倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

JR川中島駅前に 今年もイルミネーション点灯 ~慈(いつく)しみの心で~

2021-11-30 | 日記

早いもので 時節は11月の末となり、今年も JR川中島駅前に「イルミネーション」が点灯されました。

 

 

 

こちらのイルミネーションは、まちに冬の到来を告げる いわば季節の風物詩となっているところですが、無論 これ(イルミネーション)は自然に出来上がるものではなく、地域の多くの方々のご協力によって設(しつら)えられているものです。

 

去る日曜日、駅前にお住まいの「本町区(もとまちく)」の住民からなる「本町区愛好会」の方々が手弁当で集まり 協力し合って電飾の設置作業を行ないました。

 

 

 

こちらの駅前広場には 立柱から成るモニュメントが建っており、イルミネーションは その造作(ぞうさく)を活用して設置されています。

 

 

 

モニュメントの中心に支柱を立て、その頂点を要(かなめ)として ピラミッド状に電飾の手綱が裾広に設置されてゆきます。

 

 

 

愛好会のメンバーさんらは 今や阿吽の呼吸で作業を行なわれており、てんでに気を回しては設営作業に励んでおられました。

 

 

 

肝心なところは リーダー格のNさんが指示を飛ばし、迅速かつ安全のうちに作業が進められました。

 

 

 

 

コロナ禍の影響等に伴い地域コミュニティーが滞(とどこお)る傾向にある中、こちらの本町区においては、例えば このイルミネーション設置作業を通じるなどしてコミュニティーの維持が図られています。

 

 

 

メンバーの一人ひとりが地域に愛着を抱いておられ、その気持ちが重なり合って それが「形」としてイルミネーションに体現されています。

そして そのイルミネーションの放つ光が、駅前を通る人々の心を癒やす原動力となる。

 

「I ❤ MOTOMACHI」の電飾ロゴ

 

 

そして かかるイルミネーション設置作業は、本町区の住民相互の「慈(いつく)しみの心」の醸成の機会ともなっています。

作業でカオを合わせた際には 互いの健康を気遣い、何かあったときには励ましと慰めの言葉をかけ合う…単なる作業の枠を越えた 大切なコミュニケーションの場ともなっているのでした。

 

 

 

これから年末年始の間、ブルーライトの鮮やかな電飾が JR川中島駅前を明るく照らしてくれます。

 

 

 

みなさんも 冬の夕暮れにJR川中島駅前に足を運んでみてください。

モニュメントの真ん中に鎮座した 輝くキティちゃんが出迎えてくれますヨ。

 

 


コロナ 新たな変異株「オミクロン株」発生

2021-11-29 | 日記

日本国内における新型コロナウイルスの「第5波」が収束に向かい、ようやくの形で社会経済活動が再開の流れとなり始めた矢先…今度は 南アフリカに由来する新たな変異ウィルス「オミクロン株」の発生が取りざたされる事態となっていることが報じられており、懸念の意を新たにさせられるところであります。

これ(オミクロン株)について、日本国立感染症研究所は「懸念すべき変異株」に指定、警戒度を最も高いレベルに引き上げたとのことです

 

「オミクロン株」は 南アフリカが2021年11月24日に初めて世界保健機関(WHO)に報告した新型コロナウイルスの変異株です。

WHOは、これまで報告されている アルファ株・べータ株・ガンマ株・デルタ株に続く5番目の「懸念される変異株(VOC)」に指定しました。

これまで、南アフリカの他 英国・ドイツ・イタリア・ベルギー・オランダ・デンマーク・イスラエル・ボツワナ・香港・オーストラリアで確認されているとのこと。

 

 

 

この新たな変異株の特徴は、人の細胞に侵入する際の足掛かりとなる表面の突起(スパイク)の変異が際立って多いのが特徴だそうで、その数 実に30ヶ所。

現在 世界で猛威を振るう「デルタ株」の変異は8ヶ所なので、それに比べてもケタ違いに(スパイクが)多く 感染力が強くなっていると共に、ワクチンや抗体薬が効きにくくなる可能性が指摘されています。

 

 

 

さらに 海外の事例として、南アフリカから帰国した人が宿泊療養施設で待機していたところ、直接の接触が無いのに(ホテルの)向かいの部屋に泊まっていた人に感染したことから、これまで飛沫感染や接触による感染のみだった状況が 「オミクロン株」では ついに「空気感染」の可能性もささやかれるようになり、これまで以上の感染力の強さが指摘されています。

 

 

 

ここへきて 降って沸いたが如く出現した「オミクロン株」この〝新たな難敵〟からの被害を食い止めるためにはどうしたら良いか。

今のところ、海外での発生事例しか報告がないことから、ここはやはり「水際対策」が非常に重要と言えるところでしょう。

海外から 人体を介して侵入しようとする新たな変異株、島国である日本において(ウィルス侵入を)食い止めるには それ(オミクロン株)を媒介する「人」の入国を制限することが唯一無二の対策と言っても過言ではありません。

 

このことについて政府は 水際対策の強化措置として、全世界を対象に外国人の入国を禁止すると発表しました。期間は他の措置と合わせて「当面1ヶ月」とし、日本人の帰国者らに指定施設での待機を求める対象国は ドイツなど14ヶ所の国・地域とするとのことです。

また 1日当たりの入国者数の制限は、さきに 従来の3,500人から5千人程度に緩和したばかりでしたが、再び3,500人に引き下げ、日本人の帰国者が自宅などで待機する期間は ワクチン接種が済んでいても14日間とするとのことであります。

 

わが国のコロナ対策(水際対応)については、最初の中国からの入国制限の際の〝脇の甘さ〟に起因し ズルズルと感染拡大を招いてしまった苦い経験があることから、今回の「オミクロン株」については、早いうちに強固な水際対策による〝(ウィルスを)入れない・持ち込まない〟ことの徹底が求められていることは言うまでもありません。

 

われわれ日本国民は、これまで コロナ禍の「波」を乗り越え、ようやく感染者数も下方に転じさせることを成し遂げ(始めて)まいりました。

そして ようやく目処が立ちつつある「社会経済活動の再開」が、もしここで またもやの新たな変異株の侵入を許せば、またまた「振り出し」に戻ってしまうことになり、これまでの労苦が ご破算になってしまうことが憂慮されるところです。

 

今回の「オミクロン株」発生は、世界における〝ワクチン格差〟など さまざまな課題の上にあるとも言われているところですが、いずれにしても、もうこれ以上 社会に悪しき影響が及ぼされないことを切に願い、水際作戦が功を奏することを願って止まないところであります。

折りしも わが国は、これから ウィルスが活性化する冬季を迎えることから、予断ならないこと必至であります。

 

 


長野市災害公営住宅美濃和田団地を内覧 ~住民生活の「真の復興」を~

2021-11-28 | 日記

去る日、長野市豊野町に建設された「災害公営住宅美濃和田団地」の内覧が行なわれ 足を運びました。

 

 

 

この団地は、さきの「令和元年東日本台風」で被災し、その影響で自力での住宅再建が困難となってしまった方々(世帯)に対し、その後の生活を取り戻していただくことを目的に建設(整備)されたものです。

公募型プロポーザル方式(買取型)で整備(買取価格:16億9,664万円)され、全73戸と「みんなの家(集会所)」等を備えています。

 

 

 

場所は、さきの災害で大規模に被災し 解体撤去された「(旧)美濃和田団地」の跡地に整備されています。

 

 

 

住宅(建屋)は、道路を挟んだ2棟から成っています。

 

 

 

さきの大災害を経たうえでの公営住宅ということで、住宅設備の他 受水槽の嵩上げ・かまどベンチ・雨水貯留槽・太陽光パネル・マンホールトイレなどのさまざまな付随設備(装置)が設(しつら)えられています。

 

 

 

この団地(被災者公営住宅)では、特に「水害」に対する対応策(設備)が特筆されています。

さきの東日本台風災害においては 一段 低くなっていた場所に浸水した経過があったことから、新たな団地においては、その分を嵩上(かさあ)げし さきの災害と同程度の浸水があったとしても 床上浸水を免(まぬが)れることができるよう高さ設計されているとのこと。

 

 

 

さらに 最悪の事態をも想定し、例えば 千曲川破堤による最大の浸水が発生した際には、建物内で「垂直避難」が行なえるよう、建屋の屋上を「一次避難場所」とすることとし、そのためのスペースを確保していました。

 

 

 

 

入居いただく間取りは、1DK/24戸・2DK/33戸・2LDK/4戸・3DK/4戸となっています。

 

 

 

各部屋とも シンプルかつコンパクトな造りとなっており、いわゆる居住性重視となっていました。

 

 

 

南側の窓は日当たりも良く、明るい陽光が差し込んでいました。

 

 

 

また この団地には、入居者さんやボランティアさんらが集える「みんなの家」が設置されています。

 

 

 

共に大きな災害を被(こうむ)った者同士が、ときに交流し ときにボランティアさんを交えてさまざまな活動を行なうための拠(よりどころ)としての「みんなの家」は、入居者の方々の孤立防止などの面で有効活用されることが期待されるところです。

 

 

 

今回の被災者公営住宅の竣工により、さきの台風で被災した方々の住まいは ひととおり整備されることとなります。

が しかし、とりわけ大きな被害を受けた 千曲川破堤エリア(長沼・豊野地域)においては、これをもって〝解決〟というワケにはゆかないのが実際のところです。

特に 多くの住宅が流失した長沼地区においては、その後の住民の回帰がままならない状況にあり、そのうえで かかる被災者公営住宅が豊野エリアに建設されたことで、もともと長沼地区に住んでいた方々(自力再建困難世帯)も この住宅(豊野)に居住するを余儀なくされ、もって長沼地区の〝空洞化〟は ますます進むことになってしまいます。

このことについては「長沼地区にも被災者住宅を!」との地元要望が出され 議会でもその声に応えるべきとの意見が出されましたが、さまざまな経過を経て 最終的に同団地に住んでいただくこととなりました。

残念ながら この措置は「長沼地区で再びコミュニティーの活性化を進めます」と述べていた市の方針(前市長の公約)と矛盾することとなってしまうことから、今回「美濃和田団地」を(豊野エリアに)整備し そこに長沼地区の住民の方々にも住んでいただくことを選択した長野市が、どのように長沼地区のコミュニティーの再興を行なってゆくのか その行政手腕が問われることとなってまいりました。

 

いわんや 今回の「被災者公営住宅美濃和田団地事業」は、被災地の真の復興に向け、新たな課題を供出したことにもなることから、私たち関係者は 新たな団地ができたことで課題を満了とせず、いわば〝復興の第2ラウンド〟と捉え 真の被災地の復興に向け如何(いか)にすべきかを改めて考えるべきときを迎えたと強く認識するところであります。

 

いずれにしても 市民生活にとって「住(じゅう)」は 非常に重要な要件であることから、被災者の方々には 取りもなおさず新たな住まいで落ち着いた日常を取り戻していただくことを願うと同時に、私とすれば かかる状況の中で被災地のコミュニティーの再興(醸成)をどのように実現するか、改めて議論してまいりたいと改めて思いをいたしたところです。

 


長野市議会会派「改革ながの市民ネット」に再合流

2021-11-27 | 日記

私儀 この度、長野市議会会派「改革ながの市民ネット」に再び合流(加入)することとなりました。

と いうのも、11月半ば頃から 同会派のベテラン議員から「市長が交代することになるので、これを契機に無所属を終え 会派に戻ったらどうか」と強い秋波(しゅうは)をいただき、そのお声がけをありがたく尊重したうえで自分なりに思慮を重ね、今回の判断に至ったのです

 

顧みれば、平成19年執行の長野市議会議員選挙で2期目の改選を果たした際、当時所属していた最大会派の〝一派一強状態〟に疑問を呈した先輩議員の議会改革の思いに同調し、共に最大会派を離脱したうえで 志を同じくする同僚議員らと行動を共にし、同会派の前身となる新たな会派を設立し、諸活動を緒に就けたものです。

爾来「議会(議員)は市民のために働く存在であれ」を旨とし、議会活動に挺身いたしておりましたが、平成29年3月に あろうことか酒気帯び運転で摘発される愚行を犯し、翌日 議員辞職しました。

その際には、会派の同僚議員はもとより関係諸氏に多大なご迷惑をおかけし、何より市民の方々からの信頼を大きく失墜させることとなったことを深く反省した次第であります

その後は いち市民としてどうにか生活を送っておりましたが、令和元年執行の市議会議員選挙を前に 地域の方々から再出馬の強い要請を受け立候補を決意し、おかげさまをもちまして再選を果たさせていただきました。

再選後の自らの処遇については、ご案内の経過を辿ってここに至ったことから 会派に属するなどはおこがましいと考え、無所属を選択したところでありましたが、その後は本市が不測の大きな自然災害や新型コロナウィルス禍に見舞われるなどし、私自身 これまで無我夢中で出直しの議員活動に臨んでまいりました。

 

そのうえで、本市においては この度、市長交代という大きな節目を迎えることとなりました。

私といたしましては、前掲の経過もあることから 今期4年は無所属を通すつもりでありましたが、同会派のベテラン議員の方からも「市長交代の機(き)に際し、新市長に是々非々のうちに対峙する議会の役割が重要さを増してくることから 会派としても君(倉野)の加入を得たうえで議会の第2会派の勢力を整え、わが会派が長野市政において影響力を発揮できるようにしたいと考えている。倉野くんには その一助を成してもらえるよう前向きに判断してもらいたい。」と強く意を述べていただき、それに応える形で(再加入を)判断いたしたところです。

 

私といたしましても 会派を立ち上げた頃の初心に立ち返り、同僚議員と共に あくまで是々非々のうちに市政運営に対峙してまいる所存です。

皆様におかれましては、かかる経緯を踏まえ ご理解ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げる次第であります。

 


ただただ感謝

2021-11-26 | 日記

従前から本ブログでも触れていた、膵臓に重大な疾患が見つかり 最後は自宅療養を選択して過ごしていたBさんが 23日の早朝、ついに旅立たれてしまいました。

月の半(なか)ば頃から 徐々に呼びかけに対する反応が弱くなってきていることを感じていた私は、でき得る限り時間をみつけてはAさん宅に足を運ぶを心がけていました。

辛く厳しい病状におかれたBさんでしたが、そんな不安を顔に出すことなく、最後まで気丈に振る舞っておられました。

Bさんとのやり取りのうちには 逆にこちらが励まされることが何度もあり、今となればBさんの懐(ふところ)の深さを感じ入るところです。

 

亡くなる前日の22日も いつもと変わらぬ調子を心がけ「様子はどうだい?」と声をかけたところですが、私の呼びかけにBさんは 精一杯の笑顔を見せてくれました。が、ついに言葉は発せず…その代わりに両手を差し出して マスクを付けた私の頬を撫(な)で回してくださり、私の目をじっと見つめてくれたのでした。

その際 Bさんの目力(めぢから)が非常に弱々しくなっていたことが非常に気がかりでありましたが、それは敢えて言わず「また明日来るね。」と言い残し辞去したのですが…その翌朝早くにAさんから涙声で電話をいただき 訃報を知ることとなったのでした。

享年71才。あまりに早すぎる人生の終焉でした。

 

Bさんは正(まさ)に「周囲に尽くす人生」でありました。

千曲中央病院の看護師 それも検査技師として、企業関係を中心に多くの人たちの健康診断(検査)を受け持ち、日に何十人もの検査作業に挺身されていました。

そのうえBさんは 自動車の大型免許を有しており、何と ご自身で大型の検査車両のハンドルを握り、自らの運転で企業を訪れては往診(検査)を行なっていたとのこと…まさに〝スーパーウーマン〟と称すべき存在でした。

また 地域にあっては、あくまで亭主を立てながら 女性陣のまとめ役として活躍され〝地域の女房役〟として欠かせぬ存在となっておられました。

 

そんなBさん、医療現場の最前線で働くBさんを まさかの病魔が襲うとは…誰も想像だにできない顛末でありました。

「紺屋の白袴(こうやのしらばかま)」という諺がありますが、それを地でいうような「自分はさて置き先ず世間様」との、まさに他者優先の人生。

仕事を通じて他者に尽くし 家で地域で周囲に尽くしたBさんは、周囲に多くの薫陶を残したまま 私たちの前からアッという間に旅立ってゆかれました。

 

また(従前にも触れましたが)Aさん家族におかれては、Bさんの終末医療を「在宅」で行なうことを選択し、その決断が 結果として、ご本人んのみならず家族の方々にとっても 厳しい中でも悔いの残らぬ経過を辿ることとなったのでした。

奇しくも昨今はコロナ禍の中にあり、万が一病気になって入院することになれば 看護はおろか見舞い(面会)もままならないことになってしまいます。

もとより看護師のBさん、おそらくはご自身の病状を察していたのかもしれません…病気の治癒(ちゆ)が期待できない中、このまま入院して最愛の家族と一緒の時間が奪われてしまうとすれば、それこそ 今や時限を強いられたBさんの人生にとって悔いを残すことになる。

そして その思いはAさんら家族にとっても共通のものであったそうです。

最愛のBさんの残された時間を家族と一緒に分かち合いたい。その思いが重なり合い 結果、Aさん家族は在宅でBさんを看護することを決め 以降は最後の瞬間まで家族を挙げてBさんを看取ることができたのでした。

何かと気苦労も伴う在宅介護(看護)でしたが、家族は最後まで一つになって看護に努め、ご本人も最後まで家族の愛情を受けて その人生を全(まっと)うしてゆかれました。

 

・・・・・

Aさん宅を見舞い、つかの間ではありましたが Bさんの看護に努めるご家族との愛情に満ちたやり取りを拝見し、現下の地域社会における終末医療の何たるかを感じ入る機会ともなりました。

今はただ、Bさんから賜ったご薫陶にただただ感謝し、そのご冥福を心から祈念するばかりであります。

 


川中島小学校(旧 日新学校)の「陣屋門」移転復元事業が竣工

2021-11-25 | 日記

この日(11月24日)、長野市川中島小学校の敷地内に「陣屋門」を移転復元する事業が竣工を迎え、関係者ご参集の下「竣工式」ならびに「通り初め」が行なわれました。

 

 

 

(このことについては、本ブログの従前の記事でも触れさせていただいておりますが)川中島町内にある 開校150年の日本で二番目の歴史と伝統を有する「長野市立川中島小学校」が、明治2年の頃に当時の新政府による「府県施政順序/学校を有すること」の施行に基づき「日新館」として開校(後に「今里郷校」と改称)した際に 旧幕府大名であった松平忠厚氏が 自らが所有していた「陣屋門」等を日新館に寄贈されました。

その後 さまざまな経緯を経て、この「陣屋門」は 現在の千曲市の個人の手に渡ったものの、その家が取り壊されることに伴い 陣屋門までも喪失することになりそうだということから、歴史的資料ともいうべき「陣屋門」の解体を惜しむ関係者が一体となり「そもそも日新館(川中島小学校)に設置されていた「陣屋門」なのだから、この際 元の場所(川中島小学校)に〝里帰り〟させよう」という機運を醸成、そのため 川中島小学校の卒業生を中心とした「復元する会」を設置し、復元や再移設のための資金繰りをはじめとする移転復元事業を展開してきたものでありました

 

(日新学校校門を復元する会の啓発チラシ)

 

 

その後「日新学校校門を復元する会」の北沢俊美会長を中心に 熱心な活動が展開され、県・市の教育委員会を初め 多くの住民の方々のご理解を得たうえで、今回の移転復元工事は 無事に竣工を迎えたのでした。

 

 

 

 

この度の竣工式に際し、主催者さんは 実にイキな計らい(企画)を設(しつら)えられていました。

式典の後、いま現在 ここ川中島小学校に通う児童らに「通り初め」の体験を さっそくに行なったのです。

 

 

 

 

顧みれば 150年前の昔も、地域の熱意で設立された「日新学校(現 川小)」には、当時も前途有為な児童が通い 勉学に励んでいたものでした。

あれから長い年月が流れても、今も変わらず地域に暮らす児童らは 同じくこの学舎(まなびや)に元気に通っています。

そんな児童らが、あたかもタイムスリップしたかの様子で「あの頃」と同様に「陣屋門」をくぐる…この〝時空を超えた体験〟は、改めて 地域に根ざした学舎の存在意義や 児童の存在の大切さを再認識させてくれるものでありました。

 

 

 

 

列を成して「陣屋門」をくぐる児童らは、その大きさや 歴史を感じさせる門構えなどをしみじみと見上げつつ、一様に神妙な面持(おもも)ちで門をくぐっておりました。

まさに この移転復元事業の主たる目的である「歴史的教材(教育)」の第一歩が記された感でありました。

 

 

 

 

さて、大切なのは「これから」であります。

この日 無事かつ盛大に竣工式を迎えた「陣屋門」ですが、この竣工をもって事業が終結したというべきでは無いと 私自身強く認識するところです。

前述のとおり、この門は 悠久の歴史を経て現代に蘇(よみがえ)った〝生きた歴史的教材〟であり、今後は この「陣屋門」を巡る歴史的背景を踏まえた「学校史」をはじめ、そこから派生する「地域史」に至るまで 改めて学び直す機会とするべきであり、それら「学び」を行なってこそ、この「陣屋門」が復元された真価が発揚されるというものでありましょう。

 

この日から ここ川中島小学校には、鉄筋コンクリートの校舎と 歴史ある「陣屋門」とが共存することになりました。

この事業を契機に、本校児童のみならず 多くの市民の方々が「地域の歴史」に改めて触れる機会となることを期待いたすところです。

 

 


長野市議会 政策説明会 ~放課後子ども総合プラン事業~

2021-11-23 | 日記

新市長を迎えて リ・スタートを切った長野市政…議会(議員)といたしましても、あくまで是々非々のうちに あくまで市民生活向上を期して、引き続き職責を果たしてゆきたいと意気込むところであります。

 

この日(11月22日)は「政策説明会」が行なわれました。

「政策説明会」は、市政に関する事業や課題について 行政サイドから議会への事前説明を行なう機会として設けられているものです。

この日は、来る12月定例議会の議案などの事前説明の他、さまざまな案件について報告・説明が行なわれましたが、そんな中 私は「放課後子どもプラン総合事業の在り方検討」に関する報告について注目(評価)いたしました。

 

 

 

長野市の放課後子どもプラン総合事業の「在り方検討」については、従前にも(本ブログで)触れた経過がありますが、長野市の所管(こども未来部こども政策課)が 同事業の持続的維持発展のために 敢えて現体制を見直すことに踏み込んだことに対し、私の立場でも評価しているところです。

 

「放課後児童の健全な居場所」として設置(整備)された 児童センター等の放課後子ども事業は、時代の趨勢(すうせい)と共に その役割は重要かつ多様性を増し現在に至っています。

 

 

 

そのうえで 長野市としては、現有の体制のままで事業を運営し続けることは、各施設における児童の健全な見守りに いずれ限界が生じてくることを予見し、今のうちに事業の運営体制の在り方を検討し (事業運営を)より良い方向に導くべく試行錯誤を重ねることとし、私は この、市(所管課)の姿勢について評価を寄せたところであります。

概して 市の業務というものは「現状維持」や「事(こと)無かれ主義」が跋扈(ばっこ)し、たとえ事業等に課題が認められても そこに早いうちに敢えてメスを入れ、事前のうちに軌道修正することは(所管課は)あまり やりたがらないものであります。

しかし ここ(こども政策課)においては、事業が継続している今のうちに 敢えて課題を表(おもて)に出し、今のうちから将来に向け改善を期して取り組むこととしております。

いわば この〝勇気ある行動〟は、他でもない 放課後児童のための英断であります。

事業が行き詰まってから「さぁ どうしましょう…」というのでは、何より施設を拠(よりどころ)とする児童やその家族に負担をかけることにつながることから、そうならないうちに事前の手立てを講じる努力をすることは、結果として利用者のためになると評価するところです。

その意義のうえに立って 市(所管課)は「市としての基本姿勢」を大前提として据え、事業の継続性と多様性を維持できるよう計らうことを明確に打ち出しています。

 

 

 

今後は かかる基本姿勢の下(もと)、どのような運営体制を敷くことが 他でもない放課後児童のためになるかを模索しつつ、将来に向けた放課後子ども総合プラン事業の在り方を検討してゆくことになります。

 

 

 

今回 取り組まれている「放課後子ども総合プラン事業の在り方検討」は、これからの市政運営における様々な取り組みの「模範事例」と評されるべきとも思います。

 

 

 

市が抱える諸課題について、現有のうちに問題点や将来課題について検証を行ない、早期のうちに公表し 市民関心を高めると同時に、事業の継続を図りつつ将来に向けて検討を進める。このことは 取りも直さず市民理解が得られることにつながることとなるでしょう。

そのうえで肝心なのは、その「検討」は 行政側に立った〝行政のための検討〟であってはならないことを申し添えるところです。

あくまで 将来に向けた市民益向上のための検討であるべきであり、その〝微妙なところ〟を斟酌したうえで事業(この場合は在り方検討)に臨めるかどうか…この辺りは まさに行政手腕にかかっていることと申せます。

 

いずれにしても 今や児童の健全育成に欠かせぬ事業となった「放課後子ども総合プラン事業」、今後のより良い「検討」が期されるところであります。

 


家族の元(もと)で

2021-11-22 | 日記

従前に 本ブログで触れさせていただいた、奥さん(Bさん)に膵臓(すいぞう)の重大疾患が認められ 自宅療養を選択したAさん家族。その後も私は 不定期に見舞いに足を運ばせていただいております。

 

私が Bさんの疾患を知らされ、初めて見舞いに伺ってから 約1ヶ月…週に2度ほどのペース(間隔)でお顔を見に行っているのですが、その間隔をもっても Bさんの体力が低下しているのが 私の目からも認識できるほどになってしまっています。

今月初めには、私が「元気でね!」と声をかけると「元気 元気!」と顔をこちらに向けて笑顔をつくり、グータッチをしてくれたものでした。

…ところが最近は、カオを見せた際に 家族の方から「クラちゃん来たよ!」との声をかけても、うっすら目を開けて頷くばかり…私の(言葉の)投げかけにも 口元に笑みを浮かべて応じてはくれるものの、以前のように返答したりすることは少なくなってしまっているのです。

その大きな理由は、食事が喉を通らないことにあるようです。

訊けば、ご本人は「何か食べなきゃ」との意志(意思)はあるものの、いざ飲食物が食道を通過するときに副反応が生じてしまい、結局 嚥下するようになってしまうとのことです。

また Bさんについては、点滴などの血液を通した栄養補充もできにくい状況とのことで、いわゆる「飲まず食わず」の状態が長期に亘り続いているようなのでした。

口径(口から物を食べる)による栄養摂取の重要性については 従前にも触れたところでありますが、そんな シンプルかつ重要な栄養摂取の手段が講じられにくくなったBさんの状況は 日々厳しくなってきていると言わざるを得ないところです。

 

ところが、そんな状況の中でも Aさん家族のみなさんは、日々笑顔でBさんの看護にあたっておられるのです。

自営業のAさんは この頃の一切の仕事を断ってBさんの傍(そば)に居るに努め、仕事に従事しているお子さん(成人)は休職し やはりBさんに付きっきりで看護にあたっておられるのです。

その表情には、Bさんが置かれる厳しい状況は念頭に無いような素振(そぶ)り…で、その「家族の心情」について、かくいう私も ものすごく理解するところなのです。

 

このことについては、その度に 私の亡父の辿った経緯を引き合いに出すところですが、私の亡父についても 在宅看護も7年が経過し、痩せ細って会話もままならなくなり いよいよ今際(いまわ)のときを迎えようとしたところでありましたが、そんな状況に陥ってもなお 私たち家族は、親父が死ぬなどということは これっぽっちも思わずにいたのが正直なところなのです。

当時を回顧すれば、既に主治医からは「やれることは全てやった。」として いわば余命宣告を受けていたのでしたが、私たち家族は 主治医の言うことを無視していたワケではないのですが「親父が近々に逝(い)く」などということは想像だにせず、日々変わらぬ介護を続けていたものでありました。

「家族」というものは そういうものなのでありましょうか。

 

私は 今も不定期にAさん宅を訪れ、私のカオを見せ Bさんに変わらぬ声をかけています。前述のとおり、Bさんは残念ながら徐々に体力が落ちてきているのが傍目(はため)でも判るところでありますが、Aさん家族は ウチがそうだったように、Bさんの介護を日々変わらずに行なっておられます。

それが家族というもの。

Bさんを笑顔で囲んで介護を続けるAさん家族に かつての我が家の介護生活を重ね合わせ、家族の絆というものを改めて感じ入っています。

 

 


長野市消防団役員と 市議会総務委員会が意見交換

2021-11-20 | 日記

11/18(木)、長野市の消防団活動の中枢を成す 市消防団長・副団長(3名)・方面隊長(5名/1名 欠席)の各位と、消防行政を所管する 市議会「総務委員会」のメンバーとが意見交換を行ないました。

私は今期 総務委員会に所属していることから、委員の立場で出席いたしました。

 

 

 

ご案内のとおり「消防団」は、地域の安心安全=防災・減災 に欠かせぬ存在となっている団体で、消防本部や消防署と同様「消防組織法」に基づき それぞれの市町村に設置される消防機関です。

生業をもちながら 在住する地域ごとに所属いただき、平常時においては 防火・防災に向けた啓発活動を行なう他、地域の行事やイベント等の警戒活動や、イザ災害の際には 初動活動(初期消火や避難誘導など)の遂行・消防隊員等を補佐しての 消火などの災害対応にあたってくださいます。

まさに「消防防災のリーダーとして、平常時・非常時を問わず その地域に密着し住民の安心と安全を守るという重要な役割を担う存在」となっています。

とりわけ 長野市消防団においては、さきの「令和元年東日本台風」の際、堤防決壊が間近に迫った千曲川沿線の長沼地区において、分団長の英断により「半鐘連打」を敢行、それまで避難を躊躇していた多くの住民に「ただならぬこと」を実感させ 自主避難を促した勇気ある行動として記憶に新しいところであり、消防団の存在意義を再認識したところでありました。

 

一方 社会の多様化に伴い、消防団(団員)の維持存続は非常に難しい状況となっています。

いわゆる〝担い手〟となる新規団員加入は減少傾向にあり、団員数維持のための課題・その(団員数維持)ための長期在籍団員の恒常化に伴う(団員の)高齢化問題など、その崇高な社会的役割に比して 消防団を取り巻く状況は易(やす)からぬものがあるのであります。

 

この日の意見交換は かかる状況も踏まえたうえで

・組織及び定員の見直し

・「大規模災害団員制度」の創設

について 報告ならびに意見交換が行なわれました。

 

長野市消防団は、6つの「方面隊」と74の「分団」で編成され、団員の定員を3,430人と定めたうえで構成されています。

 

 

 

団員の構成については、平成24年には 総数3,425人・平均年齢39,6才であったものが、令和3年には 総数は3,190人に減少し、反面 平均年齢は43,9才に上がり いわば反比例の状況となっているとのこと。

 

 

 

この状況を踏まえ、長野市消防団においては 実際の地域社会の間尺に見合った組織編成を行なうべきとの見直しを進め、令和4年度から 基本団員の定数を3,050人とし、そこに(後述の)「大規模災害団員」100人を加えた 3,150人体制に組織(定数)を改めることとなりました。

 

 

 

さらに、これまで 長野市消防団が永年抱えていた「消防団手当の低劣問題」についても ようやくの形で改善の手が入ることとなり、在勤手当と出動手当が国基準並みに引き上げられると同時に、長野市独自に「出動加算手当」を創設して、生業(仕事)を犠牲にして消防業務を精勤いただく団員さんらのご苦労に せめても応えることとなりました。

 

 

 

また (前掲のとおり)恒常的な団員不足により、大規模災害など イザというときの体制不足を補うため「大規模災害団員制度」を創設、団員OBをはじめ希望者を募ったうえで 基本団員ほどの任務従事を求めず、年一回程度の訓練を実施したうえで 有事の際の分団活動を補助していただくこととするとのことであります。

 

 

 

 

意見交換の中で 私の方から「消防団活動は、地域の防災・減災を実質的に行なうことが本来の目的であり、いわゆる〝団員集め〟がそれ(目的)ではないと思います。団員不足が顕在化する中、地域の防災・減災を実効あるものにするため 今まで以上に地域住民(自主防災会等)との連携を深め、イザというときには消防団のみならず 多くの地域住民と協力して成果(防災・減災)が上がるよう取り組んでくださることを願います。」と述べ、さらに「大規模災害団員制度について、大きな災害の際には 現場の最前線に立つ方々には生命にも拘わるリスクが生じることが懸念されるので、現場に立つ人自身の安全も守られるよう 例えば「消防団員のマイタイムライン(自主避難指針)」を設けるなどして、被害拡大につながらないよう創意工夫していただきたい。」と述べたところです。

 

 

私自身、消防のサイレンが鳴るを耳にする度に現場に駆けつけ、その都度 消防団員の方々の活躍ぶりを目に焼き付けています。

その他 歳末警戒などの活動ぶりを目にし、地域における消防団の存在意義の重要さを身に染みて実感する者の一人です。

それだけに、これからも消防団が持続的に維持存続できるよう 私の立場でも心を砕いてゆきたいと思いを新たにした次第であります。

 


あって当たり前の「水」とて 将来に向けた課題が

2021-11-19 | 日記

11/17(水)、水道行政(事業)について広域で考えるための「上田長野地域水道事業広域化に関するシンポジウム」が開催されました。

 

 

 

このシンポジウムの〝開催の根拠〟は「地域社会の将来課題」が切実なものになっていることに起因しています。

と いうのも、社会全体が 人口減少に伴う「縮小社会」を迎えつつある中、これまで「あって当たり前」のものとして設備されてきた水道事業が、経営(運営)そのものが厳しい状況に直面することが懸念され始めているからです。

 

 

 

「装置事業」とされる水道(上(下)水道)は、利用する人口の多い少ないに拘わらず 地域全体を網羅しなければならないものでありますが、その一方で(前掲のとおり)人口減少社会を迎えることによる水需要の減少・経年劣化に施設(設備)の老朽化への対応・さらに専従職員(技術者)の減少など、水道事業は その社会ニーズと実際の事業(運営)体制がアンバランスな状態になりつつあるのです。

そのような状況にありながらも「水」は 私たちの社会生活に必要不可欠な存在であることから、持続可能な水道事業経営の体制づくりに向け、この際は それぞれの市町村が別個に(体制づくりに)向かうのでは無く、関係自治体が連携(広域化)し 事業の効率化・合理化を図ったうえで、受益者(住民)の負担を過大にすることなく 将来に向けても健全に水需要に応えてゆこうというものです。

今回のシンポジウムの対象は、千曲川流域の 長野市・上田市・千曲市・坂城町であり、かかる地域における広域化等の研究への取組について理解を深め、将来課題について認識と共有しようとするものとのことでありました。

 

報告の中では、この流域の水道事業を現在のまま看過すれば、2070年には給水人口(水道を使う人)の人口は26,1%も減少し、それに伴い有収水量(水道料金をいただける水量)は32,2%も減少することが悪しけく予想されています。

そのことは即ち、経営的には将来的な水道料金の大幅な値上げや 大規模災害など有事の際の対応力の低下につながることが懸念されることになります。

 

 

 

さらに 水道事業における積年の課題は「管路更新」です。

古くは昭和25年以前に敷設された水道管(管路)は経年劣化が進んでおり、(前掲のとおり)装置事業とされる中、計画的な管路更新が求められています。

しかしながら その進捗ははかばかしいと言えるものではなく、管路老朽化の進度に比べ、更新が追いついていないのが実状と申せます。・

 

 

 

これら 時代の趨勢と共に課題が山積しつつある水道事業の状況改善には「広域化」が欠かせぬ要件であると説明されていました。

水道事業の広域化により、水道料金の値上げ幅の抑制・施設の統廃合による事業費の抑制などのスケールメリットが期待されるとのことであります。

 

 

 

今後、行政側は 国を基軸として「水道基盤強化計画」等を策定、そのうえで「広域化」を推進し、前述の課題解決やスケールメリットの創出を図るここととしています。

 

 

 

 

かかるシンポジウムの集約として、この日 千曲川流域の 長野市・上田市・千曲市・坂城町の4市町は、県企業局と連携して それぞれの水道事業を一つの事業体に統合する方針を明らかにしました。

 

 

 

(前掲のとおり)給水人口の減少による事業環境の悪化や施設の維持管理費削減などを進めて事業を強化する動きが本格化することになります。

この統合案を進める「上田長野地域水道事業広域化研究会」は 関係する自治体で一部事務組合を設立し、県企業局と4市町の水道事業を統合する方法を検討してゆきます。

「装置産業」である水道事業は、収入が減っても水道管や浄水場など施設を維持していかなければなりません

例えば 長野市(上下水道局)においては、水源地57カ所・浄水場20カ所・配水池256カ所を抱え、上水道管路の総延長は約2,500kmに及び、施設の維持管理や更新にに多額の資金が必要になることから、関係者は「このままの状態で 市営水道の供給水準を維持していくためには料金を上げざるを得ない。経営努力だけで事業の維持は困難」とし、広域化に理解を求めています。

 

所管の厚生労働省は「広域化モデル」として、長野市内で 市の犀川浄水場と県の四ツ屋浄水場・上田市内で市の染屋浄水場と県の諏訪形浄水場をそれぞれつなぎ、県と3市の送水管を結び、一方 老朽化が進む長野市の往生地と夏目ケ原・千曲市八幡の3浄水場の機能縮小・廃止などを進める案を示しています。

このモデル案だと、現状に比べて今後50年間で整備・維持管理費を約160億円削減できるとの試算結果も公表しています。

関係者はさらに「広い範囲で施設を効率化し、費用負担を分かち合えるスケールメリットも大きい。」としています。

 

 

これら一連の経過等が示すとおり、将来社会(人口減少社会)に向けた水道事業は避けてとおれない道のようであります。

 

 

 

ただ 私は、いかに広域化が将来世代に資した計画であったとしても「広域化ありき」で 議論を拙速に進めるべきではないと思います。

何といっても 人々の社会生活に欠かせない「水」これに関わる事業を、効率化だけで広域化(統廃合)します、と言い及んでも 即座に住民理解が得られるとは限りません

そこには 一様に丁寧な説明姿勢が求められるところであり、(前掲のような)万(ばん)やむを得ない事情を口に含んで言葉にしてこそ 初めて住民理解につながるというものでしょう。

 

 

・・・・・・。

豊かな水源に恵まれ 治安のゆき届いた日本は、これまで「水と安全はタダ。」と称されてきました。

しかし、伸張する人口減少社会・各施設(設備)の老朽化が著しい社会においては もはや「水はタダで享受できる」時代でなくなったことを実感させられ、非常に複雑な思いにさせられるところであります。

今を生きる私たちのみならず、私たちの子や孫以降の時代に生きる人たちも 安心のうちに 生きるために必要不可欠な「水」の供給を受けられるよう、今後も課題に向き合うべきことを再認識させられました。

 


諸事

2021-11-18 | 日記

◆市内の小学校で「石碑」倒壊

11/16の午後、市内の市立小学校の敷地内にある「石碑」に児童がつかまったところ、あろうことか その石碑が児童の方に倒れ下敷きになる事故が発生してしまったことが報じられました。

児童は救急搬送の後 ドクターヘリで松本の病院に搬送され、生命に別状は無いものの大けがとなってしまったそうです。

児童を巡る この種の事故については、2018年に大阪府高槻市の通学路で起きたブロック塀倒壊事故が悲しい記憶に新しいところでありますが、今回は よもやの石碑の倒壊…かつて 先人の偉業などを称えて建立された石碑ですが、経年劣化による強度不足や亀裂の発生など、年を経たことによる不具合の発生は如何ともし難いところでありましょうが、そのことにより児童がケガを負うなどということは あってはならないことであります。

この事故を受け 長野市(市教委)が緊急に調査したところ、市内の12校の計15カ所で 石碑・石塔・石造りの日時計に亀裂が見つかったり 押すとぐらついたりするといった報告が寄せられ、一部は周辺を囲って子どもたちが近づかないようにしたとのことです。

今後は 撤去や修繕が必要か検討が要されるものの、物(もの)によっては「寄贈」に浴したものもあり、行政(市教委)だけで撤去を決めらない面もあり、寄贈者と相談が必要なものもあるとのこと。

いずれにしても、児童の安全が第一義であることから 早急な現状把握と事後対応(安全対策)が求められることは言うまでもありません。

そんな中、ある小学校の校長先生は「常に危険を想定して点検していますが、子どもは ときに大人の想像を超えた遊び方をするので予断ならないことを再認識しました。」と気を引き締めておられたことが伝えられていました。

顧みれば、自分たちも子どものころは いろんな「ゴタ」をやらかしたものでありましたが、そんな無邪気な所作であっても 児童の生命財産が脅かされるようではいけません。

 

さまざまなジャンルのものが〝経年劣化〟に瀕するようになったこの頃、多様な視点で安全確認に努めなければならなくなったことを再認識させられた事案でありました。

 

 

 

 

◆県などが「県公共交通活性化協議会」の初会合を実施

長野県ならびに県内市町村や事業者らが連携し、将来に向けて持続できる交通体系づくりをめざすための「長野県公共交通活性化協議会」をオンラインで行なったことが報じられました。

 

 

 

来年1月から、県内10広域圏ごとの地域別部会を発足させ 地域の実情に合った公共交通の再構築などを検討していくことを確認したとのことです。

維持存続が厳しい状況に置かれる公共交通については 昨年11月施行の『改正地域公共交通活性化再生法』に基づく法定協議会で、来年度「地域公共交通計画」を策定し 2023年度から具体的な取り組みを始めることになっています。

同計画は、地域ごとの公共交通の目的・それを実現するための公共交通網をどう作り替えるのか、などの課題解決に向けた指針となるとのことです。

この日の全体会議では、委員の一人で名古屋大大学院の加藤博和教授(公共交通政策)が公共交通の存在意義について「車がなくても自由に移動でき いざというときにも活用できる〝安心の存在〟です。」と話し、そこに昨今の新型コロナウイルスの影響に加え デジタル化の進展や物流の発達で「移動が必然でない社会になりつつある」としたうえで「(公共交通は)仕方なく使うのでは無く 出かけたいときに必ず使う存在になれるよう変革することが急務です。」と訴えたとのことでありました。

県によると、19年度と比較した20年度の収入について バスで約4割・鉄道とタクシーで約6割にまで落ち込んだと説明したうえで、今後の議論の前提として 県内全バス路線の乗降データ・住民が鉄道や自家用車を使ってどこからどこへ移動するのか などの実態調査を開始するとのことです。

 

急速に進む高齢化の中 公共交通の持続的発展は社会の急務でありながら、一方で利用者の下げ止まり状態が続くなど、社会的ニーズと利用実態が あい矛盾した状況に陥っているのが実際のところです。

そんな中、またもや高齢者ドライバーによる重大事故発生のニュースが聞かれるなど さまざまな面でクルマに頼らずに移動できる交通網の維持は焦眉の急とも申せます。

今後、あらゆる機会を通じて「公共交通網の維持」このことに思考を巡らせるべきと 私の立場でも強く認識いたすところです。

 

 

市内を移動中、回送の私バスが 反対方向を移送していました。

 

 

 

フロントの行き先表示には「がんばります!」の文字が。

 

 

 

思わず「ガンバロウ!」と応じたものでありました。

 


苦節を「意気」に 

2021-11-17 | 日記

先日、知人のAさんから電話があり、去る5月に 東京都内に住み学生生活を送るAさんのご子息の支援のお手伝いをさせていただいた件の〝後日談〟が良好のうちに推移していることを伝えられました。

そして、Aさんの方から 今回の経験を糧に、今後 地域に「社会還元」したい旨の発言もあり、非常に心強く感じたのでした。

 

 

 

 

この件については、去る5/18付のブログでレポートさせていただいておりますが、現在 東京で暮らすAさんのご子息(Bくん)は、長野市内で進学を果たし高校で過ごしていたものの、在学中にイジメ等の仕打ちに遭い 東京都内の学校に転校を余儀なくされ、苦節のうちに時間を過ごすを余儀なくされていました。

それでもBくんは、都内で独り暮らしをしながら 一念発起して〝学び直し〟に臨み、福祉関係の道に進むことを決意し 都内の福祉系大学に進学(受験)することになりました。

その際 在学する高校の進路指導で、全く(福祉事業の)中身を知らずに進むよりも 何らか経験と予備知識を得るべきだということになり、何処(いずこ)かの福祉団体などでボランティア経験を積むようにアドバイスされたのです。

ところが、単身 都内で暮らすBくんには、そんなツテも無かったことから 実父のAさんに、本籍地の長野エリアのどこかでボランティアを受け入れてくれるところが無いか相談、それを受けて困ったAさんが 私の下(もと)に電話(相談)を入れてきたのでした。

それ(事情も含む)を聞いた私は、Aさん同様に親身に思い 心あたりに照会しようと思ったのですが、そこで不測の障壁となってしまったのが〝コロナ禍の悪影響〟でありました。

もとより『緊急事態宣言』が発出されるなど、そこに暮らしているだけでコロナ感染症の影響が取り沙汰される中、都内の者が 田舎(長野)に戻ってボランティアを希望してみても、もとより感染リスクを警戒せざるを得ない(長野の)福祉施設とすれば、本人の気持ち(意欲)は汲んでも 現実に(都内在住の者を)ボランティアとして受け入れることは難しいのではないか というものでありました。

 

 

 

 

そこで 私は「むしろ ボランティアの受け入れ先は、いま暮らす都内で探した方が合理的ではないか。」と考えました。

しかしながら、私にも東京都内の福祉機関にコネがあるワケでも無く「どうしたものか…」と考えたところ、ふと アタマに豆電球が点(とも)りました。

 

Bくんの暮らす自治体の「社会福祉協議会」に相談してみよう。

訊けば、今 Bくんは、東京都は北区でアパート暮らしをしているとのことなので、北区の社会福祉協議会に〝飛び込み電話〟をかけ、事情を話して 彼のボランティア受け入れを依頼してみたところです。

 

 

 

そして その結果は、私の予想を上回る 親切丁寧な対応をいただたものでありました。

私自身、北区の社会福祉協議会さんとは何の縁(えん)も無く、ただ そこ(北区)にBくんが暮らしているというだけの根拠で「こういう青年が居るんですが、彼の志(こころざし)を汲んでボランティアの受け入れをお願いできないでしょうか。」との問いに対し、先方(北区社協)は 早速にボランティア担当部署に繋(つな)いでくださり、私からの間接的な説明を聞き取ってくださったうえで「判りました。それでは 改めて御本人さんから電話をくれるようにお伝えください。」との好返答をいただいたのです。

それを受け、Aさんに その旨を伝えると、さっそくAさんからBくんに伝言され、後日 Bくん自身が北区社協さんに電話、本人の熱意も伝わってか、6月からボランティアのメンバーに加入することができた とのことでした。

北区社協さんにおかれては、(私も電話の応対ぶりに実感したのですが)投げかけられた相談に対し 本当に親切対応してくださいました。間違いなく 現下のコロナ禍で用務多端であろう中にも関わらず、決して こちらの申し出を無碍(むげ)にせず「できない」ではなく「どのようにしたらできる(受け入れられる)か」を親身になって考えてくださり、結果 彼の活動の場を見出してくださったのでした。

 

 

そして、この「美談」には さらにウレシイ後日談があったのでした。

今回 2度目の電話をかけてくれたAさんの声は、前回にも増して弾んだものになっていました。

訊けば 件(くだん)のBくん、北区社会福祉協議会の紹介で 区内在住の在日外国人の支援活動に関わっていたところ、そのボランティア活動(活躍ぶり)が高く評価され、この度 北区社協のボランティアコーディネーターの一員として正式にスタッフ入りすることとなったそうです。今後 北区の社協活動には Bくんの意見も反映されることになり、Bくんは それを大いに意気に感じて これからもボランティア活動に励んでゆきたい!と張り切っているとのことでした。

 

そのうえで、愛息たるBくんを遠くで見守る父君のAさんから さらにウレシイ一言が聞かれました。

「ウチのBは 期待をもって臨んだ高校生活で思わぬ苦節を味わい、そのことで家族全体が沈滞してしまいました。そして 遠く孤独な都内暮らしを送る中、心配に堪えないところでしたが、思わぬところで〝居場所〟を見つけてっもらったうえに、そこで本人の無償の活動が認められて いわば光明を見出すことができました。それまでひどく落ち込んでしまった分、Bのみならず わが家の喜びはひとしおのものがあります。」とのことでした。

そのうえでAさんは「社会には、ウチのように さまざまな形で苦節を味わっている子が少なからず居ることと思います。で、私とすれば、こんな辛い思いを他の家庭には味わってもらいたくないので、いち親の立場として 自分(親)が暮らすここ長野で、そんな境遇にある人(世帯)の支援ができないか考えてゆきたいのです。」と述べてもおられたのでした。

それを聞いて私は、Bくんの出直しの満帆ぶりを喜ぶと同時に、その経験を他者に活かして差し上げたいというAさんの心根にも敬意を表したものでした。

ややもすれば「自分ちさえ良ければ他(ほか)は関係ねー」と思いがちになる風潮の中、自分たちが辛い経験をしたからこそ 他者にはそんな思いをしてほしくない…とのAさんの優しさが感じられ、その心根に共感するばかりでありました。

 

今回 Aさんの愛息Bくんが辿った道は、現代の抱える闇(やみ)ともいえる社会問題に〝コロナ禍〟の悪影響が重なり、二重三重(ふたえみえ)の厳しさが伴うものでありました。

そんな中、半ば偶然の産物でもあった〝地域の助け舟〟ともいえる(北区)社会福祉協議会との出会いは、苦節の分 BくんのみならずAさん家族全体に光を当ててくれることとなり、私自身 地域に根ざす社会福祉協議会の存在意義を再認識したところでありました。

長野市においても、北区に倣(なら)い 親切で温かな社会環境の構築に向け、私の立場でも 例えば長野市社会福祉協議会と適切に連携するなどして、市域の福祉向上に努めてゆきたいと思いを新たにしたところであります。

 

なお Bくんは、北区社協での無償の活動が評価されるなどし 都内の福祉関係の大学から合格の内申を受けたとのことでした。

苦節から ひと足早い春へ…良かったヨカッタ。 


日頃の何気ない動作が大事 ~声を出して誤嚥性肺炎を予防~

2021-11-16 | 日記

過日ご報告した、突然のアキレス腱周辺の疼痛(とうつう)…これが よもやの再発となってしまいました。

数日前に 見覚え(身覚え)のある踵(かかと)の違和感が再び…「ん?」と思っていたら、ほどなくして 例の何ともいえないアキレス腱付近の痛みに再び見舞われたのでした。

この日(15日)の日中は 痛む足を引きずりながら何とか過ごし、夕方になって ペインクリニック(麻酔科専門医)に駆け込み、再度のブロック注射を打ってもらいました(これがまた痛いの何の…踵の固い部位へ直(じか)に注射針が刺さることを想像してみてくださいナ @@)

 

診察の際 ドクターから「クラノさん、またですか。」と苦笑交じりに窘(たしな)められた後、日頃の「何気ない動作の大切さ」についてアドバイスをいただきました。

「聞けば クラノさんは、かつてスポーツに励まれた時期があったそうですが、どうやら その際の過度なダメージが蓄積されて今に至ってしまっているようです。今後は、そんな〝金属疲労〟を踏まえて アキレス腱周辺を伸ばすようなストレッチを日頃から行なうことが大切になります。そんな大仰(おおぎょう)な運動では無く、何気ない動作…一日の中で 立っている時間とかに ゆっくりとアキレス腱付近を伸ばす動作を繰り返すなどすることで、腱(けん)の周辺が柔軟になって 痛みの再発を防いでくれるハズです。」 とのことでありました。

そのうえでドクターの方から「こんな痛い注射はもうこりごりでしょうから、再々受診しなくてもイイように 日頃の何気ない動作を欠かさず行なってくださいね。」と優しく声をかけていただき 有り難い限りでありました。

 

 

ところで…今回の、自身の〝痛い思い〟を通じて「日頃の何気ない動作の大切さ」を学んだ中、私の亡父が辿った道…「誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)」について思いが至りました。

ご案内のとおり「誤嚥性肺炎」は、口(くち)を通じて接種された飲食物が その全てが食道を通じて胃袋に行くのではなく、一部が気管に入り「肺」に入り込んでしまい肺炎を起こすもので、高年齢者に多くみられる症状といわれています。

 

 

 

そして、この「誤嚥性肺炎」は 近年になって高年齢者の死亡原因として急増しており、2030年には約13万人もの人が生命の危険にさらされることが予想されているとのことです。

 

 

 

私の亡父も 最後(最期)まで オフクロの手料理を「美味いウマイ」と食べていましたが、残念ながら その(食事の)一部が気管に入り込んでいたことは否めず、最終的な死亡原因は「誤嚥性肺炎」と診断されたのでした。

で…あの頃を顧みれば、亡父は晩年「声」の張りが極端に落ちていたことが思い出されます。

現役の頃は カラオケが好きで、五木ひろしなどの曲を好んで歌っており、その頃は大きな声も出ていましたが、頸椎損傷で倒れて数年が経った以降は 何だか掠(かす)れ声になって そのうちに咳(せき)や咽(む)せの勢いも無くなり、最後には口に入ったものを食道⇔気管へ〝振り分け〟することもできなくなって 誤嚥性肺炎を発症してしまったのでありましょう。

 

 

この「誤嚥性肺炎」を防ぐにはどうしたらイイか。

そこに、私がペインクリニックでご示唆いただいた「日頃の何気ない動作が」大切になってくるようなのです。

「誤嚥性肺炎」を防ぐためには、さまざまな運動などの処方があるそうですが、中でも〝何気なく〟行なうことができるのが「声を出すこと」だそうです。

前掲のとおり「誤嚥性肺炎」の要因は、飲食物が間違って気管に入り込むことにあり、これを防ぐために 食道と気管との分岐点にある「喉頭蓋(こうとうがい)」が蓋(ふた)=振り分け の役割を果たしているのですが、いわゆる〝喉(のど)の力〟が低下すると この喉頭蓋が機能しなくなって嚥下(=むせ)ができなくなり、飲食物が 気管→肺へと入り込んでしまうそうです。

 

 

 

で、この「喉の力」を維持するために 意外と重要なのが「声を出すこと」なのです。

説によると、喉(のど)というのは それ自体を鍛えることはなかなか難しいとのこと。

「腕力」や「脚力」は その部位を直接トレーニングして力をつけることが可能ですが、こと喉力?は 走ったり何をしたりでの筋力アップは難しいもの。

そこで大切なのが〝そこ(喉=喉頭蓋)の周辺の力(筋力)をいかに維持するか〟であり、そのメニューのひとつに「声を出すこと」が挙げられています。

ご案内のとおり「声」は 声帯を震わせて音として出すものですが、そのため(声を出すため)には 喉頭(こうとう)~咽頭(いんとう)の筋力が要され、いわば元気で張りのある声を出すためには その部位が元気であることが肝要であるとのこと。

で、その喉頭~咽頭の筋力アップが 他でもない喉頭蓋(食道⇔気管の振り分けの蓋)の機能維持につながり、それが「誤嚥性肺炎」を予防してくれるという原理につながるのだそうです。

 

 

 

この「声を出す動作」これは まさに「日常の何気ない動作」であり、こんな当たり前のことを行なうことが ときに生命を脅かす「誤嚥性肺炎」を防げるならば、簡単このうえないことですよね。

だからみなさん、日頃から「声」を出しましょう!

 

と 言ってはみたものの、昨今の社会環境は いわば〝声を出しにくい環境〟にあり…もっと平たく言えば〝声を出さずに一日が暮れてしまうこともある環境〟も遍在化しているとも言われ、そんなに(声出しは)簡単にはゆかないようなのです。

社会は核家族化が伸張し 独り暮らしの高年齢者が増え、そこに昨今のコロナ禍が追い打ちをかけるように 自粛と交流の停滞が悪しけく定着し、まさに「声」を出して誤嚥性肺炎にならないでもらいたい高年齢者ほど 下手をすれば一度も声を出さずに夕暮れを迎えてしまう人も少なからず居られることが側聞されています。

この課題については後日に譲ることといたしますが、それらも踏まえ とりもなおさず「声を出す」こんな〝日常の何気ない動作〟に改めて着目したいところであります。

 

家族(ペットも可)がおられる人におかれては、でき得る限り「会話」に花を咲かせること。ただ 概して無口なご主人などは「ああ。」とか「うん。」とかの〝一口会話〟に終始してしまうでしょうから、そこはご伴侶の誘導で何かしら話しをさせることが肝要でしょう。

また それとは別に有効なのが「歌を歌う」ことや「朗読」であると言われています。

特に本格的なカラオケセットなど無くても、茶の間や台所・またはお風呂やトイレもアリでしょう。声を出して歌を歌うことで 声帯や腹式が鍛えられることとと思います。

「朗読」については、著名な書籍など無くても 手軽に朗読できるのが「新聞記事」と言われています。

新聞というものは 概して〝黙読〟が常(つね)ではありますが、例えば社説などの限られた特集記事について ゆっくりと大きく声を出して読んでみる。

これだけで相当な〝喉力〟の筋力アップにつながることが期待されますよね。

 

このご提案は、わが家の自省のうちにあります。

亡父について、生前に このような「日常の何気ない動作」を何気なく行なっていれば、誤嚥性肺炎を予防することができたかもしれない…いわば〝たら・れば話し〟でありますが、せめて人生の仕上げを謳歌する方々におかれましては、こんなこと(誤嚥性肺炎)で寿命に影響されることの無いよう「声出し」をはじめとする「日常の何気ない動作」に心を置いてくださるよう申し上げるところであります。

あっ と、私については「アキレス腱付近のストレッチ」これを励行してまいりますデス。

 


女性の尊厳

2021-11-14 | 日記

夕刻 私のスマホが鳴り、出てみると 公私共にお世話になる女性リーダーのMさんです。

さきの長野冬季五輪大会でボランティアコーディネーターを担われたMさんは、齢(よわい)80才を超えた今でもお元気で 機を得たアドバイスをくださる存在です。

 

この日のMさんは「女性の尊厳」について意見をくださり、その声に私も大いに共感したものでした。

Mさんは、この日(11/14付)の朝日新聞のコラム「ジェンダーを考える/経済止まっても生理は止まらない 尊厳守るために届けるナプキン」を引用され、その論調に自らの思考(志向)を重ね合わせておられました。

 

 

 

このコラムによると、英国スコットランドの都市グラスゴーのセントポールズRC高校(11~18歳が通う学校)の学生エイミさん(16才)は、経済的な理由などで生理用品を手に入れられず欠席する生徒がいることを問題視し、数年に亘って地元自治体に働きかけ 最終的に学校のトイレに(生理用品を)常備する事業の実現を果たしたとのことです。

 

 

 

この活動に共感したスコットランド議会は「必要とする誰もが 等しく生理用品を公平に入手でき、尊厳を保てる社会の実現」をめざすとし、自治体に学校における生理用品の常備を義務づけ、世界で初めての「生理用品無償化」を実現したとのことです。

 

コラムでは最後に「経済的な困窮で生理用品を入手できない問題が「生理の貧困」として世界で顕在化しています。これは貧困に止(とど)まらず 人間の尊厳にかかわる問題です。国際連合のSDGs(持続可能な開発目標)が掲げる「ジェンダー平等の実現」のためにも〝国境のない課題〟として考えてゆくべきでしょう。」と結んでいました。

 

 

 

このコラムを踏まえたうえでMさんは「私も常々、社会における〝女性の位置づけ〟について考えてきたの。顧みれば 長野冬季五輪のボランティアの際にも、どうしても「男が先、女が後」というような考え方が蔓延していたので、私は先ず その〝悪しき垣根〟を取り払うこと(=意識改革)から始めたの。最終的には男女の別なく参加者全員が等しくボランティアに挺身することができたんだけど、地域社会には未だに男尊女卑の考えが根強くあることを実感させられたわ。」と回顧されていました。

そのうえで「(コラムにもあったとおり)生理の貧困問題がようやくクローズアップされるようになってきたけれど、その根底には「女性の尊厳」への配慮が足りないことがあると思うの。」

「で、その「尊厳」とは、女性が〝「出産」という大事業を果たすことへの尊厳〟であり、そして、その大事業のためには「生理」は欠かせぬ身体機能で そのために生理用品が欠かせないという「正しい理解」が社会全体に欠如していることが問題じゃないかと思うのよ。」と語気を強めておられました。

 

私としても その意見に大いに賛同したところです。

旧約聖書を引用すれば「アダムとイブ」に発祥した人類は、その後の長い歴史の中で子孫を生み育てながら現在の人口規模を有することとなっています。

その陰(かげ)には、女性に特化した「出産」という大事業があり、それを脈々と為(な)し続けてくれているからこそ今があるのです。

その女性の、大事な成長課程における「生理」は、やがて迎える出産のために欠かせない身体機能の良き変化であり、このことを疎(おろそ)かにして人類の繁栄は無いと言っても過言ではないでしょう。

しかし 実際の社会の風潮はどうか。

年頃の娘たち(いや社会全体)は、生理を恥ずかしいものと捉え そのことに対する〝備え〟を陰(かげ)のうちに行なわなければならない現実。

しかも 側聞すれば、生理用品は決して安価なものではないそうです。

これ(生理への備え)が経済的理由によって左右されるとすれば…これは女性(=出産)への尊厳が欠如していると言わざるを得ないでしょう。

 

この現下の問題において、私は「正しい教育」こそが欠かせぬ要件だと強く思います。

女子の身体がイイ意味で変調を迎える時期に 学校において正しい教育を行ない、男子生徒のみならず 当の女子生徒においても正しい知識(=生理は決して恥ずかしいものではないこと)を広め、学校全体~ひいては社会全体で女性への尊厳を深めることに努めるべきではないか。

 

そのうえで 生理用品の支援についても、それを行なうなら 恒久的な支援にすべきでありましょう。

よく 自治体などにおいて「生理用品を○○個 寄付しました。」とか「災害備蓄庫の余分を無料配布しました。」などの〝美談〟を聞くところですが、そんな「一時的な支援」は、ある意味で〝違う〟と思わざるを得ません。

女性の生理は長期に亘り繰り返されるものであるから「○回限り限定」の支援は ハッキリ言って意味を為さないのではないか。

ホントに支援するならば、(スコットランドの事例のように)トイレにトイレットペーパーが常備されているように 常に生理用品が置かれていなければならない。

支援する側も その〝覚悟〟をもって支援を始めないことには、一過性の〝プレゼント型支援〟は かえって罪つくりということになってしまうでしょう。

 

この日のMさんの電話を通じて「女性の尊厳」は何ぞや・そのうえで「具体的支援の在り方」について 改めて深く考える機会となりました。

長野市においても おそらく今後「生理の貧困」に関する議論が起きることと予見されますが、その際には 私の立場においても、正しい理解のための「教育の重要性」や「支援するなら恒久的に」などの持論を踏まえ、見解を投じてゆきたいと思いをいたしたところであります。

 


コロナ禍の外出自粛による「孤立」が健康被害を

2021-11-14 | 日記

過日のブログで、長野市においては(おいても)「地域福祉」が重要かつ難しい課題であることを述べさせていただきましたが、とりわけ昨今のコロナ禍における〝外出自粛による孤立状態〟が、人々 とりわけ高年齢者に深刻な健康被害を引き起こしていることが報じられ、耳目を引きました。

 

文化サークルや公民館活動などへ出かけるなどする〝社会活動の頻度〟が減った人は、身体機能の低下や うつのリスクが高まることが最新の調査で明らかになったとのことです。

そして これらのリスク対策として注目を集めるのが「社会的処方」とのこと。

コロナ禍により 新たな病原ともなる「孤立」を解消するため、薬を処方するよりも「社会とのつながりを処方する」という取り組みが紹介され、その〝処方〟を知るうちに、いみじくも「地域福祉の大切さ」を再認識することとなったのでした。

 

社会における新型コロナウイルス感染症の蔓延は、人と人との接触による感染拡大が大きな問題となり、それを防ぐために いわゆる3密回避などの行動規範が推奨され、それは自ずと 社会活動の抑制→特に独り暮らしの場合は「孤立」につながることになり、それ(孤立)が ひいては人の健康被害を引き起こすことになる実態が、最新の調査によって明らかになりました。

全国の高齢者2万3千人余りを対象にした調査によると、外出やサークルなどの活動頻度が減った人は 要支援・要介護状態になるリスクが最大で2倍を数え、また 身体機能が衰えるフレイルリスク・さらに 鬱(うつ)のリスクが最大1,5倍となったことが判り、いずれも健康に悪影響を及ぼしていたことが明らかになりました。

 

 

 

このことについて識者は「明らかにこの調査結果は、コロナ禍の外出控えによる孤立が うつや要介護になる危険性を高める要因となっていることを示しています。人と人との交流が減ることによって、身体的には運動不足につながる・精神的には心が沈んでしまう などのさまざまな経路を経て、最終的には寿命まで縮めてしまうリスクが高くなっていることを、残念ながら示していることになります。」と述べていました。

 

この「孤立」が健康に悪影響を与えることについて、イギリスでは恐ろしい研究結果も発表されています。

同国の論文によると「孤立」というのは 1日にタバコを15本吸うのと同じくらい健康にとってリスクがあるという研究結果も示されているとのことです。

これは高齢者に限ったことではなく、老若男女を問わず「孤立」が生み出すリスクが如何(いか)に高いかを示しているといえるでしょう。

 

 

 

今、わが国は 超高齢化社会といわれる社会状況ですが、その中で これまでは活動的だった高齢者がたくさんおられて、いわゆる「健康寿命」を伸ばしてきました。それが コロナ禍に伴い外出を控え、家に留(とど)まる時間が増えるようになった。その結果、運動不足による身体的能力の低下や、動かないことで食欲が無くなったり ご近所さんとの会話も減ることなどにより、全体的な活気が失われてゆく。これが(前掲のとおり)身体・精神両面でのリスク要因につながっているのではないかと言われています。

例えば、これまで要介護でありながらも何とか歩けていた人が、たった4日間 車イス状態でいると本当に歩けなくなってしまうそうです。大腿(=ふともも)の筋肉などは、使わないでいると2日間で(筋力の)1%が減少するというデータもあり、老化(フレイル化)はアッという間に進行することが分かっています。

また(コロナ禍による)外出控えの長期化は 脳の活性化を阻害する要因ともなり、それが鬱(うつ)や認知症などの進行を早める要因にもなることが、訪問介護や脳医学者の間で実感として伝えられているとのことです。

 

これら、コロナ禍による外出控えが 身体的・精神的に悪影響を与えることについて、医療的処方により改善を促すのではなく「社会的処方」により 人が人らしく暮らせる環境を整えるべきとの説があるそうです

コロナ禍により さまざまな形で人を蝕(むしば)む要因となる「孤立」を解消するため、薬を処方するように“社会とのつながりを処方する〟という取り組みが重要ではないか、とのことです。

 

 

 

「社会的処方」とは、人と人とのつながりを取り戻し 結果的に健康を回復させる取り組みです。

社会的処方では、心や体の不調を訴える人の背後にある 孤立や生活不安などの問題に目を向け、病に対して薬を処方するだけではなく、サークルやボランティアなど 社会とのつながりを作ることで体調の維持・改善を図るものです。

現場の医師は「本当に大事なのは薬だけじゃなくて"つながり"じゃないか、と。今まで普通に行なわれていた ご近所つきあいや、おじいちゃんおばあちゃんの日々の楽しみであったサークル活動などを徐々に再開することで、フレイルや認知症が予防・改善できる。こんな有意義な処方箋はないと思いますよ。」と実感を込めて述べていました

 

このことについては 国も深刻に捉えており、(知りませんでしたが)今年2月には「孤独・孤立対策担当大臣」を設置し、いわゆる〝骨太の方針〟では かかる「社会的処方」の活用によって、コロナ禍での心身の健康問題に対応するとしているとのことでありました。

 

 

 

社会に蔓延し、さまざまな課題を投げかけることとなった新型コロナウィルス禍。

かかる「孤立が招く諸問題」については、これは いわばコロナに特化されず、既存の社会問題の1つとして 全体として取り組むべき課題といえると思います。

そのための「社会的処方」という方策は これも一朝一夕で為し得るものではなく、日頃からの人と人との信頼関係なしでは成すことは難しいでしょう。

そのためにも、先日に触れた「地域福祉」が非常に重要であることを再認識させられるところです。

コロナ禍によって起きてしまった分断と孤立。これを解消し 今までどおりの良好な社会生活を送るための「要(かなめ)」が すなわち地域福祉であると、報道を通じて再認識したところであります。

 

なお「孤立=病気になる」について 一つ異論を挟むとすれば、たとえ独りであっても「やり甲斐・生き甲斐」があれば、じゅうぶん健康に生きてゆけると思います。

例えばウチのオフクロは 自他共に認める^^独り暮らしですが、毎日の料理や編みもの・日記綴りなどの「やり甲斐」をもって生きており、傍(はた)からみても健康被害は発生していません。

今回の報道の「孤立」を正確に称せば「〝無為な孤立〟が 健康被害の要因になる」ということでありましょうか…。