セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「洲崎パラダイス 赤信号」

2014-12-17 22:58:22 | 邦画
 

 「洲崎パラダイス 赤信号」(1956年・日本)
   監督 川島雄三
   原作 芝木好子
   脚本 井手俊郎 寺田信義
   撮影 高村倉太郎
   美術 中村公彦
   音楽 真鍋理一郎
   出演 新珠三千代
       三橋達也
       轟夕起子
       芦川いずみ
       河津清三郎

 「あぁ、やんなっちゃう、何時でも私ばかりに頼るんだから」
 「そんなに俺が邪魔なら、お前一人で何処へでも行けよ」
 「ほんと!」 
 「俺なんかどうなったていいんだろ、どうせ俺なんか死んじまえばいいんだよ」
 「二言目には「死ぬ、死ぬ」って、人間、死ぬ時まで生きなきゃならないんです
からね!」
 「うるせえな!行きたきゃ、とっとと行っちまえばいいんだよ」
 「そう、じゃ」
 「おい・・・何処行くんだよ」
 「「何処へでも行け」って言ったでしょ」
 「・・おい!」

 これは映画の冒頭、勝鬨橋の上で交わされる蔦枝と義治の会話ですけど、見
事にこの映画を表してると思います。
 生活力の無いダメ男と傾城を抜け出た強かで蓮っ葉な女の「腐れ縁」物語。
 82分の「浮雲」(成瀬巳喜男監督)、川島雄三版と言えなくもない。
 時間が短い分、「深み」は足りないかもしれないけど、「浮雲」にはないリアルな
生活感を感じました。

 二人はバスに乗り赤線・洲崎に辿り着きます。
 洲崎橋を渡り「中」へ入ろうとする蔦枝、元の黙阿弥と必死に押し留める義治。
 すったもんだの末、橋の手前に有る一杯飲み屋「千草」に「女中入用」の貼り紙
を見つけた事から物語が始まります。
 「赤信号」は「止まれ」の意味で、いつ「青信号」になってもおかしくない二人の
状態を指しているのでしょう。

 義治はウジウジ、イジイジ、見てるだけでウンザリしてしまう。
 二人で生きてく為に酔客に媚を売る蔦枝を見て、自分の甲斐性無しを棚に上げ
直ぐ嫉妬が態度に出る情けない奴。
 蔦枝は義治と違い、苦労してる分、逞しく生命力は有るけど、
 「ところで、まだ名前聞いてなかったな」
 「蔦枝、蔦に枝だから絡みついたら離れないわよ」
 言葉通りに客に絡みつく性分。
 直感で客を選び、引っ掛かったら蜘蛛が獲物を捕獲するように絡め獲ってしまう。
 でも、
 「私ね、義治と一緒に居た時には落合のスクーターの音がすると、どんなにクサ
クサしていてもパーッと気分が晴れたの、ところが落合と一緒になってみると蕎麦
屋の出前持ちが通ると、みんなあの人に見えちゃうのよ」
 そんな女なんです、何時だって「今」に納得できない女。
 でも、そんな二人の何故か離れるに離れられない男女の不条理、その可笑しさ
哀しさ。
 「浮雲」では、成瀬、高峰秀子、森雅之の力で幾らか俯瞰的に見える高尚な「腐
れ縁物語」が、この作品では、もっとダイレクトに生々しく迫って来ます。
 下世話な僕には、この作品の方が合ってるかもしれません。
 この映画は蔦枝と義治のワン・サイクルの物語ですが、エンドレスに続く話なん
だと思います。
 でも、それもいつまで続くやら。(笑)

 新珠三千代が素晴しい、逞しく強かで尻は軽いけど、どっかで義治を放っておけ
ない純な所も有る女を巧みに演じています。
 三橋達也も、こんな情けない役を初めて観たので新鮮で面白い。
 又、「千草」の女将役を演じた轟夕起子も、しっかり者の裏に有る哀しさを感じさ
せて好演。
 小沢昭一の先輩出前持ちは、出てくるだけで「場」をぶち壊す曲者ぶりを如何な
く発揮して、これは怪演と言っていいでしょう。
 河津清三郎も良かったです。
 そして、芦川いずみは可愛い!(笑)
 新珠さんと芦川さんを観れただけでも満足でした。

※伝七の女を演じた隅田恵子、ちゃんと映るのは1カットくらいなんだけど、やさぐれ
感が凄い。
 

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