倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

またもPCトラブル🌀

2019-07-31 | 日記

事務所のPCが、夜半に突然つながらなくなってしまいました。

どうやらルーターの故障らしく・・・きょう午後以降の交換作業となるそうです。

ここのところ、相次ぎPCトラブルに見舞われており辟易の感ですが、いずれにしても往診?を待ちたいと思います。

ヨロシクお願い申し上げます。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一石二鳥の「模擬体験」

2019-07-30 | 日記

7/29 Mon.

 

参議院選挙で沸き立った?28日(日)の一週間前の21日(日)に「もうひとつの選挙」が行なわれたことが報じられ、その「選挙内容」のユニークさに感心しきりとなったものでした。

 

その選挙、「選挙区」は長野県小諸市、「有権者」は、7才から17才の児童生徒が対象となっていました。

で、選挙名は「こもろのひろば、郷土キャラクター 子ども選挙」です。

報道によると、市立小諸図書館で「郷土キャラクター」を選ぶ「選挙」が行なわれ、3名の「候補者」が出馬、独自のキャラクターを掲げて選挙戦?に臨んだとのことです。

 

 

 

 

私が注目したのは、この「選挙」では「選挙公報」までもが発行されたことです。

 

 

よくある「キャラクター選び」は、単に見た目がどうだとか、可愛いか そうでないかとかが「選考基準」になるものですが、こちらの「選挙」は、各陣営?が、小諸図書館をより良くするためにこうします!などの具体的な「公約」を掲げ「有権者」である児童生徒は、キャラクターの出来映えに併せて「公約」を比較検討し、自分の考えに合った候補や、より図書館を使いやすいものにしてくれそうな候補を吟味したうえで「一票」を投じるものだったそうです。

ある「有権者」は、記者の質問に対し「ものすごく迷った。キャラクターはどれもイイと思うので「広報」を読んで、自分の考えに合った候補に投票します。」と答えており、まさに「選挙さながら」の様相、イヤひょっとしたら その真剣度は「大人の選挙」以上の「熱」だったのかもしれません。

 

 

選挙結果については「即日開票」の末、図書館のHPなどで一斉に「速報」されたとのこと。

 

 

 

何と一票差の僅差で「キート」ちゃんが当選しました。

そして「キート」の「公約」が直ち図書館運営に反映されたことも併せて報じられていました。

 

 

 

今回の「子ども選挙」は、まさに「一石二鳥の模擬体験」であったことと思います。

自分の身近な社会環境の中における選挙に参加することにより、自分の「一票」にによって、その社会環境を変えたり より良くしたりすることができる。

この体験は、現にキャラクターや公約の実現を図ると同時に、自分が18才になって選挙権を得たときの「予習」として必ず活かされると思います。

 

選挙への「参政権」の年齢が引き下げられた以降も、若者層の投票率は低迷を続けており、どうにかして選挙に行ってもらえるよう、選管ならびに関係機関は汲々としているところです。

 

かかる小諸図書館の「成功事例」は、未成年のうちに「選挙の意義」を知ってもらうためにも非常に有効な取り組みであったと評されます。

私自身、このような事例を心に留めながら、私の立場でも 若年層の投票率向上に向け 心を砕いてゆきたいと思いをいたしたところです。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感謝と決意

2019-07-29 | 日記

7/28 Sun.

 

この日、ご関係者にご参集いただき、後援会事務所の開所式が執り行われました。

昨日は夜半にかけてまとまった雨が降り、天気ぐあいが心配されましたが、朝方には快晴となり、まさに「雨降って 地固まる」を体現してくれたかのような好天となってくれました。

 

 

名実共に「出直し」となった 今回の船出ですが、非常に厳しい状況にも拘わらず、多くのみなさまのご厚情をもって事(こと)が運び、地区内の適所に後援会事務所を構えることができました。

 

一度滑落した山を再び登るかの活動再開の中での事務所の開所は、非常に感慨深いものがあり、そのうえで、ここまで私の背中を押してくださった方々に 感謝の言葉しかないところです。

 

ご列席いただいたみなさんに「取りも敢えず、活動拠点ができてよかったね。」と声をかけていただき、お一人お一人に御礼申し上げながら開所式を迎えました。

開所に際し、ご出席のみなさん全員で、必勝ダルマに眼を入れていただきました。

 

 

それぞれのお立場で、私のような者にも心を砕いていただき、それぞれの思いを抱きながら筆を執られる姿に、新たに感謝の心が沸き上がります。

 

不祥わたくしも筆の端を執らせていただき、共々に所期の目的達成を期したところです。

 

 

後援会長ならびにご来賓から力強い激励のことばをいただき、身の引き締まる思いをしながら、改めてみなさんに御礼と決意を述べさせていただきました。

 

 

この度、自らの不始末で議員という「立場」を失ったことで、私は逆に、改めて議員の職責について考える機会となりました。

地域社会には、未だに多くの課題が内在しており、それらの解決と同時に、将来に向けた健全な社会の構築のためにさまざまな提案を行なうべきである。その「代弁者」として議員という存在があり、そのうえで地域の方々は、 改めて私という存在を求めてくださっている。

それに応えるためにも、私自身 地域に寄せる思いを温めながら、再び「立場」を得たうえで さまざまな課題への取り組み、行政への提案などを 強い気持ちで行なってゆきたい。

 

そんな、みなさまの思いと私の思いとが「融合」したことが実感された開所式となり、改めて頑張る「エネルギー」が沸き立つ思いを新たにいたしました。

 

私を取り巻く環境は厳しいことに変わりはありませんが、この日の開所式を契機に、なお一層努力を重ねてゆく決意を、心からなる感謝の思いと共に新たにいたしたところです。

 

 

後援会事務所の場所は、長野市川中島町の「川中島中学校」東向かいです(下記マップの赤い印)。

 

 

どうぞお気軽にお立ち寄りください。

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨明け間近

2019-07-28 | 日記

7/27 Sat.

 

この日は夕方からまとまった雨となりました。台風の通過に伴うもののようですが、梅雨の最後の雨、といったところでしょうか。

今年はいわゆる「梅雨らしい梅雨」となり、雨や曇天が続く毎日でした。そのせいか野菜の類(たぐ)いが育成不良となり、キュウリがまっすぐに育たないとか ジャガイモの粒が小さいとか、何かしら「日照不足」の影響が聞かれたところです。

日(陽)が出なければ涼しくてイイと思う一方、やはり「天の恩恵」をもたらす日照が無いと 前述の野菜のように光合成を要する植物などに影響が及んでしまう・・・自然の摂理とはよくしたものだなあと、改めて思わされるこの頃でした。

いずれにしても「梅雨明け間近」の時期となり、今度は暑さ対策に腐心しなければならなくなるでしょう。

私自身、熱中症対策を怠りなくし、諸活動に臨んでゆきたいと思うところです。

 

 

ところで「熱中症」といえば、高齢者の熱中症が ときに生命に危険が及ぶこともあり、今のうちに警鐘を鳴らすところです。

高齢者の方々は、概して「寒がり」なところがあり、暑くなっても肌着をシッカリ着込んだり、暑くなっても冷房を使わない傾向にあることから、室温上昇に伴い 自分の体温が上がったり体内の水分が不足していてもそれに気づかず、いつの間にか脱水症状に陥ってしまうのです。

ひとたび脱水症状に陥ると身体の自由が効かなくなり、そのまま衰弱して最悪の結果を招くこともあることから、暑い時期は薄着になること、冷房を適宜に使うこと、また、喉が渇いてからでは遅い、常時に亘って水分補給をすることが肝要と言われています。

昨今では極端な話し、寒さで命に関わる事例は少なく、逆に「暑さ」が生命に関わる事例が散見されることから、まさに熱中症対策は怠りなく行なうことが求められています。

 

読者?の方々の周辺にも 高齢者が居られるようでしたら、どうか注意喚起を行なっていただき、不測の事態にならないよう気をつけてあげていただきたいと思います。

「ばあちゃん、ダイジョウブかい?」そんな声かけも、大切なコミュニケーションと言えるでしょう。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

均衡ある発展を

2019-07-27 | 日記

7/26 Fri.

 

早朝、事務所のパソコンが入力できない状態に陥ってしまいました。

英数半角は入力できるのですが、ローマ字かな変換をしようとすると動作が停止してしまうのです。おまけに画像の添付もままならなくなり・・・往生してしまいました。

 

その後、ご覧のとおり、文字入力はできるようになりましたが、画像が「記号化」してしまう状態になっており、みなさんお楽しみ?の画像が添付できない状態になっています。

今後、自分なりに撫でたり叩いたりしながら(苦笑)復旧を期してまいりたいと思いますが、あいさつ回りなどの日程もあり、合間をみながらの復旧作業になってしまいます。

読者?のみなさまにはご不便をおかけいたしますが、ご容赦のほど ヨロシクお願い申し上げます。

 

 

 

この日、私の地盤とする川中島地区の西部を引き回していただきました。

こちらのエリアは、殆どが市街化調整区域または農業振興地域で、川中島地区の「古き佳き環境」を今に伝えてくれる地域となっています。

周辺には 農地と宅地が混在し「住む」には非常にイイ環境が維持されています。

一方で、当エリアは、地区における「東西問題」の いわば負の部分が遍在するところでもあり、住民の方々からは 活性化を求める声が上がっていることもまた事実です。

というのも、川中島エリアは、地区内を南北に縦貫するJR線や都市計画道路などを境に、どちらかといえば「東部エリア」に商業ゾーンなどが集中し、経済面では発展を遂げています。

それに比して「西部ゾーン」は、農業振興などの「地目」の規制・制約などがあり 開発には限界があり、一面的には「遅れをとっている」現状にあるところです。

しかしながら前述のとおり、西部エリアには自然豊かな魅力も多いことから、それらの特徴を活かした「活性化」が果たせないか 試行錯誤の余地が大いにあるところです。

 

私は、ぜひ再選を果たしたうえで、この「東西問題」に再び心を寄せ、勉強会などを立ち上げたうえで、地区内の「個性」を活かした均衡有る発展に取り組んでゆきたいと考えています。

そのうえで、川中島の考察をモデルケースとして、市内全域の「均衡ある発展」にイイ意味で影響を及ぼせるよう、みなさんと共に取り組んでまいりたいと存じます。

 

梅雨も明けようとする風光明媚な地区内を回りながら、思いを新たにいたしたところです。

 

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お知らせ

2019-07-27 | 日記

パソコンのシステムエラーのため、更新がままならなくなりました。

 

復旧次第 掲載させていただきます。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社会構造そのものの変化に

2019-07-26 | 日記

7/25 Thu.

 

地域の方の そのまた友人のご家族(ご子息)が、家に居るだけだと嘆いている旨の話しを聞き及び、考えさせられたところです。

 

話しによると、くだんのご家族(ご子息)は、3年ほど前に、勤務先の会社でケガを負い、しばらく休業を余儀なくされたそうです。その後、ケガは順調に治癒したのですが、その後、会社へ行きずらくなってしまったらしく、欠勤を重ねるうちに いつの間にか退職してしまい、以来 家に居るようになってしまったとのことです。

親御さんとすれば、自分も高齢化の道を進むばかりの中、息子にはどうにか社会復帰を果たしてもらいたいところなのですが、本人も決してサボっているのではなく、自分なりに苦しんでいることが見て取れることから あまり強くは言えず・・・結果、家族全体がフリーズ(凍結)したまま現在に至っているとのことでした。

 

間接的に聞いただけなので、ご本人の会社でどのような立場にいたか とか、正規社員だったのか非正規社員だったのか、などは知る由もありませんが、今のご時世の中で、社会生活の途中で頓挫してしまう事例はそこここで聞き及ぶところです。

 

従前も触れましたが、80才の親が50才の息子(娘)の生活を支える「80・50問題」や、ふとしたきっかけで、まるで児童の登校拒否のように会社に行けなくなってしまい、結果「引きこもり状態」に陥ってしまう事例など、昨今、現役世代を取り巻く複雑な問題が多いことが肌で感じられます。

このことについて、そのような状態に至ってしまった本人ばかりを責められない「社会状況の変化」を感じざるを得ません。

ひと昔前の、ある意味安定していた終身雇用や年功序列制度が改革(非正規雇用法や労働者派遣法など)され、労働環境が厳しさを増すようになり、そこにリーマンショックなどの社会経済へのダメージが重なるなどして「働きにくい社会」ができてしまった。

また、現代の「若者気質」も、打たれ弱いなど社会の荒波に耐えられなくなってしまい、ひとたびの挫折が それを長い期間引きずるようになってしまい、結果、社会との接点そのものを拒絶するようになってしまう。

 

ご知人家族の状況を側聞し、私は「よりオープンな社会」が実現すればイイなと考えました。

人それぞれが課題を抱えながら生きてゆく中、それら課題を独りで抱え込まず、影響の無い範囲で表(おもて)に出すことで、新たな情報を得たり、自分の背負う荷物を軽減することができれば それは一石二鳥と言えるでしょう。

しかしながら、そもそも他人に言えないような悩みは、みだりに口外することはできにくいことでしょうから、そんなとき、私のような者でも つかの間受け止める存在になれれば、とも思ったところです。

「人は、喜びを話せば それは倍になり、悩みを話せば それは半分になる」と申します。

家にい続ける方が、何らかの理由で 社会とのチャンネルを閉ざしてしまったとすれば、何らかの形で、そのチャンネルを再接続できれば・・・難しい社会状況の中だからこそ できることはないか、試行錯誤の思いです。

 

 

 

伺ったお宅を辞するとき、宅前の道路に何やら影が。

 

 

クルマが走行する道路の支線に、カモが休んで?いました。

 

 

 

この2羽は、ここいら辺りでちょくちょく見かける番(つがい)ですが、以前は警戒心も強く、人やクルマに会えば慌てて飛び立ったものですが、最近は何だか慣れっこになったのか、私がファインダーを向けても動じる様子がありません。

 

 

ヒトの世の者が〝打たれ弱く〟なっているのに、カモ界の者?は逞(たくま)しさを増しているようなのでした。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い込み行政

2019-07-25 | 日記

7/24 Wed.

 

障がい者への対応など「官」の所作二題が報じられ、思いをいたしました。

 

さきに執行された参議院議員選挙の投票所で、職員による 視覚障害がある有権者への不適切な対応があったことが報じられました。

記事によると、都内の投票所に、白杖(はくじょう=つえ)を持って訪れた全盲の男性対し、男性の職員が「白杖をお預かりします」と告げたとのことです。

職員側の言い分は「投票所が狭く、従事者や器材に白杖がぶつかることを心配し、預かると告げた。」とのことですが、全盲の方にとっての白杖は、自分が前に進む際に 障害物などが無いかを探る唯一の「アンテナ」であり、これが無ければ一歩も前に動けないものです。

この男性は 職員の発言に対し「白杖は体の一部なので困る。」と訴え、それを受けた他の職員が 当該の職員に不手際があったと判断して男性に謝罪、そのまま投票してもらったとのことでした。

〝被害〟に遭った男性は「2020年東京パラリンピックを見据え、役所は市民の手本になるべきで、理解不足では済まされない。意識向上が急務ではないか。」と役所(職員)に強く自戒を求めたとのことでした。

 

これとは別に、安倍晋三首相がこの日、ハンセン病家族訴訟の原告である元患者の家族らと面会し「大切な人生において大変な苦痛と苦難を強いることになった。首相として政府を代表し、心から深くおわびする。」と謝罪しました。熊本地裁判決が確定したのを踏まえたもので、首相は「差別や偏見の根絶に向け政府一丸となって全力を尽くします。」と伝えたとのことでした。

 

二つの事例は、内容的には異質のものですが、私は これら事案の通底に「思い込み行政の石頭(いしあたま)な判断」があると感じました。

前段の全盲者の白杖については、入場者が傘などを持ったままの投票は周囲に支障を招く恐れがあるから個別に預かるべし、などとの一般論に基づくマニュアルを、全盲者の「身体の一部」でもある白杖の携行にまで当てはめてしまったもので、白杖=単なる杖=投票所で邪魔 との思い込み判断には 半ば呆れてしまいます。もとより、全盲の方にとって白杖が欠かせないものという予備知識すら無かったことが にわかに信じられないところです。

 

後段の「ハンセン病謝罪」については、その謝罪そのものは評価されるものの、これはそもそも「ハンセン病は感染する恐ろしい病気」などと勘違いしたまま情報を流布した当時の役人の「思い込み行政」に起因するところであり、ときの行政の勘違いが ここまで多くの方々を苦しめることになったことは、遺憾以外の何ものでもないところです。

 

 

今回は、二つの出来事について報じられたところですが、私とすれば、まだまだ多くの場面で 行政サイドにおける事実誤認や思い込みによる、誤った行政対応があるのではないかと思うところです。

 

二つの報道に触れ、私の立場でも このような「勘違い行政」の存在に目を配り、万一そんな事案に触れたときは、是正や改善に努めてゆきたい、と思いを新たにいたしたところです。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人様」を大切に

2019-07-24 | 日記

7/23 Tue.

 

日々活動を重ねる中、ふとしたことで、去る日 実家のオフクロを訪ねたときに「しみじみ」言われたことを思い出しました。

 

実家のオフクロは、元来(がんらい)明るい性格で、細かいことは気にしないように見える性格なのですが、その実(じつ)は、家族のことを いたく心配してくれていました。で、いま現在は 直近の家族は私ひとりになってしまったので、必然的に 家族=私のことを心配してくれているのです。

オフクロは既に齢(よわい)も90才を越え、常に3本足の生活(=杖の常時使用)で、外に出歩くこともままなりません。

必然的に、私の活動ぶりなども 私の話からしか聞くことはできないところですが、そんな私からの「聞き取り」で状況を把握する中、真顔で話してくれたのでした。

「ウチは官舎住まいで、お父さんが現職の頃は 転勤=引っ越し というと、近所のみなさんが総出で手伝ってくれて、温かく送り出してくれたものだったわ。でも 今は時代も変わってきたからそうもゆかないでしょう。自分のことは自分で、という時代よね。

でも アンタの場合は、自分が選挙に出るってなれば、回りの大勢のみなさんが手を差し伸べてくれるワケでしょ。

これってものすごいことだと思う。みなさんはアンタに対して いろんな考えをもって接してくれていると思うけれど、いずれにしても、選挙という一大行事を前にした中で、みなさんに支えてもらっているということ、このことには感謝しなければいけないよ。

ましてや、アンタの場合は、人様に迷惑をかけたのに、それを越えて また応援してくれるんだから なおのこと。

私も元気だったら、息子の不始末は親の不始末として みなさんに詫びて回りたいところだけど、それも叶わないので、毎朝毎晩 仏壇に向かってお詫びやらお願いやら繰り返している。

親としても、本当に申し訳なく、そのうえで宜しくお願いしますとしか言えないのよ。

 

だから、とにかく「人様」を大切にして、感謝しながらがんばんなさいよ。」

 

私自身、ようやくの形でここまで歩みを進めてこれたのは、周囲の多くの方々のご厚情の賜と実感しています。

それと同じ思い、イヤ 身動きが取れない分、私以上に贖罪(しょくざい)と感謝の思いをオフクロが抱いていることを改めて知り、親に対しても申し訳なく またありがたく思ったところです。

 

これから活動も佳境に入り、さらに厳しい状況が待ち受けているかもしれませんが、そんな状況になればなおのこと、私に心を砕いてくださる方々の存在を思い、それを頑張る力に変えてゆきたいと思うところです。

 

すべてのみなさん、「人様」に感謝しながら、歩みを進めてまいます。

 

 

 

去る日の雨上がり、東の空に明るい兆しが。

 

 

目を凝らすと、虹のかけら?が浮かんでいました。

 

 

もうじき梅雨も明けるのでしょうか。いよいよ暑く(熱く)なりそうです。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後援会事務所の「顔」設置

2019-07-23 | 日記

 

7/22 Mon.

 

参議院議員選挙が終わり、公職選挙法による「全ての後援会活動の禁止」の規制が解かれ「レース再開」となったこの日、後援会の有志の方々があい寄り 後援会事務所の看板の設置作業を行なってくださいました。

 

 

後援会事務所は、私や みなさんの活動の「要(かなめ)」として設置されるところです。今回、遅ればせながらの出馬決意となり、また取り巻く環境も非常に厳しいことから 事務所設置については難航を重ねたところでしたが、みなさんのご厚意により 地区内の「へそ」ともいえる適地に陣を構えることができることになりました。

 

もともと食堂だったところを居抜きでお借りしたもので、内部は既に清掃・整備を済ませており、この日は外観整備の一環として スローガンなどの看板を設置していただきました。

 

役員の方々には、私が預かり知らない経験値があるそうで、電ノコなどの道具を駆使し 作業を進めてくださいます。

その手際の良さには感心させられるばかりです。

 

 

風で看板が飛ばされないよう、木のやぐらを組んで長い木ねじを揉み込み、シッカリと固定。

 

 

足元は、金属製のアングルを加工した基礎をジョイントし、何でも コンクリート部分に埋設する特殊な固定ボルトがあるそうで、それを打ち込んだうえで やはりシッカリと固定します。

近隣には中学校があり、事務所の前を生徒が通学のため行き来するので 安全対策には万全を期していただきました。

 

 

公選法で、法定看板以外の個人名の表記は禁止されているため その部分は然るべき日まで覆(おお)いをかぶせ、ほどなくして「後援会事務所らしい外観」を設(しつら)えていただきました。

 

 

ゼロから、いやマイナスからのスタートと言える 私の後援会活動、取り巻く環境は非常に厳しい状況となっていますが、多くのみなさんのご厚情を糧に、また この日、後援会事務所の「顔」を設置していただいたことを契機にして、さらに頑張る決意を新たにいたしたところです。

 

なお、後援会事務所の場所は、川中島中学校斜向かいの「旧 天かつ食堂」です。

 

よろしくお願い申し上げます。

 

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レース再開

2019-07-22 | 日記

7/21 Sun.

 

参議院議員選挙が終わり、選挙結果が示されました。

当選者の方々におかれては、これからの任期の間、国民=県民=市民のためにシッカリと責務を果たしていただきたいと期待を寄せるところであります。

 

ただ、今回の参院選の投票率(選挙区)は、全国平均で48・80%の「半数割れ」に止まったこと、また長野県区でも54.29%の「過去最低を更新」したことが報じられ、残念に尽きませんでした。全国平均の半数割れは、政史上24年ぶりの不名誉な記録で、前回2016年参院選の54・70%を さらに6ポイント下回ったとのことです。

当時者たちの盛り上がりに対し、約半数もの有権者が「冷ややかな態度」を取ったとも申せ、この「選挙結果」もまた、真摯に受け止めるべきと思うところです。

従前も触れましたが、投票率の低下は 選挙に行かない有権者の責任というよりも「その気にさせなかった」当事者側の責任が大きいと言えると思います。

日々諸事あり、政治には関心が高まっているハズなのに選挙には行かない。私も含め、大なり小なり選挙=政治事(ごと)に関わる者たちは、こんな「有権者心理」にも思いを巡らせ、反省と自戒をもちながら これからの活動に向き合うべきと強く認識するところです。

 

私とすれば、長野県区の議員諸氏には 立法府の代表者として永田町で実力を発揮してもらうと同時に「地元」にも目を向けていただき、あくまで我田引水的な「わがまま発想」とは異(こと)にした中で、長野県発展のためにも力を尽くしてもらいたいと思うところです。

長野県やそれを構成する77市町村には課題が遍在し、それは国の制度や規制に影響される部分も多いことから、あるときは調整弁 またあるときは橋渡しとして機能してもらいたいと期待を寄せるところです。

 

 

さあ、参院選が終わりました。

今年は「選挙イヤー」長野県(長野市)においては、9月に長野市議会議員選挙が予定されています。参院選期間中は活動停止を余儀なくされていた後援会活動ですが、22日をもって「解禁」となります。何というか イエローフラッグによってピットインを強いられていた各車に再びゴーサインが出され、一斉にコースに戻るが如くの「レース再開」とでも申しましょうか。

 

 

私自身、多くの方々の声に応え 活動を再開しているところでありますが、自ら招いた環境は厳しいばかりの状況であります。

しかしながら、こんな私でも応援してくださる方々がいらっしゃる以上は、みなさんの「思い」を糧に支えにし、最後まで走り抜いてゆく決意を新たにいたすところです。

 

 

 

去る日、打合せのためにN幹事長さんのお宅に足を運ぶと、あいにく留守でした。

と、庭先から視線を感じます。

 

 

目を凝らしてみると・・・いたいた、Nさんちのニャンです。

 

 

「じいちゃんは居ないよ。」と、目で伝えてくれている風でした。

 

「これからも ちょくちょく来るからヨロシクね。」と「留守番さん」に言葉をかけて辞したのでした。

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公選法の「自己矛盾」

2019-07-21 | 日記

7/20 Sat.

 

この日で、参議院議員選挙の選挙活動が終了することとなり、各陣営は 21日の投開票の結果を受け入れることになります。

 

さまざまな視点や さまざまな価値観で論戦が展開されました。

私を含め 有権者ひとりひとりが、それぞれに付託された投票権を それぞれの考えに基づいて投票してくださることを期待するところであります。

 

 

ところで、この日の信濃毎日新聞の記事に、現下の公職選挙法の下(もと)では 重度の身体障がい者の方々にとって「投票しづらい状況」にあることが報じられ、公選法の「自己矛盾」を実感させられました。

 

記事によると、重度の身体障がいを患(わずら)っている方々にとっては、投票に行くにしても困難、また病院などの施設に入所する方々にとっても、その施設が そこに居ながら投票できる「指定施設」の指定を受けているかどうかなどの制約があり「投票したくても しづらい」状況にあると伝えられていました。

公選法には、代理の方による「代筆」で投票できる制度もありますが、これは「上肢1級」の最も重い方に限られており、その狭間にいる方々は 一般市民と同じ投票行動を余儀なくされ、結果 投票に「行きにくい」状態になってしまっているそうです。

 

投票率の低下を憂い、一人でも多くの有権者に投票を促しておきながら、政治に関心をもって投票に臨まんとする方々に対する「敷居」は高いまま・・・これは 公選法の「自己矛盾」と言えるのではないでしょうか。

 

選挙中は「さまざまな方々の声に耳を傾けます!」「みなさんの「声」を政治に反映させてまいります!」と声高に叫びながら、その実(じつ)には 投票行動を妨げるかの 公選法の「自己矛盾」がある。

 

これら障がい者の方々を取り巻く問題をはじめ、今後 超高齢化社会が伸張する中、投票「しづらい」有権者の増加が懸念されます。

最近では 候補者側において、選挙活動にSNSによる情報発信が認められるようになったことなどを踏まえ、有権者側も、例えばインターネットなどを通じて合法的に投票できるようにでもなれば、わざわざ投票所まで苦労して行かなくても、または「代筆」を頼まなくても「一票の公使」は可能でしょう(ただ「成りすまし」などの温床になることも懸念されるところですが)

 

いずれにしても私自身、今後の活動の中で この「投票に関する諸問題」を心に留め、(地方自治体の範疇(はんちゅう)では限界がありますが)すべての有権者が「権利」を行使できる=名実共に 全てのみなさんの「声」が反映される政治(行政)の実現に向け 力を尽くしてゆきたいと、改めて思いをいたしたところです。

 

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一員として

2019-07-20 | 日記

7/19 Fri.

 

とある日に伺ったお宅、玄関先は整然と花の鉢が並び、草(雑草)ひとつ無い綺麗さです。チャイムを鳴らすと やや時間があった後に「は~い。」と返事が。

その後、さらに時間をおいて 奥からおばあちゃんが玄関まで出てきてくださいました。

ひと亘(わた)りのご挨拶をすると、くだんのおばあちゃん「よく来てくんなすった。オレ(と自分を指して)は ただここに居るだけだから、アンタが来たことは若い衆に伝えておくよ。」と言ってくださいました。

そのお宅の玄関の下駄箱の上に電話機があったのですが、それが瀟洒(しょうしゃ)な絣(かすり)の布の「カバー」がかけられており、思わず目に留まり「これは?」と尋ねると、くだんのおばあちゃん「ああ、これ?じいちゃんの浴衣をほどいて布にしただけだ。あんた 変なトコみるね。」と笑って応じてくださいました。

帰り際に 玄関先の綺麗ぶりを褒めると、おばあちゃんは また口ぐせのように「オレはただ居るだけだから。」と繰り返し「頑張んなよ。」と笑顔で見送ってくださったのでした。

 

「ただ居るだけ。」と言ってたおばあちゃんでしたが、このお宅の中で「おばあちゃんの存在」は おそらく欠かせないものとなっていることを感じ取りました。

この家の清廉さや いわゆる美化は「ただ居るだけ」のおばあちゃんの手によって守られており、働きに出ている「若い衆」も、おそらく感謝の念を抱いていることと思います。

 

 

家庭という「最小単位の社会」の中で、その一員として暮らすおばあちゃんの、多くは語らない中での「存在感」を見せていただきました。

おばあちゃんの笑顔に接し、私も含め 地域社会を構成する者は、何らかの形で「存在」していることが再認識でき、何というか(やや大げさですが)「生きている勇気」のようなものをいただいた感 だったのでした。

 

 

 

 

とある別の日、伺ったお宅は留守で「ポストは・・・?」と目を走らせると。

 

 

 

「あった あった!」

 

 

植え込みの中に、ちっちゃなポストが。

 

 

でも、ちょっと 小さすぎるかな(笑)

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

施策責任

2019-07-19 | 日記

7/18 Thu.

 

京都で 重大な放火事件が発生しました。

ただただ無垢に、アニメ制作に取り組んでいた 多くの有為な社員の方々が、それぞれの人生の中で およそ想定に無い「放火」という鬼畜の業に遭ってしまったことは、憤りを通り越して悲しみを覚えるところです。

被害に遭われた方々に 心からお悔やみとお見舞いを申し上げると同時に、昨今頻発する 過激とも言える事件・事案を耳にするにつけ、社会の中に広がる「闇」のようなものの存在を再認識し、同じ列島に暮らす者として どうにかして最悪の被害だけは未然に防ぐことができないか、私自身、単なる傍観者にならず 心を痛め 心を砕く存在になってゆきたいと思ったところです。

 

 

 

去る日 伺ったお宅の玄関先で、思わぬ「野球談義」となりました。

話題は、15日に 篠ノ井のオリンピックスタジアムで行われた「ヤクルトvs巨人戦」でした。

と、言っても 交わした会話は、延長戦を制したジャイアンツの奮闘ぶりを回顧するような中身では無く「周辺の渋滞問題」でした。

家人の方は、野菜を育てる農業従事者で、この日 近所のスーパーから急ぎの電話があり、夕方の買い物タイムに間に合わせるよう 野菜の納品の依頼を受け、急ぎ収穫して届けようと軽トラで家を出たそうです。

ところが、普段だと10分程度で着く経路が思わぬ渋滞となっており、結局約束の時間を大幅に遅れてしまったとのこと。

で、その原因が かかるプロ野球の「観戦・送迎渋滞」だったそうです。

家人曰(いわ)く、この「渋滞問題」は一度や二度ではないとのこと「篠ノ井に人を呼び込むのはイイんだけど、駐車場のキャパがないのにイベントばっか開いて、そんなもの渋滞するに決まってんだろ。」とのお怒りの表情に、あの「施設群」の抱える恒常的な問題を再認識したものでした。

 

南長野運動公園は、長野市南部のスポーツの拠点として整備され、現在に至っています。

 

 

長野冬季五輪大会の開閉会式会場ともなった、3万人収容の「長野オリンピックスタジアム(球場)」を初め、

 

 

全天候型16面を有するテニスコート、

 

 

フットサルなどの屋内競技が楽しめるプール付き体育館、

 

 

そして、2015年に供用を開始した、15,000人収容の「Uスタジアム」があります。

 

 

この他にも、屋内外に4面あるゲートボール場や遊歩道コースなど、まさに長野市南部のスポーツの拠点にふさわしい施設群があり、今回のプロ野球をはじめ、サッカーのJリーグ公式戦など多くのスポーツ観戦イベントが開催されているのです。

 

 

しかしながら・・・これだけの施設群に多くの観衆を呑(の)み込むキャパシティがありながら、南長野運動公園の駐車場台数は、乗用車で8百数十台・バスで20数台しかなく、大きなイベントがあればスグに満車になってしまうのは当然の成り行き、それが、前述の農業者の方のように、イベントに直接関係ない人まで巻き込んでの渋滞の要因になっているのです。

 

このことについては、議会にも応分の責任があります。

私が記憶するに、Uスタジアム建設の際 かかる駐車場問題は質疑の対象になりましたが、サッカーと野球の同時開催は避ける、とか、シャトルバスを運行して公園内の駐車台数を抑えるなどの説明を受け、最終的には議会で承認したのですから「一蓮托生」のそしりは免れないところです。

ところが、イザ幕を開けてみれば ご案内のような渋滞状況、私も当時 議決に参加したものとして、責任の一端を 今さらながら痛感しています。

 

公的施設を整備する際には、それに見合った数の駐車場を確保しなければならない。これはいわば「施策責任」と申せ、かかる南長野運動公園に関しては、その「施策責任」を果たしていないと言わざるを得ないでしょう。

その(駐車場不足の)ために渋滞に巻き込まれたとすれば、前述の市民の方などはあらぬとばっちりを受けたことになり、また観戦者の方々においても、家を出てから帰宅までをイベントの一環と捉えたとき、せっかくの試合観戦を渋滞のおかげに多くの時間を割かれたとすれば、イベントの興奮も冷めてしまうと言われかねません。

 

この駐車場問題については、当該エリアの地目(ちもく/農業振興地域)などの規制もあり、一朝一夕に答えの出せるところではありませんが、せめて私は、かかる「施策責任」を改めて心に留め、その施設によってどのような影響が市民に及ぶのか、まで掘り下げて考え、マイナス影響をできるだけ抑える努力を重ねてゆきたいと改めて思いをいたしました。

 

あまりにアンバランスな施設群vs駐車場の問題、公共施設における大きな課題と位置づけ、折りに触れて検証してまいる所存です。

 

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Turning Point

2019-07-18 | 日記

7/17 Wed.

 

この日、私に対する支援の再開を表明してくれたMくんのブレーンのKサン(なぜMくんは「くん」で、Kサンは「(カタカナのサン)」なのか自分でも判りませんが、私的にそういう呼称になっています)が、わざわざお住まいの小諸市から足を運んでくださり、誠に当を得たアドバイスを残してくれました。

くだんのKサン、Mくんとは旧知の仲・以心伝心の仲で、Mくん曰く「Kサンはオレの通訳のような存在」と言い切るほど、深い意思疎通のうえで「言いたいこと」を伝えてくださいます。おそらくは「痒(かゆ)いところに手の届く存在」なのでしょう。

 

そんなKサン、私の顔を見るなり「吹っ切れてないね。」と言い放ちます。

図星でした。

私自身、過去に犯した過ちを強く反省しつつも、その「過去の事実」にこだわるあまり、自らの所作にメリハリをつけ切れないでおり、何より(指摘いただいたように)表情そのものが、不安というか ある種「自己不信」のようなものが滲(にじ)み出ていたものでした。

「そんなんじゃあウマくいくハズがない。」とKサンは一刀両断です。

曰く「クラちゃんの「してしまったこと」は、既に誰もが知っているところで、隠しようもない事実。そのうえで、また(市議選に)出るというのならば、その既成事実を踏まえたうえで 何ができるかを考え、覚悟し、そして それを「発信」してゆかなきゃ。

世間のみんなは、あんなことをしでかした倉野が、その「経験」を踏まえて「どのように変わったのか」「どのような覚悟をもって今後に臨んでいるのか」を注目しているに違いないのに、そんな、今の中途半端な心理状態をそのまま映したような浮かないカオをしていたら、信任はとても得られないゼ。

あと、せっかく再開した「クラちゃんブログ」も、せっかく不特定多数の方々に クラちゃんのことを見知ってもらえる機会なのに、現役時代のままの「相変わらずの記事」のままでは「一体 何がしたいんだ」「クラちゃんはどう考えているんだ」の「肝心な部分」が伝わらないと思う。時候のニュースもいいけれど、じゃあ それについて、自分としてどう思うのか、それを市政なり自分のフィールドにどう反映してゆきたい、などの「倉野としての結論」が無いことには、ただの週刊誌と同じになってしまうゼ。」と、私の目をまっすぐに見て、率直に指摘してくれたのでした。

 

最後にKサンは「今のクラちゃんに必要なのは、イイ意味での「開き直り」だと思う。過去のことを「無かったこと」として裏に隠すのではなく、それらを「事実」として 敢えて全面に出したうえで「吹っ切る」その「心のリセット」をしたうえで活動を深めるってもんじゃないの。」と激励してくれたのでした。

 

この日のMくんとKサンとのやり取りは、何というか バンジージャンプで飛ぶに飛べないでいるところを、敢えて背中を押して飛び出させてもらったかの、まさに「踏ん切り」をつけてくれたひとときでした。

 

私自身、この日のアドバイスを力(ちから)に変えて、この日を「Turning Point」にしてゆきたい、と心にいたしたところです。

 

併せて「アドバイス」の有り難さ、自分で見ていなかった、イヤ見ようとしていなかった自分の姿を投影してもらい、感謝の念しきりでした。

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする