倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

引き締まる思い

2019-03-31 | 日記

3/30 Sat

 

この日 「犀川南マレットゴルフ場愛護会総会[役員会]」 が行なわれ、後段の懇親会の場にカオを出させていただきました。

 

以前も触れましたが、かかる 「犀川南マレットゴルフ場」 については、私自身が初期の造成の頃から深く関わっており、いわゆる 「生みの親」 の一員となっていました。

その後も施設の維持管理には、陰に陽に協力させていただいていたしたが、一昨年に私が不祥事により議員を辞職したこともあり、とんと疎遠になってしまっているのです。

今回の晴れの18ホール拡張についても、陰ながら祝意を表するに止まっており、何というか 今までは 「身内同然」 であった愛護会ですら、すっかり敷居が高くなってしまっているのでした。

 

そんな中での愛護会総会でしたが、ありがたいことに、一部の役員さんがわざわざ連絡をくださり、この際だから ぜひ出席するようにと促され、馳せ参じた次第です。

 

私が着いた頃は 既に宴もたけなわ、各位は互いにこれまでの労をねぎらい合ったり、竣工した新18ホールの攻略法などに話しの花を咲かせていました。

そこへ私の入室ということで、話しの腰を折ってしまうのではないかと思いましたが、あにはからんや 参加のみなさんは歓待してくださり、中には握手を求めてくれる方も。

 

そのうえで、現在会長を務める H さんは「おかげさまで18ホールの拡張ができ、それも 以前 「開墾」 ともいえるご苦労を重ねた倉野さんたちの先人の努力があったからこそと思っています。

この施設はここまで発展しましたが、新たな課題も散見されるので、倉野さんにはまた以前のように力を発揮してもらいらいものです。」 と述べてくださいました。

 

 

今日の会合においては、ろくでもない経緯を踏んだうえにご無沙汰をするも、長い空白時間を経てもなお、相変わらずのご厚情をいただいたことに感謝の念が堪えないところでした。

そのうえで、さっそくに課題のあることをを伝えていただき、そこには単なる 「お久しぶり!」 で済まされない、これからもしっかり地域貢献せよとのご示唆をいただ感、私に課せられた期待と責務のようなものがにじみ出ているのを実感しました。

まさに 「身の引き締まる思いがする」 時間でもあったのでした。



近所の梅の老木に、今年も花芽がついていました。

 

 

歳を重ねてもなお「現役」であり続けるその姿に、凛々しささえも感じるところでした。


体質

2019-03-30 | 日記

3/29 Fri

 

今年は、県議会議委員選挙 ・ 参議院議員選挙、そして長野市においては 長野市議会議員選挙の 「選挙イヤー」 で、この日は その第一ラウンドが開幕しました。

 

どのような展開になるのでしょう・・・。

 

 

 

◇体質 ~ 「花粉デビュー」 となって

 

数年間から、この時季になると目が痒[かゆ]くなるようになってしまいました。

いわゆる 「花粉デビュー」 というやつでしょうか。

それまでは、他人様がクシャミしようが 鼻をすすろうが 「オラ関係ねえ」 と笑って過ごしていたものが・・・呼吸器系はさほどではないものの、目が、それも目頭がたまらなく痒くなるようになり、往生しています。

 

花粉症の目の症状、花粉が目に入ることにより、目の粘膜中から「ヒスタミン」なる物質が放出され、それが目の神経を刺激し、それが痒みの原因となるそうです。

 

 

 

目が痒いと、よせばイイのに つい手でこすってしまいます。これがまた目の粘膜や周辺を傷つけるのか 痒みが倍増し、目薬なんかも浸[し]みてツラいものです。

 

 

そんな私、往生したあげく、最近では 外出の際 「ゴーグル」 を着用するようにしています。

 

これは、花粉症専門のものではなく、旋盤などの工業作業時での、防塵用の 「目の保護メガネ」 なのですが、広く目の辺りを保護してくれ、これをかけていると花粉やダストの侵入を防げ、非常に具合がイイ代物ですよ[価格も1000円しない]

 

 

ヒトは一生の中で、自らの体質が変化する または変化できるものだそうです。

かくいう私 「花粉デビュー」 となってしまった一方、数年前まで悩まされていた 「肩こり」 が、なぜか改善され コリコリが無くなってしまいました。

原因?は不明です[マ、凝[こ]らなくなったので 原因はどうでもイイのですが]

 

私もこれから、いずれは長寿者の仲間入りをするところですが、体力など さまざまな力が低下してゆく中、せめて快適な社会生活 ・ 日常生活が送れるよう、良好な体質の維持に努めてゆきたいと 改めて思いをいたしたところです。

 

そういう中でも、朝から目がムズムズ・・・ゴーグル付けて出動します。

 

 

 


価値観によって

2019-03-29 | 日記

3/28 Thu. 

 

長野市の監査委員が、2018年度の監査結果の中で、その年に新たに設置した体育施設について、周辺に他の類似施設[体育施設]が数多くあるので、ついてはこの際 体育施設そのものの統廃合を検討すべき、と市長に報告したとの新聞記事がありました。

それを目にし、正直いって 「違和感」 のようなものを禁じ得なかったところです。

 

 

監査の標的となったのは、大豆島に新設された 「大豆島運動広場」 です。これは市の 「東部浄化センター」 の南側に、市民要望に基づき造成されたもので、当初は浄化センターの施設屋上に建設する予定が、耐震化などの面に課題が生じ、別途土地を確保してつくられたとのことです。

 

 

監査委員の見解は、ここ[大豆島]周辺には、13もの運動場があり、予算をかけて運動場を設置するのは無駄という趣旨の指摘だったのですが、私は そこに、その比較対象とされた運動場の 「質[しつ]」 が加味されているか、について違和感を感じたところです。

 

確かに、大豆島周辺には、河川敷グランドなどの多くの 「体育施設」 がありますが、屋島橋下の千曲リバーフロントスポーツガーデン以外は、いずれも劣悪、とまでは言わないものの、フェンスも無い 非常に簡素な造作になっており、とても 内外に胸を張って 「グランド」 などと言えないような代物[しろもの]なのが現実です。

 

 

 

長野市の 「悪い癖」 といえば やや語弊がありますが、何かといえば、運動場 の 「数」 について弁を弄するものの、一方で、肝心の 「質[しつ]」 について問われると、途端に下を向く傾向にあるのです。

 

 

 

市内の他の施設[野球グランド]についても、トイレの設置が不十分だったり、外野フェンスが無く[その向こうは藪/やぶ]長打ヒットが出る度にボールが無くなったりなどと、例えば冠の着く大きな大会など とても誘致・開催できないと、当時から問題視されており、その状況は 残念ながら未だに改善されてはいないようです。

あるスポーツ少年団の保護者は 「数さえありゃあイイってもんじゃないよ。」 とこぼしていたのが、今も印象に残っているのは残念なところです[しかも監査は、その「数」さえも減らせと言っているようですが]

 

 

今回の監査委員の指摘は、人口減少・少子化の流れの中、予算をかけた施設建設の 「無駄づかい」 に警鐘を鳴らすという点では、監査という職責の下では当を得た発言と感じられましたが、一方で、せめて最低限の施設整備を施したうえで 「体育施設」 を標榜すべきとの利用者の声にも応えてほしいとも思ったところでした。

 

行政事務・事業については、さまざまな価値観に基づいて執行されるところでありますが、多様な市民の価値観を踏まえて 適切な業務に当たってほしいと切に願うところです。

 

私自身も、かかる 「市民の多様な価値観」 について、心してゆきたいと思います。

 

 

 


腹立ちの空しさ

2019-03-28 | 日記

3/27 Wed. 

 

去る日、些細なことで腹を立ててしまいました。

今 思えば、さしたる根拠もなく、ただただ自分よがりに気分を悪くしただけでの立腹です。

その結果は、気まずさと空[むな]しさしかない、無為な時間しか残りませんでした。

 

そんな無為な時間を経て、もう、自分の気のままに腹を立てるのは止めようと思ったものです。

 

もとより 「ヒト」 は 「感情の動物」 と言われ、自らの感受性の中で 喜怒哀楽を感じ、ときにそれが自分のイメージにそぐわないときには 「腹立ち」 という 「負のエネルギー」 が発揚され、ときに自分以外の者と衝突することがあります。

 

昨今は 「煽[あお]り運転」 や 「逆ギレ」 など、一方的に腹を立てて、あげく他者に被害を及ぼすような行為に至ってしまう事案が散見されており、こんな世知辛い社会情勢を憂う声も挙がっています。

 

概して腹が立つときは、いわゆる自己チューな考えに立っているもので、そこで ほんのちょっと、他者を慮[おもんばか]る感性を働かせれば、前述の 「負のエネルギー」 が湧き起こることなく スルーすることができると思うところです。

 

生きてゆくうちには、さまざまな障害・障壁に否応なしに突き当たるもの、そんなとき、単純に自分の感情に任せて 無為に腹を立てることの無いよう努めてゆきたい、と 思いをいたしたひとときでした。

 

 

去る日、足を運んだ施設に、稼働を休止したエスカレーターが。

 

 

見れば、階段状を活用した 「雛壇[ひなだん]」 になっていました。

 

 

一階から二階を結ぶ、何十段もの階段が そっくり雛壇に設[しつら]えられており、施設を華やかに飾っていました。

 

 

♫ お内裏様とお雛様~ ♪ の歌声が聞こえてきそうな風情です。

 

 

早いもので3月も彼岸が過ぎましたが、つかの間の季節感を感じさせてくれた、イキな造作なのでした。


難しい判断

2019-03-27 | 日記

3/26 Tue. 

 

この日の信濃毎日新聞の朝刊一面トップに、県内の特別養護老人ホームで起こった 「介護中事故」 について、担当していた准看護師に有罪判決が下されたとの記事があり、注目した、というより 注目せざるを得ませんでした。

記事によると、安曇野市の特別養護老人ホームで2013年12月、入居者の女性=当時(85)=がおやつのドーナツを食べた後に死亡した事故で、注意義務を怠ったとして業務上過失致死罪に問われた松本市の准看護師(58才)の判決公判が、地裁松本支部で行なわれ、裁判長は求刑通り罰金20万円の有罪判決を言い渡したとのことです

 

今回の介護中事故の刑事訴追については、介護現場を担う職員の萎縮につながりかねないとして、関係者が全国で勉強会を開くなどしてきましたが、今回、職員の注意義務を厳しく求めたといえる司法判断は介護現場に大きな影響を与える可能性があるとのことです。

 

起訴状などによると、この准看護師は、入所している高齢女性にドーナツを提供して窒息させ死亡させたとしています。

検察側は、女性は食物を口に詰め込む癖があり、被告には窒息などの事故を防止するためにおやつはゼリー状の形態で提供し、動静を注視する義務があったのに怠った―などと指摘しています。

一方、弁護側は、女性に摂食・嚥下(えんげ)障害はなく、被告が動静を注視しなければならない状況ではなかった―と主張。おやつの形態を看護職員がチェックする態勢になっておらず、ドーナツの状態などから窒息ではなく脳梗塞や心疾患などで死亡した可能性があるとして無罪を訴えていました。

 

他の紙面では、この判決に対し、県看護協会の会長のコメントとして 「なぜこのような形で職員に罪を科すのか。利用者の全てを把握しておくのは不可能です。このような判決が通れば、介護現場は萎縮ししまう。」 と述べ、また傍聴に駆けつけた大阪市の看護師は 「(事件後)介護現場は萎縮していると聞く。これが正当な判決だとしたら誰も介護に携われない。」と危機感を募らせていることが伝えられ、また兵庫県の看護師経験者は 「利用者の尊厳を守るため(危険性のある利用者の)全ての食事を流動食にはしたくない。その思いを踏みにじる判決だ。」 と無念さをにじませていたとのことでした。

 

 

かくいう私も、自分の父親を、生前 約7年ほど 母親と一緒に介護したものでした。

頸椎損傷になって半身が不自由になった親父は、それでも在宅にこだわり、加療のため入院[病院]する以外は家で過ごし、食事・入浴・排泄などの生活行動を家で看たものです。

そんな親父も、ご多分に漏れず加齢と共に嚥下力[えんげりょく]が弱まり、咽[む]せたり吐いたり、そのうちにそれもできなくなってしましました。

今となれば、時間経過と共に 「食べる力、飲み込む力」 の衰えが顕著だったなぁと回顧されるところです。

 

他の家庭と同様、ウチの場合も、たった一人の親父の介護に汲々としたものでしたが、例えば今回の裁判のように、複数の、それも要介護状態の高齢者の介護を担う施設においては、その現場で働く方々のご苦労はいかばかりかと思うところです。

それでも 「職業人」 として現場に立つ以上は、事故が無くて当たり前、何かあれば責任を問われることも いか仕方ないとも申せます。

 

今回の判決は、高齢者の方の様子[特徴]や施設での業務の管理の状況など、複雑な要件が絡まったうえでの事故に対する司法判断となり、評価が分かれるところと思います。

 

被告側は即日控訴ということで、今後の推移が改めて注目されるところですが、いずれにしても 高齢化社会・施設介護傾向の昨今、お年寄りの看取りについて、私たちは重い課題を突きつけられ、難しい判断を迫られるようになったニュースだと実感させられたのは、私だけではないでしょう。

 

 

 


バタフライ効果

2019-03-26 | 日記

3/25 Mon.

 

この日は、朝からご関係者の方々に 作業のために時間を割いていただきました。

いずれの作業も、正直いって生産性のないものでしたが、それでも 私の立場を慮[おもんばか]って快く応じてくださり、感謝に堪えない次第です。

こんな、みなさんのご厚情にも報いるべく、最後まで頑張らねばと 思いを新たにしたところでした。

 

 

 

午後には、さきに再開[電話で]を果たした M さんにお声かけいただき、お仲間が集われる拠[ところ]に足を運びました。

そこでは、やはりさきに話題にした 「大賞」 の授賞に向け申請作業の真っ最中。机いっぱいに関係書類が並べられ、関係者からの推薦文の整理が急ピッチで行なわれていました。

 

そんな中でしたが、M さんらにご歓待いただき 「お久しぶり!」 の声をいただくと同時に、M さんから、大賞の授賞に向け 今までのグループ活動を懐古するうち 「あれ、これって倉野さんの 「今後」 に符合するわ。」 と感じたとして、過去に行なわれたイベントのチラシを見せてくださいました。

 

そのイベントは、2020年東京五輪大会に協力するために女性が中心となって行なったイベントだったそうですが、M さんが私に強調されたのが、そのイベントのサブタイトル 「共鳴共振 共働共感」 です。

 

このサブタイトルの狙い[願い]は、小さなひとかたまりの人々[この場合は女性]の活動が、寡黙に活動を継続するうちに やがて周囲の共感を呼び、大きなうねりとなって、当初 当事者たちが想像もしなかった大きな成果を生み出すというものだそうで、過去に長野冬季五輪大会で ボランティアを通じて 「市民力」 を引き出した M さんならではの 「ボトムアップ」 的な考え方なのでした。

 

 

そしてその考え方の根拠のひとつとして M さんは 「バタフライ効果」 を伝えてくれました。

「バタフライ効果」 とは、ある場所で蝶[ちょう]が羽を動かしたもの[羽ばたき]が、遠くの地でのハリケーンの要因にもなり得るか、という類いの学説だそうで、やや拡大解釈ではありますが、ときに 「小さな活動の継続が、やがて大きな力になる」 という例えにも引用されることがあるそうです。

 

 

喜寿を超えた年齢にもなる M さんですが、とてもそうは見えない バイタリティーにあふれた目で私を見てくれ 「倉野さん、あなたは今は孤独で、いわば一羽の蝶でしかないかもしれないけれど、羽ばたきを止めないでね。それは いつか 「バタフライ効果」 につながると思うから。」 と言葉を継いでくださいました。

 

正直なところ、今の私の動き[この場合でいえば 一羽のチョウの羽ばたき]が いかほどのものであるか、自分でも懐疑的に感じつつ時間を過ごしているところですが、M さんからの 「バタフライ効果」 のお話しをいただき 「継続は力」 との 励ましをいただいた感しきりでした。

 

一見 孤独に思える中ですが、心を砕いてくださる方々が確かにいる・・・改めて感謝の思いをいたしたところです。

 

※バタフライ効果の軌道図/これも蝶に似ている


健康寿命延伸の拠点

2019-03-25 | 日記

 3/24 Sun.


この日の新聞記事[信毎 北信欄]の「犀川南マレットゴルフ場 拡張」の記事が目に留まり、喜びを共有しました。



記事によると、丹波島橋上流右岸の犀川河川敷を活用して造られた犀川南マレットゴルフ場について、これまで18ホールであったものを住民要望に基づき36ホールに拡張したとのことで、多くの愛好者が参加して「こけら落とし」を祝ったとのことです。


「犀川南マレットゴルフ場」といえば、遡ること・・・確か平成16年頃でしたか、行政に要望を重ねるも実現がはかばかしくなかったマレットゴルフ場の設置について相談を受けるうちに、ならば自分達で行動を起こそうと、隣接区の若葉町の有志の方々と河川敷のアカシアの雑木林に分け入って鍬を振るい、多くの住民参加を得て作業を進めるうちに行政理解も深まり、結果として官民協働でコースの設置に結びつけた経緯があります。


あれから十数年が経過し、今度は「一支所一事業」として、行政が積極的に関与する中で拡張工事が進められたことは、イイ意味での時代の趨勢を感じるところであります。

当時は前進もままらなない雑木林の中、アメリカシロヒトリや、場所によってはマムシの出現に驚きながらの難作業、また造成初年度に豪雨に伴う河川の氾濫に見舞われ、せっかく完成したコースが汚泥に埋没するという災害に遭うも、みなさんを鼓舞して「やり直し作業」を完遂、みごとカムバックを果たすなど、この施設については思い出に枚挙の暇がないところですが、いずれにしてもこれらの作業を通じて「住民の手によるまちづくり」の何たるかを学んだことは、今でも私の「糧」になっているところです。


高齢化が伸張する昨今「健康寿命の延伸」が重要視される中、適度なスポーツとして最適なマレットゴルフを一人でも多くのみなさんが愛好されること、その拠点としてのマレットゴルフ場が大きくなることは誠に喜ばしくあり、今後の維持発展に期待を寄せるところです。


 

ところで 記事の中で、参加した愛好者へのインタビューが載せられていましたが、その 「声の主」 が、私が公私共にお世話になっている K さんでした。

普段は辛口の論評が多い K さんですが、この日ばかりは笑顔での受け答えが容易に想像できる 「喜びの声」 だったのでした。

 


他者の生きる環境を

2019-03-24 | 日記

3/23 Sat.

 

ネットのニュースで 「オランウータンの子どもを密輸しようとして身柄拘束」 の記事があり、耳を疑いました。

 

報道によると、インドネシア・バリ島当局は、薬剤で眠らせたオランウータンの子どもをスーツケースに入れて出国しようとした容疑でロシア人旅行者の男性の身柄を拘束しました。

男性は、ペットとして飼うつもりだったと供述しているとのことです。

 

バリ島のデンパサール空港の手荷物検査場で22日夜、ロシア行きの便の乗客手荷物を検閲していたところ、スーツケースの中から 睡眠薬で眠らされている2歳の雄のオランウータンが発見されたそうです。

 

このオランウータンは、ジャワ島の露店で 何と 「ペット用」 として売られていたそうで、男性はペットとして海外に持ち出せるとの甘言を信用して購入したとも報じられていました。

 

 

人には さまざまな嗜好があり、ペットを飼うことについても、イヌやネコをはじめ、魚や昆虫など、いろんな好みがあり それを外からどうのこうの言うことはできないとは思います。

しかし、このオランウータンのように、自然保護の観点からも逸脱したペット嗜好は考え直されるべきでしょう。

この人物が、どのようにオランウータンを飼おうとした[育てようとした]のかは知る由もありませんが、成人?すれば人の身の丈りよりも大きくなるものを どうやって安寧のうちに手元に置けるのかは懐疑的な面が否めないところですし、何より当のオランウータンが、生まれた大自然の環境を剥奪され、人間の下に置かれて生涯を過ごさなければならないとすれば、それはまさに 「不自然」 と言わざるを得ないでしょう。

 

 

「池の水 全部抜く」 という番組がありますが、この内容も、ほぼ、池の中で大きく育ってしまった外来魚の捕獲 が目玉となっており、それについても、養魚のうちに購入した アリゲーターガーのような魚が、あまりに大きくなって手に余り池に捨てたことが主要因になっています。

購入したペットを最後まで看取らず途中で捨てるという、人間の身勝手が為す業なのは自明なところです。

 

今回の報道は、オランウータンという極端な事例でありましたが、私たちの周囲でも、大なり小なり 「ペット問題」 は後を絶ちません。

 

さまざまな生命が命を育む、地球という環境の中の一員にすぎない人間には、その気まぐれで 他者の生きる環境を歪曲させる権利はないハズです。

 

 

「ペット問題」 に関する自治体の取り組み、これについても後日 触れたいと思います。


一夜のドキュメンタリー

2019-03-23 | 日記

 3/22 Fri.

 

私だけではないでしょう。前夜の 「イチロー選手が引退表明」 の報道に驚き、そして敬意を表したのは。

 

 

言うまでもなく、野球界の稀代のスーパースターであるイチロー選手は、日米のプロ野球界において数々の金字塔を打ち立て、その 「記録」 だけでなく、私たち野球ファンの 「記憶」 に残る名選手です。

 

イチロー選手を巡っては、さまざまな名場面がありますが、何と言っても私は、2009年開催のワールドベースボールクラシックでの韓国との決勝で、同点となった10回表2アウト2,3塁の場面で劇的な勝ち越しタイムリーヒットを放ったシーンを忘れることはできません。

 

 

で、私がこの場面が特に印象深いのは、この大会は 他でもないイチロー選手が絶不調で、苦しみに苦しんだ末、最後に結果を出したという、何というか 「生みの苦しみ」 を伴っての劇的タイムリーだったからこその 「印象深さ」 なのでした。

 

いかに天才といえども挫折があること、そしてそれはきっと乗り越えられることを体現してくれ、われわれ国民は大きな勇気[励まし]をもらったのでした。

 

 

 

 

一方、ここ長野市においても、遡ること2000年、長野冬季五輪大会の開閉会式会場であった長野オリンピックスタジアムの野球場としてのこけら落としに開催された西武vsオリックスのゲームで、あの松坂大輔投手とイチロー選手が対戦していました。

 

その後 ほどなくしてイチロー選手はアメリカへ旅立ったことから、国内における貴重な対戦となったことは後に伝えられています。

 

 

名選手の、突然ともいえる引退劇に触れ、栄光の陰にある挫折と それを超えるための努力、また地元との縁など、さまざまに思いを巡らせる機会をもらった、一夜のドキュメンタリーだったのでした。

 

 

 


集大成

2019-03-21 | 日記

 3/21 Thu.

 

私のスマホに着信があり、出てみると、従前から 「スポーツコミッション」 でお世話になっている M さんです。

こちらからは たいへんにご無沙汰している非礼を詫びて用件を尋ねると、当時から明るくポジティブに発言される M さんの口から、聞いているこちらまでも前向きにされるような言葉をいただきました。

「倉野さん、元気にしていましたか?私たちの仲間は、折りに触れて倉野さんの動静を案じています。

ところで、この度、倉野さんも深く関わってくれた 「スポーツコミッション」 を中心とした私たちのボランティア活動の経過をまとめたうえで、その成果についてある文化大賞に応募することになったの。

今、関係方面から推薦文やらいただいていいるのだけれど、かつて倉野さんは スポーツコミッションを通じて長野市の機構改革に大きな力を尽くしてくれた経緯があるので、その辺りを紐解きながら一筆書いてくださらないかしら。」 とのことです。

 

「スポーツコミッション」 とは、スポーツに関する新しい概念のことを指します。

これまでスポーツは、いわゆる 「体育」 の延長として捉えられていましたが 「スポーツコミッション」 は、より広い考えでスポーツを捉えr、そこにはスポーツを通じての観光振興や地域活性化などの 「多面的効果」 が伴います。

折しも長野市においては、1998年に開催された長野冬季五輪大会の賑わいがまさに 「スポーツコミッション」 のもたらした多面的効果だったでしょう。

私自身も、かかる 「スポーツコミッション」 の考えに共鳴し、M さんともに活動しながら、その結果 例えば長野市においては、新たに 「スポーツ振興部」 を設置するなどの成果を挙げることができたものです。

 

今回 M さんを中心にした文化対象の応募は、これまでの活動の集大成を期していることを感じさせるものがあります。

私としても、これまでのご関係者の活動に敬意を表すると同時に、これからも M さんらが醸成した 「ボランティアスピリット」 を受け継ぎ、市民自身がつくり出す 「地域活性化」 の重要性を再認識しながら諸事に臨んでゆきたいと思いを新たにいたしたところです。

 

市内真島にあるオリンピック施設 「ホワイトリング」 タマネギのような球形の 非常に個性的な施設です。

長野オリンピックが創り出したともいえる、非常に独創的な造形物です。

 

M さんたちの生み出した 「ボランティアスピリッツ」 が 「無形のオリンピックレガシー[遺産]」 であり、かかる施設が 「有形のレガシー」 と申せます。

 

このことについても、後日 触れたいと思っています。

 

 

 

 


自助・共助・公助

2019-03-20 | 日記

 3/20 Wed.

 

この日、ご支援いただく方々の多大なご助力により、後援会の物品の いわゆる 「断捨離[だんしゃり]」 を行なうことができました。

もし一人だった どうすることもできないような作業を、よってたかって片付けてくださり、まさに 「人海[じんかい]」 の力強さを再認識しました。

ただただ感謝の一語でありました。

 

 

◇先駆的な 「共助」

ニュース記事で、自宅のゴミを集積場まで運ぶのが難しい高齢者をサポートするため、環境省は、自治体などが高齢者宅まで出向いて回収を行う「ゴミ出し支援」制度の拡充に乗り出す方針を決めたことが報じられ、注目しました。

記事によると、国内の全家庭(約5000万世帯)のうち、65歳以上の高齢者世帯は4分の1を占め、その半分近くは高齢の単身者とされるとのこと。

それら世帯は、生活意欲や筋力の低下、認知症などに伴って自力でゴミ出しができなくなり、ひいいては自宅にゴミが溜[た]まる 「ゴミ屋敷」 になってしまうことが懸念されています。

こうした事態を憂慮し、環境省は全国の支援状況を調査した上で、自治体向けのガイドライン(運用指針)を作成し、ゴミ出し支援のあり方や先進自治体の事例を全国の自治体に周知し、制度づくりを促すとのことです。

 

 

実は、私の住む地域では、心あるボランティア組織が、すでに この 「ゴミ出し支援」 に乗り出しているのです。

この報道に触れ、かかるボランティア組織の 「先見性」 に敬意を表すると共に、今後の環境省の取り組みとの兼ね合いも含め、これからの施策展開に注視してゆきたいと思いました。

 

いずれにしても、かかる 「ゴミ出し問題」 も含んだ高齢化に伴うさまざまな社会問題は、私たちのすぐ身近で起こっており、今のうちから 「自分たちの課題」 として捉えることが肝要だと実感しました。

 

 

 

ところで、前述のボランティア団体のみなさんは、高齢者支援の一方、通学時における子供たちの見守り活動を行なっておられるそうです。

通学路における 朝の時間帯の車両交通制限をドライバーに知らせ、通学路に車両が入り込まないように 「看板アピール」 を実践しているとのこと。

 

まさにこれが 「地域自治」 高齢者から児童まで、共に地域に暮らす 「他者を思う心」 を体現されている 「善行」 なのでした。

 

 


まちづくりに向け

2019-03-19 | 日記

3/19 Tue.

 

さきに公職を辞した私は、そのままでいると 「世間離れ」 してしまうところでしたが、おかげさまで地域の方々に乞われ、地域自治に取り組む 「住民自治協議会」 の活動のお手伝いをするに至っています。

 

ご案内のとおり「住民自治協議会」は、住民自らが自らの手で地域社会づくりを行うことを目的に市内31地区全域に設置され、現在に至っています。

その中でこの度、かかる住自協が中心となって、将来に向けた地域ビジョンを構築するべく 「川中島まちづくり計画」 の策定作業が進められているのです。

自治協議会が発足して約10年が経過する中で、私たちが暮らす川中島地区を改めて見つめ直し、今後どうあるべきかを共に考えてゆくものです。

「川中島まちづくり計画」は、今を生きる私たちはもとより、地区の将来を担う、将来世代のみなさんにとっても「住みよいまち川中島」を実感してもらえ、計画を実行に移すことで実際に地域社会生活が実り多いものになる、実効ある計画となることが求められており、私もその計画策定委員会のメンバーとして議論のテーブルに就き、みなさんと忌憚の無い意見を交わさせていただいています。

 

活動の詳細については後日に譲ることとしますが、いずれにしても私たちは、今のうちに向き合わなくてはならない課題の筆頭が、わが国全体を覆う 「少子高齢・人口減少社会の伸張」 であるとの共通認識を持つべきと考えるところです。

そこで、その重要課題を念頭にしたうえで、策定委員会のメインテーマを 「人口減少社会を見据えた、誰もが安心して豊かに暮らせるまちづくり」 として掲げ、取り組んでゆくこととなっています

 

私自身、この 「まち」 に暮らす者の一人として、将来の地域がどうあるべきか、自分なりに思いをいたしながら、日々の生活・諸活動に臨んでまいりたいと思っています。

 

 

去る日に眺めた千曲川から飯綱山の眺望は、この地域の風光を象徴していました。

 

この豊かな自然を後世に残しつつ、将来に向けた 「まちづくり」 が進むことを願うところです。


言葉ひとつで

2019-03-18 | 日記

3/18 Mon.

 

会話の中で、ことばの難しさと大切さとを実感しました。

 

というのも、普段からたいへんお世話になっている方とのやり取りの中で 「行き違い」 があり、その中で学ぶ機会を得たものでした。

 

くだんの御仁は、私のことを本当に親身になって思ってくださっています。

そんな方がとある日、私の、他の方に対する対応が悪いと ことの外[ほか]怒って電話をかけてこられ、対応に苦慮するに至ってしましました。

やや感情的になっておられましたので落ち着くのを待って様子を訊くと、真相は全くの誤解で、お怒りの理由は どうやら的を外れていたようでした。

 

そのやり取りの中で、私にとってかなりキツい表現もあり、私自身も感情的になりかけた瞬間もありましたが、私とすれば、この方の単なる言葉尻を捉えず 「どんな言い方をしたか」 ではなく 「いったい何が言いたいのか」 を聴き取るに努め、できるだけ丁寧な言い回しの上で真相をお話しし、最終的に矛[ほこ]を収めていただきました。

これが、私までもが感情に囚[とら]われて生意気を申せば、論点がズレたまま推移し、これまでの良好な人間関係までも壊してしまったかもしれません。

 

考えてみれば、そんな、怒るなど感情的になるほど私のことを考えてくださっているのは 何よりありがたいことですので、会話の中でも 「それほどまでに私のことを考えてくださってありがとうございます。」 との言葉を添えて臨み、それらの言葉の紬(つむぎ)が 最終的にご理解いただく所以[ゆえん]となったようでした。

 

人は言葉によって自分の思いや考え方を相手に伝えることのできる、他種に秀でた能力をもつ動物です。

それだけに 「言葉ひとつ」 が、相手との絆を深めもすれば断ち切ってもしまう 「諸刃の剣」 とも言えるでしょう。

 

ひときわ熱心な御仁とのやり取りを通じ 「言葉ひとつ」 の大切さを改めて実感したひとときでした。

 

 

 

☆こんなところにも「春」が

小春日和の日に、ムラの生活道路を通過していると。

 

電柱の脇に、何やら黄色い塊[かたまり]が目に入りました。

 

ヨク見れば、あれ?福寿草です。

 

こんな宅地のこんなところに、どうやって宿ったものか、本来 山野にあるハズの可憐な花がシッカリと根付いていました。

 

寒い冬を乗り切り可憐な花を咲かせた福寿草の、見た目にそぐわない逞[たくま]しさを見た思いがしました。

 

 

私も見習いたい 「生命力」 です。

 

 


〇〇目線で

2019-03-16 | 日記

3/17 Sun.

 

チャリンコで道路を走行していると、さまざまな面で「ストレス」を感じます。

私が感じるストレスの筆頭は、路肩の狭さ と 歩道の段差 です。

道路交通法では「自転車は車道を走るべし」とあることから 車道の路側帯を走行するも、自転車の領分?の路側帯は非常に狭く、常に心もとない状態で走行するを余儀なくされています。

 

チャリを次々に追い越すクルマの風圧も相当なもので、大げさですが命懸けのペダリングの毎日です。

 

ならばと万[ばん]やむを得ず歩道を走行すると、そこには「段差」というストレスが存在しています。

敷地などに出入りするため歩道が切れる部分には、低床の縁石が設[しつら]えられています。

 

直進する際には、そこを都度乗り越えてゆくのですが、その度にタイヤを通じてガツンガツンンの衝撃があり、わずか数センチの段差にも関わらず、そのストレスはいかばかりかというほどなのです。

 

この、一見何でもない段差が、チャリライダーのストレスを招き、ひいては高齢者や車イスの方々にとっては、大きな「障害物」になることもあるでしょう。

 

 

近年では国交省の「バリアフリー法」の改正に伴うなどし、歩道の断裁の解消が進められることになっており、市内でも、長野駅東口エリアの再開発事業などでは、歩道という歩道は 軒並み段差の無い快適環境が整備されています。

 

しかしながら、既存の道路[歩道]は従来のままの段差構造・・・多くの箇所ではガッタンゴットンの「ストレス走行」を余儀なくされているのが実情です。

 

このことはいち事例でしかありませんが、いずれにしても 社会における住民のさまざまなストレス[ハード・ソフト両面]を如何に軽減できるか、が今後の社会運営の課題と言えると思い、それら諸課題を「共有」することも、解決に向けた一歩につながると思うところです。

 

 

 

「〇〇目線で」というキャッチフレーズがあります。

これは、その当事者の立場に立って、というアピールセンテンスですが、ややもすると、当事者やご関係者のご苦労を知らないまま、うわべの当事者意識で使う詭弁[きべん]であることが殆[ほと]んどだと思います。

「〇〇目線」を標榜するならば、当事者でしか分からないご苦労を共有したうえで課題に臨まねば、そんな覚悟のようなもの心にしながら、今日もガッタンゴットン走り続けます。

 

 

 


慈愛が通じて

2019-03-16 | 日記

3/16 Sat.

 

オフクロに乞われて、実家の庭の一隅に、パンジーの花を植えました。

 

実はこのパンジーたちの下には、オフクロを母と慕ったニャンが眠っています。

 

一ヶ月ほど前、オフクロから「ぶらっと出て行ったきりだった通いネコのママちゃん[ニャンの愛称]が、何ヶ月かぶりにヒョッコリ帰ってきたの。」と嬉しそうな声で電話があり、私がカオを出した際もしっかりとした足取りで迎えてくれたものでした。

 

ところが、それから3日ほど後、オフクロから沈んだ声で電話があり、訊けば、帰ってきたはイイが餌をほとんど食べないでいたので おかしいなと思っていたら、前日の夜半に様子がおかしくなり、丸一日看病したけどそれも叶わず、ついに旅立ってしまったとのことでした。

取りも敢えず庭に埋葬したけれど、土くれだけでは殺風景でかわいそうだから、この時季の寒さに強いパンジーでも植えてあげたいとの意向だったのでした。

 

 

通説では、ネコは死期を迎えると、飼い主の下[もと]を去り、人知れずその生涯を閉じると言われていますが、オフクロの場合は逆、長いこと家を空けていたニャンが オフクロの下へ帰り、その懐に抱かれて生涯を閉じるを選んだものでした。

オフクロは、とりわけ動物に対しては慈愛をもって接し、この通いネコに対しても あたかも人の子に対するように話しかけ、愛情を注いできました。

一匹 子猫を連れてきた際には、これ以上の繁殖を抑えるため すぐに去勢の措置を施してあげ、その後も佳[よ]きパートナーとして暮らしていたものでした。

きっと このニャンにも、そんなオフクロの慈愛が通じ、最期の寝場所をオフクロのそばと決めたのでしょう。

 

そんなオフクロは 齢[よわい]90才、これまで何度か身内を看取っており、その度に悲しみを乗り越えてきました。

「最後は笑って。」が信条だそうです。

 

 

かくいう私も、オフクロには心配かけっ放しで現在に至っています。

 

ここでもまた、反省の念 しきりです。