「ドリーマーズ」(「The Dreamers」、2003年、英・仏・伊)
監督 ベルナルド・ベルトルッチ
脚本 ギルバート・アデア
原作 ギルバート・アデア
撮影 ファビオ・チャンケッティ
美術 ジャン・ラバス
出演 マイケル・ピット
エヴァ・グリーン
ルイ・ガレル
(ジャン=ピエール・レオ)
1968年パリ5月革命を背景に、シネマテークに入り浸る映画狂の一卵性
双生児テオ(L・ガレル)とイザベル(E・グリーン)の男女二人、仲間に加わる
アメリカから語学習得に来たマシュー(M・ピット)、三人の愛と決別を描いて
いく・・・。
予告編
https://www.youtube.com/watch?v=YU1brBVMBkM
中々面白いけど何を描きたかったのか、よく解らん。(笑)
なので例によって唯我独尊、裏読みっぽく書いていこうと。(汗)
これヌーヴェルヴァーグ、登場人物にゴダールとトリュフォーを仮託した物
語なのでは。
シネマテークに入り浸り、知り合いとなり同志的(カイエ・デュ・シネマ)に繋
がるも5月革命で決別していくって殆どゴダールとトリュフォーでしょ。
話の骨格はモロにトリュフォーの代表作「突然炎のごとく」('62)から。
途中、三人がJ-L・ゴタールの「はなればなれに」('64)を真似てルーブル
を駆け抜けるシーンがあるけど、「突然炎のごとく」で跨線橋を駆けっこする
有名なシーンも一緒に思い出させる。
テオの部屋に大きな毛沢東のポスターが貼ってあるのは、当時マオイズム
(毛沢東思想)に傾倒したゴダールを指しているのでしよう。
五月革命で一番尖鋭的だったのはトリュフォー、でも、その後は政治の世界
に背を向けます、トリュフォーほど過激でなかったけど、以後、政治的作品を
量産するゴダール。
この作品でも焚き付けたのはマシューだけど、彼はバリケードの内側に残
り、飛び出て行くのがテオ。
只、「突然炎のごとく」と違うのはマシューとイザベルは肉体関係になり愛し
合っても、テオとイザベルには性的関係は有っても双生児というタブーの為
か肉体関係がない事。(最後の一線を越えないだけで、多分、他は全部・・)
まぁ、心も体も愛し合ってるから、精神的繋がりより強いって事はない訳で、
まして相手は一卵性双生児ですからね。
「突然炎のごとく」では、ジュールは結局カトリーヌを独占するには遺灰にな
るまで待たなければならなかったけど、流石にそこは違います。
ではイザベルは何を表しているのか?
これがよく解らない(笑)、「映画自体」みたいな存在なのかな。
マシューは映画を愛したけど、テオと映画は愛を超えた不即不離、(一身)
同体のような存在という事なのかも。
ラストシーンは、この二人に対するベルドリッチの見解なんでしょう。
ちょっと、「いちご白書」('70)のラストを思い出しました。(笑)
でも、もしものもしもだけど、僕の見方が幾らか当ってたとして、「それを見
たから何なの?」というのが正直な感想で、わざわざ「映画で見せてもらう必
要」があるんだろうかでした・・・。
※後の「完成された美」という感じのエヴァ・グリーンより、ナチュラルで美人
なパリジェンヌって感じの本作の方が、遥かに好感度多し。
尚、R‐18なので、それ相応のシーン多いです。(注意)
※双生児の父親が詩人って、何か、意味がある気がする。
(ヌーヴェルヴァーグ以前のフランス映画を詩的リアリズムの時代という事
もあるけど、それとは違う気が・・・)
※シネフィル3人が主人公な為、映画クイズが多いです、一つも解らんかっ
た。(笑)
トリュフォーの「アメリカの夜」でも出てきた問題が、この作品にも出てきた、
しかも同じシーン、これもオマージュなんだろうか。
※目が悪いのか主役のM・ピットが、若き日のデカプリオに見えて仕方なか
った。(笑)
H29.5.21
DVD
監督 ベルナルド・ベルトルッチ
脚本 ギルバート・アデア
原作 ギルバート・アデア
撮影 ファビオ・チャンケッティ
美術 ジャン・ラバス
出演 マイケル・ピット
エヴァ・グリーン
ルイ・ガレル
(ジャン=ピエール・レオ)
1968年パリ5月革命を背景に、シネマテークに入り浸る映画狂の一卵性
双生児テオ(L・ガレル)とイザベル(E・グリーン)の男女二人、仲間に加わる
アメリカから語学習得に来たマシュー(M・ピット)、三人の愛と決別を描いて
いく・・・。
予告編
https://www.youtube.com/watch?v=YU1brBVMBkM
中々面白いけど何を描きたかったのか、よく解らん。(笑)
なので例によって唯我独尊、裏読みっぽく書いていこうと。(汗)
これヌーヴェルヴァーグ、登場人物にゴダールとトリュフォーを仮託した物
語なのでは。
シネマテークに入り浸り、知り合いとなり同志的(カイエ・デュ・シネマ)に繋
がるも5月革命で決別していくって殆どゴダールとトリュフォーでしょ。
話の骨格はモロにトリュフォーの代表作「突然炎のごとく」('62)から。
途中、三人がJ-L・ゴタールの「はなればなれに」('64)を真似てルーブル
を駆け抜けるシーンがあるけど、「突然炎のごとく」で跨線橋を駆けっこする
有名なシーンも一緒に思い出させる。
テオの部屋に大きな毛沢東のポスターが貼ってあるのは、当時マオイズム
(毛沢東思想)に傾倒したゴダールを指しているのでしよう。
五月革命で一番尖鋭的だったのはトリュフォー、でも、その後は政治の世界
に背を向けます、トリュフォーほど過激でなかったけど、以後、政治的作品を
量産するゴダール。
この作品でも焚き付けたのはマシューだけど、彼はバリケードの内側に残
り、飛び出て行くのがテオ。
只、「突然炎のごとく」と違うのはマシューとイザベルは肉体関係になり愛し
合っても、テオとイザベルには性的関係は有っても双生児というタブーの為
か肉体関係がない事。(最後の一線を越えないだけで、多分、他は全部・・)
まぁ、心も体も愛し合ってるから、精神的繋がりより強いって事はない訳で、
まして相手は一卵性双生児ですからね。
「突然炎のごとく」では、ジュールは結局カトリーヌを独占するには遺灰にな
るまで待たなければならなかったけど、流石にそこは違います。
ではイザベルは何を表しているのか?
これがよく解らない(笑)、「映画自体」みたいな存在なのかな。
マシューは映画を愛したけど、テオと映画は愛を超えた不即不離、(一身)
同体のような存在という事なのかも。
ラストシーンは、この二人に対するベルドリッチの見解なんでしょう。
ちょっと、「いちご白書」('70)のラストを思い出しました。(笑)
でも、もしものもしもだけど、僕の見方が幾らか当ってたとして、「それを見
たから何なの?」というのが正直な感想で、わざわざ「映画で見せてもらう必
要」があるんだろうかでした・・・。
※後の「完成された美」という感じのエヴァ・グリーンより、ナチュラルで美人
なパリジェンヌって感じの本作の方が、遥かに好感度多し。
尚、R‐18なので、それ相応のシーン多いです。(注意)
※双生児の父親が詩人って、何か、意味がある気がする。
(ヌーヴェルヴァーグ以前のフランス映画を詩的リアリズムの時代という事
もあるけど、それとは違う気が・・・)
※シネフィル3人が主人公な為、映画クイズが多いです、一つも解らんかっ
た。(笑)
トリュフォーの「アメリカの夜」でも出てきた問題が、この作品にも出てきた、
しかも同じシーン、これもオマージュなんだろうか。
※目が悪いのか主役のM・ピットが、若き日のデカプリオに見えて仕方なか
った。(笑)
H29.5.21
DVD