倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

実りを

2019-08-31 | 日記

8/30 Fri.

 

この日、後援会役員の肝いりで「拡大支援会議」が行なわれました。

早いもので8月も月末(つきずえ)となり、明ければ9月、その第2週の9月8日には長野市議会議員選挙が告示を迎えます。

私儀、これまで多くの方々に応援していただきながら 再び歩みを始め、ここまで進んでまいりましたが、取り巻く環境は非常に厳しいものがあることから、告示を直前に控え 改めて皆で心を合わせて最後まで頑張ってゆこう!との趣旨での会議の開催となったところです。

 

会議の場では、前述の厳しい状況を踏まえた後援会活動の活発化・活性化に向けた改めてのお願いに併せて、告示後における個人演説会のお願いや、選挙事務に関する諸説明が行なわれ、質疑も交えて周知が図られました。

この日は前線の通過に伴い あいにくの天候となりましたが、それでも 私のこと、もっといえば私を押し上げることで地域活性化を期する心ある方々は、天候に拘わらず足を運んでくださり、状況分析や今後の取り組みについて熱心に耳を傾けてくださいました。

中には、会議後も「居残り」で打合せをしてくださる地区の方々もおられ、感謝に堪えないところでした。

 

・・・・・。

私の評価については「また頑張れ!」という方々と「あんなことをした者は もう応援しない。」という方々とが拮抗しておられ「評価は真っ二つ」といった〝反応〟が実感として伝わってきます。

したがって「結果(票数)」が全てといえる選挙においては、単純な計算でいうと、今までの得票が真っ二つ=半減、ということになり、それだけでかなり厳しい状況が推し量られます。

そこへきて、今回の長野市議選は「過去最高数」の候補者が手を挙げる事態となっており、それら新人の方々の勢いに押され、私のような出戻り、それも大きな黒星を背負った者には、逆風こそ吹けども なかなか追い風にはなりにくい現状があり、厳しさは増すばかりといったところです。

 

しかし、ひとたび立候補を決めた以上、状況がいかに厳しくとも、結果を出さなければなりません。

それは、多くの、私を応援してくださる方々の 温かく力強いご厚情に応えるためであり、そして、私自身、やり残したことの「具体化」や、これから為(な)さんとする活動の実現のためにも(市議の)立場を得ることが絶対条件となっているからです。

それら さまざまな「思い」を内に秘め、結果を出すべく最大限の努力を重ねてゆく決意を新たにいたすところです。

 

会議終了後、みなさんから「オレらも頑張る。だから クラちゃんも最後まで頑張れ!」と 力強くご激励をいただき、感謝の念 新たなるところでありました。

 

 

 

 

域内の水田では、春に植えられた稲が 徐々にではありますが、青い稲穂をつけつつあります。

 

 

多くは まだ真っ直ぐ立ちですが、中には頭(こうべ)を垂(た)れ始めたものも。

 

 

私たちも、この稲穂に追いつけ追い越せと「実り」を期して頑張ってまいります。

 

 


「雨」の怖さ

2019-08-30 | 日記

8/29 Thu.

 

ここ数日に亘り、佐賀県を中心にした九州北部に降り続く雨は、時間経過と共に大きな被害を及ぼしていることが伝えられています。

 

 

長崎県、佐賀県、福岡県付近に、28日早朝にかけて「線状降水帯」と呼ばれる 特定エリアにまとまった雨を降らせる発達した雨雲が連続して襲来し、猛烈な雨が集中的に降り続きました。

この雨の影響で、九州北部を中心に深刻な被害が出たことが報じられています。

佐賀県武雄市では、1時間に87ミリもの猛烈な雨が降り、そこに海の満潮が重なったことで市内の一級河川が氾濫、軽乗用車が川に流されるなどの人的被害が出ているそうです。

 

 

佐賀市では、24時間雨量が 何と8月1カ月分の2倍超え!市内のほとんどの河川が氾濫したとのことです。

市内にある やや低地にある病院では、冠水によって患者ら約200人が今も孤立しているそうです。

これらの災害を受け、佐賀県の20の市町に「災害救助法」が適用されることになりました。長崎県では、松浦市や佐世保市などの一部地域に避難指示が出され(後に解除)、今後も九州北部を含む西日本から北日本の広い範囲で大雨に警戒が必要となっていることから、予断を許さない状態が続いています。

 

とりわけ 今回、(前述の)佐賀市内にある病院の浸水被害においては、ただの冠水に止(とど)まらず・・・そこに追い打ちをかけるように、あろうことか、近くの鉄工所から「油」が流出、病院をはじめ 隣接する高齢者福祉施設に流れ込むなど、やっかいこのうえない被害が発生しているそうです。

 

 

 

それを聞いた私、そこに居合わせたワケではありませんが「油」のもたらすいろんな面での被害を思い及び、思わず大きな溜め息がでてしまいました。

ご案内のとおり「油」は 水とは分離する中で、一方で水より比重が軽いために水の表層に浮かんだ状態で どこまでも漂(ただよ)い、どこにでも付着してゆきます。

 

油の流出事故といえば、1997年 島根県域の日本海で起きた「ナホトカ号重油流出事故」が思い出されます。船の座礁により大量の重油が海岸に漂着、岩礁といわず そこにいるカモメなどの生物といわず、いっっさいがっさいを油で汚した被害状況が伝えられ、復旧に相当の手間と負担がかかったものでした。

 

 

今回の佐賀市の病院冠水と油流入事故も、ナホトカ号とまでもゆかないまでも、病院や福祉施設が 水だけでなく油も混じって汚されたことは、患者さんをはじめ関係者にとっては、施設設備の汚濁による衛生被害はもとより、油の異臭などによる健康被害も心配されるところであり、そのご心労はいかばかりかと お察し申し上げるところです。

さらに報道によれば、浸水した水をポンプで排出する際にも、その油が邪魔になり 作業の中断を余儀なくされているとのこと・・・何でまた そんなやっかいものが混じってきたんだと、私は独り 恨み節を言(ご)ちるばかりでした。

 

豪雨被害に追い打ちをかけるかの油被害・・・一日も早い復旧と、せめて被害の最小限化を願うばかりであります。

 

昨今の雨による被害、これは 昨年来からの傾向・・・台風とかではない「単なる雨」のハズなのに、前線の停滞が長期に亘る=雨が降り続く ことで、いつの間に冠水の被害が及んでしまう。または集落の川など 普段は穏やかなハズの「生活河川」までもが氾濫し、ときに人の生命をも脅かす存在となってしまうことなど「たかが雨」が 降りようによっては大きな被害につながる「雨の怖さ」を改めて実感させられる事態でありました。

 

実は長野市も、それら「冠水被害」の温床となることが懸念されます。

ご案内のとおり、長野市には、千曲川・犀川・裾花川の3つの一級河川が縦横に流れており、もし長野市内上空に、今回の九州北部に停滞したような「線状降水帯」が居座れば、時間と共にそれらの河川は水かさを増し、主に下流域に大きな被害を及ぼすことは 往々にして予想できるところです。

特に、市内においては、北部の豊野地区や大町地域、また篠ノ井の東福寺や西寺尾地区などが、市域での「氾濫危険エリア」として懸念されており、万が一の際は最大限の注意・対応が求められるところです。


他の地域における「単なる雨」がもたらした甚大な被害状況を目の当たりにし「明日は我が身」を前提に心構えを怠りなくせねば、と心したところです。




自然相手

2019-08-29 | 日記

8/28 Wed.

 

「秋の味覚・庶民の味」として知られる「秋刀魚(サンマ)」が深刻な不漁で、市場や小売店にも影響が出始めていることが報じられています。

 

 

この27日には、大型船による「棒受け網漁」で水揚げされたサンマが、今季初めて長野地方卸売市場にまとまった量で届いたものの、市場に入ったのは例年より10日ほど遅く、身も小ぶりとのことです。

 

 

市場関係者は「今年は近海の水温がサンマの生息水温より高いなどの理由で漁場が遠く、魚群もまとまっていない。したがってサイズが小さい割に値段が高く、消費者は値頃感を感じにくいかもしれない。」と やや困惑した表情で取材に応えていました。

水産庁は、今年の本漁期(8〜12月)に来遊するサンマについて、不漁だった昨年を下回り、9月中旬まで極めて低調に推移すると予想しているとのこと。

こうした影響で、県内全域に店舗を展開するあるスーパーは、昨年の同じ時期の2倍に当たる1匹299円で販売。29日から149円に下げる予定だったが、不漁を受けて見送ったそうです。

「庶民の秋の味覚」とされるサンマの初値が 一尾300円!?とは驚きを禁じ得ないところ。一転「高級食材」となってしまったサンマ、今年に関しては いつわれわれの食卓に気軽に載せられるようになるのでしょうか。

 

 

 

ところで、この「サンマ不漁」の一因に、中国や台湾などの近接国による「乱獲」があることを指摘する声もあります。

彼らの国には、サンマを 生(なま)ではなく冷凍で保存し食する習慣があることから、その国の漁師は 超大型の保冷庫を備えた漁船で遠洋に出向き、あればあるだけのサンマを根こそぎ獲(と)っては その場で冷凍し自国に持ち帰ってしまう、資源維持などお構いなしの漁法を行なっており、そのあおりを受け、生食のために鮮度優先で、そのために近海で操業する日本の漁域にまで「サンマが行き渡らない」という状態に陥っているとのことです。

 

 

このため、今後は 日本や中国・韓国・台湾など8カ国・地域で構成する「北太平洋漁業委員会(NPFC)による、サンマの「漁獲枠導入制度」の合意形成を進め、資源管理の取り組みをさらに前進させる必要が声高にされています。

4月に開かれたNPFCの科学委員会では、北太平洋全体の17年のサンマ資源量が1980年以降で最低になったとの評価では一致していることから、引き続き資源量の把握に努めつつ、維持、回復できるよう個別の枠の設定を各国・地域に粘り強く働き掛けていく必要があると結んでいました。

 

 

 

 

一方、私たちの「地元」の川中島平でも、当地名産の「桃」が 今年の気候に振り回されている様子が伝えられています。

ご案内のとおり、今夏は「猛暑」の陽気でした。

で あったので、私みたく素人の目では、桃の熟成する時期が猛暑だと陽が照って実の糖度も上がり、さぞかし美味しい=高値で売れる桃が収穫されヨカッタのでは、と思うところですが、実際には そんな単純に結果につながらなかったそうなのでした。

訊けば、今年は熟成期の6~7月の天候が不順で、その後 猛暑となるも、気温が高過ぎて桃の生育が止まるなどの異常があったり、そのうえ 川中島白桃においては 収穫を控えたお盆明けにまとまった雨が降ってしまい 実が「水膨れ」となり落実が相次ぐなど、桃の育成と気候が「ちぐはく状態」で存外に上手くゆかなかった農家が多数あるとのことでした。

 

「露地物」として天候に左右されやすい デリケートな生産物「桃」肝心な時期の天候異変は、いかんともし難くあり、桃農家の方々の心境はいかばかりかと察するところです。

 

 

 

自然は、ときに私たちに豊かな恵みを施してくれ、それによって私たちは季節ごとの恩恵に浴しています。

しかし、ひとたび その「歯車」が狂えば、食生活に影響が出るばかりか 市場経済をも左右する業界においては、各戸の収入にも大きな影を落とすことにもなりかねません。

 

魚群の成否を占う潮流の変化や、予告なく多雨に見舞われる気候変動などによる漁獲や収穫の変化(下落)の要因に 地球温暖化の影響があるとすれば、それは抜本的には「人的要因」とも言えるのかもしれません(ましてやサンマの乱獲などは 人的要因の最たるものですが)。

 

農林水産業は「自然相手」とはいえ、私たちは 例えば地球温暖化がこれ以上進まないように努めるなど、将来に亘っても、かかる自然の恵みが私たちにもたらされるよう 不断の努力を重ねる責任があろうと思います。

 

 

いずれにしても「庶民の味」や「地元名産の味」が安定的に確保・供給されることを願うばかり、そう思うのは、私だけではないでしょう。

 

 


差別に勝つ

2019-08-28 | 日記

8/27 Tue.

 

ラジオニュースのスポーツコーナーで、来月開幕する「ラグビーワールドカップ日本大会」に向け、3大会ぶりの優勝を目指す南アフリカチームが かつての人種差別の歴史を乗り越え、初めて黒人のキャプテン、シヤ・コリシ選手を選出したことが報じられました。

 

 

南アフリカではかつてのアパルトヘイト=人種隔離政策の影響で、ラグビーは長く白人のスポーツと見なされていましたが、コリシ選手は黒人として初めて、ワールドカップでチームを率いるキャプテンとなります。

コリシ選手は会見で「私のような背景を持つ子どもたちのためにも一生懸命プレーする。彼らには希望を持ち、やればできることを信じてほしい。」と述べたことが伝えられていました。

このニュースに触れた私は、遠い異国の〝快挙〟ながら、何ともいえない達成感を共有したところです。

 

その 私の「達成感」の陰(かげ)には、遠く小学校の頃の思い出があるのです。

 

小学校(6年生)の頃、私のクラスには「いじめ」があった時期がありました。

特定の男子が起爆となって ある女子(N子ちゃん)を標的にし、あからさまな暴言や仲間入れの拒否など、今思えば非常に幼稚な手段で彼女を差別していたのです。

クラスの中ではその連中が幅をきかせていたため 彼らの言動を咎(とが)める者もなく、彼女はクラスで孤立しかけていました。

そんな中、クラス内で「班」の再編成がありました。その折りにも 案の定、くだんの男子たちが 彼女の「受け入れ拒否」の声を挙げ、またぞろ彼女の孤立の流れができかけたのでしたが、たまたま班長になった私が班の仲間と相談し、彼女の受け入れを表明したのです。

すると今度は、私たちの班そのものが標的になり「N子のいる班」として中傷を受けるはめになってしまいました。

私たちの班には、気の弱い子もおり クラスで孤立することを嘆くなど、何だか険悪な雰囲気になってきてしまいました。

 

そんなある日、当時 担任だったS先生が、私たちの班を呼び 一つの伝記を紹介してくれたのです。

 

それは、南アフリカの「ネルソン・マンデラ」の「差別との戦い」を伝えるものでした。

白人至上主義の南アフリカに生まれたマンデラ氏は、黒人を徹底的に蔑(さげず)む南ア社会にあって 人権活動家として人種差別を無くすべく「反アパルトヘイト活動」を展開、言われ無き罪により幾度も投獄されるも、それに屈することなく 苦節を経たのち「アフリカ民族会議」の議長に選出されました。その功績が認められ ノーベル平和賞を受賞した後、南アフリカ初の大統領に就任、社会正義の象徴的存在となったのでした。

 

 

 

マンデラ氏の秀でたところは「差別との戦い」とは申せ、それは決して言い争いや暴力などの「対抗」を手段とせず、融和と協調をもって差別と向き合い、その粘り強い活動によって相手(差別加害者=白人)をも納得させて、最終的に差別の撲滅を実現したことでした。

 

首都ケープタウンを走るバスが「黒人の乗車拒否」を謳(うた)えば、それに反発することなく「乗せたくないなら乗せなければいい。私たちは自由のために歩こう。」と、バスの傍らを堂々と歩いて目的地に向かったそうです。

そして、本来は自らの権利を主張し、ならば相手を論破せんとする法廷の場でも、対峙する白人に対し「肌の色や育ち、信仰の違いを理由に他人を憎むように生まれつく人などいない。人は憎むことを学ぶのだ。もし憎むことを学べるなら、愛することも学べる。愛は憎しみより自然に人の心に届くはずだ。」と述べ、黒人を牛耳(ぎゅうじ)ろうとする白人の心をも動かしたと伝えられていました。

 

私たちは、子供心に マンデラ氏の偉業に感じ入り、差別の罪深さ、もっと言えば、差別の無意味さを実感したものでした。

 

マンデラ氏の伝記を紹介してくれた後、S先生は 私たち班の生徒を前に「みんなで相談してN子ちゃんを受け入れてくれてありがとう。そのうえで みんなは、決してクラスの他の友だちのことを悪く言わないでほしい。君たちが自然体でN子ちゃんと友だち付き合いをしてくれることが、一番の「対抗策」になるハズだよ。」と説(と)いてくださり、私たちは一様に大きくうなずいたのでした。

 

その数日後、S先生は 今度はクラス全体の生徒を相手に、マンデラ氏の伝記を紹介し、しかして 差別の無意味さを伝えてくれたのでした。

それを聞いたクラスのみんなは 共感と感銘を新たにし、一人の、N子ちゃんのいじめに荷担していた男子は泣いてN子ちゃんに侘びてくれました。

その直後から ウチのクラスにいじめは存在しなくなったのでした。

 

 

今回の南アチームの黒人キャプテン誕生は、ラグビーW杯日本大会にとっても大きなエポックになることと思います。

差別に明け暮れた社会(南ア)に、マンデラ氏に引き続き イイ意味で風穴を開けた好ニュースは、ゲームの勝敗以上に 私たちの心に響く出来事となりました。

 

 

この朗報に触れ、同時に 遠い昔に経験した「差別」の問題、それを解決する重要なスキルを思い出し、人が暮らす社会はかくあるべきということを再認識することができました。

 

あれから年月を経て現在に至り、改めて 差別の無い融和社会の実現に向け、取り組む決意を新たにいたしたところです。

 

 


やり残していること

2019-08-27 | 日記

8/26 Mon.

 

後援会事務所で打合せをしているとき、入り口の戸がガラッと開けられました。

みんなで目をやると、そこには やや強面(こわもて)の男性が。

で、くだんの御仁「オイ、倉野くん。オレのこと、というより、オレの言ったことを覚えているか?」と一言。

私は、男性の顔を見た瞬間に思いが当たり「はい、「ゾーン30」の実現ですね。」と即答、すると男性は「覚えていれば宜(よろ)しい。」と言って、ドッカと椅子に座られました。

他の方々は、何のことやらと 口(くち)ポカン。それを見た男性、さっきの強面はどこへやら、愛好を崩しながら「応援してるよ。頑張れ。」と言ってくださり、場は一気に和んだのでした。

 

実は こちらの男性(Mさん)のご自宅の前の道路(市道)は、域内の中学校の通学路となっています。そして その市道は、朝夕の通勤の際 クルマの「抜け道」にもなっているのです。

そんな状況下で Mさんは、通学時に路肩を歩く児童生徒の脇を、結構なスピードで通過する車両の多さに 事故の可能性を懸念されており、それを踏まえて現役の頃の私に、この中学校の通学路を「ゾーン30」に指定するよう乞われ、私も取り組みを約束していたのでした。

 

 

「ゾーン30」とは、主に通学路における スピードに伴う交通事故を抑止するため、市と警察(交通課規制係)が連携し 一定区間の道路の最高速度を30kmに規制する制度です。

 

 

最近は 通学路において歩行者(登下校の児童生徒)を巻き込む交通事故が多発していることから、行政も注意を深めており「ゾーン30」は必要な措置と申せます。

 

 

 

Mさんのご指摘を受けていた私は、新年度に向けて かかる中学校の通学路について「ゾーン30」の指定を受けるべく、関係機関への要望などの準備を進めようとしていた矢先に、私自身が交通違反を起こすというバカな行ないをしたおかげで、Mさんの要望も頓挫することになってしまい、頭の下げようもなく申し訳の無いことになってしまったのでした。

 

そんな顛末でありましたが、Mさんは 私の再出発を聞き及び、要望の再行が出来るか否か、もっと言えば、私が そのことを覚えているか、さらには未だ私に(要望実現の)「やる気」があるのか、を推し量るために事務所を訪れ、唐突なクエスチョンを投げかけてくださったのでした。

私自身、Mさんから与えられた「ゾーン30」の課題は、ずーっと胸に引っかかっていたところであり、この日の突然の訪問をありがたく受け止め、改めて「公約」として約束させていただきました。

 

「ただ、しかし。」と私。

「いくら「やる気」があっても、(議員の)立場を得ないことにはスムーズにことを運ぶことができないので、ご支援ヨロシクお願いします。」と改めて頭を下げると「任せとけ!」と 力強い返答が。その瞬間、事務所には一転、笑顔の輪が広がったのでした。

 

 

この日も、この中学校の生徒は やや狭い道路をクルマと近接しながら下校していました。

 

 

一日も早く「ゾーン30」の指定を受け、万が一のことが無いようにしなければならない。

そのためにも「結果」を出さねば。改めて決意をいたしたところです。




なお、皆様からのご意見などにつきましては「フェイスブック」で受け付けておりますのでヨロシクお願いいたします。



 

 


効率主義だけでは

2019-08-26 | 日記

8/25 Sun.

 

後援会長のYさんと一緒に挨拶回りで同行した際、長野市議選を踏まえ、地方主要紙などからよせられた「アンケート」の中の ある設問について意見を交わす機会となりました。

その設問とは、少子化に伴う人口減少社会を踏まえ、学校施設を統廃合すべきかどうかという類いの内容です。

私とすれば、少子化が伸張する中、今までどおりの社会情勢・人口動態、すなわち「子供は減らない」との前提の下で設置された学校施設を、今までのままの社会認識で維持し続けるのは やや無理があるのではないかと考えています。

児童生徒が少ない状態なのに、職員配置をし施設を維持し続けるのは、さまざまな面でロスが大きいのでは。児童生徒にとっても、多くの友人をつくって ときに切磋琢磨の中で成長するのが理想とも言え、そういう面でも ある程度の規模の学校の中で勉学に励む環境を整えてあげるべきではないかと考えます。

したがって私は、統廃合やむなし、という項に○をつけさせていただきました。

但し、であります。

地域における学校は、その地域の歴史でもあり シンボルでもある重要な存在です。代々に亘りムラの学校に通った住民の皆様は「おらが学校」に対しプライドにも近い思いを寄せておられることから、単なる効率主義だけで統廃合を進めることはまかり成らないことと強く認識しています。

万一、地域において そのような(統廃合)の必要が生じたときには、現役のPTAはもとより、かつてムラで席を並べたことのある じいちゃんばあちゃんをも対象にした説明会、それも「こうなりました」などの〝事後報告〟ではなく「これからどうしたらよいでしょうか」との〝事前相談〟を怠りなく行ない、住民感情を逆なでするような「お役所仕事」にならないよう努めるべきと強く思うところです。

 

そのうえで、そんな事態(統廃合)を、地域の教育環境向上の好機と捉えるべきとも考えます。

昨今は、長いスパンでじっくりと学ぶための小中一貫校や、教職員の専門性を高める傾向にある中、統廃合の際には かかる小中一貫教育などの、現下の社会情勢を踏まえた新たな教育拠点として再整備することが肝要です。

単なる効率主義での統廃合ではなく「ムラの新たな教育拠点づくり」を行なうというスタンスで臨めば、住民のみなさまの合意はもとより 何より 当の児童生徒のためにも「より良い環境」が提供できるのではないでしょうか。

 

また 学校施設についても、もし空きスペースが生じるならば、教員負担にも配慮したうえで、地域住民 とりわけ高齢者の方々との交流スペースとして活かしてゆくことも一考すべきと考えます。

少子化・核家族化の中、異年齢交流の経験の乏しい児童生徒が「おじいちゃん おばあちゃんの温かさ」を知る機会となると同時に、高齢者にとっても若年層との交流は「生きる張りあい」にもつながるのではないかとも思います。さらに そこに 保育園児などの幼児が加われば、ムラの学校は「大きな家族」の居場所にもなるのではないかとも考えるところです。

 

そんな 私の考えを後援会長に話すと、大いに賛同してくださいました。

そのうえで Y後援会長は「学校の統廃合はやむなしだが、であればこそ 障がい者教育はキメ細かくなければならない。」と語気を強められ、私も大いに賛同したところです。

実は Y後援会長は、かつて教職、それも障がい児教育の第一人者でおられ、現役を退いて永年が経つ今もなお、発達障がいなどの教育支援に携わっておられるのです。

Y後援会長 曰く「昔は障がい者と言われる児童も(表(おもて)の数が)少なく、物理的にキメ細かく 一人ひとりに寄り添う障がい者教育が実践できた。ところが昨今は さまざまな形態の障がい児が増え、寄り添うどころか目も届きにくい状態になってしまっている。施設の統廃合においては、特に障がい児教育は効率主義に走らないよう配慮すべきだ。」と 実感を込めて話してくださいました。

それを受けて私は 強く共感すると同時に「小中一貫校における障がい児教育の課題」に思いをいたしたところです。

小中一貫教育は、一貫した学びと異年齢交流との教育意義がありますが、こと障がい児教育においては、児童生徒の成長に応じて障がいの類型などが変化する中「ひとくくり」にすべきではない、と。

施設の統廃合を進めるとすれば なおさら、かかる障がい児教育は 多様性をもって、さまざまな状況に柔軟に対応できる体制でなければならないと思ったところです。

 

人口動態を含め、社会状況は刻々と変化しています。

私たちは、ときに新たな時代に即した対応をするべきと思いますが「守るべきは守る」この姿勢も堅持すべきとも強く思うところです。

 

 

 

 

☆心づくしに感謝

Y後援会長と移動中「ちょっと自宅に寄ってくれるか。」とのこと。

Y後援会長宅に着くと「ちょっと上がってけ。」とのこと。

茶の間で控えていると、Y後援会長の奥様が 温かいトマトスープを供してくださいました。

「こないだ事務所に寄ったら、倉野さん冷たいものばかり摂取していると聞いて、それだとお腹に負担がかかるから、たまには温かいものを摂らなきゃね。」と笑顔で。

 

 

この「親心」に、涙が出そうなほど感謝の念をおぼえました。

 

このご厚情に応えるためにも、最後までがんばろう!と 思いを新たにいたしたところです。

 

 


「顔」の見える ひととき

2019-08-25 | 日記

8/24 Sat.

 

この日、地区役員さんのご高配により「クラちゃんと語る3人集会」を開いていただき、有意義な時間を過ごさせていただきました。

 

これは 私の活動再開を契機に、再び私のことを見知っていただくために後援会の方々が企画していただいたのですが、その趣旨は「顔の見えるひとときを」です。

というのも、自らの不祥事で議員職を辞し そのうえで皆様の「声」により活動を再開する経過を辿る中においては、ここは、お一人おひとりと向き合う中で 先ずは改めて深くお詫びさせていただき、そのうえでこれからの決意を話させていただくことが肝要と捉え、そのためには参加人数に囚われず、いや むしろ少人数の中で「ヒザ詰め」で行なうべき、ということから、敢えて「3人集会」と銘打ち 企画していただいたところです。

 

会の冒頭には、開催地区在住のN幹事長から、かかる会合の趣旨を説明していただき「この際、忌憚のない意見交換を」としながら会を進めていただきました。

 

 

続いて私の方から、改めてみなさんに深くお詫びすると同時に、そんな状況にありながらも 多くの方々にご厚情をいただいていることへの感謝、そのうえで、そのご厚情に応えるためにも 何が何でも結果を出すべく頑張る決意を述べさせていただきました。

その間、少人数ゆえに 参加者お一人おひとりとシッカリと向き合い言葉を交わすことができ、過ごす時間の中で この企画の「有意義さ」を実感させていただきました。

 

くしくも この地区は、桃農家の方が多くおられ、現在は川中島白桃の出荷のピーク、一年で一番忙しい中での企画となり 恐縮に堪えないところでしたが、参加者の方から 今年の桃の出来具合などの話題も供していただき、それに対し いま住民自治協議会の小委員会で取り組んでいる「川中島の桃のブランド化」について報告するなど、フリートークの中で出された発言を契機に話しが広がるなど、まさに「顔の見える」中で、いつしか会話が深まっていったのでした。

 

 

この日のご出席者の中には、かつて昭和小学校が過大規模になり それに関する検討委員会に共に参加、その際に 私が共和小学校建設のきっかけとなる発言をしたことの回顧や、並行して 昭和小学校の児童館の劣悪な状況の改善のため、当時の鷲沢市長へ直談判をして 一転整備に向け舵を切ることになった「武勇伝」の思い出話しなどに会話の花が咲きました。

また、現下の課題として、通学路の安全を初めとする児童の健全育成に関する課題や、市域における「南北の格差問題」など多岐に亘るご意見が出され、おおいに参考になりました。


終わり頃に参加者の方から「アンタは おらほ(自分ら)の地域にとって、また長野市にとって必要な人材なんだから、深く反省したうえで もっかい(もう一回)頑張れ!」と檄(げき)を飛ばしていただき、感謝の念を新たにいたしたところです。

 

私の活動再開については、未だにさまざまなご意見があることを承知しておるところですが、少なくとも この日ご参加いただいた方々は、過去の経過を踏まえたうえで、深い反省の念は常に心に留めながら、が故に 新たな志をもって頑張れ!との「思い」を それぞれに私に向けてくださいました

 

取り巻く環境は 非常に厳しいものではありますが、私自身、この日のご出席者のように 私に対して心を寄せていただく方がいらっしゃる以上は、深い反省と強い決意を胸に、最後の最後まで頑張ろう!と思いを新たにいたしたところです。

 

 

厳しい状況を踏まえて設営していただいた「3人集会」は、私にとっても非常に有意義なひとときでありました。

 

感謝の念、新たなるところであります。

 

 


真の「全員野球」

2019-08-24 | 日記

8/23 Fri.

 

熱戦に次ぐ熱戦に沸いた「高校野球 夏の甲子園大会」が感動のうちに幕を閉じました。

全国3,730校の頂点には、大阪代表の履正社高校が 強豪ながら初優勝という形で輝き、その汗が滲(にじ)んだユニフォームには 全ての球児の熱い思いが込めらている、を感じ取ったところです。

 

 

わが長野県代表の飯山高校も、初舞台で堂々と緒(初)戦に臨み、敗れてもなお大きな感動を私たちに与えてくれたものでした。

 

 

 

 

ところで 今大会においては、投手の「肩」をどう守るか、が話題にもなりましたね。

今までの高校野球といえば、たった一人のエースがマウンドで獅子奮迅の熱投、試合後の記事には「150球完投!」などの文字が躍り 厳しい試合を一人で投げ抜く姿が「野球の美学」として称えられてきました。

しかし ここへきて、一人偏重の登板が果たしてイイものか、もっと言えば「勝利至上主義」の下(もと)で、将来有望な選手を(肩を)潰してもイイものか、という議論が起こってきました。

それに応じるかのように 東北地方の高校では、監督の判断で プロ注目のエースを甲子園の懸かった決勝戦でありながら登板を回避し敗戦、大きな物議を醸すこととなりました。

 

 

そんな中、著名なスポーツライター氏原英明さんが、今大会のベスト4に進んだ 中京学院大学中京高校の投手起用について注目し「革命」という言葉を贈っている記事を目にし、私も大いに賛同したところです。

 

それは、複数 それも4人以上の「投げられる選手」をベンチに入れ、試合の流れを継投で変える、という発想の下で采配を振るい結果を出し、それを全国に見せつけ「甲子園野球」に大きなメッセージを与えたことにあります。

今大会の中京学院大中京は、エースが全試合に先発しましたが、劣勢を余儀なくされる苦しい試合もありました。だが 監督は、その劣勢の状況の中で「継投策」で流れを変えたのでした。

 

 

緒戦の北照高戦では、6回2死から先制点を許したところで、長身の右腕投手にスイッチ。その投手は2回を1失点で抑え、逆転した後はクローザー役の投手につなぎ 後を零封しました。

 

 

次戦の東海大相模高戦では 勝ち越しを許した6回途中から右サイドスローの投手を投入、追加点を許さず、その抑えが後の逆転を呼び みごと優勝候補の一角を崩したのでした。

 

 

監督は「短期決戦ではワンポイントなどの継投が必要になってきます。相手の打線のタイプと流れと得点差、そういうことをいろいろ考えて継投しています。」とのこと、今までの「エースはオマエだ。腕がちぎれるまで根性で投げ抜け!」みたいな〝熱血監督〟とはまるで違う采配が見て取れます。

 

そしてライター氏は「この高校が素晴らしいのは「2番手以下の投手が、出番を待っている」ことだ。重要なのは、控え投手の意識の高さだ。」と述べています。

安定感のあるエースがチームにいる場合、控え投手は あくまで「予備」。エースの調子が良ければ自分の出番はないと 自ら決め込んでしまうケースがほとんどですが、中京学院大中京高の場合は、控え投手陣は 自分の出番は必ずあると自覚し、それに備える高い意識を持っていました。

3回戦と準決勝の2試合に登板した「控え投手」は「コーチから出番があると言われているので、常に行ける準備はしています。ただ単に肩を温めているのではなく、出番があると思って準備をしているので、気持ちは違うと思います。自分が登板したときに抑えるかどうかが流れに影響するので、後悔しないようにと思っています。」と堂々と答えていたとのこと、この言葉が控えでありながら控えに終わらない 自覚の高さを表しています。

 

ライター氏は最後に「球数制限議論が見落としているもの」として こう指摘しています。

「昨今は投手の登板過多に関する問題で球数制限が話題になることも増えたが「エースが燃え尽きるまで投げさせたい」という意見もまだまだ根強い。その陰で、同じように3年間練習してきた2番手以下の投手に目が向くことは少ない。そんな中 中京学院大学中京高校の投手起用は、高校野球における控え投手の価値を上げたといえる

「球数制限」には、一人の投手の負担を軽減すると同時に、2番手以下の投手に登板機会が生まれる利点がある。「控え」ではなく「戦力」として扱われることによって、彼らは持てる力を存分に発揮するようになるのだ。」と結んでいました。

 

 

 

「全員野球」ということばがあります。

これは、レギュラーも、ベンチも、そしてスタンドの応援団も、みんなが一体となって勝利をめざすものですが、もし叶うのであれば 選手の育成の段階で指導者が目を配り、エース以外にも「投げられる選手」を発掘し さらに登板の機会を与える。そのことで 選手の新たな才能が開花できたとなれば、エースの負担軽減に併せて、他の選手の「新たな道」をつくる成果も期待できるのではないでしょうか。

 

そして私は この考えを、少年野球の指導者にこそ持ってほしいと願うところです。

「肩」の未熟な少年野球選手についても、球数を70球に止めるなどの適切な球数制限がかかる傾向にあるところですが、そのうえで指導者各位におかれては、エース偏重の考えではなく、可能な限り多くのチビッコ選手の「投げられる可能性」を模索したうえで、多くの子供らにマウンドに上がる機会を設けていただければと思います。

グローブを持つ全てのチビッコ選手を「未完の大器」と捉え、チャンスを与えてみる。そのことで その子の新たな才能が開花したとなれば、また そうではなくても、それぞれの「野球人生」の中での貴重な経験になれば、それは非常に有意義ではないかと思うところです。

 

 

中京学院大学中京高校監督の新たな投手起用法は、現下のアマチュア野球界に新風を呼び起こしたと申せます。

この「成果」を契機に、多くの選手の才能の開花、多くの選手の「出番」の創出に好影響が及ぶことを期待して止まないところです。

 

 


過去は、未来で変えられる

2019-08-23 | 日記

8/22 Thu.

 

以前 たまたま観た番組で、一見華やかに見えるアーティストが実は深い悩みを抱え、その末に見いだした「答え」を吐露するシーンがあり、その言葉が今も私の胸に残っています。

 

 

 

今や世界的ミュージシャンともいえるX JAPANのYOSHIKIさんは、グループの絶頂期に 実父の逝去やメンバーの自殺という予期せぬ出来事が起き、一時期 鬱(うつ)状態に陥ったそうです。

 

 

そんな心の低迷期の中で自身も悩み抜いた末、あるとき「結論」が見え、それからまた頑張ろう!と再び立ち上がることができたのでした。

 

それは「過去は、未来(への努力)で変えられる」でした。

 

自分の人生の中(過去)において、悲しいことや辛いことや大きな失敗があった。それは事実として消すことはできない。でも、それらの事実がありながらも、それらを自分自身に刻み込んだうえで 自分自身が今まで以上に努力を重ねて成果を出してゆけば、過去にあった悲しい出来事や失敗も、その後の成果の「糧(かて)」として生かされるのではないか。マイナスに見えた経験も、その後のプラスのためになったとすれば、その過去も決して悲観したものではなかったと思えるのではないか。

 

YOSHIKIさんは、予期せぬ 父やメンバーの死を悲しい過去と捉え、であるとするならば、未来に向けて自分たちが頑張ることで、旅立った人もまた輝くことができる。だから彼の分も いま頑張っているんですと述懐していました。

そのうえで彼は、さまざまな葛藤を経たうえで「自分自身が、何の使命を持って生きてるのか探すのが人生だと思う。」とも述べ、自らの演奏活動を、メンバーを失ってもなお楽曲に向き合う業(ごう)を「使命」と捉えるその姿・言葉は 共演者を初め多くの視聴者の心に響いている風でした。

 

 

・・・・・。

YOSHIKIさんの痛烈な経験を、私のような自らの愚行による経験に重ねることは 誠に不遜ではありますが、勝手ながら私自身、YOSHIKIさんの「過去は、未来(への努力)で変えられる」の言葉に胸打たれ、消せない過去の失敗を せめてこれからの糧(かて)とするために頑張ろう!と 心の支えにさせていただきました。

 

そのうえで、そんな過ちを犯してなお、多くの方々に再起を促していただいていることを「自らの使命」と捉え、それらの「声」に応えるためにも、何が何でも結果を出して、そのうえで かかる使命の全うのために全力を尽くしてゆきたい!との決意が新たに沸き起こったところです。

 

 

YOSHIKIさんの「心の声」ともいえる言葉に触れ、一筋の光明を見た感の ひとときだったのでした。

 

 


イイ人生だったと

2019-08-22 | 日記

8/21 Wed.

 

列島には前線が停滞し、この日も降ったり止んだりの雨模様となりました。

数日前の猛暑から比べると、暑さが収まったのはアリガタイところですが、いかんせん うっかりしていると紙(配布物)が濡れてしまうのが困りどころです。

不思議なもので、紙というものは、ピッ!としていると 渡す側も受け取る側も清々とやり取りできるものですが、これが皺(しわ)になっていたり濡れていたりすると、何だかだらしない印象になってしまいます。

したがって こんな陽気の日は、自分の身体はさることながら 相手様にお渡しする紙(配布物)が濡れないよう、身を挺して 紙様?をお守りしながら訪問を行なうところです。

 

 

 

そんな雨模様の中、一軒のお宅のチャイムを鳴らすと、ご夫人と覚しき妙齢の女性が対応してくださいました。

名刺を出し ひと亘りのご口上を申し上げていると、くだんのご夫人は 私の名刺をジーッと見つめ、何やら考え込んでいる風です。

やがて顔を上げ 私をまじまじと見つめてから「あなたが、倉野、さん?」と おもむろに口(くち)を開かれたのでした。

 

訊けば、こちらのお宅の御主人は 大のスポーツマン、それも大のマレットゴルフ愛好家で、茶臼山マレットゴルフの愛好会に所属し 私のマレットゴルフ大会にも出たことがあり、ご帰宅後にはその度 さかんに私のことを話題にしてくださったことから、このご夫人も印象に残っていたとのことです。

 

ところが そんな活発な御主人でしたが「実は、2年前に亡くなっちゃったのよ。」とのこと。私は二の句が継げなくなってしまいました。

 

訊けば、御主人(Kさん)は、もともと遺伝的に癌(ガン)を患っていましたが、それでも治療を続けながら 大好きなマレットゴルフに打ち込まれ、スポーツ(マレット)に親しむことで、一般的なガン患者の方よりも はるかに元気で楽しい毎日を送っておられたそうです。

しかし ある日、主治医のドクターから「Kさん、あなたのガンは徐々にではあるが進行しており、このままの治療に止(とど)めれば余寿命は3年で潰(つい)えてしまいます。この際、手術に耐えられる体力のあるうちに 本格的な手術を行なった方がいいのではありませんか。」との「宣告」を受けるに至ったそうです。

ところが それに対しKさんは、毅然とした表情でこう答えたそうです。

「先生、私の身体(寿命)を心配してくれて本当にありがとうございます。それでも先生、オレ今 本当に充実しているんだ。大好きなマレットゴルフを楽しんで、多くのマレット仲間に恵まれ、家に帰れば女房の手料理は美味(うま)い。

で、これでもし手術に踏み切れば、入院加療で相当の歳月を要するだろうし、オレも歳(当時78才)だから、術後の衰えで マレットなんか出来なくなっちゃうと思うんだよね。

オレの性分からして、手術をしてベッドで寝たまんま 外をながめながら指をくわえているなんて、それこそ耐えられない。だから先生、このまんまの(手術なしの)治療を続けてくれませんか。」

そんなKさんの「答え」をドクターも尊重し 手術は行なわず、投薬を中心にした治療が継続され、Kさんは今までどおりマレットを楽しんで暮らしてゆかれました。

 

そして、計ったように3年後、Kさんは 家族に看取られつつも旅立ってしまったとのことでした。

 

「でもね。」とKさん夫人は続けます。

「ガンが進行して いよいよマレットができなくなってきた頃だったかしら。ある朝 私を前に窓の方を見ながら「オレは大好きなマレットを諦(あきら)めることなく続けることができて、それに最後まで多くの仲間に恵まれて日々の生活を謳歌(おうか)することができた。本当にイイ人生だったよ。」と話してくれたの。だから私も「ああ、これでよかったんだ。」と思うことにしたの。」

「これが、延命を選択して手術を受けても、ベッドの上で「ああマレットができなくなった。」と愚痴ったり、やがては要介護になって私に負担をかけるようになる、そんな状態になるのはイヤだったのよ、お父さんは。

「いつだったか、倉野さん主催のマレット大会で 何だか大きな賞をいただいて帰ってきたときなんか上機嫌で「ああいう(倉野さんの)スポーツ振興のイベントはすごく大事だ。ただマレットをやるだけでなく、大会があるとみんなの励みになって みんな頑張って みんながますます元気になる。ずっと続けてもらいたいもんだ。」と話してたときの笑顔は忘れられないわ。」

 

「だから、倉野さん。」Kさん夫人は、いつしか目に涙を浮かべながら こうも話してくださいました。

「ウチのお父さんは、ベッドの上で暮らす人生を選ばず「生涯現役」を選んで 限られた人生を終えたけれど、その選択は後悔するものではなかったと思うの。

そんな中での倉野さんの(マレット大会などの)活動は、ウチのお父さんなどの高齢者の大きな励みにもなってくれたの。だから倉野さん、タイヘンだけど頑張って、また(再び)大勢の高齢者が元気になるようなイベントができるようになってちょうだいね。倉野さんが来てくれたことは、墓前にしっかり報告しておくわ。」

Kさん宅の玄関先で、しばし 今は亡きKさんに思いを馳せ、私も 普段は汗を拭くタオルで目頭を押さえたところでした。

 

「一度だけの人生」と言われます。

その人生を「どれだけ生きるか」ではなく「どのように生きるか」と考え、それを全うしたKさんでした。

そして、そんなKさんの思いを受け止めて協力したご家族、患者の意向を尊重して精一杯に治療を施した医療サイド、さまざまな立場の方々の「理解」があって、Kさんの「イイ人生だった。」の言葉が紡(つむ)ぎ出されたことでしょう。

 

Kさん宅前のひとときは「人生の機微」を学ぶ機会となり、そのうえで、私が行なってきた活動の復活・継続を促してくださる「静かなる応援のメッセージ」をいただく機会ともなったのでした。

 

 


ゲリラ豪雨

2019-08-21 | 日記

8/20 Tue.

 

この日の午後、川中島の里島地区(交通安全センターそば)の住宅地を挨拶回りに歩いていたところ、空が急に暗くなり まさに「風雲急を告げる」かの空模様に。

スマホの気象情報を確認すると、大雨の注意情報が発令されています。

 

警戒レベル3。

 

 

「濡らしちゃいけない紙(配布資料)持ってるし、こりゃ降ったら困るな。」と思っていたら・・・やってきましたゲリラ豪雨「ポツン、ポツン、ドシャー!!!」それは大粒の雨が突如として降ってきて、慌てて傘をさすもヒザから下はアッという間にズブ濡れです。

そのあげく 路地の路肩に寄り過ぎた私、激しい雨の中、側溝から溢(あふ)れた雨水で道路と側溝の境が判らず、その側溝に片足をズボッと落としてしまい、片足は靴と共にヒザ下が完全に水難状態🌀になってしまいました。

こりゃもう濡れついでだと 半ば開き直り、次のお宅のチャイムを鳴らすと、出てきた家人の方が「あんた濡れネズミじゃないの。今はどうしようもないから、ウチで雨宿りしてきなよ。」と親切に言ってくださり、お言葉に甘えて玄関先にしばし逗留させていただきました。

警戒レベル3のゲリラ豪雨は、屋根を激しく叩き、雨粒の一つひとつが見えるくらいの激しさで、十数分に亘り打ち付けてゆきました。

やがて雨も小降りになったことから、家人の方に礼を言うと「こんな雨の日はタイヘンだけど、応援しているから頑張ってね。雨に濡れてるから これ持ってきな。」と、温かい言葉に加えてタオルまで供してくださり、感謝に尽きないところでした。

 

不測の大雨に見舞われ おまけに側溝に足を突っ込むトラブルにも遭い、心が折れそうになってしまいましたが、来訪先の家人の方の親切に恵まれ「捨てる神あれば拾う神あり」を地で行くような、最終的に優しい心に救われたひとときだったのでした。

 

 

 

ところで、この日たまたまゲリラ豪雨に遭った里島地区は、川中島管内で最も「低地」になっており、雨水が滞留しやすいエリアとなっています。

 

従前にも触れましたが「水は正直」とにかく低い方へ低い方へと流れるもの、したがってこの日の豪雨でも、かかる低地の里島地区は、短時間の雨でもすぐさま水が溜まってゆきました。

私が足を突っ込んでしまったように、側溝はすぐに溢れ 道路と一体化してしまいます。

 

 

この「溢水による一体化?問題」、このような小規模の側溝では片足くらいで済みましたが、流量のある堰(せき)などでは転落して流されてそれっきり、との命の危険が伴うこともあり、決して看過できるものではありません。

 

近年は、都市化(コンクリート化・アスファルト化)の伸張により、雨水が地面に浸透せず そのほとんどが表流し、結果 側溝や堰の溢水、またはアンダーパスや建物地下の冠水、さらには河川の下流域の洪水などの被害が顕著になっています。

 

長野市においても、雨水磲や排水機場の整備を進めているところですが、昨今の異常気象は人智を超えるところもあり、これからも継続的な整備が求められるところです。

私としても 域内の被害多発エリアを把握しつつ、イザというときに住民安全の助力となれるよう、さまざまな意味で備えに心がけてゆきたいと、ズブ濡れた姿で思いをいたしたところです。

 

 

 


「弱者」の立場で

2019-08-20 | 日記

8/19 Mon.

 

ここのところ「煽(あお)り運転」なる傍若無人なドライバーの所作が悪しき話題になっています。

クルマを運転中、並走する車両や前を行く車両、果ては自分の後につく車両にまでいちゃもんをつけ、運転を妨害するかの行動を取り、ときにクルマを降りてまで相手に迫って ひどいときは車体を傷つけたり暴力にまで及ぶ。

さきには 高速道路のSAでのささいなやり取りを引き金に執着ともいえる追跡行為のうえに高速道路上に強制停車させ、結果 重大事故につながった痛ましいケースもあり、これはクルマ社会の中での 由々しき事態と言えるところです。

 

煽(あお)りではないですが、私も自転車を活用したり いち歩行者として道路を歩くうち、さまざまな扱い?を受けることがあります。

例えば、横断歩道で止まってくれないクルマの多さ。

こちら(歩行者)は、道路の向こう側へ渡ろうと待機するも、多くのクルマは素知らぬカオで通り過ぎます。中には、私(歩行者)の姿を現認して かえって加速して通り過ぎるドライバーも。


あと、歩行者を現認して一方の車両が止まるも、対向車が止まってくれないケースも。これは、一方が止まったことで安心して横断し始めた歩行者が対向車に轢(ひ)かれる「サンキュー事故」の一因ともなり 非常に危険と言われています。


また例えば、左の路側帯が広い道路で右折車がいるとき、追随するクルマが路側帯に大きく進入する形で左側を追い抜くケースも。これは私が歩行中に遭遇したことがあり、接触するのではとの「ヒヤリ」を経験したもので、歩行者にとっては恐怖以外の何ものでもありませんでした。

 

・・・。

人はなぜ、ハンドルを握ると「王様(女王様)」になってしまうのでしょうか。

車両という「鉄の鎧(よろい)」を身にまとい、そのときばかりは 自分が絶対的存在になり、自分の運転が全ての基準になってしまうのかもしれません。

自分が転がすクルマが一番。その行く手を遮(さえぎ)る者、自分のペースを乱す者は全て敵!それらは全て排除しなければ気が済まなくなるのでしょうか。


でも 思い起こしてみれば、そんな「王様ドライバー」も ときには歩行者にもなり、自転車にも乗ることもあるでしょう。また免許取りたての頃は、誰しも「ヨチヨチ運転」していたハズです。

そんな「弱者」の立場になれば、自分以外を排除しようとするような運転にならず、逆に他者(他車)に心を配る「思いやり運転」が実践できるのでは。そうすれば、くだんの煽り運転はもとより、いわゆる交通弱者を巻き込む事故の発生も抑止されるのではないかと思うところです。


かくいう私自身、過去に重大な道路交通法違反を犯し現在に至るものですが、この間、自動車運転の必需性や法令遵守の大切さ、そして自分自身が交通弱者になってみて路上に潜む危険などを再認識し、深い反省を抱くと同時に、改めて見えたものが数多くあることを実感したものでした。


それらを通じて、前述の煽り運転などの無下な行為を憂慮すると共に、昨今の社会(運転)状況にかんがみ、せめて私の愚行為を今後に活かすべく、路上における社会安全の向上に向け、償(つぐな)いの心を併せ持ちながら取り組んでゆきたいと思いをいたすところです。


 

 


等しく命あるもの

2019-08-19 | 日記

8/18 Sun.

 

お盆を明けてなお、厳しい暑さが続く毎日、今年は特に熱中症で搬送される人が多いなど、暑さの影響で健康被害に陥るニュースが多く聞かれています。

 

熱中症といえば、日中に停められた駐車場のクルマの車内が高温に至り、車内に居る者が 健康被害どころか生命の危険にさらされていることが都度都度ニュースになっており、その度に憂慮させられているところです。

被害の筆頭は やはり幼児。親御さんは「ちょっとの間」と思い、それもエンジンをかけ エアコンを入れたままにしておけば大丈夫という前提でクルマを離れるようですが、車両のコンディションによっては、エアコンをかけたままのアイドリングでバッテリーに負荷がかかり「エンスト」に陥るケースもあり・・・炎天下の下、ひとたびエンジンが切れれば ものの十数分で車内は蒸し風呂状態になってしまい、それは非常に危険であることは言うまでもありません。

 

一方、同じ類いの熱中症被害に 意外に多く遭うのが、ワンちゃんなどの「ペット」だそうです。

幼子同様、やはり ちょっとの間と車内に置き去りにされたペットが、知らぬ間にエンジンが切れたりして、飼い主が戻ったときには車内でグッタリ、というケースも散見されるそうです。

中には、車内で動き回るうちに、最近の車種で主流になっている「スタートボタン」を押して 自らエンジンをオフにしてしまい、飼い主の思い及ばないところで健康被害に遭うケースもあるとか。

 

近年は、凍死などの寒さによる健康被害よりも、熱中症で生命に関わる健康被害の方が格段に多いのではと思うのは 私だけではないと思います。

「暑さは我慢すれば何とかなる」などとの過去の迷信?に因(よ)らず「暑さの影響は生命に関わる」を前提に、人の子はもとよりワンちゃんなどのペットについても、等しく「命あるもの」として適切に保護してくださるよう、飼い主のみなさんにはくれぐれも自覚していただきたいと願う者の一人です。

 

 

 

「命」といえば、ここのところ 他人様(ひとさま)、さらには自分の家族の命までも軽んじる事件・事故が多く聞かれ、その点においても憂慮の念を強くさせられるところです。

八月は さきの大戦に関する行事が多くあり、その度に 図らずも戦地で身を挺した若者や、爆撃などで戦禍に巻き込まれた罪なき住民のことを思い「命」の儚(はかな)さや大切さを身に染みて覚えたハズの国民が、最近になっては 平和社会の陰で命を軽視するかの所作(しょさ)を為(な)してしまうことは残念極まりなく、であるからこそ さまざまな機会を通じて、一人ひとりが「命の大切さ」を再認識すべきと思うところです。

また ペットについても「飼い始め」は小さくて可愛かったのに、成長につれて もて余して捨ててみたり、面白半分に虐待してみたりと、動物だからと粗末に扱う「ヒトのわがまま」には、ときに怒りさえ覚えるところであり、この点についても、飼うなら最後まで保護責任を全うすべきと強く思うところです。

 

人もワン(生き物)も、等しく「命あるもの」ですから。

 

 

 

 

 

とある日、伺ったお宅の玄関先に 一匹のワンが。

 

 

家によっては、来訪者が敷地内に入った途端に激しく吠えて チャイムを鳴らすまでもなく家人の方が出てこられるケースも間々あるのですが、こちらのワンは一言?も発せず、おとなしくしています。

そんなワンの傍らを過ぎ、チャイムを鳴らして待っても 家人の方は出てきません。

待ち時間?の間、試しにワンに手を伸ばしてみると、これまたおとなしい様子。

 

 

ほどなくして家人の中にお出ましいただき、ワンちゃんの様子を話すと「そうなのよ、このコ、番犬の役目を全く果たしてないの。」と苦笑い。

 

一言も発せず、なのに心安(やす)まるコミュニケーションを実践してくれた、何ともいえず愛嬌のあるワンだったのでした。

 

 

 


思いやりの精神

2019-08-18 | 日記

8/17 Sat.

 

連日 熱戦が伝えられる、高校野球「夏の甲子園」試合展開によっては、大差のつくゲームもあれば 僅差にもつれるゲームもあり、いずれにしてもわれわれスポーツファンは、それぞれの試合に接し、多くの感動をもらうところです。

そんな中、チームの垣根を越えた美談を耳にし、暑い(熱い)戦いの中で一服の清涼剤をもらった感でした。

 

この日 行なわれた3回戦、石川県代表の星陵高校と、和歌山県代表の智弁和歌山高校の一戦は、まさにがっぷり四つ 互いに譲らぬ大一番となりました。

試合は延長十二回を終わっても決着がつかず「タイブレーク(無死一・二塁)」に突入、それでも点が入らないまま試合は十四回まで進み、最後は星陵のサヨナラ3ランが飛び出し 劇的な幕切れとなったのでした。

 

 

この試合の美談は、劇的なサヨナラの瞬間ではなく、その途中にあったそうです。

継投戦術の智弁和歌山高に対し、星陵高はエース奥川投手がひとり獅子奮迅の力投を見せていたのですが、そんな彼も 延長十一回に右ふくらはぎがつり、十二回前には治療に入るを余儀なくされたそうです。

 

 

その際、何と相手チーム 智弁和歌山高の黒川主将から、奥川のために熱中症対策の錠剤が届けられたそうです。それを服用した奥川投手はみごと復活、その後もマウンドを守り、勝利に貢献したのでした。

聞けば、智弁和歌山高の黒川選手と星陵高の奥川投手は、U-18の全日本選抜候補の間柄とのことですが、それにしても雌雄を決する一戦で、ライバル高のエースの窮地を、相手校の選手が救うということは できるようでできない所作と申せ、激しい戦いの中でも示された「敵味方を超えた友情の手助け」は「爽やか」ということばがピッタリくるものですね。

敵に塩を送った 黒川選手は、このゲームでは6打数無安打に抑えられ、敗戦に涙を飲んだのでしたが、それでもなお「奥川君はこれまでの人生で一番すばらしい投手だった」と賛辞を惜しまなかったそうです。

 

 同じく試合終了後、勝ったばかりの奥川投手が涙にくれていたとのこと。その理由を訊かれた彼は「向こうも本気で日本一を狙っていた学校で、日本一を取ってくれと黒川キャプテンに言われ、込み上げるものがありました。」と話したとのこと、まさに県都を越え、チームを超え、勝敗を超えた「相手を敬い、思いやりをもつ精神」には、胸を打たれるばかりでした。 


今の社会「自分さえ良ければ」という風潮が蔓延していると思わされます。

少しでいいから他者のことを思いやれは穏和な社会となれるのに、と、さやざまな事案に触れ思わされます。

そんな中の甲子園の美談、心洗われたのは私だけではないでしょう。


 

 


次世代へ

2019-08-17 | 日記

8/16 Fri.

 

お盆の列島を横断した台風10号は 最終的に熱帯低気圧に変わり、東日本に雨をもたらしながら ようやく「おとなしく」なったところです。

台風一過となった列島ですが、フェーン現象の影響も手伝い、再び猛暑状態が列島を覆うこととなり、(私も含めて)暑さ再認識の日々が続くようであります。

 

ところで、熱中症に関するトピックスの中で「熱中症に注意すべき意外な場所」が伝えられ、認識を新たにさせされました。

それは「トイレの中」だそうです。

トイレについては、主に寒い時期、暖かい室内との寒暖差によって 脳梗塞などの引き金になる、と注意喚起されているところですが、暑い時期の今の時期は、多くの住宅で冷房の届かない個室内で用を足すうち、時間経過と共に脱水症状に陥ることがあるそうです。

そして、そのトイレ内での熱中症予防の最も有効な手立ては「長居は無用」だそうです。用事が済んだらサッサと個室から出る、夏場は特に心がけるべきと伝えていました。

特に動作に時間のかかる高齢の女性にリスクが大きいとのことですので、お身内や知り合いにおばあちゃんのいる方は「トイレ使用の際は、冬だけでなく 夏場も気をつけて。」と伝えてあげてくださいな。

 

 

 

 

送り盆のこの日の夜、JR川中島駅前広場で催された「盆踊り」も最終日を迎え、過去最高とも言える多くの人で賑わいました。

 

 

今年のこちらの夏祭りのテーマ、私は勝手に「次世代へつなげる」と名付けました。

櫓(やぐら)を囲んでできる踊りの輪では、お手本を示してくれる舞踊愛好会の女性陣の背中を見ながら、幼子たちが手を振り足を動かし。

 

 

おうちの人に帯を結んでもらった浴衣を召して、踊り手気分を堪能していました。

 

 

いつしか踊りの輪には、わんぱく盛りの男の子らの姿も。 

 

次世代の、そのまた次世代の幼子も 見ようみまねで参加?です。

 

 

ここでの宴(うたげ)の「次世代育成」には言葉は要らない。シンプルな盆踊りの輪は、世代を超えたコミュニケーションの輪にもなっていたのでした。

 

 

やがてイベントも佳境に入り、恒例のお絵かきコンクールの表彰式です。

 

盆おどりのイメージを絵にした可愛らしい作品たちが紹介され、それぞれに表彰を受けていました。

 

子供たちなりに、夏の思い出を「形」にできる 好企画なのでした。

 

 

 

今回で20回を数える盆踊りもフィナーレを迎え、広場の縁石に皆で腰掛け「大煙火タイム」となりました。

一斉に点火され「煙火の輪」がつくられてゆきます。

 

 

盆の送り火にもなる煙火の輪は、ときに幻想的な風情ともなっていました。

 

 

煙火のフィナーレは、櫓(やぐら)を囲んで盛大に。

 

会場に居る多くの方々は、行く夏を惜しむように煙火を見つめていたのでした。

 

 

イベントの最後には、実行委員会のイキな計らいで アイスキャンディーが頒布されました。

 

きっとこの子らは「来年も来よう!」と思ったことでしょう。

 

イベントの意義は、次年に そのまた次へと伝承され、イベント運営はもとより、その「心」までもが次世代の者へと受け継がれてゆくと確信されます。

 

 

いずれにしても、これだけの大イベントを事故無く運営するのは並大抵のことではなく、運営スタッフには敬意を表するばかりです。

アイスキャンディーの頒布も終わり 人々が家路に向かう頃、イベントの大黒柱であるDJショーケンさんが ふと夜空を見上げ「今夜は満月なんだね。」とポツリ。

 

 

そこには、イベントを 今年も無事に終えた安堵感がにじみ出ていました。

夜空に浮かぶ満月も「おつかれさま!」と言ってくれてる風でした。