社会が、僅かずつではありますが 新たな動きを見せてきているように感じられてなりません。
そして その通底には「人々の意識」が欠かせない要件になってきていることも、併せて実感するところです。
◇レジ袋有料化スタート
レジ袋などの容器包装ごみの減量を目指し制定された「改正容器包装リサイクル法」に基づく、レジ袋有料化事業が 7/1から施行されりることになり、規模を問わず全ての店舗でのレジ袋が有料化となり 消費者はレジ袋への余分な支払いを避けるためにも「マイバッグ」などの利用が推奨され、もって 環境保全の一助を為すことに期待が寄せられることになります。
報道などを見ると、この事業に対しては 硬軟さまざまな評価が寄せられており、一概に好評価だけでは無いことに気づかされます。
レジ袋削減を 化石燃料の削減に置き換えると、さほどの効果が無い という見方があります。
わが国におけるレジ袋は 年間約300億枚が使用されているとのことですが、これを原料の石油に換算すると 年間約50万キロリットルで、これは 国民一人あたり3リットルに過ぎないとのこと。
日本の石油消費量は年間約2,4億キロリットルであることから、たとえレジ袋を削減しても約50万キロリットル、それは日本の石油消費量のわずか0,2%に過ぎない。したがって レジ袋を削減しても、さほどの化石燃料の削減にはつながらない、という意見です。
また、レジ袋は 燃焼の際に有害なダイオキシンを発生させるとの懸念に対しては、最近のゴミ焼却施設は 非常に高温で(ゴミを)焼却することから、レジ袋についても 今やほとんどダイオキシンは生じない。だからレジ袋を削減する必要は無い、という意見も。
確かに、化石エネルギー消費等の視点から言えば、レジ袋削減は「焼け石に水」なのかもしれません。
しかし 私たち〝地球人〟は、昨今のゴミ問題…とりわけ海洋ゴミの増加などを踏まえ、ここらで どうしも意識を変えるべきときを迎えていると、強く自覚するところです。
海からは遠く、いわば〝上流域〟に暮らす われわれ信州人は、間近に海洋ゴミに接する機会は少なく ややもすると(海洋ゴミ問題は)他人事に思えてしまうところではありますが、で あるからこそ、水の源(みなもと)である源流から その清らかさを維持し、それ(清らかさ)が遠く大海にまでつながることを期して地道な活動を緒に就けることこそが、ひいては地球全体の環境を守ることになる。
やや大げさではありますが、私たちは そんな崇高な価値観を心に抱きながら、明日からのレジ袋有料化を迎えるべきでは、と思うところです。
そして…これが肝心なところと思うところですが、レジ袋有料化は それ自体は目的では決して無い、というところでしょう。
前述のとおり レジ袋有料化は〝焼け石に水〟これをもって地球環境全体が劇的に改善するハズも無いのです。
大切なのは、レジ袋の有料化を契機に 皆がマイバッグなどを携行することに努め、その取組みによって レジ袋のみならず「モノ」を簡単に使い捨て意識そのものを改め、そのうえで リデュース(減量)・リユース(再使用)・リサイクル(再利用)の〝3R〟の意識を常識化する。そのことこそが、人のさまざまな社会行動の中に「環境保全」が念頭に置かれるようになることではないでしょうか。
「レジ袋有料化制度」は、そんな 人々の価値観や意識を変える〝きっかけ〟になることが真の目的であると思うところです。
◇「煽(あお)り運転」の厳罰化 =改正道路交通法(妨害運転罪) 適用=
今や 自動車社会の重大な問題になっている「煽(あお)り運転」この行為の危険性に鑑み、今般 道路交通法が改正され、他の車両の通行を妨害し 重大な交通事故にもつながる極めて悪質で危険な行為を取り締まるための「妨害運転罪」が創設され、煽り運転そのものを道交法違反に問えることとなりました。
今後は、違反1回で免許取消処分となり、最長5年の懲役刑や 多額の罰金などの厳しい罰則が科されることとなりました。
自動車による快適・便利な移動手段は、私たちの社会生活に大きな利便を供してくれています。
これは 他でも無い、過去に重大な交通違反により運転免許を失効した私自身が まさに実感したところです。
クルマの運転ができない間は 徒歩または自転車や電車・バスなどに頼る他なく、それは不便を感じたものでした。クルマなら数分で行ける場所にも相当な時間を要し 季節によっては雨も降れば風も吹く。
そんな間(かん)に、身をもって クルマの「ありがたみ」を実感したものでした。
今は 改めてクルマの利便性を享受する中にあっては、交通ルールを遵守し このクルマの優位性を二度と手放すことの無いようにしてゆかなければ、と自覚を新たにしているところです。
しかし運転者の中には クルマを運転することが当たり前になってきていることにより、ハンドルを握った途端に極度の利己主義になる人や 自分が最優先であると思い込む人が居る…ハンドルを握るうち、少しでも自分の意に沿わない他者(他車)に遭遇したときに 一気に牙を剥(む)くような異常行動をする事実を見聞するにつけ、クルマの持つ利便性と裏腹の クルマ(の運転)に潜む〝悪魔の一面〟を感じ取らざるを得ないところです。
今回の厳罰化は、煽(あお)り運転が重大な人身事故の要因になったことが そのきっかけになったことが伝えられていますが、免許さえあれば 誰でも気軽に乗れるクルマの運転が、本来の移動手段としての役割から乖離し 何というか、謙虚さを置き去りにした〝自分至上主義〟に変えてしまうことからくる ある種の〝勘違い〟による愚行に天誅を下すことになりました。
そして この愚行を無くすためにはどうしたらイイか?それは 他でも無い「思いやり運転」に他ならないでしょう。
道路を走るのは自分だけでは無い、さまざまな目的で さまざまな手段で通行する人が居る。そんな 他者の存在を十分認識したうえで〝~かもしれない運転〟に努めること、そんな意識ひとつで「煽(あお)り」などの暴力的運転は起こらないと思うところです。
往々にして利己主義が進み 世知辛くなってきたと言われる昨今、今般の「妨害運転罪」の適用を契機に、逆に(クルマの)アクセルペダルを緩めてみる、そんな〝クルマの価値観の見直し〟をしてみるべきではないかと思いをいたすところです。
昨今、社会では いろんなことが起こり過ぎています。
そんな中、もしかしたら人の心に余裕が無くなってしまっているのかもしれない。
で、そんな中だからこそ 価値観の見直し・意識改革が必要なのではないか。そんなことを強く思うところです。