セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「さよなら渓谷」

2013-06-30 00:47:25 | 邦画
 前回の記事で、miriさんから「どっぷりハマって」というコメントを頂いたの
ですが、まさか、この作品が、その「どっぷり」路線だったとは・・・、新聞の
星評価と「見出し」だけで観に行ったんですけど、「神経衰弱」でテキトーに
トランプめくったら1点!になってしまいました。(笑)
 ちょっと今回の記事は、配給会社の宣伝文みたいになるかもしれません。
 
 「さよなら渓谷」(2013年・日本)
   監督 大森立嗣
   脚本 大森立嗣
   原作 吉田修一
   音楽 平本正宏
   エンディング・テーマ(作詞・作曲)椎名林檎
               (歌)真木よう子
   撮影 大塚亮
   出演 真木よう子
       大西信満
       大森南朋
       鈴木杏

 小さな山あいの村、そこで起きた事件が切っ掛けで、隣に住む男女の素
性が暴かれてしまう。
 男は、学生時代、集団レイプ事件を起こした一人だった・・・。

 「愛の嵐」を観てる人、知ってる人なら、この物語の男女の構図は察する
事が出来ると思います。
 殆んどネタバレですが、この作品、それを知っていたとしても、さほど問題
はないと思うし、却って主題の理解が早く出来る気がします。
 「愛の嵐」と同じく男女の不条理な世界ですが、「愛の嵐」にある退廃美と
隠花的な雰囲気は有りません、ただ、堕ちていく感覚と社会からの隔絶感
は似てると思います。
 この作品と「愛の嵐」の決定的違いは「愛」の存在、「愛の嵐」は身体の先
に幻想として「愛」があるのだけど、この二人には、世間が理解できない「愛」
ではあっても、二人の間に身体以上のモノが確かに存在しています。
 演出の重点は、その二人の目に見えない揺れ動く心情を、如何に観客に
掴ませるか、に置かれてると思います。
 これが、実に上手い。
 小説に例えれば、最後の一行を書かないスタイルなんですけど、説明しな
い「豊かさ」が、この映画にはあります。
 だからこそ、終わりの10分が惜しい。
 117分の映画ですが、105分迄、殆んどミスがない素晴らしい演出。
 でも、最後10分で説明しちゃうんですよね・・・。
 男に、自分達二人の「主題」を喋らせてしまう、これは余計だったと思うし、
雑誌記者夫婦の顛末も本当に必要だったのか疑問でした。
 この映画のラスト・カットは非常に切れ味が良いのですが、何となく、この
10分の帳尻合わせになってしまった感じもしないではない、ちょっと、勿体
ないです。
 僕としては、温泉ランドの帰り道、橋の上で交わす会話の最後から、二人
の望遠ショット、更に引いていって暗転、で終わらせた方が、いろいろ自由
に想像できて良かった気がします。
 (それでは不親切と言うなら、暗転の後、雑誌記者夫婦の顛末を無くして、
ラスト・シークエンスへ繋げればいい~物語は、あの橋の上で終わってるん
ですよね、その後はエピローグ)

 僕の予想では、この先にトンデモナイ作品が出てこない限り、この作品が
今年の賞を総ナメにすると思います。(ここは、余り自信がないけど~笑)
 特に真木よう子さんの主演女優賞は、ほぼ確定したんじゃないかな。
 久し振りに、女優魂を見たと言うか本物の女優を見ました。
 受け演技主体だった大西信満も、真木さんに隠れがちだけど、非常に良
かったと思います。
 全体的に、(僕にとって)知らない役者さんばかりだったのが、この作品に
は幸いしました。

 今は、観たばかりで確かな事は言えないのですが、僕にとって佳作以上
で有る事は確か、秀作、名作、傑作は時間の経過の後で答が出て来ると
思っています。
コメント (7)
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「愛の嵐」

2013-06-27 00:07:06 | 外国映画
 僕が勝手に名付けたナチス三部作「地獄に堕ちた勇者ども」、「愛の嵐」、
「キャバレー」の一編。
 男と女の、どうにもならない哀しい性(さが)を描いた名作。

 「愛の嵐」(「The Night Porter」1973年・伊)
   監督 リリアーナ・カヴァーニ
   脚本 リリアーナ・カヴァーニ
       イタロ・モスカーティ
   原作 リリアーナ・カヴァーニ  バルバラ・アルベルティ  アメディオ・パガーニ
   撮影 アルフィーオ・コンティーニ
   音楽 ダニエレ・パリス
   出演 ダーク・ボガード
       シャーロット・ランプリング
       フィリップ・ルロワ

 男(マックス)はユダヤ人収容所に配属されていた親衛隊(SS)の元将校、
女(ルチア)は、そこへ送り込まれたユダヤ人、偶々、マックスに気に入られ
オモチャとなって生き延びた過去を持っている。
 1957年のウィーン、運命の悪戯のように出会ってしまった二人。

 普通に考えれば、ルチアがマックスをユダヤ人組織に告発して男が逃亡
する、で終わりなのですが、この映画は別の道を辿っていきます。
 逢ってしまったその瞬間、二人の歪んだ情念に火が点いてしまうのです。
 その世界は、憎しみと愛と身体が混ざり合い、背徳、淫靡、倒錯にまみれ、
理性の及ばぬ場所。
 儚い束の間の出来事であり、破滅を約束された愛。
 徐々に纏わり付いていく死の予感、二人を焼き尽くすように燃え盛る冷た
く熱い炎。
 この哀れな情念の世界を描いていくL・カヴァーニ監督の手腕は冷酷なま
でに冴え、寸分の狂いもありません。
(只、DVDの画質が悪い為、暗いシーンが見難いのが非常に悔やまれます)

 テーマは、大島渚監督の「愛のコリーダ」、渡辺淳一の小説「失楽園」、「愛
の流刑地」にも共通するものがあるのですが、取り巻く状況がシビアな為、こ
の映画のほうが「男と女の愛の形」の輪郭がクッキリしてると思います。

 演技陣で特筆すべきは、何と言ってもS・ランプリング。
 クールビューティそのものの美貌から生まれる落差、それを見事なコントラ
ストとして際立たせ、運命に弄ばれた哀れな一人の女を演じきっています。
(落差に関しては「昼顔」のC・ドヌーブと似ていますが、暗い情念を感じさせる
ランプリングに軍配を上げたいと思います)
 D・ボガードも十八番とは言え、アンモラルな性癖を仮面の下に隠しつつ崖
っぷちを歩いてる男を好演。
 この作品は、ランプリング&ボガード二人だけの映画なので、他はどうでも
いいのですが(失礼!)、落剥した貴族夫人を演じたイザ・ミランダもケバイ化
粧と相まって印象に残りました。

 自傷感溢れるラスト・シーンも秀逸で、‘70年代を代表する愛の物語の一つ
だと思います。
 正真正銘の「堕ちてゆく愛」

※DVDパッケージに書いてある「ノーカット版」
 多分、公開当時カットされてたのは「男色シーン」だと思うので、変な期待は
 しないように。(笑)
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「ラスト・ショー」

2013-06-24 23:19:59 | 外国映画
 「ラスト・ショー」(「The Last Picture Show」1971年・米)
   監督 ピーター・ボグダノビッチ
   脚本 ラリー・マクマートリー  ピーター・ボグダノビッチ
   原作 ラリー・マクマートリー
   撮影 ロバート・サーティス
   出演 ティモシー・ボトムズ(サニー)
       ジェフ・ブリッジス(デュエーン)
       シビル・シェパード(ジェイシー)
       ベン・ジョンソン(サム) 
       クロリス・リーチマン
       エレン・バースティン

 1952年、テキサスの寂れた田舎町。
 高3のサニー、デュエーン、ジェイシーは、大人への道を歩き出していた・・・。

 先日観た「僕らのミライヘ逆回転」のエンディングから、この映画のタイトルを思
い出しました。
 (タイトルの「The Last Picture Show」とは、閉館する映画館の最終上映のこと)
 今は忘れられかけている作品ですが、‘70年代頃は名作認定されていた作品。
 監督のP・ボグダノビッチ、俳優でJ・ブリッジス、S・シェパード、E・バースティン、
T・ボトムズ(彼の場合「ジョニーは戦場へ行った」の次の作品)、彼、彼女らにとっ
ては、この作品が出世作。アカデミー賞の作品、監督、助演男優(B・ジョンソン、
J・ブリッジス)、助演女優賞(E・バーステイン、C・リーチマン)にノミネートされ、B
・ジョンソンとC・リーチマンが受賞しています。

 「ギルバート・グレイプ」のような寂れた田舎町を舞台に、「アメリカン・グラフィテ
ィ」みたいな話が繰り広げられる作品ですが、その2作品が持つビター・スウィート
な風味はなく、相当、ビターな味わい。ちょっとノスタルジーが入ってるのは「アメリ
カン~」と共通しています。

 直接的な主題は、誰もが通る「子供から大人への脱皮と歩き出す最初の一歩」
だと思います。
 だけど、その輝くはずの青春の舞台は、十年一日の如く変化のない町。
 しかも、ゆっくりと確実に衰退、化石化していってる町。彼らを包んでるものは、
やり切れないまでの閉塞感。
 町の大人達は、毎日、同じ事を繰り返すだけの抜け殻で、諦めと変化の恐怖に
支配されながら、心の何処かで何かの切っ掛けを待っているような存在。
 只一人、大人達の中で生命力を持ち「フロンティア・スピリット」を具現していたサ
ムさえ、物語途中で退場してしまいます。
 この作品は、目指すモノが町には何一つ無い、若者達の情熱を受け止める場所
もない、そんな三人に大人達を絡めて、町自体を、もう一つの主人公のように描い
ています。
 1952年のアメリカの空気を感じさせながら、古きアメリカの終焉を象徴するもの
として。
 何故なら、南部でメキシコにも近い設定なのに、黒人、メキシカンが一人も出てき
ません、町の年配者は皆、WAPSそのもののような感じの保守主義者を感じさせ
る人達ばかり、そんな白人だけの町は住人が居ながらもまるで廃墟なんです。
 町に残る事にした一人が最後に見せる表情は、町と同じように、自分も生きるミ
イラとなってしまう予感に呆然としたからじゃないでしょうか。

 「ラスト・ショー」、TVに押され閉館する映画館を意味しながら、主人公三人の子
供時代へのピリオドと、古きアメリカの閉幕、そんな三つの意味を重ね合わせたタ
イトルなんだと思います。
 (但し、公民権運動が激しくなるのは、まだ、ずっと先の事)
 
 ‘74.9月に観た時より、よっぽど理解は出来たと思うのですが、初見時と同じく
時間の経つのを遅く感じる作品でした。40年前は180分位の感覚で相当キツか
った作品、今回は、そこまでではなく体感時間150分位(笑)、前回より相当マシ
でしたが、やっぱり、これが120分の映画とは思えない事には変わり有りません
でした。
 でも、前回、苦痛ばかりだった作品が、秀作であると気付く事は出来たと思いま
す。
 まァ、「好きか嫌いか?」と聞かれれば、相変わらず「好きじゃない」と答えざろう
得ませんけど。(笑)

※本作は1971年制作の映画ですが、同監督の「ペーパー・ムーン」と同じく、意図
 的にモノクロ作品にしてあります。
※「ギルバート・グレイプ」は、ラッセ監督が作った「ラスト・ショー」、もしくは「ラスト・
 ショー」の後日談のような気がしないでもありません。
※「卒業」や「ギルバート・グレイプ」、そして、この作品。
 アメリカの田舎町にはミセス・ロビンソンが付き者なんだろうか。(笑)
コメント (2)
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「僕らのミライヘ逆回転」

2013-06-16 22:34:11 | 映画日記/映画雑記
 「僕らのミライヘ逆回転」(「Be Kind Rewind」2008年・米)
   監督 ミシェル・ゴンドリー
   脚本 ミシェル・ゴンドリー
   出演 ジャック・ブラック
       モス・デフ
       メロニー・ディアス
       ミア・ファロー 

 とても笑いのレベルが高くて・・・。
 持ち合わせの少ない僕には、ちょっと合わない作品でした。

 話が始まりだす(映画製作)までが長すぎるし、J・ブラックの存在が、そ
れが持ち味なんだろうけど鬱陶しくて暑苦しくて勘弁して欲しかった。
 こうなると、基礎点がマイナス20位になってしまって、とても不利な状況。
 そして展開部。
 僕にとって、ここは「見立ての世界」(塩を見て「雪」、湯呑みを逆さに置
いて「娘道成寺」)でやり過ごすしかなかった。
 それが1時間・・・。
 「あんなの面白い訳ないだろ」なんだけど、それを観て皆が面白がって
る世界を「約束事」として受け入れなければいけない。
 これは、ちょっとキツかった。
 プロの仕事を素人が工夫して一生懸命、真剣にやってるオカシサは解
かる積りなんですけどね。
 そして、「まとめ」の部分。
 ここは、それなりに良かったかな。
 まるでキャプラの世界。
 でも、捻くれて考えてしまうと、町の学芸会を町の皆で楽しんでるに過
ぎない感じ。
 まァ、涙もろいので、熱くなるモノは感じました。

 こういうシチュエーションって、僕も以前、考えた事があるんですよね。
 自分達の「町の物語」を、町の人達でミュージカルにしてしまう、って。

 設定部をスピーディに、展開部は軽いタッチでも、ご都合主義に頼ら
ず丁寧に。
 それが出来れば、もっと良い作品になったと思います。
 M・ディアスとM・ファローの女優二人に、かろうじて救われた作品。

※これ、最初にラスト・シーン有りきだったんじゃないかな。
 逆算で作った脚本のような気がします。
 尚、原題の意味は「巻き戻してご返却下さい」だとか。
 
コメント (8)
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「地上最大の脱出作戦」

2013-06-09 17:21:04 | 外国映画
 「地上最大の脱出作戦」(「What Did You Do in the War, Daddy?」1966年・米)
   監督 ブレイク・エドワーズ
   脚本 ウィリアム・ピーター・ブラッティ
   原作 ブレイク・エドワーズ モーリス・リッチリン
   音楽 ヘンリー・マンシーニ
   出演 ジェームス・コバーン
       ディック・ショーン
       セルジオ・ファントーニ
       ジョバンナ・ラッリ
       アルド・レイ

 1943年、連合軍のシシリー島制圧作戦。
 ある村がイタリア軍の制圧下にあると判明、余剰戦力のないアメリカ軍は、
仕方なくグータラ中隊に堅物の大尉を付けて制圧に向かわせる。
 その村では、村人もイタリア軍も全員、今晩行われる「カーニバル」しか頭
になく、戦争より祭りと酒とアモーレが大事だった・・・。

 この作品に、こんな硬いタイトルは似合わいません、原題は「父ちゃん、戦
争で何してたん?」で、日曜洋画劇場で淀長さんは「父ちゃん、何してんねん
?」と訳してました。(多分)
 もし、貴方がB・エドワーズのギャグを笑えるタイプなら、絶対、お薦めの作
品。
 B・エドワーズのコメディでは、これが一番笑えます。
 もう、「寄せ鍋」というか「ごった煮」というか、どんどん話が広がって、その
都度、新しく出てきた奴を鍋に放り込んで煮込んでしまえ、という感じの映画
です。
 40年前の15,6の頃、吹き替えで観て大笑いした記憶が有り、何時か又、
再見してみたいと、ずっと思ってた作品。
 ただ、40年前は笑えたけど、今はどうだろう?という不安が一杯だったの
ですが、大体の部分で昔通り笑えたし、昔は余り面白いと思えなかった後半
30分も、昔よりは楽しめたので、ホッとしました。
 115分の映画ですが、80分までは相当笑えます、が、広げすぎた話を畳
む部分は、やはり、ちょっと落ちる。
 でも、まァ、昔見た時ほど破綻は感じず、かなり頑張って始末を付けたん
じゃないかな。

 フランスの「まぼろしの市街戦」をハリウッド・コメディにすると、こんな作品
になります。
 と思ってたのですが、製作年を見ると同じ年。(笑)
 ベトナム戦争が泥沼に嵌ってた時期なので、自然と、こういう厭戦的な映画
が生まれるんでしょうね。

 音楽は、いつものコンビでH・マンシーニなのですが、やはり、戦車や鉄砲
が出てくる映画には似合わない。(笑)
 唯一、祭りの翌朝、騒ぎ疲れた村の様子に被せた音楽が彼の存在を示し
ていました。
コメント (6)
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「地獄に堕ちた勇者ども」

2013-06-07 23:48:37 | 外国映画
 「地獄に堕ちた勇者ども」(「La Caduta degli dei」1969年・伊)
   監督 ルキノ・ヴィスコンティ
   脚本 ルキノ・ヴィスコンティ ニコラ・バダルッコ エンリコ・メディオーリ
   撮影 アルマンド・ナンヌッツィ バスクァリーノ・デ・サンテス
   音楽 モーリス・ジャール

 ナチズムという溶鉱炉に、国民と国が溶かされてゆく1933~1934年の
ドイツを、エッセンベック男爵一族の退廃と崩壊を使って描いた作品。
 タイトルバックに使われている溶鉱炉は、エッセンベック家の栄華の象徴
であるとともに、ドイツの国幹であるズール地方の鉄鋼業の象徴であり、全
てを溶かしていくナチズムの熱狂、これらを重ね合わせたもの。
 又、男爵家の没落とファシズムの退廃を、ヴィスコンティ独自の美学によ
って描かれた作品でもあると思います。

 (エッセンベック製鉄)
 フリードリヒ・ブルックマン(平民出身の重役):ダーク・ボガード
 (エッセンベック男爵家)
 ゾフィー(ヨアヒム男爵の息子の未亡人):イングリッド・チューリン
 マルティン(ゾフィーの息子):ヘルムート・バーガー
 コンスタンティン(ヨアヒム男爵の甥、製鉄会社の重役、突撃隊員):ラインハルト・コルデホフ
 ギュンター(コンスタンティンの息子):ルノー・ヴェルレー
 ヨアヒム男爵(エッセンベック家当主):アルブレヒト・シェーンハルス
 ヘルベルト・タルマン(製鉄会社の副社長):ウンベルト・オルシーニ
 エリーザベト・タルマン(ヘルベルトの妻、男爵の姪の娘):シャーロット・ランプリング
 (周辺)
 アッシェンバッハ(親衛隊高級中隊指揮官、フリードリッヒの従兄妹):ヘルムート・グリーム
 オルガ(マルティンの女):フロリンダ・ボルカン

 この映画を楽しむコツは、これら多数の登場人物を、なるべく早く認識す
ること。(笑)
 僕は、名前と顔を覚えるのが大の苦手なのですが、キャラクターも顔も誰
一人被ってなかったので、自分でも吃驚するくらい早く認識・区別が出来ま
した。(と、言っても30分近く掛かりましたけど~笑)
 作品の内容、解釈については優れたレビューが沢山有るので、そちらへ
譲る事にしますが、観終わって時間が経ち思った事を今回は書いていきた
いと思います。

 WIkにも書いて有りますが、本作はシェークスピアの「マクベス」とT・マン
の「ブッテンブローク家の人々」をヒントにしたとか。
 マンの方は未読なので、そちらの方は解かりませんが、この作品、実に
優れた「マクベス」だと思います。
 当たり前ですが、設定は幾つか変えられています、しかし、主役のフリー
ドリッヒは正にマクベスそのものだったと思うし、ゾフィもレディ・マクベスの
性格がかなり忠実に反映されていると思いました。
 マクベス夫妻が直系の男子マルティン(マルカム王子)によって追い詰め
られ自滅させられるのも、「マクベス」の骨格から来てると思われます。
 只、僕は、そこにもう一つ「ファウスト」が入ってる気がします。
 ナチス親衛隊のアッシェンバッハは「マクベス」に出てくる三人の魔女と言
うより、「ファウスト」のメフィストフェレスそのものなんですよね、一人、また
一人と「この世の栄華を保証しながら代償として地獄へ引きずり込む」悪魔。
 これら三作品を見事に融合させ肉付けをしたのが本作品だと思います。

 演技陣も又、見事。
 皆、素晴らしい演技者で、誰も足を引っ張る存在がいません。
 D・ボガートは、小心さに震えながら自らの野望の達成に執着するピエロ
を的確に演じています、全出演者の中で一番演技してたのは彼じゃないで
しょうか。
 でも「冒険者たち」のA・ドロンと同じで、ゾフィを演じたI・チューリンとマル
ティンを演じたH・バーガーに印象を持っていかれた感じがします。
 I・チューリンは理知的でいながら高慢、狡猾で、自らの欲望の為に破滅
していくヒロインを素晴らしい演技で魅せてくれました。
 そして何と言ってもH・バーガー演じるマルティン、新人ながら、この映画
の全てを持っていってしまったような強烈な印象を観客に与えます、もし、
映画館で彼の印象が残らなかったのなら、多分、居眠りをしていたのでしょ
う。(笑)
 ガラス細工のような繊細さの中に退廃と腐臭を漂わせ、極めて背徳的な
隠花植物、それが財産と権力によって成長し、空しくも巨大なアダ花になっ
ていく。
 彼こそが、古いドイツ(エッセンベック家)を崩壊させた第三帝国が持つ狂
気の象徴。
 そんな彼はエッセンベック一族の影の部分を一身に背負った存在でもあ
ります、この話が「マクベス」ならば予言によりバンクォー(コンスタンティン)
の息子フリーアンス(ギュンター)に権力が移る運命なのですから、彼の破
滅もそう遠くは無いのでしょう、影は実体が有ってこその存在。
 そして彼の後継者たるギュンターは既にメフィストフェレス(アッシェンバッ
ハ)と契約を交わしてしまった男。
 本当に、どこまで行っても救いの無い話です。
 その破滅へ導く三人の魔女でありメフィストフェレスでもあるアッシェンバ
ッハ、誰よりも狡猾で、その身体に流れる血は氷より冷たく、小兎を目の前
にした蛇を思わせる笑い顔、この役を演じたH・グリームも特筆すべき演技
者だったと思います。
 
 多面的な作品である本作の、最後の側面は、男爵家の「滅びの美学」(こ
れは、古きドイツの「滅び」と重なる)。
 最後の結婚披露のシーン、娼婦と親衛隊に囲まれ結婚の儀式を行うフリ
ードリッヒとゾフィ。
 いかに醜悪で滑稽に満ちていても、滅びる定めを持つ者は美しく矜持を持
って滅んでいかなければならない。
 「長いナイフの夜」シーンの退廃美と共に、ヴィスコンティの美意識が如実
に表れてるシーンだと思います。

 M・ジャールの音楽も秀逸、狂乱と焦躁、洗練と糜爛を併せ持ったテーマ
曲が強く印象に残りました。
 評判通りの傑作だと思います。

※原題は「神々の没落」を意味した言葉とのこと。
 でも邦題も素晴らしいセンス。
※S・ランプリングって「愛の嵐」で世に出た女優さんだと思ってた。(汗)
 本作の彼女、若くて実に美しい。(笑)
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