小此木啓吾 『視界ゼロに生きる』

2016-05-15 19:01:13 | 心理学

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この本は非常に現代人の警句になる本であると思います。


小此木氏によれば、現代社会においては、生活環境の変化に伴うもろもろの新しい適応パターンをどれだけ即席に身に着けるかが生活上の最も基本的な必要性になった。

生活環境は、刻々急激な変化を遂げ、生活システムも次々に変わっていく。

未知の現実が次々に生み出されるのです。

これで、一定の予測観念の基づく適用様式の準備が間に合わなくなっていくのです。

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この本が書かれた82年にはすでにその兆候を小此木氏は読み取っていたのでしょう。

当時の50代の人は、「職場での成功、自分の仕事に対する評価が良いときに生きがいを感じて」いたようです。

そして当時の20代の人は、「会社の自分も大事だが、マイホームも自分も大事。趣味やレジャーも楽しむ自分も大事。どれかを犠牲にしてどれかだけというような考えはしない」ということですね。

こういうジェネレーションギャップは存在し、今もそれは存在していますね。

私も、どれかを犠牲にしてどれかだけというような考えはしませんね。

戦後直後の世代の良き妻の内容は、「ある特定の男のひとと結婚して、その間に子ができて妻であり、母である自分を選び、ほかの可能性を切り捨てる良妻賢母のひと」が理想だったようです。

しかし、子が成長し独立をすると、その役割が終わったと感じ、中年期になると自我が空っぽになってしまうようです。

こうならないように、小此木氏は、1つの価値観にとらわれずに、あれもこれもという選択肢を多くしろという生き方をすすめているのです。

本当の自分の気持ちや願望を生き生きと体験し、発揮するような生き方が望ましいのではないか、ということですね。 私もそれには賛同します。

この本の80ページに書いてある「自分の心の中に自分がこうありたいと思う、ごく内面的な、自分だけに通用する一定の目標や自己像を作り上げる」ことが大事なのです。

しかし、そういう自己像がいいからと言って、いきなりそういう生き方にチェンジするのは難しいものかもしれません。 83ページにおいて、そういう生き方を身に着ける途上で、 「かえって裸の自己愛が拡大してそれしかよりどころがないまま暮らしているために、その自己愛が傷ついたり破綻したりして不適応に陥る人が目立つようになった」ということです。

私はそういうことを体験していないがために予想もできないことですが、これまで一筋でそれだけをしてきた人間が、あれもこれもという生き方をしてくのは難しいのかもしれないですね。

これまで米食だった人がパン食に変えるようなことなのでしょうか?

しかし、その「1つの価値観だけで生きていく」人生設計はもう通用しなくなってます。

これまでの日本は、会社に人生をささげて働き続ければ、退職金がもらえて、年金ももらえ死ぬまで安泰に暮らせる社会でしたが、そういうことではなくなっているのです。

アジア、アフリカの多くに国が産業で勃興しているがために、物作り大国の日本の一人勝ちができない状態になったのです。

しかも、日本人のほとんどは、ほしいものはすべてといっていいくらい買いそろえてしまい、需要が低下しているのです。

そのような社会で1つの業者に長年働き続ければ、一生安泰などということは無理です。

そういう社会においては、やはりいろんな価値観を見出し、そこに適応させていくのが望ましいと思いはばかりません。

いろんなビジネスのメルマガ著者やこの有名なロバートキヨサキもそういうことを指摘しています。

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ロバートキヨサキ

会社に勤め続けていれば安泰だ、という考えを捨てろ、ということですね。

私もそん考えに賛同ですし、会社だけに頼らないように行動しています。

1つの価値観にとらわれずにいろんなものに価値を見出すほうが、未来は明るいなと思います。

一生涯続けていけるような趣味を持つこともすすめたいですね。

それを持つと非常に生活が生き生きとすることは私の経験からも明らかです。

その選ぶ際に、人と比べてどうかではなく、自分の心から欲するものを趣味として選ぶべきである、ということですね。

この小此木啓吾氏が発表した現代の新しい人類類型として「モラトリアム心理」というものが提示されましたが、これが意外に大きな波紋を呼ぶのです。

その分析が、非常に多くの人の心をとらえたのです。

非常に説得力があったからでしょう。

その「モラトリアム人間」の定義は、

1. 深く人間関係にかかわるのを避ける
2. 人間関係を一時的、部分的に関わる
3. 人間との関係を近づいたり離れたりを繰り返す

そういう類型なのです。

非常に説得的ですね。 全部が全部そういう人ばかりではないですが、昔に比べてそういう人が増えていることは間違いありません。

なぜそうなのかといえば、社会が便利になり、車、バイク、エアコン、AV機器、湯沸かし器等々ができて、わざわざ我慢しなくても人に頼らずに生活していけるようになった。

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それがゆえに、わざわざ多くのひとと接しなくてもよくなり、自分の本当に気に入った人たちとだけ接すればいい、ということでしょう。

しかしこの現実は哀しいですね。

人間なのに人間と避けて生活していく人が増えていくのは…。

私はいくら便利になっても、多くの人たちと接していきたいと思っています。

自分のことを完全に客観視することはできませんし、傍らで見ている人に観察されれば、私にもモラトリアム的な部分はあるでしょうし、人は知らずのうちに外部からの影響を受けながら生活しているのでやはりそういう部分はあるでしょう。

しかし、そうなりたくないと必死に思い行動していけば、類友のことわざ通り、そういう人間たちといつまでも親交を深めることができると思います。

事実私には、小学校から始まって大学時代、社会人時代の友人ともいまだに親交を交えています。

しかし、モラトリアム型の人間が、社会の変化につれて、多くなっていくことは間違いありません。

この本は、そのための準備をするための処方箋になると私は思っています。

興味の出た方は読んで、知的武装をしておくことをおススメします。

この本は以下よりどうぞ!

視界ゼロに生きる―ソフトな自我の効用 (1982年)  

 

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視界ゼロに生きる―ソフトな自我の効用 (1982年)


小此木啓吾氏の本の紹介

シゾイド人間

モラトリアム国家、日本の危機


ケイタイ、ネット人間の精神分析


あなたの身近な困った人たちの精神分析

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