倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

現状

2019-10-20 | 日記

10/19 Sat.

 

台風19号の被害が 各地区・各方面に及んでいます。

市内を流れる千曲川沿線の地区で 越水や堤防決壊による水害が発生しており、この日は朝イチで 公私共にお世話になっているN社長から、若穂牛島地区にある事業所が冠水し 被災ゴミの搬出先が判らないとの一報を受け、取りも敢えず軽トラで向かいました。

 

Nさんの事業所は、落合橋南橋の東側にある砂利砕石のプラントで、千曲川が東~北へとゆるやかに曲がる先にあります。

 

事業所の立地は 堤防の下に位置し、普段は堤防に守られているものの、今回 多くの地区で発生している「越水」の被害を受けたものです。

 

被災後は総出で清掃を行ない、私の伺ったときは通常業務に戻っていましたが、訊けば 50~60センチは冠水し、デスクの引き出しに入れている伝票などの書類は水浸し、かろうじてパソコンは水没を免れたとのことでした。

 

 

 

N社長には 心からお見舞い申し上げ、さっそく被災ゴミを指定場所(青垣公園)に運んだのですが、その途上 同行した若穂保科在住のOさんから〝隠れ台風19号災害〟を教えてもらうこととなったのでした。

このことについては、後日レポートさせていただきます。

 

 

若穂での災害ゴミ投棄補助を終え、その足(軽トラ)で北部ボランティアセンターに向かい、先日に引き続き 被災ゴミ投棄の運搬支援を行ないました。

被災ゴミは 毎日運ばれてはいるのでしょうが、相変わらず多くの量が排出されています。

 

「被災ゴミ問題」これは 今後の大きな課題になるだろうことを実感させられるところです。

いち自治体だけでは解決できっこない。千曲川沿線の多くの自治体が 既に同様の悩みを抱えており、この件については特段の広域的取り組み、それに対する県・国の責任ある対応が不可欠であることを強く認識しました。

 

ボランティア参加の規定時間を迎え 活動の終了を告げられたことから、仮の築堤が報じられた 穂保地区に入り、状況を調査しました。

 

今回の台風19号による 最大の被害箇所となってしまった穂保地区においては、千曲川上流から運ばれた大量の流水量や 下流部の狭隘(きょうあい)箇所の影響などから堤防の破断を招いてしまいました。

 

その後の関係者の不眠不休の復旧作業により「仮堤防」が完成し、ひとまず二次災害の予防が図られたところです。

集落から千曲川を望むと、築堤の上にブルーシートが被せされているのが視認できます。

 

今後、順を追って 本工事が行なわれるとのことです。

 

 

・・・・・。

堤防の仮復旧は ひと区切りを迎えたものの、被災した集落の状況は凄惨を極めていたのでした。

決壊箇所の直下にある「長沼支所」泥流の直撃を受けていました。

 

ここは避難所にも指定されていました。が。

 

全くの機能不全です。

 

泥流の流れたと思われる方を見やれば、そこに点在していた住居は無く、基礎が剥き出しになっています。言葉もありません。

 

 

辛うじて現存した住居も、1階部分を大きくえぐり取られていました。

 

あいにく雨が降り始めた中、懸命の排水作業が行なわれていました。

 

 

住居の1階部分を、泥流が突き抜けていったものと思われます。

 

地区内の電柱も 基礎部分をえぐられ、もはや自立できません。

 

泥流は、家財をはじめ いっさいがっさいを押し流してゆきました。

 

何かと見れば、車両が隣家の塀に押しつけられています。

 

 

これが被災地の現状なのです。

泥流が流れ下った後には、がれきと被災ゴミ、そして大量の泥が残されてゆきました。

(個人宅内の画像に及ぶため、私の手による撮影は自粛しましたが)そんな中、家人の方々をはじめ多くのボランティアにより 宅内の泥の除去作業が行なわれています(画像は報道より)

 

これから どのような支援の形があるのか、どのような支援ができるのか、まさに試行錯誤の連続となることと思いますが、今は先ず、現状を知ること。

そしてそれは、私だけではなく、みなさんにも知っていただきたいのです。

そのうえで、みんなで力を合わせて最善を尽くす。それが第一義と捉え 活動を重ねてまいります。

 

 

 

 


共通の課題

2019-10-19 | 日記

10/18 Fri.

 

台風19号被害からの復旧に向けた支援の拠点が、長野市南部エリアに引き続き 北部エリアにも「北部ボランティアセンター」として開設されました。

 

長野市柳原支所の敷地内に設置(仮設)されています。

 

私は前日、篠ノ井エリアの方から被災ゴミの投棄を頼まれたことから 知人に軽トラを借りて 朝イチで青垣公園の指定場所に搬入し、その足で北部ボランティアセンターに出向きました。

 

先日と同様、受付をしてネームステッカーを貼っていると、現場が「ボランティア車両渋滞」に悩まされていることから シャトルバスを出すことになり、私にも後ほど来る便(びん)に乗るよう促されたのですが、軽トラで来ていることを告げると「ホントですか!?」とスタッフの目の色が変わりました。

と いうのも、被災地現場では 大量に発生する被災ゴミを搬出するトラック、それも路地にまで入り込める「軽トラック」が絶対的に不足しているのです。

拠点には 自衛隊のトラックも多数駐車していますが、どれも大型。とても住宅街の路地には入ることはできません(そもそも用途目的が異なる)。

 

 

訊けば、現地では 限りなく排出される被災ゴミで溢れ返っており、1台でも多くの軽トラを求めているとのこと。そんな被災者ニーズに応えるべく 指定場所に向かいました。

向かってみると、そこは たまたま私が被災時に調査した古里・上駒沢エリアだったのでした。住宅地を抜けると、そこは過日の冠水エリア。

 

辻〃に溜まった水もすっかり引いて、一見すると日常を取り戻していました。

 

ヤマト運輸を東に見るエリアも、

 

東から流れ込んだ水の勢いに倒れた稲穂をそのままに、水だけは引いていました。ただし、水稲は全滅です。

 

 

 

一見すると、水が引いてヨカッタ と見受けられる当地ですが、現場では〝新たな戦い〟が始まっていました。

 

ここでもまた、被災ゴミが大量に排出されていたのでした。

 

 

リーダーの方に ボランティアで来たことを告げると、待ってましたとばかりに現地ボランティアが集まり、被災ゴミを積み込みます。

 

現場には(ここだけではありませんが)他市町村からの応援職員も多数派遣されており、感謝に堪えません。

 

 

勝手知ったる現場スタッフは、捨てられたコンパネ板や 水に浸かってしまった戸棚の扉や風呂のすのこ板などを活用し荷台を囲み、またたく間に荷台を満載に。

荷受けした私「では、行ってきます!」と、一路 このエリアの指定場所である「東山運動場」に向かいました。

 

 

東山運動場は、豊野町の北端にあります。

 

おそらくR18号は渋滞しているだろうと考え、西端ルートを取りました。

 

農道をひた走る中、右前方(東方向)に、ニュースでも取り上げられている、新幹線車両基地が視界に入りました。

 

こちらも水は引いたものの、基地そのものや車両に大きな被害が出ていることは ご案内のとおりです。

それでも、25日には東京⇔金沢間が復旧するとのこと。その陰には JRご関係者の不眠不休の対応があったことでしょう。

線路に並ぶ車両は、まるで傷(いた)めた身体をいやしているかのように、ひっそりと「その日」を待っているようでした。

 

 

 

やがて着いた東山運動場。他のエリアと同様、多くの被災ゴミが搬入されていました。

 

被災者の方々やボランティアが、黙々と投棄作業を行なっておられました。

 

この指定場所には、残念ながら投棄の補助スタッフが間に合っておらず、持ってきた者が自力で投棄します。

私は〝単身赴任〟だったため、やや苦労しましたが、それでも投棄を終え、第一便を帰還します。

すでに経路には多くの車列が。おそらく この量は南部エリア以上でしょう。

 

戻りはR18号を通行しました。緊急車両の優先を前提に 通行止めが解除されています。

 

途中、不足の品があり カインズホームに立ち寄ると、厳しい状況となっていました。

 

ワークマンも然り。

 

個人の住宅と併せて、事業所の状態も深刻です。

被害に遭った事業所の営業再開の目処はどうなるのか。いつぞやの政治家の討論番組では、確か岸田衆議院議員が「事業所の営業再開などの支援をしっかり行ないたい。」と述べていましたが、実効(実行)性のほどは?

 

 

その後、倉野ボランティアは、被災地と指定投棄場を3往復ほどしてタイムアップとなり、本日の作業を終えました。

いずれにしても「被災ゴミ」は、被災エリアの南北を問わず〝共通の課題〟として大きく位置づけられます。

今後の処理を巡って、これこそが「激甚災害」の下で、国レベルで広域的判断を示してもらいたいものです。

 

 

夕刻には雨が降り出し、再び河川の水かさが増えないか心配されるところです。

と 同時に、被災者の方々には、風邪など召さないよう 願うばかりです。

 

 


復旧に向け

2019-10-18 | 日記

10/17 Thu.

 

台風19号から数日が経過し、復旧に向けた動きが始まっています。

行政(専門事業者)による復旧作業の一方で、市民レベルでの復旧支援=災害ボランティアの募集が始まっています。

長野市社会福祉協議会が中心となり、市民ボランティアを募集し 被災地住宅などのご関係者とコーディネート(調整)したうえで人材を派遣する「災害ボランティアセンター」が開設し、この日 2日目を迎えています。

 

長野市における今回の災害は、篠ノ井・松代地区などの南部エリアと、穂保地区などの北部エリアに 比較的はっきりと分かれています。

その中で、おそらく「できるところから」という発想の下、先行して南部エリアのボランティアセンターが開設され、人材の募集に至ったところです。

 

南部ボランティアセンターは、南長野運動公園内の屋内ゲートボール場に設置され、受付を前に多くの心ある方々が、まさに「集結」という言葉がふさわしい様子で集まっておられました。

 

 

 

多くの方々は個人参加。受け付けを前に さして会話を交わすこともなく黙って受け付け開始を待っておられましたが、心の中に抱く「思い」はみんな共通なのです。

被災地の窮状を報道などで知り、矢も盾もたまらずに「自分にできることは何だろう」と考えた末 ボランティア参加を決め、時間を割いてこの場に集まる。

 

言葉は交わさずとも、みんな同志なのです。

もの言わぬみなさんの背中に、被災地を思いやる「心」そして 言葉にできないほどの「熱意」が感じ取られ、感銘いたしました。

 

やがて9時の受付け開始時刻を迎え、待ちかねたように有志の方々がテントに入ってゆかれます。

 

テント内は、たちまち200人を超える方々で埋め尽くされてゆきました。

 

多くの「善意と熱意」の集結です。

 

 

参加ボランティアの方は、社協スタッフの誘導に従い、シール名札と緊急時に備えた携帯電話番号の記入を済ませます。

 

女性の参加者も意外と多く、心強い限りです。 

 

 

会場には同僚の鈴木洋一市議も、全くの匿名参加。互いにガンバロウと交わしました。

また、小泉一真議員はファミリーで参加されていました。

 

 

参加者は必要事項を記入後、受付順にグループ編成に臨みます。

 

作業班の編成は、シンプルに「来た順」初対面の者同士が、一日限りの〝同志〟となり、共に作業に汗を流すことになるのです。

赤い枠が班の数で「ふせん」の数がボランティアの数です。

 

及ばずながら私も「同志」の仲間に加えていただきました。

 

 

私のグループは「第45班」とされ、南部の被災地が篠ノ井エリアと松代エリアに二分されるうちの「松代エリア」への派遣を任じられました。

 

 

松代支所に「サテライト」が開設されていました。

 

 

 

松代サテライトで第45班の到着を告げると、その場で「被災地ニーズ」との照合が行なわれ、例えば ○○番地のAさん宅にお願いします、というように依頼が出され、班はそこに赴いたうえで 家人の作業依頼に従って作業を行なう、というものです。

私たちの到着に合わせてニーズ調査をしている中、おそらく松代住自協の方でしょうか、高齢の男性が飛び込んで来られ「被災ゴミの集積場が、荷下ろしに手間取っちゃって渋滞してダメだ。軽トラからゴミを下ろすモン(人材)を大至急よこしてくれ!」との声。

そこで瞬時のコーディネートが成立、われわれは青垣公園にある 被災ゴミ集積場の荷下ろし作業に従事することとなりました。

 

 

サテライトからクルマで数分のところに青垣公園があり、そこで私たちが目にしたものは。

 

 

うず高く積まれた 被災ゴミの山、というより〝山脈〟です。

これだけで、当地区の被害の大きさが伝わってくるようでした。

 

われわれは 取りも直さず軽トラを待ち受け、搬入されたゴミを 分別しながら荷下ろしします。

 

 

各世帯におかれても、事前の周知に基づき 厳しい状況の中にも関わらず概ねの分別をしてくださっており、軽トラの荷台を覗いてはゴミの種類を判断し、指定されたスペースに投棄します。

 

 

家電製品が多い。これは、キッチンやリビング、浴室などの一階部分の床上浸水被害の多さを表しています。

 

つい昨日まで 当たり前の生活を送り、調度していた生活用品が一瞬にして被災ゴミに。被災者の方々のご心中はいかばかりかというところです。

 

次から次へと入場する車列を受け入れ、場内のスタッフも 多くは語らない中でも被災者に心を寄せ、手ぎわよく作業に臨んでおられました。

 

 

と そのとき、現場に力強い助っ人が現れてくれました。

 

隣接する高校の生徒諸君です。

 

 

先生の計らいか、生徒の志願なのかは判りませんが、いずれにしても 将来有為な若者たちが 被災者の窮状に心を寄せ、手を差し伸べたくれたことはありがたいこと 言葉に尽くせないところです。

 

このコは野球部かな、重い荷も軽々と抱え作業に励んでくれていました。

 

 

時間はアッという間に過ぎ、規定の3時半となったことから 現地にて解散しました。

作業に専念したことから、あまり会話を交わすこともありませんでしたが、一日限りの「同志」として心を通わせた一行は「また いつかどこかで!」を交わし、それぞれの帰途に就きました。

 

 

濁流が流れた赤坂橋のたもと。いつもの穏やかは光景なれど、河川敷には累々と土砂が堆積していました。

 

これが現実か。

 

それでも 明日からまた「できること」を。

 

 


大切なお知らせ =悪者は泥棒だけじゃない=

2019-10-17 | 日記

先日〝泥棒注意情報〟をお伝えしましたが、追情報です。

 

被災地にありがちな「悪徳業者」の出没、また報道では、被災地以外のところで「募金詐欺」が出没しているとのことです。

人の弱みにつけ込む輩、さらには 人の優しさにつけ込む輩がいることは、残念至極と言わざるを得ません。

みなさん、お気をつけください。

 

 


災害に学ぶ

2019-10-17 | 日記

10/16 Wed.

 

台風19号による被害を調査するうち、同時にさまざまな課題も浮き彫りにされてきています。私が歩いているだけでも、さまざまな状況を見せつけられるところです。

 

例えば、市内篠ノ井の、御幣川と塩崎の境界にあるエリア。

 

 

旧国道の「見六橋」交差点に店を構える床屋さんがあります。

 

この台風で、そちらの店舗を含んだ周辺エリアが冠水被害に遭いました(撮影時は片付け済み)

店の方(かた)に伺えば、12日の夜 店舗兼住宅の西側「岡田川」方向(地図の左側)から水が来て、アッという間に浸水してしまったそうです。

 

 

で、その浸水のタイミングが、店舗脇の川(岡田川)の下流部で 千曲川に接続する「横田水門」を閉じた後だったそうです(写真上方が川の下流)。

 

つまり、千曲川からの水の流入を防ぐために水門が閉じられたために、岡田川を流れ下ってきた水が行き場を失い、見六橋周辺で溢(あふ)れ 周辺に被害を及ぼしたのではないか、ということなのです。

このことは、非常に微妙な問題を孕(はら)んでいると思います。

水門周辺(横田)の住民にすれば、本流(千曲川)が溢れんとする中、自分のムラを守るために水門を閉める。これは当然の自衛行為でしょう。

しかし、河川は つながっています。

当該の水門は、同時に岡田川の終末点であり、そこを閉じるということは、本来 千曲川へ排出されるハズの岡田川の水を遮断することになる。そうなれば、その周辺エリアが溢水するのは当然の成り行きということになってしまいます。

この問題の解決のためには、横田の水門を閉めないまま水を排出する、すなわち排水機の設置が求められることになると思います。

 

 

また一方、松代大橋の北側にある千曲側の堤防。

 

 

こちらの地点は今回、僅(わず)かの差で越水を免れました。

 

 

が、衆議院議員を現場に案内してくださったYさんの表情は固いままでした。

曰く「今回 被害が無かったのは、たまたま、だ。」

今回の台風でも、水は取り付け道路の頂点にまで達しており、

あと20センチ以上の流水があれば、堤防西側の集客施設をはじめ集落が水に呑み込まれるところだったそうです。

 

この堤防の「嵩(かさ)上げ」については、この地点の危険度に鑑み 10年来の要望になっているものの、実現については はかばかしくないままだそうです。

Yさんは 固い表情を崩すことなく「今回の堤防決壊や大規模水害は〝明日はわが身〟の典型だ。こちらの危険地点も、10年来の要望を踏まえ 千曲川流域の抜本的な治水対策を行なってもらわなければ。」と語気を強めておられました。

 

今回の災害に際し、被災地の復旧に行政の力(ちから)は傾注されることになりますが、それは あくまで〝対処療法〟に過ぎないと言わざるを得ません。

「千曲川」の名のとおり、曲がりくねった川筋は、いつ どの箇所で氾濫するか判らず、そこには 河川の全域を見渡した築堤の構築が求められるところです。

 

また、今回の台風水害では「排水機」が機能したか しなかったか、で、被害を左右したことが側聞されています。

例えば こちらの排水機は、動作中に給水口に異物(葦/よし)が詰まり 十分な給排水ができなくなったうちに本流の水かさが上がり 排水機場そのものが水に浸かってしまい、結果 集落への川水流入を許すことになってしまったそうです。

 

今後、排水機への異物混入をどう防ぐか、施設前へのメッシュ設置などの対策が求められるところです。

 

と いうように、私だけが歩いただけでも多くの課題が散見されるところです。今後は、さまざまな立場の方々が 今回の台風被害を通じての経験値や課題等を集約し、二度とこのような被害が起こらないよう手立てしてゆくことが求められていると実感させられました。

 

被災者の方々の「涙」を無駄にするまい。心に誓うところです。

 

 

 

◆国会での「くだらない議論」に怒りを通り越して

被災現場が苦労に堪えない中、開催中の臨時国会で「避難所の環境向上」を巡り、なんとも「くだらない議論」が交わされたことが伝えられ、怒りを通り越して 情けなく思ってしまいました。

森ナントカいう参議院議員が「イタリアの避難所ではワインを出す。日本の避難所も そんな風に意識を変えるべきだ。」と発言したとのこと。

彼女の言わんとする〝避難所の意識改革〟の趣旨は判らんではないですが、この場は国会。国の予算を司る立法府の最高権者の集まりで「避難所にワイン」はないでしょう。

イヤ 百歩譲って そんな話しを出してもヨシとしても、それは「残余の時間」質問時間が余ったときに、ついでの話しとして持ち出すべきです。これがまた、私の支持する民主系の議員だから 余計に残念でした。

 

今回(だけでなく)の 台風による水害の多くの原因は「堤防決壊」または「越水」であり、国においては その(水害予防の)ための堤防の整備をどう進めるか、などの「抜本的な議論」を行なうべきではないでしょうか。

今の予算委員会は、まさに災害真っ只中で行なわれているのに、、何というか〝表面的な議論〟に終始しているとしか思えず「この人たちは、災害現場に行ったことがあるのか、行ったとしても(国会議員としての)問題意識をホントに抱いたのか、ただ「現場に行ってきました。」で自己完結しちゃってるのではないか。」と疑心暗鬼になってしまうところです。

ある意味、細かい議論は われわれ地方議員に任せていただき、あなた方は、もっと抜本的な、もっと大局に立った議論を交わしてくれよ、と感じたのは、私だけではないハズです。

 

 

 

被災地では〝復旧に向けた第一ラウンド〟被災ゴミの搬出入が始まりました。

 

大切な家財が泥水に汚され、泣く泣く処分せざるを得なくなった方々が、指定箇所に車列を成しておられました。

 

もとより これらは、行政の責任において処分されることになります。

 

 

 

災害の影響が、じわじわと広がっていることを実感させられます。

 

 


大切なお知らせ =泥棒に注意=

2019-10-16 | 日記

台風19号の被害に遭われた方々に 心よりお見舞い申し上げます。

 

警察筋の情報によると、住民が避難して不在の被災住宅に「空き巣」が出没し始めているそうです。

連中は、作業着を着て 一見すると復旧支援に来たことを装っていますが、その正体は泥棒。

被災住宅に堂々と入り込んで、金品を盗んでゆくそうです。

中には、車の修理工を装って オーディオなど車内のパーツを盗む輩もいるとか。

他人(ひと)の不幸につけ込む連中は 絶対に許すことはできません。が、警察も見た目での判別がし難く 現行犯でしか検挙できず苦慮しているそうです。

該当(被災者)の方々におかれては、貴重品や金品(持ち出せる物)は被災住宅(留守宅)に置かず、肌身離さずにおくか、銀行の金庫に預けるなどの善後策を取ってください。

これ以上 泣きをみないように、自衛の手立てを講じてください。お願いいたします。


台風被害 ここにも

2019-10-16 | 日記

10/15 Tue.

 

未曾有の台風19号の爪あとは、地区内の至るところに及んでいます。

この日は、先日 篠ノ井塩崎地区に行った際、パイパスのアンダーパスが完全に水没していたことから その先(西側)にあるNさんのお宅の様子が気になり 慰問に足を運びました。

当夜はパイパス及びアンダーパスは 完全なる湖状態でした。

 

そこで奇しくも〝隠れた大災害〟を目の当たりにすることになったのでした。

 

この日は このアンダーパスは通行止めになっていたことから、迂回して線路の西側に回りました。

鉄橋の下を流れる千曲川、穏やかな流れに戻っていますが、河原部分は先日の濁流の痕跡をとどめていました

 

ほどなく かかる塩崎は上篠ノ井地区に南側(川の方)から入ろうとすると、そこにはいきなり一階部分が全壊した家屋が。

 

そうです、こちらの上篠ノ井地区も、集落ごと 越水による大きな被害を被っていたのでした。

 

とりも直さずNさんのお宅を訪ねると、自宅と自営の工場が床上浸水の被害を受けておられました。

にも拘わらずNさん「ウチの被害はさることながら、議員には、この水害の根本的な部分をぜひ見てってもらいたい。」と口を真一文字に結び、地区のまとめ役のTさんと共に「現場」に案内してくださいました。

 

現場は、集落の南端 すなわち堤防沿いにある閑静な神社です。

 

そこには、大きな板状の部材が、まるで板チョコを折ったように倒してありましたが、これは何と 堤防の法面(のりめん)。法面が 水圧でそっくり引きはがされ 倒されていたのでした。

 

「これは・・・」と息を呑(の)む私。これほどの損壊は、国交省の所管レベルです。

と、そこに何というタイミングか、衆議院議員の篠原 孝代議士のO秘書さんから電話が入り、聞けば 何と被災地見舞いで塩崎エリアに居られるというではありませんか。

そこで事情を話すと、時間があるので現地を見てくださるとのこと。渡りに舟とはこのことです。

 

ほどなく代議士と合流し、共々に現場を見ていただきました。

 

今回の越水被害の現場は、そもそも、北へ向かう千曲川が 東へ方向を変える〝曲がり角〟になっているのです。

 

通常の流れであればゆるやかに右へ舵を取る川の流れが、大量の水を運ぶことにより その舵が効かなくなり 北方向へ直進し、結果 この堤防にまともにぶつかったことで越水すると同時に、水の勢いで法面をなぎ倒していったのでした。

して、越水した濁流は堤防際で「渦」を成し堤防自体を大きくえぐり取ってゆきました。

 

その えぐり取り幅は 堤防全幅の半分近く。もう少し削りの幅が大きければ、穂保クラスの決壊となり、塩崎地区はもとよりエリア全域を水に沈める大災害になるところだったのでした。

 

背筋が寒くなるとは このことです。

 

説明者のTさんは「ニュースでは 実際に決壊した穂保に注目が集まっているけれど、ウチの方も紙一重の事態でした。このことについて「この程度で済んだから」として過ぎたことにせず、これを契機に抜本的な堤防整備に取り組んでもらいたい。」と語気を強めておられました。

それに対し、篠原代議士は「今回のことを契機として〝道路行政より堤防行政を〟をキーワードに 議論を深めてゆきます。」と応じてくださり、今後も片や市民は住民要望などのアクションを、代議士は国会で議論を と協調してゆくことで一致したところです。

私の立場でも、住民の合意形成や議会・委員会での意見具申など「ボトムアップ」の先陣を務めることをお伝えいたしました。

 

ここにも、台風の爪あとが。

 

 

※他にも諸事ありますが、追って別葉にて掲載します。

 

 


大切なお知らせ =とにかく写真/画像を=

2019-10-16 | 日記

今回の台風被害に遭われた方々に 心からお見舞い申し上げます。

 

さっそくですが要件まで。

復旧作業の際に「写真撮影」それも 作業を始める前の「被害状況」を写した写真/画像を撮っておくことを強くお勧めします。

今後、建物の保険などの手続きなどの際、被害の状況をアジャスターなどに具体的に知らせるため、また行政が発行する「罹災証明書」などの正確な判断基準として、写真/画像は重要な証拠資料になります。

罹災証明書とは、災害による被害の程度について証明する書類です。市町村で災害が発生した場合、市町村長が 被災者の申請に応じて交付します。

 

この証明書は、自然災害(風水害、地震、津波等)や火災の被害者に遭った被災者が各種届出、証書などの再交付申請、火災保険の請求、税の減免手続き等の際に必要となります。 持家・賃貸いずれの場合でも発行手数料は無料で、必要な枚数を発行してもらうことができます。

また、車や家財などが被害を受けた場合には、罹災証明書ではなく「被災証明書」により被害を証明できます。

一部筋によると、今回の台風被害においては、写真なしで対応してくれるとの情報もありますが、いずれにしても、写真/画像があるに越したことはありません。

 

どうか、後の手続きがめんどくさくならないように、でき得る限り細部に亘り、被害状況を記録してくださるよう、私の立場からも強くお勧めする次第です。


読者各位のご関係者に被災された方が居られるならば、早いとこ情報拡散してください。

 

長野市においては、15日から順次調査に入るそうです。

長野市からのお知らせ)


14日 動静 =2=

2019-10-15 | 日記

10/14 Mon.

 

この日の動静を、時間系列でご報告しています。

 

◇〝救世主〟現(あらわ)る ~避難所で感謝の涙~

未曾有の台風被害から一夜が明けました。

先日来の浸水は ほとんどのエリアで水が引いた模様です。が、後には大量の泥や石砂が残されています。

 

これからは かかる泥などの撤去、また 浸水被害の住居等の清掃、道路の泥水撤去、それに「被災ゴミ」の片付けなどの難題が待ち受けることになります。

これからは「すべきこと」と「できること」に思考を巡らせ、自分なりに精一杯 尽くしてゆきたいと強く思うところです。

 

ところで・・・私たちなど〝立場のある者〟は、ときに被災者の要望などに応えようとして、すぐにでも役所にねじ込み「あれをやれ!」「あそこはどうなった!」と強弁したくなるものですが、今は どこもかしこも一杯いっぱいで災害対応に追われています。

私とすれば ただのワガママ議員とならないよう、機を見て行動してまいりたいと思うところです。

 

 

一夜明けた 千曲川の決壊現場は、昨日までの〝湖状態〟から水も引けました。が、その下からは大量の泥と石が現れていました。

 

泥の中に突っ立つ柱の数々。これ、ただの支柱ではありません。「矮化(わいか)栽培」のリンゴの支柱なのです。

 

 

人智を尽くして効率のいい栽培を果たしたリンゴの木々も無残な状態に。

農業被害もかなり深刻であることが判ります。

 

 

決壊現場では、今日も急ピッチの復旧(土盛り)作業が行なわれていました。

 

 

70mに亘る堤防の亀裂を塞(ふさ)ぐべく、南北方向から土砂を埋めてゆきます。

 

 

 

被害の無かった築堤部分から土砂を採取し、破れた堤部分を埋めてゆきます。

 

 

大型重機のキャタピラ部分を突端ギリギリに据えての危険作業。二次災害の無いよう、迅速 でも安全第一の作業が求められるところです。

 

眼下には、堤防を押し破って集落を襲った泥水の勢いのすざましさを物語る朽ちた家並みが。

 

悔しさに泣けてくるほどです。

 

 

今後、国から「激甚災害」の指定を受けることになりますが、今後の復旧・復興をどのように行なっていったらいいのか、瓦礫(がれき)を前に思考するばかりです。

今後の検証・検討の場に臨んでまいります。

 

 

災害から一日が経過したことから、こちらのエリア(北部)の避難所に車首を向けました。

こちらのエリアは災害の程度が大きかったことから、被災直後は きっと「現場」は混乱しただろうから、私のような立場の者が行って混乱に拍車をかけてはいかんと思い遠慮したところですが、やや時間も経ったことから いろんな意味で落ち着いたところで 改めて課題を検証させてもらおうと考えたところです。

 

村山橋から長野市大町エリアの集落を抜けると、そこは泥の道が続いていました。

 

泥流は庭先にまで押し寄せ、全てを茶色く染めてゆきました。

 

穂保方角から おそらく逆流の形で流れてきた泥水が、家屋の塀をねじ曲げていった様子が見られました。

 

主要幹線 国道18号線も、泥・泥・泥。です。

 

 

※ブログの掲載量に限りがあるため、続編は次葉に掲載します。

 

 


14日 動静 =3=

2019-10-15 | 日記

10/14 Mon.

 

14日の動静を、時系列でご報告しています。

◇救世主現(あらわ)る ~避難所で感謝の涙~

北部エリアの被災者の方が身を寄せる「北部スポーツ・レクレーションパーク」に着きました。屋内運動場です。

 

大切なわが家が浸水したであろう多くの住民と家族が 施設の中で身を寄せ合っています。その心中(しんちゅう)を思うと、私も切ない思いが募ります。

 

と、入り口に一張りのテントが。

訊けば 市内で営業する「松栄寿司」のスタッフさんだそうです。

 

松栄寿司のオーナーが「避難所のみなさんに温かいものを」と、自主的にトン汁を提供することを決め、材料・調理器具・テント、それにスタッフさんまで自腹で調達してくれたそうです。

 

さらに「男気」なのは、店の名前を一切出さず、ただ単に「湯気(ゆげ)」を被災者のみなさんに届けようと腕を振るってくれたこと。

避難所でリクエストが多いのが「風呂と汁もの」と言われています。その人心に叶ったサービスを、即座に しかも匿名で実践している松栄寿司さんの心意気には、感謝しかありませんでした。

 

 

館内には、日赤奉仕団の方々が 提供品を希望者に頒布してくださっていました。

 

伺えば、各方面から様々な寄付の品々が寄せられているとのこと。

ホワイトボードには「ニーズ調査」も示され、必要に応じて物資の調達が行なわれているそうです。

 

被災者からのニーズに応じて スタッフさんがリクエストを記入。

 

私が行った頃には「靴下が届きました!」とのアナウンスが流れていました。

「はい、どうぞ。ゆっくり休んでください。」日赤奉仕団の女性が、温かな言葉を添えて 提供品を手渡ししていました。

 

 

ところで、この「北部スポーツ・レクレーションパーク」の運動場は、そもそも ゲートボールやテニスに興じるスポーツ施設で、床面(ゆかめん)は、表には人工芝が張ってあるものの、その下はコンクリートなのです。

 

つまり、めっちゃ、固い。

私は常々、避難所の環境整備を声高にする中、固い床に毛布一枚での雑魚寝を強いる状態を改善すべきと思い、段ボールベッドなどの製品を装備すべきことを訴えるところでしたが、そこに発生した台風被害・・・長野市民が被災者になってしまった現実を前に、しかも この避難所の床の上に立って、こんな固いところで雑魚寝を強いるのか と、忸怩たる思いを重ねんとしていた矢先でした。

 

施設の一隅で、何だかゴムボートのようなものを膨ませている方々がおられたのです。

 

 

その実(じつ)は、何とエアーマット(ベッド)だったのでした。

 

伺えば こちらの団体は、愛知県みよし市から駆けつけてくださった「原田車両設計株式会社」の 代表取締役 原田久光さん以下スタッフのみなさんだそうです。

 

原田さんらは、かねてより被災地支援、それも避難所の環境整備に心を砕いておられ、今回の長野市の災害にあたっては 同じく災害支援に取り組むネットワークの情報交換を通じて長野行きを決められ、その中でも(支援物資/エアーベッドに限りがあることから)特に(コンクリート床で)条件の悪い この体育施設を選択して来られたとのことでした。

現場では 原田社長自らポンプを動かし、一枚、また一枚とベッドを膨らましておられました。

 

 

場内での呼びかけを聞き、固い床に往生していた避難住民の方々が集まり、喜んでエアーベッドを受け取ってゆきます。

 

 

固い床で一夜を過ごすことを 半ばあきらめの境地で迎えようとしていたみなさん、さっそくエアーベッドを床に敷いてゆきます。

 

快適な寝床の出来上がりです。

 

ちっちゃな子供も大喜び。手触りを確かめたり、ぴょんと跳ねたり。

 

 

私は、私の忸怩たる思いを理解してくれたかのタイミングで 物品を供してくださった原田社長をはじめとするみなさんの善行に、感謝の涙を流すばかりでありました。

 

 

正直いって、長野市の避難所の支援体制は 不十分と言わざるを得ません。

でも、今は災害の渦中にあります。できることと できないことがあるのが厳しい現実です。

 

それを、心ある方々が 具体的にフォローしてくださいました。

 

私たちは、この善行に心からなる感謝を申し上げると同時に、この 不足していることも含んだあらゆる経験を、今後に活かさなければなりません。

それこそが、ご厚情に応えることにつながるのではないでしょうか。

 

この度の 原田車両設計㈱さまのご厚情を目の当たりにし「避難所の環境整備」このことに力を尽くそう。改めて心に誓ったところです。

 

 


14日 動静  =1=

2019-10-15 | 日記

10/14 Mon.

 

この日の動静を、時間系列でご報告いたします。

 

 

◇台風被害を契機に、みんなで整備「アカシアの杜」

この日の朝、住民パワーで造成した 犀川南マレットゴルフ場(愛称「アカシアの杜」)の整備作業が行なわれ、多くの愛好家が 普段は持つスティックを道具に代え参加されていました。

 

 

今回 多方面に甚大な被害を及ぼした台風19号は、ここ「アカシアの杜」にも 倒木などの被害を及ぼしました。

 

 

それらを踏まえ、予(あらかじ)め予定されていた整備作業について、プレーヤーの安心・安全を更に重要視したうえで、樹林の間伐を進めるという賢明な判断の下、この日の作業に臨んでいるということです。

 

もとより根が浅いニセアカシアは、強風などの影響により倒れやすいことから、この際 (倒れるかも、と)怪しい樹木は思い切って伐採することにしたそうです。

 

 

参加者の多くの方が「チェーンソー」を持参し、手際よく細断してゆきます。

 

 

切った幹枝は 人海によって片付けられてゆきます。

 

 

元〝業界人〟のH愛護会々長は、自ら重機を駆使し、抜根作業を進めておられました。

 

 

近代兵器と歩兵部隊のみなさんが見事に同調し、効率よく作業が進められてゆきます。

 

 

コースの中では、強風により散乱した枝葉を 女性愛好者の方々を中心に こちらも多くの方々が片付け作業に臨んでおられました。

 

コース内の異物は プレーの妨げにもなることから、一枝 々 丁寧に集められます。

 

 

作業のコツは「細分化」倒した樹木を一定のサイズに切り、

 

広がった枝は選定鋏で細分化され、

 

コース脇の指定地に積み上げられてゆきます。

 

 

「人海戦術」とはヨク言ったもの。一人ひとりの協力でコースは整備されていったのでした。

 

 

ところで この日の整備作業にも「長野東高 女子駅伝班」のメンバーが参加してくれていました。

 

彼女らは、このマレットゴルフ場に隣接するランニングコースで練習に励んでおり、コースの一部がマレットゴルフ場と共用していることや、普段から応援してくれていることへの感謝の心をもって参加してくれているようです。

いつもながら「ただ 速いだけではない」彼女らの心ある行動、それを指導するT監督の教育観に敬意と感謝を表するところです。

 

来る11月には大きな大会を控えるも、つかの間の奉仕活動。あらゆる意味で成長の糧となることを期待したいと思います。

 

 

整備作業の進捗に合わせて、ホールに再びフラッグが立てられてゆきます。

 

 

明日からまた、健康寿命の延伸の拠点として 笑顔の輪が広がることを期待いたすところです。

 

 

 

◇非常時なのに その認識? ~お母さんの訴え~

市内を移動中、公私共に親交のあるTさんから電話が入り「意見」を共有することになりました。

訊けば Tさんの元(もと)に、7才の男の子をもつお母さんから電話があったそうです。ことの顛末は次のとおり。

日曜日の朝 子供の体調がすぐれなくなったことから、新聞の「緊急医」の掲載を見たうえで、若穂で開業する小児科医に電話したところ「午後2時までに来てください。」と言われたそうです(新聞の表記は「9時~18時」)

電話に従って午後2時に病院を訪れると、何と「もう受付・診察は終了しました。もうウチではできないので、日赤病院(若里)へ行ってください。」との対応を受けたとのことです。同様に来院した保護者が抗議していましたが、対応に変わりはありませんでした。

お母さんは 具合が悪くなる一方の子供を抱え、仕方なく日赤病院に行くと、そこには 台風被害の影響で、それぞれのかかりつけ医で受診できなかった多くの患者で溢(あふ)れ返っていたそうです。その後は待たされるなんてもんじゃない、このまま子供の容態が悪化したらどうしよう、と心配心が募るばかりだった、とのことでした。

 

私は Tさんと同様、くだんの若穂の小児科医院の対応に怒りを覚えると同時に、他人様(ひとさま)の生命を預かる医師の認識、ひいては医師会全体の認識がどうなっているのか 大いに疑問に思わされたところです。

 

今回の台風19号が未曾有の災害であったことは 誰もが認識するところです。

そんな中、被災地の医療機関が機能不全に陥ることは往々にして想像できるところであり、患者や医療ニーズは 自ずと大きな病院に集中せざるを得ないことは、われわれ素人にも考えられるところでしょう。

で あるとするならば、地域に遍在する開業医においては、普段以上に患者の受け入れに努め、大病院に集中しがちな患者の「分散受け入れ」に協力し、ひいては長野市全体の医療サービスが遅滞しないように計らうことこそが「医者の努め」ではないでしょうか。

 

今回の 若穂の小児科医の悪しき対応は、災害時(非常時)に 地域医療機関が取るべき対応の〝真逆〟をいくもので、到底容認できるものではありません。

この後 近々に、今回の災害対応の 第一次検証が行なわれることになろうことから、この件も災害対応の悪例として捉え、医師会を初め 関係機関に対し、対応の如何を質(ただ)すと共に、非常時こそ 地域の医療機関が積極的に機能し、一人でも多くの市民の健康 ひいては生命が守られるよう努めてゆくべきことを訴えてゆきたいと思うところです。

 

 

※ブログの掲載量に限りがあるため、後段は別途 掲載します。

 

 


爪あと

2019-10-14 | 日記

10/13 Sun.

 

列島を襲った台風19号は、私たちの地域にも大きな爪あとを残してゆきました。


被災現場を巡って、その被害の大きさを実感させられることになったのでした。

 

 

犀南エリアにおいては、千曲川に面する篠ノ井地区が 堤防の越水により水害を被(こうむ)ることとなってしまいました。

 

稲刈りを終えた田は、あたかもプール。

 

私もよく通る農道は、その先が見えません。

 

 

千曲川に並行する農地(水田)は、完全に水没しています。

 

 

長野南警察署から東へ抜ける市道も、その先線は水の中。

 

茫然と佇む方が居られました。

 

こちらのお宅は、ブロックを一枚積んだだけで水害を免(まぬが)れていました。「設計士さんに感謝です。」と 若い家主はしみじみと。

 

 

 

赤坂橋へ抜けるムラの大動脈は、通行不全に陥っていました。

 

 

当地(小森)は、東に向け、また南に向け低地になっているらしく、水は低い方へと溜まっていました。

南に目を転ずれば、閑静な住宅地が水没の憂き目に。

 

 

奥の方では、近隣住民が 腰まで水につかって善後策(前後策)を協議されていました。

 

 

エリア内にある中学校も水害に遭っていました。

 

 

本来は避難所に指定されていますが、今回ばかりはその機能を果たせません。

 

避難所指定そのものを問われることとなりました。

 

 

ピーク時からは水はずいぶん引いたとはいえ、校舎の西側(千曲川側)にある校庭は まるで湖のようになっていました。

 

授業再開に向け、排水を行なわなくてはなりません。

居合わせた学校関係者の方は、早期に授業等を再開したい意向を示しておられました。私の方からは、通学路などの登下校時の安全確保や、被災されたお宅の生徒への配慮などをお願いいたしたところです。

 

実は 当地区においては、今回の台風に際し、あろうことか 地区内に整備されている排水機そのものが水没してしまい、水を排出することができなかったそうで、その〝機能不全〟が 今回の水害の大きな要因になってしまいました。

このことについては、地区内に住まわれる方からも強い指摘があったことから、今後シッカリと検証すべきことを再認識したところです。

 

 

 

その後、千曲川が決壊して甚大な被害が発生した市内北部エリアに車首を向けると、そこで 南部エリア以上の広範な被害が及ぼされていたことを目の当たりにすることになったのでした。

 

通行ルートの都合で、古里地区に西側から入りました。

閑静な住宅地を歩くこと数分で、非現実的な模様を目にすることに。

住宅と住宅の間から東方向を見ると、そこには水に浸かった景色が。

 

クルマもすっかり水没しています。

 

 

水が引き始めた こちらは庭先でしょうか、でも延々と水に浸かっています。

 

クルマのボディーに残る痕跡に、ピーク時の水位が記されていました。

 

 

穂保方面に向け、巨大な水たまりができています。

 

遠くにヤマト運輸本社が見えます。

 

住宅地の路地は、道路の代わりに水が張ってあるようです。

 

こちらでは、週明けから道路の舗装工事が行なわれるハズだったようです。

 

 

北方角は 未だ湖状態。クルマや徒歩ではとても進行できそうもありません。

 

救命・救助活動にはボートが使われていました。

 

 

東北中学校前の交差点も、信号が停電状態のまま 冠水していました。

 

そんな道路状況でも、緊急患者を乗せた救急車が、水をはじきながら市民病院へと向かってゆきます。市民病院は冠水を免れたようで、その点は不幸中の幸いと言うべきでしょう。

 

 

場所は転じて、国道18号線「大町」交差点。消防・警察・自衛隊の合同指揮場が仮設されていました。

 

 

穂保の、水が抜けたであろう地点に関係者が終結し、救助・復旧活動が行なわれていました。

 

 

私が居た時間の内にも、二度に亘って緊急車両がスクランブル発車していました。

 

 

 

村山橋の北方に、今回の大きな被災現場があります。

 

 

長さ70mに亘って堤防が決壊、大量の泥流が集落に流入しました。

 

 

現場は、数年前に整備された「桜堤隧道」本来なら 植えられた桜が大きく成長し、長野市北部の名所になるハズでした。

 

 

その築堤も大きく欠損し、堤下には大量の水が。

 

 

おそらく住民の方でしょうか、お住まいと覚しき方を指し 嘆息されていました。

 

 

堤防の西に目をやれば、そこは 泥と水の溜まり場です。

 

 

泥水に押され、1階部分が大きく破損した家屋が並んでいます。

 

水の勢いのすざまじさを見せつけられる思いでした。

 

 

 

決壊箇所では、突貫工事で「穴ふさぎ」の土木作業が始まっています。

 

 

土くれを入れた強靱なネットを積み上げたり テトラポットを埋設したりしながら、仮の堤防を造成します。

 

 

ここが塞(ふさ)がらないことには 復旧の一歩にならず、時間との闘いになるでしょう。

 

堤防と河川の間は、つい先日まで、おいしいリンゴの果樹園でした。

今は まるでアマゾンのジャングルのよう。見る影もありません。

 

今の今まで丹精を込めて育てたリンゴが水没の憂き目に。「悔(くや)しい」という言葉が絞り出されるような厳しい光景です。

 

 

被災地の現状は、ショック・悲しみ・怒り・・・やるせない思いが募るばかりの光景となっていました。

これから 何をすべきか、何ができるのか・・・とても一言では言えない。「課題山積」とは このことを指すのでしょう。

緊急課題・短期的課題・長期的課題。トリアージ(優先順位)の下、迅速かつキメ細かい対応が求められることを実感したところです。

 

 

 

 

 


大切なお知らせ

2019-10-14 | 日記

台風19号の被害を受け、長野県設置の終末処理施設(下水)「グリーンピア千曲」が機能不全に陥っています。

 

 

したがって、このままでいくと下水が溢れるなどの最悪の事態を招く恐れがありますので、みなさんにおかれましては「節水」に心がけていただきたいと、担当部局から 伏しての要請がありました。

 

以下、リリース文をご紹介いたしますので、みなさんのご理解ご協力のほど、私の立場からも宜しくお願い申し上げます。

 

 

 

現在、台風19号による豪雨による浸水被害により、千曲川流域下水道下流処理区終末処理場(クリーンピア千曲・長野市赤沼地籍)が浸水し、下水処理ができない状況となっております。  

このまま下水道の使用を続けると、下水道のマンホールや公共ますから汚水があふれ出る恐れがありますので、下水道への排出量の削減にご協力をお願いします。

・お風呂はシャワーのみの利用や回数の減

・台所洗い物や洗濯物のまとめ洗いと節水など

 

なお、下水処理ができる目途が立ち次第、改めてお知らせいたします。


台風19号襲来 2

2019-10-13 | 日記

10/12 Sat.

 

非常に勢力の強い台風19号が、列島に上陸し、大きな爪あとを残してゆきました。私の周辺の状況について、時系列と共にレポートします。

 

 

長野市で水害が発生する際、その〝主要因〟となるのが 千曲川の状況です。千曲川とその流域の水位の如何(いかん)で、流域の社会安全が左右されるのです。

 

午後6時頃、赤坂橋から千曲川下流を臨むと、上流の異物を浮かべてだくだくと川流が続いています。

 

このときは、後に大きな被害が発生するようになるとは思いもしませんでしたが・・・。

 

千曲川から及ぼされる被害(水害)を未然に防ぐべく、河畔の要所 々 に「排水機場」が整備され、必要に応じて排水作業が行なわれることになっています。

 

リンゴの里 共和から向かったのは、犀南地区での冠水の課題地区「松代温泉団地」です。

私が行った際、すでに枝川(しせん)の水量は満水に近い状態でした。

 

既に当番の方が詰めておられ、大きな稼働音を立てて排水作業が行なわれていました。

 

 

その後、篠ノ井地区の低地である西寺尾地区の「西寺尾第一排水機場」に行くと、水位が上がっているハズなのに、機場は妙に静かでした。

 

 

やや いぶかしく思いながら施設に足を運ぶと、中では地区の役員さんを始め、エンジニアと覚しき方も一緒になって配電盤に向き合っています。

 

訊けば、あろうことか排水機の動力が始動したいとのことでした。

その間も、雨水はどんどん溜まってゆきます。

 

 

地区の副区長さんも、心配しながら水面を見つめていました。

 

火急の事態に応じ、直ちに市の危機管理防災室に非常事態を連絡し、とりあえす臨時対応を行なう返答を得たことから、その間を使って修繕を試みたところ、どうやらヒューズに問題があることが判ったので、動力を自家発電に切り替え、係のKさんがスイッチを入れます。

 

と、それに応えるように大きなエンジン音が発せられます。どうやら起動に成功したようでした。

 

 

もって、この排水機場の排水作業は ギリギリセーフで始まることとなり、ムラの冠水は みなさんの努力によって守られることとなったのでした。

 

 

その後、篠ノ井エリアに堤防から水が溢れ出し、避難が開始されたことが報じられます。

改築間もない篠ノ井市民会館が自主避難所になっていました。

 

風雨が強まる中、多くの市民が着の身着のまま足を運んできます。

 

 

ホールの入り口で毛布が渡され、ホールでそれぞれに時間を過ごすことになります。

 

ホールは一面のフロア、ステージ部分も活用して それぞれに「陣」を張ります。

 

 

 

薄っぺらい毛布で 固い床への雑魚寝は、いかにも大変そうでした。

 

 

 

会場には非常食(乾パン)も置かれていましたが、何となく食指は動きそうもありません。

 

 

避難所には 杖をついた高齢者が、家族に手を引かれて入る姿も。そんな姿を見るにつけ、やはり段ボールベッドの必要性を再認識させられました。

 

ホールの外には 中に入れないワンちゃんが繋がれていました。

 

 

避難所の課題をも見せられた感でした

 

 

避難所で様子を見ていると、篠ノ井塩崎にお住まいのSさんから「自宅が冠水の恐れになったので避難する。」との一報が。とり急ぎ行ってみると、塩崎信号の西側が冠水し始めているとのことでした。

 

 

信号そばにあるバス運行会社の前から西側が水に浸かっています。

 

私が着いたとき、消防局が 取り残された住民を救助に向かうためボートを膨らませ、出動してゆきました。

 

側聞すると、被災民は高齢者とのこと。当局の慎重な足取りからして、無事に救出されることと思います。

 

 

その後、篠ノ井横田地籍に向かうと、千曲川はほぼ満水。

 

 

場所によっては堤を水が乗り越えてしまい、農地の中に点在する住居のすぐそばにまで水が来ていました。

 

 

この頃は、その後 千曲川河畔で甚大な被害が及ぼされるなど、思いもしなかったのでした。