10/24 Thu.
各地に大きな被害を及ぼした 台風19号が列島を通過して10日が経過しました。未だに不順な天候が続き、予断を許さない状況です。
被災後には復旧作業に着手がされ、市内外から多くのボランティアが被災地に集結され、泥や被災ゴミの搬出に まさに「人海戦術」で力強い支援を行なっていただいております。
他の自治体においても、例えば兵庫県はボランティアの支援先を長野県と定め、その参加者に旅費の補助を行なうこととするなど「後押し」の報道も聞かれ、信州人として感謝に堪えないところです。
行政においても、被災者の方々が 今後の住宅再建などに欠かせない「罹災証明」を取得の申請をするための受付け業務をスタートさせ、一歩づつではありますが、復旧のため それぞれの立場で、再び立ち上がるところです。
私は、堤防が決壊した 穂保地区ならびに津野地区の現状=惨状を目にし、言葉を失いました。
現場を目にし、かつて東日本大震災の被災地を視認したときと同じ衝撃が心を駆け抜け「これは まるで津波被害だ。」と実感させられました。
そのうえで、この場では 2つの提案をさせていただきます。
◇被災地の位置づけと、官・民での取り組み
被災地の方々は、社会基盤の全てが流され、土砂に埋まり、多くのものを失ってしまいました。何の落ち度も無いのに。
私は、罹災証明などを通じて 個々の世帯の支援を個々に行なうと同時に、この、集落まるごと被害に遭った地区(穂保・津野地区)に関しては、復旧について 個々の自助努力に任せるのではなく、行政が仲立ちとなって、あくまで個々の意向を尊重しつつも、地区全体として 今後どのように再建してゆくのかを 官・民で考えてゆくべきではないかと強く感じています。
先日 被災したご自宅も含めて現地を案内してくれた 津野区在住のMさんに伺うと「みんな迷っている。」とのことでした。
先祖代々が暮らし、愛着のある生まれ在所。そこが大きく被災してしまった。そのまま住み続けてゆきたいけれど、あんな危険な思いをした場所に暮らすのは不安で仕方がない・・・。
これからの生活基盤をどこに置くべきか、地区のみんなが迷っておられるのです。
私は、今回 家屋の流出など甚大な被害を受けた穂保・津野地区を「長野市版災害特区」に位置づけ、個々の支援に併せて「個々の意向を踏まえた、地区としての今後」をみんなで考えるために 早急に「意向をお聞きする地区会議」を開き、そのうえで、個々の意向を踏まえたうえで、被災エリアを面的に再整備する手立てを講ずるべきと考えます。
そのためには、先ずは被災地に流入した大量のがれき混じりの土砂を除去する。被災住宅については、さきの西日本豪雨の際に倉敷市などで適用された「公費解体」の手法を用いて(あくまで家主の合意の下)解体し、被災地全体を 行政の責任において 一旦、更地化(さらちか)する。
そのうえで、今後 住むor住まないの意向を踏まえ、継続して住まわれる方はご自身の土地を活用していただき、移転希望者の方については 残地を買い上げるなどして公園などとして整備し、いずれにしてもエリア全体の面的整備を行なう。
それらの作業を経て、初めて「被災地の今後」が始まるのではないかと考えます。
今回の堤防決壊は「官製人災」の要素も含んでいると思います。
長野市においては「1000年に1回の(大きな)災害」を踏まえた防災ハザードマップを作成しましたが、県・国における 堤防整備などの認識は「100年に1回の災害」の認識に止まっていると聞き及んでいます。
さらに、当地における千曲川氾濫の〝悪しき元凶〟とされている「立ヶ花橋付近の狭窄部(狭い部分)」の改修に手を付けることなく時間ばかりを許し、結果、堤防決壊の呼び水となってしまいました。
今、被災地の方々は 耐え難きを耐えているのです。
今後、被災者の誰かが、被災の原因は堤防の決壊にあり!その管理責任と河川改修の業務怠慢の責任を取れ!と行政側に詰め寄ったら、彼らは どのような言い訳をするのでしょう。
被災直後から10日が経過し、被災地は直後の混乱に比べると、いくらか落ち着きを取り戻してきたように見えます。
しかし、で あるからこそ、これからが難題なのです。
土石流から逃れ、住居の泥や被災ゴミの搬出に必死になって取り組むうちは、そのことだけに気を取られていました。
しかし、それらの作業がひと段落した瞬間から「これから どうしたらイイのだろう。」との現実的な問題に向き合わなければならなくなるのです。
被災地の方々は これからこそが、言いようのない不安に苛まれながら 不安な夜を過ごすことになるのです。
これから 行政が、どのように被災者に寄り添うことができるか。
未曾有の水害とは申せ、行政が管理責任を負いながら整備していた堤防が決壊した。その事実を認識しながら、でき得る限りの支援を行なってゆくことが 残された責務ではないでしょうか。
堤防決壊から10日が経過した今、行政がすべきこと。
改めて被災地に足を運び、現状を再視認し、被災者の方々の生(なま)の声を聞く。 そのうえで「長野市版災害特区(穂保・津野地区)」の方々のご意向を伺う機会を設け、行政としての今後の見通しを伝え、個々の、そして地区としての判断を仰ぐ。そして そのうえで、地区全体の(住民各位の意向に副(そ)った)適切な再整備を行なう。
被災地となってしまった地区で、それまで普通に社会生活を営んでいた方々の、大きく変えられてしまった これからの人生をどう支えるのか。
行政手腕が問われています。
◇被災者住宅の斡旋・紹介に「市内の中古住宅の紹介」を加える
現在、住宅が罹災し 住む家を失った方、復旧・修繕に長い期間を要する方を対象に、公営住宅を提供するべく 斡旋・紹介業務が始まっています。
↓
(長野市ホームページ)
https://www.city.nagano.nagano.jp/soshiki/jutaku/440123.html
(長野県ホームページ)
https://www.pref.nagano.lg.jp/jutaku/happyou/191022press.html
この措置は、一日も早く避難生活から脱却し、とりあえず日常生活を取り戻してもらうために、新たに仮設住宅を建てる時間的ロス無く「住まい」を提供するという点で 非常に合理的と申せ、一軒でも多くの物件を準備し 非被災者の方々に宛(あて)がっていただきたいと期待を寄せるところです。
一方で、この公営住宅の提供には「時限」があることが〝難〟とも申せます。居住可能期間は最長で1年、その間に 入居者(被災者)の方々は、個別に終の棲家を探さなければなりません。
で、あるとするならば、です。
最初から「永住できる物件」を斡旋・紹介することも必要ではないでしょうか。
その紹介メニューに「長野市内の中古住宅」を加えることを提案するところです。
9月22日の記事でも触れましたが、現在 長野市においても「空き家」は増加傾向にあり、平成25年度の調査で、住宅総数17万1,870戸のうち 空き家は2万4,980戸で、空き家率は14,5%に上っており、全国平均(13,5%)を上回っています。
今回の災害に際しては、その状況を逆手に取り、市内にあまたある空き家=中古住宅を、被災者への紹介メニューに加えてはどうか、というものです。
被災者の方の中には「どうせ1年で退去しなければならないなら、最初のうちから永住物件を探し、条件が合えばそこで再出発したい。」という方も居られるのではないかと思います。
但し、個別の物件を行政が直接斡旋することはできないことから、仲立ちに「長野県宅地建物取引業協会」などの第三者機関を置き、それらが適切に物件の紹介役を担えば、不要の問題なく被災者の選択肢を増やす役割を果たすことができるのではないかと考えるところです。
実は先日、この考えを温めていたところ 私の通う理髪店のKサンから同様の〝提案〟があり、意を同じうしたところです。
「なあクラちゃん、ウチのムラには何軒か「空き家」ができちゃってるんだけど、あれを遊ばせることなく 被災者の方に住んでもらえばイイんじゃねーの?被災者の方は(新築より)安く家が買えて、ムラでは空き家が解消されて人口が増える。これって一石二鳥だよね。」と話してくださり、大いに賛同したものでした。
被災者の方々にとっての今後の住まいは、欠かせない要件であり、同時に大きな負担を強いる案件でもあります。であるからこそ、行政として、あらゆるメニューを提示し 選択肢の幅を広げて差し上げること、これも大切な「行政サービス」と申せます。
これからも常に 様々に思いを巡らせながら。