3/30 Mon.
巨星堕つ。
まさに、しかし 本当に残念ながら、その言葉が当てはまってしまう訃報が列島を駆け巡り、それを耳にした私も絶句してしまいました。
タレントの 志村けん さんが、新型コロナウィルスによる肺炎で急逝されてしまいました。
陽性感染の発表から わずか13日。本当にアッという間に、新型ウィルスは志村さんの身体を蝕(むしば)み、その生命すらも奪ってしまったのでした。
私も少年期、土曜日の午後8時を待ち遠しく過ごした者の一人でした。
最近では 動物を相手にした番組をコーディネートされ、温かな時間をお茶の間に流してくれていました。
志村さんの訃報に接し、各界から悲しみのコメントが寄せられています。
そんな中でも、プロ野球・ソフトバンクの王貞治球団会長のコメントが印象的でありました。
王会長は「ショックですよね。われわれと一緒に歩んで来た人が、こんなコロナウィルスという理由で亡くなるということは防ぎたかった。」と、無念の表情を浮かべたとのこと。
さらに氏は「志村さんは不本意だろうけど、甘く考えていた人たちが身近なことと受け止めてくれたら、志村さんの死は無駄にならないと思う。少しでも気をつけようってなってほしい。」と 警鐘を鳴らしたとも伝えられ、私も大きく同意したところです。
中国の地方都市に端を発した新型ウィルスは、今や その勢力を全世界に広げ、現在は欧州を中心にパンデミックの様相を呈しています。
私たちの住む日本においては、発生源国の隣国でありながら 現時点では「クラスター/爆発的感染」には至っておりませんが、首都圏を中心に 感染者数が大きく右肩上がりになっている状況を踏まえれば、いつ どのような形で感染爆発が起こるか予断を許さない状況であり、その際には 真っ先に、高齢者や持病のある方などの〝健康弱者〟の方々に、それこそ 志村さんのように生命の危険が及ぶことが懸念されるところです。
そんな中、私(だけではないでしょうが)が最も懸念するのが、無症状のまま ウィルスを〝持ち運んでいる〟若者の存在と、その行動です。
折しも、卒業シーズンと 花見などの行楽シーズンとが重なり、自粛要請が出されている中、良識ある行動(自宅待機)に努める者がいる一方、「自分だけは大丈夫」との〝正常化バイアス〟の誤った判断により外出(最悪なのが欧州への海外旅行)する者、または人目につかないようにと、仲間とカラオケハウスに行って(これが最悪の選択)マイクを回して歌に興じる者などが 無自覚のまま感染し、自らウィルスのキャリア(運び屋)となる。
そして さらに最悪なのが、学校の休校などに伴い 都会を離れて実家に帰省。もし その若者に新型コロナウィルスが宿っていたとすれば、自ずと濃厚接触となる実家の家族に感染し、そこで〝家庭内クラスター〟が発生してしまうことになるでしょう。(この事例は、既に飯田エリアで起こっていることが報じられています)
そしてさらに最悪の場合、実家のじいちゃんばあちゃんに新型ウィルスを自ら移し、大きな健康被害の温床になってしまうことではないか と。
高速交通網が発達した昨今、例えば東京⇔長野間が 距離にして約200km離れていたとしても、時間にすれば(新幹線で)約1時間で結ばれてしまう。
先日の報道で、北佐久郡軽井沢町が 県外からの来訪者で溢れており、佐久市長が 敢えての形で、その行動に警鐘を鳴らすTwitterを発信、物議を醸していることが報じられていましたが、事程左様(ことほどさよう)に、今や長野県は〝首都圏の一部〟であり、首都圏の状況は まさに「明日は我が身」と覚悟しなければならないのかもしれません。
一方、高齢者の中にも、あろうことかパチンコ屋に出かける人がいたり、そうではなくとも 独居ゆえにやむを得ず買い出しに出かけ、行列に並ばなければならない方もおり「誰が悪い」と言い切れない側面があることも事実ですが。
・・・・・。
志村けん さんの訃報は、私たち庶民を悲しみの底に落とすと同時に、さまざまなことを 私たちに伝えて(教えて)くれることとなりました。
新型コロナウィルスという、憎んでも憎み切れない輩に 突然の別れを強いられることになった私たちは、その悲しみを堪(こら)えながら、せめて 志村さんの死を無駄にしないよう、改めての注意喚起と自己管理に努め、これ以上 悲しみの報に接しなくても済むような態勢を新たにしたなければならないと 心に強く思ったところです。
夕方、私の住む地区管内にある児童センターを訪ね、一連の〝学校臨時休業(休校)〟を経た中での状況を伺いました。
施設の入り口には、新型コロナウィルスに対応する貼り紙がされ、手洗いの励行が記されていました。
突然の形で 学校の臨時休校が〝要請〟されて 約1ヵ月が経過し、来週には新学期を迎える段となりました。
学校臨時休業の煽(あお)りを まともに受ける形となった児童センターでしたが、支援員さんの一人は その間のことを「一言でいうと「大変だった。」に尽きます。」と述懐されていました。
そもそも 児童センターは、学校の中では クラス分けなどで年齢別・個別にしっかり管理されている児童を、放課後になった途端に いわば一緒くたに預かるを余儀なくされています。
そのうえ、今回の臨時休業の目的が「新型コロナウィルスからの感染予防」であったことから、ごちゃ混ぜの児童に万一のことがあってはならぬ と、衛生管理などにも神経を使い、また ただでさえ狭い施設の中で濃厚接触を避けるために さまざまなやり繰りをしなけれなならず・・・心身共に徒労する日々であったそうです。
しかも、スタッフさんにも限りがある中、急に長期休みの態勢を取らなければならなくなってしまいました。どうしても人繰りの間に合わないときは、正規の支援員さんが 朝に出勤して昼に一旦帰宅、自分の家の用事を済ませて午後に再び出勤するという〝ダブル出勤〟を余儀なくされる日もあったとのことでした。
それでも「ホント大変だったけど、ほとんどみんな 体調を崩すことなく元気で過ごしてくれて、それだけは安堵しています。」とおっしゃられ、そのご労苦に 私の立場でも心からご慰労を申し上げたところです。
今回の〝臨時休業(休校)〟は、さまざまな矛盾を抱えたまま推移し、そのマイナス面を一手に引き受けてくださったのが かかる児童センターさんでした。
今回の件を契機に、改めて放課後子ども支援事業の大切さを再認識すると同時に、今後 児童センター事業そのものの支援を高めてゆくべきことを実感する機会となったのでした。
施設を辞するとき、ちょうど 若いパパがお譲さんたちをお迎えに。
「ほら、早く行くぞ!」と、一見 不愛想に声をかける パパ。
「ちょっと、パパ、待ってよ~!」と姉妹が追いすがるパパの背中は、言葉と裏はらに 愛情に満ちている風でした。
センターの裏手の桜の樹々も、固い蕾(つぼみ)を結んでいました。
春は、もう そこに居ます。