今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。

『スパイキャッチャーJ3』~和製スパイアクションの系譜

2011年06月16日 | 特撮


『スパイキャッチャーJ3』(1965年放映)を録画。1~2話、4話、それと映画編集された23~24話が現存するのみという貴重な作品。昔、オープニグだけ見せてもらっていて…チューリップ♪の目、J3!!(←突然、歌い出した!)以前から観たかったのですよ。
『スパイキャッチャーJ3』は“チューリップ”と呼ばれる秘密組織~The Undercover Line of International Police……んんん、秘密諜報国際警察ってところかな?俗にスパイキャッチャーと呼ばれるエキスパートの日本支部員J3の活躍を描いたスパイ・アクションな『物語』。主演は川津祐介さん。ちなみに日本支部ボスのJ1は丹波哲郎さん。東映東京制作所はその後『キイハンター』(1968年放映)を制作しますね。

…まあ、ぶっちゃけ、これが超メチャクチャ『面白』かった!!毎回、オープニングの最後にJ3は自動車で走行中に謎の一団に襲われて、それを間一髪、J3のスパイカーが噴射して宙を飛び、難を逃れるのですが…もう、そこからしてカッコいいwストーリーも第一話が奪われた原子力潜水艦の行方を探るというハードなもので非常に愉しい。…いや~?『スパイキャッチャーJ3』、これだけしか現存していないんですか?勿体なさ過ぎる!orz

ちょっと、時代的な背景を整理しておくと007シリーズの『ドクターノオ』が1962年公開、『ロシアより愛をこめて』が1963年…と、『スパイキャッチャーJ3』が制作されるにあたって、このシリーズが念頭にあった事は、ほぼ間違いないと思うんですが……これは僕の感覚ではあるんですが、どうも007(あるいは海外のスパイもの)そのままという感じはしないんですよね。(逆に特定の邦画時代劇が西部劇の作りを継承している…って方には割とすんなり腑に落ちるんですが…)いや、この作品に限らず、和製スパイアクションって…なんというか、独特の暗さがあって、いや、特にテーマとか任務とかが暗いって事でもないはずなんですが、微妙な“影”を持っている気がしていて、あんまり海外のスパイアクションそのままではない……気がする。(`・ω・´)僕は、そこが何とも言えず好きなんですけどね。

2008-11-20:陸軍中野学校:プロテクター電光石火

近い印象の物語として、何か例を挙げられないかと考えましたが、市川雷蔵の陸軍中野学校シリーズを思い出したりして。…しかし、これは第一作が1966年公開で『J3』よりも後ですね(汗)…でも、僕のいいたい雰囲気は『陸軍中野学校』の方が伝わると思います。(↑)まあ、ちょっと以前の記事貼っておきますが。
他に和製スパイものの源流的なものとして戦前の『マライの虎』から『快傑ハリマオ』(1960年放映)を上げてもいいのかもしれませんが…。ちょっとハリマオは諜報員というより、工作員過ぎて何かちょっと上手くリンクを繋げられない気がしないでもありません(汗)

なんでしょうねえ…日本には昔から忍者という影の華形がいて、わりと影に徹する事のかっこ良さみたいな考え方が浸透しているため、海外のドラマと比べて、地味な諜報活動を地味なままに描いてしまっても、それがエンターテイメントとして成り立つ所があるのかもしれません。…まあ、適当言っていますが。

『謎の円盤UFO』~SHADOの職場はエロ過ぎて仕事になんない(´・ω・`)

2011年05月26日 | 特撮


『謎の円盤UFO』(1970年放映)コンプリート。イギリスの『サンダーバード』を作ったジェリー・アンダーソンのAPフィルムズ制作の実写ドラマです。宇宙の彼方から飛来してくる未確認飛行物体(UFO)と、地球の対抗組織SHADOの熾烈な闘いを描いた『物語』。1970年において、1980年の近未来を描く試みをしていて……服装とか、ストレイカー司令官の乗っている車のデザインとかが、ちょっと跳んでるんですよねw…で、ムーンベースに行くと女性士官がもっとすごい格好をしているのですが……地上はちょっと未来な感じで、月はかなりバリバリに未来世界な感じがなかなかいい雰囲気だと思います。

勿論、ミニチュア特撮のカッコ良さは健在で……いや、ホント言うと僕は月面迎撃機・インターセプター(上画像左)のデザインはそんなに好きじゃないんですが(汗)こう、UFOの侵入に対するあまりの撃墜率の高さに、遂には惚れてしまいますね。(`・ω・´)
いや、もうホントにマジで次から次へと確実に撃ち落として行くww大抵の場面がほぼ一方的にUFOを片付けてしまうんですよ。『宇宙戦争』などをはじめとして、宇宙侵略者にとっては地球の科学力など児戯に等しいって体で、一方的に地上を蹂躙してゆく“侵略者もの”が多い中、SHADOの軍事力の圧倒的頼もしさは『謎の円盤UFO』の特徴にして見所の一つでしょうね。
結果、強行な侵略を諦めざるを得ない宇宙人側は、必然的に隠密の、陰謀的計画によってSHADOの壊滅を測るスパイ・アクション的なお話になってくるワケです。……まあ、こちらも冷徹で頼もしすぎるストレイカー司令にばっちり対応されてしまうんですけどね。



『謎の円盤UFO』のもう一つの特徴として、女性士官のセクシー過ぎるコスチュームが挙げられると思います。(`・ω・´) 月面基地の女性士官たちは、なぜか揃って紫のカツラとコスモルックと言われる身体ぴっちりの服を着込んでいます。…なんで、紫のカツラなんでしょうね?(考)まあ、ぱっつりのコスモルックは“伝統”だから仕方がないとしても、ですね……。
潜行戦艦スカイダイバーの服とか!網ですよ!網!?なんでだよ?w仕事になんないよ?こんなん!(`・ω・´)誰の趣味だよ?ストレイカーか?ヘンダーソン長官か?……フリーマン大佐と見た!……まあ、慣れればどうって事はないのかもしれませんけどねwこれが、未来1980年というものなのでしょうか。…男の服装は、いたって落ち着いているのですけどねえ……あ、スカイダイバーはやっぱり網かw

あと印象に残るところとしてはストレイカー指令の家庭についてですね。沈着冷静なストレイカー指令は、対宇宙人との作戦において無類の指導力を発揮する、実に優秀な司令官なんですが、その裏で彼自身の家庭はダメにしてしまうんですよね。…というか家庭崩壊の果てに、一人息子を死なせてしまっている。
随分、欝なストーリーなのですが、何でこんな話を盛り込んでいるんだろう?と多少違和感も持っています。ほぼ完璧人間で、宇宙人対策用サイボーグのようなストレイカーにも人間味を……という事だとしたら、ちょっと暗すぎる話ですし。
まったくの直感、当てずっぽうを言うと、当時のイギリスの世相か影響しているのかな?とか思ったり。10年後の近未来を描くというコンセプトもあって、そこらへん妙に敏感な作品にも思えます。女性の社会進出とか、あんな格好ですが意識されていますし。あんな格好ですが。(´・ω・`)

…まあ、単純には、あれだけの超エリートで、家庭も円満なんて話だと視聴者のルサンチマンが黙っちゃいないぜって話なのかもしれません?…ふむ。そう考える方が妥当かなあ…。でも、同じくイギリスのジェームズ・ボンドとか、モテモテ人生で全然OKなワケで、特に瑕疵を作らなくてもいいような気もする。…まあ、特に結論も無いですけど、ともかく、ストレイカー指令の家庭崩壊劇は、ハードなSFストーリーに妙な生々しさを残し、不思議な雰囲気に寄与しています。


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『電磁戦隊メガレンジャー』ブラックの優等生っぷりに惚れる

2011年05月19日 | 特撮


『電磁戦隊メガレンジャー』(1997年放映)コンプリート。スーパー戦隊シリーズの第21作目の作品。アーケードの格闘ゲーム“メガレンジャー”の達人である伊達健太くんが、世界科学者連邦(I.N.E.T)のメガレンジャープロジェクトのレッドとして抜擢され、健太の友達であるデジタル研究会の4人も健太ともども、異次元世界“ネジレジア”からの侵略者たちとの戦いに巻き込まれてしまう『物語』。高校生である彼らは、学生と戦隊の二つの生活を両立させるべく奮闘します。
メガレンジャー……ME・GA、入れ替えるとGA・ME…ゲーム、ゲーム・レンジャーをもじってメガレンジャーだと思われますw当時、当時、『ストリートファイターⅡ』のシリーズとか『バーチャファイター』なんて格闘ゲームが大流行りで、また携帯電話が普及しはじめた頃で、それらの要素をかなり劇中に取り込んでいる作品ですね。ロボットの操縦なんかでレバー操作によるコマンド入力とかやっていて……でも、なんかちょっと感覚ズレている気がしないでもなかったw(汗)

僕自身は、放送時間が日曜日の朝に変更になった(それに合わせて放送時間も25分から30分に復帰した)作品として記憶しています。……というか、ですね(汗)土曜の夕方の時は観ていたんですけど、放送時間が変更になってから追うのを止めてしまいました(汗)……ちょっと言い訳すると、前作のすっごい面白かった『カーレンジャー』の後、さらなる面白さというか、別にギャグじゃなくてもいいんだけど、挑戦的な何かを期待していた所がありまして。それではじまったのが『メガレンジャー』で「ああ~、なんか普通なのがはじまったなあ…やっぱり『カーレンジャー』は失敗だったかな?それで一端、ちょっと普通に還ろう…みたいな話になったのかなあ~」などと考えて、勝手にモチベーションを下げてしまった所がありました。…まあ、『無様』ですよね。(´・ω・`)

今回、後半を観てみて、案の定いろいろ後悔すると…orz いやぁ、これ普通に『面白い』じゃん…というか、かなり僕好みじゃんと。武上純希先生がメインライターで、後半から小林靖子先生が入っていますね。僕が、小林靖子という才能に目を向けたのは、次作の『ギンガマン』からで、こっちも、またいずれ語ると思いますが、戦隊のライターとしての参加は本作からという事のようです。6人目の戦士メガシルバーのパートとか……もう、既にいかにもという感じですがw

この戦隊、一見、レッドの健太が主人公のようでもあるんですが、その実ブラックの耕一郎が主人公という気もします。(気もする…っていうか多分主人公ですよね)その関係はあたかも『機甲創世記モスピーダ』の表向き主役に見えるレイと、実の主役スティックの関係というか……まあ、余計な話ですが(汗)僕は、かなりこの耕一郎のキャラクターと、彼が紡ぎ出してゆく物語が気に入りました。
戦隊のリーダーはブラックの耕一郎、それとサブリーダーがイエローの千里なんですが、この二人が恐ろしく真面目で、絵に書いたような優等生なんですよ。…というか、この戦隊、基本的に頭いい子たちで構成されていて、ブラック、イエロー、ブルーはとにかく学年でトップクラス。レッドだけ最下位wデジタル研究会という理系の部活に所属しているけど、スポーツもしっかりできるという文武両道の優等生っぷり。



しかし、このブラックくんは真面目過ぎて逆にそれ故、失敗もするというキャラクターでそこが微笑ましかったですね。ものすごくいい加減でぐ~たらな(でも生徒想いである)担任の大岩先生や、カッコつけのええカッコしいのメガシルバーの裕作さんも、耕一郎のその真面目さの肩を力を抜けさせるために配置されているように思います。そう考えると、レッド・健太もブラックに対する、そういう要員の一人という気もしてきます。
でも、そういういい加減な人たちの、いい加減の良さを知り、理解しつつも、自分の性質を変えようとはしないその一本気さが気持ち良かったです。「真面目で何が悪い」って話でもないですが、そう簡単に自分の筋は曲げられないとw

また、ブラックが真面目な上に、サブリーダーのイエローも真面目。(この二人、同じ大学に行くし、普通に結婚するんじゃなかろうか?…明らかにリア充だ)故にチーム全体に真面目な磁場が発生していて、それこそ子どもの甘えのようなものが全面に出てもおかしくなかったかもしれない(まあ、それはそれでドラマになるでしょうけど)“学生戦隊”が~前の学生戦隊の『ターボレンジャー』は妖精を見つけて戦隊に……みたいな展開でしたが、そんな感じじゃなく~歴とした公的機関の公的プロジェクト(戦隊)で、ヒーローで居続ける事に一定の説得力……というか納得力を持たせていたと思います。あくまで優等生であって、プロフェッショナルとは違う…って所も好きですね。…要はいい子、いい奴ではあってもヒーローとしてプロじゃないんですよね。

故に47話で大学受験…それも第一志望校の受験に行った、ブラックとイエローが試験の途中で、事件の報を受け取り、第一志望のその校舎を見上げながらも受験を捨ててその場を後にするエピソードは相当によかったです。自分らがメガレンジャーだというのは秘密なので、これで受験を棒に振ってしまうワケです。…繰り返しますが、真面目な優等生である彼らが理由も告げずに試験をすっぽかすなんて相当な抵抗があると思うんですよね。……でも、今、自分がどうするべきなのかは刹那に答えが出ている。…うん、やはり感動。

まあ、ブラックの話ばっかりしてしまいましたが(汗)後半に出てくる「…こっちの方がかっこ良くね?」と思わせる邪電戦隊ネジレンジャー(これが、すごい強敵なのよ)や、邪電王ジャビウス1世のラスボスとしての実力を見せぬままに謀殺して、人類復讐に燃えるドクター・ヒネラーの下克上/栄枯盛衰劇も楽しく、かなり見所の多い戦隊になっていたと思います。

『激走戦隊カーレンジャー』浦沢義雄唯一にして最強のギャグ戦隊

2011年03月14日 | 特撮


『激走戦隊カーレンジャー』(1996年放映)コンプリート。スーパー戦隊シリーズの第20作目の作品。地球の事を「チ~キュ」と不思議なイントネーションで呼ぶ宇宙暴走族ボーゾックに狙われた地球を、車の星座に選ばれた、自動車会社で働く5人の若者たちが、伝説の戦士カーレンジャーとして地球を守る物語。僕が長い戦隊シリーズの中で1、2を争って好きな作品です。

不条理シナリオの大家・浦沢義雄先生の唯一の戦隊シリーズでもあります。浦沢先生は、それまで不思議コメディシリーズのライターをずっと手がけていた人で、特に後半『魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』(1989年放映)→同『いぱねま!』(1989年放映)→『美少女仮面ポワトリン』(1990年放映)→『不思議少女ナイルなトトメス』(1991年放映)→『うたう大竜宮城』(1992年放映)→『有限実行三姉妹シュシュトリアン』(1993年放映)と実に6作のメインライターを務めたのですが、不思議コメディシリーズは『シュシュトリアン』を最後にその幕が引かれます。
これによってこの時期、子供向け特撮ものの番組がスーパー戦隊シリーズと、宇宙刑事シリーズに端を発するメタルヒーローシリーズの2本になってしまうんですけどね。…まあ、ここらへんの話は、また機会を改めてするとしまして…。

この不思議コメディシリーズを終えた浦沢義雄先生を戦隊シリーズに引っ張ってきて書かせたのが、この『カーレンジャー』という事になります。不思議コメディ…それも後半の“魔法少女系”のノリを戦隊シリーズに持ち込んで来たのが本作品と言えますね。
これだけだとまだピンとこない人がいると思いますが、これはハッキリ言ってすごい“取り合わせ”でした。…なんでしょうね?wホラ、今もいるかもしれませんが、昔、“マヨラー”と言って何でも食べ物にマヨネーズをかけて食べる人たちがいたじゃないですか?ああいう取り合わせ…?あるいは「プリンに醤油をかけるとウニの味」とか、「きゅうりに蜂蜜をかけるとメロン」とか……と言うと、かなり酷い事を言っているように思う人もいるかもしれませんけど、ともかく何か凄い取り合わせだったんですよ。分かる人には分かるはず?(汗)けっこう人を選ぶ“風味”じゃないかと思います。

ちょっと一例として『カーレンジャー』で使われた設定をリストしてみると…。
  1. 宇宙暴走族ボーゾックの目的は地球征服ではなく地球を巨大花火にして打ち上げること。
  2. ボーゾックたちは地球の和菓子屋“芋長”の芋羊羹を食べると巨大化する。何故、巨大化するかは不明だが、彼らはその切り札を芋長の店主からお金を払って買っている。(それまでは特に巨大化する戦法を持っていなかった)
  3. どうも土星のあたりで宇宙おでん屋の屋台が出ていて、ボーゾックの組員は気が荒れるとそこに飲みに行ったりする。
  4. 後半で登場する暴走皇帝エグゾスの目的は、銀河に「暴走し放題、交通事故し放題」の宇宙ハイウェイを敷くことでその進路となる地球を排除しようとしている。
  5. さらにエグゾスは宇宙の悪人向けに雑誌「てれびランド」のような「宇宙ランド」を発行している。その付録についている組み立てロボット・ノリシロン・シリーズは極めて強力。

…という具合に。いくつか列挙するだけでも、その狂い方が分かるんじゃないかと思いますw
他にも特徴的なシナリオとして、戦隊シリーズ定番となった6番目の戦士・シグナルマンという奴がいるんですが、彼はポリス星からボーゾックを追って地球に赴任してきた宇宙警官なんですね。しかし、故郷のポリス星には“シグタロウ”という一人息子と妻がいて、単身赴任のため、シグタロウの運動会に参加できない事を悩んだりするという、聞いただけでツッコミ所満載のエピソードがあります。



いや、こういう設定を見ると「やあ、浦沢義雄だなあ!」と思う分けなんですよねwなんというか、多くは悪役なんですが…シグナルマンのような怪人物(?)の表の活動と舞台裏の苦労や、家族構成の語りは、浦沢脚本の定番ともいうべき手法で、不思議コメディシリーズでは、いくつもそんな感じのエピソードがありますw
単純にギャグだけではなく、カーレンジャーたちの名乗りポーズや、あるいは巨大ロボ・RVロボの必殺技~適当にグルグル回転して相手を斬る~“RVソード激走斬り”なんかも相当カッコ良くてよかったです。「交換日記から、はじめよう」という敵女性幹部ゾンネットと、レッドレーサーの中学生的ラブコメも良かったw

そんなあらゆる意外性に満ちた戦隊で、非常に楽しかったのですが、その後、2011年現在まで、浦沢先生は戦隊シリーズのメインライターに再び起用されてはいない所を観ると……この戦隊はかなりインパクトが強過ぎたのかな~?と思わないでもないです(汗)…時期的に戦隊シリーズの低迷期って事もあるでしょうけどね。
従来の戦隊の中にもコメディ・パートは豊富にあって、ギャグが受け入れられないような懐の狭い土壌ではないはずなのですが~それこそ『ゴレンジャー』のノリなんてかなり『カーレンジャー』に近い気がします。~浦沢先生のギャグのパワーというのはそれを押しのけて、ハメを外す…あるいはタガが外れる程だったと言う事かもしれません。
何にしても戦隊シリーズの中では空前にして絶後の異色作ではないでしょうか。ギャグ主体に語りましたが、それが多くを占めるとは言え、真面目でカッコいいパートも充分にあって、ラブコメもあって、かなり完成度が高い一本だとも言えると思います。


スーパー戦隊 全主題歌集
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『円盤戦争バンキッド』なんで“黄色”が二人おんねん!?

2011年03月02日 | 特撮


『円盤戦争バンキッド』(1976年放映)コンプリート。20年後の地球移住計画の先発隊として飛来したグザレ指令とブキミ星人の軍団が、20年後の敵対勢力として子供たちを付け狙う。その陰謀に気づいた宇宙科学者・宇崎博士と、少年遊撃隊バンキッドたちの活躍を描いた『物語』毎週、いろんなタイプの目撃例のある円盤の型を見せてくれたのが魅力でしたね。

“UFOブーム”の頃の作品ですね。…と言っても日本の70年代という時代は相当域に渡って“UFOブーム”だったような気もします。UFOネタ自体は『世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(1956年放映)や『宇宙戦争』(1953年放映)などかなり古典の時代から扱われて来た話ではあるんですが…。

日本だと、マジンガーシリーズにいきなり円盤ネタを取り入れた『UFOロボグレンダイザー』(1975年放映)、『UFO戦士ダイアポロン』(1976年放映)。ここらへんが『バンキッド』と同時期。…おっと『UFO大戦争 戦え!レッドタイガー』(1978年放送)なんてのがありましたね。
洋画ドラマ『謎の円盤UFO』(1970年放映)がこの頃、どのくらいの影響を与えたのか…。ちょっと僕はこの頃観てなくって分からないですね。『未知との遭遇』は1977年放映。『バンキッド』よりやや遅い。岡本喜八監督の唯一のSF映画『ブルークリスマス』は1978年放映。それから、ピンク・レディーの大ヒット曲『UFO』は1977年。
…矢追純一のUFOスペシャルとかもこの頃なんでしょうか?僕の記憶では、矢追さんは80年代に入ってからという感じなんですが、この頃から活動していたっぽくはありますね。これに合わせて子供が喜びそうな“UFO百科”みたいな書籍は相当出ていたと思います。

ここらへんの、一連のUFOブームの時代の形もぼちぼち追って行きたくはあるんですが……ここでは話を『バンキッド』一本に絞りましょう。
バンキッドのリーダー・ペガサスは、若き日の奥田瑛二さんが演じていて、これがデビュー作という事でけっこう有名でもあります。昔のお宝映像みたいなコーナーで、エピソードの最後に、ちょっと今回の教訓みたいな事を言って終わる『バンキッド』の映像は何度か流された事があると思います。
あと、バンキッドとして活躍する子供たちの正体を怪しむ、宇崎夫妻は、柳生博さんと塩沢ときさん。敵の司令官グザレは平田昭彦と、そのキャスティングが取りざたされてる事が多い作品なんですが、僕個人は『バンキッド』については、もっと重要な指摘を忘れてはいけないと思っています。それは、バンキッド隊の諸君……いや、じぶんら………



何で“黄色”が二人おんねん!?

うん、まあね。この黄色二人。大きほうがドラゴン、小さいほうがラビットと言って兄弟なんですけどね。兄弟だから同じ色と……うん、まあねwまあねwうん。あと、この頃『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年放映)が出たばかりの頃で、あんまりモロにかぶっちゃうのはどうなの?って時期でもありました。その後はほとんど気にされなくなったというか、むしろグループは五色で分けるのが定番になりましたが…。
しかし、子供の時分にそんな大人の配慮なんて分かりゃしないんで、もう彼らを見ながら、ただただ、首を捻るんですよね。「なんで、黄色が二人いるんだろう?色、分けようよ?」って。(´・ω・`) その疑問が多分、このコントを生んだんじゃないかと思ったり…。(↓)
youtube:【ゴレンジャイ 1 ごっつええ感じ ダウンタウン】



ドクロ仮面(浜田)「なんで、黄色が二人で、赤が三人おんねん!?」

黄レンジャイ(松本)「僕らその~…色とか、そういうんじゃないから。一人、一人の個性を見てもらいたいから…」


(『世紀末戦隊ゴレンジャイ』①より)

すごく好きなコントなんですけどね…。戦隊とは何か?グループヒーローとは何か?深く考えさせてくれます。(`・ω・´)

『伊上勝評伝』不世出の天才を語る

2011年02月19日 | 特撮
仮面ライダー・仮面の忍者赤影・隠密剣士・・・ 伊上勝評伝 昭和ヒーロー像を作った男
井上 敏樹,竹中 清
徳間書店

※本文及びタイトルで「不世出」という言葉を書いていますが、これを僕は「才能があるのにそれが評価されていない」意味で使っていたのですが、それは誤りで本当の意味は「めったに世に現れないほど、すぐれていること」(岩波国語辞典)という事らしいです(汗)
こういう場合「不遇」という言葉を使うらしいのでですが…なんかちょっとしっくり来ないのと、調べると、不世出の誤解の意味はそこそこ流布しているようなので、ちょっとこの本文ではこのままその意味で使います。以下、誤解なきようお願いします。


『伊上勝評伝』(著・井上敏樹、竹中清)を買ってきました。古い特撮ヒーローファンの中には伊上勝という脚本家はもっと評価されてもいいと考えている人も少なくはないでしょう。この本のあとがきの一行目には「伊上勝は不世出の脚本家である」と書かれています。僕も、そう思います。いや、「不世出の脚本家」どころか「不世出の天才」だったと思っています。この本の出版で伊上勝先生のこれまでの評価が陽に当たる……かどうかは分かりませんが、ともかく、一冊の本が「伊上勝を評価する」とアクションをとってくれた事を嬉しく思います。

伊上勝が何故、不世出なのか?それは一口に言えば“子供向け”ドラマの脚本家だったからです。今回、巻末にある伊上先生の脚本リストに目を通しましたが、やはり大人向けドラマの脚本を手がけられた事は相当少ない。近い時期に特撮~アニメの脚本でも活躍された高久進先生(『マジンガーZ』のメインライター等)などは『キイハンター』(1968年放映)、この本で取材を受けられている長坂秀佳先生(『キカイダー01』、『快傑ズバット』等)は『特捜最前線』(1977年放映)と、大人向けのドラマでも代表的な脚本を残されているのに対して、まずそれがほとんど無い。
今だとアニメと特撮だけの脚本家なんて沢山いるんですけど、当時は大人向けの作品で実績がないという事は、少なくもと評価される賞賛されるという場に立つのは相当に困難なものでした。まだ、手塚治虫先生だってその功績をほとんどの大人は関知していない時代でしたから。

また、この時代でも、大きくなっても子供向け特撮番組が好きで、子供ならほとんど意識しない脚本家にまで目を向けて評価を行うという、いわゆる“おたく”は居たのですが、そういうマニアたちには伊上勝先生の脚本はかなり無視されていたはずです。
これは話すと長くなるのですが、「大きくなっても子供向け番組から卒業できない事」にコンプレックスを持っていた当時のおたくたちの間では、作品の評価を「大人の鑑賞に耐えるか?」というゲージで測る事が有力でした。「本当は大人を唸らせる程の深いドラマとテーマを持っているのに、特撮がちゃち臭いのと子供向けってラベルが張ってあるだけで、それが分からなくなる愚かな大人が多いのさ」…と言ってアイデンティティを保ったと言えばいいのか(汗)
ともかく当時の“おたく”たちも脚本を評価すると言えば、風刺や内面描写が充実する深いテーマのものに偏り、あまりに子供だましなものは無視された。ピンキリのキリにされた。その意味で敢えてこう書きますが伊上勝の脚本は紛うことなく“子供だまし”の脚本でした。

だから、伊上勝先生は長らく目を向けられる事がなかった。SF的に練りこまれた『ウルトラQ』や、風刺とドラマ性を兼ねた『ウルトラセブン』などが持てはやされた。僕もおたくになりたての頃に目を向けていたのはそっちでした。
………というか僕としては「俺は、最初から伊上勝を評価していたよ?」とか言い出すおたくは、おたく的に信用できないくらいの勢いなんですが……どっすかね!?特撮ヒーローおたくの皆さん?!(`・ω・´)(まあ、例外はいるでしょうがw)
…まあ、反論はあるかもしれませんが。少なくとも『伊上勝評伝』に書かれているように、昔から円谷特撮関連のメイキングの本は様々に出ているんですが、東映ヒーローの黄金時代を築いたこの人に触れている本は、ほとんど無い。それがそのまま実情に則しているはずです。

※この一連の“史観”を語った文章ですが、MODSTOONさんから「(当時)ファンから「伊上勝」が不当評価され、貶められていたとは言えない」というご指摘を頂きました。この反論について、少し協議しました。僕自身は、おたくの間で、伊上勝先生が貶められていたとは思ってなくて、その功績の割に無視されていた~悪いダメな作家と言われたのではなく(消極的に)論ずるに能わずという扱いを受けた~という感覚で書いています。その上で、この“感覚”は他のコメントの方の話や、僕自身のおたく間の交流、またパブリックな出版物の文言、状況などを考えると、ある程度その当時の(伊上氏活躍頃のおたく界隈の)“空気”として語っていいレベルだとは考えています。『伊上勝評伝』にも謳われるように、こういう本がそもそも出ていなかったという事もあります。
しかしながら、僕のこの語りが、ある一面の語りに過ぎない事は承知していて、それを否定するつもりはありません。(これは他の記事についてもそうです)また、“そうじゃない人たち”がいた事も否定はしない…というか、できようはずがありません。
以上を踏まえて、今回のMODSTOONさんからのご指摘に基づき、注意を喚起しておきます。僕のこの語りは僕の体験基づく一面の語りである事は間違いありませんので、その点留意の上、記事に接して接していただければと思います。


しかし、ある時気がついたんですよ。というか具体的には丁度全話ビデオ化された『仮面ライダー』(1971年放映)全98話を全話一気に目を通している時に気がついたんですが。さらに言えば『仮面ライダー初期13話』という神話(まあ、ここでは知っている人だけ知っていればいいです)の検証の為に観ていたんですが(`・ω・´)…気づいたんです。
この脚本はすごい!!って。
その凄さの一端は、伊上先生の実子で現役の脚本家の井上敏樹先生が、的確に触れられています。
父の作劇法の第一の特徴はその省略法にある。いや、第一だの第二だの箇条書きにする必要はあるまい。要するにまだるっこしいシーンは書かず、面白いものだけをこれでもかと畳みかけるのである。だから説明のためのシーンが極端に少ない。たとえば刑事が犯人の隠れ家を探す場合、刑事はいきなりその隠れ家に現れる。なぜそこを突き止めたの経緯は一切説明されない。そういった手順を描く事は父にとってつまらない事であり、そのつまらない事を面白くひねろうなどとは考えなかった。そんな暇があるならば、刑事と犯人の直接対決を書いているのだ。

(『伊上勝評伝』P.18より)

正にこういう感じだと思います。伊上先生のこのドラマ上要らないと判断するモノはもの凄く大胆でした。それが独特のテンポというかスピード感を与えていました。今みたいにTVアニメが隆盛するその前の一時期、夕方くらいの時間にTVを点けると、どれかのチャンネルは必ず特撮ヒーローがやっている、それも大半が東映ヒーローという黄金期があったのですが、それはこの伊上先生の脚本のスピード感がある程度、シェアされていた面が大きかったと考えています。
しかし、この『伊上勝評伝』、様々な関係者のインタビューをとっていて、伊上先生の知られざる実像に迫っている所はファンとしては満足なんですが、伊上先生の脚本のどこがすごいのか?という言及はかなり少ないんですよね(汗)(文中にちらほら匂いが散見される程度で)…なので、ちょっと僕が伊上脚本で観ている所を記事に書き起こしておこうと思います。

■伊上勝の作劇法

僕が伊上脚本の“良さ”を説明する時に、大抵引用する“定番の話”があります。『仮面ライダーストロンガー』(1975年放映)の第7話「ライダー大逆転!!」の回なんですが。
まあ、先に『仮面ライダーストロンガー』の説明をすると、復讐のために自ら悪の組織・ブラックサタンに身を投じて改造手術を受け、脳改造前に逃れた城茂(じょう・しげる)は正義のヒーロー・ストロンガーとしてブラック・サタンに立ち向かう物語なんですが……すごいよね!脳改造前に脱出とか!w伊上脚本による仮面ライダーの集大成的な作品で、ドラマ性、エンターテイメント性申し分の無い完成度の、大傑作ですよ!(`・ω・´)

さて、その第7話「ライダー大逆転!!」ですが、奇っ怪人ワニーダ(当然、ワニの怪人だ!)の罠に嵌ったストロンガーは対ストロンガー用に発明された催眠ガスを食らって眠らされてしまう。そして催眠効果で悪の手先にされてしまい、ストロンガーのパートナーだった電波人間タックルに、ワニーダの命令で襲いかかります。しかし、タックルがやられる直前で、ストロンガーはニヤリと笑う。ストロンガーは今まで操られていたフリをしただけだったのです。そして脱出を果たしますが、その時のストロンガーとワニーダの対話がなかなか衝撃的です。


ワニーダ「な、なぜだ、なぜ我々のガスが効かなかった!?」



ストロンガー「そんな事、俺が知るか!!」



ワニーダ「くそ~!こうなりゃ今までの奴隷人間を全部殺してやる!」

(『仮面ライダーストロンガー』第7話より)

「そんな事、俺が知るか!」って…orz ぼ、僕は知りたいよ!?知りたいよ!ストロンガー!!(`;ω;´)……いやね。考察してみると、ブラックサタンが発明したという「ストロンガー用の催眠ガス」というのは単純に失敗だったんでしょうねw…でも、ストロンガー的には「なんか、効いてないっすけど?……ちょうどいいから敵の秘密基地に案内してもらおうかな?(ばたんきゅ~?)」となったと。……で、それが効かない理由をワニーダさんが聞いてくるんだけど「そんな事、俺が知るか!」…と。うんうん。まあ、そういう事なんでしょうw
…でもね。大抵の脚本家は「どうやって、ストロンガーが機転を利かせて、ワニーダの罠を逃れた」のか考えるてくれると思うんですよ?その方が「さっすが!僕らのヒーロー!」だもの(´・ω・`)それを「ただ効かなかった」て……そりゃそうかもしれないけどw

でも、それを「そんな事、俺が知る!か」の一言で一刀両断してしまう。伊上脚本の真骨頂は正にこういった所に宿っていたと思います。…ちょっと誤解のないように言うと、僕はこのシーンを腹をかかえて笑ったりするし、誰かに『ストロンガー』を紹介する時に、パッと笑って興味を引いて欲しくって、面白おかしく説明したりもしますが、同時に大いに感動と感銘を受けてもいます。特撮おたくを自認する人には単純にギャグで流して欲しくない…とも思っています。

要するに井上敏樹先生が指摘したように「まだるっこしいシーンは書かない」って事なんですよ。それを入れる暇があったら面白い事をどんどん積み上げて行く。この場でいう『面白い』事って何か?それは「ストロンガーが罠にはまって、僕らの敵になってはらはらする事」です。そして「ストロンガーがその罠を脱してワニーダを追い詰める事」です。その間にある「ストロンガーは、どうやって罠を回避したのか?」はどうでもいい事……面白いかもしれないけどまだるっこしい事なんですよ。(`・ω・´)
直感的でない。という言い方の方が伝わるかもしれませんね。ストロンガーが罠にはまってピンチになる事は「はらはら」するし、ストロンガーが罠を脱してワニーダを追い詰めるのは「スカッ」とする。でも、どうやって罠を回避したのか?は「理屈」なんでしょうね。理屈を説き、相手を腑に落としてようやく面白くなる。そんなワンクッションに、うだうだ時間を割くくらいなら、他の“直感”を載せる。それが伊上脚本のメソッドと言えます。(伊上先生自身、考える気もなかったでしょうけど)

これは当時のお茶の間のTVの接し方にかなりマッチしたスタイルだったと思います。同時に、時代を経るとマッチしなくなってくる運命だったとも思えます。でも、僕はここに『物語』の本質的な面白さの枠組みが宿っているとも考えています。伊上脚本には物凄く勉強させてもらったという気持ちなんですよね。

もう少しこの枠組の話を続けましょう。たとえば『仮面ライダー』で敵幹部が人質を取ったりしますよね。いや、どのヒーローものにもある定番でしょうけど、仮面ライダーはこういうピンチの脱し方なども、多くはこの伊上メソッドに沿っています。

地獄大使(ショッカーの幹部)が「ライダー!!これを見ろ~!貴様が一歩でも動けば、人質の生命はないぞ~!」と本郷猛こと仮面ライダーを脅したりします。どうなる?……しかし、ライダーは「おのれ地獄大使~」とか言いながら、動くんですよね。襲ってくる戦闘員を「とう!とう!」とか言って蹴散らします。
その間なぜか、地獄大使はライダーを注意しないんですよね。「…いや、動くなって言わなかったけ?」とか言ってもいいと思うんですけど。…で、何かへんだな?と思う絶妙のタイミングで滝(ライダーの協力者、強い)が現れて、ライダー「滝!」→滝「ライダー!ここは俺にまかせて人質を!」→となる。
「ライダー!ジャーンプ!!」掛け声と共にライダーはジャンプ一閃!崖の上で十字架に張り付けられている、おやっさんやガールズたち(定番w定番w)を見事救出!!さあ、地獄大使とその手下の怪人との決戦!となるわけですが……地獄大使、その間わりとぼ~っとしてます。人質作戦なのに……何してたんだろ?この人?(´・ω・`)そのクセ、人質を奪われてしまうと、おもむろに「おのれ、仮面ライダー!!」と地団駄を踏みます。…愛すべき間抜けさです(´・ω・`)

これも『仮面ライダー』の興味を引いてもらうために僕がひっぱり出す話ですが、ギャグ的に笑ってもらえるといいなと思いつつも、僕自身はすごく感動、感銘している構成でもあるんです。“まだるっこしいもの”を抜いたらこうまで美しくなるのか!とさえ言いたい。
先ほど話した直感の面白さでこのシナリオを分解します。

①地獄大使に人質を取られた。ライダー・ピンチ! → はらはら!
②そこへ滝が現れた!「ライダー!ここは任せろ!」 → やった!嬉しい!
③ライダー!ジャーンプ! → カッコイイ!!(゜∀゜)
④人質を救出! → やった!嬉しい!
⑤地団駄を踏む地獄大使 → あっはっは!ざまみろ!


この各要素を“まだるっこしいもの”無し、でつなげると(↑)上述のああいう感じになるんですよね。「大事な人質なのに、よそ見したり、注意を怠るわけないじゃん!…じゃあ、どうやって救ける?」とか理屈を言い出すと、どんどん“まだるっこしく”なります。
『伊上勝評伝』に伊上先生はシノプスの段階で面白い~むしろシノプスの段階でシナリオが完成している~という話があって、想像ですが大体こんな要素じゃないかと思います。そして、今まで伊上脚本を誉めてきたんですが、これをそのまま画に収めれば、それで楽しくなる!と判断して撮影して来た『仮面ライダー』シリーズ(第一期)の監督たちも本当に、凄い!凄い!凄い!と思います。この共闘…ある意味、共犯関係が『仮面ライダー』という伝説を生む原動力だったのでしょう。僕は「30分の芸術」と呼ぶのですが伊上脚本の眷族には間違いなくその美しさが宿っていました。

しかし、それらは“子供だまし”のレッテルを張られて来たと思います。いや、レッテルなんで貼った連中の視点の事で、元々、子供向けを作って来たのだからそれは勲章と言っていいのですけどね。
考えさせられる深いテーマがあるわけでもない。ただ、きゃーきゃーと楽しい事だけをかき集めて。展開と展開を結ぶ理屈もおざなり。それは大人や、コンプレックスから「大人の鑑賞に耐える子供向け作品」を標榜するおたく~今、こう書くと滑稽に聞こえるかもしれませんが、これはこれでおたくとして真剣でした~からは、そっぽを向かれ、(あるいは無視し難い伝説を持った『仮面ライダー』には理屈の“初期13話”という神話が付加された…とそう思うんですよね)気がつくと特撮ヒーローの黄金時代は終わりを告げ、再評価の機会さえも薄くなってしまった。

でも、僕は“子供だましの脚本”だからこそ『面白さ』というものの核がよく観えると思っている。「30分の芸術」としてそれは結晶のような輝きを放っていると思っている。
物凄く勉強させてもらいました!伊上脚本を楽しみ、分析した事は、僕が物語を愉楽する事の大きな財産になっています!本当に「ありがとう」と言いたいです。
そして受け手が『物語』に複雑さを求めるようになって行くとともに時代に合わなくなり静かに消えていった伊上脚本のシンプルさは、今こそ~それは古典としての位置づけではあるかもしれないけど~参考にされるべきモノになっているのじゃないか?とも思っています。

※伊上勝先生の不世出性を強調しようと思ったら、ちょっと恨み節っぽい文章になってしまいましたね(汗)悪しからずお願いします。

『ロボット大襲来』~うん、まあどっちかって言うと『宇宙戦争』

2010年12月27日 | 特撮
【ロボットの反乱】



最近、ちょっと、ロボットの物語と巨大コンピュータの物語をチェックし直したりしていて、その一環で『ロボット大襲来』(1954年放映)を観たりしていました。以前、記事で扱った『金星人地球を征服』(1956年放映)のプロデューサー、ハーマン・コーエンの製作です。
金星からの侵略の先兵として大小のロボット軍団が地球に送り込まれる話です。…まあ、実を言うとプロットはウェールズの『宇宙戦争』に近いです。その使われ方はかなりトライポッドを想起させます。そしてオチの解決法は…その後の『マーズ・アタック』(1996年放映)のオチというか、そんな感じでしたね。まあ、あんまり『マーズアタック』がここから引っ張ってきたという感じもしないんですけどねw



実は、ちょっと思い立ってウェールズの…というかジョージ・パルの映画『宇宙戦争』を調べてみたいんですが、これ1953年放映なんですね。なんとこの映画の1年前。いやぁ、この頃、カラーと白黒が入り交じってますねえ…。しかし、『ロボット大襲来』のロボットと比べてみると、改めて『宇宙戦争』の攻撃円盤と、火星人のデザインの衝撃が分かるかと思います。『地球が静止する日』が1951年(まあ、ゴートはシンプルにカッコ良いですけどね)、『空飛ぶ円盤地球を襲撃す』が1956年。…と考えると、頭一つ突き抜けている感があります。(`・ω・´)

…すみません。気がついたら『宇宙戦争』の話になっていましたね(汗)しかし、このロボットは人間にとって変わる脅威というより、やはり殺人兵器~モンスターとしての恐さの方が強いように感じました。
ある日、女性が目を覚ますと街に人が誰もいなくなっていた。そこから街を彷徨って殺人ロボットと出会う…。怪しい影を見る所から、ロボットの本体を見つけるまでかなり勿体つける所なんかも多分にモンスター的な演出でした。…うん、まあ、そんだけ。(´・ω・`)


ロボット大襲来 [DVD]
リチャード・デニング,キャサリン・クロウリー,バージニア・グレー,リチャード・リーブス,ロバート・ロアーク
ランコーポレーション


『トボー・ザ・グレート』~いや、このロボットは反乱しない(´・ω・`)

2010年12月21日 | 特撮
【ロボットの反乱】

トボー・ザ・グレート [DVD]
チャールズ・ドレイク,カリン・ブース,ビリー・チャピン,ピーター・ブロッコ,テイラー・ホームズ
ランコーポレーション

最近、ちょっと、ロボットの物語と巨大コンピュータの物語をチェックし直したりしていて、その一環で『トボー・ザ・グレート』(1954年放映)を観たりしていました。DVDのジャケットになっている宣材ポスターを見ると、ロボット・トボー(?)と思しき異形の人型が美女を抱えて、まあ、なんかけっこう“悪さ”をしそうに見えるのですが、いや、このロボット特に故障して狂ったり、その自我から反乱を起こしたりはしません。しかし、自律的に動けるので自我はあります。

『トボー・ザ・グレート』は東西冷戦下の宇宙開発時代に~この当時の人類はまだ月へ到達していない~過酷な環境下での宇宙開発は自律型のロボットに任せよう(これによって宇宙開発による人間の犠牲者が減る)という思想で設計されたロボット・トボー(ROBOTの逆読みでTOBOR)が、彼自身の秘密の奪取を目論むスパイ一味との対決を描いています。
最後は事件を解決し、博士の孫と友情を結んだトボーは宇宙探査ロケットを操縦して極限の世界へと飛び出って行くのですが…まあ、洋画にしては珍しく(?)悪役にならないロボットの映画でしたね。…珍しいですよね?どうなんでしょう?
解説には『宇宙家族ロビンソン』のロボット・フライデーはトボーが原典と書かれていましたが、あまり洋画でお友達型ロボットというのは思いつかない?…『地球の静止する日』(1951年)の超ロボット・ゴートをどう考えるか?くらいでしょうか。



…まあ、それはそれとして、このトボーなかなかカッコいい奴でした。特に少年を助けるためにジープに乗り込んで激走するシーンは、超イカス!!(`・ω・´)

どこかマヌケで、短気で(処理不能に陥ったら、いきなり周りの器物を破壊し出したのよw)、すっとぼけているけど、いざという時は頼もしいロボット・トボー。解説には“現代ロボットが主人公である世界初の映画といわれている”とあります。
トボーよりも華があるというか、スタイリッシュで未来的なロボットは既に『メトロポリス』(1926年放映)のマリア(永遠のデザイン!)、先程の『地球の静止する日』のゴートなどいるんですが、洋画がこの異形の機械をここまで友人的主役的に描いているの作品は、めずらしい…とは言えると思います。

もう一つ。この『トボー・ザ・グレート』、本邦ではTV放送で公開され、その際『鉄人トビー』、『偉大なるトビー』なんてタイトルで放送されていたようなんですね。…鉄人?…トビー?……あ、『鉄腕アトム』の天馬博士の息子のトビオって、ここから来ている?Σ(`・ω・´)
などと考えて、ちょっと調べてみたんですが……すみません、ハズレでした。(←!)鉄腕アトムの第一話目に当たる『アトム大使』の発表は1951年。…かなり前ですね。しかし、アメリカで『トビー』だ、ロボット主人公の最初の映画だと言っている時に(↓)これですから、すごいなあ…ちょっと何か隔絶の感がありますw(ってか手塚先生『アトム大使』描き直しちゃってますね。…ンニャロ!!w)アシモフの『鋼鉄都市』で1954年発表。



ちょっとアトム、そしてその前身である『メトロポリス』(1949年発表)のミッチィは、ロボットというよりアンドロイド~レプリカントな存在で、あまりロボットの系譜に入れない方がいいかもという気すらします。…しかし、『メトロポリス』や『アトム大使』は紛う方無き【ロボットの反乱】なんですけどね。

トボー→トビオ?という仮説は崩れたワケですけど、連想としてはこれは悪くなかったかも。いや、ROBOT(ロボット)の逆読みでTOBOR(トボー)という名前がついたワケですが、もしかしたら“トビオ”もこれかもしれませんね。則ち、ROBOT逆読み→TO(ト)・B(ビ)・OR(オ)………という事なの……かも?手塚先生は既に他界されているワケですけど、真相はどうなんでしょうね?他の情報って何かありましたっけかな?

『バトルスター・ギャラクティカ』このサイロンは電気羊の夢とか余裕(`・ω・´)

2010年12月17日 | 特撮
【ロボットの反乱】



『バトルスター・ギャラクティカ』(2004年放映)1stシーズン、コンプリート。引続き2ndシーズンも録画中。1977年に放映された『スターウォーズ』(今はエピソード4と呼ばれるもの)は、当時、様々な『物語』業界に強烈なインパクトを与え、特にその後のスペースオペラに拭い難い影響を現在も残しているわけですが……まあ、それはそれとして、当時の観客から来た素朴な「『スターウォーズ』“みたい”なのをもっと観せて!」という要望に応えた、もっとも有力な作品の一つが『宇宙空母ギャラクティカ』という事になるでしょうね。この作品はそのリ・イマジイング・シリーズという事になります。
あと1966年放映の『スター・トレック』が映画版として復活を果たしたのも『スターウォーズ』の大ヒットのお陰という感じでしょうか。僕の中では『ギャラクティカ』と映画版の『スター・トレック』は“『スターウォーズ』もの”みたいなカテゴリーで記憶に収めていたりまします。(邦画含めた『スターウォーズ』の影響はまた機会を見て語りたいです)

…実は、この1stシリーズの前にプロローグ的な話があって、それを観ないと明確なストーリー把握はできないようなのですが(汗)ちょっと僕、そっちは存在を意識していなくって録り損なっています(汗)
…でも、ま、冒頭で必ず粗筋説明をしてくれるんですけどね。…機械生命体サイロンが、人類に反乱を起こし、植民星に棲む十二氏族たちは惑星を放棄してサイロンから逃走する事になった。目指すは地球…といった話かな?多分(汗)

機械生命体サイロンの一般兵士たちの(映画を観る限り、一般兵~司令官で、将校みたいな兵士はいないようですね)あの“一つ目”が『機動戦士ガンダム』(1979年放映)のMSザクのモノアイになったと言われています。
『ギャラクティカ』と言えば、このサイロン兵というくらいイメージの強いキャラクターなのですが、今回『BSG』では、敵としての活躍はこの金属の塊から、人間そっくりに造られたサイロンたちの暗躍にシフトしています。

いや、このドラマって、彼ら“人間型サイロン”たちの徹底的な人間としての振る舞いが最大の見所と言っていい気がしています。彼らは、痛みも笑いも、喜怒哀楽全部持って人間として、ギャラクティカ・クルーと接しているんですが、ある局面が訪れてスイッチが切り替わると、無意識的な行動で、船体を爆破したり、誰かを暗殺したりするんですよね。…これはちょっと怖い。

確かな思考と感情を持っている連中なんですよ。多分、電気羊の夢とか全然、よゆーです。(`・ω・´)
言葉巧みに誘惑したり、動揺を誘ったりするサイロンもいて、ともかく人間の心を物凄くよく分かっていて、にも拘らず人間に対する攻撃心は不変である所がかなりおっかない。

サイロンたちは人間をどうしたいのか?僕が観た範囲では実はよく分からないです。惑星から人間を追い出したんだから、それで反乱という目的を達成したようにも思えるのに、それでも人間の追撃を止めようとはしない。……なんか自分らが人間以上の存在である事を証明したいんですかね?ま、どうなんでしょう?

オリジナル・シリーズは『スターウォーズ』の影響と言うか、どこか登場人物たちに神話的(?)な服装が混じっていたのですが、今回はそういうのは排除していて、スペースオペラというよりはハードSFな感じになっています。宇宙戦闘機ヴァイパーとか、すごくカッコいいです。サイロンの戦闘機もいいですね。
ここらへんの“カッコいい”ものが、執拗に狩り立て続けられる人類というハードなストーリーを支えている感じです。

ヒーローの条件~誰かが君を愛してる

2010年12月13日 | 特撮
(↓)この記事でのチャッキーさんのコメントにいろいろ思うところがあったので記事に上げておきます。
先に言っておくと僕なりの「ヒーローってなに?」という話をしているのですが、特に「君よ、ヒーローになれ!」って話でも、ヒーローでない奴はダメって話でもなくって、単に物語上のヒーローってどういう奴?って話なんで、そこらへん悪しからずお願いします。(←何か気にしたらしい)
【『とある魔術の禁書目録』 結果のヒーローの物語】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/bb16a6de87c5da6f6d8032a3c73b963f

Unknown (チャッキー)

2010-12-12 19:04:50

ヒーローにも色々ありますよね。
人々を悲しみから救いたくて救う自然体な善意のヒーロー。
特定の誰かを救おうとし時として世界の敵にもなりえる誰かのヒーロー。
誰かを救える力を持ってしまったから人々を救う使命感で動くヒーロー。
救う意思は無くとも自分のやるべき事をした結果として人々を救う事になるヒーロー。
過去に犯した過ちから自分を救いたくて誰かを救うヒーロー。
まぁ大抵はこんな単純に分類出来ず幾つもの要素を含んだヒーローですが(汗)。

あとウルトラマンってヒーローとして有名ですが、子供たちに憧れられるべき優しいヒーローじゃない場合が意外と多くありますよね。
勿論優しさもちゃんとありますが、地球人を巻き込んだ責任としてヒーローやってたりと。

(コメント欄より)

いろいろありますよねえ…。それこそヒーローの物語の数だけヒーロー像があると言っていいのでしょう。ちなみに僕はウルトラマンはヒーローの中でもかなり酷いヤツだと思っているのですがw(セブンは別、彼はヒューマンだ)まあ、そこらへんの話はまた別の機会に譲るとして…。

(↑)上の記事でもちょっと触れているように、今、僕は『結果のヒーロー』という視点でヒーローの物語を観直してみようかとしていますが、よくよく考えてみると、ヒーローって皆、『結果のヒーロー』ではあるんですよね。
…いや、ごめんなさい。混乱させるかもしれませんが、僕の『結果のヒーロー』という話はヒーローのつもりはなくても(よりネガティブにヒーローである事を否定してても)結果としてヒーローである者の話なんで、そこを取れば、皆、って事にはならないんですが(汗)…でも、みんな結果を出しているという点においては結果のヒーローなんですよね。それは“ヒーローの条件”というか、結果を出してこそのヒーロー…と言えるかもしれません。

じゃあ、その結果とは何か?どうすれば結果を出した事になるのか?って言うと、それは考えてみると結局、誰かに感謝される事かなあ…と。誰かに「ありがとう」と言ってもらえたら(想ってもらえたら)、それは小さい者でもヒーローで、たとえば負けても、悪の組織を倒せなかったりとかしても、ヒーローとしての結果は出したのかなと。
こういう条件付だと、すごい数の人が大なり小なりヒーローという事になってしまいますが(汗)まあ、それはそれでいいのでしょうw逆に自分だけが納得して、自分が自分にありがとうと思っても、それだけでは別にヒーローではない…と僕はそう思います。

…ここでちょっと『どろろ』(作・手塚治)の百鬼丸なんてキャラクターを思い出したりして。彼は時々…というかけっこうな頻度で、妖怪を退治して村を救っても感謝されず「化け物!」などと罵られてその場を去ってゆくのですが…。
彼は言ってしまえば自らの身体を取り戻すために妖怪を倒して廻る、利己の、復讐者であるので、別にヒーローとして善性の振る舞いをしているワケではない。
それでも寂しく立ち去る百鬼丸に胸を締め付けられるのは、そこにあるべき「ありがとう」という言葉が無いからなんだと思います。(…百鬼丸の話もしたいなあ…ま、別の機会に)

そんな(寂しい)ヒーローたちに贈るものとして凄く好きな歌があります。(↓)

仮面ライダー BLACK RX ED フルヴァージョン

『誰かが君を愛してる』歌:宮内タカユキ/作詞:康珍化/作曲:林哲司

たったひとりの戦いに 疲れはてて沈む時
瞳を閉じて顔上げて 耳をすませてみればいい

ロンリーロンリーハート 風がささやいてゆくだろう
ロンリーロンリーハート 一人ぼっちじゃないのさ

誰かが君を愛してる
誰かが君を信じてる
誰かが君を求めてる
どこかで どこかで

胸は傷つき膝は折れ はるかな夢を悔やむ時
振り向かないで顔上げて 明日の道を見ればいい

ロンリーロンリーハート 地球は愛が棲まう星
ロンリーロンリーハート 一人ぼっちじゃないのさ

誰かが君を愛してる
誰かが君を探してる
誰かが君を見つめてる
いつでも いつもでも

誰かが君を愛してる
誰かが君を信じてる
誰かが君を求めてる
どこかで どこかで

『仮面ライダーBLACK RX』(1988年放映)のEDですね。仮面ライダー“たち”が本当にロンリーヒーローか?というと僕はまた別の議論もできるんですが…。しかし「たった一人で戦うヒーロー像」というモチーフは昭和期の仮面ライダーシリーズを通してベースにあったテーマで、この歌はそのテーマを力強く歌い上げていると思う。僕は『仮面ライダー』のテーマではこの歌と『かえってくる仮面ライダー』が好きなんですよ。
歌詞にあるように胸は傷つき膝は折れ、たった一人で戦い抜いたライダーは、戦いが終わってしまえば、戦うために作られた改造人間はもう僕らには不用なのか?必要のない者なのか?…そんなワケないだろう!!って歌ですね。
…いや、大好きな歌です。歌詞にひたるとウルッと来てしまうんですが(汗)それは僕が仮面ライダーというヒーローにすごく“感謝”しているからなんでしょう。

世界を救ったとか、正義を守ったとか、自由と平和をもたらしたとか、そういう事じゃなくて「ありがとう」がそこにある事。それがヒーローの条件なんじゃないかな。


宮内タカユキ スーパー・ベスト~仮面ライダーBLACK RX/特警ウインスペクター~
里乃塚玲央,荒川稔久,金子みなと,加藤清美,吉田健美,山本正之,寒太郎,山川啓介,康珍化
コロムビアミュージックエンタテインメント