倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

悲しみを堪(こら)えて

2020-03-31 | 日記

3/30 Mon.

 

巨星堕つ。

まさに、しかし 本当に残念ながら、その言葉が当てはまってしまう訃報が列島を駆け巡り、それを耳にした私も絶句してしまいました。

タレントの 志村けん さんが、新型コロナウィルスによる肺炎で急逝されてしまいました。

陽性感染の発表から わずか13日。本当にアッという間に、新型ウィルスは志村さんの身体を蝕(むしば)み、その生命すらも奪ってしまったのでした。

私も少年期、土曜日の午後8時を待ち遠しく過ごした者の一人でした。

最近では 動物を相手にした番組をコーディネートされ、温かな時間をお茶の間に流してくれていました。

 

志村さんの訃報に接し、各界から悲しみのコメントが寄せられています。

そんな中でも、プロ野球・ソフトバンクの王貞治球団会長のコメントが印象的でありました。

王会長は「ショックですよね。われわれと一緒に歩んで来た人が、こんなコロナウィルスという理由で亡くなるということは防ぎたかった。」と、無念の表情を浮かべたとのこと。

さらに氏は「志村さんは不本意だろうけど、甘く考えていた人たちが身近なことと受け止めてくれたら、志村さんの死は無駄にならないと思う。少しでも気をつけようってなってほしい。」と 警鐘を鳴らしたとも伝えられ、私も大きく同意したところです。

 

中国の地方都市に端を発した新型ウィルスは、今や その勢力を全世界に広げ、現在は欧州を中心にパンデミックの様相を呈しています。

私たちの住む日本においては、発生源国の隣国でありながら 現時点では「クラスター/爆発的感染」には至っておりませんが、首都圏を中心に 感染者数が大きく右肩上がりになっている状況を踏まえれば、いつ どのような形で感染爆発が起こるか予断を許さない状況であり、その際には 真っ先に、高齢者や持病のある方などの〝健康弱者〟の方々に、それこそ 志村さんのように生命の危険が及ぶことが懸念されるところです。

そんな中、私(だけではないでしょうが)が最も懸念するのが、無症状のまま ウィルスを〝持ち運んでいる〟若者の存在と、その行動です

折しも、卒業シーズンと 花見などの行楽シーズンとが重なり、自粛要請が出されている中、良識ある行動(自宅待機)に努める者がいる一方、「自分だけは大丈夫」との〝正常化バイアス〟の誤った判断により外出(最悪なのが欧州への海外旅行)する者、または人目につかないようにと、仲間とカラオケハウスに行って(これが最悪の選択)マイクを回して歌に興じる者などが 無自覚のまま感染し、自らウィルスのキャリア(運び屋)となる。

そして さらに最悪なのが、学校の休校などに伴い 都会を離れて実家に帰省。もし その若者に新型コロナウィルスが宿っていたとすれば、自ずと濃厚接触となる実家の家族に感染し、そこで〝家庭内クラスター〟が発生してしまうことになるでしょう。(この事例は、既に飯田エリアで起こっていることが報じられています)

そしてさらに最悪の場合、実家のじいちゃんばあちゃんに新型ウィルスを自ら移し、大きな健康被害の温床になってしまうことではないか と。

 

高速交通網が発達した昨今、例えば東京⇔長野間が 距離にして約200km離れていたとしても、時間にすれば(新幹線で)約1時間で結ばれてしまう。

先日の報道で、北佐久郡軽井沢町が 県外からの来訪者で溢れており、佐久市長が 敢えての形で、その行動に警鐘を鳴らすTwitterを発信、物議を醸していることが報じられていましたが、事程左様(ことほどさよう)に、今や長野県は〝首都圏の一部〟であり、首都圏の状況は まさに「明日は我が身」と覚悟しなければならないのかもしれません。

 

一方、高齢者の中にも、あろうことかパチンコ屋に出かける人がいたり、そうではなくとも 独居ゆえにやむを得ず買い出しに出かけ、行列に並ばなければならない方もおり「誰が悪い」と言い切れない側面があることも事実ですが。

 

 

 

・・・・・。

志村けん さんの訃報は、私たち庶民を悲しみの底に落とすと同時に、さまざまなことを 私たちに伝えて(教えて)くれることとなりました。

新型コロナウィルスという、憎んでも憎み切れない輩に 突然の別れを強いられることになった私たちは、その悲しみを堪(こら)えながら、せめて 志村さんの死を無駄にしないよう、改めての注意喚起と自己管理に努め、これ以上 悲しみの報に接しなくても済むような態勢を新たにしたなければならないと 心に強く思ったところです。

 

 

 

 

 

夕方、私の住む地区管内にある児童センターを訪ね、一連の〝学校臨時休業(休校)〟を経た中での状況を伺いました。

 

 

施設の入り口には、新型コロナウィルスに対応する貼り紙がされ、手洗いの励行が記されていました。

 

 

突然の形で 学校の臨時休校が〝要請〟されて 約1ヵ月が経過し、来週には新学期を迎える段となりました。

学校臨時休業の煽(あお)りを まともに受ける形となった児童センターでしたが、支援員さんの一人は その間のことを「一言でいうと「大変だった。」に尽きます。」と述懐されていました。

そもそも 児童センターは、学校の中では クラス分けなどで年齢別・個別にしっかり管理されている児童を、放課後になった途端に いわば一緒くたに預かるを余儀なくされています。

そのうえ、今回の臨時休業の目的が「新型コロナウィルスからの感染予防」であったことから、ごちゃ混ぜの児童に万一のことがあってはならぬ と、衛生管理などにも神経を使い、また ただでさえ狭い施設の中で濃厚接触を避けるために さまざまなやり繰りをしなけれなならず・・・心身共に徒労する日々であったそうです。

しかも、スタッフさんにも限りがある中、急に長期休みの態勢を取らなければならなくなってしまいました。どうしても人繰りの間に合わないときは、正規の支援員さんが 朝に出勤して昼に一旦帰宅、自分の家の用事を済ませて午後に再び出勤するという〝ダブル出勤〟を余儀なくされる日もあったとのことでした。

それでも「ホント大変だったけど、ほとんどみんな 体調を崩すことなく元気で過ごしてくれて、それだけは安堵しています。」とおっしゃられ、そのご労苦に 私の立場でも心からご慰労を申し上げたところです。

 

今回の〝臨時休業(休校)〟は、さまざまな矛盾を抱えたまま推移し、そのマイナス面を一手に引き受けてくださったのが かかる児童センターさんでした。

今回の件を契機に、改めて放課後子ども支援事業の大切さを再認識すると同時に、今後 児童センター事業そのものの支援を高めてゆくべきことを実感する機会となったのでした。

 

 

施設を辞するとき、ちょうど 若いパパがお譲さんたちをお迎えに。

 

「ほら、早く行くぞ!」と、一見 不愛想に声をかける パパ。

「ちょっと、パパ、待ってよ~!」と姉妹が追いすがるパパの背中は、言葉と裏はらに 愛情に満ちている風でした。

 

 

センターの裏手の桜の樹々も、固い蕾(つぼみ)を結んでいました。

 

春は、もう そこに居ます。

 


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チェック機能

2020-03-30 | 日記

3/29 Sun.

 

朝、周囲は あたかもタイムスリップしたかの雪景色でした。

 

昨夕からの霙(みぞれ)が夜半から雪に変わり、ややまとまった名残雪(なごりゆき)を降らせたのでした。

ムラの生活道路も雪に覆われ、

 

クラちゃん看板も、寒さに震えているようです。

 

 

先日 落慶したばかりの 善光寺仁王門、真新しい銅屋根に雪が降り積もる この時期としては貴重な絵柄となっていました。

 

 

報道によると この気候は、長野エリアのみならず 首都圏を含んだ甲信越エリアに広く雪をもたらしたとのこと。

 

折しも 新型コロナウィルスが蔓延する中、急激な気温の低下は 身体にさらなる悪影響を及ぼしかねません。

 

それぞれにご自愛いただきたいと 切に願ったところです。

 

新型コロナウィルスは 今般〝新たな社会問題〟をも呼び起こしてしまっているとの報もあり・・・この件については、後日レポートします。

 

 

 

 

◇チェック機能

この日、ブレーンのMくんとアポがあり、現下の 行政関係事業に横たわる〝根本的な問題点〟を指摘してもらう機会となりました。

詳細については後日に譲ることといたしますが、話しを総じて「チェック機能の大切さ」が共通見解として導き出されました。

 

団体等の活動(事業)について、それを 旧来からの慣習に倣うままに漫然と行なうのではなく、それ(事業)が「何のために(誰のために)行なわれるべきものなのか。」を 常に突き詰めて考えながら行動(活動)することが何より重要である、と 言うより、それが当たり前のこととして行なわれなければならない。

例えば、身体の不自由な方が 手動ドアの前で入場できずに困っていたら、率先してドアを開けてあげる。

これは 何も特別な行為ではなく「当たり前のこと」であり、その 当たり前が、当たり前のこととして普通に行なえるような社会であるべき。

しかし、それが「私は ドアを開ける担当ではないので できません。」とか「あんたのために、わざわざドアを開けてやろう。」と言い放つような社会(組織)であれば。こんな世知辛いことは無いでしょう。

しかも それが「それ(ドアを開けないこと)は、規則だから仕方がないね。」と容認するような体制であれば。これは 断固として改善してゆかなけれななりません。

 

また、団体等の活動(事業)においては、その公正性を担保するために「監査」が付きものですが、その「監査」においても、それ(団体の活動)が「何のために(誰のために)行なわれているか。」が 正しくチェックされているのか、が問題にもなるところです。

あるサービスを提供する事業であれば、そのサービスは、真にサービスを提供する相手側のために思慮され実行されているか?もしかしたら、サービスを行なう側に都合がイイように作為されてはいないか。

この点においては、まさに「監査」の妥当性が問われるところです。

その「監査」も、ややもすると 数字の突合(合致)を重んずる「会計監査」に重きが置かれるところですが、その弊害として「数字合わせ」の作為が懸念されます。

数字さえ合っていれば、事業の中身は「良きに計らえ。」的な傾向。

これでは、事業は慢性化・マンネリ化の一途を辿ってしまう。

大切なのは、いくら使ったか だけではなく「何のために使い、その成果は目的に叶(かな)ったか。」つまり「事業監査」が適切に行なわれているのか、ではないか。

 

 

・・・・・・・。

Mくんとの会話は、今後に大きな課題を提供してくれるものになりました。

私としても 今後、Mくんを通じて示される 具体的事例を通じ、公益性を伴う事業についてメスを入れ、それらの事業が 真に市民益に叶っているものかどうか、検証を深めてまいりたいと存じます。

微細ながら「チェック機能」の一翼を担うべく。

 

 


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救うべきもの

2020-03-29 | 日記

3/28 Sat.

 

 

3月も月末(つきずえ)、年度末を迎えようとしています。平成から令和へと元号が変わり 新たな元号の初年度「令和元年度」が あと数日で終わりを告げようとしています。

 

さきの東日本台風台風の最大の被災地で暮らすMさんは「旅行業」を営んでおり、自宅が全壊の被害を受けました。そのうえ、災害の影響で〝行楽の秋〟の旅行が軒並みキャンセルとなり、さらに、この頃の新型コロナウィルス騒動からの〝外出・移動自粛〟による まさにダブルパンチの影響で「干上がってしまう。」との悲痛な声を挙げておられるのです。

週末になったので Mさんの慰問にと、在住の「津野区」へ向かう途上 車中にて、昨今のさまざまな〝社会的被害〟を踏まえ、考えさせられること しきりでした。

 

 

さきの東日本台風台風においては、千曲川沿線の多くの農地が甚大な被害を受け、多くの離農者が出ることが懸念される中、行政支援と 多くの農業ボランティアの助力により農地復旧が果たされつつあります。

地域の基幹産業である農業の「窮地」が、いわば水際で回避された好事例でありました。

 

一方、現下の「新型コロナウィルス問題」では どのような状況にあるか。

前述の Mさんの述懐にあるとおり、国内の社会経済が停止状態に陥る中 じわじわと、そして確実に悪影響を受けている分野がある。

 

日本の全産業の9割を占めている「中小事業者」の方々こそが、東日本台風で大きな被害を受けた農業者と同様の「窮地」に立たされているのではないか。

今 日本 いや世界全体は、あらゆる社会活動がフリーズ(凍結)状態にあり、当然 サービス業や製造業など あらゆる産業がストップ状態にあります。

しかしながら そこ(各産業)に従事する方々にも、日々の生活があるワケですから、例えば事業主の方にすれば、従業員の給与補償をしなけれればならない。ところが そこに、内部留保などの「手元流動資金」があれば それを取り崩して息を継ぐこともできるでしょうが、多くの中小事業者は 前月の売り上げ(利益)を当月の支払いや給与に回し、そのうえで当月分の稼ぎを翌月に回すという〝自転車操業〟で乗り切っている社も少なからずあることから、その〝ペダル回し〟が止まってしまった時点で 利益どころか、従業員の給料も支払えない状況に陥ることが懸念されると考えられます。

そして さらなる懸念材料は、経済学者の多くが述懐するのを聞くと、一度(ひとたび)不渡りなどで倒れた事業者(所)は、なかなか再建(再興)するのが難しいという現実があるそうなのです。

自転車操業でも何でも、会社が「回っているうち」は何とかなるけれど、一旦〝足〟が止まってしまうと、もう一度漕ぎ出すのは容易ではない、と。

ある製造業の方は「農業だったら、農地がいくらか(の間)休んでも、また何年が後に 再び鍬(くわ)を入れれば再興できるけれど、オレらの場合は、一回(不渡りなんかで)止まってしまうと、信用無くなったり従業員を手放したり 何だかんだで「もう一回」ってワケにはゆかないんだよナ。」と 眉間にしわを寄せながらおっしゃっていたものでした。

 

現下の中小事業者の厳しい状況は、東日本台風の農業被害を超えるレベルなのかもしれない。

ただ残念ながら、中小事業者支援については ボランティアなどの善意の集積では如何ともし難いことから、ここは「国策」に基づき、無利子融資や補助金の交付など、まさに「ワクチン」の注入が強く求められるところです。

折りしも年度末、事業所によっては3月決算のところもあるでしょうから、私の立場でも関係者に要望すると同時に、長野市としても 状況把握に努め、東日本台風での被災者支援を参考にしながら、今般の中小事業者支援の方策を検討するよう具申してまいりたいと思うところです。

 

 

 

 

慰問に伺ったMさんは あいにく不在でしたが、その足で 津野エリアの状況を視認いたしました。

先般の現調の際には 仮堤防の土砂が撤去されていた決壊箇所、そこには〝本格盛土〟が形成されていました。

 

5月末を目途に、本格復旧工事が行なわれています。

 

 

 

堤防の河川側も、法面が構築されています。

 

さきの東日本台風台風では、堤防の下部を河川水が浸透(パイピング)して決壊の一因となったと言われていることから、堤防下部の補強が行なわれています。

 

 

一方 こちらは長沼支所。

 

全壊した支所の隣りに、仮設支所が設置されることになっています。

 

取りも敢えず、行政の拠点の設置が急がれるところです。

 

新年度の早いうちに、地域行政基幹施設が機能再開することこそが、住民を「再び、この地で!」との意欲喚起につながると確信します。

 

 

 

時節は移ろい、被災地にも僅(わず)かながら 可憐な花が。

 

 

さまざまな状況に置かれている全ての方々に、本当の意味での「春」が訪れることを 願わずにはおれません。

 

 

 


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仕切り直し

2020-03-28 | 日記

3/27 Fri.

 

 

この日、河川敷に設置されたマレットゴルフ場を管理・運営する「犀川南マレットゴルフ場(愛称/アカシアの杜)愛護会」の役員会が行なわれました。

その折、議事には上げられませんでしたが、さきに決定していた「アカシアの杜マレットゴルフ場」で行なわれることになっていた「厚生労働大臣杯 全国マレットゴルフ大会」が延期されることになったことが報告されました。

この全国大会については、私も さきの本会議で質問項目(要望事項)に挙げ、新型コロナウィルス問題で開催は未詳だが、行なうことを前提に支援について要望し、市においても 長野市で初めて行なわれる全国規模のマレットゴルフ大会を歓迎し、応分の支援を行なうことを表明していました。

 

今回は ある意味「案の定」という形で、予定どおり(5月)の開催は叶わなくなってしまいましたが、これはあくまで延期、来る10月に仕切り直して開催されることになったそうです。

次回の延期大会は、厚労大臣杯が文科大臣杯に鞍替えして行なわれるようですが、いずれにしても 今回の延期判断は適切なものであったと評しながら、先ずは 秋には この〝難敵〟も終息に向かってくれることを願い、そのうえで 初の全国大会を立派に開催することができるよう、改めて皆で協力してゆくことが確認されました。

 

顧みれば(本ブログでも触れているとおり)、この「犀川南マレットゴルフ場/アカシアの杜」は、平成18年に供用が開始され、以来 数えてみれば14年の歴史を重ねることとなっています。

川中島町 若葉町区からの「犀川の畔にマレットゴルフ場を」との市長要望がはかばかしくなかったことを受け、当時 現役(市議)となって まだ間もない私からの「ならば 先ずはみんなで汗をかいて行政を動かしましょう!」の声を 当時のM区長さんはじめ多くの愛好者の方々が前向きに受け止めてくださり、その後は朝に夕に現場に出ては 造成作業に汗を流したものでした。

雪の積もる冬季は、各家庭の物置に眠るスキー板を皆で持ち寄って「そり」を作り、伐採したニセアカシアの幹を運搬したことなどの苦労話は、今も語り草になっています。

 

そしてドラマは更に続きます。供用が始まり(H18年4/1)、楽しみ始めた矢先の7月、完成後3ヶ月も経たないうちに市域を「平成18年度豪雨」が襲い。せっかく造ったコースの殆どが 土石流(花泥)に埋め尽くされてしまったのでした。当時のみんなの落胆ぶりは相当なもの、今も胸が痛くなるほどです。

しかし私たちは 再び立ち上がりました。せっかく造ったコースを こんなことで諦めてはならぬとばかりに 私は再び声を挙げ「社会にには〝盆暮れ勘定〟の流儀があるじゃないですか。さあみなさん、このお盆までに何とかしましょう!」と無理を承知で皆を鼓舞したうえで 消えかかった〝心の灯〟を興したものでした。それにみなさんは力強く応えてくださり、何と その年の秋には再供用を始めることができ、現在に至っているものです。

後でM区長さんと「あのときギブアップしていたら、アカシアの杜の再生は無かった。無理をして本当によかった。」としみじみ話したことを今でも覚えています。

 

その〝不屈の精神〟は脈々と受け継がれていました。現に、さきの東日本台風台風で 60本もの倒木被害が出たにも関わらず総出で復旧作業にあたり〝休業期間〟を最低限に収めたものでした。

 

 

 

 

もとよりマレットゴルフは、健康寿命延伸に最適な軽スポーツとして広く愛好されており、その多面的な健康効果が高く評価されています。

 

マレットゴルフの優位な点は

・打つ→歩く→止まる→打つ の不連続性/身体に無理のかからない有酸素運動

・スコアの計算/簡単な足し算引き算による〝脳トレ効果〟

・複数のメンバーでプレイ/コミュニケーションの醸成

・道具がシンプル(スティック1本とボール2個)で、プレイフィー(参加費)が無料または廉価/参加の手軽さ

などが挙げられると思います。

 

 

・・・・・・・。

今は まさに、新型コロナウィルスによる〝健康受難時代〟を迎えるに至っています。

目に見えない新たなウィルスが巷(ちまた)に蔓延し、特に 持病があったり呼吸器に疾患があるなどの いわゆる「健康弱者」の方々が罹患すると、場合によっては重症化することが伝えられています。

そのうえで、この新型コロナウィルスが 既存のインフルエンザなどの疾病と異なり厄介視されているのは「ワクチンが無い」に尽きると申せます。

 

その状況下での最大の〝ワクチン〟は、他でもない「健康な身体」に他なりません。

適度な運動と適切な食生活などにより、健康弱者に陥らないように心がけることこそが、新型ウィルスへの抵抗力を養うことにつながり、そのためにも、マレットゴルフなどを楽しむことにより 知らず知らずのうちに病気に負けない強い身体をつくることが肝要と申せます。

 

マレットゴルフなどの軽スポーツは(前述のとおり)健康寿命延伸の重要なツールであると同時に、今は 新型ウィルスの〝抗体〟としても重用されるべきものに位置付けられることになったようです。

幸い、マレットゴルフは屋外競技のため 競技者同士の「濃厚接触」のリスクが非常に低いのも利点と思われます。

愛好者の方々におかれては、プレー後の(テント内での)歓談などを 今は最低限に止めるなどしながら「濃厚接触」には留意しつつ、適度な運動の継続により 元気な身体づくりに努めていただきたいと願うところです。

 

ちなみに、こちらの「アカシアの杜」の〝名づけ親〟が 不肖 ワタクシであることを知っているのは、今は亡きMさん以外、ごく限られているようです・・・。

 

 


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未来の長野市を託す ~長野市子ども議会~

2020-03-27 | 日記

3/26 Thu.

 

 

◆「長野オリンピック記念マラソン」と「善光寺花回廊」が無念の中止

新型コロナウィルス影響によるイベントの自粛が相次ぐ中、来月長野市で開かれる予定だった「長野オリンピック記念マラソン(長野マラソン)」ならびに、5月のGWに行われる「善光寺花回廊」の中止が決まったことが相次いで報じられました。

長野マラソンは、全国十指に入る人気のマラソンイベントで、今年(4/19開催予定だった)も 1万人を超えるエントリーがありましたが、大会組織委員会は「大勢の人が集まるため新型コロナウイルスに感染するリスクがある。」として苦渋の判断を下しました。

一方、GWに合わせて開催される「善光寺花回廊」も中止が決まりました。路上を有志による花アートで彩る「花キャンパス」は行わず、これまでに用意をしてきた花の展示のみとするとのことです。

東日本台風~新型コロナウィルス騒動(但し 現時点では市内に罹患者ナシ)と、たて続けに災難に見舞われた長野市、そんな状況をV字回復に導く起爆剤になるハズの春のイベントでしたが、東京五輪までもが延期を余儀なくされる中では いた仕方ないと言わざるを得ません。

 

今は我慢のとき・・・長野市の一員として、唇を結ぶところです。

 

 

 

 

◇「長野市子ども議会」 子らの立派な立ち振る舞いに感心・感動

この日、長野市議場で「本会議」が招集(開催)され、傍聴させていただきました。

 

「長野市子ども議会」が行なわれたのです。

 

 

これは、市の教育委員会が主宰する、市内の小中高生の有志による「わくわくリーダーズながの」の活動の一環として行なわれたもので、日頃の活動を通じて得られた成果や意見・提案などを「議会」の場で発表する機会とするものです。

そのうえで、市の将来を担う少年少女たちに 地方議会の活動を疑似体験してもらい、それぞれの社会生活の糧(かて)にしてもらおうというものです。

 

この日は、リーダーズ18名(小学生12名・中学生3名・高校生3名)が、新型コロナウィルス対策のために間隔を空けた議席に座り、議席順に議長の指名を受け登壇、そこで意見を述べました。

議席を見れば、ふだん私が座っている席に まさに〝チョコン〟という感じで 子ども議員が座っています。

 

何だか他人事でなくなり、何だか こっちの方が緊張してきてしまいました。

 

「議事運営」は、われわれ〝大人議会〟と全く同じ形式で行なわれました。

「これより、長野市子ども議会を開会します。」との、議長の開会宣言の後「〇番、〇〇さん。」との指名を受けると、その子ども議員は「ハイ、議長!」と挙手し 登壇します。

 

おそらく念入りにリハーサルを行なったのでしょう。登壇前に一旦立ち止まり、議長に対し一礼。

議長の方も、キチンと黙礼を返してくださいます。

 

登壇後は、それぞれが 市に寄せる思いや意見・提案を発言したのですが、感心したのは その立ち振る舞いと発言内容です。

 

年端もゆかない子どもたち、きっと緊張の余り 言い閊(つか)えたりするのではと思えば、あにはからんや、みんな それは堂々と淀みなく意見を述べており、その〝舞台度胸〟には感心するばかり。

そのうえ〝発言内容〟についても、台風災害にボランティア参加した経験を踏まえての被災地支援の在り方や、長野市の魅力発信の提案、また 自らがヒロシマの被爆地を訪れた体験を踏まえ、長野市校生を原爆記念式典に派遣すべきとの提案、さらに学校給食のオーガニック化の提言など、それは多岐に亘り そして何より発言内容が非常に具体的にまとめられており〝大人議員〟としても 思わずうなずく提案の数々でした。

これら 子ども議員の発言を、市長はじめ長野市の幹部職員も熱心に聴き入っておられました。

 

それぞれの子ども議員の発言を受け、市長はじめ 発言に関連する幹部職員が答弁に立ちます。

 

市長はじめ幹部職員は、子ども相手などという不遜な態度はみじんも見せず、先ずは素晴らしい提案をしてくれたことに敬意を表しながら 真摯に答弁を行ない、議会の緊張感を保ちながらも ほのぼのとしたやり取りを重ねておられました。

 

子ども議員の発言~市側の答弁 が終わりましたが、これで終わりではありませんでした。

市長はじめ幹部職員の答弁が終わると、議長は 再び「〇〇さん!」と指名、それに対し 質問席の子ども議員は「ハイ、議長!」と 再びしっかりと手を挙げます。

 

そして 何と「再発言」の形で、答弁を受けての「まとめの言葉」を述べるではありませんか。

これには 再び感心させられてしまいました。オレより よっぽど立派じゃん ^^;

 

 

少子化の伸長する昨今、「子ども」は名実ともに地域の宝となっています。

そんな中、このように志ある少年少女が議場に赴き、堂々と長野市への「思い」を発言してくれたことは、非常に頼もしく感じたところです。

これからも、それぞれの洋々たる人生の中で、この日の体験を糧に 元気に立派に成長してもらいたいと 切に願ったところでした。

 

 


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スポーツの持つ「社会的役割」 ~東京五輪2020延期決定~

2020-03-26 | 日記

3/25 Wed.

 

ついに、というべきでしょう。2020年、つまり今年 開催が決定していた「東京五輪大会2020」が、1年余り延期されることが正式決定しました。

 

これは、他でもない「新型コロナウィルス」の悪影響が世界的に蔓延してしまった事態を受け、開催国である日本の安倍総理から IOCのバッハ会長に延期の打診を行ない、それを受けたIOCが臨時理事会を開き、延期を正式決定したものです。

 

この報に触れ、われわれ国民は 半ば覚悟はしていたものの、やはり残念に他ならないところでありました。しかしながら、今回については「中止」ではなく あくまで延期であることから、そこに一筋の光明を見出し、この〝世界的逆境〟にある厳しい状況を一致して乗り越え、1年後には 今度こそ 晴れてトップアスリートによる「平和とスポーツの祭典」が盛会裏に開催できることを祈念するばかりであります。

しかし、この世界的スポーツイベントの延期により、関係者は新たな課題を背負うことになりました。会場の問題・宿泊先の問題・選手の(競技ごとの)参加資格の問題、また 何より、1年以内に このウィルス騒動が終結し、アスリートが万全の態勢で競技に臨むことができるのか 等々、有形無形の課題が 改めて〝出現〟することとなりました。

さらに言えば「TOKYO2020」の1年延期により、大会会場はじめ関係施設等に 1年分の〝大穴〟が開いてしまうことになりました。五輪大会を当て込んで部屋を確保していたホテルなどは、あと1年 食いつないでゆかなければなりません。

また、肝心のアスリートにおいても、代表選手は そのモチベーションやコンディションを1年間に亘り維持しなければならず、もしかしたら 競技によっては〝再選考〟ということもあるのかもしれません。

大会組織委員会においても然り。今年の開催に向け綿密に組んだ計画が 一旦ご破算となってしまい、改めて計画の積み上げを強いられることになってしまいました。大会ボランティアについても、自らの社会生活をやり繰りして参加するつもりになっていたボランティア業務が 一旦白紙となったことで、こちらの「人繰(ひとく)り」についても仕切り直しとなってくるでしょう

 

でも これは、変えたり戻したりは決してできない「現実」なのです。

中国の地方都市に端を発した新型コロナウィルス騒動は、今や世界を悪夢に陥れるに至っています。

それでも、私たちは この現実に向き合ってゆかなければなりません。

 

ここ長野市で1998年に開催された「長野冬季五輪大会」も、今回(のウィルス騒動)ほどではありませんが、降雪不足により スキー競技の開催が危ぶまれた経緯がありました。

このときは、本番直前になって まとまった雪が降り、こと無きを得たところでしたが、いずれにしても現下の社会状況下では、さまざな面で予断を許すことができないのが実際のところなのです。

 

ところで、やはり現下の社会状況下において こと「スポーツ」について様々な見解が寄せられていることが実感させられます。

新型コロナウィルスの出現により、世界中が〝凍結状態〟に陥ってしまいました。

東京五輪大会の延長に象徴されるとおり、濃厚接触を避けるため 多くの観衆が集まるスポーツ大会は軒並み中止や延期を余儀なくされ、そのことで「社会的気運」が減退されていることに「残念」の声が挙げられています。

一方で「スポーツだけを特化するな。」という声も聞かれています。

国などによる「不要不急のイベントは自粛を。」の〝不要不急の最たるもの〟が「スポーツ」ではないか。

これら「スポーツ」に対する様々な評価について、私自身 考えさせられるところです。

スポーツは 身体を動かすことで健康づくりに貢献し、高齢化における「健康寿命の延伸」のために大切な役割を担っています。また、スポーツを観戦することで社会の気運が盛り上がり 日頃の気分転換やストレス解消につながります。さらに、大会ボランティアに参加することで、自分がイベントを支えているという達成感を感じることができ、それは ひいては「やり甲斐・生き甲斐」にもつながります。

さらには、スポーツには さまざまな経済活動も付随してくることから、そんな実質的効果もおろそかにはできないところでしょう。

スポーツには、そのような「多面的効果」が内在しているのです。

 

そんな、スポーツのもつ魅力(プラス効果)と、現下(ウィルス騒動)の社会状況下での弊害(マイナス効果)の狭間で、スポーツ自体が 非常に難しい立ち位置に置かれていることを、私自身 実感させられます。

折しも 私は「スポーツのもつ社会的効果」を訴求する「スポーツコミッション」を学ぶ者の一人であることから、今の状況下におけるスポーツの在り方について、改めて考察を深めてゆきたいと思いをいたしたところです。

 

 

 

 

市内を移動中、長野オリンピックスタジアムの前を通りかかりました。

 

さきの「長野冬季五輪大会」では このスタジアムで開閉会式が行なわれ、大きな賑わいが創出されました。

 

聖火台に 元フィギュアスケーターの伊藤みどりさんが点火した際には、地鳴りのような歓声が上がったものでした。

 

現在、各種スポーツは「無観客」で行なわれていますが、こと五輪大会については、やはり多くの観衆の声援を得て開催してもらいたいもの・・・延期された「東京五輪2020」には、多くの観衆が、マスクを付けない健康な状態で集い、アスリートに力強い声援を送れる環境が整うことを願うばかりです。

 

 

西に傾きかけた陽光が聖火台モニュメントに重なり、五輪の雰囲気が再演されているようでした。

 

 


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戦争への道は許されざるもの ~自衛隊中東派遣に反対~

2020-03-25 | 日記

3/24 Tue.

 

この日は 朝から雪が降り、冬に逆戻りした陽気となりました。

登庁の途上にある公園にも雪が舞っていました。

 

人気(ひとけ)の無い遊具も うっすらと綿帽子をかぶっていました。

 

早く無垢な子らが、元気に遊べる日がくれば と感じ入ったところです。

 

 

 

この日は 開会中の「長野市議会 令和2年3月定例会」の最終日です。

先日もそうでしたが、私(だけではないです)が登庁する日は ヨク雪が降る傾向にあるようです。

この日は 8時頃の登庁でしたが、その後 雨足ならぬ〝雪足〟が強まり、この時期としては異例の〝まとまった雪〟になったようです。

庁舎7階のベランダも、まるで白いカーペットを敷いたよう。

 

この日もまた「三寒四温」を実感することとなりました。

 

 

 

午前10時から 本会議が招集され、会期中に審議に付された諸議案について 質疑・討論・採決が行なわれました。

 

 

(前日のブログでも触れましたが)その中で私は、総務委員会所管の【請願】について「討論」を行ないました。

 

【請願番号1】自衛隊の中東派遣を直ちに中止し、中東地域から撤収することを求める請願

【請願番号2】消費税5%への引き下げを求める請願

 

いずれの請願も、総務委員会の審査で「不採択」となったことから、その審査結果に反対し、それぞれの請願を採択するよう求めたものです。

【請願番号2】については先日のブログのとおりです。

 

【請願番号1】自衛隊の中東派遣を直ちに中止し、中東地域から撤収することを求める請願について(請願を不採択とした委員長報告に反対、請願に賛成)

 日本の海上自衛隊は、河野防衛大臣が 去る1月10日に出した「派遣命令」に基づき、護衛艦「たかなみ」とP3C哨戒機が中東海域へ出動しています。防衛省設置法の「調査・研究」を名目にした情報収集が任務となっています。派遣規模は自衛官 約260人、活動期間は12月26日までの約1年に及んでいます。

 

 

さて、今回の自衛隊中東派遣には、いくつかの問題点を認識せざるを得ません。

先ず派遣の手続きについて。自衛隊の海外派遣という重要事項が、国権の最高機関である国会の審議を経ず、シビリアンコントロールを度外視した「閣議決定」という 半ば抜け道を通る形で決定してしまいました。

さらにその〝任務〟について。本来「防衛省設置法」の範囲内で履行できるハズの「調査・研究」が、拡大解釈されて海外派遣に運用されており、なし崩し的に海外での活動に流用されたことは非常に問題です。

さらには、今回の派遣の名目である「調査・研究による派遣」では、自衛隊は、万一民間船舶が襲撃されてもそれを警護することはできず、その理論に対する抜け道でもある「海上警備行動」では その行動が大きく制約されることになり、まさにイザというときに役に立たない存在になってしまうのが事実なのです。つまり「海上警備行動」の範囲では、日本の船舶は警護できても、日本が発注した外国籍の船舶は警護できないのであり、原油の運搬などの多くを外国籍の船舶に発注している日本の実体がある中、万一 かかる日本の物資を運ぶ外国船籍の船が攻撃されていても、自衛隊は 手をこまねて見ているだけとなってしまうのです。

そのうえで私が危惧するのは、今回の派遣実施以降、中東情勢が大きく変化していることであります。

アメリカに配慮して派遣された自衛隊は、同時にイランをも刺激しないように、ホルムズ海峡から先のペルシャ湾は活動領域から外すなどし、いわば 両国にイイ顔をしながら現地におります。

しかしそんな中、年明け早々にアメリカ軍がイランの軍事司令官を殺害、一時は緊張が一気に高まったのです。まさに両国は一触即発状態にある中、もしアメリとイランが戦争状態になったとき、現地の自衛隊は非常に難しい立場に立たされてしまうのではないでしょうか。

そんな どっち付かずのまま現地に放り出された自衛官ひとりひとりの生命財産が もし危ぶまれる状態にでもなれば・・・そんな 最悪のケースも考えられる重大な事案を「閣議決定」という簡単な方法で もて遊ぶようなことを、私は看過できないのです。

折しも 私の周囲に、若かりし頃 都内に住み「二・二六事件」の報を間近に聞き、その後 出征して南洋の輸送船の船員として米軍の襲来を受け、生と死の谷間をさまよったあげく帰還した方がおられました。

その方は生前、今回の海外派遣を耳にした後に私を呼び出し「倉野くん、戦争というものは、一部の積極論者の扇動によりいつの間にかその道を進む。ひとたび走りだしたら、それを止めることは困難だ。今回の自衛隊海外派遣は、一見どうということの無いように見えるが、戦争によって生死をさまよった私は、何ともいえない危険性を感じざるを得ない。だから、今のうちに毅然と歯止めをしてほしい。」と強い調子で訴えておられたのでした。

今回の請願提出にあたり、私としては、自らの「戦争反対」の意思と併せて、かかる 苛烈な戦争体験者の「もう二度と、戦時の道は歩みたくない。」との切実な思いを託された中で、本請願の採択を求め、討論といたしました。

 

採決の結果、残念ながら この請願は、委員長報告のとおり「不採択」となってしまいましたが、私は今後も「戦争反対」を胸に、それに関わるさまざまな政治的な動きには 毅然とした姿勢を貫いてゆく所存です。

 

 

本 定例会は、かかる請願審査をはじめ 2020年度一般会計予算など議案53本を採決(成立)するなどして幕を閉じました。

 


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真の生活者支援を ~消費税5%への提言~

2020-03-24 | 日記

3/23 Mon.

 

開会中の「長野市議会 令和2年3月定会」が、24日で最終日を迎えます。

本会議場において、各常任委員会に付託された諸議案の審査結果が「委員長報告」の形で発表され、後刻、それに対する「討論」を行なったうえで採決が行なわれる運びになっています。

ところで 今議会では、下記の4本の請願が提出されています。

【請願番号1】自衛隊の中東派遣を直ちに中止し、中東地域から撤収することを求める請願

【請願番号2】消費税5%への引き下げを求める請願

【請願番号3】子ども医療費の無償化の制度創設、及び子どもや障がい者等の医療費助成に係る国民健康保険の国庫負担減額措置に関する意見書についての請願

【請願番号4】医師養成定員を減らす政府方針の見直しを求める請願

【請願番号5】「最低賃金の改善と中小企業支援の拡充を求める意見書」の採択を求める請願

私とすれば、それぞれの請願の提出者の願意に共感し、全ての請願に賛成することにしております。

その中でも、【請願番号2】消費税5%への引き下げを求める請願 と【請願番号1】自衛隊の中東派遣を直ちに中止し、中東地域から撤収することを求める請願 については「討論」を行ない、これらの請願の採択に向け論陣を張ってまいります。

 

【請願番号2】消費税5%への引き下げを求める請願 について(請願に賛成)

現下の社会経済は〝氷河期〟と言っても差し支えの無いほどの冷え込みに陥っています。

その第一の原因は、他でもなく「新型コロナウィルス」の影響と申せます。

 

各国においては これ以上の感染の連鎖を断ち切るために、外出規制や移動の制限を余儀なくされ、世界の主要都市や有名な観光地から人が消える事態に至っております。

これら 世界的な閉塞状態に、株式市場も敏感に反応、「世界の金庫」とも呼ばれるアメリカ株式相場は、1987年のブラックマンデー以来の大幅な下げとなり、新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからないことが、国家の経済活動の急激な停滞の主要因になっていることを如実に示すこととなり、世界景気の先行き懸念が強まっています。

この厳しい状況は、日本国内の景気も同様です。まさに〝見えざる敵〟と言える新型コロナウィルスは、過去に例のないほどの 大きく暗い影を日本経済に投げかけています。

世界情勢と同様、感染の予防のための〝自粛要請〟は 医学的見地でいうと社会に行き届き、濃厚接触を防ぐための行動制限が定着した感があります。

しかし 裏を返せば、それら行動制限は すなわち社会経済活動を厳しく凍結させることとなってしまいました。接客業や旅行業などのサービス業、またそれに伴う運輸や原料などの関連業種が軒並み大きな打撃を受け、関係者の中には「新型コロナウィルスには罹患していないけれど、このままゆけば〝経済不況ウィルス〟に殺されてしまう。」という笑えないジョークも飛び出すようになってしまいました。

このように「新型コロナウィルス」の〝多面的悪影響〟は社会の端々にまで及んでおり、こと ここに至れば、政治の場での大きな判断が求められると言わざるを得ません。

 

また併せて、新型コロナウィルスの陰(かげ)に隠れがちですが、さきの消費税10%への引き上げは、日本のGDP(国民総生産)にマイナス影響を与えていることを、私たちは見逃してはならないと思います。

消費税はモノやサービスの値段に直結し、生活者の購買意欲を大きく左右します。昨年10月の10%への改定後、自動車などの高額商品の販売が大きく落ち込み、報道などによると 税率引き上げ後のGDPは前年比マイナス7,1%と、前回の税率引き上げ直後以来 5年半ぶりの悪影響の大きさが示されていました。

これら、さまざまな複合要因は、間違いなく国内経済を圧迫しています。

この社会情勢に対し、国は 例えば子育て世帯家庭などへの支援策などを講じていますが、そこには 恩恵を得る者⇔得られない者 との〝不公平〟が生じているのが実際のところです。

それらの状況を踏まえれば、全国民に等しく〝緩和措置〟の恩恵が伝えられるのは、消費税率引き下げが最も適切ではないか。私自身、現時点では そう考えざるを得ないとの結論に至りました。

これ(税率引き下げ)を敢行すれば、今後の行政運営の財源確保などの課題が生じることは承知していますが、それについては 法人税や富裕層からの所得税の適正化など、本来いただくべき階層からの徴収を進めるなどしてバランスが取れるのではないか、と考えるところです。

 

いずれにしても、現在の 社会の〝冷凍氷結状態〟を脱却しないことには、みんなが凍死してしまう。

そんな危機感を抱きつつ、この請願に賛成を投じるつもりでおります。

(なお【請願1】への表明については、後ほどに譲ります)

 

 

 

 

 

 

☆名脇役

とある日の交差点に、ランドクルーザーのピックアップトラックが止まっていました。

 

「お、これは珍しい 👀 」と レンズを向けると、助手席に何やら大きな姿が。

 

ヨク見れば、ランクルのオーナーの飼い犬のようです。で、でっかい。

 

見ているうちに、映画「スターウォーズ」の名脇役「チューバッカ」を連想してしまいました。

 

きっと このワンも、オーナーさんの 佳きパートナーになっているんでしょうね。

 

 


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たら れば

2020-03-23 | 日記

「たら れば」という言葉があります。

 

これは みなさんの多くがそうでしょうが、その殆(ほと)んどの場合、起きてしまったことについて「後悔」を抱いた際に湧き起こる思いですよね。

(結果が思い通りにならなかったり、不幸な結末になってしまったが)「〇〇であったら、〇〇であれば、こんなことにはならなかったのに・・・。」

よくあるのが、スポーツなどのゲームで負けてしまったとき。

「あのウィニングパットが入っていたら(コンペで優勝できたのに)・・・。」

「あんなコースに投げなければ(試合に勝てたのに)・・・。」などと、後悔の念と共に 天を仰ぐのです。

 

 

不肖 ワタクシの人生も、失敗の繰り返しです。

直近では「酒を飲んでも運転さえしていなかったら・・・」が、最大の「たら れば」になるところです。

このことについては、痛切なる反省をもって自戒し、二度とこのようなことがないよう その後の人生に臨んでいるところであります。

 

 

そんな中、現下の社会情勢の中でも「たら れば」を痛切に実感している事案があります。

「新型コロナウィルス」の〝初期対応〟であります。

中国の地方都市で発生した新型コロナウィルスは、当局の初期対応の遅さ、というより、事態の過小評価による〝隠蔽〟ともいえるようなマズイ対応に端を発し、そのうえ、中国における「春節」に伴う人民の〝民族大移動傾向〟も手伝い、(自覚症状の有無に関わらず)多くの保菌者が世界中に渡航、結果として地球上のあらゆる場所にウィルスをまき散らすことになってしましました。

ターニングポイントは、武漢市の医師が ウィルス発生をTwitterに流したところを当局が見咎(みとが)め、くだんの医師を拘束するなどして 隠蔽工作を公然と行なったときでしょう。

あのとき、当局が逆の措置・・・武漢市の医師をヒーローに仕立て、国策として渡航制限などを敢行し、ウィルスの封じ込めを行なっていれば、世界へのパンデミックを未然に防ぐと同時に、中国の危機管理能力の高さを内外に示す格好の機会となっていたことは間違いありません。

全ては「あのときの対応」が事態を 左右してしまいました。

 

今や、地球規模の「パンデミック」が発生しており、もはや手のつけようのない状況に陥っています。

これほどまで「たら れば」を再認識するようになるとは。私も含めて、人々は 今さらながら「後悔先に立たず」を実感させられているところです。

 

 

長野市域においては、昨年「東日本台風」の大きな被害を受け、現在は 復旧・復興に向けて動き出したところです。

災害についても「たら れば」は ついて回るところではありますが、今は 無為に後ろを向いて立ち止まっている暇(いとま)はありません。これからすべきことが重要なのです。

ただ 私たちは今後、同様の災害に見舞われたとき「あのとき復興対策を強化していれば・・・」などと、無駄な反省を再びしなくて済むように、今回の被災状況を踏まえ、将来に禍根を残さないよう シッカリと復旧・復興に臨むべきことは 論を待たないところです。

 

 

 

 

ところで、この頃 巷(ちまた)で人気を博したのが「100日後に死ぬワニ」という短編連続マンガでした。

 

 

一日 々 を凡々と生きたワニが、100日目に突然 生涯の幕を閉じる。

 

私は このマンガを読んで、このワニさんの生涯が「たら れば」に結びつくんじゃないか、と ふと思いました。

そのココロは「日々を悔いなく生きる。」

 

このワニさんは、日々を凡々と過ごしてはいましたが、その いちいちが 何とも言えず充実していたものであったことが(マンガの端々に)感じ取られました。

 

生涯というドラマは、いつ なんどき幕を下ろしてしまうかもしれない。

だから 自分に与えられた時間は、悔いの無いように過ごしてゆきたい。

でも、それは 何も、常に全力疾走し続けるのではなく、その者なりに充実していれば、それで ヨシ。

強いて言うならば「〇〇してたら 、もっとイイ人生だったのに。」などという無用な後悔を思いつくことの無いよう、自分なりの持ち時間を、自分なりに納得できるように使い尽くすことができれば、それがまさに「本望」というものでしょうね。


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真の強靭化を

2020-03-22 | 日記

3/21 Sat.

 

地域内を移動中、住自協が運営する家庭菜園に〝春の景色〟がありました。

 

菜園の傍らには、紅白の梅が満開、というより 盛りを過ぎた感じ。今年は全般的に花芽が早いことを物語っていました。

 

現下の社会情勢では、イイことの少ない状況となっていますが、そんな中でも 少しでも光明を見い出すことができれば と、心底思うところです。

 

ここに紅白の梅を植えられた方の〝願意〟に共鳴し、世に幸あれと願わずにはおれません。

 

菜園の奥手には、おそらく二年越しの葉モノが緑を成していましたが、そこに 何やら動くモノが。

 

ヨク見ると ムクドリが一羽、まるでサラダを食するが如く、葉っぱをついばんでいました。

 

この時期、鳥にとっても〝葉っぱ〟は貴重な食材になっているのでしょう。

 

この鳥さん、きっと健康志向なんだろうな、と勝手に決めつけ、その食べっぷりに しばし見入っていたのでした。

 

春は もう、ここまで来ています。

 

 

 

 

◇堤防の「地質」に注目

さきの東日本台風台風で多くの被害を及ぼした「千曲川堤防」これからの復旧・復興にあたり、二度と破堤しない〝強靭な堤防〟の造成が求められています。

そんな中、これら堤防の〝地質〟について 興味深いレポートを閲覧しました。

信州大学の堆積地質学研究室のH教授のチームの調べによると、上田から長野にかけての千曲川流域には、平安期に堆積した「洪水砂層(887年の「仁和地震」によりできた〝せき止め湖〟の決壊により流れ下ったもの)」があり、それが 後の自然堤防の基になっているのではないか、というものです。そして、それら「洪水砂層」は、基底部に多量の粗粒礫(れき/目の粗い固形物)を伴っており それら構造部の影響で「逆級化(地層の中の成分(土)の目が粗くなる)」している部分がある可能性を否定できない、というものです。

これらの〝学説〟は、1980年前後の資料など 地質学途上の根拠に基づいていることから、確たるものとは言えないようではありますが、総じて言えることは、現在の千曲川堤防などの各堤防は、河川全域に亘って 内部の構造物の詳細まで確たるものと断言はできず、場所によっては「礫(れき)」の存在などにより 脆弱な部分もあることを否めないということではないか、というものです。

現に、さきの東日本台風台風では、長沼の穂保地点が決壊しました。そのことについても、(さまざまな時代背景の中で)堤防の内部に砂利=礫が現存していたとの証言もあり、今後の堤防管理に大きな疑問と課題を残すことになりました。

その〝穂保地点〟については、現在 国交省による「本格復旧」が緒に就いているところではありますが、果たして 今の工事で〝真に強靭な堤防〟が構築されるのか、破堤した箇所は良くなっても、その上下流部分は大丈夫なのか、など、常に不安が付きまとうところです。

 

私(だけではありませんが)は、それらの状況(情勢)に鑑み、さきの破堤ポイントの前後に「鋼矢板」の設置を改めて検討すべきと思います。

「鋼矢板」については、決壊地点の仮堤防の造成の際に 工事中の河川水侵入を防ぐために挿入されましたが、本格復旧の際には「河川の流れを変える」との理由で撤去される予定であることが説明され、それに対し地元住民を中心に「せっかく打ち込んだ鋼矢板を、なぜ むざむざ撤去するのか。」との疑問の声が挙がっています。

 

実は、この「鋼矢板」については〝曰(いわく)〟があるのです。

破堤した左岸(長野市側)に相反し、右岸(須坂市側)においては、過去に鋼矢板を設置してあったことから、今回の水害においては 越水はしたものの、破堤は免れたという〝実績〟があったのでした。これを知る地元住民は、堤防の増強に加えて 鋼矢板の設置を、と願っており、そしてこれは 至極当然の住民感情と言えるでしょう。

 

これについて、国交省(千曲川河川事務所)は、地元住民に対し「堤防下に遮水壁となる鋼矢板の設置も検討している」と説明していることから、これらの言質(げんち)に基づき、この際は「鋼矢板の正式な設置」を進めるべきと考え、私の立場でも関係機関に働きかけてゆきたいと考えるところです。

 

 

堤防強靭化は、被災者住民の〝安心の強靭化〟にもつながる。

これを合言葉に、力を尽くしてゆきたいと 改めて心にいたすところです。

 

 


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心の叫び

2020-03-21 | 日記

3/20 Fri.

 

夜になって 私のスマホが着信を告げ、出てみると 公私共にお世話になっており、そして、さきの東日本台風の千曲川堤防決壊で家屋を失った 長沼の津野区在住のMさんでした。

電話の先は どうやら飲み屋さん。周囲からはニギヤカな声が聞こえてきます。

「おい クラちゃん、元気?」と、明るい調子で声をかけてくれました。

「今さ、ムラの連中と飲んでんの。昼間は(復興の)会議だったんだけど、話しを進めるうちに「飲まなきゃ やってらんないよな!」ってことになって、今 〇〇屋に来てんの。普段より(新型ウィルスの影響で)客は少ないけど、ほどほど入ってる。みんなよく飲むワ。ハハハ。」で始まる声は、いつものMさんらしく、明るい調子で始まり、その後も言葉を続けられます

「これでさ、3月も終わりになって、解体(自費解体)の受付も終わるってんで、(解体しようかしまいか)迷っている連中も、いよいよ最終結論を出さなきゃならなくなって。家族の中でもモメてる家もあるワケよ。(自宅を)壊すか、直すか。」

「オレの隣りで飲んでるヤツは、まだ(被災前の)ローンが残ってんのよ。数百万。それなのに被災して、全部 流されて。こないだ(自宅再建の)見積もり取ったら、ま~た ン千万だって。新たなローンが。

と、Мさんの隣りから「ダブルローンの、始まり、始まりィィィ!ハハハ!」の大きな声が聞こえてきました。

「オレの反対側(に座っている)ヤツは、(津野に)残るか、出てくかで、3日に一度は夫婦喧嘩よ。子供がまだ学校があるから(おそらく長沼小)残りたいって言ってるんだけど、こいつ(ご主人)は「もうここには住みたくない。」って考え。でも(その方の)女房は子供の味方だから「残る」って言うし・・・どうすりゃいいの?って感じよ。」

(Mさん宅内の惨状)

 

おそらく、生活環境などの立場は違えど 同じ被災者として課題を抱える中、一献(いっこん)交わしながら悩みを語り合おう!となったようです。

Mさんの口(くち)から身につまされる話しを聞く私は、ただただ頷くことしかできず、それでも 話しを最後まで伺うべく、耳を傾けていました。

 

やがてMさんの口調が変わってくるのが感じ取られます。

言葉に詰まり、嗚咽(おえつ)すら聞こえてきます

「クラちゃん、オレは口惜(くや)しいよ・・・(「泣くな!」の声が 隣りから)」

「オレらが 何した?何か悪いことした?普通に生きてただけだゼ。それが 何で、家を失くさなきゃいけないの?人生 変えられなきゃいけないの?」

私は、かける言葉も見当たらず、耳に押し当てるスマホを握りしめるばかりでした。

 

するとMさん、口調を変えて、こうも話してくれました。

「でも、オレらはさ、こんな状態だけど、クラちゃんには感謝してるんだ。あんとき、土石流に家を流されて、時間ばかりが過ぎて、その後(行政側から)何の音沙汰も無くて。オレらは不安が増すばかりの毎日だった。」

「でも そんとき、クラちゃんは 直(す)ぐに遠くから現場に来てくれて、オレらの窮状を見てくれて。その後 無理を承知で(公費解体の)説明会を開くように 市に働きかけてくれて。あの 説明会をやったおかげで、その後 一気に各地区での説明会の流れができた。あれが無かったら、オレら(心情的に)パンクしてたよ、きっと。

「クラちゃん、ありがとな。で、これからも(被災地を)見守ってってくれや。オレらにとっては、これからが正念場なんだ。「復興」なんて一言でいうけど、現実は 厳しい。だから、これからも、頼む。」

 

東日本台風の被害は、まだ全然 終わってない。

あの頃 私は、МさんからSOSを受けて現場に急行し、その惨状に目を疑ったものでした。

(Mさん宅の庭の惨状)

 

その後は、関係者と共に まさに無我夢中で被災地対応に取り組んできたところですが、国による激甚災害の指定となった以降は、末端の行政体の市は「(国からの)指示・決定待ち」状態を余儀なくされ、被災者への説明が遅れがちになってしまいました。

そんな中、業を煮やした住民の方々の心情を代弁する形で Mさんから「まだ支援方法が決まっていない、という説明でもイイから、とにかく一回、住民向けの会議を開いてくれ。」との要請を受けたことから、尻込みする市の背中を押し、状況報告の説明会を開くことといたしました。

 

 

その後 公費解体の(国の)方向づけが示されたこともあり、それ(津野区会合)を契機に、長沼区や各地区で説明会が次々に開かれることとなり、結果、情報開示・伝達が進捗した経緯があります。

この 私の行為については、至極当然のことですので、改めて評されることは おこがましいところではありますが、いずれにしても この夜の突然の電話を通じて、Mさんをはじめ 被災者の方々の「心の叫び」を聞かせていただき、認識を新たにいたしたところです。

「これからが正念場」この言葉を心に留め、私としても改めて 被災地対応の「これから」に心を砕いてゆく決意を新たにした ひとときの会話だったのでした。

 

 

 

 

◆第二の「悪影響」

市役所フロア1階に「情報ライブラリーチケットセンター」があります。

 

隣接する「長野市芸術館」で催されるコンサートやイベントの前売り券などを販売しており、入り口付近ににはチラシを並べたストッカーが置かれています。

 

が、現在、その多くに「公演中止」のタグが貼られているのが目に付きます。

 

これは他でもなく「新型コロナウィルス」の感染予防の措置からくるものであり、週末には来場者で賑わう1階ロビーも、今は閑散とした状態となっています。

 

台風被害に続いての新型コロナウィルスの悪影響、長野市域は 暖かな陽気に相反して、冷え込んだ状況に陥っていることが伝わってきます。

 

こんな閉塞した状況を打ち破り、市勢を上昇反転させるきっかけが欲しい。そう願っているのは、私だけではないでしょう。

 


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長野市議会建設企業委員会 ~管内視察 その2~

2020-03-20 | 日記

18日、長野市議会建設企業委員会による管内視察が行なわれました。

 

城山公園の視察を終えた一行は、さきの「東日本台風」で被災した 市が所管する「排水機場」を訪れ、被災の状況などについて改めて調査しました。

一行が訪れたのは、千曲川へ流れ込む「浅川」の支流「三念沢」の いち地点で排水業務を担う「三念沢雨水ポンプ場」です。

 

 

さきの東日本台風は、千曲川沿線の多くの施設に甚大な被害を及ぼしました。その中でも、域内に発生した雨水や洪水を千曲川に強制的に排出するハズの「排水機場」が、本流(千曲川)の異常出水により本来の役割を果たし得なくなり、あげく施設(排水機場)そのものが冠水するなどして 機器全体にダメージが及ぼされてしまったのでした。

長野市域では、7つもの排水機場が浸水被害を受けてしまい、その結果 洪水は周辺地域に及び、住宅など広範囲に亘る建屋などが水に浸かってしまったのです。

 

 

排水機場は、洪水が起こった際に、本流の水が枝川(堤内)へ逆流しないよう水門を閉じた際、出口を失った支流の水をポンプで強制的に本流へ排出する役割を担っています。それが今回は、本流の水位が高くなり過ぎ(最終的には越水)排出作業ができなくなり、それが悲劇の要因になってしまったのでした。

 

 

こちらの「三念沢雨水ポンプ場」は、多くの車両が冠水被害を受けたことで 全国的にも有名になってしまった「新幹線車両基地」の西側を流れる浅川の支川「三念沢」に設置されており、豊野町(南組)の住宅地を広く守る役割を担っていました。

 

それが、本来は 千曲川⇔浅川⇔三念沢と、順を追って逆流を防ぐために機能するハズのものが、千曲川本流の堤防決壊により、千曲川本流の河川水が一気に押し寄せたために 施設そのものが約4,2mに達する水位に没し、為す術も無く機能不全に陥ってしまったところです。

現場では、当時 冠水現場に急行した職員から説明を受け、時系列に伴い その生々しい状況が回顧されました。

 

千曲川の決壊地点から押し寄せた水は 施設の1階部分を容易に水で覆ってしまったとのこと(尺木のピンクのマークが最大到達地点/4,2m)

 

4mを超える洪水は、下記の画面の奥、千曲川 穂保地点から手前に向かって流れ込んできました(画面 奥の細長い施設が 新幹線車両基地)

 

 

流れ込んだ多量の河川水は、それが「引く」際に堤(つつみ)そのものを打ち壊しながら去っていったとのこと。破壊された洪水の戻り道には土嚢(どのう)が積まれ、災害の爪痕を今に残っていました。

 

 

4mを超えた河川水が侵入した排水機場の内部は、推して知るべしの状況になっていました。

コンクリート箱状の室内は、その天井まで完全に水没したとのこと。今も壁が茶に変色していました。

 

施設の損害で一番〝痛い〟のが、配電盤などの電気機器の浸水被害です。水門の開閉などを電子制御する配電盤は 水没によりショートしてしまい、今や ただの金属の塊。全部の更新が要されています。

 

奥の部屋には 緊急時の発電装置があり、これらも全て廃機の憂き目に。これらを更新しないことには、正常な排水作業は行なえません。

 

 

 

各排水機場は、そのほとんどが「堤防の下」に建てられており、万一 本流を越える水(越水)があれば 冠水の被害を受けるのは当然のことでしょう。

しかしながら、それ(冠水)を避けるために 排水機場そのものを堤防の高さにまで嵩(かさ)上げすることはできないことから、それらを踏まえた抜本的な対策は ただ一つと言えるのではないかと。

 

越水しない治水管理を行なうべき。そして 今、それに向けた最も現実的な手法は「河床浚渫(しゅんせつ/川底の掘削)」に他ならないと思います。

さきの東日本台風の苦い経験を経て、千曲川本流をはじめ 流域の河川においては、河道掘削と河床浚渫が一斉に始まっています。

これら排水機場が その役割をキチンと果たすためにも、先ずは千曲川本流に充分な水深(容積)を確保し、相当量の河川水が流れてきても、溢れることなく下流へと(河川水を)運ばせること。そのうえで、万一の逆流の際には 排水機場が〝最後の砦(とりで)〟として住民の社会安全を守る。

これら「役割分担」が機能的に果たせるよう、治水作業を推進するべき。被災現場を見て 改めて強く認識したところです。

 

 


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「長野市議会 建設企業委員会」の管内視察に参加

2020-03-19 | 日記

3/18 Wed.

 

この日、所属する「長野市議会 建設企業委員会」の管内視察に参加しました。

 

 

一行は先ず「城山公園」を訪れ、既存の「蔵春閣」の屋上から、リニューアル中の公園の工事の状況を見ると同時に、こちらの蔵春閣の今後について状況を聴取しました。

 

「蔵春閣」は、明治41年に建設され、当時の先進的な公的施設として、社交場や文化伝承の場 さらには政治議論の場として重用されていましたが、昭和24年に焼失した後、昭和42年の「市制70周年」を機に 現在の近代建築に生まれ変わりました。その後は結婚式場や食堂、さらには屋上野外音楽堂での演奏会など多岐に亘る「市民の寄り処」として活用されてきましたが、老朽化の波には勝てず 平成30年に惜しまれつつ閉館となりました。

しかしながら、市域を見渡せる眺望や 善光寺に隣接する立地などには限りない魅力があることから、長野市においては、ここ蔵春閣を含んだ城山公園全体の「サウンディング型市場調査(市有地などの有効活用について民間事業者との「対話」を通じて市場性. 等を把握する調査)」を行なうなどして、長野市発展の象徴であり、長野市史を今に伝える「城山」をどのように活かしてゆくかを模索しているところです。

これに先立つ形で、長野県が「信濃美術館」の全面改修に乗り出したことから、長野市としては 県と連携しながら、一体化の中で市民が集う「城山公園⇔美術館」を踏まえたエリア全体を総合的に整備することとし、現在 工事が進められているところです。

 

市の公園緑地課の案内で、蔵春閣の屋上に上がると、そこには市の近代史を今に留める「屋上野外音楽堂」が存在していました。かつてはここで、楽器の音色や歌声が響いたことでしょう。

 

城山公園の頂(いただき)とも言えるこの場所からは、広く長野市街地が見渡せます。

夜景なんか綺麗でしょうね。

 

片やの西側には、城山公園~善光寺境内が広がっていました。

 

おそらく先人の長野市民の方々は、この眺望を目で楽しみながら、音楽などの文化活動を満喫されていたことでしょう。

私たちは、それらの雰囲気を感じ取りながら その場で市からの説明を聴取しました。

 

眼下には、大規模改修中の城山公園(信濃美術館)も見て取れます。

 

この蔵春閣エリアには「大正天皇お手植えの松」も現存するなどし、さまざまな面での魅力を内包していることが 改めて伝えられました。

市史の中でも「文化の象徴」とされた この一帯の将来に向け、今後 さまざまな知見が寄せられ、三たび 長野市の「顔」となれるよう、私たちの立場においても心を砕いてゆくべきことが再認識されたところです。

 

 

 

その後 一行は、桜坂を下り、大規模改修が行われる「城山公園」のうち「信濃美術館」の工事現場を視察しました。

 

城山公園については(前述のとおり)県と連携する形で 総合的な再整備が緒に就いています。

 

今後「噴水広場」の整備を進めつつ、エリア全体を「ゾーニング」することにより、多岐に亘り魅力創出を図り、市民の憩いの場として広く利用していただくことを期しています。

 

県による美術館の工事は順調に進められているとのこと、担当からは「ここは「大展示室」です。いずれ 白無垢(しろむく=白壁)になる内壁の〝打ち放っしコン状態〟は今しか見れませんヨ。」と説明がされていました。

 

 

この場所は〝坂(桜坂)に隣接した平面〟という やや特異な立地になっており、逆にそれを活かした設計が施されたとのこと。

施設の西側からは「1階からの入場」で、東側からは「3階からの入場」になります。設計者をして〝面白いレイアウト〟になることが期待されるそうです。

 

 

案内の代人さんからは〝裏話し〟の披瀝も。

基礎工事のため掘削をしていたら、地中から それはでっかい石が3つも出てきて、処分に困っていました。

 

それを美術館の担当に打ち明けたら「それじゃあ、そいつも〝アート〟にしちゃいましょう。それも〝参加型〟の。」との逆提案があったとのことです。

曰(いわ)く、これを先ず 大人(専門業者)が、研磨機で粗磨きをかけます。そのうえで 小人(地元の城山小学校児童)に 仕上げの研磨作業を担ってもらい、最終的に「モニュメント」として屋外陳列し、子どもたちの〝参加意識の醸成=公園への愛着心〟につなげよう、というイキな企画としましょう。というものだそうです。

これには、城山小学校の卒業生の一人であるワタクシとしても大いに賛成!ここに通う 未来ある少年少女が、それらの共同作業を通じて、城山公園を愛する存在になってくれることを 心から期待いたしました。

 

 

いずれにしても、来たる善光寺御開帳を見据え、周辺施設の整備が急ピッチで進んでいます。

それらの取り組みにより、有形無形の成果が供出されることを期待して止まないところです。

 

この後 一行は、さきの東日本台風の被災地(排水機場)に向かいました。

そのレポートは 後日に譲ります。

 

 


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住民意識の喚起を ~長野市議会建設企業委員会~

2020-03-18 | 日記

3/17 Tue.

 

この日の朝は、昨日の「名残り雪」が景色に残っており、冬に戻ったかの寒さを実感すると同時に 山々や 家の屋根には薄っすらと雪が見られ、つかの間のプレイバックシーンとなっていました。

 

お宅の玄関先の葉牡丹(ハボタン)にも白いものが。

 

何だか パウダーをかけた洋菓子のようにも見えました 😋

 

首都圏では「桜咲く」の声も聞こえてきそうな時節ですが、ここNAGANOは、まだまだ 三寒四温のうちに推移しているようです。

 

 

 

この日は、長野市議会 令和2年3月定例会「建設企業委員会」のうち「上下水道局」と「都市整備部」所管の審査が行なわれました。

上下水道局においては、私たちの生活 というより、命にも欠かせない「上水道」を守り、同時に 社会衛生に欠かせない「下水道」を所管する、ある意味 目立たない存在ではありますが、自治体運営において 欠かざる部局と申せます。

そんな中 さきの東日本台風においては、関係施設が甚大な被害を受けてしまいました。

県管理ながら、北部エリアの住民の社会衛生を一手に担う下水道処理施設「クリーンピア千曲」の施設全体が冠水・浸水被害を受け、下水道処理業務が 一時機能不全に陥ってしまったのです。

 

発災後には、関係エリアの地区住民に生活排水の自粛を求めざるを得ない状況に陥ってしまいましたが、その後は関係者の不眠不休の対応により、仮設ポンプの稼働や簡易塩素処理などにより 衛生基準を守りながらの終末処理を履行しています。

これらの厳しい状況の中、市は 県と連携しながら、市民の生活衛生の維持と 一日も早い復旧に向け業務が継続されているところです。

さらに、市有の「東部浄化センター」も被災しており、さきの東日本台風は千曲川沿線の多くの施設に被害を及ぼしたことが再確認されたところです。

 

長野市の上下水道局においては、人口減少傾向や水道使用量の減少傾向などの〝減少のスパイラル〟により、料金の徴収高が頭打ちになっており、事業の維持のために多額の一般会計繰り入れを余儀なくされています。が、これは(前述のとおり)市民生活に欠かざる社会インフラゆえにやむを得ない面があります。

そんな中でも、老朽管の敷設替え(更新)などの〝待ったなし〟の重要事業を抱えながら、今後の不断の業務執行が求められています。

この議会では、前述の 東日本台風で被災した施設の復旧に伴う「長野市負担金」の計上、また水道料金徴収に伴う 水道料金徴収金の債権管理方法の見直しに伴う条例改正案が提出され、可決成立しました。

 

なお、所管事項調査の中で 私の方からは「水源の安全の保持(維持)」について要望しました。

長野市においては、安茂里差出に「犀川浄水場」がありますが、これは「犀川」の沿線にあり、万が一 犀川が氾濫することになれば、浸水被害を受けることは必至です。

 

さきの東日本台風においては、犀川は氾濫することなく推移したことから、この犀川浄水場においても大過なく済みましたが、何があっても不思議でなくなった昨今の自然状況に鑑み、こちらの施設においても 常に最悪の事態を想定した防災体制を日頃から整えておくことを具申いたしたところです。

 

 

 

 

引き続き「都市整備部」について審査が行なわれました。

都市整備部においては、市内の街区の造成・管理、都市計画道路などの主要幹線の整備、公園施設の整備、公共交通の整備など「まちづくり」に資する公共事業を担う部門です。

もとより長野市は、善光寺⇔長野駅を結ぶ「中心市街地」を基盤に発展してきましたが、昨今の郊外化傾向に伴い 人の居住・活動エリアは外へ外へと広がり、その結果、中心市街地の空洞化現象が顕著となり、一種の社会問題となっています。

それら偏在化する課題を抱えながら、計画中の街区や道路の整備を進めるなどし 市域の社会環境の整備に努めています。

この議会における当初予算案の中では、都市計画道路北部幹線の整備・「街なみ整備事業」の一環としての電線地中化・循環バス等の運行経費補助・自転車や鉄道の利用促進のための支援・交通渋滞対策・城山公園、茶臼山公園などの公園整備・中心市街地活性化プランの推進・都市区画整理事業の履行などが計上され、可決成立しました。

 

私の方からは「まちづくり」における〝住民意識の喚起〟について意見いたしました。

すなわち、この議会においても 衰退する中心市街地を活性化させるべく「長野市中心市街地活性化プラン」またこの頃は「長野中央西地区市街地総合再生基本計画」が提案され、さらに「権堂地区再生計画」も履行中であることなど、挙げて「中心市街地に再び賑わいを」との取り組みがなされています。

 

しかし、私は、それら「まちづくりの計画」を〝お役所主導〟で進めたら、絶対に成果は上がらない。と断言いたしました。

「まちづくり」は、あくまで そこに住む方々の「こうしたい、こうなったらイイな。」という多様な意見が持ち寄られ、それが〝住民意識の高まり〟として大きなうねりになってこそ、初めて具体化し 発展してゆくものと思います。例えれば 自分たちが協力して作った手作り料理を 皆で美味しくいただく、とでも申しましょうか。

それを、何というか 出来合いの冷えた幕の内弁当を箸でつついてみても美味しくないもの、そこにはやはり「自分たちで作ったモノ」という自負心が不可欠であり、そのうえで そこ(まち)に愛着が伴えば、自分たちのまちを自分たちで育てよう!という機運が醸成されることと確信するところです。

それらを踏まえ 私の暮らす川中島地区においては、ワークショップを開催するなどして 皆で知恵を出し合っての「まちづくり」に取り組む運びとなっております。

自分たちが暮らす「まち」もっと言えば、自分たちの将来世代の者たちにとっても「住んで良かった!」と言ってもらえるような「まち」を みんなでつくる。壮大な社会実験とも言える取り組みです。

それらに鑑み、この議会で提案された「中心市街地活性化策」においても、市においては〝官主導〟で否応なしに進めるのではなく、そこに住む住民が主体となって知恵を出し合う〝環境づくり〟に心を砕くべきと具申し、その点では 都市整備部長と(見解が)見事に一致したところです。

 

社会状況は変遷を極め、多様化が進む中だからこそ「住民意識の喚起」が求められていると思うところです。

 


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新たな感性で ~長野市議会 建設企業委員会~

2020-03-17 | 日記

3/16 Mon.

 

開会中の長野市議会 令和2年3月定例会は、常任委員会による 議案審査ならびに所管事項調査が行なわれています。

この日からは、所属する「建設企業委員会」が開かれており、委員の立場で出席しております。

 

ところで この日の朝は、委員会に臨む準備や諸事により、渋滞時間の前に登庁しました。7時には控え室に入って〝缶詰め〟になっていたのですが、委員会開会の館内放送を受け 廊下を通って会議室に向かう中、戸外を見てビックリ 👀 何と 大粒の雪が降っているではありませんか。

後のニュースによると、冬の名残の寒冷前線が南下したところに雨雲がかかり、ときならぬ春の雪を降らせたとのこと、季節の変わり目の〝ハプニング天気〟に驚かされてしまいました。

(いずれもニュース映像)

 

世の中は、新型コロナウィルスをはじめ さまざまな疾病が流感しており、こんな時期 突然の「冬への逆戻り」は、体調にさまざまな影響が及ぼされると存じます。とりわけ 高齢者をはじめとする「健康弱者」の方々におかれては、どうかご自愛くださいと、委員会室に足を運びながら 心にいたしたところです。

 

 

 

この日は、建設企業委員会の所管部局のうち「建設部」についての審査が行なわれました。

「建設部」においては、かつては自治体運営の中でも、公共施設や社会インフラなどの「投資的経費」を担う〝花形部署〟でありました。が、昨今の厳しい行財政運営の中、また 自治体予算そのものが、民生費などの「義務的経費」が大勢を占めるようになってきた中では その位置づけも大きく様変わりするようになってきています。

そんな中、昨年は「東日本台風」が長野市域を襲い 甚大な被害が発生したことから、その復旧などにも大きな労力が割(さ)かれことにもなったところです。

建設部においても 本予算ならびに補正予算において、市が所管する河川の復旧工事・被災した市営住宅の復旧事業(災害応急対策住宅事業)・災害公営住宅整備事業・応急修理に要する経費などが計上されていました。

また 主要施策として、幹線道路網並びに生活道路を整備する 道路新設事業・交通安全施設等整備事業・通学路整備事業・河川、雨水渠整備事業・橋りょうの長寿命化工事事業・「長野市辺地対策総合整備計画」の一部施工・道路施設および河川 水路の維持管理・市営住宅長寿命化/維持修繕事業・住宅耐震化推進事業・空き家対策事業、また駐車場事業特別会計など、各課ごとに予算が計上されました。

加えて、建築物のエネルギー消費性能の向上を促すための手数料条例の一部改正など4条例が審査に付されたところです(可決成立)。

 

 

一連の審査を通じたうえで 私は、今後 建設部においては、今までとは違った考え方(新たな感性)をもって市行政に臨んでいただきたいことを、期待を込めて要望させていただきました。

と いうのも、前述にもあるとおり 市政(市勢)そのものが変遷を重ねる中、建築物(構造物)を通じて社会インフラを整備し そして、それらを通じて社会安全を守る立場でもある建設部においては、ときに住民生活をリードする役割を担うことが期待されると考えるのです。

例えば「空き家問題」また 例えば「危険ブロック塀の除去・補強問題」これらは 今や、単に個人(宅)の問題に止(とど)まらず〝地域全体の問題〟として考えるべき時期を迎えていると申せます。

しかし、事(こと)の重大性を他所(よそ)に、住民の危機意識は 決して高いとは言えないのが現状です。

そんなときであるからこそ 所管部局においては、市民のみなさんに対して積極的な情報公開と啓発活動に努め、そのうえで 地域に遍在する課題は「みんなで一緒に解決しよう」との意識喚起を行なうべきではないか。

それら 所管部局の地道な情報公開は、必ずや市民のマインドに響くことにつながり、ひいては個人の抱える問題 → 地域のみんなで考えるべき課題 へとイイ意味で派生することが期待できると思うところです。

これからの 高齢化・人口減少社会の中、建設部に関する諸課題は 市民生活の安心・安全を担保する役割をも担っており、それはすなわち地域課題に直結してゆきます。それらを踏まえ、建設部においては 市民と共に問題意識を共有するべく「新たな感性」をもって、イイ意味で市民を巻き込みながら 結果として市民生活向上に資してもらいたと存ずるところです。

 

そんな〝大きな期待〟を述べた私自身も、従来型の考えに囚(とら)われることなく〝新たな感性〟をもって、所管部局と向き合ってゆきたいと思いをいたしたところです。

 

 


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