倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

「平成」幕を下ろす

2019-04-30 | 日記

4/30 Tue.

 

「平成」元号の最後の日は、今上天皇両陛下の「退位礼正殿の儀」が斉行され、厳粛かつ厳かのうちに 静かにその幕を閉じてゆきました。

 

 

古事に則り ひと渡りの儀式を経て、平成の天皇として お人柄がにじむ最後のお言葉を述べられました。

 

 

その中で「~これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。」とあり、それを耳にした私は「感謝すべきは、私たち国民の方です。」と思わず反駁(はんばく)したものでした。

 

 

(本ブログでも触れてきましたが)誰よりも国民の安寧を願い、先ずは戦争の無い国家であることを心にし、そのうえで、戦争とはまた違った形で被害が及ぼされた自然災害を憂い、その都度現地に足を運んで被災地を元気づけてくださいました。

 

 

 

また、昭和天皇の子息として、さきの大戦を悔い、遠い異国で散華せられた日本兵をはじめ全ての戦没者を慰霊するための巡礼の旅を重ねられ、現地で深々と頭を垂れるそのお姿に、多くの人々が感銘を受けたところであります。

 

 

 

まさに象徴天皇でしかなし得ない善行の数々には、私たち国民こそが大きな勇気と励ましをいただいたところであり、その不断の行動に対し、心から感謝するのは、私たち国民も同じでありましょう。

 

 

 

そのお人柄そのままに、静かに行事を終えられた退位正殿の儀を通じ「平成」というひとつの時代の幕が引かれるを、みなさんと同様に万感の思いで受け止めたところです。

 

 

 


違和感の正体

2019-04-30 | 日記

4/29 Mon.

 

去る日、同級生の集まりがあり、久々に出席させてもらいました。

と いうのも、私自身、すべての活動を自粛していたこともあり、同級生のみんなにも その非礼を詫びながらもご無沙汰を重ねてしまっていたところですが、この度の活動再開にあたり、改めてお詫びする機会にと 幹事役のSくんのお誘いをお受けし カオを出させていただいたのです。

 

仕事の都合で遅参した私、Sくんに「一言を」と促されたので、これまでの非礼を詫びたうえで、活動再開した旨を報告するべく口を継いだところですが、そこに何ともいえない「違和感」を感じ取ったものでした。

何というか、場違いというか、私の言葉がひとり浮いているというか・・・。

そして、その違和感の正体は、それからのみんなとの談笑の中で胸に落ちることとなり、私の勘違いのようなことからの「違和感」だったことが判り、結果的にありがたく感じることとなったのでした。

 

私は、ある意味 他人行儀のような形式で、お詫びやら報告やらを重ねたのですが、みんなは そんな心地ではなく、ごくシンプルに 久々にカオを出した私を迎え入れてくれていたのでした。

そこには 世間にありがちな邪推や勘ぐりもなく、ただただ「久しぶりじゃん!」の一言、いわば「友情」のみで私に向き合ってくれていたのでした。

 

なのに 私が、堅苦しく他人行儀な挨拶を始めたものだから、一様にみんなは「なに言ってんだこいつは。」と思い、それが その何ともいえない違和感につながったようなのでした。

 

 

卒業後は、進路や道程も異なる者同士ですが、いわゆる「同じ釜の飯を食った者同士」の同級生は、互いの人生に何があっても、会えば普通に受け入れてくれる、何ともありがい存在と思うところです。

特に私のような者は、みんなを励ますというより 励まされることの方が多く、感謝の念に堪えないところです(しかし またこれを強調すると「そんなもんじゃない」と叱られますが)

 

久々に参加した同級生の集まりでは、さまざまなものに塗[まみ]れた私の心をリフレッシュしてくれ、何というか「心の洗濯」をしてもらった感しきりでした。

私自身これからも、ごくシンプルな心境でみんなと向き合い、いい付き合いを続けてゆきたいと改めて思った、大切なひとときだったのでした。

 

 

 

 

 

 

桜の時季は終わりましたが、私の住む「平[たいら]」では「もうひとつの花見」が楽しめます。

桃の花が満開を迎えているのです。

 

 

 

 

桜よりもピンク色が強い桃の花々は、むしろ桜よりも強い印象を放ちながら ムラのあちこちを色鮮やかに染めています。

同じく時季の、タンポポや菜の花などの黄色や 地面を埋める草の緑とのコントラストも鮮やかです。

 

 

現在、桃農家さんは 適花や花粉付け作業の真っ最中。

綺麗な桃の花の盛りは、同時に桃農家さんの一斉スタートの時期でもあります。

 

 

 

 

 

 

 


時代

2019-04-29 | 日記

4/28 Sun.

 

4月も残すところ あと2日になってきました。

 

それはすなわち「平成」の終わりを告げるカウントダウンであり、同時に「令和」の新時代が始まるカウントダウンでもあります。

 

何というか「二度目のお正月」とでも申しましょうか、私たち日本人にとっては、元号が変わるというのは、大きな節目を迎えると思えるところであります。

それだけの大きな節目に「立ち会える」というのは、国民としては感慨深いところであり、これまで ときの天皇陛下のご崩御に伴い変わる、いわば急きょの行政執行とは異なり、期日が予定される元号改定においては、何ともいえない期待感と「新元号の下で、改めて。」との決意に近い思いを抱くのは、私だけではないと思います。

 

 

私にとっての「平成」は、挫折と失敗の繰り返しであり、その都度に自分の至らなさを悔い嘆き、反省を重ねるの連続でありました。

しかし同時に、やはりその都度に 多くのみなさまに温かく手を差し伸べていただき、再び立ち上がり歩みを続けることができました。

 

そういう意味では、私にとっての平成は「反省と感謝の時代」と言えるのではないかと自分なりに思うところであります。

この場をお借りして、すべての皆様に改めて御礼を申し上げる次第であります。

本当にありがとうございました。

 

 

冬が終わり、桜前線も北上、もって平成が終わりを告げようとしていますが、新たな元号を迎える日本国民の一員である私といたしましても、元号が変わることを契機に、イイ意味で「リ・スタート」できるよう、期待をもって5月1日を迎えたいと、改めて思いをいたしたところです。

 

 

 

 

 

地区内の とある路傍では、今年も咲きました「ど根性チューリップ」が。

 

 

固いアスファルトの隙間から芽を出し、今年も立派に花を咲かせました。

 

 

 

 

時は流れ時代は変わってゆきますが、自然界の営みは、まさに営々と続いているのでした。 

 

 

「変わらない強さ」これもまた、見習いたいもののひとつですね。

 

 

 

 

 

 

 

 


穏やかに 冷静に

2019-04-28 | 日記

4/27 Sat.

 

事務所の備品を購入するために、ホームセンターに出向きました。

 

目当てのものを見つけてレジに向かうと、若干の列ができていました。

レジカウンターでは、パートと覚しき女性従業員が二人、かいがいしく接客に務めています。

私は順番を待ちながら佇んでいると・・・。

 

突然「そんなことはイイから早くしろ!」と、突然の怒号が聞こえ、ビックリです。

見れば、高齢の男性が一人、商品を精算する段になって怒っているのです。

一見には、接客対応に何の問題もなく「何をお怒りですか」と聞きたくなるような唐突さに、周辺は凍り付き、レジの女性従業員も困り果てた様子を浮かべていました。

 

くだんのおじいちゃん、言いたいことだけを吐き捨てると、商品をひったくるように手に持って退店してゆきましたが、後には気まずさだけが残っていたものでした。

 

 

 

 

感情をコントロールできなくなり、ささいなことに激高したりするのは、高齢者の特徴的な所作であると言われています。

これは、前頭葉が老化したことによる「現象」のひとつで、ひいては認知症につながるとも言われています。

 

最近、高齢者が起こす事故などが多発していますが、その通底には、身体の衰えと同時に、イザというときに冷静な判断(行動)ができなくなることがあるのではないか、と思うところです。

今回の高齢者においても、いくらか感情を損ねることがあったにせよ、そんなときほど、ちょっと息を飲んで一拍置けば、穏やかに冷静にやり過ごせたのではなかったか、と。

 

 

 

ささいなことで感情を爆発させたおじいちゃんを目にし、現代社会の抱える課題をも見せられた思いがしたところでした。

 

 

 

 


「暮らせば健康になるまち」をめざして

2019-04-27 | 日記

4/26 Fri.

 

この日、住民自治協議会(以下「住自協」)の「産業振興分野小委員会」が行なわれ、委員の立場で出席しました。

 

住自協においては「まちづくり計画」の一環として、ジャンル別に小委員会を設置し、まちの将来を見据えた地域づくりの検討を行なっています。

私の所属する産業振興小委員会は、まちの活性化を産業振興(ビジネス)の視点で捉え、小委員会の提案がまちに「潤い」をもたすよう さまさまな視点から思考を重ねています。

まちの産業振興=活性化をめざし、小委員会では

・川中島の桃のブランド化

・健康寿命延伸に向けた「健康ビジネス」

・都市計画道路川中島幹線北部延伸における「まちづくり提案」

を「三本の柱」に掲げ、具体的成果を期することとなっています。

 

 

この日はそのうちの「健康ビジネス」について、委員のHさんからプレゼンがされました。

 

 

H委員は、かつて松本市で健康福祉都市づくりに関わってこられた経験があり、それを踏まえて「川中島版」としてサンプルモデルを示してくださいました。 

 

サブタイトルは「暮らせば健康になるまち川中島」です。 

 

 

松本市は、信大医学部と連携しながら健康づくりを推進したとのこと、そこで当町にも医療大学が開学しているので そことの連携を軸に、市民参加型の健康づくりが提唱されました。 

 

「健康寿命延伸」は 住民関心も高いことから、官民、とりわけ民間企業の参入を促しながらの事業推進の重要性が説かれ、そのうえで結果として、市民は健康、企業はデータと利益、行政は医療費補助の軽減という「誰もが潤う」システム構築の重要性が述べられています。 

 

 

今後、関係機関との連携を深め、さまざまな試行を重ねることにより「この町に暮らせば健康になれる」の具体的イメージが構築されることが期待されるところです(詳細については後日に譲ります) 

 

 

 

「まちづくり」には、さまざまなイメージづくりに併せて「具体性」が求められます。 

 

これらの提案を基に、今後 より具体的な「まちづくり計画」が進められ、結果として「住んでよかったといわれるまち」が構築されることが期待され、私の立場でも その「具体化」に向け一助を為してゆきたいと思いをいたしたところです。

 

 

 

 


主客逆転

2019-04-25 | 日記

4/25 Thu.

 

去る日の記事で、川崎市が 「AI(人工知能)」 を行政事務に導入したことが報じられ、一長一短あるを感じ取りました。

 

記事によると、川崎市は、国民健康保険料など市民に収めていただかなければならない 「料」 について、その滞納を減らすため、電話催告の業務に 「ホワイトボックス型AI」 の活用を始めました。

川崎市は、国保料などの収納率向上に向け 「川崎市こくほ・こうきコールセンター(民間委託)」 を設置、国民健康保険や後期高齢者医療制度に関する市民からの問い合わせに総合的に対応すると同時に、保険料等の滞納者に電話をかけて納付を働きかける電話催告や、滞納者の家に出向き、納付を求める訪問収納の業務を行なっているそうです。

電話催告の業務では、月に3万8千件の電話をかけていますが、先方に直接会える 「接触率」 が低いことが大きな課題でした。

そこで活用されたのがAIの分析能力です。

相手(滞納者)との接触を高めるために、家族の人数や年齢、性別で世帯を階層分けし、これまで市が蓄積してきた過去の折衝データなどをAIに読み込ませ、AIはさまざまな情報から、在宅時刻など、国保料の滞納者との接触率の高い時間帯を導き出してくれるそうです。

その、AIが算出した個別の時間帯に基づき、コールセンター職員が確実な接触を試みることで、さらなる収納率アップにつなげるとのことでした。

 

 

実は、過日の識者との意見交換で、この AIの行政事務導入が話題に上り、その際の結論は 「AIは、使うのはイイが、使われるようではダメだよね。」 というものです。

そして その肝[きも]は 「政策判断」 です。

 

今回の川崎市のケースは、集積された過去のデータをAIに渡し、それを基に適切なプログラムをAIが作成して行政側にフィードバックして政策 (収納促進作業) に反映させており、あくまでヒト(行政)が 「主」 で AIが 「従」 になっています。

 

しかし、今後 AIの能力が行政(ヒト)を超えるようになったりすると、肝心の政策判断そのものをAIに頼るようになり、そのAIのためにヒトがデータをせっせと集めるようなことになるのでは・・・そうなれば、AIが主でヒトが従の 「主客逆転」 になりはしないか、という懸念が生じます。

そんな風にAIに頼り切りでいれば、そのうちに 「人工知能が運営する自治体」 が成立する時代になってしまうゾ、と交わしたものでした。

 

 

「政治は人なり」 と言います。

あくまで血の通った人間が試行錯誤しながら政策判断するのが 「政[まつりごと]」 でなければならず、AIは あくまでそのお手伝いをする存在に止めるべきでしょう。

そして、その 「血の通った政[まつりごと]」 で機能しなければならないのが 他でもない 「議会」 であると再認識されました。

 

 

時代が進み、AIなどが活用されるようになればなるほど、議会の役割は大きくなる。

先進市の事例を耳にし、改めて 「政[まつりごと]」 の何たるかを自覚したところです。

 

 

 

 

 

 

お伺いした W さんちの玄関に、置物のワンがチョコンと座していました。

 

 

 

こちらでは以前、生身[なまみ]のワンちゃんを飼っていたのですが、そのコが旅立ってしまったことから 「ペットロス」 になり、せめてもの癒やしにと、この置物ワンを入手したそうです。

 

 

そんな生前のワンへの思いも重ねてでしょう、この置物ワンの肩には、玄関でも寒くないようにと、奥様手編みの肩掛けが巻いてありました。

 

 

 

もの言わぬ無機質なワンに、飼い主の変わらぬ愛情が注がれていたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

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ならば明るい雰囲気で

2019-04-25 | 日記

4/24 Wed.

 

今年の春先は、朝晩の冷え込みが続いたり、そうかと思えば日中は初夏の陽気となったりと 気温は乱高下を続け、体調管理に難を覚えたところがありました。

そのせいか、桜の開花も 一気に咲いてしまった感、気がつけば満開で ピークが突然訪れた感じでしたね。

きのうは天気の変わり目のせいか やや風が強く吹き、花びらを残した桜は桜吹雪を舞い起こしながら美しくその盛りを終えていっていました。

 

 

 

「桜の美しさは散り際にこそあり」 といわれますが、限られた期間に全力で花をつけ、そして潔く散る姿に、とりわけ私たち日本人は共感と感銘を覚えるところです。

 

 

 

 

 

 

女子マラソンで1992年バルセロナ五輪銀、96年アトランタ五輪銅メダルの有森裕子さん、2000年シドニー五輪金メダルの高橋尚子さんらを育てた、著名なマラソン監督の小出義雄さんご逝去の報が伝えられました。

 

小出さんは、その独特の眼力から選手発掘に長[た]けておられ、当時無名だった有森さんや高橋さんをマラソンのメダリストに育て上げました。

そのコーチング法も、竹刀で尻を叩くようなスパルタではなく 「もっっとやれるよ!」 と 明るく褒めて伸ばし、選手の方も 「もっと頑張ろう!」 と思えてしまうような オンリーワンの指導だったそうです。

亡くなる数日前には、最期を悟ったかのように 「死んでも泣くんじゃないよ。演歌でも流して、酒飲んで、笑って見送ってくれ。」 と家族に告げるどこまでも気遣いの人だったとのことです。

長女は 「たくさんの人に支えられて、大好きなかけっこのために尽くした。最後までとても幸せそうでした。」 と述懐していたことも伝えられていました。

 

昨今、スポーツ界や一般社会の中でも、パワハラに象徴されるような ときに高圧的な、ときにイジメに近いような陰湿ともいえる部下や後輩への接したかが社会問題にもなっており、やる気をもって飛び込んだ若者が思わぬ仕打ちにあって傷つけられるようなイヤな話題が散見されています。

 

そんな中、小出さんの 「褒めて伸ばす」 コーチングは、当のアスリートはもとより、おそらく周辺をも明るい雰囲気を維持したまま みんなで目標に向かって頑張る好環境を醸成したことが容易に想像でき、何というかチームづくりのお手本をみせてもらった感しきりです。

 

 

「マラソン界の名伯楽」 と称された小出さんの訃報に触れ、他人(ひと)と接するとき、みんなで目標に向かうとき、それが厳しい環境であればあるほど、互いを詰(なじ)ることなく、認め合い褒め合いながら、ならば明るい雰囲気のうちに頑張れるような雰囲気をつくってゆきたい、そしてその原資となれるような存在になりたいと、改めて思いをいたしたところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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和をもって尊し

2019-04-24 | 日記

4/23 Tue.

 

遠い異国、スリランカでテロによる爆発により多くの犠牲者・ケガ人が出たことが報じられ、怒りと悲しみと やるせなさがない交ぜになり、胸が塞がる思いに至りました。

 

スリランカといえば、世界的な紅茶の産地として知られ、テロなどとはおよそ結びつかないイメージしかありませんでしたが、そんな地で起こった惨劇は 世界中に驚きをもって伝えられました。

この事件の詳細については、地元のNTJなるイスラム過激派組織が関与しているとか、壊滅されたハズのISが犯行声明を出したとか 諸々報じられているところですが、どうやら その根底には 「宗教間の対立」 があるようです。

それを聞く度に私は、この種の事件が起こされる度に 「原理主義」 の考え方について懸念・憂慮を禁じ得ないところです。

 

 

宗教、だけでなく、さまざまな価値観については人それぞれ、どんな宗教を信奉しようと、どんな思考で活動しようと、それは自由であるハズで、そのことについて、他者に迷惑をかけない限り、他人や第三者がとやかく言うことはないと思います。

 

ところが、特定のものを信奉する者が 「原理主義」 に陥ると 「ウチは正しいが他所(よそ)は間違っている」 との、自己肯定・他者否定の考えに基づき、自分たちの考えに副(そ)わない人(物)を攻撃するようになってしまい、これが 「争いの素[もと]」 になってしまうのでは、と。

この原理主義的発想は、宗教界で顕著で 今回のスリランカの事件を初め、ISによる原理主義国家へ向けた暴挙や、わが国においても あのオウム真理教などの 「わが教えこそが全て」 に基づく 極端な宗教活動が多くの事件の元凶となってきました。

 

これらの事例は まさに極端な例ですが、私たちの社会生活の中でも、かかる 「原理主義的発想」 が大なり小なり散見され、社会問題 といえば大げさですが、揉[も]め事の火種[ひだね]になることがしばしばあります。

「ウチのやり方が正しいのに、あのウチのやり方は何だ。」 と難癖[なんくせ]をつけてみたり、他人様(ひとさま)の箸の上げ下ろしに小世話をやいてみたりと 「オレが正しく 他人(ひと)は間違ってる」 の思考は、ご近所トラブルや人間関係悪化の要因となっているのではないでしょうか。

 

 

「和を以て尊しと為す」 ということばがあります。

これは、自分の内心には確たる考え方がありながらも、他者の考え方も認め、それを受容し認め合いながら、寛容のうちに良好な社会生活を送るべきことを諭[さと]しているものですが、私は、今こそ社会(世界)全体が この考え方に基づき、互いを尊重し合いながら社会運営に臨むべきではなかろうかと強く思う者の一人です。

 

 

社会はまさに多様化の中にあります。

自分だけが正しい、などと言い切れる時代ではないでしょう。

 

 

 

 

 

 

お伺いした先の玄関脇に、花の盛りの大きなポットが。

 

 

季節の花々が、色とりどりに寄せられています。

と、中をヨク見れば・・・

 

 

 

仲良く寄り添うネコちゃんがいました。

 

 

花に囲まれ、幸せそうな表情でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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健康第一

2019-04-23 | 日記

4/22 Mon.

 

ここのところ 「ふくらはぎ」 に張りを感じています。

何というか、固くむくんだ状態になっており、揉むと痛みを伴うところもあります。

調べるともなく調べてみると、身体におけるふくらはぎの重要な役割の記述が多くあり、これは気をつけなければと認識を新たにしました。

 

ふくらはぎは、疲労回復などの 「代謝」 の役割を担っているそうです。

一日の活動の中、重力によって下半身にたまった血液を心臓に戻す 「ポンプ」 の働きをしており、これは 「第二の心臓」 と呼ばれる所以[ゆえん]となっています。

 

 

 

 

そのため、ふくらはぎの筋肉が凝り固まって血流が滞ると、全身の血流が悪くなり、代謝ダウンにつながるとのこと。つまり、ふくらはぎの状態と全身の健康状態には相関関係があり、ふくらはぎがパンパンに硬かったり、しこりがあったり、冷たかったり、柔らかすぎて弾力がない人は、全身の機能が落ちている可能性があるとのことです。

 

 

また、ふくらはぎのトラブルは末梢動脈疾患(PAD)に伴う動脈硬化の原因ともなり、引いては心筋梗塞につながる重大な疾病の素[もと]にもなり得ることも載せられていました。

 

 

先日の 「誤嚥性肺炎」 でも触れましたが、ヒト(動物)の身体の優秀さを再認識させられます。

重力のある地球で、二足歩行で活動するヒトには 「ふくらはぎ」 があり、それが下に下がった血液を心臓に押し戻す役割を担っている。極めて合理的な機能を生まれながらにして備えていることに 我ながら?感心せざるを得ません。

 

いずれにしても、そんな重要な役割を担う 「ふくらはぎ」 に張りを感じていること自体、私の身体における何らかのサインと実感し、折りに触れて マッサージや運動などを通じて回復に努めたいと思った次第です。

 

 

読者?のみなさんにおかれましても、改めてご自身の 「ふくらはぎ」 をチェックしてみてくださいませ。

 

 

 

 

共々に 「健康第一」 でゆきましょう。

 

 

 

 


将来のあるべき姿

2019-04-22 | 日記

4/21 Sun.

 

この日 「第21回長野マラソン」 が開催されました。

残念ながら私は、都合で応援に行くことは叶いませんでしたが、今年も1万人を超える多くのランナーが参加して盛大に開催されたと報じられていました。

多くのボランティアにも支えられるこの大会は、市民スポーツ大会の代表格「参加するスポーツ・観る、応援するスポーツ・支えるスポーツ」 の代表格として、今後の発展的開催を期待するばかりです。

(写真は資料)

 

 

 

この日、識者の方と意見を交わす機会があり、その中で 「住民自治協議会などの地域自治組織の、あるべき将来像」 について話しが及びました。

 

「地域でできることは地域で」 をスローガンに掲げて発足した住民自治協議会(以下「住自協)は、ご関係者の不断の努力により、行政(長野市)との連携の下、地域活性化の拠点として活動を継続しています

 

そのうえで今後は、人口減少が続き 税収などの 「体力」 の低下が懸念される中、識者の見解は、住自協そのものが 「地域の体力の維持」 に向け本格的に取り組むべき時期が来るのではないか。

例えば 現在も、防犯灯や街路灯についての維持費(電気代)は、各自治会が補助金を購[あなが]いながら自己負担していますが、今後 人口が減少する中、その維持費すらも、一軒あたりの負担が増加するなどの住民リスクが増加し、大変な状態に陥ることが懸念される、であるとすれば 「地域のことは地域で」 を掲げる住自協は、現在の地域自治活動に併せて、地域の財源を自ら確保する機関を新たに設け 本格的に取り組むべきではないか、というものです。

そして そのためには、住自協を所管する長野市そのものが、人口減少社会を真摯に捉え、そんな住自協の 「自助努力」 を積極的に支援する態勢(体制)を早いうちに整えてゆかないと、人口減少のハイペースについてゆけなくなるのでは・・・という考えです。

 

 

私の住むまちの住自協は、現在 「まちづくり計画」 など、まちの将来に向けた計画づくりを行なっており、そのスローガンには、識者の意見を盛り込み タイトルに 「人口減少社会を見据え~」 を盛り込んだところですが、今後、本格的に人口が減少する中、住自協としても 地域の将来を実質的に守るため、共々に知恵を出し合うべきことが語られ、造詣を深めることとなりました。

 

私としても、認識を新たにし 今後の住自協活動に反映させていきたいと思いをいたしたところです。

 

 

 

 

 

 

この時季、丹波島橋の上に立つと、犀川を眼下にしながら 遠く西の彼方に残雪を残したアルプスを眺めることができます。

 

 

私の好きなビューポイントです。

 

こんな豊かな自然は、そのまま将来に遺したい、そのためにも 「新たな発想」 で臨まなければならない、2つの思考が交錯したところです。

 

 

 

 

 

 


注意に注意を

2019-04-21 | 日記

4/20 Sat.

 

午後、青木島の辺りにいると、渋滞の列を縫って 赤い消防自動車がけたたましくサイレンを鳴らして南へと下ってゆきました。

 

この日は風が強く、満開の桜の花びらも舞いちぎれるほど。万一火事にでもなれば 「風にあおられて」 の被害拡大が心配されるような陽気です。晴れ続きで空気も乾燥していましたし。

 

私のスマホには 「長野市災害情報ダイヤル」 が登録されており、これまでもサイレンが聞こえる毎に確認していたものですが、今回も 青木島以南ということで、ふと気になって同ダイヤルを呼び出し 災害内容を確認してみました。

 

 

すると、よりによって と言っていいでしょう、アナウンスの内容は、私の住むエリアでの 「建物火災」 という情報内容で、にわかに心配心が募ったところです。

 

とりも直さず、当該エリアに住む役員さんに電話で照会すると、どうやら自宅敷地内で不要の草木を燃やした焚き火が、消したつもりが消え切っておらず 「置き火」 となっており、それが折りからの風で再び燃え、それがよりによって 暖炉の薪にと保管しているストックヤードに燃え移ったことから119番通報を余儀なくされたとのことでした。

現地は、平地で遮るものもなく いわば風の通り道のようなところで、風の影響をまともに受けた格好でしたが、幸い、風向きがご自宅と反対に向けて吹いていたことから最悪の事態は避けられ、ボヤ程度で済んだとのことです。

が しかし、ひとたび勢いをつけた火の勢いは 素人の水道のホース程度の力ではいかんともし難かったでしょう、家人の方の慌てぶりはいかばかりかというところです。

これがもし、風下側に住宅があったとしたら、思わぬ大きな被害になった可能性は否定できないところ、電話でも 「大したことにならず本当に良かったですね。」 と結んだところです。

 

夕方、たまたま現地を通りかかりましたが、その頃には、火災発生時には複数の消防車を集結させた騒ぎをよそにするような ささやかな燃え残りに止まっており、安堵を共にしました。

 

 

いずれにしても、火事はいっさいがっさいを持っていってしまう 最悪の災害とも言われていることから 「火の用心」 は、究極の自己責任として 注意に注意を重ねたいところです。

 

 

まだしばらくは、春特有の 強い風が吹く日が続くようですから。

 

 

 

 


遊び心で

2019-04-19 | 日記

4/19 Fri.

 

先日のブログで 「誤嚥性肺炎」 について触れ、私の亡父について、疾病を抱え声が細くなると同時に飲み込む力も低下した旨を述べましたが、それに関連するように、20日付けの信毎記事(17面「くらし」)に、喉の筋肉の維持の大切さに触れる記事があり、共感を覚えると同時に、読者?のみなさんにもご周知させていただくところです。

 

 

 

記事によると、誤嚥性肺炎の 「誤嚥[ごえん]」 の原因のひとつに 「声を出さなくなることによる喉の力の低下」 が挙げられる、とありました。

 

これは、亡父の晩年に 声がめっきり細くなり、それに併せて 「むせ」 による誤嚥の予防行動も減り、やがて飲食物が肺に混入するようになってしまったことに 残念ながら一致するものです。

 

さらに記事は、誤嚥を防ぐためは 「喉の力」 を養うことが重要で、そのためには 「声を出すこと」 が大事、と述べていました。

何でも、嚥下[えんげ]と発声は ほぼ同じ部位の筋肉を使っており、張りのある声を維持するためにノドを鍛えれば、それは ひいては誤嚥性肺炎を防ぐことにもつながるとのことでした。

そして その有効な手段として、他人[ひと]との会話と 「カラオケ」 を挙げ、レクレーションと病気の予防の 「一石二鳥」 を啓発していました。

 

自分の愛好する曲をマイクに乗せて歌う 「カラオケ」 は、その発祥の頃は スナックなどの酒席での余興として普及しましたが、今では 地区やお仲間との懇親会の演目として、また 「カラオケ教室」 などとして本格的に習う方もおられるなど、室内レジャーの筆頭として多くの方々に親しまれています。

そのカラオケが、誤嚥性肺炎予防の一助をも為すとなれば、これは罹患して身体に不調をきたす思いをしないためにも、大いに楽しみながら 「嚥下力の強化」 に励まない手はないといえるでしょう。

 

「風が吹けば桶屋が儲かる」 よろしく 「カラオケに興じれば誤嚥性肺炎を予防できる」 の大義をもって、十八番[おはこ]の熱唱をお勧めするところです。

 

 

この 「カラオケ」 を初め、マージャン=脳トレ のように、一見して 「遊び」 の域のものが、健康長寿の秘訣に挙げられる昨今です。

 

あまり大上段に構えず 「遊び心」 をもって物事に臨むことも大切なのかもしれませんね。

 

 

 

 


春爛漫

2019-04-19 | 日記

4/18 Thu.

 

ここ数日で、長野市内の桜の開花が一気に進んだ感です。

 

 

ついこないだまで、固いい蕾みに閉ざされていたと思っていたら、桜の名所は いきなりの 「花回廊」 を成していました。

 

 

 

 

 

 

城山界隈も、薄い上品なピンク色に染められ、季節感満載です。

 

 

 

おそらく外国人観光客でしょうか。初めて見るであろうSAKURAの群生を背に記念撮影、さっそくインスタに載せるのでしょうね。

 

 

 

私が幼少を過ごした箱清水の桜並木も満開。遠く雲上殿を仰ぎながら あの頃と同じ景色を見ることができました。

 

 

 

飯綱山には、まだ残雪が見られ、桜とのコントラストを成しています。

 

 

 

 

 

地区内の小学校の桜も満開。児童らが、桜咲く校庭で元気に駆け回っていました。

 

 

 

向こうでは、児童らの談笑する姿も。快活な笑い声が響いていました。

 

 満開の桜花は、これほどない情操教育の 「生きた教材」 となっている風でした。

 

 

日本ならではの美しい風景に触れる一方で、昔の電報の主文にもなった 「サクラサク」 にあやかりたいと思ったのも正直なところです。

 

 

 

 

 

ところでこの日、新聞紙面に 「柴山昌彦文部科学相が、小学校において 特定の教科を専門の教員が複数の学級で教える 「教科担任制」 を進める考えを、17日の中央教育審議会に諮問した。2020年度から英語が正式な教科となり、プログラミング教育も必修化されることから、教員の専門性を高め、授業準備を減らして教員の働き方改革にもつなげる狙いがある。」  と報じられ、耳目を引きました。

 

現在、小学校では1人の教員が1学級を担当し、全てか大部分の教科を教える 「学級担任制」 が主流です。

 

今後、基本的には児童のために、さらには先生方の負担軽減や専門性の醸成のためにどのような良改正がさせるのか、私自身も注目してゆきたいと思いました。

 

 

すべてのみなさんに 「サクラサク」 となればイイな、と思った、春爛漫の日でした。

 

 

 


長寿社会の

2019-04-18 | 日記

4/16 Tue.

 

人気漫画 「ルパン三世」 の原作者として知られる、モンキー・パンチこと加藤一彦さんが、誤嚥性肺炎[ごえんせいはいえん]のため死去したことが報じられ、今は亡き父親を重ね合わたところです。

 

 

ウチの親父も、なにいう誤嚥性肺炎で寿命を縮めたのでした。

 

 

誤嚥性肺炎は、口から入った食べ物や飲み物が、胃に通ずる食道ではなく、肺に通ずる気管に入ってしまう 「誤嚥[ごえん]」 によって、肺炎になってしまう病気です。

日本人の死因の3位となっている肺炎ですが、その約7割は誤嚥性肺炎が占めており、高齢者の増加に伴い 患者数も増加しているそうです。

誤嚥性肺炎は、食べ物を飲み込む力=嚥下(えんげ)機能 の低下が原因になるもので、さしたる自覚症状がないため 知らない間に症状が進行していることが多く、いつの間にか症状が進行し、死にも直結する恐ろしい病気です。

 

 

 

 

人体の構造は非常に優秀で、同じ口腔から入るモノでも、食事は食道経由で胃に、空気[酸素]は気管経由で肺に振り分けられ、その入り口の弁は嚥下機能によって行き先が間違わないように 「自動調整」 されています。

 

しかし、加齢によって その振り分け作業の機能が低下し、万一間違えたときの 「むせ」 による気管に入った飲食物の押し返しができなくなると、本来空気しか入るべきでない肺に、さまざまな雑菌が付着した飲食物が混入し、肺炎を誘発するのです。

 

また 誤嚥性肺炎は、飲食物だけではなく、就寝中などに口中の唾液が気管に入り込んでしまうことも要因のひとつに挙げられており、口中の雑菌も唾液と一緒に気管から肺に入り、やはり肺炎の素[もと]を成してしまうそうです。

 

私の親父も、頸椎損傷を煩い 全体に体力が弱くなり、声が細くなったり、咽[むせ]たりができなくなった中、食欲だけは旺盛だったのですが、やはり食べた物の何割かは胃ではなく肺に入り込んでしまったらしく、やがて肺炎の診断を受けるに至ってしまったのでした。

 

 

 

 

モンキーパンチさんの死因を耳にし、図らずも 父を介護していた時期を彷彿とするに至ったものですが、それに併せて 「健康寿命の延伸」 の一環としての 「嚥下力」 の密かな重要性を改めて感じる機会ともなったのでした。

 

 

ちなみに、誤嚥性肺炎を予防するためには、就寝前の歯磨き・うがい、喉の筋肉を醸成するためのタンパク質の適度な摂取、嚥下力を維持するため 喉をゴックンさせて唾を飲み込む 「空嚥下[からえんげ]」 を食事前に数回行なう、などが肝要だそうです。

あと、以外に大切なのが、テレビを見ながら等の 「ながら食事」 をしないこと、だそうです。

「ながら食事」 は、食事以外のことに気を取られ、ついうっかりの誤嚥の原因にもなるそうです。

読者?のみなさんにおかれても 「たかが食事、されど食事」 の意義で、ただ口に運ぶのではなく、しっかりと味わいながらヨク噛み、そして食べ物は確実に胃袋へと送り込むことを心がけるようにしましょうね、

 

 

 

 

通りがかりの公民館にカオをだしたら、地区の老人クラブの総会が行われており、懇親会で大盛り上がり中でした。

超高齢化にも関わらず、各地で老人クラブが消滅の危機に陥る中、こちらの会は、何と50名を超える会員をもって組織が維持され、今年も7名の 「若手」 が新規加入されたとのことです。

 

 

みなさん元気に健康長寿、「誤嚥性肺炎」 などには無縁のご様子でした。

どうぞこのまま、明るく楽しく健康寿命を延ばしてくださいね。

 

 

 

 


まちづくりの原点

2019-04-17 | 日記

4/16 Tue.

 

この日、公私共にお世話になっている地区の 「愛好会」のメンバーのみなさんと親しく時間を共有させていただきました。

 

 

 

こちらの会のメンバーは、同じムラに暮らす住民相互が 実に良好な横の関係を構築しておられます。

その良関係のうえに立って、会の活動は多岐に亘っています。

 

 

年末年始には、JR川中島駅の夜を彩るイルミネーションを設置し、

 

 

お盆の時季には、やはり駅前広場を活用した 「盆踊り」 を開催、今や地区の夏の風物詩にもなっています。

 

 

また、会のメンバーを中心に、遊休農地を活用して米や野菜などを育て、農作業を通じたコミュニケーションの醸成に努める外[ほか]、昨年は 「婚活パーティー」 を開催したり、さらには高齢者向けの 「ゴミ出し支援」 に乗り出すなど、その活動の幅は限りなく広く、ただただ敬服するばかりです。

 

 

 

そんな会のみなさんは、私に対しても心を砕いてくださっています。先日のブログ記事ではありませんが、まさに 「親身」 になってご心配いただいており 感謝の念に堪えません。

 

この度の 私の一連の顛末の中でも、非常に厳しくご叱責いただくと同時に、再起にむけいち早く声を挙げてくださり、この日も みなさんから一様に叱咤激励をいただきました。

 

 

 

「自分たちの地区の活性化は自分たちの手で」 まちづくりの何たるかを まさに実践している会の活動は、私自身 大いに参考になるところであり、今後もみなさんと親しく交流させていただきながら、さまざま学ばせていただきたいと改めて思うところです。

 

 

この会の活動に触れるとき、いつも私は 「まちづくりの原点」 を見る思いがするのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 よろしくお願い申し上げます。