さきの29日、個人の立場で 地域(県内)の公園について広く情報発信をされている人が 長野市に対し、行政が発信する情報が必ずしも市民ニーズに合っていないこと、そして 市民が探そうとする(検索しようとする)情報が、必ずしもスムーズに(市民の手に)届いていないこと(実態)が伝えられ、一同は「目からウロコが落ちる」かの指摘をいただいたのでした。
話しのキッカケは、公私共にお世話になるMさんからの一本の電話。
「ねえクラちゃん、私の孫娘の知人(Aさん)が インスタグラムで「公園情報」を発信しているそうなんだけど、その人曰(いわ)く「長野市がホームページを通じて発信している公園の情報が、公園を利用する子育てママさんのニーズに応えていない内容で〝使えない〟」とのことなの。この際は ぜひ改善してほしいとのことなので、対応してあげてくれない? 」とのことでありました。
いずれにしても行政事務に関することなので、Aさんには市役所へご足労いただき そこに所管課職員を呼んでお話しを聞かせていただくこととしました。
その際 当初は、公園を所管する公園緑地課だけを呼んでお話しを伺うこととしていましたが「市の情報発信にも課題アリ」とのAさんのご意見に鑑み、当日になって ホームページを所管する広報広聴課にも急きょ同席したもらったところ、そのひらめきが当たってくれ、総体的な面で有意義な意見交換の場となったのでした。
前掲のMさんのお話しのとおり、件(くだん)のAさんは インスタグラムを通じて、広く県内の公園に関する情報発信を重ねておられます。
タイトルは「nagano_park(ながのぱーく・公園と長野県が大好き)」で、4,000人をゆうに超えるフォロワー登録がある人気のインスタです。
で、フォロワーのほぼ100%が「子育て中のママ」であることも特徴となっていいるそうです。
Aさんは 県内にあるさまざまな公園に足を運んでは、それぞれの公園の場所や特徴・また遊具やトイレの情報などを〝利用者目線〟でレポートし、そこを利用する人(この場合は子育てママ)にとって有効な情報を発信しておられるそうです。
そして フォロワーである子育てママさんたちは、行きたい公園があれば このインスタを検索したうえで必要な情報を入手し、いわゆる予備知識をもったうえで遊びに行くことができているとのことなのです。
何というか、公園に行きたい子育てママさんにとって「痒(かゆ)いところに手が届く」ような有為な情報となっているそうです。
「nagano_park(ながのぱーく・公園と長野県が大好き)」インスタグラム
↓
https://www.instagram.com/nagano_park/
そんな、市民ニーズに応えたインスタを展開する Aさんからの長野市ホームページの評価は…
残念ながら「分かりにくいことこの上なく、欲しい情報が届かない」との 厳しい…というより「困ってます」との切実な声だったのでした。
Aさんを初め 多くの子育てママさんたちは、長野市のホームページ(HP)が発信する公園情報に対し 何とも言えないストレスを抱えておられるそうです。
特にAさんは、例えば長野市に嫁(とつ)ぐなどして 初めて長野市で暮らすようになって子宝に恵まれ、そんな中で(子育てに)孤軍奮闘するうちに公園情報が必要になった人が長野市HPを検索したらどう思うか…との まさに当事者目線に立ってモノ申しておられたのでした。
その前提に立っての子育てママさんたちのストレス。
それらを 私が聞いた限りで(ストレスを)列挙すると 下記のようになります。
先ず 長野市HPのトップページ。
子育て奮闘中のママさんにとって「公園」は 子育てに重要なステージであることから、公園に関して調べたいとき 先ずは「子育て」のバナーから入る傾向にあるそうです。
ところが…
子育てママのニーズで 子育て > 公園 との〝ママの感性〟でクリックしても、そこには「公園」は存在せず、相談事業や給付などの支援策のみにつながるだけとなっています。
これはなぜか。
このサイト(子育て)が、所管(こども未来部)の情報のみに止(とど)まっているから。
公園のことは、ここ(子育て)では受け持っておらず、それ(公園)を知りたい人は そっち(都市整備部)が所管するサイトに行ってください ということになっています。
長野市HP自体が〝縦割り行政〟の域を出ていないことを示しているのです。
それでは と、長野市HPのキーワード検索で「公園」と入力してみると…。
検索結果には、市内の個別の公園の件がバラバラに列挙されており、初見の人にとっては 何がなんだか分からない情報が並んでいるだけなのです。
何とめんどくざいことに、長野市にある一定規模以上の公園をキーワード検索しようとしたときには「都市公園」で検索しないと到達しないのです。
初見の子育てママが「都市公園」なる行政用語を直ちに思いつくかどうか…懐疑的このうえないところです。(ホームページにはさまざまな〝窓〟があり、別の窓から入れるところですが、こと このキーワード検索においては この現状)
「都市公園」で検索すると、その何個目かの項目に「長野市内の都市公園」がようやく登場します。
ところが その先が また微妙に分かりにくい内容となっており、Aさん曰(いわ)くの「子育てママのニーズに合っていない」ものだったのでした。
「長野市内の都市公園」をクリックすると、そこには 市内の地区名が添えられた公園のバナーが多数に亘って並んでいます。
この掲載の仕方については われわれ長野市民は、何の疑問も無く許容するところですが、Aさんのいう「初めて長野市で暮らす人」にとっては 困惑させられる掲載じゃないか、と。
曰(いわ)く「長野市に初めて住んだばかりなのに「○△地区の公園」と言われても、そこがどこだか分からない」とのこと。
中には、笑えない笑い話しとして「大豆島」を「だいずじまってどこ?」と真顔で聞かれた事例もあったそうです。
この〝情報の列挙〟は、行政的情報伝達の最たるもの。
「整理はされていても分かりにくい」の典型との指摘であります。
そうは言っても検索を進め、例えば「川中島地区の公園」をクリックすると、それぞれ公園が一覧表で紹介されていますが、これとて 行政情報の域を出ていないとの指摘。
しかもこの一覧表、スマホ対応になっておらず いちいち横にスライドさせないと全容が把握されないようになっており、これが非常にストレスとのこと。
さらに、住所・所在地の次に「面積」が掲載されていますが、これって筆頭にもってくる情報なのか?市民(特に子育てママ)にとっては、備考程度の情報じゃないかとのこと。
行政にとっての序列じゃなく、市民ニーズを考えて情報提示してほしいとのことでした。ごもっともな指摘です。
また、その先をクリックすると(例えば御厨公園)、そこにはグランド部分が大きく掲載されており、アイキャッチ(視覚)に訴える情報としては あまりに物足りないものになっています。
ただ だだっ広いグランド部分を載せるだけじゃなく、現に遊具がある(それも更新したばかり)のに、その(遊具の)全体像を載せるとかしないと、市民(子育てママ)にとって魅力ある公園に映らないのではないかとの指摘でありました。
これだけの事例を挙げても、長野市のHPが 特定の目的を持つ市民のニーズに応え切れていないことが分かります。
そのうえで Aさんは更(さら)に、市民が目的をもって検索しても 載っている情報がバラバラで分かりにくいとの声が多いと指摘されていました。
これを公園に特化すると、例えば 子どもに人気の「フワフワドーム」が どの公園にあるかを検索したくても、個別に公園を検索して それ(フワフワドーム)があるかを調べなければならず、これがもし 公園のサイトに「フワフワドーム」がキーワードとしてあれば、ワンストップで検索できるのに…という指摘が多くあるそうです。
また、長野市(北国)ならではの特徴「トイレの冬季閉鎖」の情報についても指摘が。
「私たちは、別にトイレの冬季利用を求めているのではありません。(冬季に)使えないのなら、その情報を掲載しておいてもらいたいのです。」とのことでありました。
例えば トイレトレーニングの子を持つ最中(さなか)のママさんにとって〝トイレ情報〟は非常に大切で、使えると思って行ったトイレが閉鎖されていると 子どもが間に合わない事態にもなり、誤情報や無情報は非常に困る とのことです。
ちなみに 長野市は、今年の2月に ホームページをリニューアルしたばかりなのです。
より使いやすく分かりやすい情報媒体となれるよう、創意工夫を重ねてきたところでありました。
しかし 実際には。
公園という個情報に限ってみても、これほどの「使いにくさ」が指摘されるに至っています。
このこと(課題)は、何も公園に関してだけではないでしょう。
市とすれば、使いやすさを求めて改善したハズのホームページが、市民目線で しかも特定の価値観(目的)を持った人が検索すると、いつの間にか〝迷路〟に入り込んでしまうものであるとすれば、それは結果として評価されないモノになってしまいます。
そのうえで 今回の公園情報については、先ずは所管課が 情報内容の精査と掲載方法(ジャンル分けなど)に工夫することが求められたほか、それを市民ニーズに即して横断的に掲載する広聴広報課の裁量が求められるところであります。
「自治体のホームページは、行政情報であるが行政情報にあらず。それは「生活情報」でなければならない。」
改めて 情報発信の難しさを実感すると同時に、当事者感覚が いかに的を得ているかを再認識し、そのうえで 行政職員はもとよりわれわれ議会関係者においても、その視点に立って課題に対峙しなければ 真の成果につながらないことを知らされた、貴重な学びの時間でありました。