長野市が 半ば強引に廃止を決めた青木島遊園地問題について、その経過の中で 実に残念なことに、さまざまな不透明な所作が見られることとなっています。
その(不透明の)数々については これまでも散々に亘り伝えられているところですが、こと ここに至って、行政の責務ともいえる事務手続きに大きな瑕疵(かし)があることが分かり、改めて問題視されることになってしまいました。
17日の報道で「長野市が廃止を決めた「青木島遊園地」を巡って、1月下旬から先月下旬まで 市が地権者と借地契約の延長交渉を行なった際の、地権者とのやり取りが分かる「公文書」について、取材に対し長野市は「該当する公文書は存在しない」と回答したのです。
その一方で市(所管課)は「職員の個人的なメモは残している」と答えています。
さらに その際「情報公開の対象となる公文書を作成しなかった理由は特に無いが 今のところ作成の予定も無い」とも話していることが明らかにされたのです。
このことについては、関係者はじめ 私自身も大きな疑問を抱きました。
(さきのブログでも触れていますが)この市(所管課)の行為は、実に〝あざとい手口〟を物語っていることを強く実感させられました。
取材に対し 市(所管課長)は「市職員が組織的に用いるため職務として作成 取得した文書で情報公開請求の対象となる「行政情報」としては保存していないが、経過を記録した職員の個人的なメモは存在する」と答えています。
ということは、経過を記録した「紙」は存在しているのです。
しかし、それはあくまで 職員の個人的なメモ であり、市職員が組織的に用いるため職務として作成 取得した文書で情報公開請求の対象となる「行政情報」ではない。
つまり 経過を記録した「紙」は、たとえ市民が ルールに基づいて情報公開請求しても(個人的なメモだから)公開する義務は生じない、という論法なのです。
だから、上司に対し 実際には「紙」で報告していたとしても、行政ルール上においては公文書は存在しないので「市長には口頭で報告している」で片付けられるのです。
まさに これは、行政事務(業務)において「公文書」を整備しなければならないルールを逆手に取ったあざとい手口、もっと言えば「禁じ手」と言わざるを得ません。
だから、マスコミが所管課に情報公開を求めても おそらく担当職員は「個人的なメモはあっても それはあくまで個人のもの。公文書は作成してないので、公開したくてもできないのです。」と 涼しいカオで答えたのでしょう。
こんなことがまかり通るとすれば、市行政の公正性は破綻してしまいます。
市にとって都合の悪いことは、公文書でなく「個人的なメモ」で残せ。そうすれば 記録は残るが、万一 情報公開請求という合法的手段で公開を求められても、その手から堂々と逃げることができる。
そうだ、この手があるゾ、と。
そうです。長野市は、昨年来の遊園地問題の中で 情報公開請求に直面したことを「学習」したのです。
それは、市民からの求めに 更に真摯に応えなければならないと学習したのではなく、どのように〝合法的に逃げるか〟を学習したのです。
いわば〝悪知恵〟をつけた、と言わざるを得ないのです。
このことについては、さきの3月市議会最終日の「討論」で、私の方からも厳しく意見しました。
[3/20 3月議会「討論」倉野 読み原稿]
さて、さきに述べたとおり、市は当初、遊園地の廃止の経過の中で、児童センター利用児童が恒常的に苦情者に迷惑をかけていることを公文書に記し、その間違いを指摘された際も「事実誤認でした」として、指摘にいわばフタをする格好でやり過ごしており、そのことからも「公文書とは一体なんぞや?」との疑問の声が上がったところですが、しかし、相変わらず公文書は 行政事業の中で大きなウェイトを占めています。現に、今でも遊園地問題の中で児童センター児童が受けたクレームの回数などは訂正されないまま公文書は未だに独り歩きしており、あたかもそれが正しいものであるかのように周知されることとなってしまっています。
そんな中、先日の報道で、児童センター児童が遊ぶ遊園地を巡り、地権者との交渉を記(しる)した記録を公文書として残していないことが明らかになり、驚きを隠せませんでした。そして、その一方で、一連の経過を記した 職員のメモは有るとのこと回答がされ、そこに本市の作為が垣間みられたところです。
私の周辺の識者の推察によると、おそらく土地交渉など際どいやり取りを公文書に残せば 後で情報公開請求された際に開示しなければならなくなるので、公文書としては残さないことにした。しかし、重要な案件だから口頭でのやり取りはできない。だったら あくまで個人のメモとして記録すれば「紙の資料」は残せるけれど、それは情報公開請求が出されても 出す義務は生じない。という論法ではないか。というものです。
公の者が、行政ルールを逆手に取って、その抜け道を使って情報公開の義務を逃れる行為。これは いわば禁じ手と言わざるを得ません。
これをヨシとして職員が合意の上で手を染めているとすれば、本市の将来は非常に危険なものになると言わざるを得ないでしょう。
おそらく、昨年の時点で、情報公開請求によって痛くもないハラを探られることになったことから、このことを学習し、その後の機微に触れる案件については、敢えて公文書として残らない手法を編み出したと思われるところですが、これでは向いている方向が違うと思います。
市民のあらぬ誤解を招いたことを真摯に受け止め、その後は正しい手順を踏んで情報公開に努めるどころか、ルールに則ったうえで 結果隠ぺいを図る行為。こんなことが今後もまかり通れば、市民に開かれた市政はほど遠いものになってしまいます。
この報道が事実とするならば、市民の心には、市に対する新たな疑念の雲が湧き上がったところでありましょう。
この場を借りて、このことについて市に猛省を求めるところです。
このことについて どのように市が受け止めたのかは知るところではありませんでしたが、22日に「長野市が地権者との交渉 一転公文書作成へ」の報道を耳にするに至りました。

報道の内容は下記のとおりです。
近隣住民の騒音への訴えをきっかけに長野市が廃止を決めた遊園地について、市は存続に向けて行なった地権者との交渉経過を公文書として残す予定はないとしていましたが、一転して、今後作成する方針を明らかにしました。
長野市が廃止を決めた青木島遊園地を巡っては、市が先月末まで地権者と借地契約の延長交渉を続けていました。
しかし その経過を記した公文書を作成しておらず、NHKの取材に対し今後も作成の予定がないと答えたことから、交渉経過の検証ができないと 市議会からも批判の声があがっていました。

この問題について、市の担当者は「交渉経過について早急な報告が必要だったため市長には口頭で報告していた」と説明したうえで、今後、公文書を作成する方針を明らかにしました。

そのうえで荻原市長は「当時は文書にまとめる余裕もなかったと思うが、行政が行なっていることを記録としてとどめることは必要だと思う。一連の市の対応を総合的に検証していくなかで、交渉記録の取り扱いについてもしっかり考えていきたい」と述べました。
一方で荻原市長は、公園廃止に向けた工事のスケジュールや、住民への今後の説明のあり方などについては、まだ決まっていないとしています。

長野市(所管課)は、報道ならびに議会側の正義に気圧(けお)される形で 渋々「公文書」を作成することになりました。
それまでは「公文書は無い。でもメモはある。記録はあくまでメモだから(情報)公開の義務は無いよ。」でシラを切り通すつもりでいたようです。
しかし、そうは問屋が卸しません。

22日の会見で、市長ならびに所管課は「交渉経過について早急な報告が必要だったため市長には口頭で報告していた」と答えていますが、その一方で職員の個人的なメモの存在は改めて認めました。
今後、市(所管課)は 一連のやり取りを巡る「公文書」を作成するようですが、その基(もと)となる資料は一体なに?
口頭で行なっていた内容の「記憶」を辿り、さらに職員の個人的なメモからなる「雑記」を重ねて〝公(おおやけ)の文書〟とするつもりなのでしょうか。
そして、そんな 継(つ)ぎ接(は)ぎだらけの書類が「公文書」として また独り歩きを始めるのでしょうか。
こんな展開のうえでの「公文書」が、果たして信頼にあたるものになるのか?
残念ながら〝否〟信頼に耐えないというのが私の感想で、それは 多くの市民が同様に思うことと拝察するところです。
その〝信頼に耐えないこと〟の理由は、この件について報じた信濃毎日新聞記事の後段に触れられていました。

公文書の(改めての)作成について触れた後、記者が 過去に地元住民有志が「遊園地(管理)愛護会」の設立に必要な書類交付を所管課に求めたところ「それは出せない」と断っていた事実を確認したところ、所管課長は「断ったわけではない」と主張したというのです。
このことについては 私も当事者(住民有志)に確認しましたが、市民の申し出に対し「現時点では出せない」と断られたことを正に聞いており、所管課の説明には明らかな食い違いがあります。

これは非常に残念なことでありますが、本件に関する市(所管課)の言い分には 矛盾や事実誤認があまりに多く、信任に耐えうる状況ではなくなっています。
そのうえでの「公文書は無い→作る予定は無い→やっぱり作る→でも その資料は、職員の(口頭での)記憶と 個人的なメモにある雑記に頼って作る」というものでは、そこからできた公文書の信頼度は 限りなく低いと言わざるを得ないでありましょう。
またぞろ 市にとって都合の悪い内容は忘れたことにして記述(記録)せず、市にとって都合のイイようにストーリーを作るんじゃないか。
もうこなれば、議会の議事録同様に「音声録音」を基に詳細を記するしかないのではないかと思わされるほど、信頼度の低くなった「公文書」の存在。
それもこれも、これまで18年に亘って行なってきた 関係者の所作の積み上げの結果(結末)であります。
一体 どのような公文書ができ上がってくるのかは知る由もありませんが、いずにしても スッキリとした気持ちで案件に向き合うことができないことは、残念に尽きないところであります。
さらに蛇足で申せば、会見の終段に、記者から「(遊園地の)利用が実質困難な状態は続いているか」との問いに「遊びに規則や決まりがあるのはどうなのか」との答え。
市長はいったい何を言いたいのか。
公共の場所を利用するのに 一定のルールを定めるのが悪いとでもいうのか。
もっと言えば、これは完全に議論のすり替え。
ここでも「子どものせい(責任)」に転嫁しているのです。

また、春休みから校庭すら使えないでいる状況に一言「心苦しく思う」と。

確か本人は、遊園地を廃止する代わりに「オギワラビジョン」を立ち上げ、子どもたちの良好な環境を直ちに整備するのではなかったか。
少なくとも春休みには、子どもの居場所を整えるハズではなかったか。
で、それができないときの対応が「心苦しく思う」の、言葉だけ。
今 求められているのは、軽々な謝罪などの「言葉」ではなく、具体的な対応なのです。
それができないというのであれば、取りあえずでも現状を維持するべきなのです。
市長においては、どうにも言葉だけが躍るだけ…空(むな)しさだけがつきまといます。
そのうえで、そのツケを回されているのが 他でもない子どもたち。
そのことが、何より残念でならないのです。
◇感動のWBC ~そこから学んだこと~
今さら言うまでもなく、開催されたWBC(ワールドベースボールクラシック)は、侍ジャパンの優勝という感動のフィナーレで幕を閉じました。
この間、さまざまなドラマが生まれましたが、私は その中でも、準決勝のメキシコ戦が特に印象に残り さらに大きく学んだものでした。
4対5の劣勢で迎えた最終回、先頭打者の大谷翔平選手が右中間に好打を放つと、一塁を回る直前に自らヘルメットを脱ぎ捨て、2塁に激走しました。

その後、2塁ベースに仁王立ちとなった大谷選手は 自軍のベンチに向かって大きく手を挙げ「カモーン!」と鼓舞したのでした。

この大谷選手の姿に 侍ジャパンナインも大きな力を得たのでしょう、それまで不振を極めていた村上選手が左中間にサヨナラ打を放ったのでした。

まさに 起死回生の一発を呼び込んだ、最終回の大谷の全力プレーだったのでした。
試合後に大谷選手は「最後まであきらめない、その気持ちだけ」と シンプルに心境を吐露し、その純粋な心根のままにピッチを躍動したことが伝えられていました。

さまざまな困難な状況に陥っても、最後まであきらめるな。
私たちの社会生活にも通じる「メイク ドラマ」だったのでした。