10/25 Fri.
台風や豪雨などの大きな自然災害に 列島全体が打ちひしがれる中、自然災害の猛威と それに翻弄される人、そして 長い時間が経っても「終わっていない」ことを実感させられるようなニュースが伝えられ、心を揺さぶられる思いをいたしました。
報道によると、宮城県警が8日、同県沿岸で操業中の漁船の魚網に人骨があるのが見つかり、それが8年前の東日本大震災で行方不明となっていた 付近に住んでいた女性のものと判明したと発表し、両親に遺骨を引き渡すことができたとのことです。
この女性は、沿岸にあるアルバイト先で津波に遭い行方不明となっており、その後の懸命な捜査活動にもかかわらず発見されないままでいましたが、この度 なかば偶然のうちに発見され、8年越しに両親の下に戻ることができたものです。
骨箱を受け取り、父親は「生身の娘が帰ってきたようにうれしい。」と穏やかな表情を見せたとのこと。母親は「こんなに軽くなってしまったけど、やっと帰ってきてくれてうれしい。」と涙を流し「まだ見つかっていない遺族の方々には、どうか諦めないでほしいと声を掛けたい」と話したことが伝えられていました。
このニュースを、私は被災地支援に向かう車中のカーラジオで耳にし、涙が止まりませんでした。幸い信号待ちの最中で 事なきを得ましたが。
突然の大きな自然災害。それにより最愛の家族を失い、その骸(むくろ)にさえ接することができなくなってしまった現実。無情に過ぎてゆく時間。
私たちが いったい何をしたというのか。
自然災害は、ときに何の前触れもなく私たちの元(もと)にやってきて、断りもなく社会生活を壊し 去ってゆきます。被害を受けた方々に何の非も無いのに。
そして、時間だけは容赦なく過ぎてゆく。
東日本大震災から8年が経過してもなお見つからないまな娘。そして、最愛の娘を奪われた このご家族にとっては、あの大震災は まだ終わってなかったことを実感させられました。
そして なお、ご親族の行方が判らない方々が居られ、その方々にとっても東日本大震災は、まだ終わっていないのです。
台風19号の被害が発生してから10日余が経過しました。
被災地では 未だに災害の爪あとが残る中、避難生活を余儀なくされる方々が数多くおられ、また家屋などに実害を受けた方々は、これから予定外の経済的・物理的損失を担いながら 元の生活に戻るべく苦労を強いられることになってしまいました。
台風が去ったからヨシ、土砂が除去されたからヨシ、家 建物が復旧されたからヨシ、では済まないのです。
(従前にも触れましたが)例えば、北部工業団地の会社経営者の方は、これからの会社の建て直しや事業の再開について 大きな不安を口(くち)にしておられました。
建屋が浸水被害に遭ってしまったのですが、その建屋以上に深刻なのが、常時在庫しながら 順次出荷される「製品」の被害です。製品の殆どが泥水につかってしまい、出荷されないまま 廃棄を余儀なくされてしまったのです。
売り上げの元手(もとで)であった在庫製品を失ってしまい、再び会社を操業させるには ゼロから製造しなければならず、そこには 新たなコストがのしかかってくることになります。
被災企業の再生については、国の「経営安定資金」などの支援制度があるものの、いずれにしても〝新たな借金〟であることに変わりはなく、今までの運転資金の返済や設備投資の経費に加え、第二第三の借財を背負っての再スタートは、厳しい(苦しい)としか言いようがないと話しておられました。
かかる経営者の方は「人命が脅かされたワケではないので、それに比べれば何だ、と言われてしまうのかもしれませんが、ウチも命を賭けて稼業を営んでいるので、たかが水害で、などと済ますことはできないんです。」
「水は引いたけれど、台風被害は 全然終わっていない。ウチにとっては むしろ、これからが〝災害の始まり〟です。」
さまざまな社会環境で災害に遭い、それを完結できないなな時間経過を余儀なくされる方が居る。
「無情」を感じざるを得ません。