セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

映画手帳 2014年10月~12月

2014-12-26 22:58:43 | 映画手帳
 本年も当ブログにお越し下さり、本当にありがとうございました。
 引き続き来年も宜しくお願い致します。
 皆様、良いお年をお迎え下さい。

    (10月)
46. 「女殺し油地獄」      5日 (新文芸坐)
47. 「近松物語」         5日 (新文芸坐)
48.※「キャバレー」      12日  DVD
49. 「A.I.」           13日  DVD
50. 「チャイナタウン」     19日 (TOHOシネマズ日本橋)

    (11月)
51. 「言の葉の庭」       2日  DVD
52.※「忍ぶ川」          3日  DVD
53. 「美女と野獣」        9日 (日比谷スカラ座)
54.※「冬の華」         16日  DVD
55. 「6才のボクが、大人になるまで」 22日 (日比谷シャンテ)
56. 「きっと、うまくいく」   24日  DVD
57. 「夜の河」         30日  DVD

    (12月)
58. 「最後の忠臣蔵」      6日  DVD
59. 「バグダッド・カフェ」    7日  DVD
60. 「洲崎パラダイス 赤信号」 14日  DVD

※印は再見作。

今年は多分、これで打ち止めだと思います。
コメント (4)
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忙中有閑 閑中有忙

2014-12-25 23:05:03 | 雑記
 土曜日に飯田橋の名画座で二本立て観て、
 日曜日は今月の「お題」に挑戦。
 これが完全に絵に描いた餅、予定は未定にして決定に有らずでした。

 18日(木)明け方、コンコンと咳で一時目覚めたのが端緒。
 それが、段々痛みを伴うようになってきて、土曜日も頑張って店開けたのですが、AM11:00でギブアップ。
 夕方、「これで高熱がでたらヤバイ」ので病院、そのまま入院。
 (案の定、夜中に40度まで行った)
 病名は「急性肺炎」。

 持病の薬が「肺炎」を引き起こし易い薬で、他にも抗がん剤並みの強力な「免疫抑制剤」を使用してるので
気を付けてはいたのですが、やっちまいました・・・。
 医者「今日(月曜)、帰してあげてもいいんだけど、貴方、家帰ると無理するでしょ、病院に居ればあきらめ
もつくから木曜まで居なさい。とにかく、薬飲んで静かに寝てなさい」

 ところが、月の内で、どうしてもじっとしてられない時期だったんですよね。
 決済日と、その片を付けなきゃいけない日が続くので、じっとしていたくてもじっとしてられない。
 じっとしてたら、退院した時には取り返しの付かない事になってる。
 そんなもんで、毎日、1~2時間一時帰宅して「お仕事」(病院から家まで徒歩5分~泣)
 退院した今日も、帰宅して即、着替え、銀行行って、溜まった品物整理して・・・。
 「荷重労働の回避」って、暫定治療計画書には書いてあるのですが。
 まぁ、今日、大体の所は片づけたし、今年の「大掃除」は肉体的に無理なのでヤメにしたし。
 なるべく、動き少なく「年を越す」事ができたらと希望的観測を持ってます。

 そんなもんで、今月のお題「イントレランス」は残念ながら来年に回します。
 (ちゃんとDMMでレンタル済みですよ)

※入院5泊6日、土、日、祝日で先生の休みが3日。
 熱は解熱剤で即下がったし、あとはひたすら「静かにしてなさい」で投薬以外、これといった事してないから、別にいいのだけど。(笑)
 TVは殆ど見なかったので、鬼平が10冊、シャーロック・ホームズが1冊。
 世間は師走で慌ただしく、周りにしわ寄せさせて当人はベットでゴロゴロ、余り気が休まるもんじゃないです。
コメント (6)
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「洲崎パラダイス 赤信号」

2014-12-17 22:58:22 | 邦画
 

 「洲崎パラダイス 赤信号」(1956年・日本)
   監督 川島雄三
   原作 芝木好子
   脚本 井手俊郎 寺田信義
   撮影 高村倉太郎
   美術 中村公彦
   音楽 真鍋理一郎
   出演 新珠三千代
       三橋達也
       轟夕起子
       芦川いずみ
       河津清三郎

 「あぁ、やんなっちゃう、何時でも私ばかりに頼るんだから」
 「そんなに俺が邪魔なら、お前一人で何処へでも行けよ」
 「ほんと!」 
 「俺なんかどうなったていいんだろ、どうせ俺なんか死んじまえばいいんだよ」
 「二言目には「死ぬ、死ぬ」って、人間、死ぬ時まで生きなきゃならないんです
からね!」
 「うるせえな!行きたきゃ、とっとと行っちまえばいいんだよ」
 「そう、じゃ」
 「おい・・・何処行くんだよ」
 「「何処へでも行け」って言ったでしょ」
 「・・おい!」

 これは映画の冒頭、勝鬨橋の上で交わされる蔦枝と義治の会話ですけど、見
事にこの映画を表してると思います。
 生活力の無いダメ男と傾城を抜け出た強かで蓮っ葉な女の「腐れ縁」物語。
 82分の「浮雲」(成瀬巳喜男監督)、川島雄三版と言えなくもない。
 時間が短い分、「深み」は足りないかもしれないけど、「浮雲」にはないリアルな
生活感を感じました。

 二人はバスに乗り赤線・洲崎に辿り着きます。
 洲崎橋を渡り「中」へ入ろうとする蔦枝、元の黙阿弥と必死に押し留める義治。
 すったもんだの末、橋の手前に有る一杯飲み屋「千草」に「女中入用」の貼り紙
を見つけた事から物語が始まります。
 「赤信号」は「止まれ」の意味で、いつ「青信号」になってもおかしくない二人の
状態を指しているのでしょう。

 義治はウジウジ、イジイジ、見てるだけでウンザリしてしまう。
 二人で生きてく為に酔客に媚を売る蔦枝を見て、自分の甲斐性無しを棚に上げ
直ぐ嫉妬が態度に出る情けない奴。
 蔦枝は義治と違い、苦労してる分、逞しく生命力は有るけど、
 「ところで、まだ名前聞いてなかったな」
 「蔦枝、蔦に枝だから絡みついたら離れないわよ」
 言葉通りに客に絡みつく性分。
 直感で客を選び、引っ掛かったら蜘蛛が獲物を捕獲するように絡め獲ってしまう。
 でも、
 「私ね、義治と一緒に居た時には落合のスクーターの音がすると、どんなにクサ
クサしていてもパーッと気分が晴れたの、ところが落合と一緒になってみると蕎麦
屋の出前持ちが通ると、みんなあの人に見えちゃうのよ」
 そんな女なんです、何時だって「今」に納得できない女。
 でも、そんな二人の何故か離れるに離れられない男女の不条理、その可笑しさ
哀しさ。
 「浮雲」では、成瀬、高峰秀子、森雅之の力で幾らか俯瞰的に見える高尚な「腐
れ縁物語」が、この作品では、もっとダイレクトに生々しく迫って来ます。
 下世話な僕には、この作品の方が合ってるかもしれません。
 この映画は蔦枝と義治のワン・サイクルの物語ですが、エンドレスに続く話なん
だと思います。
 でも、それもいつまで続くやら。(笑)

 新珠三千代が素晴しい、逞しく強かで尻は軽いけど、どっかで義治を放っておけ
ない純な所も有る女を巧みに演じています。
 三橋達也も、こんな情けない役を初めて観たので新鮮で面白い。
 又、「千草」の女将役を演じた轟夕起子も、しっかり者の裏に有る哀しさを感じさ
せて好演。
 小沢昭一の先輩出前持ちは、出てくるだけで「場」をぶち壊す曲者ぶりを如何な
く発揮して、これは怪演と言っていいでしょう。
 河津清三郎も良かったです。
 そして、芦川いずみは可愛い!(笑)
 新珠さんと芦川さんを観れただけでも満足でした。

※伝七の女を演じた隅田恵子、ちゃんと映るのは1カットくらいなんだけど、やさぐれ
感が凄い。
 
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「女殺し油地獄」(おんなころしあぶらのじごく)1957年版

2014-12-16 00:29:42 | 邦画
 「女殺し油地獄」(1957年・日本)
   監督 堀川弘通
   原作 近松門左衛門
   脚本 橋本忍
   撮影 中井朝一
   照明 猪原一郎
   音楽 宅孝二
   出演 二代目 中村扇雀(現 坂田藤十郎)
       二代目 中村雁治郎
       新珠三千代
       三好栄子
       香川京子
       山茶花究

 油屋「河内屋」の放蕩息子与兵衛。
 先代の遺言を守り、店の為、番頭と再婚した母と義父になった元番頭、二人
の引け目をいい事に、放蕩、悪態の限りをつくし、やがて親戚にまで類を及ぼ
すようになる。
 贔屓の芸者にイイ所を見せようとして、謀印(偽印)を使って高利貸から多額
の借銭をした事から、与兵衛は窮地に陥ってしまう。
 謀印がバレれば罪は死罪だった・・・。

 映画は大概、主役に肩入れしながら見るものですが、この作品で、それをや
ると失敗る気がします。
 何せ、この与兵衛、箸にも棒にもかからないドラ息子で、肩入れする隙なん
ぞ何処にもありゃしません。
 豊嶋屋お吉は「あんたは本当のワルやない、ええ所だって有るんやから」と
言ってくれますが、
 根性無しの「小ワル」は解りますけど、他は「何処に?」って普通は思います。
 だから、与兵衛になって映画を見ると最後まで「しょうもなく、腹立たしい奴」
なんで、「これの何処が面白いんだ」になってしまうんじゃないでしょうか。
 この作品の見所は、そこじゃない二つの点を観るべきものだと思います。
 一つは親が子を思う「情」(お吉の親切心から出る思いやりの「情」も含めて)。
 最後の手段「勘当」で親子の「縁」を絶ち切っても、切るに切れない母子の「情」、
或いは先代から受けた「恩」と「情」。
 その例えようのない「深さ」が、この物語の味だと思います。
 そして、もう一つは歯車がほんのちょっと狂っただけで止めどなく転がり落ちて
いってしまう、この世の「怖さ」。
 同じ近松の「近松物語」(溝口監督作品)でも見られる、ほんの些細な誤解、行
き違いが更なる誤解を生み、あっと言う間に抜き差しならぬ状況に陥っていく「怖
さ」。
 与兵衛は、お吉が言うように「人殺し」なんて大それた事が出来るような人間じ
ゃないし、度胸もない。
 只の我儘、しょうもない甘ったれにすぎないのだけど、そんな小心者も、何か
の弾みで歯車がちょっと狂えば、終わってしまうまで「目が覚め」なくなる「怖さ」。
 この、人知の及ばぬ人間世界の「怖さ」、「不思議さ」も近松は描いているのじゃ
ないでしょうか。

 こういう古典作品を映像化して、その機微を納得させるには演出と共に俳優達
の力量が問われます。
 その点、実に申し分ない。
 母親役の三好栄子、身持ち固く、しっかり者で大人の内儀お吉を演じた新珠三
千代がとてもいい。
 でも、義父・河内屋徳兵衛を演じた中村雁治郎の演技が更に素晴らしく、ともす
れば、その理不尽さに醒めてしまいそうな物語に血肉を与えています。
 この三人が居なかったら、僕は途中で白けてしまったかもしれません。
 山茶花究も隠しきれないヤキモチを漂わせた豊嶋屋七左衛門を的確に演じて
います。
 そして、もう一人。(笑)
 何の共感も覚えさせないワルだけど、その目の澄み具合で根っからのワルじゃ
ない所をしっかり感じさせた中村扇雀も憎たらしいけど好演だったと思います。
 
 余り評判にならない作品ですけど、観て損はない作品だと僕は思いました。

※新珠三千代さん。
 僕がはっきり、この人を覚えたのはTV「細うで繁盛記」。
 富士真奈美さんが瓶底眼鏡を指で押し上げ、
 「加代、み~んなおみゃあが悪いずら」が強烈な印象で残ってる。(笑)
 だから、僕の新珠さんのイメージは、ずっと50年近く、あの時のままでした。
 (内藤洋子さんの「氷点」は見た記憶だけ~あの母親役は久我美子さんだった
 と、つい最近まで思い込んでいました(これは多分「木下恵介アワー」の作品と
 混同(笑))
 この作品では、元禄島田のカツラにお内儀だから引眉に鉄漿付け、現代の美的
 感覚で見れば「お化け」みたいなんだけど、その大人の女の落ち着きぶりと振る
 舞いで、見ている内に美しくさえ感じてしまいました。
 「細うで繁盛記」のイメージが良い意味で壊れました、上手いし芸域の広さも「洲
 崎パラダイス 赤信号」で確認。
 今更ですが、本当の女優さんの一人だと思いました。
 
 
コメント (3)
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日本俳優ベスト10

2014-12-12 23:21:54 | ベスト10
 今日、新聞に出てたキネ旬発表の俳優ベスト10、キネ旬好みが出過ぎてまるで納得できない。
 気に入らないので、鉦鼓亭が勝手に思うベスト10を書きます。

 男優 1. 三船敏郎
     2. 森雅之
     3. 森繁久弥
     4. 志村喬
     5. 三国連太郎
     6. 笠智衆
     7. 市川雷蔵
     8. 阪東妻三郎
     9. 長谷川一夫
     10.萬屋錦之助

 女優 1. 高峰秀子
     2. 山田五十鈴
     3. 田中絹代
     4. 原節子
     5. 京マチ子
     6. 杉村春子
     7. 淡島千景
     8. 香川京子
     9. 若尾文子
     10.大竹しのぶ

 キネマ旬報 日本俳優ベスト10
  男優 1. 三船敏郎
      2. 森雅之
      3. 市川雷蔵
      4. 勝新太郎
      5. 高倉健
      6. 原田芳雄
      7. 松田優作
      8. 役所広司
      9. 三国連太郎
      10.志村喬

  女優 1. 高峰秀子
      2. 若尾文子
      3. 富司純子
      4. 浅丘ルリ子
      5. 原節子
      6. 山田五十鈴
      7. 岸恵子
      8. 安藤サクラ
      9. 田中絹代
      10.夏目雅子
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「最後の忠臣蔵」

2014-12-08 23:41:37 | 邦画
 「最後の忠臣蔵」(2010年・日本)
   監督 杉田成道
   原作 池宮彰一郎
   脚本 田中陽造
   撮影 長沼六男
   美術 原田哲男
   音楽 加古隆
   出演 役所広司
       佐藤浩市
       桜庭ななみ
       安田成美

 討ち入りに前後して二人の郎党が大石内蔵助の密命を受ける。
 一人は直臣ながらも士分ではなく足軽身分の寺坂吉衛門。
 残された浅野家家臣、遺族に討ち入りの模様を知らせ、その暮らし向きを
助ける役目。
 もう一人は、大石家の用人(大石家の家来なので浅野内匠頭から見れば
陪臣)瀬尾孫左衛門。
 彼は内蔵助が京都潜伏期に出来た子供を手配が回る前に隠し、育て上げ
る事を討ち入り前日に仰せつかる。
 「逐電」、「卑怯者」の汚名を着ながら生きた二人が16年後、京都で偶然ま
みえる事に・・・。
 落し胤「可音」は16才の美しい娘に成長していた。

 「忠臣蔵」のあらすじを抜き取れば、
 主の切腹→世を忍び辛苦に耐え雌伏→本懐を遂げる→「あら楽し思ひは
晴るる身はすつる 浮世の月にかかる雲なし」で切腹。
 この作品は討ち入りの16年後を描いていますが、構成を見れば「忠臣蔵」
のストーリーを外してはいません。
 只、「忠臣蔵」は浅野内匠頭への忠義の末の殉死が物語の骨格ですが、本
作に於いては瀬尾孫左衛門の大石内蔵助への殉死という違いがあるだけ。
 (四十七士は赤穂・浅野家の直臣によって構成されてるので、陪臣である
瀬尾にとって本当は殉死する程の義理はない~だから、自分にとっての主
である内蔵助に殉死というのは非常に上手い着想だと思います)
 現代の目で見れば、可音の婚礼後の孫左衛門の所業は正に「武士道残
酷物語」にしか見えないかもしれません。
 でも、僕から見れば、この結末以外は納得出来なかったと思います。
 江戸期以降作られた「武士道」のイメージは理非の外にあり、僕にとって
「こうするより他はなかった」と思います。
 例え、それが虚構だとしても~何時の時代も「死にたがり」ばかりじゃない
し、赤穂事件でも血書に署名せず生きる道を選んだ藩士が「浪士」の6倍も
居る~、黒澤明の自伝「蝦蟇の油」を読むだけで武士の世界の日常は凡そ
庶民とはかけ離れた世界なので、こういう武士が居ても僕にとっては何ら不
思議がないように感じられるのです。

 時代劇としての本作は、いろいろ欠点がある気がします。
 かつて浅野家に奉公してた武士が婚礼の道中駆け付けた後、
 「そこに控えし、瀬尾殿には~」との台詞が有りますが、瀬尾は突っ立って
てちっとも控えてない。(笑)
 元家来から見れば「ご息女」、瀬尾から見れば「お姫さま」の可音が駕籠の
扉を開けた時は片膝着いて控えなくっつちゃ。
 また、可音が心乱れて自制できなかったとしても、草履を乱れたまま脱ぎ捨
てるなんて武士、それも高位の武士の娘なら絶対と言っていい程、有りえない。
 (それが許されるとしたら「お家の一大事」の時だけ)
 それ程、武士の世界と言うのは体裁に厳しい所なのです。
 現代劇の娘さんとは違う世界なのですから、こういう所を現代感覚でやられ
ると???になってしまいます。

 この物語は「忠臣蔵」の「本記」ではなく、「外伝」若しくは「烈伝」に類します
(それも架空の)。
 要らぬ台詞、描き過ぎのシーンも幾つか有りました。
 でも、数え切れぬ程観た「忠臣蔵」の中で、僕はこの作品が一番好きかもし
れません。

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 本作に挟まれる「曽根崎心中」の意味は何なのだろうか。(本当はよく解ら
ない(汗))
 男女の道行を挟んでる所から、孫左衛門と可音を暗示し、孫左の一方的単
独心中?と解釈する方が多いようです。
 確かに「道行」は、俗世のしがらみの中では結ばれてはならぬ者同士が浄
土で結ばれるという「浄土思想」が根に有るから、この物語の孫左と可音に当
て嵌まる。
 でも二人は心中しないし、道行で片心中というのも無いと思います。
 僕には義太夫で語られる二つの重ね言葉が耳を離れません。
 「夢の夢こそ哀れなれ」
 「生き別れては恥の恥」(死にそこなって一人生きながらえたら恥の恥)
 この言葉こそ、討ち入り後16年の瀬尾孫左衛門であり、この作品に描かれ
た時間なのではないでしょうか。
 16年前、一緒に死ぬ筈だった主従、重い役目を無事果たしたからには、一
刻も早く浄土の大石の元へ馳せ参じたかった・・と僕は素直に解釈したいと思
います。
 江戸時代になり殉死は禁じられるようになりましたが、無くなる事はなかった
と聞いています。
 (討ち入り前日、実態はともかく孫左は死んだのです、16年後、夢から覚め
漸く実態も露と消えたのでしょう)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

※「忠臣蔵」を最初に見たのは昭和39年のNHK大河ドラマ2作目だったと
 思います。
 芥川也寸志の名曲と長谷川一夫の「おのおの方、いざ討ち入りでござる」の
 台詞が有名な作品。
 尤も、見た記憶が有るのは討ち入りの回と最終回だけ。(笑)
 20歳くらい迄は「討ち入り」と「南部坂雪の別れ」以外興味ありませんでした。
 でも、それ以降、「討ち入り」にまるで興味が無くなって、今では「討ち入り」以
 外しか見ないような気がします。(笑)
 何度も見てると「討ち入り」が芸能人運動会にしか見えなくなってしまって。(汗)
 好きなシーンは「南部坂雪の別れ」と「赤垣源蔵 徳利の別れ」。
 一番記憶に残ってるシーンは、これも「外伝」ですがTVドラマ「編笠十兵衛」(高
 橋秀樹主演)での討ち入りシーン。
 秘密の抜け穴で、上杉藩家老の懐刀で露口茂演じる小林平八が赤穂浪士の
 龕灯に照らされながら斬り死にする所。
 「色部の殿・・・小林平八・・もはや力尽き申した・・・」(ウロ覚え)
 露口茂が渋かった。(笑)
 (ついでに一番詰まらなかった「忠臣蔵」は、本作と同じ作者の「四十七人の刺
 客」)
※この作品の寺坂吉衛門(佐藤浩市)、最後の台詞二つは蛇足も蛇足なんだけ
 ど、僕が寺坂の立場だったら「本当に困って」しまいます。(汗)
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「夜の河」

2014-12-02 00:11:08 | 映画感想
 「夜の河」(1956年・日本)
   監督 吉村公三郎
   原作 沢野久雄
   脚本 田中澄江
   撮影 宮川一夫
   音楽 池野成
   出演 山本富士子
       上原謙
       東野英治郎
       小沢栄(太郎)

 昭和30年頃。
 京の堀川沿い、染物職人の娘、舟木きわ。
 彼女はろうけつ染めで才能を発揮、腕は父を凌ぎ、販路も自分で開拓して
いく程の才気と行動力を持っていた。
 家業を娘に頼りながらも、30手前の娘の先行きを心配する父親。
 そんな彼女が、ふとした偶然から女高生の娘を持つ阪大の教授と恋に落ち
る・・・。

 伝統と仕来たりの残る古い世界で、「女の自立」を描いた作品。
 メーデーのシーンは資本家と労働者を、男と女の関係に例えたのでしょう。 
 従属ではなく対等なのだと、実に直截的で野暮なシーンに感じました。
 この映画で赤・朱・オレンジ等、この系統の色はきわの秘めた情熱を示して
いるのですが、メーデーの旗は余りに図式的、説明に過ぎると思います。

 この作品、男の無神経、狡猾、計算をきわの台詞によって糾弾しながら、対
比するように女の一途さ純粋さを凛としたものとして描いています。
 僕は、ここに引っ掛かる。
 妻子有る男に惚れたというのは人間だから仕方ない、その事に対して僕は
どうこう言う積りは微塵もない(それを言ったら映画の何分の一かは作れなく
なる)、でも、そんなに一方的に男をなじる程、きわは立派なのかな。
 そもそも男をそこへ追い込んだ責任の半分は自分にある、と余り考えていな
いように見えるんですよね。
 彼女が感じてる罪は奥さんと娘さんに対してで、男に対しては「綺麗な愛」で
誤魔化してる。
 男の無神経をなじるなら、研究室へ突然押し掛けた自分はどうなのか。
 (今と違って昭和31年だと、研究室や教授室にも電話はなく、連絡手段に乏
しいとしても)
 スタッフが何人も居る中、突然、飛びっきりの美人が訪ねて来たら、噂になら
ない方がおかしいのに、自分の無責任な行動には無関心。
 東京に進出する為、銀座の展覧会の準備中、協力してくれてる卸屋さんを放
っといて男と逢引きなんて、公私混同も極まってます。
 例え卸屋の一人が「色と欲」に目が眩んででは有っても、後の彼女の行動と
同じで「それはそれ、これはこれ」で彼女の為に汗を流してる人が何人もいるの
に逢引きは無いでしょう。
 そんなこんなを「一途で綺麗な愛」で誤魔化されてもねぇ。(笑)
 男には泥を掛けても自分は被らない(当人は被ってる積もりらしい)、二人一
緒に汚れた泥を被ってこそ道ならぬ愛、不倫の本道。
(喫茶店で散々「女の自立」を聞かされた挙句、お茶代男持ちみたい(笑))

 極論すれば、この作品は山本富士子の美貌を観る為に存在してる(演技も上
手い)。
 整い過ぎて僕の好み(汗)とはちょっとズレているのですが、彼女が非常に美
しい事に全然異論は有りません。
 もう一つ言えば、宮川一夫の色彩設計も見所の一つでしょう。
 京女の「いけず」ぶりと凛とした気丈さを観たい方にはお勧め。(汗)

※音楽の使い方に殆どセンスを感じられませんでした。
 非常に鬱陶しい。
※僕の生まれた年、1956年キネマ旬報第2位の作品、やっぱり評論家のキネ
 旬ランキングと僕はとことん相性が悪い。(笑)


 
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