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ソースタインヴェブレンの概要をうまくまとめた本ですね、これは。
このヴェブレンは、19世紀半ばから20世紀初頭に生きたアメリカの学者ですね。
このかたの生きたころのアメリカは、鉄鋼の生産高が1899年から1909年の間に2倍半になり、独占資本主義がますます大きくなっていくころでした。
また企業集中も進みアメリカの全工業生産高の5分の2はトラストになりました。
1884年に小麦の価格は81年の5分の3になり、農民を搾取していたことは明らかです。
1886年には、そのせいで1000件以上のストライキが起きたのです。
こういう情景を目の当たりにすると、やはり過激な言論を出す人、その原因を綿密に探っていこうとする学者が現れるのは世の常ですね。
そのころにヴェブレンは社会に対して研究を進めていくのです。
なぜ、こういった搾取する人とされる人が分かれてしまうのか、といった根源的な問いを自ら発して、それを研究していくのです。 もてる者ともたざる者の生活の違い…やはりそういったことが認識になり、やはり彼はマルクスの思想に影響を受けざるを得なかったのです。
アメリカにおけるマルクス研究者として先駆的な学者であったようです。
そして産業の国有化を主張したのです。
そもそも、なぜ富の集中がおきてしまうのか?
それを人間の古代からの歴史から研究し、答えを見出そうとしたのです。
原始未開文化においては、制作本能が支配する平和な時代であったのです。
農耕、家畜、狩猟の時代ですね。
しかし略奪的野蛮文化の時代になっては、金銭的な見栄えが卓越してしまったのだといいます。
ヴェブレン曰く、 「経済と技術が進歩し、小規模商業を伴った手工業が一層発展し、機械性産業に成長するとともに製作者気質と販売者気質との調和が破れ、この両者は互いに乖離し、後者が前者に優越するようになった」ということです。
これは目の覚める言葉ですね。
当時は、今日のように満ち足りた人たちのほとんどいなかった時代でありましたが、それでも販売者の方が優位に立っていたということですが、その立場は今も一緒で、制作者よりも販売者のほうが高い給与をもらう傾向にあるようです。
例外はもちろんありますが、やはりそういう傾向のほうが強いことは間違いありません。
ヴェブレンで有名なのは、「有閑階級」という言葉でしょう。
その階級は、製作者階級の対比として書かれています。
初期野蛮時代を経て、高度野蛮時代になると、金銭的見栄えと製作本能との社会的文化がはっきりしてくるのだといいます。
政治、軍事、宗教、スポーツ、学問などに従事する上層階級が=有閑階級なのだといいます。
肉体的な力や頭脳的な狡智に基づく産業上の効率や実用性ではなく、「立派な攻撃的行動」とその成果としての富の獲得や蓄積であり、奪取による功名や利得であるというのです。
何かここを読むと、現代ではちょっと分析内容が違ってくるような気がしますが、ヴェブレンの生きた時代においては、こういう分析が成り立ったのでしょう。
そして読み手に説得力を示せたので、センセーションを呼び起こしたのだと思います。
その有閑階級は、生産的労働はすべて家臣や召使いに任せ、自分は誉ある閑暇を楽しむことがその社会的義務になっていたのだといいます。
この階級は人目に付くようなでばでばしい消費=衒示的消費をしていたのだといいます。
そのために、彼らは私有財産の保証、契約の履行、金銭取引の便宜、既得権などを保証するような立法や慣例を作るのだといいます。
原始未開社会においては、学者は同時に魔術師であり、占い師であったのです(ex.ルターやメランヒトン)。
超自然的な力を理解し、そのような力と人間とを媒介する機能を営むのです。
学者は、衒示的消費を営む人たちの一形態であったので、産業的実用的知識は尊ばれず、ひたすら「古典」が尊ばれていたことをヴェブレンは嘆くのです。
やはりヴェブレンにとって学者は、世の中を変革するためにあるというモラルであったのであり、それを怠っている姿には耐えられなかったのでしょう。
私も同じ立場であるので、ヴェブレンに共感します。
またヴェブレンは、勤労者と支配的有閑階級の分化が起こっていた帝政ドイツを批判するのです。
半封建的君主制国家であり、重商主義的経済組織がプロシアから受け継がれていたからです。
そのほぼ同じ形態であった日本にも危惧の念を注ぐのです。
当時のアメリカの経済を憂えていたヴェブレンは、その内容にもやはり目を向けるのです。
アメリカでは、産業過程の操作は、すべて利潤投資の原理によって動く、企業の手中に握られていました。
そして企業は主として投資に対する利潤を得ようという意図によってではなく、むしろ生計を立てようとする意図によって経営されていた。
ゆえに、企業者の主な関心は一定の産業過程の古い形の管理や規制からいう有利な仕事に対する機微な投資の再配分へと移っていく、ということですね。
それは20世紀の後半も、そして今も変わらぬ状況ですね。
いい製品を持つ会社が市場から大量に低利の資金を調達して、一刻も早く利益を上げ、さらに経営者は莫大な報酬を得て、やがてはその会社を人に売ってお金持ちになる、ということしか考えていないですからね。
正反対とまではいきませんが、日本の企業者とはやはり違いますね。
ゆえにいい製品が作れるかどうかも、企業者によるとしか言いようがありません。
こうならないように経済を握る人たちに読んでもらうために、またそうではない社会を望む人たちを多く作るのが目的にこういうことを書いた本を出したのでしょう。
マルクスにぞっこんになってしまった人は、マルクスが措定した「原始共産制」に移行することこそが人民を幸せにできると考え、今ある国家を転覆してまで社会主義国を樹立することまで考えていたようですが、ヴェブレンはマルクスに影響を受けながらも、具体的な当為は語っていないのですね。
生産的な労働を軽蔑しているとか、衒示的消費を有閑階級はしていた、ということをヴェブレンは書いています。 そういう思考行動になるのは私は信じれません。
ある本の中に、「見栄えをする人は、自分に自信がない人」ということが書いてありました。
しかし衒示的消費を有閑階級はしていた、ということはやはり見栄えを第一にしていたのが分かります。
どうしても見栄えは私はしようとは思いませんね。
自信があるからでしょうか?
よくわかりませんが、当時の、そして今の有閑階級は自信がないからでしょうか?
そこは短絡的な結論付けはやめておきますが、そういうことをして心が虚しくなるようであったら心を見つめなおすことが必要ですし、また別個にこの階級の心理分析も必要であることが分かります。
しかし、このような階級分化がいいのか悪いのかはわかりませんが、社会全体にとって悪影響が損じるならば、その対策を取り、よくなるように働きかける行動をしなければなりません。
ソースタインヴェブレン
しかしヴェブレンの立場に立って読むと、やはり有閑階級はマイナス的に思えてきます。
しかし、全部の有閑階級がそういう思考行動様式になっているとは思えないですね私は。
この有閑階級に属する人が、こういう本を読んだときに、「自分の行動を改めよう!」と思い具体的な行動に移す人もいるでしょう。
世のため人のために。
「お金に価値はない。使う人間に価値がある。」という私の好きな言葉がありますが、そういうモラルでいる有閑階級の人間もいます。
代表的なのはロバートキヨサキですね。
彼は自分の総論的なお金持ちになる手法やモラルを本に出して惜しげもなく公開しています。
ただし積極的に勉強し、行動することができなくてはいけない、と言っていますが。
ヴェブレンの生きた時代とは違って現代はだれでも簡単に企業のできる時代であると思います。
ヴェブレンの書いた本のメッセージはやはりもてる者ともたざる者とどちらに比重を向けて書いたかといえば、やはりもてる者へでしょう。
誰でも簡単に起業できる時代になった現代には、やはりヴェブレンのメッセージはかなり多くの対象が広がっているのは明らかです。
そのことにピンと来た人は是非ともこの本を読んでほしいです。
●この本は以下からどうぞ。
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