倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

意識 ・ 価値観の問題

2020-06-30 | 日記

社会が、僅かずつではありますが 新たな動きを見せてきているように感じられてなりません。

そして その通底には「人々の意識」が欠かせない要件になってきていることも、併せて実感するところです。

 

◇レジ袋有料化スタート

レジ袋などの容器包装ごみの減量を目指し制定された「改正容器包装リサイクル法」に基づく、レジ袋有料化事業が 7/1から施行されりることになり、規模を問わず全ての店舗でのレジ袋が有料化となり 消費者はレジ袋への余分な支払いを避けるためにも「マイバッグ」などの利用が推奨され、もって 環境保全の一助を為すことに期待が寄せられることになります。

 

 

 

報道などを見ると、この事業に対しては 硬軟さまざまな評価が寄せられており、一概に好評価だけでは無いことに気づかされます。

レジ袋削減を 化石燃料の削減に置き換えると、さほどの効果が無い という見方があります。

わが国におけるレジ袋は 年間約300億枚が使用されているとのことですが、これを原料の石油に換算すると 年間約50万キロリットルで、これは 国民一人あたり3リットルに過ぎないとのこと。

日本の石油消費量は年間約2,4億キロリットルであることから、たとえレジ袋を削減しても約50万キロリットル、それは日本の石油消費量のわずか0,2%に過ぎない。したがって レジ袋を削減しても、さほどの化石燃料の削減にはつながらない、という意見です。

また、レジ袋は 燃焼の際に有害なダイオキシンを発生させるとの懸念に対しては、最近のゴミ焼却施設は 非常に高温で(ゴミを)焼却することから、レジ袋についても 今やほとんどダイオキシンは生じない。だからレジ袋を削減する必要は無い、という意見も。

 

 

確かに、化石エネルギー消費等の視点から言えば、レジ袋削減は「焼け石に水」なのかもしれません。

しかし 私たち〝地球人〟は、昨今のゴミ問題…とりわけ海洋ゴミの増加などを踏まえ、ここらで どうしも意識を変えるべきときを迎えていると、強く自覚するところです。

海からは遠く、いわば〝上流域〟に暮らす われわれ信州人は、間近に海洋ゴミに接する機会は少なく ややもすると(海洋ゴミ問題は)他人事に思えてしまうところではありますが、で あるからこそ、水の源(みなもと)である源流から その清らかさを維持し、それ(清らかさ)が遠く大海にまでつながることを期して地道な活動を緒に就けることこそが、ひいては地球全体の環境を守ることになる。

 

 

 

やや大げさではありますが、私たちは そんな崇高な価値観を心に抱きながら、明日からのレジ袋有料化を迎えるべきでは、と思うところです。

 

 

 

 

そして…これが肝心なところと思うところですが、レジ袋有料化は それ自体は目的では決して無い、というところでしょう。

前述のとおり レジ袋有料化は〝焼け石に水〟これをもって地球環境全体が劇的に改善するハズも無いのです。

大切なのは、レジ袋の有料化を契機に 皆がマイバッグなどを携行することに努め、その取組みによって レジ袋のみならず「モノ」を簡単に使い捨て意識そのものを改め、そのうえで リデュース(減量)・リユース(再使用)・リサイクル(再利用)の〝3R〟の意識を常識化する。そのことこそが、人のさまざまな社会行動の中に「環境保全」が念頭に置かれるようになることではないでしょうか。

 

「レジ袋有料化制度」は、そんな 人々の価値観や意識を変える〝きっかけ〟になることが真の目的であると思うところです。

 

 

 

 

 

 

◇「煽(あお)り運転」の厳罰化 =改正道路交通法(妨害運転罪) 適用=

今や 自動車社会の重大な問題になっている「煽(あお)り運転」この行為の危険性に鑑み、今般 道路交通法が改正され、他の車両の通行を妨害し 重大な交通事故にもつながる極めて悪質で危険な行為を取り締まるための「妨害運転罪」が創設され、煽り運転そのものを道交法違反に問えることとなりました。

 

 

 

今後は、違反1回で免許取消処分となり、最長5年の懲役刑や 多額の罰金などの厳しい罰則が科されることとなりました。

 

自動車による快適・便利な移動手段は、私たちの社会生活に大きな利便を供してくれています。

これは 他でも無い、過去に重大な交通違反により運転免許を失効した私自身が まさに実感したところです。

クルマの運転ができない間は 徒歩または自転車や電車・バスなどに頼る他なく、それは不便を感じたものでした。クルマなら数分で行ける場所にも相当な時間を要し 季節によっては雨も降れば風も吹く。

そんな間(かん)に、身をもって クルマの「ありがたみ」を実感したものでした。

今は 改めてクルマの利便性を享受する中にあっては、交通ルールを遵守し このクルマの優位性を二度と手放すことの無いようにしてゆかなければ、と自覚を新たにしているところです。

 

しかし運転者の中には クルマを運転することが当たり前になってきていることにより、ハンドルを握った途端に極度の利己主義になる人や 自分が最優先であると思い込む人が居る…ハンドルを握るうち、少しでも自分の意に沿わない他者(他車)に遭遇したときに 一気に牙を剥(む)くような異常行動をする事実を見聞するにつけ、クルマの持つ利便性と裏腹の クルマ(の運転)に潜む〝悪魔の一面〟を感じ取らざるを得ないところです。

 

 

 

今回の厳罰化は、煽(あお)り運転が重大な人身事故の要因になったことが そのきっかけになったことが伝えられていますが、免許さえあれば 誰でも気軽に乗れるクルマの運転が、本来の移動手段としての役割から乖離し 何というか、謙虚さを置き去りにした〝自分至上主義〟に変えてしまうことからくる ある種の〝勘違い〟による愚行に天誅を下すことになりました。

 

 

そして この愚行を無くすためにはどうしたらイイか?それは 他でも無い「思いやり運転」に他ならないでしょう。

道路を走るのは自分だけでは無い、さまざまな目的で さまざまな手段で通行する人が居る。そんな 他者の存在を十分認識したうえで〝~かもしれない運転〟に努めること、そんな意識ひとつで「煽(あお)り」などの暴力的運転は起こらないと思うところです。

 

往々にして利己主義が進み 世知辛くなってきたと言われる昨今、今般の「妨害運転罪」の適用を契機に、逆に(クルマの)アクセルペダルを緩めてみる、そんな〝クルマの価値観の見直し〟をしてみるべきではないかと思いをいたすところです。

 

 

 

昨今、社会では いろんなことが起こり過ぎています。

そんな中、もしかしたら人の心に余裕が無くなってしまっているのかもしれない。

で、そんな中だからこそ 価値観の見直し・意識改革が必要なのではないか。そんなことを強く思うところです。


第三者的視点の必要性 ~新型コロナウィルス「専門家会議」廃止に思う~

2020-06-28 | 日記

新型コロナウィルス禍は未だ止まず「新たな日常」の中で 引き続き状況分析と今後の対策を練り続けなければならないとされている最中(さなか)、先週(26日) まさに唐突の形で、その新型コロナウイルス対策の方向性を主導してきた政府の「専門家会議」が廃止されることとが発表され、それを耳にした私は 何ともいえないキナ臭さ=政治家の思惑 を感じ取ったものでした。

 

 

 

 

この「専門家会議」は、これまで経験の無い新型の感染症が社会に大きな悪影響を与える中で、不安に苛まれる国民に(政治として)適切な説明責任を果たすために、専門的な知見を有した方々にご参集いただき、適切な状況分析を将来予測 そのうえで今(そして今後)為すべきことを判断するための〝シンクタンク〟として設置されたものと理解しております。

当初は、方向の定まらないWHO(世界保健機構)の方針や 一方で世界的に感染が拡大する中、日本国として感染を抑止するための いわゆる「日本モデル」の構築に向け、まさにイニシアチブ(主導)を執る形でさまざまな提言を行ない、政府としても (政治家)自らが十分な説明ができない中、それに代わる形で〝説明責任〟を果たしてもらっていました。

 

会議のメンバーは 必然的に感染症の専門家で構成され「3密回避」「人と人との接触を8割減らす」「ソーシャルディスタンスを2m確保」「オーバーシュート」さらに 最近では「新たな日常」などを提言、政府自身も それらの提言を「錦の御旗」として掲げ、国民に自粛と自制を求め、一定の成果を挙げてきたものです。

 

 

 

 

 

しかし、新型コロナウィルス禍が長引くにつれ 社会経済への影響が大きくなる中、政治家諸氏は 感染抑止にだけ目を向けていられなくなってきました。

その後『緊急事態宣言』が解除され、社会経済の再興をも検討の俎上に上げるようになってくると、専門家会議の知見だけに頼った政府方針では、経済再生を求める声との折り合いがつかなくなり、政府は専門家会議の知見を丸呑みできないようになってきました。

それまで 専門家会議の提言(の原稿を)棒読みしてきた政府は、その(経済分野との)混乱を避けるために 専門家会議の提言を発表する前に「事前に擦り合わせ」を行なう機会が拡大し、例えば5/1の提言では 「緊急事態宣言の長期化も念頭に、今後1年以上 何らかの持続的対策が必要」とした原案の文言が削られるなど、いわば「わが損害 軽微なり」との〝大本営発表〟のような「政治的説明」に軌道修正を行なうようになってしまったのです。

その「認識のズレ」は さまざまな場面で遍在化することとなり、いつしか政府(政治家)は「専門家会議が前に出過ぎている。」などと批判めいた評価をすることとなり、そんな中での担当大臣による 突然の廃止宣言。

チームをつくり、サポーターのために懸命に汗を流していた選手たちが臨む試合中に、そのチームのオーナーが突然「ゲームセット。チームは解散。」を言い放ったような荒っぽい所作には、ファンならずとも「え?何で?」と思わずにおれないところです。

 

 

 

 

・・・・・・。

私は やや荒っぽい言い方をすれば、この「専門家会議」は、最終的には〝政治利用〟されてしまとたのではないかと思います。

かつて経験の無い新型ウィルス禍に見舞われ、不安に陥る国民を納得させるために専門家を招聘、とりあえずは その知見に頼り切って、その提言を即(すなわ)ち政府見解としてリーダーシップを誇示する。

で あったのに、その後「今度は経済だ」となったときには それまで頼り切りであった専門家の知見が邪魔になり、それまで金言と崇(あが)めていた提言を 自分の都合に塗り替えたあげく、会議自体を廃止。

ある意味、非常に分かりやすい〝政治家の考えること〟でなはいでしょうか。

 

 

そんな 政府と専門家会議との軋轢(あつれき)については、政治家よりも専門家会議メンバーの方が敏感に捉え、そのうえで 第二波・第三波に備えて専門家会議も見直すべきとして「次なる波に備えた専門家助言組織のあり方について」という問題提起を行なおうとする矢先に、その動きを封じ込めるように(担当相は)廃止を表明、そのあざとい手法に 疑問を抱いたのは私だけでは無かったでしょう。

 

 

 

 

その後 担当相は会見で「私が『廃止』と強く言い過ぎ、専門家会議の皆さんを排除するように取られてしまった。反省している」と述べ、これまでの専門家会議は 厚生労働省内のアドバイス組織と新たに設置する新型コロナ対策分科会へ「発展的に移行する」と強調し、分科会は都道府県知事や経済界・労働界・マスコミ関係者の参加を想定しており、専門家会議メンバーも「当然何人かには入ってもらう」と説明したと伝えられています。

 

 

 

 

今回の一連の経過に触れ、私は 政治的課題が生じたときには、第三者的視点で客観的に課題を分析する「第三者機関」の必要性を強く認識し、そのうえで、客観的分析は あくまで客観的なものとすべきであり、それを政治家が自分の都合のイイように取り込んだり 解釈を(自分都合で)変えたりすることは許されるべきではないと実感いたしました。

今回の 専門家会議に対する扱いは、まさに現政権の体質を反映しているものと思えてなりません。

客観性を担保しているように見えて、最終的には 自分たちにとって都合のイイ結論に落としこむ。

 

今回、専門家会議のメンバーが いわゆる〝大人の対応〟に終始したことから あらぬ覇権争いにはならずに、それよりも「これからどうすべきか」との前向きな 新たな議論が始まることに期待するばかりでありますが、いずれにしても 政(まつりごと)を進めるうえでは、どちらか一方の価値観・一部の者に都合のイイことが正しい方向であるというような間違った判断が下されぬよう ときに厳しい視点で臨まなければならないと、私の立場でも自覚を新たにしたところでありました。

 

 

 


【報告】 特別定額給付金/長野市の支給状況報告

2020-06-28 | 日記

新型コロナウィルス禍の悪影響により 落ち込んだ社会生活を支援するべく施行された「特別定額給付金事業」の進捗状況について、(長野市における)所管の 市総務部庶務課から、現時点での状況報告が伝えられてきました。

 

 

 

 

長野市における受給対象者(総人口)は 約37万4千人/世帯数は 約16万2千世帯となっています。

事業開始後 先ずは5/1(金)から「マイナンバーカード」を活用した「オンライン申請」の受付けが始まり、その後 5/19(火)から申請書の郵送が始まりました。

「オンライン申請」については、いわば 国の〝肝(きも)いり〟で緒に就けられましたが、手続きに意外と手間取ることとなり、全国的にも 多くの受給者(世帯)が郵送による申請を選択するようになっています。

長野市においても例外ではなく、ほとんどの世帯が郵送による申請を行なっておられるようです。

そのうえで、6/25時点での申請状況は下記の通りになっています。

・オンライン申請 →    4,601件

・郵送申請    → 14万8,235件

っっっっっっっっっっっっっっっっっっm

  合計        → 15万2,836件 

 

非常に慌ただしい中での申請(オンライン受付・申請書郵送)でありましたが、市民の方々の対応は早く、上記の申請数により算出された「申請率」は、全体(約16万2千世帯)の 約94%に上(のぼ)っているそうです。10人に9人は確実に申請を出されていることになります。

 

それに対する給付は 5/26から開始、これまでに11回の振込み作業(毎週火曜日・金曜日)が行なわれ、その実績は 14万6,156件/支給総額346億2,780万円となっているとのこと。給付率は 約90,1%(世帯比)とのことです。

そのために 長野市においては、支援職員を増員し急ピッチで給付事務に臨み、週に3万5,000件から4万8,000件程度の給付を行なってきたとのことで、6月末には 申請された分については支給を終えることとなっているそうです。

 

 

そのうえで、一番の課題となっており、私も機会あるごとに 然るべき対応を促した〝社会的弱者〟の方々への対応ですが・・・。

身分証や通帳のコピーなど、一見 何の造作(ぞうさ)も無い作業すらも憚(はばか)られるような独居老人などについては、民生児童委員さんに申請支援を文書でお願いし、在宅介護などの福祉サービス利用者さんや 施設入所者さんについては、福祉サービス事業者や施設管理者の方々に やはり文書で申請支援をお願いしているとのこと。

また 視覚障がい者の世帯については、申請書に点字シールを貼付し 解読していただくようにしているそうです。

これら〝社会的弱者〟の方々への対応については、私の立場でも 今後も注視してまいります。

 

なお 懸案となっていた「DV被害者」への対応については、長野市においては 庁内連携により、(被害者家族の)申請に基づき 暴力亭主から分離したうえで個別支給を行なっており、これについては私の下(もと)へも感謝の声が寄せられているところです。

 

 

さらに言えば、申請者に記載されていた〝余計な項目〟の「不要な人はチェック□」については・・・。

 

 

 

庶務課によると、ごく僅かではありますが「不要 []」と記入してくる方が居られるとのこと。

これについては、その真意を確かめるべく、職員が「ホントに辞退ですか?」と 一軒 ゞ 電話で確認しているとのことです。

 

 

 

霞ヶ関のアタマのイイ官僚は、実に紛らわしい項目を設けたものです。そんな浅知恵のおかげで、国民(市民)には無用な混乱・困惑を来(きた)すと同時に、最前線に立つ自治体職員には (確認作業という)更に余計な仕事を押しつけることとなっています。

 

 

 

かかる経過を経て、ほとんどの市民の下(もと)に「国民一人あたり10万円」の浄財が届くことになっています。

今後は いわゆる〝申請漏れ〟の無いように、

・未申請者に対する「勧奨通知」の発送(7月上旬)

・民放ラジオの「スポット放送」による告知

・広報ながの(8月号/くらしのチャンネル)での申請促進

・市ホームページで申請促進のPR

・トイーゴビジョン(電光掲示板)での申請促進のPR        

などの 啓発活動を行なうこととしております。

 

 

さて 読者のみなさんにおかれても、ご自身はもとより 周囲の人に「未申請者」が居らっしゃるようでしたら、申請期限/8月18日(火) までに申請するよう促してくださることをお願い申し上げます。

 

 

そのうえで 肝心なのは、この特別定額給付金を、何らかの形で「消費」していただきたいということであります。

単純計算で、人口 約37万4千人 × 10万円 = 約370億円超えの原資が市中に出回ったことになりますので、これが全て消費に回れば 相当の地域経済活性化が期待されます。

生活費・家賃・物品購入・レジャー・観光など、さまざまな使途があろうと存じます。

いずれにしても どうか貯金などに回さずに、何らかの形で消費していだだければ幸いです。

 

 

新型コロナウィルス禍によって 冷え込んだ地域社会を再び温めてくれるのは、他でもない みなさんお一人おひとりの意識に懸かっているのです。

 

 

 


他者を思う心と 勇気ある行動に賛辞

2020-06-27 | 日記

ネットのニュースで、名古屋市昭和区で6/1に発生した住宅火災で 住民の高齢女性を連携して救出したとして、名古屋市在住の自営業Aさん(52才)・名古屋市職員Bさん(26才)・会社員Cさん(36才)の3名に昭和消防署から感謝状が贈られたことが報じられたのですが、そのうちの 名古屋市職員Bさんに〝長野市由来〟の職歴があることを聞き、長野市民の一員として また公僕の一翼を担う者として、同慶に堪えないところでありました。

 

 

 

 

昭和消防署によると、6/1の午前9時20分頃 昭和区内にある鉄骨3階建ての住宅(玄関/2F)から黒煙が上がっているのを、仕事で近くに立ち寄ったAさんが気づきました。近づくと 喚気扇から赤い火が見えたため、Aさんは慌てて119番したそうです。そこに通りかかったのが、新型コロナウィルスの影響での時差出勤のため たまたま通りかかった 名古屋市職員のBさんでした。

消防車を待つ間にも煙が上がり続けていたことから、誰か居てはいけないと 2人は外階段を駆け上がり、2Fの玄関をのぞくと 室内で座り込む高齢女性(88才)を見つけました。

「そこにいたら危ない!」と声をかけても、女性は気が動転している様子で座り込んでいるまま。そこで見かねたBさんが 煙が立ちこめ始めた中、腰をかがめながら室内に入り 家人女性を無事救出し、さらに駆けつけたCさんと共に救急車へと誘導し、結果 人命に大過なく事(こと)を収めたとのことでした。

 

 

話がここまでであれば 自治体職員の善行で済むところですが、後談として注目させられたのは、実は くだんのBさん、さきの「令和元年東日本台風」の際に、名古屋市から被災地となった長野市に災害派遣され、被災地対応に当たられていたとのことなのです。

Bさんは 後のインタビューで「有事の際には 率先して動かないといけない、という思いがありました。」と述べ、その責任感と それを実際に行動に移す実行力に対し、大きな賛辞が贈られていたとのことでした。

 

 

今回の勇気ある行動は、Bさんご自身が持つ素晴らしい人間性と、被災地で活動された際に培われた 他者のために働く経験がみごとにマッチし、地元に戻って日常の社会生活を送る中で遭遇した火災のときの とっさの行動として機転されたことと拝察いたすところであります。

おそらくはBさん、大きな被災地となった長野市でも 八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をしてくださったことでしょう。

 

 

顧(かえり)みても、さきの令和元年東日本台風においては 他の自治体から多くの職員が災害派遣で来長してくださり、さまざまな場面で多大なご尽力をいただきました。

 

(画像は箕輪町職員)

 

 

私自身も被災地に足を運ぶ中、彼らの姿をさまざまな場面で目にいたし、その都度に感謝の意を深くいたしたものでありました。

 

(画像は富山県職員)

 

 

そのうえで 派遣された職員諸氏におかれても、そもそもが 崇高な使命感をもって来長され、被災地(長野市)で活躍されるだけでなく、その経験を活かして地元(自治体)で大きな社会貢献をされていることには、何ともいえない栄誉感と誇り・喜びを禁じ得ないところであります。

 

 

・・・・・・。

さきの令和元年東日本台風 然(しか)り、今般の新型コロナウィルス禍 然り、災害は さまざまなマイナス効果を社会に与え、失うものが多いところでありますが、一方で「こんなときだからこそ」得られるもの・・・他者を思い、助け合う心の醸成 などの〝無形のレガシー〟があることを実感できた、遠い土地での心温まる美談だったのでした。

 

 

ところで さきの名古屋市の火災の際、煙の上がる室内に進入せんとするBさんに対し、思わずAさんが「大丈夫ですか?」と声をかけたところ、名古屋市職員のBさんは「大丈夫です。公務員ですから。」と応じたとのこと。

この通底には「市民の公僕たる者、有事の際には率先垂範して行動を!」とのBさんのモットーのようなものがあったと感じ、思わず「あっぱれ!」と声に出した私でありました。

 


長野市商業復興施策 「推(お)し店プラチナチケット」

2020-06-26 | 日記

今般の「新型コロナウィルス禍」によって落ち込んだ長野市経済の復興を支援するべく、市内で営業する個店の売り上げに「プレミア」を付与したチケットを販売するための事業「推(お)し店プラチナチケット」が始まっています。

 

 

 

 

6月25日からチケットの取り扱いを希望する店舗の受付けが始まり、約13万冊を目処に 希望する店舗に頒布されることになっています。

この事業の目的は「新型コロナウィルスなどの影響で落ち込んだ市内経済の活性化を図るため、消費の喚起を促すとともに、売上げが減少した事業者のみなさまへの新たな支援として、感染防止の対策を実施している市内飲食店・小売店等が販売するプレミアム付き「推し店プラチナチケット」の発行に対して支援する。」というものであります。

 

 

事業の概要は下記のとおりです。

1,チケットの販売を希望する事業者(店舗)は、長野市にチケットの販売希望冊数を申請します。

2,長野市は申請期間内に申請のあった事業者(店舗)について審査を行い、配分冊数を決定します。

   ・チケットを持参した方に直接、物品の販売や貸し付け、サービスが提供できる店舗・事業所であるかどうか。

   ・感染防止の対策を実施しており、市が作成したポスターを掲示している店舗・事業所であるかどうか。

   ・フランチャイズチェーン店舗等 定義に該当する店舗/事業所でないかどうか。

   ・風営法などの法規に準ずる店舗/事業所かどうか。

   ・申請の日時点で長野市税の滞納がないかどうか。

   ・暴力団員または暴力団関係者でないかどうか。

3,市は店舗に 1冊5,000円(プレミアム 2,000円分込み)のチケットを 配分冊数分送付します。

4,冊で5,000円分消費できるチケットを、店舗は消費者に3,000円で販売します。

5,消費者は 使用期限内(12/31迄)に、購入した店舗でチケットを使用していただきます。

6,店舗は 月末(つきずえ)に、チケットの利用実績 および利用された商品等を長野市に提出します。

7,提出を受け 長野市は店舗に対し、利用実績に応じたプレミアム分を補助金として交付します。

 

 

 

 

今回の「推し店プラチナチケット」の特徴は、タイトル(=推(お)し店)にあるとおり、チケットは 購入した店だけで通用できるものです。

その陰(かげ)には「地元で頑張る〝馴染(なじ)みの店〟を応援してほしい!」との 市からの〝願い〟があります。

プレミアさえ付けば どの店でもイイや、ではなく「自分が常連となっている〝あの店〟を応援したい!」というような〝温かな消費者心理〟を発揚していただき、消費者は「お買い得感」を得る、個店は「顧客の呼び起こし」を図る との相乗効果のうえで、長野市全体の消費喚起と経済復興を図る。

そして何より 実際に消費することで、実質的な支援=思いやりの心 を掘り起こすことで、みんなの力で長野市の復興を図ろう!という〝心意気〟のようなものが込められていると感じるところです。

 

 

 

 

ただ この事業に対しては、硬軟さまざまなご意見が寄せられ それぞれが当を得ているものでありました。

この手の施策においては、以前も似たような〝金券配布〟のような事業が行なわれるも 中途半端な結果に終わった旨の指摘がありましたが、今回は 特に「推し店」ということで、いわば特定の店を支援する形になっていること、さらに フランチャイズなどでは無く、地元に根ざした個店を支援することを主目的としていることから、確実な消費が期待できるとされています。

さらに このチケットは、消費された分だけが支給対象となっており、個店には金銭的負担は生じないことになっています。

 

また、チケットは 個店の申告に基づき頒布し、結果についての申告制であることから「売ったことにして受給だけもらおう」などの いわゆる不正受給が懸念されるところですが、これについては 申し込みの際に「誓約書」を添えていただき、万一不正があった場合には プレミア支給しないことになっています。

 

 

 

マ、このことについては ある意味、市と事業者との〝信頼関係〟に依(よ)るところが大きく…市とすれば 個店の復興を願っての「性善説」に基づき行なう事業であることから、各個店におかれても 何というか素直にこの事業を活用していただきたいと願うところでありましょう。

 

 

 

 

いずれにしても、さきの「特別定額給付金」然(しか)り、今回の「推し店プラチナチケット」然(しか)り、不測の災害などによって冷え込んでしまった地域経済を再興するには「まずは消費していただくこと」を第一義に据え、それぞれに施策展開されているところです。

 

消費者(市民)の方々におかれては、そんな政策意図をお含み置きいただいたうえで 飲食をはじめ必要なモノの購入を進めていただき、それぞれの地元の経済が活性化するようご協力いただきたいと、私の立場からもお願いいたすところであります。

 

 

なお 第一段階である、取り扱いを希望する店の申し込みは 7月17日(金)を期限とされています。

読者の方々におかれても、もし 応援したい店があれば「こんな事業が始まったみたいだゾ。」と教えてあげていただき、そのうえでプレミアチケットの恩恵を活かし 大いに消費活動につなげていただきたいと存ずる次第であります。

 

 

【参考】「推(お)し店プラチナチケット」長野市HP

       ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/site/covid19-joho/454590.html

 

 

 


災害公営住宅

2020-06-25 | 日記

6月23日、市内を移動中 お昼のカーラジオから流れた「おととしの西日本豪雨で甚大な被害を受けた倉敷市真備町に整備される、災害公営住宅の入居者を決める抽せん会が行われました。」とのニュースを耳にし、思わず「え?」と口に出してしまいました。

と いうのも「西日本豪雨」は、遡(さかのぼ)ること2年前の2018年7月に発生した自然災害で、その災害に対応した「災害公営住宅」が「抽選」によって行なわれたのか…と、同じ地方自治に関わり、やはり同じような〝水による災害〟を被った市域に暮らす者としては、やや驚きをもって受け止めざるを得なかったところです。

 

 

 

倉敷市真備町においては、2018年の6月~7月に西日本エリアを襲った「西日本豪雨」により、域内を流れる高梁川の支流の小田川が決壊、町の1/4の面積が水に浸かる被害を受けました。

 

 

 

 

こちらの被災絵図を目にしたとき、私たち長野市民とすれば、さきの東日本台風における千曲川堤防の決壊被害の場面を重ね合わさざるを得ません。

 

 

 

また 真備町の災害においては、46名もの人的被害が発生。当時の真備町行政の置かれた多難な状況を類推するに、同じ被災自治体の者とすれば いかばかりであったかと拝察するばかりであります。

 

 

 

 

そんな経過を経て (報道によると)真備町が属する倉敷市においては、自力で住まいを確保するのが難しい人のために 91戸の「災害公営住宅」を真備町に整備することになりましたが、その入居申し込みにおいて 定員(91戸)を大きく上回る160戸分の入居申し込みがあったことから、23日に「抽選会」を行なったとのことでありました。

私は この報に触れた瞬間に「〝外れ〟が約70戸も?」と思ったところでしたが、その後 アナウンサーが「倉敷市は 抽選に外れた人についても、災害公営住宅に入居する人と同じ程度の経済的負担で 真備町内に民間の賃貸住宅を借りられるよう家賃補助を行なうことにしています。」の声を聞き、やや安堵したものでした。

 

 

 

 

一方 長野市においては、昨年10月13日に発生した「令和元年東日本台風」の被害を受け、直ちに災害対策本部を立ち上げると同時に、現在は「長野市復興計画」に基づき 被災地の復旧・復興に鋭意取組んでいます。

 

 

 

 

今回のニュースで報じられた「災害公営住宅」についても、さきの令和2年6月定例市議会を前に 所管の住宅課から「災害公営住宅美濃和田団地整備事業」として 災害公営住宅を事業着手する旨の報告が行なわれています。

 

 

 

 

東日本台風により住居を滅失(めっしつ)した方々の中で、自力で住まいの再建が困難な世帯を対象に整備するもので、台風で被災し かねてより老朽化が指摘されていた、豊野町にある「市営美濃和田団地」の敷地内に「公募型プロポーザル方式(買取り型)」として整備することとなっています。

 

(被災し老朽化の 市営美濃和田団地)

 

 

事業計画についても、一日も早く被災者の方々に〝わが家〟として落ち着いて暮らしていただけるよう 急ぎ整備を旨としており、令和3年中には入居してもらえるよう 鋭意進めることになっております。

 

 

 

 

この事業における 長野市の〝特徴〟は、被災者の意向をキメ細かく聞き取っていることころにあります。

いつもと変わらぬ日常生活を送る中、突然の形で住まいを失うことになった被災者の心情を慮(おもんば)かり、本来であれば自宅として再建したいものの、さまざまな事情で それが叶わないかもしれない場合がある。

そのうえで 長野市が配慮するのが、災害を経ても なお「もう一度 住み慣れた場所で暮らしたい。」との 切なる住民感情でありましょう。

で あるとするならば、行政としては 今後の社会生活に著しい負担をかけない中での「終の棲家」の提供に尽力をするのが勤(務)めと申せます。

 

 

 

 

それらを踏まえ、長野市は 被災者の意向調査を重ね、その(入居希望の)数を把握したうえで 希望者全員が入居できるよう、その数(63戸)を基本として団地を整備することになっております。

なお この63戸は固定的数字では無く、今後も さらなる意向調査を重ね、(被災者世帯の)要望によって変更もあり得ることが注釈として添えられています。

 

 

 

倉敷市における「災害公営住宅」が「抽選」により行なわれなければならなかったこと、それによって (同じ被災者なのに)入居できる世帯とそうでない世帯が生じることになったしまった、その経緯については知るところではありませんが、定員(91戸)に対し160世帯もの申し込みがあった、この〝大きな差〟については 他の自治体ながら、その〝背景〟について 一抹の疑問を抱かざるを得ません。

 

幸い (前述のとおり)長野市においては、キメ細かい意向調査のうえで事業を進めていることから、倉敷市のような〝大きなギャップ〟が生じることは考えにくいところではありますが、いずれにしても 他自治体の経緯を「他山の石」と捉え、市民、とりわけ不測の被害に遭われた被災者の方々の心情に寄り添った施策を展開するよう、私の立場でも 今後の(長野市の)取組みに心をいたすところです。

 

 


2020年 沖縄全戦没者追悼式 ~あなたが居てくれたから~

2020-06-24 | 日記

6/23 Tue.

 

今年も この日が巡ってきました。さきの大戦で 約20万人もの人が亡くなることとなった「沖縄戦」から75年の歳月が流れ、この日 6月23日は「旧日本軍による組織的な戦闘が終わった日」として「慰霊の日」とされているものです。

沖縄戦で 最後の激戦が繰り広げられた糸満市摩文仁の平和祈念公園では、県主催の「沖縄全戦没者追悼式」が開かれ、戦没者を悼(いた)み、平和への誓いを新たにしたことが報じられていました

 


 

  
苛烈を極めた「沖縄戦」については、私たちは戦後の資料映像や 当時を生き延びた方の体験談などを見聞するしか その様子を知る術(すべ)はありませんが、それ(映像や体験談)だけでも その言語に尽くせぬ現地の非情な有様(ありさま)を知らされるところです。

ましてや、あの日 あのとき、現地に居られた方々の恐怖・痛み・悲しみ・苦しみは いかばかりのものだったでしょうか。筆舌(ひつぜつ)に耐えないところであります。

 

 

 

 

今年の追悼式は 戦後75年という大きな節目となりましたが、当地も 新型コロナウイルスの影響は避けられず、式典の規模を例年の5000人から大幅に縮小し 代表者(161人)による式典を余儀なくされました。

 

 

 

参列者は座席の間隔を空けるなどの感染対策を取り、正午には犠牲者の冥福を祈り、1分間の黙とうを捧げている様子が伝えられていました。
 

 

追悼式では 玉城沖縄県知事が「平和宣言」として、戦争の記憶を風化させないため 沖縄戦で得た教訓を正しく次世代に伝え、平和を希求する「沖縄のこころ」を世界で共有し、さらに、人類の英知を結集し 核兵器の廃絶・戦争の放棄・恒久平和の確立にまい進しなければならないことを訴えていました。

 

 

そんな中、式典の中で 私(だけではないでしょう)が、ことさら胸を打たれたのが 地元の高校生による「平和の詩」の朗読でした。

彼女は 亡くなった戦没者を悼むと同時に、あの戦いによって亡くなった方々の薫陶(くんとう)に感謝し、そのうえで 苛烈な戦禍を耐えしのぎ 生き延びた方々への感謝の意を表していたのでした。

 

 

 

 

平和の詩「あのとき あなたが」全文

     ↓

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1142085.html

 

 

 

日米で 20万人にもなんなんとする戦没者は、その生命(いのち)に代えて 他者を守ってくれた。

生き延びた方々も、死が最善の美徳と洗脳された中で生命をつないでくれ、その〝勇気〟のうえに、今を生きる私たちが居る。

 

 

 

 

「居てくれること(居てくれたこと)への感謝」この言葉は、戦禍に置かれた方々への感謝であると同時に、それは 現代社会にも通じる、すべての同胞(はらから)に対する、その「存在そのものへの感謝の言葉」とも理解できる 心が込められた詩でもあったのでした。

 

 

 

痛み。

それは 戦争を頂点とする、人と人との争いの中で生じる〝負の感覚の象徴〟ではないか と。

それは 身体の痛み・心の痛みなど、さまざまな類(たぐい)があれど、いずれにしても 他者に痛みを生じさせるような言動は、失うことさえあれど 得るものは何も無いと言えるでしょう(武器商人などの価値観は別(論外)ですが)

 

 

沖縄戦を経て 多くの人々が味わうこととなってしまった「痛み」こんなことは 次代の者には体験(体感)して欲しくない。

そのうえで 私たち今を生きる者は、その「痛み」を伝え聞くことで 平和の大切さの意識を共有し、戦争体験者と共々に「恒久平和」を願って歩んでゆくべきと 改めて思う機会となったのでした。

 

 

 

 

あれから長い年月が流れましたが、史実は厳然としてあり 私たちは決して忘れることなく、次代に継ぐ責務を有しているのであります。

 

 


【報告】 長野市内で直近の新型コロナウィルス濃厚接触者 =全員が陰性=

2020-06-24 | 日記

6月19日に、長野市で19例目となる 新型コロナウィルスの陽性感染者(S子さん)が確認され、その濃厚接触者について 同居する人が1名・それ以外の人が10名と報告されていました。

 

そして その後、それら延べ11名の濃厚接触者についてPCR検査にかけたところ、全員が「陰性」であることが判ったことが報じられました。

 

 

 

後に聞けば、当該のS子さんは 症状が出て以降は外出を控えるなどし、適切な行動に徹したことで それ以上の拡大を防ぐことができたそうです。

一方、11名に亘る濃厚接触者についても、おそらく早めの内部の情報伝達により 感染のさらなる拡大阻止と速やかなPCR検査による早期の陽陰判定が為(な)されたところでしょう。

 

 

長野市における新型コロナウィルス対策は、引き続き適切に機能していると評されるところです。

但し 予断はなりません。

S子さんの感染経路は未だ不明なまま、さらには県外からの来訪者数も増えつつあります。

 

私たちは引き続き「正しく恐れ」そして「適切に守る」この基本行動に務めてゆきたいものです。

 

 


新型コロナウィルス禍 ~COCOA/情報共有の良ツールとなるか~

2020-06-23 | 日記

社会に遍在する「新型コロナウィルス」について、その発生状況について 国民相互で情報を共有していただくことを目的とし、政府は(コロナウイルスに)感染した人や、濃厚接触した可能性のある人に通知を送るスマホアプリ「COCOA」の運用を開始しました。

 

 

 

 

「COCOA」の正式名称は「COVID-19 Contact-Confirming Application(新型コロナウィルス接触確認アプリ)」です。

このアプリは、あくまで任意で個人情報には関与しない中で スマホなどの情報端末をお持ちの方に登録していただき、特にその中で陽性感染者となった方の申告(アプリ登録)などに基づき 域内の感染状況が把握され、その後の陽性感染者などの情報を総合してアプリに蓄積することで 他の登録者の方々に「コロナ情報」をお伝えするものです。

具体的にはスマホのブルートゥース(近接通信機能)を使い、陽性と診断された人と 約半径1m以内で15分以上接触した可能性のある人に通知されます。もし自分が濃厚接触した可能性があった場合 1日1回更新されるアプリの確認画面に表示され、さらに 息苦しさや倦怠感、それに高熱などの症状の有無や、身近に感染者や感染が疑われる人がいないかなどの検索に基づき、必要がある場合は 検査の受診などが案内されるとのことです。

このアプリの特徴は、あくまで任意・自己申告ということで、たとえ自分自身が陽性者となった場合でも、自動でさまざまな通知が届くのではなく、システムから送信される「処理番号」を自分で打ち込んで登録する必要があるのだそうです。(登録したとしても、感染者として特定されることはない とのこと)

 

厚労省の発表などによると、情報自体は全て暗号化されるとのこと。つまり 氏名や電話番号を入力するのではなく「陽性者となった人のスマホのそばにいたかどうか」だけの情報が提供される仕組みで、GPSなどの位置情報も収集されることはなく、さらに これらの情報も、14日間経つか 自身でアプリを削除した段階で自動的に消去されるそうです。

さらに厚労省は、普及の具体的な数値目標は示していないものの「広く利用されることで感染拡大の防止につながることが期待される」として 積極的な利用を呼びかけています。

 

COCOAサイト/厚生労働省HP

       ↓

新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA) COVID-19 Contact-Confirming Application

 

 

 

 

報道を受け、私も試験的?にアプリ登録してみました。

 

 

 

 

登録に先立ち、画面には「プライバシーには関与しません」旨の表示が強調されています。

 

 

また あくまでアプリ登録した人の中で感染確認が行なわれることが伝えられていました。

 

 

 

 

その後は、画面に表示された手順に従いインストール作業が行なわれます。私のスマホは「Playstore」を用いてのダウンロードでした。

 

ダウンロード後には 改めてアプリが起動し、さっそく 私の周辺での濃厚接触者の検索態勢がスタートしました。

 

 

 

 

使用を進めると、陽性感染者との接触を確認するボタンが現れます。

 

 

 

 

その結果は「過去14日間における陽性感染者との接触は確認されませんでした」との表示でありました。

 

 

 

 

〝見えざる敵〟である新型コロナウィルスは、どこで誰が感染しているかが分かりにくいことで、市民の間に不安や不信が高まり、それは今や 悪しき社会現象ともなっています。

そんな中、個人を特定しないことを前提に〝感染状況〟が把握できることは、そういう面での安心材料にもなってくれることでしょう。

 

また 海外においては、中国・韓国・台湾やインド・シンガポールなどで普及しており、特に中・韓・台においては、このようなシステムを駆使して徹底的な感染者等の管理を行ない〝封じ込め〟に成功した事例も伝えられてきているところです。

 

 

 

しかし、であります。

行き過ぎた感染者(個人)の管理は、コロナ禍を超えた弊害を招く恐れも往々にしてあり アプリ利用には最善の注意が求められるところでしょう。

今でさえ 新型コロナウィルスの陽性感染者や濃厚接触者などの〝コロナ関係者〟には あらぬ詮索や誹謗中傷が向けられる帰来(きらい)があり、いかに感染拡大防止の大義があれど、個人を特定するなどの過干渉行為に走ることは 日本の社会通念上 許されることではありません。

 

この 新型コロナウィルス禍における新たな取り組みは、一人でも多くの国民理解(=アプリ登録)によって初めて成果を生むものであり、そのためには 発案者(国)による 誤解の無い正しい情報発信が欠かせないと申せます。

ところが 国においては、さきの「特別定額給付金」の申請に大活躍するハズであった マイナンバーカードの普及に既に失敗しており、今回も 同じ調子でアプリ登録ばかりを推奨しても、それほどの理解(=アプリ登録)が得られるかは 懐疑的な面は否めないと思います。

 

 

 

 

私は、この手の情報ツールを用いての〝政治手法〟は ①強権発動的な手法 か ②国民理解のうえでの啓発 の「二極化」のうえに公使されると思います。

① は もとより中・韓が公使した手法でありますが、それを そのまま日本の政治に当てはめることはできません。

さきの大戦で 軍部の情報統制によって辛酸をなめることになった日本国民は、それを強烈な轍(てつ)とし、政治(国)による情報管理にアレルギーを持つようになりました。

そのうえで、今や民主主義が熟達し 個人情報の遵守が徹底されたわが国においては、いかに大義があろうとも 強権的な姿勢で国民の情報を管理しようとしても、そこには反発は生まれても盲従はあり得ません。

もし政治(国)が 情報ツールを駆使しようとするならば、旧に倍しての説明と理解に向けた努力を重ね、あまねく国民が「ヨシ 分かった。」と納得していただいたうえで前に進むべきでありましょう。

 

いずれにしても、アプリ通信網が熟達する昨今、この便利なツールを活用すること自体は否定しないものの、そこには最善に継ぐ最善の注意を忘れてはならない と強く思うところです。

 

 

 

 

 

 

追記・・・・・

今回のウィルス禍。「コロナ」といい「ココア」といい、関係する呼び名が、その実際のところの深刻さに比して〝可愛いらし過ぎる〟と感じるのは、私だけでしょうか・・・。

 

 

 

「ココア」ワンちゃんの名前に よくありますよね。

 

(ネットに載ってた 誰かさんちのココアちゃん)

 

 


公共施設の在り方

2020-06-22 | 日記

去る6月長野市議会の最終日(6/19の本会議)において、私が行なった「討論」の内容と、その後 電話で意見交換したブレーンのMくんとの会話がリンクすることとなり、私自身 認識を新たにいたしました。

 

私が行なった「討論」は、この議会で 市内にある老人福祉施設「若槻老人憩いの家」を廃止するために市の条例を改正しようとする議案(市の提案)に対し「反対討論」を行なったものです。

と いうのも長野市は、老朽化に伴い 今後の運営について協議していた「若槻老人憩いの家」について、民間団体(地元有志)に運営を委譲することを前提に廃止するとしているのですが、その陰に「他の老人憩いの家については、もし担い手が居ない場合は統廃合を前提に考えてゆく。」との一文(いちぶん)があり、私は そこに〝施設の廃止ありきではないか〟との問題点を見い出したからです。

 

 

 

 

幸い「若槻老人憩いの家」については、前述のとおり 地元の皆さんが今後の運営に手を挙げてくださったことから、施設は存続することとなりましたが、今回の〝成功例〟を「基準」として 他の憩いの家の存廃にメスを入れるとすれば、民間(市民)による施設運営ができないところは 軒並み廃止の方向に進むことを憂慮せざるを得ないのです。

 

 

 

 

これは 見ようによっては〝廃止ありき〟の考えであり、私はそこに 何というか、行政側の狡猾(こうかつ)さを嗅ぎ取りました。

よって 現時点では、そんな市の考え方には賛同できないという意思表示をしたのであります。

 

 

 

私自身、これからの少子化・人口減少社会が伸張する中においては 市有の公共施設の将来像について、適切な見直しを行なったり、場合によっては その存廃について議論してゆくこをを拒む者ではありません。

いや むしろ、運営主体である行政と 利用者であり納税者でもある市民とが胸襟を開いて「これからどうすべきか」などと共通の課題意識を持ちながら 市の将来像について積極的に話し合ってゆくべきだと思うほどです。

 

しかし そこに向き合うにあたり、市は (公共施設を)設置した主体(行政)としての〝責任〟を自覚したうえで 今後の議論に臨まなければならないでしょう。

右肩上がりの高度成長期、各市町村は これでもかと言わんばかりに公共施設を建造してきました。

しかし、今となっては ご案内の厳しい社会情勢。かつての勢いで設置された公共施設は、かえって 私たちが享受すべき健全な行財政運営の足かせになろうとしています。

 

しかし 行政には、一度(ひとたび)それ(施設)を造った以上は かかる公共施設を設置した責任があり、それによって市民福祉サービスを享受した市民への〝福祉の履行(存続)義務〟が あろうと存じます。

その行政責任を抜きにして「老朽化したから、需要が無くなったから、ハイ 止(や)めます。」というのでは、無責任の謗(そし)りを免れることはできないでしょう。

 

 

 

折りしも 週末に、長野市が 市有施設の総量を抑えるために、各施設の存廃や民営化に向けた「個別施設計画」の素案を公表したことが報じられ、この記事に触れた くだんのMくんが、やや厳しい声で私に指摘してくれました。

 

 

 

「行政(長野市)は、見込みが甘かったんじゃないの。」

「俺ら民間は、もし ある施設を造ろうと思えば、投資効果はどのくらいか・どの程度の利益が見込めるか・採算は別にしても 施設がどのくらい(具体的に)利用者の福祉向上に役立つか など、いわゆる費用対効果を綿密に詰めたうえでゴーサイン(または断念)を出すけれど、どうも役所が造った施設(公共施設)については〝詰めの甘さ〟を感じざるを得ないんだよね。」

さらに彼は、非常に厳しい言葉を発しました。

「所詮、他人(ひと)の金(=税金)だからじゃねーの。」

「俺は 別に公共施設が悪いって言ってるんじゃない。必要なものは、たとえ収益が上がらなくても造るべきだろう。しかし そこで(行政が)忘れてはならないのは、その原資は 市民から集めた税金で成り立っていること、じゃないか。残念ながら 今回〝存廃リスト〟に挙がっている公共施設は、かつての建設の段階での〝市民の浄財を使って造る〟との自意識が足りなかったんじゃないか。だから 簡単に造って簡単に廃止すると受け止められかねない。」

「極端な言い方をすれば、今までの公共施設は 市民のためのものではなく、行政の自己満足のためのものじゃなかったかと捉えられかねないよね。顔の向いてる方角が違う。」と、懐(ふところ)に刺さる一言(いちごん)となっていました。

 

 

 

高齢化が進み 人口が減少する中においては「今までどおりの行財政運営」では立ちゆかなくなることは必定です。

そこへきての、台風災害や 不足のウィルス禍の発生。私たちの社会生活は 厳しさを増すばかりと申せます。

で あるからこそ、これからの社会運営については 行政も市民も、さまざまな課題について「自分事(ごじぶんごと)」と捉え、真剣に向き合うべきときを迎えている。

 

行政においては、これまでの反省に立ち、そのうえで 地域の将来を見据えながらも、市民サービス(福祉)の維持を図るという〝両刃の剣〟を駆使しながら、あくまで市民の方を向いた業務を通じて「行政責任」を果たすべきであります。

それは、ときに福祉サービスの維持。一方で 公共施設の適正化。その両面について「行政責任」を全うせよ、と。

 

非常に厳しい局面を迎えたといえる昨今、ここ数日のやり取りは、改めてさまざまなことを感じさせてくれたところでした。

 

 


これからをどうするべきか ~コロナ移動自粛要請解除~

2020-06-21 | 日記

6/20 Sat.

 

◇新型コロナウィルス禍、都県をまたぐ移動が解除

新型コロナウィルスの感染防止策として 自粛が求められていた「県都をまたぐ移動」が全面解除され、最初の週末を迎えました。

朝から ニュースなどを通じて、各地が賑わいを取り戻し始めたことを報じており「新たな日常」の中で 社会生活が〝リ・スタート〟していることが伝えられています。

 

 

長野市においても、観光の象徴でもある「善光寺」に人通りが戻ってきました。

用事で周辺を通過する際に立ち寄ると、自粛中は閑散としていた参道に 多くの善男善女の姿を見ることができました。

 

 

 

つい先日までのことを思えば、喜ばしいことと申せます。

 

(5月下旬の参道)

 

 

本堂の前では、香炉を前に参拝客が並び 御煙の御利益に預かっていました。

 

 

 

自粛期間中は門扉を閉ざしていた本殿も ようやく解放されることとなり、参拝客が晴れて内陣へと進んでいました。

 

 

 

善光寺社務所も営業を再開し、お守りやらの御利益品を求めて多くの人が。

 

 

 

こちらのカップルは おみくじを結んでいました。

 

 

ようこそ信州善光寺へ。願(がん)が叶(かな)って、幸せになりますよ~に。

 

 

 

 

新型コロナウィルス禍から時間が経過して はや6月も後半。社会全体が紆余曲折を経た後に、わが国においては『緊急事態宣言』の解除に続いて、都県をまたぐ移動が解禁となりました。

一方で 未だに都内では、連日 数十名以上の陽性感染者が発生するなど〝終わりなき状態〟が続いており、それとは別に、長野市内でも 約1ヶ月ぶりに陽性感染者が確認されるなど、未だに予断を許さない状態となっています。

 

そんな中 私(だけではないでしょう)が懸念するのは、移動の自由に伴う 主に首都圏からの〝ウィルスの持ち込み〟です。

最近の 東京での感染事例が示すように、かつての警戒区域での陽性感染者の多くに いわゆる現役世代の人の〝無自覚感染〟が居ます。その〝無自覚感染者〟が県都を越えて地方に移動することにより ウィルスもまた県都を越え、地方へと〝飛来〟します。その先(地方)には 高齢者などの健康弱者が多く居られることから、今後は 都会から田舎への、いわば〝新型コロナウィルスのIターン現象〟が起こることが大いに懸念されるところであります。

 

しかし一方で〝社会生活の復興〟のためにも 人やモノの交流は推進すべき面もあります。

私たちは そんな〝両刃の剣〟を使いこなすことが求められており…そのために欠かせないのが 感染予防の基本的行動でしょう。

 

過般の報告会見で 長野市保健所のK所長は「意外とみなさん、手指の消毒が疎(おろそ)かになっているようです。」と警鐘を鳴らしておられました。

 

 

 

 

K所長によると、最近の新型コロナウィルスの感染原因に 手指の接触による経口からの感染が多く見られるとのことで、マスク着用については、飛沫感染の予防に併せて、そこらを触った手指から口元を守る効果もあるとのことです。

 

 

 

 

いずれにしても、一見的には 自粛も解除・移動も解除と〝今までどおりの社会生活〟が取り戻せたかの わが国社会ですが〝コロナ禍〟は未だ社会に潜在していることは否定しようもない現実ですので、私たちは 他県からの来訪者を歓迎する一方で「ウィルスをもらわない工夫」すなわち 手指の消毒などの基本行動を怠りなく実践し、いわば〝水際作戦〟による自衛をシッカリと行なうことが求められていることを 改めて自覚しなければならないでしょう。

 

すべては「これから」の私たちの行動如何(いかん)に懸かっていると言っても過言では無いと申せます。

 

 


令和元年東日本台風 ~再び ここで暮らそう と~

2020-06-20 | 日記

去る6月13日、さきの令和元年東日本台風から8ヶ月が経過したその日、堤防が決壊して甚大な被害が及ぼされた長沼エリア(津野地区)にある一軒の古民家が「復興に向けた学習会(ワークショップ)」の場として提供されたことから、その一端を見学させていただき、そこで さまざまなことを考えさせられたところです。

 

 

その学習会は「土壁再生ワークショップ」。

家、それも古くから日本住宅の「壁」づくりに用いられてきた「土壁」を、みんなの手で再生しようという試みです。

 

 

 

 

会場となった津野区のAさん宅は、いわゆる「古民家」と呼ぶにふさわしい歴史を有するお屋敷です。

 

 

 

こちらのお屋敷も、さきの令和元年東日本台風に伴う 千曲川堤防の破堤による河川の直撃をまともに受け、自宅や土蔵が水没してしまいました。

それでも、築百年を過ごした屋台は堅ろうであったことから 柱や床の梁は現状を留めたことから、これからそのように再生してゆくか思案の中にあるそうです。

 

 

 

 

畳が敷きつめてあった床はもとより、部屋と部屋を仕切っていた「土壁」が 藁(わら)の芯を残して無残に流失していました。

 

 

このような流失した土壁を 皆の手で再生しようという作業のようであります。

 

 

 

実は ここ長沼地区には、こちらのお屋敷のような旧家が遍在しており、いわば長野市史を今に伝える「歴史的住居群」となっていたとのこと。

 

 

 

 

しかし、さきの令和元年東日本台風による洪水は 容赦なく集落を襲い、多くの住居を破壊し、その軒並みを水に浸けてしまいました。

 

 

 

 

 

かかる大災害を経た後、行政が主体となって復旧・復興が行なわれる中、被災家屋については「公費解体」として 公費をもって家屋を取り壊す措置が取られ、現在 急ピッチで解体作業が行なわれているところですが、そんな中にあって「直せる(遺/のこ)せる)家屋は むしろ直して(遺して)ゆくべきではないか。特に 古き佳き地域の歴史を今に伝える家屋は、なおのこと人智を集め、再生に向けて積極的に取組むべきではないか。」として活動を続ける団体が居られるのです。

 

 

 

この日は、かかる活動「壊すのではなく、遺(のこ)す。」を旨として活動展開する「建物修復支援ネットワーク」の方々が主催した中で 表題の「土壁再生ワークショップ」が行なわれ、あいにくの天候にも関わらず 内外から多くの方々が参加されました。

 

 

 

主催者の一人のTさんは、活動の主旨「壊すのではなく 遺(のこ)す。」の意義を述べられた後、今回の〝皆の手による古民家再生〟の意義を分かりやすく説明してくださいました。

 

 

 

そこには、歴史を今に伝える古民家の(皆の手による)再生は、単なる家屋の修復に止まらず、将来に向けた 新たな地域への愛着にもつながるという訴えがあり、それを聞いた私は 現下の被災地の課題に重ね合わさずにおれなかったところです(これは後述とします)。

 

 

 

約40名にもなる参加者は、数人をもって班に分かれ〝再生作業〟に取りかかります。

A班は、洪水の直撃を受けてボロボロになった土壁の「土」の部分を一旦剥(は)がし、芯になる藁の部分を剥(む)き出しにする作業に取りかかります。

 

 

 

私もその一端を担いました。

スタッフさんから「中途半端に(土を)残さずに 完全に剥がしてください。但し 芯になる藁(わら)は傷つけないように。」と注意を受けます。力と根気の要る作業です。

 

 

 

 

こちらはB班。壁の材料となる「藁泥(わらどろ)」を生成します。

乾燥した藁束を裁断刃で 一定の長さに切ってゆきます。これには 親御さんに連れられて参加した子供たちが大活躍。ケガにだけは注意しつつ、ジョキジョキ、ジョキジョキ。

 

 

 

 

その傍らには、プール状のでっかい桶(おけ)に入れられた 田の泥が用意されており、そこに 裁断された藁が投入され、何と裸足の人力をもって混ぜ合わせる作業が行なわれていました。

 

 

 

まさに人海戦術。多くの人たちの協力で 被災した家屋の土壁の再生に向けて手が加えられ、築百年の古民家に「新たな歴史」が加えられることになる様子が垣間みられたところです。

 

残念ながら 私は時間切れで辞去しましたが、今後 さらに時間をかけて、剥き出しにされた壁の藁の芯に 練りあげられた藁泥が塗られ、再び人の暮らせる家屋となってゆくことでしょう。

 

 

 

さきに訪ねた津野地区のMさんが「あれから時間が経過し、多くの人がここを去ることになっている。」と寂し気に言(ご)ちていました。

堤防は再構築され 家屋の解体は進みつつありますが、更地となった被災地区に「もう一度住もう。」という人は確実に減っているそうなのです。

 

 

 

 

そんな中にあって、被災した家屋を 解体に頼らずに「再生」の道を選ぶ。

このことは「解体ありき」と考えがちであった関係者の意識に大きな一石を投じることとなり、ひいては「もう一度 ここで暮らそう。」という人の心を揺さぶる大きな効果があると実感しました。

 

 

私としても、さまざまな社会環境の下で地域生活を送る方々のそれぞれの思いを受け止めながら、被災地再生に向け心を砕いてゆきたいを思いを新たにいたしたところです。

 


【速報】 長野市で19例目の新型コロナウィルス陽性患者が発生

2020-06-19 | 日記

6/19 Fri.

 

この日は、開会中の「長野市議会6月定例会」の最終日で、議案の採決や請願や意見書の扱いが議論されました。

午前中に委員長報告が行なわれ、それに対して 私としても意見を述べるべき案件があったことから、午後の再開に向け 発言原稿の案文など準備作業を進めている中、控え室を保健所の職員が訪ねてきました。

「もしや・・・」と思い要件を訊くと、案の定、長野市で19例目となる 新たな新型コロナウィルスの陽性感染者が発生したとのことでした。

 

 

 

 

長野市においては、去る5月12日に18例目となる陽性感染者が報告されて以来 事例報告が無く、やや安堵していたところでしたが、あれから1ヶ月余「ついに」と言うべき事例の発生であります。

夕方6時から 保健所による報告会見が行なわれたことから、本会議終了後 息つく間も無く会見場(保健所)に足を運びました。

 

 

 

 

現時点で報告されている内容は 次のとおりです。

陽性感染者 (19) 30歳代(女性) S子さん とします。

・症状及び経過は下記のとおりです。

6月16日 夕方から咽頭痛・鼻水症状アリ

6月17日 上記症状に加え、38℃の発熱と倦怠感アリ→保健所に相談し 医療機関Aを受診

      PCR検査で検体採取

6月18日 PCR検査の結果「陽性」と判明

6月19日 感染症指定医療機関Bに入院

      症状 → 軽症

・行 動 歴  県外へは出ていないとのことだが、詳細は調査中

・濃厚接触者  同居者1名 / 同居以外の人10名

 

 

 

 

折しも この日は、各都道府県が一斉に移動の自粛などの制限を解除した日であり、このタイミングでの新型コロナウィルス陽性感染者の報告は、それを聞いた瞬間に 首都圏とのつながりを疑いたくなったところでしたが、今回のS子さんは ここのところ県外へは出ていないとのことでありました。

 

 

 

 

逆に言えば、県外に出ていないにも関わらず 陽性感染者となったということは、S子さんを襲った新型コロナウィルスの野郎は、一体どこからやって来たのか?

われわれが預かり知らないままに、(ウィルスは)市中に漂っていた(いる)ということなのでしょうか。

 

 

長野市における陽性感染者の発生報告がされなくなって1ヶ月余「もう長野市に 新型コロナウィルスは存在しなくなったんじゃないか。」などと、とんだ甘い夢を見ていたものでした。

そんな中 今回の陽性感染者の発生について、記者から 原因は何か?などと問われていたK保健所長は、落ち着いた口調で「今回の陽性感染者の発生は、私たち(関係者)にとっては 何ら意外なことではありませんでした。首都圏を中心に 未だ国内に発生事例が出ている以上、長野市においてもそれを拒むことはできません。

肝心なのは、私たちは 改めて、新型コロナウィルスは いつなんどき出現するか分からないということを再認識することであり、そのうえで私たちは 改めて基本に立ち返り、感染予防に努めることが求められていると自覚すべきでしょう。」と答えておられました。

 

 

 

 

 

前述のとおり、この日 19日を境に、都道府県をまたいでの移動などが〝解禁〟されました。

私たち長野市民は、市内19例目の陽性感染者発生の報告により 市中にウィルスが現存していることを再認識すると同時に、今後 主に首都圏からウィルスが持ち込まれることを想定しながら「新たな日常」を継続することを求められることになっております。

 

 

新型コロナウィルスは、まだ 居る。

この日の陽性感染者の発生報告は、何というか 安穏と緩み始めた頬を張られた如くのインパクトを私たちに与えることとなり、移動の制限解除を喜びながらも「気をつけて日常生活を送るべし」との思(おぼ)し召しをいただいた感しきりだったのでした。

 

 

 

 

 

なお、S子さんの濃厚接触者(延べ11名)については、いずれも経路が特定されていることから 現時点で市(保健所)は、職場名などの特定情報について「公表する段階に無い」とのことであります。

また この11名については、うち2名に風邪のような症状があり、いずれにしても 全員にPCR検査を実施することになっているそうであります。

 


新型コロナウィルス〝蚊〟 ~蚊に刺されて移るのか?~

2020-06-18 | 日記

季節は進み、信州も梅雨の時季を迎えました。気温や湿度も徐々に上がり、日中は30℃越えの日も珍しくなくなってきました。

そして…季節が夏に向かうに合わせて〝出現〟する、誠にやっかいな存在が「蚊」ではないかと。

先日 知人の方が「蚊に刺された。」としかめ面をこちらに向けます。そして その後、スグに表情を硬くし「誰かれ構わず刺して回る〝蚊〟だけど、こいつに(複数人が)刺されることで 新型コロナウィルスは移らないの?」と真顔で訊(たず)ねてきたのでした。

 

 

 

 

訊けば、この方の親戚のおじいちゃんが、さきの大戦で南洋に出兵して 命からがら生還したのですが、その際に所属した部隊に「マラリア蚊」が蔓延し、何人もの仲間が 戦いではなく病気で命を落とすことになってしまい、自身もマラリアに罹患し それは大変な思いをしたことを事(こと)あるごとに聞かされていたそうなのです。

 

 

 

幼少の頃 近しい親戚から、そんな激烈な体験談を聞かされた御仁は、同じ伝染病で 強い感染力のある新型コロナウィルスならば、きっと蚊にも そのウィルスが宿り、やがてヒトからヒトへの感染の媒体になるのではないか、と強く懸念しているようなのでした。

言われてみれば、実家のオフクロも「あたしは蚊に刺されやすいんだけれど、新型コロナウィルスって 戦時中のマラリアみたいに 蚊で移ったりするのかしら。」と口にしていたのを思い出しました。

 

 

 

新型コロナウィルスのような〝未知の疫病〟においては、感染の不安に伴い さまざま憶測が飛び交うことは仕方の無いことではありますが、中には〝誤情報〟も少なからずあり、それがSNSなどによって拡散されると 真実ではない情報が「ホントの話」に化けてしまうことが社会問題にもなっています。

みなさんもご記憶にあるでしょうか…新型コロナウィルス発生の初期の頃「コロナは26~27℃の水で死滅するので (その温度の)水をどんどん飲むとイイ。」との情報が流布されたことがありましたよね。

しかし ヨク考えてみれば、そもそも 平均体温36℃のヒトの身体に宿り続けるコロナウィルスが、26℃の水に弱いというのは明らかに矛盾した話。しかるに この〝誤情報〟は いずれ消えることとなりましたが、いずれにしても いわゆる〝出所不明の情報〟が、思わぬところで私たちを社会不安に陥れるとすれば これは憂慮すべきことと申せます。

 

話しに出た「マラリア」を初め、近代においては 2014年に日本で発生して問題になった「デング熱」などは〝蚊〟がウイルスを媒介し感染の輪を広げてしまいました。このデング熱ウイルスは 特定の種類の蚊の体内で増殖し、(蚊が)人の血を吸うことで感染を広げるタイプのものでありました。

 

 

 

しかしながら「新型コロナウイルスの感染メカニズム」は、かかる デング熱とは違う、とのことであります。

 

 

 

松本市にある信州大病院 感染制御室の金井信一郎副室長によると「新型コロナウイルスは 主に感染者のせきやくしゃみで起こる飛沫・唾液・鼻水、または手指の接触を通じて口中に取り込まれたウィルスが 他者の喉や肺に取り付き(貼りつき)増殖するタイプの伝染病です。そのため(新型コロナウィルスは) 蚊の体内では増殖することはできないことから、人が(蚊に)刺されても 新型コロナウィルスを伝染させるような人体への影響は無いと考えられます。」とのことでありました。

 

 

今回、私の知人の「蚊で新型コロナウィルスは移るか?」の疑問については、幸い そのリスクが無いことが判ったところではありますが、一方で〝蚊がヒトの「血」を吸う〟から来る「血液由来の(生命の)危険」について、識者は「新型コロナウィルスにおける(血液由来で)最大の脅威となるのは、血液そのものではなく、血液を運ぶ「血管」にもたらされる悪影響です。」と語気を強めておられます。

 

それは「サイトカインストーム」という、コロナに罹った人が自ら起こす(血管絡みの)疾病です。

新型コロナウィルスに罹ると、人体は「免疫システム=サイトカイン」を発動してコロナウィルスを攻撃するのですが、それが(コロナの場合)過剰に〝反撃行動〟を起こし、周辺の健康な細胞をも傷つけてしまい、それ(過剰活動)が血管内部で起こると、血管そのものを塞いでしまうことになり、結果、血栓や梗塞の要因になってしまうとのことなのです。

 

 

 

「サイトカイン」は、いわばヒトの身体を守る〝防衛軍〟だとのこと。で、新型コロナウィルスの体内侵入に伴い「サイトカイン」が「身体を守れ!」との情報を出すと、免疫細胞および分子が感染箇所に動員され ウィルスと戦ってくれます。そして やがて症状が治まると、サイトカインによる情報伝達が止まり〝防衛軍は撤退する〟ことになるのだそうです。

しかし ひとたび「サイトカインストーム」なる症状が起こると、人体の免疫システムが狂ってしまい、敵=ウィルスを検知したサイトカインのアラームは 止まるどころか鳴り続け、不必要に兵士を集め続けて 病原体そのものよりも体にダメージを与えてしまうのです。いわば たった一人の敵兵を捕らえるために大軍を送るようなもので、しまいには身体全体が〝戦場と化してしまう〟とのことなのです。

サイトカインストームが起こると、血管が大量の免疫細胞で詰まって血栓を生じさせたり、臓器に酸素や栄養分が届かなくなる臓器不全の要因にもなるとのこと。また、感染した細胞に向けられたはずの 毒性を持つ免疫関連分子が、血管から漏れ出て健康な組織をも損傷させてしてしまうこともあり、それらの過剰な働きが蓄積することにより、重大な症状を招くことにもなるとのことであります。

昨今、新型コロナウィルス患者が急死したりする事例には、この「サイトカインストーム」が起因するものが少なからずあることが伝えられており「血液由来の事例」とすれば〝蚊〟よりもはるかに危険なマイナス要素となっているのです。

 

 

 

さまざまな悪影響をもたらす「新型コロナウィルス」は、ひとまず〝蚊〟によって移ることは無いことが判りましたが、血液由来という点においては(サイトカインストームは)それ以上にやっかいな症状を誘発することが知らされることになりました。

いずれにしても 私たちは、現下の「新型コロナウィルス」について、その多くの罹患者が軽症のうちに治癒するとはいえ、状況によっては重症化し ましてや「サイトカインストーム」などに至れば急死にもつながる大きなリスクがあることを改めて自覚したうえで、このやっかいな疫病に 今後も絶対に罹(かか)らないことを第一義とし、万一罹患した場合には、早期発見 早期治療が欠かせないことを改めて思い知ったところでした。

 

今後 第二波・第三波が懸念される中、私たちは 今後も「新型コロナウィルス」における正しい情報のみを聞き入れ、正しく向き合ってゆくことが肝要と改めて思うところです。

 

 


長野市議会 令和2年6月定例会 「常任委員会/建設企業委員会」 =その2=

2020-06-16 | 日記

開会中の「長野市議会6月定例会」は、委員会審査が行なわれており、私は「建設企業委員会」に出席しました。

 

「都市整備部」の所管事項調査の中で、私は 現下の国の施策指向の中で、これからら将来に向けた都市整備=まちづくりに関わる事項について 今後の都市整備部の積極的な〝関わり〟に期待を寄せる旨を述べさせていただきました。

 

「スーパーシティ構想」の考え方であります。

 

 

 

「スーパーシティ構想」とは、国(内閣府)による 近未来型の新たな都市構想のことを指(さ)し、その都市の住民生活全域について AI(人工知能)やビッグデータ(多様情報)などを活用して、一元的に便利で住みよい都市を作り上げてゆこうという〝新たなまちづくりの考え方〟です。

 

 

 

 

住民生活に欠かせない、移動・物流・支払い・行政・医療/介護・教育・エネルギー/水・環境/ゴミ・防犯・防災/安全などの分野について、いわば一元的な管理システムの下 そこに暮らす住民がワンストップで利便性の高い社会生活が送れる「生活ネットワーク」を構築してゆこうとするものです。

 

この〝未来構想〟については、今国会において「スーパーシティ法」として成立をみたところですが、この〝各論〟については、個人情報の一元管理の是非といった問題点が内在しており、今後も議論を進める余地が多くあるところであり、直ちに具体化されるものではないとは思うところですが、私は この構想に一つの注目点を見い出したのでした。

 

 

「住民の合意形成」であります。

 

 

 

従来型の(政治の)都市構想においては、いわゆる「官(行政)主導」で遂行されるのが いわば常道であり、住民(国民)は、往々にして事後的に情報を伝えられてきたところであります。

しかし 今回の「スーパーシティ構想」は、その前提として 住民の合意形成の必要性を謳(うた)っており、すなわち このことは、これからの「まちづくり」には 住民の合意形成ならびに意見集約(反映)が欠かせないことがメッセージとして含まれていると認識されます。

 

マ、この構想における住民合意とは、個人情報の一元管理に対することなどにおける「住民合意」であることが含まれており、一概には言えない面はあるところですが、いずれにしても これからの社会生活を左右する新たな政策提言について「住民合意」が いわば必須事項に掲げられるようになったことには注目しべきであり、この構想を通じて 私としても、今後の「まちづくり」の作業の際には「住民参加」を欠かすことはできないことを強く実感させられたところです。

 

 

これらのことから、長野市の「まちづくり」を担う都市整備部においても、これからの都市計画の策定作業においては 早い段階で住民意見を取り入れるべきこと、そして その重要な機関として、長野市が内外に誇る自治組織である「住民自治協議会」との連携が欠かせないことを意識するよう意見し、共々に意識しながら取組むよう 強く要望したところです。

 

 

なお「建設企業委員会」においては、他にも諸事ありましたが、これについては後日に譲ります。