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この本も、読んで、平和は一時の感情の発露で言葉を発したり行動してはいけない、ということがわかりました。
また国や宗教、民族などの違う相手を理解するための勉強も時間をかけることを惜しんではならない、ということもわかりました。
この本は、「9.11」以降のアメリカのイスラム社会を理解する手助けをしてくれるのはないか、そんなことを考えてしまいました。
あの「9.11」以降、あの主犯者であるイスラム原理主義の団体であるタリバンの仕業である(実際はタリバンの仕業ではなく、アメリカの政治や経済を牛耳っている隠れユダヤ人の自作自演でありました) とされ、それでイスラム=悪というイメージが全米中で形成されてしまったのです。
その間違ったイメージを修正するのにこの本が役立ってくれるのでは、と思いました。
アメリカでいちばん有名なイスラム教のスターはプロボクサーのモハメッドアリであるそうです。
世界13億人のイスラム教徒の内、600万人がアメリカにいるのだそうです。
アメリカにいる難民のうち3分の2がイスラム教徒であるといいます。
84~90%がスンニー派で、16~10%がシーア派であるといいます。
カリフォルニアに100万人のイスラム教徒がいますが、全アメリカの4分の1がカリフォルニアにいるのだそうです。
イスラム教の始祖であるムハンマドの子孫であるアガカーンはテッドターナーやジョージソロスと並ぶ奉仕家であり、第三世界に無料の病院を建てたり、イスラム教についての本を扱う図書館に基金を送っていた、ということも知れました。
そのアガカーンぼ息子であるアリカーンが、女優であるリタヘイワースと結婚したのだそうです。
しかし、あの「9.11」以降、やはり「イスラム=悪」に近いイメージが醸成されてしまっていた人には、こういった事実を垣間見るとそのイメージが瓦解していくのではないか、その瓦解は非常にいいことではないかな、ということがわかると思います。
アラブ人と言うと、どうしても「髭をつけている人」、そしてアラブ人の女は「ヒジャーブをつけている人」というイメージがあり、どうしても双方とも誰もがテロリストのイメージを植え付けられてしまいます。
アメリカイスラム全米評議会、イスラム公事会議、アメリカイスラム関係評議会などの組織は、この本を読んで初めて知ったのですが、こういった組織がイスラム教徒のメディアイメージを改善するように、政治問題を扱い努力しているのです。
私たちも、こういった組織もあることだし、その理念をくみ取ってイスラムに対するイメージ改善の努力を怠ってはいけない、ということを思いました。 その政治問題として、90年代の半ばに、ローズハミットというアメリカにいるイスラムの女性がヒジャーブをつけている、ということでUS航空を解雇されたようです。
しかし、それを撤回するために闘ったようです。
その時のローズ氏の言葉は、「いけいれてもらうために闘っている外国人みたいな気持ち」ということです。
1971年にモハメッドアリが良心的な兵役拒否を要求し勝訴したということです。
また、目の覚める事実をこの本で学びましたが、ジハードは、=聖戦という意味ではないのだそうです。
「努力」という意味なのだそうです。
もちろん、ジハードという言葉は「すべてのアメリカ人に対する戦い」という意味でもありません。
しかし驚いたのは、アダムとイブの話しは、誰もがキリスト教の教えと思いがちですが、イスラム教の聖書である「コーラン」にも書かれているということです。
「コーラン」において、イエスも、イスラム教の預言者として記されているのです。
そして、ムハンマドは最後の預言者ということです。
イスラム教では、イエスを神の預言者、神の言葉を地球上に教えた人物であるとしています。
天使ガブリエルが神の子をマリアに生ませ、その子はこの世にあっては、神の顕現であり、人の子であることを告げ、その名をイエスとすべしということです。
しかし興味深いですね。
何故、違う宗教なのに同じ話が、双方の聖書に出てくるのか?
その謎の解明については今後の研究に譲るにしろ、しかし興味の深い話ではありますね。
nation of islam教団はイスラムの一教団として有名です。
この教団が当初目指していたのは、白人社会でアフリカ系人に中流生活をもたらすことであったようです。
創始者の1人であるウォーレスファードをアッラーの化身として崇めていたようですが、こういう1人の指導者を崇めることは、イスラㇺ教では許されないことであるようです。
しかも、“アフリカ人はすぐれた人種である”というスローガンを掲げていたようです。
しかも、設立当初の理念を忘れ、イスラム教の教義を歪めビジネス化していったようです。
クリスマス時にラマ断をしないなど。
そして、アメリカでもっとも有名なイスラム教囚人はマルコムXであるそうです。
マルコムX
そのマルコムXはnation of islam教団の人間でした。
性的放縦、麻薬、悪辣、アルコールなどの悪癖があったようです。
このマルコムXやnation of islam教団によってイスラムの悪いイメージが醸成されてしまったことは間違いありません。
やはり大方と違う教団が悪事や事件を起こすと、悪いイメージがいつまでも付きまとい、それが固定されてしまう、という弊害がありますね。 一イスラム教団なのに、それが全イスラムの特徴として固まってしまう…なんとも悲しい話ではあります。
そういった結びつけや、固定をせずに虚心坦懐に接していく態度は非常に大事であると思います。
しかし逆に、イスラム教に対して良いイメージを醸成される事実をこの本で学ぶことができました。
イスラム教徒の累犯率は他の宗教グループよりも低いのだそうです。
にもかかわらず、アメリカメディアは、世間をあっと言わせるようなニュースしか載せない、イスラム教と犯罪行為を結び付ける傾向があり、イスラム教徒が悪く見えるようなやり方で情報を引き立てるという問題点があるのです。
また、度を過ぎたレッテルを貼り、分析と称して固定観念化をおこなうということです。
憎しみに満ちた見出しがアメリカ人の間に反イスラム主義を助長してきたのです。
その結果、97年までに反イスラムの事件が3倍にも上がったということです。
映画『エグゼクティヴデシジョン』において、ハイジャッカーが乗客を容赦なく撃ち殺し、その間、コーランの数節を引用したり、イスラム教の成句を叫ぶ、そのシーンが「イスラム」と「原理主義」を並べ、同概念になってしまうのです。
私が見た『ユナイテッド93』という映画でも、そのようなシーンがありました。
こういったメディアの問題点のみならず、イスラムはアメリカにおいてこれからも多難が待ちかまえているようです。
アメリカにおいて、イスラム教でなかった女性が、イスラムに改宗した場合(最近の例ではジャネットジャクソンがこれにあたりますね)、生家に拒絶される問題に立ち向かわなくてはいけません。
生家が改宗した家族を受け入れるのに3~13年かかるようです。
またアメリカのイスラム教の問題点は、自分のアイデンティティを調和させていく、という段階にしかさしかかっていない、ということです。
政治にかかわる際に、政治的役職に主流派イスラム教徒がいないということです。
しかし、候補者のために精一杯の資金を集め、ロビー活動をしてしている、ということです。
また、イスラム教徒は自分たちが世界における犠牲者であり、誤解されている存在である、と思っているようです。
それを崩していくのも、政府だけの役割ではなく、われわれ一人ひとりの行為の積み重ねである、ということをこの本を読んで理解し、行動していくことの重要性を認識してもらえたら幸いです。
私は、前々から「宗教などは自分に必要はない。宗教な頼らずとも、いろんなジャンルのいろんな著作家の本を濫読していけば、人生に必要な事項は学べる。」というスタンスでいましたし、今もそれに変わりはありません。
であるならば、高学歴になり、いろんなことを学んできた人であればあるほど、宗教にのめりこむことはないだろうと思ってました。
しかし、この本の作者であるアスマ.グル.ハサンさんは、アメリカ名門女子大7つのうちの1つであるウェルズリー女子大学を優秀で卒業した女性です。
なのになぜ、宗教にぞっこんになってしまったのかな?とその疑問を解明すべく、この本を読み進めました。
しかし、この本の最後のほうで、その理由らしきものがわかりました。
ハサンさん曰く、「この教えを守ることで私は預言者ムハンマドに近づくことができ、自分がイスラム教徒であることを再認識できるのです。私にとっては、自分自身を世界のそして過去のイスラム教徒と結び付けてくれる伝統なのです。」ということです。
人間にとって、規律は必要なものです。
何も目的のないまま休日に家でごろごろしていては、最初はよくとも、のちに退屈になってしまいますし、充実感がなくなり虚しくなります。
やはり規律をもって「今日●と○をする!」というような目的を持っていると充実感があり、幸福感に覆われます。
私は、「この人のこの本は必ず買う!」「この人の本は何回も読む!」と決めている著作家は少数ながらいます。
その著作家の言と、宗教にぞっこんになってしまう人にとってその宗教の言は一緒なのだろう、と解しています。
神や仏といった人間ではなく、人間を超越した存在に対する畏敬の念をもつことでその思いは更に強くなり、規律正しくなるのは間違いありません。
ですから、その宗教心には理解はしていますし、特定の宗教には入りませんが、神仏に対する畏敬の念は忘れずに携帯しています。
ただ私は、普通の人よりは多く本を読む方です。
しかし、宗教にぞっこんになってしまう人は大抵本を読みません。
だけども、人と良好な関係を持とうという心があるので、そういうことを書いてある宗教の冊子等を読むとそれに感動をするも、それ以外に違うジャンルの本を読まないでいて、それで満足してしまうのです。
だからなかなか他の宗教の良い点などについて理解できずにいるのです。
鎌倉時代の日蓮という僧侶の始めた宗教は、今も数えきれないほどの宗教団体が林立し、多くの信者がいるようです。
その日蓮が言うに、「真言宗や浄土宗はけしからん。宗教として最悪だ!」というニュアンスの発言をしたようです。
このことを読んで、日蓮系の宗教の信者は真言宗や浄土宗の教義の本を読まないでしょうが、私は興味あるし、どんな本でも学ぶべきことは必ず書いてあるので、これから読んでいこうと思います(笑)。
私にとっての宗教とは、「いろんな本や事物からの濫読、雑学の総体である」と思っています。
1つの宗教に拘ることではなく。 このような、いろんなことを虚心坦懐に学んでいく姿勢こそが、他の宗教の理解を促すことができるのではないでしょうか?
ことイスラムに関しても?
それを、この本を読んで理解することができました。
ここに書いたのはまだその一部であり、他にまだまだ学ぶべきことはこの本に書いてあります。
むやみに、無批判にイスラムを受け入れろ、ということではないです。
その宗教の内奥を一歩一歩理解しながら、受け入れていく態度が必要ではないかなと思うのです。
その理解において、この本が一助になれば幸いです。
この本は以下よりどうぞ!
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