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『星を追う子ども』~死者を懐う物語

2011年05月12日 | アニメ


GWにかんで。さん達と『星を追う子ども』(監督・新海誠)を観てきました。いや、なかなか『面白かった』のでネタバレするような…?そんなに細かくは話さないような…?くらいの感覚で書き留めておこうと思います。(でも、多分、観終わった後に読んでもらうと良いくらいの感じで書くと思う)ストーリー紹介は……公式サイトから引用しましょうw

▼『星を追う子ども』公式サイト
http://www.hoshi-o-kodomo.jp/top.php
ある日、父の形見の鉱石ラジオから聴こえてきた不思議な唄。その唄を忘れられない少女アスナは、地下世界アガルタから来たという少年シュンに出会う。2人は心を通わせるも、少年は突然姿を消してしまう。「もう一度あの人に会いたい」そう願うアスナの前にシュンと瓜二つの少年シンと、妻との再会を切望しアガルタを探す教師モリサキが現れる。そこに開かれるアガルタへの扉。3人はそれぞれの想いを胸に、伝説の地へ旅に出る―。

観終わった後、けっこう謎が多く残る『物語』ですね。多分、ある程度再構築できると思うんですが…まあ、言わずもがなで語っていない分もあるんでしょうね。それと、誰かがこの作品をジブリアニメの『ゲド戦記』に準えていましたが、それは何となく分かるw
何と言うか画の雰囲気(?)から宮崎駿監督的な、冒険活劇のようなものを期待すると、少し肩透かしな感じになるかもしれません。…でも、アクションがないワケではない。ここらへんは難しいですね(汗)宮崎監督の“空中ブランコ”は無二のものですが、でも、まあ、そこはそれとして、文字通り地に足をつけて歩む話はできる。そんな感じの物語になっていますね。…で、ヤックルに乗っているのが『ゲド戦記』ですね。なるほどw『ゲド戦記』かwまあ、元々、新海監督の物語は、そんな強烈な起伏があるものではないでしょうから、そこで変な受け違いはないかもですね。

だから、作品としては旅もの……もっと言うと“紀行もの”をイメージするといいかもしれない。そして、それだけに……先に悪口を言いますが、世界観のデザイン~風景や風俗~が宮崎駿監督のパクリっぽくなってしまってるのは、ちょっと残念に思いました。「『星を追う子ども』ならではのアガルタを観てみたかった」と思いましたね。(キャラデザは、あれはジブリの専売というワケではなく、東映動画時代からの日本アニメーションのスタンダードの一つだと思うので、あれで良いです)
まあ、これも新海監督は、色々流用的な手法の人で、また、もしかするとある程度、ジブリ的なそれを期待させて気を引く意図があったかもしれないので、言っても詮無いかもしれませんけどね(汗)でも、そこにオリジナルとセンスを感じたら、僕は大絶賛だったかも。

観終わったあと、かんで。さんたちと色々話していて、思ったのは。「…ああ、これはつまりお葬式の話なんだな」って事です。主人公のアスナは、ある日、不意に出会った少年シュンに心惹かれるのですが、そのシュンは突然姿を消してしまう。そしてそのシュンを追ってアスナのアガルタを求める旅が始まります。また、“同じような気持ち”を抱えた大人であるところの森崎と、その旅を同道します。

でも、実はアスナは、はっきりこう言われているんです。「あの子は死んだ」って。どころか「死体が見つかった」とも言われている。アスナはそれをハッキリ認識いないだけなんでしょう。だから、世界のどこかにいるかも知れないシュンを追って旅をはじめてしまう。そこにもう一人、愛する人の死を納得しない森崎が道連れる。
…ちょっと昔のアニメ映画『わんぱく王子の大蛇退治』(1963年公開)なんかを思い出したりしていました。作中でも、日本神話のイザナギが、イザナミの死を受け入れずに黄泉の国へと向かう件が出てきますが、それですね。わんぱく王子って、スサノオの事なんですが、彼も死した母を求めて兄姉の国を訪れ流れて行く……で、最後にヤマタノオロチを退治してクシナダ姫と結婚する。って、最初の動機と、得られる結果結末が違ってるんですよねw

でも、なんかこういうの……良くないですか?w上手く言えませんが、いや、何か語ろうとすると長くなっちゃうので止めますが(汗)……ジュブナイルという感じがしますよ?(`・ω・´)『星追う子ども』も、ここまで違う話にシフトするわけではないですが、けっこう近い雰囲気を持っていると思います。そういう楽しみ方をしましたね。
そして、それはその人が死んだ事を納得するための、死者を悼むために、必要な時間~旅~だったのかなあ…というのがこの映画の感想です。

まあ、いろいろ書いているのは、つまり観てみて欲しいって事です。時間があったらぜひ。