倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

惨状

2019-10-31 | 日記

10/30 Wed.

 

去る日、台風19号からの復旧ボランティアへの途上に 篠ノ井エリアの堤外圃場(果樹園)の被害状況の原調(現地調査)を乞われ、ボラ作業終了後に直行しました。

 

合流したYさんは「クラちゃん、長沼から来たんだってな。ご苦労サン。あっちは堤防が決壊して大変なことになっているようで、同じ農家のモン(者)としてお察し申すところだ。

今回の台風はおれら(農家)に対してもエライことをしてってくれた。先ずは現場を見てくんねーか。」と、普段の温和な表情はどこに、非常に厳しい表情で話されます。

さっそく、現場へ。

そこは、千曲川と堤防との間に広がる、イヤ 広がっていた、桃畑です。

季節によっては「桃源郷」と称されるように 桃色の絨毯が敷き詰められる、この地域ならではの桃畑です (下の写真は参考)

 

その桃源郷に、台風19号は いわば土足で踏み込み、耕作者に何の断りもなく 大量の泥流を流し込んでいったのでした。

 

 

溢れ出た河川水は、たちまちのうちに堤防の際(きわ)まで達したのですが、その間、堤外農地に広がる桃の木を巻き込み、泥水といわず流木といわず異物といわず、あらゆる流物(りゅうぶつ)を置き土産にして去っていったのでした。

 

本来 桃の木は、このように佇(たたず)んでいます(下の写真は参考)永年に亘る耕作者の工夫により、V字形を維持しています。

 

その佇まいに、泥流は無情に襲いかかりました。

 

 

規則正しく植えられた桃の木たちも、今や 累々と横たわる屍(しかばね)です。

 

Yさんは、溜め息交じりに説明してくれます。

「いいかクラちゃん、こっちから見えるのは「根」だ。オレが立っている方が上流。佐久(地域)から流れてきた ものすごい量の水は、勢いをつけてここ(桃畑)まで押し寄せてきた。ここの地盤は砂地だから、場所によっては弱いところもある。川の水は、そこ(弱い地盤)を突いて、桃の木をひっくり返して行っちまった。まったくひでもんだ。」

 

猛烈な水の勢いでひっくり返され、いわば仰向けにされた桃の木の根には、雑木やらゴミやらが大量に引っかかっています。かわいそうでなりません。

 

Yさんは、丹精込めて育ててきた桃の木たちを 一夜にして失うこととなり「腕をもがれた思いだ。」と絞り出しておられました。

 

 

大きな被害に遭ったのは、桃の木だけではありません。果樹農園に通ずる「農道」が 通行不全に陥っていました。

かつて農道だった経路には、多くの流泥(りゅうでい)が堆積し、4WDでもスタックしてしまいそうなほどです。

 

行く先の農道には大きな凹みができており、クルマのでの進入を断念せざるを得ませんでした。

 

土砂や流木の堆積物の切れ間に、ようやく農道の跡と覚しきアスファルト部分が見えました。が、その先でYさんは「ほれ、見てみろ。」と一言。

 

何と、その先は大きくえぐり取られて道すらも無くなっていたのでした。

 

これは おそらく、満水時に川床が激しく いわばスクリューのように螺旋状(らせんじょう)に暴れ、川底の砂をもって行ってしまったと思われます。流れ下る水の猛威を実感させられます。

で、これ(写真上部の右から左)に沿って やはり農道があったのですが、それも水流の勢いによって落盤し、跡にはアスファルトの〝かけら〟が、まるで板チョコを割って食べ残したみたいに転がっていました。

 

これらの農道は、果樹園をぐるりと囲むように設置されており、一筆描きのように 果樹園を一巡できるようになっていたそうです。

その経路も無残に断たれてしまっていました。

 

今や、流木などが堆積しているところが「かつての農地」砂地が縦状に延びているのが「かつての農道」と識別する他ない状況になってしまっています。

 

クルマの行方には延々と砂地が続き「こないだまで普通に抜けられてたのに、危なくって行けやしね。」とYさんは顔をしかめておられました。

 

農道には、さらなるやっかい者が横たわっていました。

 

上流から流れ着いた、おそらくニセアカシアの巨木です。

こんな大物は、チェーンソーで切り刻むしかないのですが、幹自体に砂やら石やらが付着しており、刃を当てると それ(チェ-ンソーの刃)が じきにダメになってしまうのです。マレット場などでは日よけになってくれる重宝ものですが、こう(流倒木に)なってしまうと やっかい者の最たる物になり下がってしまうのでした。

 

Yさん曰く「今回の台風(19号)は、千曲川沿いの家屋敷はもとより、河川敷の堤外農地に とんでもない被害を及ぼしてくれた。それで、テレビ(報道)なんかは、堤防の決壊した赤沼(エリア)の果樹被害を盛んに伝えているけど、あっち(赤沼)の多くは、下流域で 流れがゆるくなったところでの冠水被害なので、(原形が)残っている樹が多くあるだろう。あの状態なら、一定期間 我慢(養生)すれば、また(果樹)生産を再開できる。」

 

「ところが、だ。こっち(篠ノ井エリア)は このザマだ。上流域で流れが強かった分、根こそぎやら折枝やらの壊滅状態。こいつら(桃の木)は瀕死の状態になっちまった。」

「もしかしたら、果樹被害は こっちの方が深刻かもしれない。」

 

 

・・・・・・。

いずれにしても、このまま捨て置くワケにはゆきません。

Yさんによると、これからは一刻を争う事態だとのことです。

壊滅的な打撃を受けた果樹園だが、根を張って現存している樹については、根の部分の 河川特有の細かい砂(花泥)を除いてやれば、生き残る可能性がある。それには早期に作業に着手しなければ、根が〝酸欠状態〟に陥ってしまい、助かる樹も助からなくなってしまうとのことです。

 

それには 取りも直さず、農道の仮復旧をしなければなりません。

本来 農道などの道路(復旧)工事は、市が入札などを経て業者を指名し、それら(業者)が工事に当たるものですが、言われたように 一刻を争う状況、また被害面積の大きさを考えると、そんな悠長なことは言ってはおれません。

訊けば 当地区には、Yさんを中心に ユンボなどの作業機械を扱える方が複数おられるとのことですので、かかる「民間力」を動員していただき 農道復旧を行なうことが合理的と思われることから、この件について 行政側との調整役を担わせていただくことといたしました。

 

 

台風19号の被害は、多岐・多方面に亘っていることを思い知らされたところです。

 

 


切望

2019-10-30 | 日記

現在、永田町では「臨時国会」が行なわれています。

しかしながら、国民 とりわけ私たち被災地の市民から見ると、被災地の復旧・復興に向けた質疑など〝今、まさに交わさなければならない 肝心な議論〟が行なわれていない、正確に言えば、その肝心な議論の入り口にまで到達していないことに、もどかしさを禁じ得ないところです。

その根本には、公然と公選法に背く行為をしていたり、着任早々軽はずみな発言が絶えないなどの 新任大臣の資質に欠ける言動があることは間違はなく「こんな大臣の下(もと)では議論などできない。」というのは正論でありましょう。

しかし 今まさに、この瞬間にも 被災地域の住民は 言い知れぬ不安と戦いながら時間を過ごしているのです。

自分たちの生活は これからどうなってゆくのか、一体どうしたらイイのか。自治体は どのような支援をしてくれるのか。もっと言えば 国民生活の根幹を成す「国」は、今回の大災害をどう捉え、どのような道筋を示してくれるのか。

 

この臨時国会は、それら国民不安に応えるため、その国民に開かれた、唯一の「発信の場」であるハズです。

国民は、とりわけ多くの被災者の方々は、今後の災害対応における国の推移を 固唾(かたず)をのんで見守っているのです。

 

どうか一日も早く、肝心な議論が行なえるよう計らっていただきたい。

切望する者の一人です。

 

 


対処療法

2019-10-30 | 日記

10/29 Tue.

 

台風19号で決壊した、長野市穂保地先の千曲川築堤工事が30日に完成することが国土交通省から発表されました。

工事の正式名称は「鋼矢板仮締切堤防工事」とのことです。

 

数日前、私が現場へ足を運んだ際は、まさに工事が佳境を迎えていました。

 

顧(かえり)みれば つい2週間ほど前、未曾有の大水に伴い 住民生活の安全を守ってくれていたハズの堤防が決壊、堤内の集落などに大きな被害を及ぼすに至ってしまいました。

 

その後は 関係事業者による昼夜を分かたぬ復旧工事が始まり、

 

被災から2週間余をもって築堤工事は一区切りを迎えることとなりました。

ご関係者の不断のご尽力に 心から敬意を表するところです。

 

現場では、多くの大型クレーンなどが配備され、突貫で築堤作業が行なわれていました。

 

工事名「鋼矢板仮締切堤防工事」にあるとおり、新たに造成された堤防の外側(河川側)には、巨大な「鋼矢板」が打ち込まれています。

 

千曲川 穂保地先の堤防は、10月13日5時30分頃に決壊が確認され、その後 10月17日に約70mの仮堤防が完成、10月20日から国(国交省)が権限代行して、調査と復旧を進めてきました。

完成する「鋼矢板仮締切堤防」は、決壊箇所ならび仮堤防の河川側に 約320mに亘って設置されており、この「矢板」が、再び来るかもしれない河川水から堤防を守る〝盾(たて)〟の役割を担うことになります。

 

 

この堤防の完成により、今後、本格的な堤防復旧を進める環境が整うことになりました。

 

 

 

関係者のご尽力により、ひとまず この箇所の再決壊の心配は回避されることとなりました。

しかし、これは あくまで「対処療法」に過ぎないことを 私たちは自覚しなければなりません。

今回の大規模な水害は どのようにして発生したのか。その原因と それぞれの被災箇所における〝災害発生のメカニズム〟を検証し、その抜本的な対策を講じてゆかないことには、また 同じ水害が起こることを覚悟しなければならないでしょう。

例えば、今回 堤防決壊を招いた長野エリア周辺の下流域においては、その先(下流)にある「立ヶ花橋周辺の狭窄部」の改修(抜本対策)を行わないことには、また同じ憂き目に遭うことが予想(懸念)されるところです。

 

立ヶ花橋周辺部は、左右の岸幅が いわばコーラの瓶のように狭くなっており、上流から流れてきた河川水が ここで滞留を余儀なくされ、それが上流に逆影響を及ぼし 今回のような堤防への(決壊につながるような)大きな圧力の要因になっていると言われています。

 

この状態を解消(改善)するには、左右の護岸を掘削により川幅を広げたり、本流の脇 または地下に「バイパス」を造成して河川水の滞留を防ぐなどの「抜本的な措置」が望まれるところです。

 

長野県における台風被害は、国の「激甚災害」の指定を受けるに至ったところですが、この際、先ずは被災者の救済や社会環境の復旧・復興に全力を傾注すると同時に、こと「治水事業」については、破れてから慌てて繕(つくろ)う対処療法だけに依(よ)らず、前述のような「抜本的対策」を講じてゆくべきではないかと強く思うところです。

 

ここへきて、多くの気象予報士などの気象学者が、地球温暖化に伴う太平洋上の水温上昇により、勢力の強い台風は これからも多発傾向にあること、そして、やはり太平洋高気圧の強まりにより 今までは東の洋上に逸(そ)れていた台風が、北(列島側)に押し上げられ、つまり台風本体が 列島の真上(まうえ)を通過するようになってきたことを論じるようになってきました。

 

つまり これらの見解は、今回のような 異常な多雨による大規模水害が 再び三たび発生する可能性が高くなっていることを裏付けているのです。

で あるとするならば、今のような対処療法を繰り返していたのでは埒(らち)があかないのは自明のことでありましょう。

 

堤防決壊により破壊された家屋、また 大切な家財ごと浸水した家並み、それに伴い発生するに至ってしまった 大量の被災ゴミを目の当たりにし「抜本的対策」の必要性を感じざるを得ないのは、私だけではないハズです。

 

今後、長野市議会においても 災害の検証が行なわれるであろうことから、あらゆる機会を通じて かかる「抜本的対策の必要性(重要性)」についても喚起してゆきたいと思うところです。

 

 


厳しい中にも 光明が

2019-10-29 | 日記

10/29 Tue.

 

列島各地に大きな被害を及ぼした 台風19号、その被害対応が急がれるも 被災地をはじめ関係機関は非常に厳しい状況に置かれることとなっています。

そんな中ではありますが、政府を初めとする行政機関における〝支援の形〟が徐々に表(あらわ)されるようになっており、今後 より具体的な取り組みに期待が寄せられます。

 

◇長野県における台風被害が「非常災害(激甚災害)」に正式決定

報道によると、政府はこの日の閣議で、台風19号による被害を激甚災害と大規模災害復興法に基づく「非常災害」に指定することを決定し、長野県も その「枠」に入ったことが報じられました。

 

「非常災害」とは、被災自治体に迅速な財政措置を講じ、早期の復旧・復興を目指すものです。政府は今後、災害関連の令和元年度補正予算案の年内編成に向け、調整を急ぐ考えとのことです。

官房長官は この決定について「被災自治体は財政的な心配なく、安心して復旧復興に取り組むことができると思う。一日も早く生活を取り戻せるように政府も全力で支援する。」と述べたことが報じられていました。

 

非常災害に基づく「激甚災害」は、豪雨や地震などの大規模災害で被災した自治体を財政支援するため、政府が激甚災害法に基づき指定します。激甚災害指定で、自治体が実施する道路や河川、農業関連施設などの復旧事業に対する国庫補助率が1~2割程度引き上がるほか、被災企業が再建資金を借りやすくなるとのことです。

今回の台風は被害が広範囲に及んでおり、自治体だけでは対応が困難なため、国の主導で復旧を加速させます。大規模災害復興法適用は平成28年に発生した熊本地震以来2例目となるとのこと。

 

今後、この「激甚災害指定」が、どれ程(ほど)に亘って市域の復旧・復興に その恩恵をもたらしてくれるのかは 現段階では詳細に至らないところですが、いずれにしても 今回の国の決定を追い風とし、一日も早い復旧・復興により 一日も早く「いつもどおりの市民生活」が取り戻されることを期待しつつ、私たちも全力で支援してゆく決意を新たにいたすところです。

 

 

 

◇長野市、浸水区域の数百棟を一括「全壊」に認定

長野市は、台風19号の影響で浸水や家屋損傷の被害を受けた一部地域の数百棟を、一括で「全壊」と認定したことが伝えられました。

被害認定については 市職員が家屋の状況を確認する「全棟調査」が原則ですが、国は床上1・8メートル以上の浸水被害が想定される地域では、地域の四隅の住宅を抽出する「サンプル調査」で被害が確認されれば 地域全体を全壊と認定できるとしており、今回 長野市はその手法を選択したものです。

一括認定は、東日本大震災後の2013年に改定された国の被害認定基準の運用指針に盛り込ました。これは罹災認定を迅速化するための措置で、昨年7月の西日本豪雨では、この方法で岡山県倉敷市真備(まび)町地区の約2100棟を全壊と認定したのが最近の事例として挙げられます。

長野市においては、市内の被害を床上浸水3,305棟、床下浸水1,781棟と推定。このうち千曲川からの浸水被害が甚大な豊野地区と長沼地区でサンプル調査を実施し、計数百棟を一括で全壊と認定したとのことです。

一方、約2万1,000棟が浸水したと推定される福島県郡山市は「浸水地域内の住宅でも基礎の高さの違いで被害が異なる。サンプル調査では不公平になる」として一括認定を見送ったそうです。被害が甚大だった同県相馬市、宮城県丸森町も同様で、台風21号の影響で記録的豪雨となった千葉県茂原市や同県市原市なども、全棟調査する方針とのことが 併せて伝えられていました。

 

この「一括認定」は、自治体の長の政治的判断に他なりません。

長野市の加藤市長の、被災者の心に副(そ)った、スピード感のある英断に心から敬意を表するところです。

行政責任に基づき設置され、住民生活を守るための存在であった堤防、それが まさかの決壊によって甚大な被害が及ぼされた。

私も兼ねてより申し上げているとおり、堤防決壊に伴う被災エリアは「別のもの」と考えるべきであり、今回の市長判断は まさにそれに合致したものであります。

今後も、スピード感と実(じつ)に合った被災地支援の方策が為(な)されることを期待し、共々に支援に全力を尽くしてゆきたいと 報に触れて思いを新たにいたしました。

 

 

 


「秋の実り」が

2019-10-29 | 日記

10/28 Mon.

 

この日は 朝イチで登庁し、階段を上りながら災害対策本部に向かうH副市長を捕まえて(というと人聞きが悪いですが)歩みを共にしながらの〝歩行会議〟。さまざまな案件について会話を交わし、後日 改めて、ということで別れました。

その直後、やはり階段でK市長とバッタリ。市長は何とTシャツ姿で市長室に向かうところで、互いに激励し合う形で どちらともなく「よろしくお願いします!」と交わしました。市長は まさに分刻みで動いておられることから、とりあえず 案件について副市長と打合せをしていることを伝え、今後も連絡を取り合うことで 握手をして別れました。

おそらく、早朝会議から活動服に着替える暇(いとま)も無く館内移動されていたと拝察するところですが、非常に元気な振る舞いで「こんなときこそ大将は元気な姿で!」と自らを鼓舞する姿勢が見て取れました。

いずれにしても 長野市行政の先陣を司るご両名におかれては、降ってわいた課題山積の中 有為な活動に徹せられることを期待するばかりです。

 

その後 議員控室で若干の用務をこなしていると、篠ノ井西寺尾地区のYさんから電話が入りました。

訊けば、今回の台風19号で 千曲川河川敷の「堤外農地(ていがいのうち)」に大きな被害が出ており、農地と そこへ通じる農道が壊滅的な被害をうけている。そして その復旧、というよりも〝残骸処理〟のために、取りあえず農道を再整備したいので調査に来てほしいとのことです。

その声は かなり切迫した様子。私は今日、先日の災害ボランティアで再参加の約束をしてきたことから、それを終えた後に伺うことを伝えて 電話を終えました。

そして私は、Yさんに伴なわれ〝非情な現場〟を目にすることになるのでした。この模様は後日レポートします。

 

この日は、久々の快晴となりました。

思い起こしてみれば、今月来 本当に晴れ間の少ない日が多いことを実感させられます。空を見上げれば 多くの日が曇天か雨模様、あげくの結果が 未曾有の大雨による大災害・・・お天道サマの気まぐれに左右される私たちの社会生活ですが、この日のボランティア活動は「季節の営みに横やりを入れられた」かの この時期での災害発生を恨めしく思うような作業となったのでした。

 

昨日に倣(なら)って 北部災害ボランティアセンターに行くと、この日は 特養「りんごの郷」にあるサテライトへ行くよう指示を受けました。

 

特養「りんごの郷」は、堤防が決壊した穂保地区のやや南にあり、今回の台風において浸水被害を受け、休館を余儀なくされています。その間、少しでも地域のお役に立てれば と、駐車場スペースをボランティアの拠点に解放してくださっているそうです。

 

こちらのサテライトは、豊野と長沼エリアの全体を見渡す役割を担っており、こちらから 各エリアに人材を派遣し、均衡有る復旧活動支援を行なっています。

 

この日 私は、豊野エリア南部のサテライト行きを命じられ 直行しました。

 

豊野エリアは、穂保から決壊した千曲川の水と、水門の閉門によって生じた浅川の内水氾濫の〝ダブルパンチ〟により、町全体が水害に遭う状況になってしまっています。それゆえに、ボランティアの派遣依頼が数多く寄せられているとのこと。伺ったサテライトのマップには、殆どの家庭からボランティアの派遣要請が寄せられており、スタッフのみなさんがやり繰りに苦心しておられました。

 

 

私は、居合わせた大学生グループと一緒に 近隣の、道路に面した 住宅兼工場を訪ね、コーデネーター曰く「家人の方が困っている」というモノを除去することに。

私たち到着すると、家人の方が出てきて、困り顔で敷地の一角にある漂流物の除去を依頼され、さっそく学生諸君が軽トラの荷台に積み込んでゆきます。

 

その漂流物は、大量の「藁(わら)」でした。で、その中にはたわわに実った稲穂があり、それらがこちらの宅前に張り付くように流着していたのでした。

 

これは、どうやら 台風発生の前に稲刈りを済ませて櫨(はぜ)掛けを終え、いずれ脱穀をして 美味しい新米として食卓に載せるハズの米(稲)が、さきの台風による浸水や堤防決壊による河川水の流入に伴い一気に流され、それが漂流物となり あらぬ方に流れ着き、秋の実りが一転、災害のやっかいものになってしまったものと思われます。

こちらのお宅の道路向かいには、過去の水害の水位を示す標柱が立っていましたが、その標柱にも 流された稲穂が引っかかっているのが見られました。

 

 

後で調べれば、この稲穂が引っかかっていたのは、西暦1910年に発生した洪水の記録標のようで、半世紀以上を経て再び大きな水害に見舞われたことになります。

水害を記録する標柱に、秋の実りの象徴たる稲穂の漂着・・・何だか自然の猛威をこんな形で見せつけられたよう、何ともいえない 悔しさのような複雑な心境にさせられたものでした。

そんな状況の中でしたが、私たち〝にわか除去チーム〟は、力を合わせて堆積した稲穂や稲クズの除去に当たりました。

 

この学生チームは、リーダーくんを中心に 非常に統制が取れています。訊けば、大学では児童保育を学ぶゼミ仲間だそうで、この経験を活かして イイ保育士さんになってほしいと期待を心にいたしたものでした。

 

わが除去チームは、一路 このエリアの被災ゴミ集積所へ。

着いてみれば、そこは「長沼公園」です。

 

本来、家族連れや幼児たちが遊びに来るはずのスペースが被災ゴミ置き場に。万やむを得ないとは申せ、残念このうえない光景でありました。

 

遊歩道ならぬ〝ゴミ通路〟を通って可燃ゴミ置き場へ。ここのエリアにも大量の被災ゴミが発生しています。

 

積んできた稲わらを投棄しました。都合 軽トラ2台で3回程の作業となりましたが、これで一反(いったん)ほどの稲なのでしょうか。かえす返すも残念でなりません。

 

やがて時間となり この日のミッションは終了。休日を割いてボランティア参加を果たしてくれた若者たちに心から敬意を表し「また、いつか どこかで!」と手を振って別れました。

作業は厳しく、秋の実りを不測の自然災害に奪われた悔しさが残るものでしたが、将来有為な若者たちの気心に触れることができ、そういう面では充実感を得ることができたひとときだったのでした。

 

私は その足で、午前中に電話を受けた 西寺尾地区の堤外農地の調査に向かいました。

陽も西に傾きかけた南方には、関崎橋が見えます。

 

空は青空、一見すると秋の風情でありましたが。しかし その橋下の河原には、累々と泥流の痕跡が広がっていたのでした。

 

 


ONE・NAGANO

2019-10-28 | 日記

10/27 Sun.

 

台風19号の被害で大量発生した〝被災ゴミ〟これが 特に北部エリアの「村内」それも宅地周辺に積み上がったままになってしまっているものを集中的に撤去することとなったことを聞き及び、撤去作業にボランティア参加させていただきました。

そんな中、長野市ボランティアセンターのフェイスブック記事を見ると、一部報道のとおり、被災ゴミを運ぶ軽トラックが慢性的に不足していることが伝えられていましたので、地元市民の利として 知人から改めて軽トラを拝借し、一路 北部災害ボランティアセンターに向かいました。

 

私が柳原に着いた頃には、既に多くのボランティアのみなさんはピストン輸送によって現地に出立しておられました。

 

それでもまだ何人かの方々が到着されており、スタッフに作業上の注意点などについて丁寧な説明を受けていました。

 

自己責任とは申せ、現場では思わぬ事故が待ち受けているもの。せっかく善意で参加してくださったのに、ケガがお土産になったのでは 何の意味もありません。

ことに被災ゴミの中には 鋭利な状態で折れた木片や、割れたガラス、また家具などの木材に打ち込まれまま飛び出した釘などが混じっています。これらで負傷すると 破傷風になる恐れもあることから、十二分に注意して作業に当たっていただきたいと思うところです。

 

私も受付けを済ませ、いつものとおり胸に名札シールを貼って、いざ出発です。

 

私は、堤防決壊した穂保地区の南にある大町エリア行きを命じられました。域内に入ると、すぐに先着組の作業風景にぶつかりました。

 

家と家との間の空き地に 山と積まれた被災ゴミ。

 

これが生活環境の最中(さなか)に積み晒(さら)しになっていたのでは、物理的・衛生的にもイイはずはありません。そんな被災者の心情にも心を寄せながら、ボランティアさんたちが一心不乱に除去作業に臨んでおられました。

 

 

大町エリアの域内にあるお寺さんが「サテライト」になっていました。

 

お堂の前には指揮台が置かれ、スタッフが作業手順を打ち合わせておられます。

 

住宅地図の上に 被災住宅ごとに付箋を貼り、順次 被災ゴミを回収していきます。

 

災害ボランティアセンターやサテライトについては、当初の混乱ぶりや至らなさぶりが ずいぶん解消され、運営そのものが円滑になってきていることを実感します。

これは いわゆる〝行政力〟のみならず、全国から終結した 多くの〝熟練ボランティアコーディネーター〟たちの活躍の賜(たまもの)でしょう。それらを見るにつけ、やはり経験値がものをいうことを改めて感じるところでした。

 

 

このサテライトの上はすぐ堤防なのですが、そこにも被災ゴミが累々と。

 

 

これらは、住宅地に積みっ放しゴミの撤去の後に手をつけることになるのでしょうが、置いてある場所が堤防上だけに、また大水(おおみず)が出れば これらがそっくり村内に流れ戻ることになることから、間髪は置けません。災害ゴミの課題は暇(いとま)ナシ、を再認識させられました。

 

私の軽トラは、サテライトから2ブロックほど離れた個人宅行きを命じられ 直行しました。

庭先からバックで入ると、既に作業中のボランティアさんたちが「待ってました!」とばかりに 水に浸かった家具などを一斉に積み込みます。

 

 

一期一会(いちごいちえ)のボランティアスタッフ、それでもみんなで力を合わせて作業に臨むと、被災ゴミで埋まっていた庭先も、今までどおりのスペースに回復してくれました。

 

この作業の繰り返しが、被災者の生活を日常に取り戻す一助になってゆくのです。

 

 

大町エリアの住宅地の積みっ放しの被災ゴミは「大町信号」そばの空き地に再集約されます。

 

泥をかぶった被災ゴミ、そこにあいにくのにわか雨も降ってきて、私も含めてスタッフ一同は 泥ドロのぐちゃぐちゃ。でも そんなことに構っちゃあいられません。

見知らぬ者同士が力を合わせて、黙々と荷台から被災ゴミを下ろし、この日のミッションをこなしてゆきました。

 

やがて雨足が強くなり、残念ながら中止の号令。予定を1時間ほど早く切り上げ、参加者はサテライトへと戻ってゆきました。

本当に おつかれさまでした。

 

悪天候に見舞われながらも 作業に従事されたボランティアさんたち、シャトルバスに乗り込み 帰途に就かれます。

 

社協のスタッフさんも「ありがとうございました!」と手を振ってお見送り。

 

また 機会をみつけ、参加してくださることを 私の立場からも期待いたすところです。

 

 

 

ところで 宅地から移動した被災ゴミは、この後「ONE・NAGANO」の心強いかけ声の下、一斉撤去していただいています。

 

自衛隊による深夜の撤去作業が行なわれているのです。

我々が小路から搬出した被災ゴミは、大型車両が出入りできるスペースに移され、それを自衛隊の大型トラックが 交通などに支障の出にくい深夜に一斉出動して被災エリアから完全に無くしてくれます。

時刻は とうに10時を回っていますが、私たちが被災ゴミを移動した場所には 煌々(こうこう)と明かりが灯っていました。

 

自衛隊の、それはでっかいトラックが現場に横づけされ、野積みされた被災ゴミを次々に積み込んでゆきます。

 

大型の破砕機が、被災ゴミをガバッとつまみ上げ、でっかいトラックの荷台へ。

 

一台が出れば また一台、もう一台と、よく訓練された車列が 次々と置き場に進入してきます。実に迫力ある光景です。

 

到着したトラック、助手席から補助隊員が飛び降りて「オーライ、オーライ!」隊員の身長に比しても、トラックのでっかさがお判りと思います。

 

積み荷を満載にしたトラックは、直ちに出発。素早いことこのうえない車両のハンドルさばきです。

 

信号待ちする車両の姿は、まるで大きなゾウのよう。

 

頼もしい限りです。

 

「陰(かげ)の力」そのままに、自衛隊の方々は、私たちが知らない間に 厳しい任務を まさに黙々と果たしてくれています。

 

顧(かえり)みれば1998年、長野冬季五輪大会の折にも スキー場への雪の搬送、またモーグル会場などのコース造りに、やはり自衛隊員の方々は、やはり深夜に作業に臨み、選手たちの晴れ舞台を 人知れず整備してくれたことが逸話として語り継がれています。

 

そんな「陰(かげ)の功労」に思いをいたし、日中 居並ぶカーキ色の車列に感謝の意を表するところです。

 

 

 

みんなの力が、みんなの思いが「ONE・NAGANO」のマインドを共有し、復旧の足どりを 前へと進めています。

 

 


「家」

2019-10-27 | 日記

10/26 Sat.

 

先週末、猛烈な勢いをもって列島を通過した台風19号は、千曲川沿線で平穏な生活を送っていた方々の住まいをも奪い 去ってゆきました。

多くの世帯が水に浸かり、また堤防が決壊した市内穂保や津野地区などが住居そのものが破壊されるなど 甚大な被害を受けるに至ってしまっています。

 

 

そんな方々は、万やむを得ず「避難所」に身を寄せることになり、今も不自由な生活を余儀なくされています。

避難所運営については、当初は行政(市)により開設がされ、現在は社会福祉協議会や各種の任意団体などのボランティア支援を受け、災害発生当初に比べて格段に その住環境は充実してきました。

災害発生!の声を聞き、ときに関係者のネットワークを通じて、ときに自発的な姿勢をもって被災地に集結、被災者の心情に寄り添って運営に当たられるみなさんには 本当に敬意と感謝を申し上げるところです。

 

避難所は、被災者にとっての「家」なのです。

ある日 ある夜、唐突に住み慣れた自宅を追われ、慣れない避難所暮らしを余儀なくされた。そのストレスは いかばかりかと拝察するところです。

受け入れる行政側も、当初は「とりあえずの毛布一枚」であったものが、さまざまな方面から支援の手が差し伸べられ 環境整備に努めることができるようになりました。

堤防決壊や、町ごと浸水した被災者を受け入れる「北部レクレーションパーク」当初は固い床にブルーシートと毛布だけであったのが、被災から10日余が経ち、ずいぶん「家」らしくなってきました。

 

館内は 簡易なれど仕切りやテントが設置され、家族ごとのプライバシーが守られるようになっています。

 

仕切りの中には〝簡易リビングルーム〟が設(しつら)えられ、つかの間の団らんスペースも確保されていました。

 

従前は、床での雑魚寝を強いられていたところですが、支援企業さんからエアーベッドが届けられ 環境が大きく改善されました。

 

感謝の念、今も新たなるところです。

 

その後、各避難所には多くの「段ボールベッド」が搬入され、床から一段高い状態、より快適かつ衛生的な環境で過ごせるようになっています。

 

 

ある「家」には、ワンの姿も。

 

 

おそらく〝ご近所さん〟のご理解を得ての〝同居〟でしょう。

避難所の中で 互いに理解し合うコミュニティーが醸成されていることを感じさせてくれました。

 

長野市民の「優しさ」の現れです。

 

 

 

一方、こちらは被災地エリアにある 公民館を活用した〝ムラの小さな避難所〟行政的には「自主避難所」に位置づけられています。

 

こちらは まさに「家」そのもの。少人数(20名未満)の被災者の方々が身を寄せ、区長さんを中心に運営されています。

 

ムラに近く、カオの見える運営がなされる一方、自主避難所ゆえに行政の手が届きにくい面があり、区長さんはじめ地区役員さんの責任と負担が非常に大きくなっています。

伺えば、既に来所した市議の橋渡しにより 行政支援の手が厚くなったとのこと。グッジョブ!誰がやっても構わない、あらゆる立場の者が人智を尽くして環境改善を図る、まさに「ワン・チーム」で非常時に臨むべきと思うところです。

 

その 橋渡しの功(こう)でしょう、この「小さな避難所」にも保健師さんらが訪れ、被災者の方の健康カウンセリングを行なっておられました。

 

相談員の一人は 富山県からの派遣職員。遠く越境しての支援に感謝です。

 

 

被災者にとっての「家」でもある避難所は、みなさんが居られる間は、硬軟あいまっての環境の維持向上が求められるところです。

これからの心配は、やはり 感染症。特に これからは「インフルエンザ」が大敵となることでしょう。

保健師さんの衛生指導を軸に、自宅の清掃などに疲れた身体に 慣れない避難生活が重なれば、往々にして罹患することが予想(懸念)されるところです。

これ以上、心身共にのストレスを抱え込まないよう ご留意されることを願うばかりです。

 

 

ところで、災害の度に その存在意義が大きく高く評価されるのが「自衛隊」の存在です。

今回の台風19号においても、早朝の堤防決壊という〝不意打ち〟を食らい、2階や屋根に逃げるしかなかった住民を空から救出してくれたり、

 

多くの泥や被災ゴミの搬出に力を発揮してくれ、ここ長野エリアの被災地においても、自衛隊無くして災害救援・災害復旧ナシ、と言っても過言では無い まさに大車輪の活躍をいただいております。

 

そして かかる自衛隊諸員諸氏は、前述の〝ハード面〟だけでなく、まさに被災者の心に副(そ)った「温かい支援活動」も行なってくださっているのです。

 

私が「北部レクレーションパーク」に足を運んだ際、屋内から 何やら楽し気な音楽が流れているのが耳に入りました。

中に入ってみると、そこでは「コンサート」が開かれているではありませんか。

 

で、舞台?に立つ〝バンド〟は、何と 迷彩服を着た自衛隊員さんたちです。

 

自衛隊の音楽隊なのか、楽器演奏に心得のある有志なのかは知る由もありませんが、いずれにしても 彼らは巧みに楽器を操り 玄人はだしの歌を披露し、避難所で悶々と暮らすみなさんの心を和ませる役割をも果たしてくれていたのでした。

興が乗ったバンドメンバーは、ヒット曲「U・S・A」を演奏、客席?の子どもらを誘って一緒にダンス、普段静かな避難所は 大いに盛り上がっていたのでした。

 

一方、こちらは〝おゆうぎスペース〟

 

その一隅で、幼児たちが 迷彩服のお兄さんと折り紙に興じています。

 

一見 無骨に映る自衛隊員さんが見せる優しい〝パパの表情〟は、心温まるワンシーンだったのでした。

 

一方、戸外には 知る人ぞ知る「自衛隊風呂」が設営されていました。

 

読者のみなさん、自衛隊の仮設風呂と侮(あなど)るなかれ、中は、めっちゃ本格的なのです。

 

「東之湯」の暖簾(のれん)をくぐると、中は 広々とした脱衣場。

 

ベンチに脱衣カゴ、高齢者用の介護椅子も完備です。

傍らには、扇風機とストーブも。

 

浴室内は、広々とした浴槽が。

 

何と、シャワーも完備です。

 

 

仮設風呂を管理する隊員さん「被災者にとって〝風呂〟は、身体を洗うだけではなく、被災で塞(ふさ)ぎかちになる心をもリフレッシュしてくれる効果があります。われわれが常駐している間は、精一杯 温かなお湯を供給させていただきます。」と 笑顔で、そして力強く話してくださいました。

 

その間にも 給水車が帰還、今夜の〝バスタイム〟に備えて余念なしの体制となっていました。

 

第103補給大隊の活動に 感謝です。

 

 

避難所運営は、さまざまな課題を内包しつつ、そのうえで、さまざまな方々のご厚情をもって日々を運営されています。

ただ、時間経過と共に、かかる「家(避難所)」の統合などの経過後措置はやむを得ない面があることから、取りも直さず 一日も早く 被災者の方々が市営住宅などに住めるよう努めることが欠かせないところであり、私も含めて 関係者が心を砕いてゆくべきと自覚を新たにいたすところです。

 

 

避難所の一隅に、一枚の〝応援タオル〟が掲げられていました。

 

 

共々に、がんばろう!

 

 


時間は経てども

2019-10-26 | 日記

10/25 Fri.

 

台風や豪雨などの大きな自然災害に 列島全体が打ちひしがれる中、自然災害の猛威と それに翻弄される人、そして 長い時間が経っても「終わっていない」ことを実感させられるようなニュースが伝えられ、心を揺さぶられる思いをいたしました。

 

報道によると、宮城県警が8日、同県沿岸で操業中の漁船の魚網に人骨があるのが見つかり、それが8年前の東日本大震災で行方不明となっていた 付近に住んでいた女性のものと判明したと発表し、両親に遺骨を引き渡すことができたとのことです。

この女性は、沿岸にあるアルバイト先で津波に遭い行方不明となっており、その後の懸命な捜査活動にもかかわらず発見されないままでいましたが、この度 なかば偶然のうちに発見され、8年越しに両親の下に戻ることができたものです。

骨箱を受け取り、父親は「生身の娘が帰ってきたようにうれしい。」と穏やかな表情を見せたとのこと。母親は「こんなに軽くなってしまったけど、やっと帰ってきてくれてうれしい。」と涙を流し「まだ見つかっていない遺族の方々には、どうか諦めないでほしいと声を掛けたい」と話したことが伝えられていました。

 

このニュースを、私は被災地支援に向かう車中のカーラジオで耳にし、涙が止まりませんでした。幸い信号待ちの最中で 事なきを得ましたが。

突然の大きな自然災害。それにより最愛の家族を失い、その骸(むくろ)にさえ接することができなくなってしまった現実。無情に過ぎてゆく時間。

 

私たちが いったい何をしたというのか。

自然災害は、ときに何の前触れもなく私たちの元(もと)にやってきて、断りもなく社会生活を壊し 去ってゆきます。被害を受けた方々に何の非も無いのに。

そして、時間だけは容赦なく過ぎてゆく。

 

東日本大震災から8年が経過してもなお見つからないまな娘。そして、最愛の娘を奪われた このご家族にとっては、あの大震災は まだ終わってなかったことを実感させられました。

そして なお、ご親族の行方が判らない方々が居られ、その方々にとっても東日本大震災は、まだ終わっていないのです。

 

 

台風19号の被害が発生してから10日余が経過しました。

被災地では 未だに災害の爪あとが残る中、避難生活を余儀なくされる方々が数多くおられ、また家屋などに実害を受けた方々は、これから予定外の経済的・物理的損失を担いながら 元の生活に戻るべく苦労を強いられることになってしまいました。

台風が去ったからヨシ、土砂が除去されたからヨシ、家 建物が復旧されたからヨシ、では済まないのです。

 

(従前にも触れましたが)例えば、北部工業団地の会社経営者の方は、これからの会社の建て直しや事業の再開について 大きな不安を口(くち)にしておられました。

 

建屋が浸水被害に遭ってしまったのですが、その建屋以上に深刻なのが、常時在庫しながら 順次出荷される「製品」の被害です。製品の殆どが泥水につかってしまい、出荷されないまま 廃棄を余儀なくされてしまったのです。

 

売り上げの元手(もとで)であった在庫製品を失ってしまい、再び会社を操業させるには ゼロから製造しなければならず、そこには 新たなコストがのしかかってくることになります。

 

 

被災企業の再生については、国の「経営安定資金」などの支援制度があるものの、いずれにしても〝新たな借金〟であることに変わりはなく、今までの運転資金の返済や設備投資の経費に加え、第二第三の借財を背負っての再スタートは、厳しい(苦しい)としか言いようがないと話しておられました。

 

 

かかる経営者の方は「人命が脅かされたワケではないので、それに比べれば何だ、と言われてしまうのかもしれませんが、ウチも命を賭けて稼業を営んでいるので、たかが水害で、などと済ますことはできないんです。

「水は引いたけれど、台風被害は 全然終わっていない。ウチにとっては むしろ、これからが〝災害の始まり〟です。」

 

さまざまな社会環境で災害に遭い、それを完結できないなな時間経過を余儀なくされる方が居る。

 

「無情」を感じざるを得ません。

 

 

 


「今後」に向けた提案

2019-10-25 | 日記

10/24 Thu.

各地に大きな被害を及ぼした 台風19号が列島を通過して10日が経過しました。未だに不順な天候が続き、予断を許さない状況です。

被災後には復旧作業に着手がされ、市内外から多くのボランティアが被災地に集結され、泥や被災ゴミの搬出に まさに「人海戦術」で力強い支援を行なっていただいております。

他の自治体においても、例えば兵庫県はボランティアの支援先を長野県と定め、その参加者に旅費の補助を行なうこととするなど「後押し」の報道も聞かれ、信州人として感謝に堪えないところです。

行政においても、被災者の方々が 今後の住宅再建などに欠かせない「罹災証明」を取得の申請をするための受付け業務をスタートさせ、一歩づつではありますが、復旧のため それぞれの立場で、再び立ち上がるところです。

 

 

私は、堤防が決壊した 穂保地区ならびに津野地区の現状=惨状を目にし、言葉を失いました。

現場を目にし、かつて東日本大震災の被災地を視認したときと同じ衝撃が心を駆け抜け「これは まるで津波被害だ。」と実感させられました。

 

そのうえで、この場では 2つの提案をさせていただきます。

 

◇被災地の位置づけと、官・民での取り組み

被災地の方々は、社会基盤の全てが流され、土砂に埋まり、多くのものを失ってしまいました。何の落ち度も無いのに。

 

私は、罹災証明などを通じて 個々の世帯の支援を個々に行なうと同時に、この、集落まるごと被害に遭った地区(穂保・津野地区)に関しては、復旧について 個々の自助努力に任せるのではなく、行政が仲立ちとなって、あくまで個々の意向を尊重しつつも、地区全体として 今後どのように再建してゆくのかを 官・民で考えてゆくべきではないかと強く感じています。

 

先日 被災したご自宅も含めて現地を案内してくれた 津野区在住のMさんに伺うと「みんな迷っている。」とのことでした。

先祖代々が暮らし、愛着のある生まれ在所。そこが大きく被災してしまった。そのまま住み続けてゆきたいけれど、あんな危険な思いをした場所に暮らすのは不安で仕方がない・・・。

 

これからの生活基盤をどこに置くべきか、地区のみんなが迷っておられるのです。

 

 

 

私は、今回 家屋の流出など甚大な被害を受けた穂保・津野地区を「長野市版災害特区」に位置づけ、個々の支援に併せて「個々の意向を踏まえた、地区としての今後」をみんなで考えるために 早急に「意向をお聞きする地区会議」を開き、そのうえで、個々の意向を踏まえたうえで、被災エリアを面的に再整備する手立てを講ずるべきと考えます。

そのためには、先ずは被災地に流入した大量のがれき混じりの土砂を除去する。被災住宅については、さきの西日本豪雨の際に倉敷市などで適用された「公費解体」の手法を用いて(あくまで家主の合意の下)解体し、被災地全体を 行政の責任において 一旦、更地化(さらちか)する。

そのうえで、今後 住むor住まないの意向を踏まえ、継続して住まわれる方はご自身の土地を活用していただき、移転希望者の方については 残地を買い上げるなどして公園などとして整備し、いずれにしてもエリア全体の面的整備を行なう。

それらの作業を経て、初めて「被災地の今後」が始まるのではないかと考えます。

 

今回の堤防決壊は「官製人災」の要素も含んでいると思います。

長野市においては「1000年に1回の(大きな)災害」を踏まえた防災ハザードマップを作成しましたが、県・国における 堤防整備などの認識は「100年に1回の災害」の認識に止まっていると聞き及んでいます。

さらに、当地における千曲川氾濫の〝悪しき元凶〟とされている「立ヶ花橋付近の狭窄部(狭い部分)」の改修に手を付けることなく時間ばかりを許し、結果、堤防決壊の呼び水となってしまいました。

 

 

今、被災地の方々は 耐え難きを耐えているのです。

今後、被災者の誰かが、被災の原因は堤防の決壊にあり!その管理責任と河川改修の業務怠慢の責任を取れ!と行政側に詰め寄ったら、彼らは どのような言い訳をするのでしょう。

 

被災直後から10日が経過し、被災地は直後の混乱に比べると、いくらか落ち着きを取り戻してきたように見えます。

しかし、で あるからこそ、これからが難題なのです。

土石流から逃れ、住居の泥や被災ゴミの搬出に必死になって取り組むうちは、そのことだけに気を取られていました。

しかし、それらの作業がひと段落した瞬間から「これから どうしたらイイのだろう。」との現実的な問題に向き合わなければならなくなるのです。

被災地の方々は これからこそが、言いようのない不安に苛まれながら 不安な夜を過ごすことになるのです。

 

これから 行政が、どのように被災者に寄り添うことができるか。

未曾有の水害とは申せ、行政が管理責任を負いながら整備していた堤防が決壊した。その事実を認識しながら、でき得る限りの支援を行なってゆくことが 残された責務ではないでしょうか。

 

堤防決壊から10日が経過した今、行政がすべきこと。

改めて被災地に足を運び、現状を再視認し、被災者の方々の生(なま)の声を聞く。 そのうえで「長野市版災害特区(穂保・津野地区)」の方々のご意向を伺う機会を設け、行政としての今後の見通しを伝え、個々の、そして地区としての判断を仰ぐ。そして そのうえで、地区全体の(住民各位の意向に副(そ)った)適切な再整備を行なう。

 

被災地となってしまった地区で、それまで普通に社会生活を営んでいた方々の、大きく変えられてしまった これからの人生をどう支えるのか。

 

行政手腕が問われています。

 

 

◇被災者住宅の斡旋・紹介に「市内の中古住宅の紹介」を加える

現在、住宅が罹災し 住む家を失った方、復旧・修繕に長い期間を要する方を対象に、公営住宅を提供するべく 斡旋・紹介業務が始まっています。

        ↓

  (長野市ホームページ)

https://www.city.nagano.nagano.jp/soshiki/jutaku/440123.html

 

  (長野県ホームページ)

https://www.pref.nagano.lg.jp/jutaku/happyou/191022press.html

 

この措置は、一日も早く避難生活から脱却し、とりあえず日常生活を取り戻してもらうために、新たに仮設住宅を建てる時間的ロス無く「住まい」を提供するという点で 非常に合理的と申せ、一軒でも多くの物件を準備し 非被災者の方々に宛(あて)がっていただきたいと期待を寄せるところです。

一方で、この公営住宅の提供には「時限」があることが〝難〟とも申せます。居住可能期間は最長で1年、その間に 入居者(被災者)の方々は、個別に終の棲家を探さなければなりません。

で、あるとするならば、です。

最初から「永住できる物件」を斡旋・紹介することも必要ではないでしょうか。

その紹介メニューに「長野市内の中古住宅」を加えることを提案するところです。

 

9月22日の記事でも触れましたが、現在 長野市においても「空き家」は増加傾向にあり、平成25年度の調査で、住宅総数17万1,870戸のうち 空き家は2万4,980戸で、空き家率は14,5%に上っており、全国平均(13,5%)を上回っています。

今回の災害に際しては、その状況を逆手に取り、市内にあまたある空き家=中古住宅を、被災者への紹介メニューに加えてはどうか、というものです。

被災者の方の中には「どうせ1年で退去しなければならないなら、最初のうちから永住物件を探し、条件が合えばそこで再出発したい。」という方も居られるのではないかと思います。

但し、個別の物件を行政が直接斡旋することはできないことから、仲立ちに「長野県宅地建物取引業協会」などの第三者機関を置き、それらが適切に物件の紹介役を担えば、不要の問題なく被災者の選択肢を増やす役割を果たすことができるのではないかと考えるところです。

 

実は先日、この考えを温めていたところ 私の通う理髪店のKサンから同様の〝提案〟があり、意を同じうしたところです。

「なクラちゃん、ウチのムラには何軒か「空き家」ができちゃってるんだけど、あれを遊ばせることなく 被災者の方に住んでもらえばイイんじゃねーの?被災者の方は(新築より)安く家が買えて、ムラでは空き家が解消されて人口が増える。これって一石二鳥だよね。」と話してくださり、大いに賛同したものでした。

 

被災者の方々にとっての今後の住まいは、欠かせない要件であり、同時に大きな負担を強いる案件でもあります。であるからこそ、行政として、あらゆるメニューを提示し 選択肢の幅を広げて差し上げること、これも大切な「行政サービス」と申せます。

 

これからも常に 様々に思いを巡らせながら。

 

 


内水氾濫

2019-10-24 | 日記

10/23 Wed.

 

列島に大きな被害を及ぼした台風19号が通過後、22日に 再びまとまった雨が降ったことから、長野市内における千曲川下流域においては、本流(千曲川)に流れ込む「浅川」からの水門(浅川樋門)を閉じ、それによって発生する「内水氾濫」を防ぐために「浅川第2排水機場」を稼働させ、同時に流域住民に再び避難勧告を発令したと報じられました。結果は 大過なく推移したことが併せて報じられ、安堵を共有しました。

 

しかし、今回の台風災害においては、堤防決壊や越水などの本流がもたらした水害と同時に、この「内水氾濫」が、 いわば〝鬼門〟になっていると実感させられます。

 

この日、被災地支援のため北部エリアに足を運んだ際 豊野の現地を視認しました。

昨夜 本流(千曲川)の水位上昇に伴い閉じられた「浅川樋門」、二つの弁が設置されています。

 

 

 

これらが閉じられることで 本流(千曲川)への余分な水の流入と 本流からの逆流を防(ふせ)ぎ、より大きな氾濫を抑止することになっています。実際、その(閉門の)おかげで昨夜は大過なきを得ました。

 

雨も止み 快晴となった翌日、水門から先は 穏やかさを維持していました。

 

 

一方の「浅川」この日は本流と同様、穏やかな流れとなっていますが、ひとたび水門が閉じられれば、当然ながら 行き場を失った水は「内水」となり、上流から限りなく流れ来るまま、この樋門付近に溜まることとなります。

 

 

そこで機能するのが「排水機(場)」です。

 

 

 

本流の溢水を防ぐため浅川の流れを遮断した後、内水の水位を見ながら、堤防内部に氾濫が起きないように排水機を稼働させ、内水を適度に本流に移してくれるものです。

機場には国交省の作業車(ポンプ車)がありました。排水が間に合わないことを想定し 必要に応じてポンプアップ(排水補助)を行なったものです。

 

 

 

 

・・・・・・。

昨晩については、前述のとおり 一連の流れ(本流増水~樋門閉鎖~内水上昇~排水機稼働~内水被害予防)が機能したところですが、今回の台風19号においては、そのシステムが機能せず(または機能し切れず)、多くの地点で「内水氾濫」が起きてしまう事態になってしまっています。

 

例えば篠ノ井御弊川。

ここは排水機はありません(それが そもそも問題なのです)が、横田水門を閉じたことで そこに流入する岡田川の水が堆積して逆流、岡田川流域の住宅などに浸水被害を及ぼしてしまいました。

(当時 内水被害を及ぼした岡田川下流部分)

(画像奥(岡田川方向)から浸水)

 

御弊川のみなさんは、本流(千曲川)から越水が来るかも、と 前(本流方向)を注視し 身構えていたら、あろうことか 後ろ(岡田川)の方が氾濫し、水は〝背中〟から押し寄せてきて浸水被害に遭ってしまったのです。

 

一方、同じ篠ノ井の小森エリア。

ちらには「小森第一排水機場」があり、今回もフル稼働していました。

 

しかし、稼働中に 上流から多くの異物(葦/ヨシ)などが吸水口に漂着するなどして吸水がうまくゆかずトラブっているうちに 本流(千曲川)の流量が異常に増えて水位が逆転、やがて この排水機場そのものが浸水してしまい機能不全に陥り、結果、当エリアへの浸水を許すことになってしまったのでした。

 

 

松代エリアにおいては、水害の多発箇所である温泉団地が やはり排水機能が追いつかず、やがて排水機事態も不調となって冠水を招くことに。

 

また、松代西寺尾地区をはじめ 多くの町内の低地では、町内を流れる 本流(千曲川)の枝川である神田川や蛭川の内水氾濫により 多くの家屋などが水に浸かってしまいました。

(画面中央が神田川、右が西寺尾集落)

(普段は穏やかな神田川)

 

 

今回の内水氾濫の〝元凶〟は、本流たる千曲川の「異常なほどの水位上昇」に他なりません。

本流の水位が上がるから水門を閉じる。でも 排水機を機能させようとしても、本流の水位が限界以上に上がってしまったので 機械による排水ができない。結果、浸水被害。

 

松代地区に在住し、気象に詳しい識者は 私に対し「地球規模の気候変動に伴い 台風の進路が、今までは太平洋上に逸(そ)れていたカーブが北寄りになり、つまりは 何回かの台風は列島を縦断するようになる。これまで〝今までに無い〟と言われてきた大きな台風が、毎年に亘って襲来するようになってくるだろう。」と〝予言〟しておられました。

 

こんな大被害を、たびたび受けるようでは たまったものではありません。

しかしながら、本来 河川から 住民の社会安全を守ってくれるハズの排水機が、その役割を発揮し切れないままに被害を招いてしまったことは大きな問題であり、その設置主体である行政当局においては、よくいう〝想定外〟で済ませてはなりません。

この対策については、抜本的には国レベルで行なうべきものであるところですが、せめて我々とすれば、今回 次々に発生した水害について、時系列に基づき、どのくらいの時間でどの範囲に、どのくらいの規模の被害が及ぼされたかを分析・検証し、そのうえで〝実力〟を発揮し切れなかった排水機の再整備や、水門閉鎖のタイミング、または枝川の容量増加のための浚渫(しゅんせつ/川ざらい)など、今回の災害を轍(てつ)とし「できること」を確実に行なってゆくべきと 思いをいたしたところです。

 

 

浅川樋門から目を転じると、久しぶりの青空が広がっています。しかしその下(もと)には、累々と 上流から運ばれた土砂が堆積していました。

 

変わりゆく気象、その猛威との戦いは「これから」です。

 

 

 

 

 


現状/惨状

2019-10-23 | 日記

10/22 Tue.

 

過日、公私共にお世話になっている 市内「津野」地区、今回の台風19号により千曲川堤防決壊地点の直下にお住まいのMさんに乞われ、現地に足を運びました。

 

Mさんの自宅は 長沼支所の西側、決壊箇所から数百メートルの 津野集落の中程にあります。

Mさんは 私を呼び出す際「クラちゃん、現場はひどいことになってる。で、ぜひ来てくれ。来て 見てくれ。それで(長野市民の)みんなに伝えてくれ。現場はひどいことになってる。それを、同じ長野市民として(被災地以外のみなさんにも)実感してもらいたいんだ。ムラの厳しい様子を見て、写して、感じて、それをみんなに伝えてくれ。ウチの内部も撮って、みんなに伝えてくれ。現場はひどいことになってるって。」と切実に話されていました。

 

 

私も幾度となく伺った Mさんちの居間です。

 

ここの掛け軸を前に、お茶をいただいたこともありました。

 

宅内の Mさんの仕事部屋。

 

コピー機の はるか上に、水の最高到達点がクッキリと残っていました。

 

庭には、流れ下った 大量の土砂が堆積しています。

 

自宅に停めてあった 軽トラが流されてしまったとのこと。どこへ と訊けば、自宅の数十メートル(土石流の)下流に引っかかっていました。

 

 

 

 

お向かいのお宅の前には、大きな水たまりが。

 

「ここには土蔵が建っていたんだ。で、今は こんな(状態)だ。」

言われて見れば、水たまりの隣りに 大きな屋根だけが残っていました。

 

ご自宅のの裏へと回れば、東の方に築堤が見えます。千曲川の水は、あそこからこちらに向けて 流れ下ったのです。

 

Mさん宅のそばに、建築間もない風の一軒の家が。

 

 

 

「あの家は、そこに建てたんじゃない。あそこは 道路だ。建ってたとこは、あそこ。」と、はるか(決壊の)上流を指さします(下記画像 右上部の白い塀の家の隣り地点)

 

それが、家ごと数百メートルも流されてしまったそうです(画面 右上部)。

家を一軒、あれだけの距離を動かしてしまう。水の勢いのすざまじさを物語っていました。

 

 

土石流の〝通り道〟の家屋は、ほぼ全壊。基礎を残すに止めてしまっています。

 

直撃を免れた家屋も、Mさん宅のように 1階部分を泥流が突き抜けていきました。

 

道路には 押し流された車両が。

 

路傍の電柱。ヨク見れば「根っこ」は そのまま。

折れて倒れたのではない、水の勢いで「抜けて折れた」のです。

 

 

 

後に残ったのは、膨大な土砂、それも石が混じって やっかいな状態になった土石と泥です。

 

 

前日にも触れましたが、これは 単なる豪雨災害ではない。

東日本大震災の津波被害に相当する 激甚災害です。

当面の〝敵〟は、大量の泥と土砂です。これを除去しないことには、次の段階には進めないでしょう。

現在、多くのボランティアの方々にも手伝っていただきながら、宅内の泥の除去が進められており、排出された泥については 市の方(ほう)で回収するようになったところですが、問題は Mさん宅の庭に堆積したような、排出し切れないレベルの土砂をどうするか、桁(けた)の違う量の土砂も、どうにかして片つけなければなりません。

 

また(これも前日に触れましたが)私は、かかる決壊直下のエリアについては、国の指導の下、東日本大震災を先例とした「復興まちづくり」などの手法により 地区全体を抜本的に整備する方向で進めるべきではないかと思うところです。

このまま 自助の原則で てんでに復旧してくれというのでは、ちぐはくな復旧、(復旧が)進む世帯と そうでない世帯のばらつきも出て、集落の体(てい)を成さない結果になってしまうことを 非常に危惧するところです。

 

Mさんは、ときに表情に悔しさをにじませながら「国の言う〝激甚災害指定〟って、おれら市民には どれだけの支援が届くんだ。堤防によって守られていたハズの生活が、その堤防によって ぶち壊されてしまった。でも オレらは、それでもこのムラで暮らしてゆきたい。

これからの 血の通った行政に期待するしかない。」と。

 

これからも、私なりに情報収集するなどして せめて寄り添ってゆくことを伝えさせていただきました。

 

Mさんとは 今後も情報交換を重ね、少しでもお役に立てるよう 努めてまいる所存です。

 

 

 

 

長野市においても 試行錯誤のうちに様々な被災者支援策が講じられており、取りも敢えず 被災者住宅として「市営住宅」の一部が供されるようになりました(入居対象に優先順位アリ)。

ただ、物件数は あまりに少ない。空きは多いものの 耐震性やら居住性やらで 限りがあるようです。

いずれにしても、新たに土地を選んで仮設住宅を建てるよりは現実的であろうことから、さらなる開戸増加を 私の方からも求めてまいりたいと思います。

(詳細/長野市ホームページ)

     ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/soshiki/jutaku/440123.html

 

 

 

 

 


ことの真偽(真意)は

2019-10-22 | 日記

一部報道で「台風19号の豪雨で堤防が決壊した千曲川について、長野市は国から決壊の情報を受けていたにもかかわらず、地域の住民に周知していなかったことが分かりました。市は「重要な情報を伝えられず、市民に申し訳なく、原因を調査したい。」としています。」と報じられ、私の立場で困惑を極めています。

 

国土交通省によると、千曲川の堤防は今月13日の午前4時頃に決壊していたとみられ、午前5時半、職員が現地で決壊を確認し、午前6時に発表しています。

この情報は長野市にも提供されていましたが、市は住民に周知せず、防災無線やエリアメールなどで「決壊のおそれがある」という古い情報を発信し続けたということです。

堤防が決壊した長野市穂保やその周辺地域には前日の12日午後11時40分に「避難指示」が出されていて、多くの住民が避難所で夜を明かしたということですが、決壊の情報が市から周知されることはなく、夜が明け、雨も止んだことから自宅に戻る人も居られ、決壊を知らずに帰宅した人の中にはその後、浸水被害を受け2階に取り残されるケースもあったということです。

長野市は当時、各地から被害情報などが報告され対応に追われていたということで、「重要な決壊情報を市民に伝えられなかったことは事実で申し訳なく思う。今後、原因を調査したい」とコメントしているとのことです。

 

私は 報道を耳にする中で、一連の情報伝達の課程に 何らかの「行き違い」があったのではないかと感じると同時に、この報道が放つ印象が、あたかも長野市が情報を放置した、または隠蔽(いんぺい)したと解釈されることに 強い危惧を抱くところです。

私が思うに、今回のような(結界の恐れのある)事態の中で、市がそれ(決壊)を、いわゆる戦時下の大本営発表みたく「わが損害軽微なり」などと言う必要はまるで無いハズであり、市が意図的に決壊の情報を遅らせる理由が見当たらないのです。


この報道に対しては、正確な状況把握が必要と思います。

堤防が決壊した国交省職員が 長野市へどのような形で決壊を連絡したのか、正式な伝達ルートで いわゆる危機感をもって伝えたのか、そのうえで 片やの長野市職員は、どのような形で情報を受け、どのような形で関係方面に情報をつないだのか。

 

いずれにしても 堤防決壊は現前とした事実であり、刻々と変わる状況の中でことの推移についてタイムリーに市民に伝えることは行政の責務です。

それ(情報)が、行政単位(国・県・市)や 所管省庁など いわゆる「縦割り」の垣根を越えた中で適切に伝えられるべきことは論を待たないところですが、今回のケースは一体どのような状況だったのでしょうか。

 

 

私が最も心配するのは、今回の件で、市民 とりわけ被災者の方々の心の中に、市に対する「行政不信」が芽生えないだろうか、という点です。

 

今後の復旧・復興は、市民の自助努力だけでは難しくあり、一方で 行政主導で力づくだけで進めるべきでもありません。

そこには 究極の「官・民の協力と連携」が求められるところであり、そのために最も必要とされるのが「信頼関係」ではないかと強く認識するところです。

 

今回の件について 専門家は「堤防の決壊情報は速やかに発信されるべきで市の対応に問題はあるが、『避難指示』や『決壊のおそれ』など警戒を呼びかける情報はすでに出されていて、住民側も慎重に行動すべきだった。河川の情報を住民にどのように周知するのか自治体だけでなく国も含めた仕組み作りが求められ、行政と住民、双方が検証し今後の教訓とする必要がある。」と話していることが 併せて報じられています。

 

 

 

長野市においては くどくどと言い訳をせず、事実を事実と認め 直ちに謝罪のコメントを出していますが、いずれにしても 今回の件について一連の事実関係を調査し、市民の方々から あらぬ行政不信を抱かれることの無いよう心を配るべきと強く思ったところです。

 

 

 

 


徒然

2019-10-22 | 日記

10/21 Mon.

 

この日は 市内の「津野」に在住する方に、被災地の現状を見にきてくれと乞われ 足を運びました。まさに決壊箇所の直下にある集落の厳しい状況を目の当たりにすることになりました。

このことについては、後日レポートします。

 

午後は登庁し 若干の用務をこなした後、K議長とつかの間懇談させていただきました。

K議長におかれては、就任早々に台風の大きな被害に直面し、そのうえで議会を代表しての活動、また あまた居る議員たちを御(ぎょ)してゆかなければならないことに その心労いかばかりかと敬意を表しました。

 

そのうえで、市政の両輪である議会においては、避難所の環境向上や被災住宅の支援などキメ細かい部分に目を配る一方で、被災地の今後など とりわけ大局的な面について考察し、行政(国・県・市)に向けて発信していただきたいと申し上げました。

 

被災地 とりわけ穂保や津野地区については、土砂の撤去など 住民の再スタートに向けた基本的な環境づくりについては、個々の自助努力に任せることは もはや困難であり、堤防決壊の影響を受けた被災地の更地化など 関係エリアの再整備は、行政が主体となって取り組まないと、非常にいびつな形での再建となることが危惧されるところです。

 

今回の台風による堤防決壊被害を さきの「東日本大震災」と同等の“未曾有の大災害”と捉え、それ(東日本大震災)を先例とした 国の直轄事業として「面的整備」を要望すべきと考えます。

 

また 今回、大きな水害を被った千曲川沿線の各箇所においては 堤防の再整備など抜本的な手立てを行なうべきであります。 

 

二度と同じ被害を招いてはならないのです。

 

 

さらに、リンゴを中心とした甚大な農業被害に対しての支援も、すでに検討する段階にあると申せます。このままの惨状を捨て置けば、長野市の農業は大きく衰退 イヤもしかしたら壊滅すると言わざるを得ないでしょう。

 

被災ゴミの処理も おそらく深刻な課題となることが予見されます。このことについては、同様に被災した他市町村の議会とも連携し、長野市議会がリーダーシップを取って広域的に考え、行政と連携しながら国の支援を引き出すことが肝要です。

 

また「被災者住宅」について、長野市においては新たな土地の確保が困難なことから、(あくまで被災者の方々の意向を踏まえたうえで)空きのある市営住宅を整備し入居していただくのが 早期かつ現実的ではないか。

 

長野市議会においては「長野市議会災害等対策連絡本部」を設置しており、会派(2名以上で構成)代表による情報交換などが行なわれているところですが、ときに行政の枠に囚(とら)われない視点で考察できる「強み」を活かし、ときにキメ細かく ときに大局に立って提案・実行してゆくよう申し上げさせていただきました。

 

個の差 程度の差こそあれ、被災者を思う心に変わりは無いと信じて。

 

 

 

 

そんな中「明るいニュース」も舞い込んでおり、それが被災地をはじめ私たち市民に「力」を与えてくれれば と思います。

 

☆被災の東北中吹奏楽部が栄誉 

今回の千曲川堤防決壊で床上浸水した東北中学校の吹奏楽部が19日、名古屋市で開かれた全日本吹奏楽コンクールに東海代表で出場し、みごと「銀賞」を受賞しました。一時は出場辞退も考えたそうですが、精いっぱい努力する姿で被災地を勇気づけたい との思いをもって出場を英断、みごとな成績を収め まさに被災地を励ますことができました。

大舞台の一週間前に同校は被災してしまいましたが、保護者らによると、演奏で着る制服を流された部員に卒業生が貸してくれたり、会場への持ち込みが難しくなったハープを愛知県の高校が貸してくれたりといった支援があったそうです。災害に負けず勇気をもって出場した生徒と、それを支える多くの方々のご厚情が作り出した「心のハーモニー」といったところでしょう。

 

そんな中、今回の「勇気ある出場」の陰(かげ)に、吹奏楽部顧問のA先生の〝危機管理行動〟があったと伝えられ、感心しきりでした。

と いうもの、台風襲来で「もしかしたら学校が浸水するかも」の情報を聞き及び、A先生は 生徒の安否と同時に、大切な楽器が水没することを憂慮したそうです。

 

生徒にいくらやる気があっても、楽器がダメになれば出場すらできない。

吹奏楽部顧問として危機を覚えたA先生、このまま楽器を同校に置き去りにすることに大きなリスクを覚え、取りあえず楽器の全てを 台風の影響を受けない別の中学校に保管を依頼したそうです。

結果、東北中学校は浸水したものの 楽器は無事。その後 試行錯誤の末に出場を決意するも「楽器がダメになったから出られない」というような事態は未然に防ぐことができたそうです。

 

これは〝危機管理行動〟の最たるものと高く評価されると思います。

そのうえで 大切なのが「自分の立場で、先ず、何を心配するか。そのために どんな発想をし 行動するか。」が重要ではないか。

このA先生は、吹奏楽部顧問の立場で 何より 3年間苦楽を共にした生徒たちの努力を無にしないためにも「楽器を守る」と発想し、それを行動に移して大過なきを得ました。

そして これは、おそらく他の先生では思いつかない発想だったでしょう(他の先生は先生で、自分の持ち分の中で 守るべきを守ったでしょうが)。

 

そのうえで私は、この〝ファインプレー〟を聞き及び、今回の台風の大きな被害の一つに挙げられている「新幹線車両浸水被害」これを未然に防ぐためにも、JRの新幹線担当の社員さんに この「吹奏楽部顧問の発想」が生まれなかったのが残念でならないところです。

ご案内のとおり、新幹線車両基地がある赤沼エリアは 長野市防災ハザードマップで〝最深部〟に該当していました。

 

したがって、万が一 域内に多くの雨が降ったり洪水の危険が及んだ場合には、この車両基地は 最も水害を警戒しなければならないところであり、そんな条件下において、現場を預かるJR社員に 東北中吹奏楽顧問に倣(なら)う「生徒(利用客)のために、先ずは楽器(車両)を守らなければ」の〝発想と行動力〟が生まれれば、車両を 取りあえず架橋の上に移動するなどの危機管理行動につながったのではないか、と悔やむところです。

 

 

いずれにしても この「先ず、何を守るか」の発想は、私たちの生活の中においても最重要視すべきことであり、今回の台風被害を契機に もう一度見つめ直す必要があると強く思うところです。

 

 

☆全国高校サッカー長野県予選/市立長野高がベスト8に進出!

長野市の「市立長野高」サッカー部が、2019大98回全国高校サッカー選手権大会長野県予選で 並み居る強豪を退け ベスト8に進出したことが報じられました。

 

今 長野市民は、台風被害に打ちひしがれています。そんな中 僅かでも光明があれば。

市立長野高サッカー部の躍進は、私たち長野市民に勇気を与えてくれます。

選手諸君に無用なプレッシャーを与えるつもりはありませんが、このうえはピッチ上で全力を尽くし、せめて厳しい状況に置かれる長野市を鼓舞してもらいたいと期待を寄せるところです。

 

 

☆日本ラグビーが大健闘!ラグビーに観る「補(おぎな)い合い」の精神

ラグビーワールドカップ日本大会で、日本チームがベスト8の大躍進を遂げ、その「ONE・TEAM」の試合姿勢が多くの共感を呼びました。

 

 

 

ラグビーが、他の競技に秀でて感動・共感を呼ぶのは「補(おぎな)い合い」の精神でしょう。

モールを組み 一丸となって押し合い、倒されても倒されても 後から後から他の選手が駆けつけてボールをつなぐ。

 

 

その 健気(けなげ)とも言える姿に観衆は胸を打たれ「ガンバレ!」の大声援を送るのです。

 

私はこの姿を、今回の台風災害に準(なぞら)えるところです。

誰かが窮地に陥っても 他の誰かが手を差し伸べ、補(おぎな)い合いながら前へと進む。

奇しくもラグビーW杯日本大会のさなかに発生した台風19号災害。

日本チームの躍進を糧に、私たちも「ONE・TEAM」で 前へと進んでゆきたいと思うのは、私だけではないでしょう。

 

 


一週間

2019-10-21 | 日記

10/20 Sun.

 

台風19号の被災者支援活動を 私なりに重ねています

支援活動に欠かせない「足」として、知人のUさんに軽トラックを「しばらくの間」として貸していただいているのですが、なかなか返却するに至りません。

 

被災ゴミの搬出が間に合っていないのです。

今回の台風被害は その殆どが「水害」であり、堤防からの越水、さらに今回 悪しき特徴となったのが、本流(千曲川)の水位の過剰上昇に伴い その枝川(しせん)の水が行き場を失い逆流に転じた結果、本流から離れていても水害に遭ってしまったケースが散見されるのです。

この〝逆流水害〟は、本流の水位が枝川の水位を上回ってしまうと如何ともし難い面はあるところですが、昨今の集中豪雨傾向に鑑み、改めて検証すべきと認識するところです。

 

この日は、午前中 公私共にお世話になっている松代西寺尾のGさん宅へ応援に駆けつけました。

 

そして こちらのGさん宅も、千曲川の枝川の「神田川」の逆流被害を受けたものだったのでした。

*画面右側の塀がGさん宅 画面中央が神田川、左が農地

*普段は渇水状態の神田川

 

Gさん宅は、母屋は辛うじて難を逃れたものの、生活の糧である農業の道具を保管している農機具小屋と 出荷のための作業小屋が浸水し、大きくは軽トラックやトラクターがパーになり、また さまざまな農機具の全てが水に浸かり、使えなくなってしまったとのことです。大切な道具や農地も水没してしまい「明日からどうやって食ってゆけばイイのか・・・。」と頭を抱えておられました。

今回の台風被害のうち「農業被害」もかなりの量、また かなりの類(たぐ)いに上ることが予想されます。

Gさんのような専業農家の場合、単なる農業支援だけではなく「生活支援」も念頭に 農家さんを支えてゆくことが求められることでしょう。

「激甚災害指定」の下で、どのような善後策が図られるのか 注視してまいります。

 

ところで Gさん宅には、何人かの壮年グループが汗を流しておられました。

 

伺えば、数年前に図らずも逝去されたご長男の かつての友人たちとのこと、

かつて深い親交のあったご長男の実家が被災したことを聞き、連絡を取り合って手伝いに馳せ参じたとのことでした。

「なんだか アイツが空の上からSOSを発信したような気がしてサ。」としみじみ話してくれた友人各位、仲間を失ってもなお その実家に心を寄せる「真の友情」に、感激した次第です。

 

共に汗を流すGさんも「息子が取り持ってくれた縁(えん)で、こうして困っているときに駆けつけてくれる。みんなに感謝だ。」と しみじみ。

「思いやり」の心 ここに在り。を間近で見せてもらった感でした。

 

その後 私の軽トラにも被災ゴミを積み込み、2台は満載のうちに指定投棄場所(青垣公園)に向かいました。

 

青垣公園は、減ることのない被災ゴミが次々に搬入されていました。

私は ここと豊野の指定投棄場所(東山運動場)に行って思ったのですが〝荷下ろし補助員〟が居る・居ないで、搬入車の流れが大きく違ってきます。

当然ながら 投棄補助員がいれば、下ろしの時間が早まり 全体の流れが速くなります。

 

この日は、長野県警察学校の生徒諸君が荷下ろし補助を担ってくれていました。

 

将来の警察行政を担う 有為な若者がテキパキと作業に臨んでくれ、非常に心強い限りでした。

「共助」の心が 実行力をもって 効率的に機能していました。

 

 

Gさん宅の支援をひと区切りとし、その足で北部エリアの「北部工業団地」に向かいました。

そこには やはり公私に亘りお世話になるIさんの奥さんのご実家の事業所があり、他と同様に浸水被害に遭ったのでした。

 

こちらの事業所は「包装業」すなわち、さまざまな製品や商品を包装する 包装紙や いわゆるコンビニ袋、また市の指定ゴミ袋などを製造しているそうです。

つまり〝水や汚れに弱い〟製品ばかり。で その殆どが水(泥水)に浸かってしまったのでした。

倉庫から搬出される被災ゴミ=直前までは製品 は、どれも泥水をたっぷり吸っており、重くかさばる物ばかり。

 

経営者のYさんは「自社の在庫の殆どがやられました。在庫の品については流通品なので 保険の適用になるか確認中ですが、いずれにしても損失が大きすぎる。廃業も視野に入れての検討となります。」と深刻な表情を浮かべておられました。

 

先日も触れましたが「事業所の復旧(復活)支援」これは特に国策に負うところで在り、永田町の政治家諸氏の〝有言実行〟を見極めるところです。

こちらの事業所の被災ゴミを引き受け、一路 当エリアの指定投棄場所(東山運動場)に向かいました。

 

途中、東北中学校で自衛隊車両に遭遇。

 

学校敷地内で物資の積み込みを行なっています。

 

災害対応のプロでもある自衛隊の方々には、今後も復旧復興の牽引者として 引き続き活躍いただくことを期待するばかりです。


続編

2019-10-21 | 日記

10/20 Sun.

 

北部工業団地の事業所から受けた被災ゴミを積んで、一路 指定投棄場所(東山運動場)へ向かいました。

途中 豊野町を通過するも、そこも大きな被災箇所となっていました。

 

 

町の中心部にある公民館などの公共施設も浸水被害に見舞わました、豊野中学校や豊野中央病院 また保育園なども被災し、町の中枢もが奪われた感です。

 

 

辻〃に並ぶ宅地や事業所も軒並み被災し、総出で清掃作業に追われています。

 

 

まちのシンボル的なお店も被災、今後の復旧が待たれます。

 

 

 

豊野町においては、まち全体が水没した様相となっています。

こちらの地区に対しては、水害からの復旧という「物理的支援」と同時に、町の有形無形の「機能」の復旧、地区住民(旧 豊野町民)のみなさんが 一日も早く「日常生活」を取り戻せるよう、総合的な支援を求めてゆきたいと 私の立場でも思うところです。

 

いい処(ところ)なのだから、豊野は。

 

 

この日は被災後最初の休日ともなり、指定投棄場へは長い車列ができていました。

 

 

もう イライラしても始まりません。

 

小一時間かけて着いた投棄場には〝季節外れ〟の重機が大活躍。

 

除雪車です。

本来の出番は雪の声が聞こえてからですが、今回 図らずも被災ゴミの集積作業に活用されることとなりました。

 

 

使えるものは何でも使って、とにかく現場を整理しよう。苦肉の策が垣間みえるところです。

 

 

帰還の途上に「クリーンピア千曲」があります。

 

長野市を初め 広域の汚水処理場であるこの施設も、千曲川の沿線に立地していることから 台風19号の浸水被害を受けることとなってしまいました。

 

施設は最大で約2mも浸水、下水の汚れを分解する微生物に空気を送る送風機や モーターなど電気系統の機械が水没してしまいました。

設置主体の県によると、部品などの補修・交換により被災前の処理能力を回復するには1〜2年かかると推定。機械が修理できるかどうかは見通せず、仮に全設備を取り換えることになれば、500億円近くかかるということです。

今後は 汚水を塩素消毒だけで川に放流する「簡易処理」での処理量を増やすこととし、19日には 一応の「回復宣言」を行なったものの、あくまで臨時的措置です。

 

抜本的な修理作業が行われる一方で、現在、国土交通省のポンプ車6台が汚水を直接、塩素消毒工程に送り、非常時に国が認める塩素消毒だけの簡易処理で千曲川に放流しています。

 

今後、仮設ポンプを増強し、被災前と同程度の1日あたり5万立方メートルを簡易処理する計画とのことですが、利用者におかれては、引き続きの節水意識の維持が求められています。

 

この日も豊野町で、溢れることが懸念される汚水管から 汚水を汲み出す地道な作業が行なわれていました。

 

もしも マンホールから汚水が漏れ出すようになってとしたら、その匂いやらの二次被害は 考えたくもない窮状となることでしょう。地道かつ重要な〝手作業〟です。

 

今や私たちは、トイレで用を足したら スイッチ(レバー)ひとつで汚物とはさようなら、たとえ汚水でも 排水口に流しさえすれば清潔はいつでも保てる生活を 普通に送っています。

 

かし、それは当たり前のようで、実はそうではない。

近代社会インフラである下水処理施設があったればこそで、ひとたびこれが機能不全に陥れば、私たちの社会衛生は直ちに脅かされることになるのです。

 

さまざまな「有り難さ」を実感させられたところです。

 

 

明日もまた「できること」を模索してまいります。