10/28 Mon.
この日は 朝イチで登庁し、階段を上りながら災害対策本部に向かうH副市長を捕まえて(というと人聞きが悪いですが)歩みを共にしながらの〝歩行会議〟。さまざまな案件について会話を交わし、後日 改めて、ということで別れました。
その直後、やはり階段でK市長とバッタリ。市長は何とTシャツ姿で市長室に向かうところで、互いに激励し合う形で どちらともなく「よろしくお願いします!」と交わしました。市長は まさに分刻みで動いておられることから、とりあえず 案件について副市長と打合せをしていることを伝え、今後も連絡を取り合うことで 握手をして別れました。
おそらく、早朝会議から活動服に着替える暇(いとま)も無く館内移動されていたと拝察するところですが、非常に元気な振る舞いで「こんなときこそ大将は元気な姿で!」と自らを鼓舞する姿勢が見て取れました。
いずれにしても 長野市行政の先陣を司るご両名におかれては、降ってわいた課題山積の中 有為な活動に徹せられることを期待するばかりです。
その後 議員控室で若干の用務をこなしていると、篠ノ井西寺尾地区のYさんから電話が入りました。
訊けば、今回の台風19号で 千曲川河川敷の「堤外農地(ていがいのうち)」に大きな被害が出ており、農地と そこへ通じる農道が壊滅的な被害をうけている。そして その復旧、というよりも〝残骸処理〟のために、取りあえず農道を再整備したいので調査に来てほしいとのことです。
その声は かなり切迫した様子。私は今日、先日の災害ボランティアで再参加の約束をしてきたことから、それを終えた後に伺うことを伝えて 電話を終えました。
そして私は、Yさんに伴なわれ〝非情な現場〟を目にすることになるのでした。この模様は後日レポートします。
この日は、久々の快晴となりました。
思い起こしてみれば、今月来 本当に晴れ間の少ない日が多いことを実感させられます。空を見上げれば 多くの日が曇天か雨模様、あげくの結果が 未曾有の大雨による大災害・・・お天道サマの気まぐれに左右される私たちの社会生活ですが、この日のボランティア活動は「季節の営みに横やりを入れられた」かの この時期での災害発生を恨めしく思うような作業となったのでした。
昨日に倣(なら)って 北部災害ボランティアセンターに行くと、この日は 特養「りんごの郷」にあるサテライトへ行くよう指示を受けました。
特養「りんごの郷」は、堤防が決壊した穂保地区のやや南にあり、今回の台風において浸水被害を受け、休館を余儀なくされています。その間、少しでも地域のお役に立てれば と、駐車場スペースをボランティアの拠点に解放してくださっているそうです。
こちらのサテライトは、豊野と長沼エリアの全体を見渡す役割を担っており、こちらから 各エリアに人材を派遣し、均衡有る復旧活動支援を行なっています。
この日 私は、豊野エリア南部のサテライト行きを命じられ 直行しました。
豊野エリアは、穂保から決壊した千曲川の水と、水門の閉門によって生じた浅川の内水氾濫の〝ダブルパンチ〟により、町全体が水害に遭う状況になってしまっています。それゆえに、ボランティアの派遣依頼が数多く寄せられているとのこと。伺ったサテライトのマップには、殆どの家庭からボランティアの派遣要請が寄せられており、スタッフのみなさんがやり繰りに苦心しておられました。
私は、居合わせた大学生グループと一緒に 近隣の、道路に面した 住宅兼工場を訪ね、コーデネーター曰く「家人の方が困っている」というモノを除去することに。
私たち到着すると、家人の方が出てきて、困り顔で敷地の一角にある漂流物の除去を依頼され、さっそく学生諸君が軽トラの荷台に積み込んでゆきます。
その漂流物は、大量の「藁(わら)」でした。で、その中にはたわわに実った稲穂があり、それらがこちらの宅前に張り付くように流着していたのでした。
これは、どうやら 台風発生の前に稲刈りを済ませて櫨(はぜ)掛けを終え、いずれ脱穀をして 美味しい新米として食卓に載せるハズの米(稲)が、さきの台風による浸水や堤防決壊による河川水の流入に伴い一気に流され、それが漂流物となり あらぬ方に流れ着き、秋の実りが一転、災害のやっかいものになってしまったものと思われます。
こちらのお宅の道路向かいには、過去の水害の水位を示す標柱が立っていましたが、その標柱にも 流された稲穂が引っかかっているのが見られました。
後で調べれば、この稲穂が引っかかっていたのは、西暦1910年に発生した洪水の記録標のようで、半世紀以上を経て再び大きな水害に見舞われたことになります。
水害を記録する標柱に、秋の実りの象徴たる稲穂の漂着・・・何だか自然の猛威をこんな形で見せつけられたよう、何ともいえない 悔しさのような複雑な心境にさせられたものでした。
そんな状況の中でしたが、私たち〝にわか除去チーム〟は、力を合わせて堆積した稲穂や稲クズの除去に当たりました。
この学生チームは、リーダーくんを中心に 非常に統制が取れています。訊けば、大学では児童保育を学ぶゼミ仲間だそうで、この経験を活かして イイ保育士さんになってほしいと期待を心にいたしたものでした。
わが除去チームは、一路 このエリアの被災ゴミ集積所へ。
着いてみれば、そこは「長沼公園」です。
本来、家族連れや幼児たちが遊びに来るはずのスペースが被災ゴミ置き場に。万やむを得ないとは申せ、残念このうえない光景でありました。
遊歩道ならぬ〝ゴミ通路〟を通って可燃ゴミ置き場へ。ここのエリアにも大量の被災ゴミが発生しています。
積んできた稲わらを投棄しました。都合 軽トラ2台で3回程の作業となりましたが、これで一反(いったん)ほどの稲なのでしょうか。かえす返すも残念でなりません。
やがて時間となり この日のミッションは終了。休日を割いてボランティア参加を果たしてくれた若者たちに心から敬意を表し「また、いつか どこかで!」と手を振って別れました。
作業は厳しく、秋の実りを不測の自然災害に奪われた悔しさが残るものでしたが、将来有為な若者たちの気心に触れることができ、そういう面では充実感を得ることができたひとときだったのでした。
私は その足で、午前中に電話を受けた 西寺尾地区の堤外農地の調査に向かいました。
陽も西に傾きかけた南方には、関崎橋が見えます。
空は青空、一見すると秋の風情でありましたが。しかし その橋下の河原には、累々と泥流の痕跡が広がっていたのでした。