倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

厳しい中にも 光明が

2019-10-29 | 日記

10/29 Tue.

 

列島各地に大きな被害を及ぼした 台風19号、その被害対応が急がれるも 被災地をはじめ関係機関は非常に厳しい状況に置かれることとなっています。

そんな中ではありますが、政府を初めとする行政機関における〝支援の形〟が徐々に表(あらわ)されるようになっており、今後 より具体的な取り組みに期待が寄せられます。

 

◇長野県における台風被害が「非常災害(激甚災害)」に正式決定

報道によると、政府はこの日の閣議で、台風19号による被害を激甚災害と大規模災害復興法に基づく「非常災害」に指定することを決定し、長野県も その「枠」に入ったことが報じられました。

 

「非常災害」とは、被災自治体に迅速な財政措置を講じ、早期の復旧・復興を目指すものです。政府は今後、災害関連の令和元年度補正予算案の年内編成に向け、調整を急ぐ考えとのことです。

官房長官は この決定について「被災自治体は財政的な心配なく、安心して復旧復興に取り組むことができると思う。一日も早く生活を取り戻せるように政府も全力で支援する。」と述べたことが報じられていました。

 

非常災害に基づく「激甚災害」は、豪雨や地震などの大規模災害で被災した自治体を財政支援するため、政府が激甚災害法に基づき指定します。激甚災害指定で、自治体が実施する道路や河川、農業関連施設などの復旧事業に対する国庫補助率が1~2割程度引き上がるほか、被災企業が再建資金を借りやすくなるとのことです。

今回の台風は被害が広範囲に及んでおり、自治体だけでは対応が困難なため、国の主導で復旧を加速させます。大規模災害復興法適用は平成28年に発生した熊本地震以来2例目となるとのこと。

 

今後、この「激甚災害指定」が、どれ程(ほど)に亘って市域の復旧・復興に その恩恵をもたらしてくれるのかは 現段階では詳細に至らないところですが、いずれにしても 今回の国の決定を追い風とし、一日も早い復旧・復興により 一日も早く「いつもどおりの市民生活」が取り戻されることを期待しつつ、私たちも全力で支援してゆく決意を新たにいたすところです。

 

 

 

◇長野市、浸水区域の数百棟を一括「全壊」に認定

長野市は、台風19号の影響で浸水や家屋損傷の被害を受けた一部地域の数百棟を、一括で「全壊」と認定したことが伝えられました。

被害認定については 市職員が家屋の状況を確認する「全棟調査」が原則ですが、国は床上1・8メートル以上の浸水被害が想定される地域では、地域の四隅の住宅を抽出する「サンプル調査」で被害が確認されれば 地域全体を全壊と認定できるとしており、今回 長野市はその手法を選択したものです。

一括認定は、東日本大震災後の2013年に改定された国の被害認定基準の運用指針に盛り込ました。これは罹災認定を迅速化するための措置で、昨年7月の西日本豪雨では、この方法で岡山県倉敷市真備(まび)町地区の約2100棟を全壊と認定したのが最近の事例として挙げられます。

長野市においては、市内の被害を床上浸水3,305棟、床下浸水1,781棟と推定。このうち千曲川からの浸水被害が甚大な豊野地区と長沼地区でサンプル調査を実施し、計数百棟を一括で全壊と認定したとのことです。

一方、約2万1,000棟が浸水したと推定される福島県郡山市は「浸水地域内の住宅でも基礎の高さの違いで被害が異なる。サンプル調査では不公平になる」として一括認定を見送ったそうです。被害が甚大だった同県相馬市、宮城県丸森町も同様で、台風21号の影響で記録的豪雨となった千葉県茂原市や同県市原市なども、全棟調査する方針とのことが 併せて伝えられていました。

 

この「一括認定」は、自治体の長の政治的判断に他なりません。

長野市の加藤市長の、被災者の心に副(そ)った、スピード感のある英断に心から敬意を表するところです。

行政責任に基づき設置され、住民生活を守るための存在であった堤防、それが まさかの決壊によって甚大な被害が及ぼされた。

私も兼ねてより申し上げているとおり、堤防決壊に伴う被災エリアは「別のもの」と考えるべきであり、今回の市長判断は まさにそれに合致したものであります。

今後も、スピード感と実(じつ)に合った被災地支援の方策が為(な)されることを期待し、共々に支援に全力を尽くしてゆきたいと 報に触れて思いを新たにいたしました。

 

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「秋の実り」が

2019-10-29 | 日記

10/28 Mon.

 

この日は 朝イチで登庁し、階段を上りながら災害対策本部に向かうH副市長を捕まえて(というと人聞きが悪いですが)歩みを共にしながらの〝歩行会議〟。さまざまな案件について会話を交わし、後日 改めて、ということで別れました。

その直後、やはり階段でK市長とバッタリ。市長は何とTシャツ姿で市長室に向かうところで、互いに激励し合う形で どちらともなく「よろしくお願いします!」と交わしました。市長は まさに分刻みで動いておられることから、とりあえず 案件について副市長と打合せをしていることを伝え、今後も連絡を取り合うことで 握手をして別れました。

おそらく、早朝会議から活動服に着替える暇(いとま)も無く館内移動されていたと拝察するところですが、非常に元気な振る舞いで「こんなときこそ大将は元気な姿で!」と自らを鼓舞する姿勢が見て取れました。

いずれにしても 長野市行政の先陣を司るご両名におかれては、降ってわいた課題山積の中 有為な活動に徹せられることを期待するばかりです。

 

その後 議員控室で若干の用務をこなしていると、篠ノ井西寺尾地区のYさんから電話が入りました。

訊けば、今回の台風19号で 千曲川河川敷の「堤外農地(ていがいのうち)」に大きな被害が出ており、農地と そこへ通じる農道が壊滅的な被害をうけている。そして その復旧、というよりも〝残骸処理〟のために、取りあえず農道を再整備したいので調査に来てほしいとのことです。

その声は かなり切迫した様子。私は今日、先日の災害ボランティアで再参加の約束をしてきたことから、それを終えた後に伺うことを伝えて 電話を終えました。

そして私は、Yさんに伴なわれ〝非情な現場〟を目にすることになるのでした。この模様は後日レポートします。

 

この日は、久々の快晴となりました。

思い起こしてみれば、今月来 本当に晴れ間の少ない日が多いことを実感させられます。空を見上げれば 多くの日が曇天か雨模様、あげくの結果が 未曾有の大雨による大災害・・・お天道サマの気まぐれに左右される私たちの社会生活ですが、この日のボランティア活動は「季節の営みに横やりを入れられた」かの この時期での災害発生を恨めしく思うような作業となったのでした。

 

昨日に倣(なら)って 北部災害ボランティアセンターに行くと、この日は 特養「りんごの郷」にあるサテライトへ行くよう指示を受けました。

 

特養「りんごの郷」は、堤防が決壊した穂保地区のやや南にあり、今回の台風において浸水被害を受け、休館を余儀なくされています。その間、少しでも地域のお役に立てれば と、駐車場スペースをボランティアの拠点に解放してくださっているそうです。

 

こちらのサテライトは、豊野と長沼エリアの全体を見渡す役割を担っており、こちらから 各エリアに人材を派遣し、均衡有る復旧活動支援を行なっています。

 

この日 私は、豊野エリア南部のサテライト行きを命じられ 直行しました。

 

豊野エリアは、穂保から決壊した千曲川の水と、水門の閉門によって生じた浅川の内水氾濫の〝ダブルパンチ〟により、町全体が水害に遭う状況になってしまっています。それゆえに、ボランティアの派遣依頼が数多く寄せられているとのこと。伺ったサテライトのマップには、殆どの家庭からボランティアの派遣要請が寄せられており、スタッフのみなさんがやり繰りに苦心しておられました。

 

 

私は、居合わせた大学生グループと一緒に 近隣の、道路に面した 住宅兼工場を訪ね、コーデネーター曰く「家人の方が困っている」というモノを除去することに。

私たち到着すると、家人の方が出てきて、困り顔で敷地の一角にある漂流物の除去を依頼され、さっそく学生諸君が軽トラの荷台に積み込んでゆきます。

 

その漂流物は、大量の「藁(わら)」でした。で、その中にはたわわに実った稲穂があり、それらがこちらの宅前に張り付くように流着していたのでした。

 

これは、どうやら 台風発生の前に稲刈りを済ませて櫨(はぜ)掛けを終え、いずれ脱穀をして 美味しい新米として食卓に載せるハズの米(稲)が、さきの台風による浸水や堤防決壊による河川水の流入に伴い一気に流され、それが漂流物となり あらぬ方に流れ着き、秋の実りが一転、災害のやっかいものになってしまったものと思われます。

こちらのお宅の道路向かいには、過去の水害の水位を示す標柱が立っていましたが、その標柱にも 流された稲穂が引っかかっているのが見られました。

 

 

後で調べれば、この稲穂が引っかかっていたのは、西暦1910年に発生した洪水の記録標のようで、半世紀以上を経て再び大きな水害に見舞われたことになります。

水害を記録する標柱に、秋の実りの象徴たる稲穂の漂着・・・何だか自然の猛威をこんな形で見せつけられたよう、何ともいえない 悔しさのような複雑な心境にさせられたものでした。

そんな状況の中でしたが、私たち〝にわか除去チーム〟は、力を合わせて堆積した稲穂や稲クズの除去に当たりました。

 

この学生チームは、リーダーくんを中心に 非常に統制が取れています。訊けば、大学では児童保育を学ぶゼミ仲間だそうで、この経験を活かして イイ保育士さんになってほしいと期待を心にいたしたものでした。

 

わが除去チームは、一路 このエリアの被災ゴミ集積所へ。

着いてみれば、そこは「長沼公園」です。

 

本来、家族連れや幼児たちが遊びに来るはずのスペースが被災ゴミ置き場に。万やむを得ないとは申せ、残念このうえない光景でありました。

 

遊歩道ならぬ〝ゴミ通路〟を通って可燃ゴミ置き場へ。ここのエリアにも大量の被災ゴミが発生しています。

 

積んできた稲わらを投棄しました。都合 軽トラ2台で3回程の作業となりましたが、これで一反(いったん)ほどの稲なのでしょうか。かえす返すも残念でなりません。

 

やがて時間となり この日のミッションは終了。休日を割いてボランティア参加を果たしてくれた若者たちに心から敬意を表し「また、いつか どこかで!」と手を振って別れました。

作業は厳しく、秋の実りを不測の自然災害に奪われた悔しさが残るものでしたが、将来有為な若者たちの気心に触れることができ、そういう面では充実感を得ることができたひとときだったのでした。

 

私は その足で、午前中に電話を受けた 西寺尾地区の堤外農地の調査に向かいました。

陽も西に傾きかけた南方には、関崎橋が見えます。

 

空は青空、一見すると秋の風情でありましたが。しかし その橋下の河原には、累々と泥流の痕跡が広がっていたのでした。

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする