10/27 Sun.
台風19号の被害で大量発生した〝被災ゴミ〟これが 特に北部エリアの「村内」それも宅地周辺に積み上がったままになってしまっているものを集中的に撤去することとなったことを聞き及び、撤去作業にボランティア参加させていただきました。
そんな中、長野市ボランティアセンターのフェイスブック記事を見ると、一部報道のとおり、被災ゴミを運ぶ軽トラックが慢性的に不足していることが伝えられていましたので、地元市民の利として 知人から改めて軽トラを拝借し、一路 北部災害ボランティアセンターに向かいました。
私が柳原に着いた頃には、既に多くのボランティアのみなさんはピストン輸送によって現地に出立しておられました。
それでもまだ何人かの方々が到着されており、スタッフに作業上の注意点などについて丁寧な説明を受けていました。
自己責任とは申せ、現場では思わぬ事故が待ち受けているもの。せっかく善意で参加してくださったのに、ケガがお土産になったのでは 何の意味もありません。
ことに被災ゴミの中には 鋭利な状態で折れた木片や、割れたガラス、また家具などの木材に打ち込まれまま飛び出した釘などが混じっています。これらで負傷すると 破傷風になる恐れもあることから、十二分に注意して作業に当たっていただきたいと思うところです。
私も受付けを済ませ、いつものとおり胸に名札シールを貼って、いざ出発です。
私は、堤防決壊した穂保地区の南にある大町エリア行きを命じられました。域内に入ると、すぐに先着組の作業風景にぶつかりました。
家と家との間の空き地に 山と積まれた被災ゴミ。
これが生活環境の最中(さなか)に積み晒(さら)しになっていたのでは、物理的・衛生的にもイイはずはありません。そんな被災者の心情にも心を寄せながら、ボランティアさんたちが一心不乱に除去作業に臨んでおられました。
大町エリアの域内にあるお寺さんが「サテライト」になっていました。
お堂の前には指揮台が置かれ、スタッフが作業手順を打ち合わせておられます。
住宅地図の上に 被災住宅ごとに付箋を貼り、順次 被災ゴミを回収していきます。
災害ボランティアセンターやサテライトについては、当初の混乱ぶりや至らなさぶりが ずいぶん解消され、運営そのものが円滑になってきていることを実感します。
これは いわゆる〝行政力〟のみならず、全国から終結した 多くの〝熟練ボランティアコーディネーター〟たちの活躍の賜(たまもの)でしょう。それらを見るにつけ、やはり経験値がものをいうことを改めて感じるところでした。
このサテライトの上はすぐ堤防なのですが、そこにも被災ゴミが累々と。
これらは、住宅地に積みっ放しゴミの撤去の後に手をつけることになるのでしょうが、置いてある場所が堤防上だけに、また大水(おおみず)が出れば これらがそっくり村内に流れ戻ることになることから、間髪は置けません。災害ゴミの課題は暇(いとま)ナシ、を再認識させられました。
私の軽トラは、サテライトから2ブロックほど離れた個人宅行きを命じられ 直行しました。
庭先からバックで入ると、既に作業中のボランティアさんたちが「待ってました!」とばかりに 水に浸かった家具などを一斉に積み込みます。
一期一会(いちごいちえ)のボランティアスタッフ、それでもみんなで力を合わせて作業に臨むと、被災ゴミで埋まっていた庭先も、今までどおりのスペースに回復してくれました。
この作業の繰り返しが、被災者の生活を日常に取り戻す一助になってゆくのです。
大町エリアの住宅地の積みっ放しの被災ゴミは「大町信号」そばの空き地に再集約されます。
泥をかぶった被災ゴミ、そこにあいにくのにわか雨も降ってきて、私も含めてスタッフ一同は 泥ドロのぐちゃぐちゃ。でも そんなことに構っちゃあいられません。
見知らぬ者同士が力を合わせて、黙々と荷台から被災ゴミを下ろし、この日のミッションをこなしてゆきました。
やがて雨足が強くなり、残念ながら中止の号令。予定を1時間ほど早く切り上げ、参加者はサテライトへと戻ってゆきました。
本当に おつかれさまでした。
悪天候に見舞われながらも 作業に従事されたボランティアさんたち、シャトルバスに乗り込み 帰途に就かれます。
社協のスタッフさんも「ありがとうございました!」と手を振ってお見送り。
また 機会をみつけ、参加してくださることを 私の立場からも期待いたすところです。
ところで 宅地から移動した被災ゴミは、この後「ONE・NAGANO」の心強いかけ声の下、一斉撤去していただいています。
自衛隊による深夜の撤去作業が行なわれているのです。
我々が小路から搬出した被災ゴミは、大型車両が出入りできるスペースに移され、それを自衛隊の大型トラックが 交通などに支障の出にくい深夜に一斉出動して被災エリアから完全に無くしてくれます。
時刻は とうに10時を回っていますが、私たちが被災ゴミを移動した場所には 煌々(こうこう)と明かりが灯っていました。
自衛隊の、それはでっかいトラックが現場に横づけされ、野積みされた被災ゴミを次々に積み込んでゆきます。
大型の破砕機が、被災ゴミをガバッとつまみ上げ、でっかいトラックの荷台へ。
一台が出れば また一台、もう一台と、よく訓練された車列が 次々と置き場に進入してきます。実に迫力ある光景です。
到着したトラック、助手席から補助隊員が飛び降りて「オーライ、オーライ!」隊員の身長に比しても、トラックのでっかさがお判りと思います。
積み荷を満載にしたトラックは、直ちに出発。素早いことこのうえない車両のハンドルさばきです。
信号待ちする車両の姿は、まるで大きなゾウのよう。
頼もしい限りです。
「陰(かげ)の力」そのままに、自衛隊の方々は、私たちが知らない間に 厳しい任務を まさに黙々と果たしてくれています。
顧(かえり)みれば1998年、長野冬季五輪大会の折にも スキー場への雪の搬送、またモーグル会場などのコース造りに、やはり自衛隊員の方々は、やはり深夜に作業に臨み、選手たちの晴れ舞台を 人知れず整備してくれたことが逸話として語り継がれています。
そんな「陰(かげ)の功労」に思いをいたし、日中 居並ぶカーキ色の車列に感謝の意を表するところです。
みんなの力が、みんなの思いが「ONE・NAGANO」のマインドを共有し、復旧の足どりを 前へと進めています。