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2008-07-27:仮面ライダースーパー1:川内康範

2008年07月27日 | 特撮
「闘将!拉麺男」コンプリート。EDがいい曲なんですよねえ~「そして、たぁ~たかいの大地に♪夕陽が幕をおろした♪いま、た~ち尽し男は♪がかや~き~をまして~♪」(←歌い出した!)
「トルアーガの塔」コンプリート。…しかし、この作品、第二期2009年春との事だけど、それはちょっと長いなあ~。「それまで存在しているのか?GONZO?」という皮肉もあながち冗談じゃなかったりするし…。ま、その時は、その時で「幻の作品!」とか何とか言ってありがたがろうかな?w
「仮面ライダースーパー1」コンプリート。第二期ライダーシリーズは「仮面ライダー(スカイライダー)」とこの「スーパー1」で終わってしまいますね。しかし、ある種第一作「仮面ライダー」のリライトというか総括をした「スカイライダー」の次に「スーパー1」をやった、潜在的な意味は大きいように思います。まず、スーパー1は従来の仮面ライダーと違って、科学の発展のために自ら志願して惑星開発用サイボーグになっています。これはストロンガーが復讐のために自ら改造手術を受けるストーリーとも大きく違い「仮面ライダー」シリーズに通底していた、ある種の“悲壮感”から解放されています。それと、やはりあのファイブハンドのギミックですね。ここらへんは、その後の「RX」や「平成ライダーシリーズ」と直接リンクするというわけではないのですが、肉弾的にたたかう事を主体としたライダー・アクションからの脱却が図られています。(ただし少林拳のアイデアを取り入れており、肉弾戦を弱体化させたという意味ではない)…まあ要するに第二期が続いていれば、かなり平成ライダーシリーズに近いような、バラエティに富んだライダーが出てきたのではないか?と思っています。


「月光仮面(どくろ仮面篇)」が始ったので観ています。第一部は週6回の10分帯番組として放送されています。…ちょと紛失しているフィルムがあるらしく時々ぶつ切れで、内容が追い切れないな…。それからなかなか月光仮面が出てこないw…週に一回くらいは出てくる計算で脚本を組まれているのかなあ?…なんか遠くから歌を歌う月光仮面の声だけが届いて、悪と戦う博士や警察官たちを、何とはなしに勇気づける…という話が印象的でした。
月光仮面は川内康範先生が、月光菩薩を模して創作したヒーローという事なんで、そうすると「レインボーマン」は日光菩薩を模しているんだろうなあ…。「月光仮面」→「七色仮面」→(「アラーの使者」未見)→「レイボーマン」(康範三部作)という流れを見て行くと、川内康範先生の“主張の変わらなさ”に逆に感じ入ってしまいます。
この「日々是録画」のメモ書きをするようになってから、少し収集している作品の偶然の偏り(?)みたいなもので、今、60年代後半~70年代初頭のある種の“暗さ”は何だろう?と考える事が多くなっています。ドラマでは「木枯らし紋次郎」から「傷だらけの天使」とか「風雲ライオン丸」とか非常に暗いし、「魔法のマコちゃん」や「ゲゲゲの鬼太郎」なんかでも社会派なドラマというか公害問題なんかが多く取り上げられている。

多分、ここらへんの作品群の時代背景というか傾向(勿論、こういう傾向に沿わない作品も多くあるが)は、僕が思うに以下の事件などが世相自体に大きな影響を与えていたように思います。

1.ベトナム戦争
2.水俣病訴訟
3.成田空港闘争

あと、70年代安保闘争だけど…多分、安保闘争自体がこれらの事件の影響を色濃く受けているんじゃないかと思ったりもします。戦後の日本人が、それまでずっと、がむしゃらに「復興」をスローガンに頑張ってきて、一段落ついた時期、ふと「…あれ?僕ら、どこかで間違えちゃった?」と考えさせたもの。上の1~3の問題というのは“民主主義”が機能不全だから起こったものではなく、むしろ正当に機能していても起こり得るものであり、そういった、ある種の民主主義への不安感が………いや、ここらへんの話は長くなるので、ちょっと置いておきますが(汗)
その時、川内康範先生が何をしていたか、というと相変わらず「祖国愛」と「人類愛」の物語を訴え続けていた…ちょっと右っぽい人ですけど、この頑固っぷりは、何かすごいな~っと改めて感じ入ってしまいます。
いや、無論、「レインボーマン」もこれらの世相の影響下にはある……というか川内先生はもっと厳しい目で世の中を見ていて「レインボーマン」の中で実行される「キャッツ・アイ作戦」は麻薬を大量に社会に流して日本の国力を弱体化させるというもの。「M作戦」は偽札をばらまいて日本の経済破綻を起こすというもの。どちらも超人的ヒーローが一人いたって、どうとなるものでもない、洒落にならない作戦に思えるんだけどw
たとえば「木枯らし紋次郎」なんかは、それまで代官に虐げられる農民は、貧しいながらも清く正しく生きている…故に時代劇ヒーローに救われる(正しく生きていれば良い事がある)というそれまでの定型を崩して「虐げられている奴も虐げられているなりに汚い!」って観点で話が組まれる事が多い作品なんですよね。…民主主義、あるいは自分らに対する不信感の顕われだと思うんですけど、そうやって暗い影を世相に落としている時代に「まあ、それはそれとしてなんだ!やっぱ“隣人愛”と“祖国愛”と“人類愛”だろ!」と「月光仮面」の時となんも変わらない主張を川内先生はする。しかも、「月光仮面」の時よりはるかに苛烈(…というか他の特撮ヒーローで国力自体の弱体化や経済破綻を本気で画策した組織なんてまず無い)になった“悪”を描きながらです!…何というか「分かってて同じ言を繰り返す」凄み、仮に「バカにされても同じ言を繰り返す」凄みのようなものを、川内康範先生からは感じます。

…まあ~世相に揺れない話は、特撮界隈ではもう一人、時代の空気読まない(いい意味で)巨人、平山亨先生がいるんですけどねwこの人の世の中の楽天的な視点にもすごく救われるものがあるんだけど…まあ、それは別の機会としましょうw