず強盗犯となり、もう一人は「こんな
思いをする人間を一人でも減らそう」と刑事になります。
 或る日、そんな新米刑事(三船)が自分の不注意から拳銃をスリにすられてしま
い、更に、その拳銃が闇のルートを通って青年の手に渡り、強盗事件が起こる事
に。

 いわゆる刑事モノであり、バディものです。
 ただ、この映画が日本に於いて、刑事ドラマというジャンルの最初の出発点なの
です。
 刑事バディものとしても、世界の刑事バディものの原点の一つに数えられる作品
だと思います。
 まだ荒削りではありますが、それでも完成度は吃驚するほど高いです。

 この映画も、検索すれば幾らでも的を得た感想が有りますので、感想は、そちら
にまかせます(Goodと言う人の感想と僕の感想は、ほぼ同じですから)。
 なので、余り言われてない事や、ちょっとした断片的な感想を書こうと思います。

・刑事がポケットに拳銃を入れ、それを掏りに掏られる>不注意すぎてリアリティが
まるでない、、だから、ストーリーに入れない。
 この映画は、脚本の第一稿を書いた菊島隆三が、ネタ探しの為、桜田門の刑事
課へ日参してた時、一課の係長がボソッと喋った事がヒントになってます、
 菊島:係長が帰り支度でコルトを鞄にしまいながら(つまり、当時は銃を自宅まで
持って帰った)、「こんな何にも役に立たないシロモノだけど、よく無くなるんだ、大き
な声じゃ言えないがね」、黒澤さんが、それを聞いて「それだ!」、そこから始まった
話なんです。
 菊島さんの言うとおりなら、シチュエーションはフィクションとしても、それほど不自
然な設定じゃないんです。
 警察における銃の管理も今ほど激しくなく、町には復員兵が溢れ、旧軍から流れ
た銃、或いは進駐軍からの横流しの銃が相当数有った時代、助監督の本多さんも
「アメ横へ行くと、そんな銃が密かに売られてる、って噂でした」と言ってます。
 或る意味、今より銃と一般市民の距離が近かったんじゃないでしょうか、成年男子
の殆んどが銃を撃ったことの有る時代でしたから。
・雑多な音楽がコラージュされ、それらの歌やメロディに乗って写し出される敗戦4年
後の東京>資料としては貴重かもしれないが、無意味な程、長い。
 確かに長く、物語のバランスに破綻を来たしかねない長さである事は認めます。
 でも、このシーンを観たくてDVD借りることも有るんですよね。
 単なる記録的意味合いではなく、映画としても面白いと思っています
 (S31年生まれの僕は、その名残しか見てないのですが、あの雰囲気に、それ程、
違和感は感じません、粗末なトタン屋根にトタンの壁、トタン屋根を打つ雨音が直接、
部屋に鳴り響くんですよ(笑)、ヨシズ張りの商店街も身近に有りました)
・「天国と地獄」の時も書きましたが、ピストル屋の手先を演じた千石規子さん、出番
は少ないのですが見てみる価値が絶対有ります。
 千石さんのハイライトは、志村喬演じる佐藤刑事の取り調べを受ける所ですが、そ
こばかりじゃなく、出てる場面全部が可笑しいというか素晴らしい。
・言うまでもなく、志村さんの演技も必見。
 本当に年季の入った刑事そのもので、有名な「ラ・パロマ」(ガス器具ではありませ
んよ)のシーンは非常に映画的で見て損はないと思います。
・他、寅さんが絶賛した河村黎吉 (掏り係の刑事)、岸輝子 (女掏り)の二人も格別
です。

 音が悪くて話が解らなくても、イイ男が見たいと思ってる方。
 騙されたと思って、一度、どうですか?
 やっぱり騙された!!かもしれませんけど。(笑)
 (僕だって、モニカ・ヴィッティ見たさにフィルムセンターへ行き、字幕なしの仏映画
を見ましたよ、完全にチンプンカンプンでしたけど~一応、第二外国語は仏語を選択
したんですけど・・・)


※黒澤監督は「最初、菊島が書いてきたのは小説体で、これをシナリオに直すのが
 大変だった」と言ってますが、これには、菊島さんが真っ向反論しています。
 「脚本家になろうとしてる僕が、小説体なんて馬鹿な書き方をする訳ないじゃないで
 すか、あの人、思い込みも人並み以上に激しい人なんですよ」
 まるで「羅生門」ですが、これは多分、菊島さんの勝ちでしょう。(笑)
※「用語解説」
 米穀通帳>戦中から戦後10年位の間、米(酒も)は配給制で「米穀通帳」が無い
 と米を買う事は出来ませんでした。
 戦後暫くの間、その配給量は少なく、闇のマーケットで高い金払って米を買わない
 と生きていけない時代だったのです。
 裁判官が、職業上の倫理観から闇米を拒否し、配給だけで生きようとして餓死して
 しまった、とういう悲劇も有ったくらいです。
 「七人の侍」の撮影が1年に及んだ最大の原因は、村のセットを東京や伊豆の4箇
 所に分割したからなのですが、何故、分割するはめになったかと言うと、絶好の場
 所が有ったにもかかわらず、そこが田んぼで当時の食料事情から潰せなかったか
 らなんです。
 

 
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「コーチ・カーター」

2012-05-20 12:15:25 | 映画日記/映画雑記
 「コーチ・カーター」(「COACH CARTER」2005年・米)
   監督 トーマス・カーター
   音楽 トレヴァー・ラビン
   出演 サミュエル・L・ジャクソン
       ロバート・リチャード
       ロブ・ブラウン

 低迷する高校バスケット部が、輝いていた時代のOBをコーチとして招聘、
チームを立て直すと共に、部員たちの人間性をも成長させようとする物語。
 スポーツ・ドラマとしては、幾つかあるパターンの一つで、それを超えよう
という意識は少なく、常道を真っ直ぐ進んで意外性はありません。
 昔々のTVドラマ「スクールウォーズ」のオープニングを思い出したくらいで
す。
 「この物語は、ある学園の荒廃に戦いを挑んだ熱血教師たちの記録であ
る・・・」
 確かに、この映画はバスケットボールを題材にした「スポーツもの」、「学園
もの」なのですが、作者の意図は、そういう馴染みやすいパターンを使って、
ずっと長い間、黒人達が置かれてる現実の実態を描きたかったのではない
でしょうか。
 この映画の主眼は、ボールが籠を通り抜ける事よりも、中盤にコーチが生
徒へ向かって言う言葉に集約されていると思います。
 「私が嫌いなのは、君たちを落ちこぼれにするシステムだ」
 「卒業できるのは学年で50パーセント、卒業生の大学進学率は6パーセ
ント」
 「この郡では、18歳から24歳までの黒人の33パーセントが逮捕され刑
務所へ行く」
 長い間、人種差別の下に居て、今でも社会の底辺から抜け出せずにいる
黒人層。
 黒人で教育がないから仕事が無く、金もない、なのに若年層の妊娠は多い。
 そして、お金がないから、まともな教育が出来ないという果てしないデス・ス
パイラル。
 この映画に出てくる人達はバスケットボールという才能で、そこから脱出す
る糸口を掴めたが、では、他の人達は・・・。
 そういう事ではないでしょうか。

 この映画、悪い映画とは思いません。
 でも、ちょっと硬質すぎる気がします。
 まず、ユーモアが殆んど無い、硬いテーマを語るのなら、何ヵ所か息継ぎ
をする場所が必要です。
 この映画で、息継ぎが出来る箇所は、意外と思われるかもしれませんが、
実はラストを除く試合シーンの数々なんです。
 でも、緊張感のある試合シーンに息継ぎを求めるのは無理が有ります。
 (遠征先で、ハメを外す場面はユーモア・シーンと言えなくもないけど、効果
的とは言えない)
 実直に真っ直ぐ進むだけでは疲れてしまいます。
 それは、サミュエル・L・ジャクソン演じるカーターの描き方にも出ていて、欠
点のない人物になってしまっている。
 頑固すぎるのを欠点と見ることも出来ますが、強烈な信念と表裏一体です
から格別な欠点とは言えない。
 完全無欠に見えるカーターが正しい道を説く、これでは人によっては窒息し
てしまう。
 それとも、黒人の置かれてる状況に、ユーモアを差し挟む余地など無いとい
うことなのでしょうか。
 その点が残念です。

 校長先生を演じてた人、もしかして、「ノッティングヒルの恋人」でアナ・スコッ
トに質問した女性記者ですかね。

 
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「サンダカン八番娼館 望郷」

2012-05-13 01:30:41 | 邦画
 「サンダカン八番娼館 望郷」(1974年・日本)
   監督 熊井啓
   原作 山崎朋子
   脚本 広沢栄
       熊井啓
   出演 栗原小巻
       高橋洋子
       田中絹代
       水の江瀧子
  

 1974年を代表する日本映画の名作であり、オールタイムの邦画の中でも
傑作の一つに数えていいと思っています。
 ただ、内容は重く、もう一度見直すには勇気が要る作品なので記憶だけで
書きます、細部に誤りがあったとしてもご容赦願います。

 昭和初期、貧困と借金の為、女衒に売られ遠く南洋ボルネオ島サンダカン
の娼館で働くことになった少女の物語。
 「からゆきさん(唐行きさん)」と呼ばれ、貧しかった日本の外貨獲得の手段
ともされた女性達の一人に、「女性底辺史」を執筆してる女性作家が取材し
ていく、という形で話が進みます。

 女性作家(作者・山崎朋子の分身)三谷圭子に栗原小巻、「からゆきさん」
のサキに高橋洋子、現代の年老いたサキに田中絹代、娼館の女主人にSK
D伝説の大スターで、後に名プロデューサーでもあった水の江瀧子。
 もう、栗原小巻を除く(小巻さんは「受け」の演技しか出来ない立場だから、
ある程度、仕方ない)3人の演技が凄まじい。
 肝の据わった女伊達、姐御肌の女主人を、水の江瀧子が貫禄と流石の演
技でこなし。
 サキの少女時代から20代半ば迄を演じた高橋洋子も特筆モノの演技を見
せる。
 本当に、この時の高橋洋子は絶賛されていい演技をしたと思います、この
映画の真の主役、田中絹代さんに較べても決して見劣りはしません。
 ただ、田中絹代さんが、もう神懸りとしか思えないような演技をしてしまった
ので、どうしても、その陰に隠れてしまっただけなんです。
 でも、この物語で両輪の片側である高橋さんが下手だと、せっかくの田中さ
んの演技が浮いてしまう、この作品が、ここまで高いレベルになったのは高橋
さんの力が非常に大きく貢献してると思います。

 田中絹代さん
 日本映画界を背負ってきた大女優、その遺作になる本作での演技は例えよ
うもないくらい素晴らしいものでした。
 年老いてまで差別され、小さな村の片隅で誰とも交わらず、ひっそりと暮らす
老婆。
 その人生で幸せを感じたことは皆無に近く、これ以上ない程の悲惨と過酷が
付いて回った人。
 全てを飲み込み、何も言わず、言えず、頑なに、でも淡々と生きている。
 その人が、取材目的で近づいてきた女性作家に、徐々に心を開き喋る言葉
の一つ一つが優しくて強くて美しい。
 建ってるのが奇跡のようなボロ家で、腐った畳の上にチョコンと座ってる姿。
 作家と二人で障子を張替え、腐った畳の上に新しいゴザを敷いてもらい、
 「御殿のごだる(のようだ)」と言いながらピョンピョン跳ね、真新しいゴザに頬
を擦り付ける姿。
 スクリーンには伝説の大女優 田中絹代ではなくて、辛酸を嘗めつくした元か
らゆきさんサキが実在しているんです。
 この映画は、田中絹代さんなくしては成立しなかった映画だと確信しています。

 日本と日本人に捨てられた人達は、結局、自らも国を捨てるしか道はなく、そ
の決心の悲痛さは言葉で書けば書くほど白々しいものにしかなりません。
 それを写し出す最終章の映像は残酷です。


※この作品は国内の賞をほぼ独占し、アカデミー外国語映画賞にノミネートされ
 ました。
 田中絹代さん、高橋洋子さんも同じく主演、助演の賞を独占し、田中さんはベ
 ルリン映画祭最優秀女優賞を受賞しました。
※この映画は上記のお二人と表記上は主演の栗原小巻さんの3人で話を転がし
 ていきます。
 公開当時から、栗原小巻さん演じる三谷圭子のサキさんに対するアン・フェア
 な取材方法への反感もあってか、栗原小巻さんへの評価が著しく低い。
 まあ、確かに東京からやって来たインテリお嬢さんを、学級委員長みたいな栗
 原小巻さんが演じてるんですから、田中、高橋、ご両人の熱演に較べようもない
 のですが、でも、もし、この役を二人に対抗できるような人が演じたとして、果た
 して、それが良い結果になるでしょうか。
 濃い二人の間に無色透明な小巻さんが居るからバランスが良かったとも考えら
 れるんですよね、この辛い話を進ませる3人が3人共、濃い人だったら窒息して
 しまう気がしないでもないんです、どうでしょうか?
 あ、書き忘れましたが、僕、コマキストなんです。(笑)

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「昼下がりの情事」と「おしゃれ泥棒」についての一考察、ベーカー街221Bに於いて

2012-05-07 22:45:21 | 外国映画
 「昼下がりの情事」(「Love in the Afternoon」1957年・米)
   監督 ビリー・ワイルダー
   脚本 ビリー・ワイルダー
       I.A.L.ダイアモンド
   出演 ゲーリー・クーパー
       オードリー・ヘプバーン
       モーリス・シュヴァリエ

 「おしゃれ泥棒」(「How to Steal a Million」1966年・米)
   監督 ウィリアム・ワイラー
   音楽 ジョン・ウィリアムス
   出演 オードリー・ヘプバーン
       ピーター・オトゥール
       ヒュー・グリフィス

「ワトソン君、偶には映画の話なんてどうかな?例えば「昼下がりの情事」と
「おしゃれ泥棒」の比較なんか面白いと思うけどね」
「ホームズ、珍しいこともあるもんだな、君が映画の話かい?」
「君の記録じゃ、僕は文学も映画も知らない事になってるが、実はそうでもな
いんだよ」
「僕は構わないけど、でも、ワイラーだったら「ローマの休日」じゃないと不公
平じゃないかね」
「そうかも知れないが、「ローマの休日」では、今度はワイルダーに気の毒だ
と思うんだ」
「まあ、確かに。でも「おしゃれ泥棒」じゃ、結果は目に見えてるよ、ワイルダ
ーの圧勝だね」
「そうかな?僕はそこまで差はないと思うんだけど」
「どうして?ストーリーは面白いし小粋で、何より終わり方がいいじゃないか」
「他には?」
「モーリス・シュバリエの父親がいい味だしてるよ、特にクーパーのフラナガ
ンに最後の台詞をいう時の表情、僕には子供は居ないけど、娘が居たら、
あんな表情になるんじゃないかな、それに、楽団の使い方も面白いよ、特に
あのラストのね」
「うん、君の言う事に僕も異存は無いな、ねえ、ワトソン、君は僕が「シャレー
ド」の時書いたヘプバーンについての小さな考察を読んだかね」
「ああ、読んだよ、君が映画について書くなんて意外だった、僕としては少し
異論もあるんだけどね」
「あの時、僕はヘプバーンの相手役は歳が離れていないとダメだって書いた
んだけど、クーパーは幾ら何でも離れすぎじゃないかと思うんだな」
「「麗しのサブリナ」のボガートだって相当だよ」
「あそこがギリギリ許容範囲かな、クーパーは悪くないんだけど、いかんせん
年齢が顔に出すぎてるよ、下手をしたらシュバリエより年上に見える時がある」
「まあ、最初はケーリー・グラントの予定だったからね」
「そう、グラントならねぇ、でも、ここでグラントを使ったら「シャレード」が無くなる
し、難しいところだね。誰か他に居なかったんだろうか」
「う~ん、J・スチュアートは?」
「プレイボーイというタイプじゃない」
「H・フォンダはどうだい?」
「前の年、「戦争と平和」で共演済み」
「J・ウェイン」
「列車の上から「逮捕する!」って言いそうだ、並んだ姿を考えてみろよ」
「C・ゲーブル」
「ヘプバーンにキスをさせるのが可哀そうだ」
「殆んど君の好みだね、D・ニーブンなら色男が出来るんじゃないか」
「当時はまだ格違い。ワトソン、ヘプバーンって人はね、「ローマの休日」の時
から若いクセにオーラが途轍もないんだよ、大物で年上で包容力がないと彼
女のオーラに負けてしまうんだ、そこが難しい所なのさ」
「居ないもんだねぇ、天下のハリウッドも彼女の前では形無しか、でも、それを
言ったら「おしゃれ泥棒」は問題だらけじゃないか、幾ら「ロレンス」をこなした
とは言え、若すぎてヘプバーンを包み込む包容力なんか無いし、完全にオー
ラ負けしてるよ」
「うん、二人で居ると、まるで「姉さん女房」って感じがしたね」
「そうだろ」
「でもあれは、そういう役だったからね、捉えどころのない、頼りになるんだか
ならないんだかって、でも、飄々とした表情といい雰囲気といい、中々、好演し
てたと思うよ、あの素ットボケた感じがヘプバーンのオーラを上手くかわしてて
ベスト・マッチになってる」
「負けてたけどね」
「君らしくない、彼は我が大英帝国の役者だよ、愛国心はどうしたんだい」
「この件に関しては、例え負けても女王陛下に傷は付かないと思うよ」
「ふふふ、確かにね。では、話を戻すとして、ストーリーも「昼下がりの情事」、
う~ん、この日本語のタイトル、どうにかならないかねえ、付けた日本人をトポ
ルみたいに背負い投げしたいくらいだよ、「おしゃれ泥棒」なんて素晴らしいセ
ンスがあるのに、どうも、解らんね日本人は」
「僕もさ」
「で、そのストーリーなんだがね、同類の「トプカピ」なんて比較にならないし、
「昼下がり」に較べても、酷い差はないと思うよ」
「まあ、ワイラーだからね。それはそれとして、ホームズ、君の意見を拝聴した
いね」
「僕の意見はこうだね。小物使いの名人ワイルダーと比較したって、「カルティ
エの指輪」や「ワインボトル」の使い方は上手いと思うよ」
「まあね」
「でね、僕が思ったのは、ヘプバーンのコメディエンヌとしての才能なんだ、そ
りゃ「ローマの休日」以来、ロマンティック・コメディは彼女の十八番なんだけど、
初期の頃って相対的な可笑しさっていうか、ほら、「王様と乞食」みたいな身分
違いからくる可笑しさとか、ピュアと渋さとか、そこに居るだけで生じる不釣合
いな可笑しさみたいなのが主だったと思うんだ、勿論、当時からコメディ・セン
スは抜群だったがね」
「そう言えなくもない」
「でも、この頃になると、さすがに、ピュアだけじゃやっていけない、30代も後
半だからね。ヘプバーン自身は自分の演技力を信じてなかったようだけど、
「シャレード」や「おしゃれ泥棒」の一段と磨かれたコメディ・センスは特筆して
いいんじゃないかな、演技力だって各段に上達してるよ、翌年の「暗くなるまで
待って」のスージー役を見れば解る」
「うん、ただ彼女の場合、自分の型にハマればだけどね」
「まあ、そこは認める、でも、世間はキャサリンやバーグマンばかりを望んでは
いないさ。あの博物館でバケツに身を隠しながら床や柱を拭いてる所なんて一
級のコメディエンヌとしての証明になるんじゃないかな、ただ、僕の不満はオチ
だね、もう少しスパッと短く決めてもらいたかった」
「服装は良かったよ、「ジパンシーが休める」って言ってた、掃除のオバサンの
服だって彼女が着ると、何となくオシャレだっな」
「僕は、御婦人の服装に関しては材質と色以外、何も言えないな、僕の感想な
んて、まるでアテにはならないのだけど、濃いマリンブルーの服が彼女には似
合うんじゃないか、それだけだね、「シャレード」の時も似た色のナイトガウンが
素敵だった記憶がある」
「ふ~ん、君がそこまで言うんだから、僕も、今度、もう一度見直してみるよ」
「うん、是非、そうしてくれ、そして、感想を聞かせてくれたまえ」
「ああ、約束する」
「いやあ、今日は久々に気分転換になったよ、最近はつまらない事件ばっかり
でね、お陰で、パイプで煙草1オンス浪費せずに済んだ、少しワインでも飲むか
い」
「いいね」
「その後、少しバイオリンを弾いててもいいかな、ワトソン」
「リクエストに答えてくれるなら」
「珍しいね、ここ数年無かった事だよ、非常に興味深い、何の曲かな」
「ファシネーション」
「ファシネーション?通俗的だな、僕はまだハイドンの方が」
「ルームシェアの契約をした頃の事、憶えてるかね、ホームズ?」
「何だったかな、どうも事件関係以外は忘れるようにしてるんでね」
「君のバイオリンを何曲も聞かされるのなら、僕にもリクエストする権利がある
ってやつさ」
「そうだったかな・・・まあ、君がそう言うのなら」
「テーブルのワインが「暗くなるまで待て」ないって言ってるぞ、ホームズ」
「どうやら、そのようだね・・・では、我らがヘプバーンに乾杯!」
「of course」
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「パットン大戦車軍団」 

2012-05-03 11:19:11 | 外国映画
 「パットン大戦車軍団」(「Patton」1970年・米)
   監督 フランクリン・J・シャフナー
   脚本 フランシス・フォード・コッポラ
       エドマンド・H・ノース
   音楽 ジェリー・ゴールドスミス
   出演 ジョージ・C・スコット
       カール・マルデン
       マイケル・ベイツ

 配給会社が宣伝の為に付けた悪しきタイトルの一例。
 これでは、戦車隊同士の大決戦映画だと誤解してしまいます。
 70mm、巨額の制作費、3時間近い超大作。
 誰だって、そう思うでしょう。
 事実、皆がそう思って出掛け、「な~んだ、全然、違うじゃないか、金返
せ!」の結果になってる。
 この映画の原題は「Patton」。第二次大戦中、アメリカ陸軍の猛将とし
て知られたジョージ・パットン将軍、その人物を描いた映画。
 フランクリン・J・シャフナー版「アラビアのロレンス」と言ってもいい映画
なのです。

 「アラビアのロレンス」は、オマー・シャリフ、アンソニー・クイン、アレッ
ク・ギネス他、超豪華な個性派俳優が脇を固めており、二人の少年も重
要な位置に居ました。
 これに対して「パットン」(邦題が嫌いなので、以後、このタイトルで書き
ます)では、目立つのはカール・マルデン演じる第3兵団司令官でパット
ンの盟友ブラッドリー将軍くらい。
 好敵手、カルル・ミヒャエル・フォーグラー演じるロンメル将軍も、味方
でありながらも強烈なライバル意識をもつイギリス陸軍のモントゴメリー
将軍(マイケル・ベイツ)も映画の点景にすぎず、殆んど、パットン将軍を
演じるジョージ・C・スコットのワンマンショー的映画、ジョージ・C・スコット
の出ていないシーンを思い出すのが大変なくらいです。
 その為か、「アラビアのロレンス」に較べると物語に厚みがない感じはし
ます。
 ただ、ジョージ・C・スコットの存在感は凄い。
 まるで、この役を演じる為に生まれて来たんじゃないかと思えるほど。
 勿論、彼は名優のリストには必ず入る人だから、こういう言い方は失礼
なんですけど、それを承知で、そう書いてしまいたくなるほど、彼は生きて
いるパットン将軍そのものでした。
 この超大作を、たった一人で背負いきるパワーと演技、アカデミー主演
男優賞受賞も当然だと思います(受賞は本人の意思により拒否)。
 J・ゴールドスミスのマーチも、モーリス・ジャールの「アラビアのロレンス」
に較べれば落ちますが、最上級の良い仕事だったのではないでしょうか。
 脚本は、あのフランシス・フォード・コッポラとエドマンド・H・ノースの共同
脚本、本作で二人はアカデミー脚本賞を受賞しています。

 (ここから先は、ある所で書いた感想に加筆しながら書きます)
 「パットン」
 戦場でしか生きられない男、中世に生まれれば良かったのに、間違っ
て20世紀に生まれてしまった男の悲劇と喜劇。
 粗野で野蛮で下卑た言葉が染み付いていて、
 敬虔なプロテスタントで聖書を肌身離さず、
 古代ローマ史に精通して、それなりの教養も有り、ユーモアも持ち合わ
せている。
 硝煙と死体と血の臭いが三度の飯より好きで、猪突猛進を絵に描いた
ような男。
 昇進欲と名誉欲の塊りだが、戦略に通じ、誰よりも勇敢、
 戦時に於いても、平時に於いてもトンデモナイ男だが、世渡り下手で、何
となく憎めない愛嬌がある。
 ベッドで安らかに死を迎えるより、流れ弾に当たってでも戦場で死んだ
ほうがマシだと思ってる男。
 ドン・キホーテやシャーロック・ホームズのように、その存在自体が滑稽。

 ヨーロッパ戦線に於ける第3軍の雪上行軍シーン、夜間遭遇戦、暗闇の
中でお互いの砲火が炸裂するシーンは詩的な程に美しく、又、砲火が止ん
だ後、アルプスを望む平原で老将軍が見せる寂寥感は秀逸だと思います。
 有名な冒頭のシーン。
 70mmの大画面一杯に映し出された超巨大星条旗をバックにパットン
が演説するシーンは、ホント、「これがアメリカだ!!」で、圧巻としか言い
ようがありません。
 親方星条旗、アメリカの正義は世界の正義、それを語るパットン将軍の
下品極まりない言葉の速射砲。
 このシーンは決して「アメリカの肯定」ではないと思います。
 観ればお解りになると思いますが、何処となく滑稽なんです。
 ベトナムで揺らぎかけた自信を取り戻すべく作ったシーンとは、僕にはと
ても思えない。
 パットンの演説、即ち、アメリカの演説に対するシニカルな視線、ブラック
・ジョーク的な意味合いの方が断然強い、このシニカルな視線は結末に再
び現れ、冒頭のシーンと対をなして、この長い物語を終わらせます。

 J・C・スコットの一世一代とも云える名演(当人の主義主張とは正反対か
もしれないが)に支えられ出来上がった作品は、戦争活劇ではなく人間を
描いたドラマとして後世に残る作品になったと思います。
コメント (2)
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