倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

いわゆる「裏金問題」の取り扱いについて

2024-01-31 | 日記

令和6年が明けたばかりの列島・能登半島を大地震が襲い、その翌日には成田空港で不測の航空機事故が発生するなど、波乱・多難な幕開けとなってしまいました。

一方で、私たちが忘れてはならない というより、とてもじゃないが捨ておけないのが 永田町の国会を牛耳る自民党議員が所属する「派閥」における いわゆる〝裏金問題〟です。

自民党の各派閥が政治資金を集めるためにパーティを開くためにパーティー券を売りさばいた際、予(あらかじ)め議員ごとに課せられていた〝ノルマ〟を上回った分は「キックバック」と称して 議員の懐(ふところ)に還流させていたものです。

あたしゃ この「キックバック」を聞いた瞬間には、サッカーの技かなんかと思ったくらいです。

で、この「キックバック」ですが、本来なら政治資金収支報告書に記載すればよかった(合法だった)ものを、派閥の指示で不記載にして〝裏金〟としたものです。

さらに言えば、この収支報告書の不記載は 厳密に言えば違法で、罰則が伴うことから 摘発されれば「公民権停止」もあり得る 重いもの(行為)なのです。

さらに さらに言えば この〝裏金〟議員の懐に入った瞬間に、それは所得税法上「雑所得」となり これを確定申告していなければ〝脱税〟になってしまうのです。

こんな二悪も三悪もある行為は、国民とすれば「まあイイや。」ではとても済ますことはできませんよね。

 

ところが 現実には〝雲散霧消〟の様相となっています。

多額に裏金をせしめた一部議員は告発されたものの、多くの議員連中は 通り一辺倒の記者会見を開いて 一部の支持者に説明ならぬ言い訳をし、その後の修正申告で一丁あがり…後はお咎(とが)め無しの雰囲気となっています。

こんな〝言い訳逃げ切り戦法〟が許されるハズもありません。

 

 

そして迎えた第208回国会(常会)です。

論戦の場を議員の主戦場たる国会の場に据え、かかる〝裏金問題〟について激しいやり取りが展開しています。

〝A級戦犯〟たる 総理以下の自民党議員は防戦一方、責める野党は ここぞとばかりに一挙火勢の攻撃(口撃)を展開しています。

そんな 丁々発止(ちょうちょうはっし)を見ている私ですが、一方で この論戦が、時間切れ未了のまま打ち止めになってしまうんじゃないかと憂慮の念を抱くようになってきました。

今国会においては、異例ともいえる「政府四演説の前での予算委員会による集中審議」を経て「本会議」での代表質問でのやり取り、これはこれで相応(ふさわ)しいと思うのですが、どうにも議論が〝水のかけ合い〟だけで、深まっていないんじゃないか。

国民の前に晒(さら)される 本会議や予算委員会も大事だけれど、この際は本腰を据えて かかる根深い「政治とカネ」の問題を検証・議論し、膿を出し切ったうえで次へと進むべきではないかと思ったところでした。

 

 

すると…あたかもそれに呼応するように1月31日の信濃毎日新聞の「社説」に、私の意を体してくれたような論説が載り、大いに賛同したところです。

社説のタイトルは『裏金問題と国会改革の議論を「特別委員会」で』というものです。

 

 

 

 

記事は先ず、29日の衆参予算委員会と30日の本会議(施政方針演説)で、岸田首相は陳謝し 裏金事件で国民の信頼を損ねた責任を重く受け止め「私自身が先頭に立って改革を実行する」と改めて強調したものの、具体策に触れると歯切れが悪いことを指摘しています。

そのうえで「自民党政治刷新本部は中間報告で「派閥から脱却し、本来の政策集団に生まれ変わらなければならない」と謳(うた)ったものの、予算委員会では肝心なのは事件の全容解明だ と、野党から党内調査を迫られ、それに対し首相は「聞き取り調査を進める」と約束したけれど 対象範囲や実施時期は答えず、自民党の「刷新本部」が最終報告をまとめる期限についても明言を避けている。」と指摘しています。

また「政治資金規正法の改定」についても、会計責任者の違反に議員本人も責任を負う「連座制」の導入について首相は「真摯(しんし)に議論したい」と応じるに止(とど)まっている としています。

政党から政治家個人に渡り、使途公開の義務がない「政策活動費」でも同様。不透明な政治資金の代名詞であり 他党が使途公開や廃止を求めても、首相は「政治活動の自由そのものに関わる」と逃げを打っていると断じています。

さらに「これは、全議員の聞き取り調査や政策活動費の見直しに踏み込めば“派閥解消”で揺らぐ党内事情がさらに悪化しかねないことから、政権保持に固執する首相の本音がにじむ。」としたうえで、来週から来年度予算案の審議が始まることを踏まえ「このまま推移すれば 議論が混在し、かえって国民には分かりづらくなる」と懸念を示していました。

 

私も全く同意。この未だ不透明な点、そのうえで (私を含む)多くの国民が とてもじゃないが納得していない中、かかる不透明な点 一つひとつを掘り下げ・解明し・不適切な行為に及んだ議員の処遇(処罰)を定め・そのうえで 今後このようなことの無いように法整備の土台づくりを行なうべきでありましょう。

 

そのうえで 同紙の論説員は「与野党間に 政治改革に向けた「特別委員会」を設けてはどうか」と提唱しています。

企業・団体献金、政党交付金、調査研究広報滞在費(旧文通費)、政治資金収支報告書の公開方法など改変すべき課題は多々あることを踏まえ「政治資金規正法に抜け穴を残し 政治とカネの問題を引き起こしてきた責任は国会にある」ことを自覚したうえで、公開のうえでの審議・外部識者らの意見導入視野に、各党が掲げる〝最も厳しい規制〟を軸に改革案を練ってほしい。」と述べておりました。

 

私自身も、このまま 語気だけを強め、表面的な殴り合いだけで幕引きをするのではなく いわゆる地に足を着けた議論を行なうためにも「特別委員会」を設置し、未詳・未解決な問題を深く掘り下げてゆくことこそが 国民の求めるところではないかと思うところです。

 

従前のブログ記事でも触れていますが、高度成長期の頃と異なり 社会経済状況は厳しさを増し、今までのように「良(いい)わ いいわ」で済まされない状況に至っています。

そのうえで、国民自身がクレバー(賢者)となっていることから(現に 今回の裏金問題の指摘(告発)も、民間(人)の大学教授の手によるものでしたよね)、それら賢者を前に このまま逃げ切りというワケにはゆかない。

 

「あんまり国民を舐(な)めない方がイイよ。」そう思っているのは、私だけではないハズです。


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内部告発(=公益通報)の社会的役割

2024-01-31 | 日記

知人(Aさん)の依頼で、以前に在籍していたものの 一旦離脱した団体に復帰する人(Bさん)の(当該団体の)打合せ会議に陪席することとなりました。

その場で、時代が変わる(変わった)中 組織を浄化するための重要な行為について思いをいたしました。

 

それは「内部告発」…今は「公益通報」と呼ばれる〝勇気ある行為〟です。

みなさんは「内部告発」と聞くと、どのようなイメージを抱かれるでしょうか?

それ(内部告発)が 組織にとって良いものか⇔悪いものか と考えてみたとき、従来(旧態依然)のままの感性に依(よ)れば「身内の恥をチクった、組織に敵対する悪しき裏切り行為」と捉える人が多いものです。

これは もしかしたら〝和の精神〟を重んじる 日本の慣習からきているのかもしれません。

「そんな 身内の恥を晒(さら)すもんじゃない!」とか「オマエさえ黙っていれば、全て丸く収まるんだ!」というような「内部告発」に対する意識(=内向きの感性)は、未だに多くの組織に「(組織の)常識」として蔓延(はびこ)っているものです。

しかし、今や多くの人たちが承知しているように「内部告発」を忌み嫌う組織のままでは、その組織は良くならないどころか いずれ「腐ってゆく」と言っても過言ではないのです。

そうです「内部告発」は 組織にとってマイナスに作用するのではなく、それどころか 組織・ひいては社会全体にとって有益になるもので、むしろ促進されるべきもの(善行)なのです。

「内部告発」が為(な)されることにより、その組織や部署にとっては都合が良くても 社会的には不適切である〝実態〟が社会的に明らかとなり、そのことでそれら(不適切運営)が是正することができれば 逆に組織の体質改善につながると同時に、ひいては社会環境そのものの向上につなげることもできるのです。

このように「内部告発」が組織にとって有益なのに、わが国の多くの企業や組織が(内部告発を)未だ受け入れられにくい実態にある一方、諸外国においては 内部告発を厚く保護し、促(うなが)している国が多くあります。例えば オーストラリアでは『公益開示法』韓国では『公益申告者保護法』アメリカでは『不正請求禁止法』を制定し 内部告発を促す社会環境を整えています。

他方 わが国においては、2020年に「公益通報者保護法」が制定され(2022年に改定)現在に至っていますが、いわゆる社会的風潮の中では「内部告発」に対する見方は未熟であると言わざるを得ないところです。

 

「公益通報者保護法」消費者庁HP

      ↓

https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_partnerships/whisleblower_protection_system/overview

 

 

このような制度を設けている背景には、通報が「社会にとって良いものである」という認識が(諸外国の)社会の中で共有されているという いわば日本との〝国際的格差〟があると申せます。

残念ながら わが国においては、まだ 内部告発を是(ぜ)とする意識が広く共有されているとは言い難い状況にありますが、前述のとおり 内部告発は、組織や社会にとって有益なのですから、不祥事を発見した場合には 積極的に(内部告発を)実行することが求められています。

これからの日本社会においても、活発 というより適切に内部告発が行なわれ、その都度に組織の不適切運営祥事が是正されるということ(学習)を積み重ねることで、わが国においても いわゆる〝風通しのよい組織運営〟が構築されていくことになるのが期待されるところです。

 

 

 

 

このように かかる「内部告発」の意義が再認識される一方で、基本的な部分で課題(問題)が横たわっています。

肝心の「組織」ならびに「(告発者以外の)構成員」が、この善行(内部告発)を正しく理解し 受容することができるかどうか、です。

(前掲のように)内部告発を〝チクった〟と決めつけ、告発の中身の以前に (告発の)行為そのものを責める風潮にある組織。

現場(部下)の方に問題意識があっても、それを上司に言ったところで 聞く耳を持たなかったり却下されることが判っているから「言っても無駄だ…」と いわば(内部告発の)権利を放棄せざるを得ない風潮にある組織。

同様に 現場(部下)の方に問題意識があって、それを上司に言ったところ「管理者の耳に入れれば面倒なことになる」とばかりに、途中(中間管理職)の段階で揉み消してしまう風潮にある組織。

いくら問題提起しても、上司や管理者は「そうだね…」と頷(うなず)くだけで、具体的な改善に動こうとしない風潮にある組織。

組織の管理者が 内部告発を恐れ、予(あらかじ)めのうちに 構成員に箝口令(かんこうれい/口止め)を敷いて〝言論統制〟をする風潮にある組織。  等々…

 

これでは、心ある構成員が いくら勇気をもって内部告発に臨んだとしても、組織は何ら変わることは無いでしょう。

「内部告発」は、告発する(される)までの〝片道〟だけでは無く、それを真摯に受け止めて改善するという〝往復〟が無ければ その効果は半分でしかないのです。残念ながら。

 

 

ところで、冒頭の団体において Bさんを後見する人が、(Bさんの)復帰にあたって心配する点を指摘しておられました。

実はBさん、組織の不適切運営について 勇気をもって「内部告発」を行なった経緯があるのですが、そのことで 復帰した団体で冷遇されるのではないか、という点です。

これについては、もし この団体が(やはり前掲のとおり)旧態依然のままの組織形態であれば、往々にしてあり得ることでありましょう。

このことについては 私の立場から「団体の構成員においては これを契機に「内部告発」の意義そのものについて学ぶべき」と強く指摘しました。

いわんや「内部告発」とは、告発の名を借りた〝提言〟であると捉え、組織は それを真摯に受け止めてゆくべきではないか、と。

今回 Bさんが復帰したとき、それぞれの構成員自身が「内部告発」について正しく認識していなければ「組織をチクった者が戻ってきた。石でも投げてやりたいけど、上司が黙っていろというから我慢しよう」などという〝間違った認識〟のままにBさんを受け入れることになるでしょう。

一方で、組織の長をはじめ あまねく構成員が「内部告発」を正しく理解していれば、Bさんへの見方は180°違うものになる。

「Bさん、組織の問題点を 勇気をもって社会に指摘してくれてありがとう。この告発によって組織は改善に努め、より良い団体へと脱皮することができた。これからも胸襟を開いて共に活動してゆこう!」と。

「内部告発」への正しい理解と、その後の実行如何(いかん)で 組織の内容は飛躍的に向上してゆくのです。

 

 

Bさんの属する団体のみならず、広く社会では「ビッグモーター」や「ダイハツ」さきには「豊田自動織機」など 企業におけるコンプライアンス違反が続出し、その陰(かげ)には「内部告発」があると言われています。

これら企業においても然(しか)り。「内部告発」を受けた以上は 挙げて組織の改善を図るよう取り組むのか「そんなことあったっけ?」とトボケるか「ご指摘は重く受け止めます」と言うだけで 結果なーんにも動かずに済ませてしまうのか、ここは正に分岐点〝再び伸びるか そのまま腐るか〟に明確に分かれるところと思うところです。

 

 


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[注意喚起] おそらく〝被災地支援詐欺〟

2024-01-29 | 日記

先日 いつもの(食料品などの)買い物を乞われ、実家に行きました。

掃除など ひとわたりの「おさんどん」を済ませ、一緒にお茶を啜(すす)っていると「そういえば…」とオフクロ。

「この間、変な電話がかかってきたの。それも〝別口〟で(2件)。」とのこと。

「どんな?」と問うと、どうやら いわゆる『不要品の寄附詐欺』と『サービス詐欺』のようだったのでした。

 

 

 

 

先ず1件目は。

「先週の夕方 電話がかかってきて、若い男の声で「お宅に、要(い)らないタオル ありますか?」って。」

「そりゃウチだって タオルくらいあるから「あります。」と答えると「あ~ヨカッタ!」と 変に弾んだ声で。」

「実は私たち、今回の能登半島地震へのボランティアで 各ご家庭から要らなくなったタオルを集めて、被災地に寄附する活動をしているんです。」って。

「で、ビックリしたのが「これから いただきに伺ってもイイですか?住所を番地まで教えてください。」って言い出したこと。これから?来るの?って。」

そこまで聞いたオフクロは、さすがに「おかしい…」って感じたようなのでした。

そこで オフクロは、以前 たまたま二人で「何かおかしいときは こう答えよう」と取り決めておいたセリフを発してみたところ…

「私 年寄りでヨク分かんなくて…息子が警察に勤めていて 6時過ぎに帰ってくるから、その頃また電話してくださいな。」と返答すると、その者からの電話は 二度とかかってこなかったそうです。

無論「息子が警察に勤めてて」は〝ナントカも方便〟でのでまかせですが、もし 何もやましいことが無ければ、家族がオマワリだろうと何だろうと 堂々と訪ねてくればイイ話しなので、この「タオルありませんか?」は〝やましい電話〟であったのでしょう。

 

これは、被災地支援をダシにした 新手の詐欺まがい行為と思われます。

これらの手口については 各所で啓発されているとことろですが、まさか身内にまで魔手が及んでいるとは。

この輩(おそらくグループ)は、各家庭に必ずあるであろう「不要品」を引き合いに出し そこに災害支援や途上国支援の〝大義〟を重ねて住居人(主に高齢者)の賛意を引き出したうえで訪問し家に上がり込み、徐々に牙をむき出すものです。

「被災地にタオルを寄附したいのでご協力を!」

「途上国の人々に靴を寄附したいので 履かなくなったモノ1足だけください!」など、情に訴え 家に上がり込むキッカケとするのです。

一度(ひとたび)家に上がってしまえば 後は詐欺グループのペース「タオル(靴)の他に、不要な衣類はありませんか?」→「昔に着た着物(反物)はありませんか?」→「着(つ)けなくなった指輪や貴金属はありませんか?」中には 勝手にタンスや棚の引き出しを開けて物色する奴もいるそうです。

このように タオルや靴を端緒に〝雪崩(なだれ)式〟に家の財産を二束三文で買い取る詐欺まがい行為、でも基本的には「同意の上」というのが厄介なところであるようです。

 

 

 

 

また〝オフクロ被害未遂〟の別口は。

ある日 家のチャイムが鳴り、出てみると 若いモンが「こんにちは!水道パイプの流れ具合はどうですか?もし流れが悪かったら、パイプの詰まりを直しますヨ!」と、やけに明るく話してきたとのこと。

これを聞いたオフクロ やっぱりこれも「?」と思い、とっさに「家の修理は息子がやっているから。寒いのにご苦労様。」と言ってドアを閉め施錠したとのこと。

これは いわゆる〝修理します詐欺〟ではなかったか と。

これについては、なかなか素人では手が出ない修理を〝押し売り〟し、ちょっとした修理をしては法外な料金を請求するものではなかったでしょうか。

(これと類似するのが、被災地での「ブルーシート張ります詐欺」でしょう。ただ屋根に被せただけの作業で 数十万円を請求するものです)

 

 

何かと世知辛い世の中。

カネのためなら何でもアリとばかり、社会的弱者を狙っては あの手この手の手口で大切な浄財をかすめ取る 許されざる悪行です。

下記は 現金が狙われたものについての資料ですが、長野県の特殊詐欺被害は 5億円をゆうに超えているとのこと(2022年調べ)。

 

 

 

また 長野市においても、6千万円を超えている被害が出ているそうです(2021年)。

 

 

 

これは、実際に詐欺にあったもの(警察に届けられた被害額)であり、前掲のオフクロのように家の財産を買い叩いたり 法外なボッタクリ被害は計上されておらず、その〝被害の穴〟は限りなく大きいと言えるでしょう。

 

 

今回、身近な身内が あわやの目に遭いそうになったことで、改めて(ウチだけじゃなく)そんな悪行にヤラれないよう注意喚起する必要性を再認識させられました。

「火事場泥棒」ということばがありますが、他人様が困っている状況につけ込む行為・高齢者などの社会的弱者から浄財をむしり取ろうとする行為に、強い憤りを覚えながら。

 


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私もそう思う「大阪万博は 中止または延期すべきじゃないか」

2024-01-28 | 日記

よりによって元日に発生した「令和6年能登半島地震」は、各地・各方面に大きな損害を与え現在に至っています。

地震の揺れ・津波・液状化現象・大規模火災などにより、多くの人命を奪い 命が助かった人々についても過酷な避難生活に追い込んだほか、建屋損壊・道路破壊・社会インフラ損壊など 地域社会そのものを非常に厳しい状況へ至らしめています。

これから 私たち国民は、被災地を初め関係方面の復旧・復興に それぞれの立場で心を砕き、とりわけ政治・行政に関わる者は 被災地へ一点集中の姿勢で臨むべきと言っても過言ではないと強く思います。

 

 

そのような社会情勢の中、既成の事業でありながら その「今後の推移」が注目されている一大プロジェクトがあります。

『2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博』です。

大阪府大阪市此花区 夢洲(ゆめしま)を会場とし、2025年(令和7年)4月13日~10月13日の184日間に亘って開催が予定されています。

主催は 財界を中心に構成される「公益社団法人2025年日本国際博覧会協会」で、準備から開催運営までを行なうことになっています。

 

 

 

主催者によると「大阪・関西万博は、格差や対立の拡大といった新たな社会課題や、AIやバイオテクノロジー等の科学技術の発展、その結果としての長寿命化といった変化に直面する中で、参加者一人一人に対し、自らにとって「幸福な生き方とは何か」を正面から問う、初めての万博です。近年、人々の価値観や生き方がますます多様化するとともに、技術革新によって誰もがこれまで想像しえなかった量の情報にアクセスし、やりとりを行うことが可能となっています。このような進展を踏まえ、大阪・関西万博では、健康・医療をはじめ、カーボンニュートラルやデジタル化といった取組を体現していくとともに、世界の叡智とベストプラクティスを大阪・関西地域に集約し、多様な価値観を踏まえた上での諸課題の解決策を提示していきます。」と、その開催意義を謳(うた)っています。

 

『EXPO2025 日本国際博覧会(大阪・関西万博』公式Webサイト

         ↓

 

EXPO 2025 大阪・関西万博公式Webサイト

2025年の万博、日本、大阪・関西で開催!テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。

EXPO 2025 大阪・関西万博公式Webサイト

 

 

 

 

2015年に「国際博覧会大阪誘致構想検討会」を立ち上げて以降 構想に相当の経年を経たうえで 満を持して建設に入った大阪・関西万博ですが、その雲行きが怪しくなってきています。

多くの方々から、このまま開催に向け突き進むことに 疑問の声が挙げられているのです。

果たして、その開催意義は今の社会情勢に見合ったものなのだろうか?

この点について、私も大いに疑問を呈する者の一人です。

「万博」といえば、私が真っ先に思い出すのが、同じ大阪で行なわれた『1970大阪万博』です。

岡本太郎さんデザインの「太陽の塔」をシンボルに掲げ、多くの近代インフラの展示・とりわけ「月の石」の展示などが人気を集め、入場者数は実に6,000万人を超え 事業は194億円の黒字となった巨大イベントでありました。

 

 

 

 

当時は、日本も高度成長時代の真っ只中。社会全体も「これから」感が満ちていました。

それに呼応するように開催された大阪万博は さまざまな近代社会を象徴するパビリオンやアクティビティが展示・展開され、多くの国民が近時代 さらに将来社会に〝未知なる期待〟を抱き来場したものと思います。

これに前後して 1970年には東京⇔大阪間の新幹線が開業、大イベントは社会インフラを連れてくるとの相乗効果が大いに評価されたところでもありました。

 

が、あれから半世紀以上…社会は成熟を極め その状況も大きく様変わりしています。

いや その成熟の一方で、社会は「プラトー期(伸び悩み期)」を迎えたとも申せ さらに言えば、人口減少・少子高齢化に伴う〝縮小社会〟を迎えているとも申せます。

この期に及んで〝あのとき〟と同義のイベントを開催する意義を どこに見出せばいいのでしょうか?

 

そのような疑問符を覚える中『2025大阪・関西万博』においては、さらなる〝現実的な問題〟が浮上しています。

「上振れ」が続く建設整備費です。

資材価格や人件費の高騰により、当初の1,250億円から 倍近い2.350億円に膨れ上がっていることが伝えられています。物価上昇や現場の人手不足は続いており、今後はさらに膨張する可能性さえあることがささかれています。

中でも、約350億円を費やす予定の 木製の巨大環状屋根「リング」への風当たりは強くなっています。

日本国際博覧会協会によると「多様でありながら、ひとつ」をコンセプトとする〝万博のシンボル〟で、約2kmの円周で会場を取り囲み 高さ12〜20m・内径約615mの〝世界最大級の木造建築物〟と謳われています。

 

 

 

この「リング」を巡っては、今月6日に 万博協会トップの十倉雅和・経団連会長が「必要である。ぜひ完成させたい」と記者会見であらためて強調し、8日の内閣委員会では 自見英子万博担当大臣が「夏の日よけとして大きな役割を果たす」と珍答弁を発したとのこと。

 

今のままの推移について専門家は「五輪(オリンピック・パラリンピック)よりもタチが悪い。五輪施設は そうはいってもスポーツ施設等として後利用ができるものの、万博については イベント終了後には建物が解体・撤去され、跡地には何も残らない」と指摘。

さらに 前出の「リング」についても「実質はただ長いだけの建造物で、高さは3〜5階建てのビル程度。中はガラガラで海の家みたいなもの。やはり最終的には壊され、開催意義を強調するだけのまやかしだ」と切り捨てていることが伝えられています。

さらに別の識者は「そもそも、この万博は カジノを含む「統合型リゾート施設(IR)を建設するための〝露払い的な役割〟で、単体での経済効果は大阪にとどまり限定的」と懐疑的な見方も。

さらにさらに メディア系の識者は「予算は膨れ上がっているが、東京五輪の際と同じで責任の所在が不明確にされている。そして、百歩譲って 五輪の際はテレビ等で好きな競技を観ることができたが、万博は行かなければ御利益(ごりやく)は無く、遠方に暮らす人(行けない人)にとっては税金をむしり取られるだけの〝ぼったくり事業〟だ」と断じています。

そんな中、地元の大阪では「中止でええやん」と銘打った署名活動が行なわれているとのこと。主催者の「どないする大阪の未来ネット」の事務局長は「あやふやなことばかり言わんと、もう「中止」と決めてしまったほうがええ。早くすれば 賠償金も低額で済むんやから。遅くなればなるほど、代償は高くついてしまうんやないか。」と関西弁でまくし立てていました。

 

 

 

 

現在の顛末の中で 経済産業省博覧会推進室は「総会で延期を発案し、総会参加者の3分の2以上の議決があれば(延期)できる」と説明しています。総会は年2回で、今冬にも開催予定とのこと(実際、ドバイの20年万博はコロナ禍で1年延期されました)

では「中止」の場合はどうか。中止の場合も 延期と同様のプロセスを辿ります、延期と違い「補償」が必要になる場合もあるそうですが 規定では「総会が自然災害とみなすような事態に起因する『不可抗力』により中止された場合は…」とある。渡辺氏は「何が不可抗力に当たるかは具体的に書かれていない。総会で3分の2以上の議決で、その理由が不可抗力だと判断されれば、了承される」。つまり 日本側から中止を言い出すことは全く不可能というわけではないようです。

その『不可抗力』に、さきの「令和6年能登半島地震」を充てることはできないでしょうか。

まさに〝国難〟ともなった能登半島地震は、大阪・関西万博の中止を英断する理由に 充分なり得ると思うのは 私だけではないハズです。

 

他方、経済学の専門家は「国家的イベントが終わるたびに、中央省庁では次の開催地…つまり「国の予算を注ぎ込む出先」を探し、周期的に〝お祭り〟を開催してきた」とし、これを「お祭りドクトリン」と解説しています。

これが、東京五輪→大阪・関西万博に雪崩を打つ「お祭りドクトリン」の典型なのでしょう。

この識者は、私と同義「今の状況のデジャブ(既視感)でもある 1964年五輪→70年万博の成功体験は、高度成長期だからこそ可能だったもの。しかして国は その〝成功のイメージ〟を使い回して税金投入を正当化し、普段ではできっこない施策(事業)を展開してきた。さらにタチの悪いことに、日本はそれ以外に社会を変える方法を身につけてこなかった」とし、この「お祭りドクトリン」から脱却しない限り〝お祭り〟の中止は無いと指摘しています。

 

そのうえで、社会思想学者は「〝安倍・森五輪〟と揶揄(やゆ)された東京五輪が 政治権力の中枢の人たちのための五輪だったように、歯止めが利かない裏側には必ず支配的なメカニズムがある」としてうえで「〝五輪や万博があったから経済成長できた〟のではなく〝経済成長の時に五輪や万博を開催していたに過ぎない〟ことに気づくべき。なのに 未だに関係者は「万博や五輪をやれば成長できる」という根拠のない想定で 成功体験にすがっている」とした上で、こうも述べています。

「日本の民主主義は幼(おさな)く これから育ててゆかなければならないのに、万博や五輪に裏打ちされた〝支配的メカニズム〟が民主主義を破壊している。万博や五輪で民意を問われたことはない。まずは民意を問うべきだ」と。

 

2025年は、その早々に「令和6年能登半島地震」に見舞われてしまいました。

前掲のとおり、これから 国を挙げて復旧・復興に注力してゆかなけれなりません。

「それはそれ・これはこれ」という向きがありますが、わが国の現状においては 別モノとすることはできません。

そのジャンルに拘わらず、資材・人工(にんく/人材)が絶対的に不足しているからです。

国家プロジェクトである万博を強行に推し進めれば、個人 々 の被災である地震による建屋の再建などは 後回しにされるのは必定です。

時代が変わり、さほど必要と思わなくなった「お祭り」のために、不足の災害で日々の生活拠点を奪われた人たちの 新たな居場所の再建が遅滞することなど許されてはならないハズです。

 

2025年大阪・関西万博は 中止または延期すべき。

大阪のおっちゃんと同意に、私も改めて強く思うところであります。

 


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大谷翔平選手を取り巻く事柄に見える〝価値観の違い〟

2024-01-26 | 日記

私を含め 多くの人たちが、プロ野球MLBの大谷翔平選手の一挙手一投足に注目しています。

彼のことについては 今さら語ることもありませんが、花巻東高~NLB日本ハムファイターズ~MLBロサンゼルス・エンゼルスを経て 来シーズンからMLBロサンゼルス・ドジャーズの一員として、その活躍に大きな期待が寄せられています。

その 注目の原資は、何と言っても「二刀流」の体現であることは ご案内のとおりです。

当初は、多くの〝諸先輩〟から「無理だ」と言われた二刀流を、遡(さかのぼ)れば高校生の頃から具体的にイメージし その(二刀流の)プロ界での実現(体現)に向け不断の努力を重ねて今に至っています。

その体現ぶりは 今や世界が認めるところであります。彼がグランドで躍動する姿は 私を含め多くのファンを奮い立たせてくれるものです。

 

その最たるものは、やはり 昨年のWBC(ワールドベースボールクラシック)でしょう。

文字通りチームの(投打に亘る)主軸として まさに八面六臂(はちめんろっぴ)の大活躍でありました。

阪神タイガースとの壮行試合での〝片ひざホームラン〟を皮切りに、オーストラリア戦での(自分の)看板直撃の大ホームラン・イタリア戦での雄叫びを上げての熱投/その裏で意表を突くバント安打・メキシコとの準決勝で 劣勢をものともしない最終回の先頭打者初球安打→ヘルメット飛ばしての激走→2塁上でチームメイトを鼓舞、そしてアメリカとの決勝で最終回にクローザーとして登板/僚友トラウトを三振に切って取っての劇的ファイナル と、今それぞれのシーンを思い出しても〝胸アツ〟になるところです。

 

 

 

 

他方、スーパースターでありながら 威張るそぶりは微塵も見せずにチームに溶け込み、チームのコミュニケーションを深め ピンチではチームを鼓舞して自らムードメーカーを担ってきました。

そして、アメリカとの決勝を前にした〝声出し〟では「今日だけは憧(あこが)れるのをやめましょう。」との名言を残したのも記憶に新しいところです。

その後のMLB挙げての〝大谷翔平争奪戦〟の顛末・ドジャーズの入団会見・そして私たち犬好きにはたまらない 彼の愛犬「デコピン」との微笑ましいやり取りなど、大谷翔平選手を取り巻く大小のエピソードは、何かと世知辛く厳しい社会情勢の中、私たちにとって〝一筋の光明〟といっても過言ではないところでありましょう。

 

 

 

 

そんな 大谷翔平選手を取り巻くエピソードには枚挙の暇も無いところではありますが、取りわけ最近の出来事について見たときに、何というか 私たち凡人の社会環境に重ねてみると その〝価値観の違い〟のようなものに気づかされることがあります。

 

ご案内のとおり 大谷翔平選手は、ドジャーズとの契約で 日本円で1,050億円(現レート)での多額契約を結びましたが、それも殆(ほとん)どが後年払いというレアな契約となっていることが伝えられています。

そのうえで特筆すべきは、その〝使い途(みち)〟でしょう。

さきの「令和6年能登半島地震」に際しては、発災直後にチームと共同で被災地に約100万ドルを寄附し いち早く支援の姿勢を示してくれました。

 

 

そして…何というか〝価値観〟が分かれたのが、日本中の小学校(小学生)に グローブ(一校3個/それも1個は左利き用)をプレゼントした善行です。

これは、おそらく彼が 野球の魅力を一人でも多くの子ども達に知ってもらいたい・戸外へ出てキャッチボールを楽しむなどして 野球に親しんでほしいとの〝願い〟を体現したものと思われ、何ともイキなことをするもんだ ^^/ と 感心しきりとなったものでした。

 

 

 

 

ところが、このグローブの〝扱い〟について いわば「大人の価値観」が持ち込まれ、思わぬ物議を醸すことに。

九州某市の市長が、届いたグローブをスグに学校へ配らず 市役所ロビーに展示したのです。

しかも この市長は、自分のXだかFacebookだかのサイトに あたかも自分がプレゼントされたかの表情で「大谷選手、ありがとう!」とアップしたとのこと。

このことについて、多くの市民の目にとまるよう配慮したことを評価する声がある一方「子どものためにプレゼントされたグローブを横取りするな!」とか「市長の私物じゃないんだから…」と懐疑的な声も多数寄せられ、結局 某市(市長)は、展示期間を短縮して 小学校へ届けることになったとのことでありました。

 

 

 

 

この他にも「届いたグローブは校長室に展示されている」とか「戸外で使えば汚れるから、使用は屋内(体育館)に限定されている」などの〝情報〟が寄せられ、いずれも首を傾げざるを得ない〝大人の対応〟となっているところ(学校)もあることが伝えられています。

 

また、これは 案の定という残念というか情けない所作ですが、グローブに付いていた「タグ」が通販サイトで高額出品される事態も報じられ、何でもカネに換えろ との、実にさもしい行為も見られたとのことでありました(後に多くの批判を受けてサイトは削除)。

 

 

大谷翔平選手は、グローブのプレゼントに添えて 何と言ったでしょうか。

「野球しようぜ!」です。

 

 

 

彼は決して「展示しようぜ」とか「保管しようぜ」とか「汚さないように使おうぜ」とは一言も言っていないのです。

マ 使った後の手入れは怠りなくしてほしいでしょうが、このグローブは スグにでも皆で外に出て、使って使って使いまくってほしい、そんなシンプルな願いをもって贈ったものでしょう。

それを(前掲の「声」にあったように)大人の価値観で〝横取り〟し、あたかも工芸品をもらったかの価値観で〝展示〟に走るとは…プレゼントの趣旨を理解していないと言わざるを得ませんよね。

これら〝対応〟については(やはり前掲のとおり)評価する向きもあるということのようですが、取りわけ「野球少年 大谷翔平選手」からの贈り物という価値観に立てば、一日も早く子ども達の手に届けてあげて 実際に(戸外で)使わせることこそが、彼の思いに応えることになるのでは と、思ったところでした。

 

 

 

で…これとは全くべつの〝ジャンル〟で、大谷翔平選手のもつ「価値観」と娑婆(しゃば)の有象無象(うぞうむぞう)がうごめく価値観(所業)との〝違い〟を実感することに。

それは「お金(カネ)」との向き合い方です。

前述のとおり、大谷翔平選手は 文字通り億万を稼ぐことになりました。

しかし(ある意味で不思議なことに)、私たちは 彼に対し、うらやましいとは思っても それ(長者ぶり)を非難したり 悪口を言うような気持ちには、まるでならないところです。

かえって彼のことを 同じ日本人として誇りに思い「もっとガンバレ!」とエールを送りたくなっているのが実際のところですよね。

で、(やはり前述のとおり)そのお金の使い途も 多額の寄付やら日本中の子どもにグローブあげたりと、何というか「キレイなお金」という印象を抱いています。

 

ところが 同じこの時期、政界に目を向けてみれば。

〝派閥政治〟の名の下に、貪欲な政治家共が 企業や支援者からカネを集め、その余剰分を〝キックバック〟と称して懐(ふところ)に入れては私腹を肥やす所業。

果ては「秘書が…」と他人のせいにしたり、立法府の特権をかざし 現行法では司直の手が及ばないように(法を)仕向けて口(くち)を拭(ぬぐ)う有象無象(うぞうむぞう)の連中たち。

こいつらが手にする いわばアブク銭は、同じお金でも 大谷翔平選手が手にするそれとは大違いの「汚いカネ」と言うべきでありましょう。

同じ「カネ」でありながら 私たちは、大谷翔平選手の稼ぎっぷりにはエールを送り、政治家連中の守銭奴(しゅせんど)ぶりには何ともいえない嫌悪感を抱くのです。

 

この違いはどこからくるのか?

やはりそれは「価値観の相違」でありましょう。

大谷翔平選手の「お金」は、大好きな野球を突き詰めたうえで 結果として手にしたもの。

対して 悪徳政治家の「カネ」は、カネを得ることを目的にして暗躍したものじゃないか。

 

これら 大谷翔平選手に纏(まつ)わる出来事は、彼の「限りなく純粋な価値観」と、それに相反するように 一連の者たちの「偏(かたよ)った価値観」をクローズアップ(対比)させることになりました。

私は、大谷ファンの一人として これからの彼の活躍に心からなるエールを送ると同時に、一方で 娑婆(しゃば)で繰り広げられる所業(悪行)の数々に嘆息させられているところであります。


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〝視点(訴求すべきもの)〟が違う…長野市の放課後ディ訴訟にまつわるゴタゴタ

2024-01-25 | 日記

昨日(24日)から今日にかけ 話題(事案)が供されたのですが、それらにまつわる「深層」について考えたとき、本来的な視点(訴求すべきもの)が違うんじゃないか と思わされたところです。

 

◇国の給付金を不正受給していたとして告発されている「(障がい者)放課後デイサービス」施設が、長野市福祉監査室を「通知文書の根拠法令に誤りがある」として提訴

国からの給付金を不正に受給していたとして長野市から損害賠償請求を受けている施設(運営会社)が、過去に長野市が「福祉監査」に入った際 会社側に示した「通知文書」に記載されていた根拠法令が間違っていたことから、運営会社側が「監査そのものが違法だ」と訴えていることが報じられました。

 

 

 

(この告発の内容については、さき(12/29付)のブログで触れています)

            ↓

 

障がい者を対象にした「放課後デイ」が給付費を不正に受給→市が告訴に踏み切る - 倉野立人のブログです。

長野市の福祉行政に震撼が走る「事件」が報じられました。そしてそのことは、この自治体にある抜本的ともいえる問題点をも炙(あぶ)り出すことになったことを実感させられた...

goo blog

 

 

 

ブログに記したとおり、この運営会社は 本来配置しなければならない資格者(保育士)を配置せず、書類の上だけ(保育士を)配置したことにして運営を継続、最終的に給付費約1億7600万円を不正受給したもので、施設が設置されている長野市が詐欺の疑いで同社の代表取締役を長野地検に刑事告訴し 加算金と合わせ約2億4600万円の返還を求めているものです。

一方、これに対し運営会社の弁護士は「違法な監査(福祉監査)で業務を妨害された」などとして 長野市市に300万円の損害賠償を求めて長野地裁に提訴しています。

その根拠は、放課後デイを含む障害児通所支援事業者への自治体の監査(福祉監査)は『児童福祉法 第21条5の22』に定められているのですが、長野市の通知文書には これ(第21条)とは違う所管である 障害児相談支援事業者への監査を定めた『児童福祉法 第24条の34』が引用されており、代理人弁護士は そこを突いたうえで「誤記では済まされない。虚偽公文書の行使で 違法な監査だ」と話しているとのことです。

この件について 所管(長野市福祉監査室)に照会すると「確かに根拠法の誤記はあった」としながらも「そもそも、施設の立ち入り調査においては (警察の捜査令状のような)通知文書を示す法令上の義務は無く、今回はあくまで 調査をスムーズに行なうために事前に知らせたもの(文書)の内容に誤記があっただけのもので、それが法的に調査(福祉監査)の成否を分けるものではありません。かかる文書の内容(記述)に齟齬があったとしても この運営会社に対する監査の正当性は揺るぐものではありません」と反論しています。

 

さらに訊けば この弁護士は、全国を股にかけて 行政などを相手に損害賠償などを勝ち取る〝強者(つわもの)弁護士〟だそうで、今回の件(事例)についても 事(こと)の経過を辿る中で〝根拠法令(記述)の間違い〟に気づき、そこを端緒に「噛みついてきた」ものと思われます。

 

 

・・・・・・。

この一連のやり取りに触れ、(前述のとおり)私は「争議の中で交わされるべき本来的な視点(訴求すべきもの)が違うんじゃないか」と改めて思わされたところです。

マ、事(こと)は裁判 戦いの場でありますから、相手が示したり持っている材料や資料について その問題点や矛盾点を突いて、少しでも状況を自軍に有利となるよう画策することは否定するものではありませんが、今回は 児童福祉・それも障がいを抱える子どもの放課後支援サービスについての適法性や事業内容等について争うものであることから、そのやり取りも 何というか高尚なものであるべきと思うところです。

それが 文書の記載内容についてイイとか間違ってるとかを趣旨(主点)として仕掛けるのは、何とも〝論点ずらし〟の感を否めないところ〝勝つためには手段を選ばず〟的なあざとさを禁じ得ないところです。

できることなら、というより 本来的に、この運営会社が どのような姿勢で障がい者支援に臨んでいたのか、その過程の中で なぜ必要な人員の虚偽の配置をしたのか、など 施設運営の深層に触れた論陣を張り、そのうえで自軍の望む判決を勝ち取る努力をしてほしいと思うところです。

 

ただ そこで、長野市も長野市で 億を超える損害賠償を起こすことになる監査(福祉監査)における根拠法の記述を間違うことも稚拙じゃないか…わざわざ(法的に求められていない)文書をケンカ相手に渡して、それを反撃の糸口にされてしまうとは。事前に弁護士に確認するなどして作業を進めなかったのか?など、その いわば脇の甘さに嘆息させられたところでもありました。


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行令和6年能登半島地震 =「生命線」の よもやの破断=

2024-01-22 | 日記

よりによって元日に発生してしまった「令和6年能登半島地震」は、各地各所に甚大かつ複合的な被害を及ぼしており、当該エリアは非常に厳しい状況に陥っています。

昨日のブログでも触れましたが、被災地では 避難所・福祉避難所の運営そのものが大変な状況に陥っていますが、その主要因となっているのが 人々の社会生活における生命線でもある「上下水道」の機能不全であると言われています。

このうち「下水道」については 1/17付の記事で触れたとおり(下水道が)自然流下を原理としている中で、地殻隆起や土中の流動化現象等により下水道の機能不全に陥っています。

一方、主に飲料水を供給する「上水道」については ポンプ等で人為的に「圧」をかけることで配給(配水)でき、このことから 土中の状況に関わらずいずれ復旧するハズだったのですが…。

さきの報道で、能登半島地震で震度6強を観測し断水が続く石川県輪島市で 主要な上水道管のうち、耐震性能を持つとされる「耐震管(水道管)」もが〝破断(抜け落ち)〟していたことが分かったとのことなのです。

で…この事実は、被災地はもとより(私も含め)多くの関係者に衝撃をもって伝えられることになったのでした。

 

 

 

これまでも触れているとおり、地震発生から約3週間余が経過し 被災状況が徐々に明らかになる中、これまでは 震度7の揺れでも決定的なダメージは無いと思われていた耐震管が「破断(抜け落ち)」という最悪のダメージを受けていることが伝えられています。

 

 

 

業界紙等の情報によると、最大震度7を観測した能登エリアでは 水道管路の抜けや破断・浄水場の機能停止などの被害が多数確認されているとのこと。

このことについて専門家は「地震動が極めて強かったことから 道路の陥没・隆起や斜面崩壊など地盤(地中)災害が多発、この状況に陥ると(地盤被害が深刻だと)管路を耐震化していても 管路自体の損傷や継ぎ目の抜け落ちなどを防ぎきれない恐れがある」と指摘しています。

例えば、震源地に近い輪島市では 管路に多数の被害が生じました。河川から水を送る導水管などの損傷により 2つの主要浄水場へ原水が届かなくなり、加えて 道路陥没に伴い輪島浄水場と配水池とをつなぐ管路が約300mに亘(わた)り被害が生じたそうです。

 

 

 

 

上水道管については、従来型の「非耐震管」では多くの被害が生じていることはもとより、管路の継ぎ手に〝抜け出し防止機能〟を持つ「耐震管(初期型)」でも、想定の中では震度7でも破断しないハズだったにも関わらず 今回の地震では(破断の)被害に至ってしまいました(一方で、優れた耐食塗装を施した最新型の耐震管や、周辺の地盤の性状を勘案して耐震性があると評価する「耐震適合管」では被害が確認されていないそうです)。

 

 

 

能登エリアで地震被害が大きかった自治体では、水道管や浄水施設が被害を受け、およそ5万世帯で断水が続いており、このうち石川県では 上水道の(仮)復旧は2月末から4月過ぎまで期間を要することが伝えられています。

 

 

 

 

前述のとおり、今回の能登半島地震での「耐震管」の破断(抜け落ち)の発生(事実)は 関係者にとっても大きなダメージとなっているとのこと。

これまで大丈夫とされてきた耐震管が決して万全ではないことが示されたことから、関係者は水道の耐震化について見直しを迫られることになりそうです。

各自治体においては、計画的に管路の更新(耐震化)を行なっていますが、今後 さらなる改良が求められる事になるのでしょうか。

但し、今回の地震が いわばレアケースの面が多いことから、これで直ちに再考を ということにはならないと思いますが〝耐震管絶対説〟には安住できないことになったことは間違いなさそうであります。

 

なお 上水道管の破断や漏水等のチェック作業は、箇所 々 において漏水音などを耳で拾う「音聴調査」によって行なわれ、非常に時間と根気の要される作業となっています。

 

 

 

 

今 被災地には全国の水道局職員が応援に駆けつけていることが伝えられていますが、確実な作業の中で それでも一日も早い水道復旧を果たしていただきたいと期待するばかりです。

 

いずれにしても、(冒頭に述懐のとおり)人々の生活に欠かせないインフラである上下水道。これが復旧しないことには そこから先には進めないところであります。

今の被災の復旧と、新たに見つかった課題への取り組みが焦眉の課題となっています。

対策と新たな課題との厳しいせめぎ合いが続く被災地であります。

 

 

 


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令和6年能登半島地震 =震災弱者への対応の難しさ=

2024-01-22 | 日記

よりによって元日に起きてしまった「令和6年能登半島地震」は、日を追うごとに新たな また改めての課題(問題)の数々を 私たちの喉元に突きつけることとなっています。

私たちは、それら課題(問題)に触れるたびに思慮・思考を迫られるところですが、これらは一朝一夕に解決できるものでも無いことから 現地(被災地)の方々と思いを一(いつ)にする中で、やはり悩みを深めるところであります。

この日もまた、新たな課題(問題)を認識させらることになっています。

 

◇いわゆる「災害弱者」たる被災者の方々への対応の遅れ

20日の報道で、被災地における「福祉避難所」の開設が 想定の2割に止(とど)まっている実態が明らかになり、障がい者や高齢者など いわゆる「災害弱者」の方々への支援が、実質 滞(とどこお)ってしまっていることに慚愧(ざんき)の念を深めるところです。

 

 

 
 
 
報道によると、地震被害の大きい石川県内の7市町で 障がい者や高齢者ら配慮が必要な人たちを災害時に受け入れる「福祉避難所」の開設が、想定の2割に止(とど)まっていることが 20日の共同通信による集計で分かったとのこと。
開設する予定だった福祉施設そのものが損壊・断水しているほか、施設の職員自身も被災・避難を余儀なくされ人手が無いなど、設備と人との〝ダブルの不足〟が生じているのが主要因です。
このことについては 1/15付に本ブログでも触れていますが、私自身 昨今の社会状況(情勢)をみたときに、かかる「福祉避難所」の役割は非常に大きくなっていると認識する中で 現下の能登エリアの現状については非常に憂慮の念を深めている一人です。
 
「福祉避難所」とは、災害時において 障がい者・高齢者 さらに乳幼児や妊産婦等の要配慮者のうち、一般の避難所では生活が困難と判断される方々が安心・安全に避難生活が出来るよう、必要に応じて開設される避難所です。
各自治体においては、域内の福祉施設等を福祉避難所として指定し イザというときにはそこへ避難していただくこととなっています。いわゆる「二次避難」のシミレーションです。
 
 
 
 
 
[参考]長野市の福祉避難所について
       ↓
 

福祉避難所

長野市

 

 

 
 
現下の避難のシミレーションにおいては、被災された方々は 一旦近在の避難所に避難していただき、そこで 保健師などの関係者の判断により「福祉避難所」へ移動していただくこと(二次避難)になっています。
私は この〝二重手続き〟自体がいかがなものかと思っているところではありますが、それを別にしても いま現在の能登エリアにおける避難所の状況は〝受け皿自体が2割しか稼働していない〟とのこと…これでは災害弱者への適切な支援が充足されることは至難であり、現地の窮状はいかばかりかと思うところです。
 
一方で、支援の対象となる いわゆる災害弱者の方々においても、避難についての課題を抱えておられることが伝えられています。
現在 主たる被災地となっている石川県においては、被災者に対し 近在で被災に無い場所の宿泊施設等へ一時的に移っていただく「二次避難」を促していますが、それに応じる被災者が全体の2割程度しか無いとのこと。
そこには、住み慣れた場所を たとえ一時的でも離れたくないとの情緒や、家財の管理(盗難)の心配 また仕事やペット問題などの抜き差しならない要件があるとのことですが、他方 これは心療内科的な視点で「リロケーションダメージ」への懸念(心配)があるそうです。
 
「リロケーションダメージ」とは、急激な環境変化に適応できずに 心身に不調をきたす状態のことです。
高齢者においては 慣れ親しんだ田舎暮らしから施設などの異環境に移ることで、それが認知症やうつ病の引き金となってしまう。
また 障がい者においては(異環境に移ることで)パニック障害や自傷行為など、デリケートな日常生活に大きな支障を来(きた)してしまうことになることがあるそうなのです。
現場の中継では、障がい者の方々が行き場を失ない 壊れ傾いた状態の施設に留まっている様子が伝えられ、心を痛めたところでありました。
(ただ このことについては、二次避難所の損壊とは別に 障がい者さんらの他への適応にそもそもの課題があることも また現状ですが)
 
 

 
 
 
 
 
このように、今回の「令和6年能登半島地震」においては 最も手を差し伸べるべき「震災弱者」に対する支援が、その大義と裏はらに遅滞していることがクローズアップされることになっています。
そのうえで今回の震災は 今までの災害とまた違った難儀さを有していること、社会インフラの破断により避難生活も長期化の様相となっていることから、前掲の災害弱者支援は 今後なお一層顕著になってくることが憂慮されます。
 
また 他々方、特に福祉人材の不足に鑑み 周辺自治体の福祉職員を派遣する動きがありますが、ただでさえ慢性的に不足する人員を動かすことは 派遣する域内の人材不足を招くことにもなり、そこに抜本的な問題も感じさせられています。
こういう〝イザというとき〟に、わが国の介護・福祉の悪しき(慢性的な不足)状況を再認識せざるを得ないところです。
 
 
・・・・・・。
これまでも触れているとおり、災害からは避難できたものの その後の状況によっては「災害関連死」に陥る人たちが出ることが憂慮されています。
そんな中「福祉避難所」の未達状態は、今後の被災者支援の行方にとって大きな不安材料でありましょう。
このままの推移のうちに 支援を受ける人も支援する人も〝共倒れ〟にならぬよう、自治体任せで無く 所管省(厚労省)の早期のテコ入れが求められるところです。
 

 

 

 


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令和6年能登半島地震 避難所に見た〝違和感〟

2024-01-21 | 日記

よりによって元日に起きてしまった「令和6年能登半島地震」は、発災から20日余りが経過し、未だ被害の全容が明らかにならないまま 被災者の方々は不自由な避難生活を余儀なくされています。

とりわけ、住む処(ところ)を失なってしまった被災者については 域内の学校施設等の体育館等に着の身着のままに身を寄せ 日々を凌(しの)いでおられることが報じられ、見ているこちらまで心が痛むところであります。

 

そんな中 数日前から私は、避難所の様子を映す映像を見るにつけ ある違和感を禁じ得ませんでした。

そらくは域内の学校の体育館と覚(おぼ)しき避難所。そこには多くの被災住民の方々が身を寄せておられます。

で、その映像を見るにつけ、感じられる違和感は…。

 

 

 

被災者の方々の布団の殆(ほとん)どが、床に直(じか)に敷かれており、いわゆる〝雑魚寝状態〟となっているのです。

こちらの画像も同じ。各スペースの敷布団は、床に直に敷かれています。

 

 

 

 

これらを見て、私は思いました「なぜ段ボールベッドが設置されていないんだろう?」

「段ボールベッド」は、過去の大災害の教訓から 地域の避難所に常備されるようになっている簡易ベッドです。

軽量かつ収納が容易で 見た目より丈夫で寝心地も(床に直より)悪くない段ボールベッドは、避難所におけるマストアイテムとしてクローズアップされており、最近の災害においては 避難所設営と同時に設置されるべき必需的存在となっています。

 

 

 

段ボールベッドの設置により、床から数十センチの高さが確保でき、それは いわゆる〝底冷え〟の軽減・また 床から舞い上がる埃(ほこり)の吸い込み軽減・さらには 主に高齢者の〝起き上がり〟が容易にできるなどの様々なメリットがあることから、とりわけ高齢者には早速の支給(設営)が求められるところです。

 

ところが 能登の避難所の映像を見る限り、現時点で 段ボールベッドが普及している様子が見られない…これはおかしいと思わざるを得ないところでありました。

と 思っていたら、その後のニュースで この件についての〝後手対応〟が報じられることとなり、歯がみさせられることとなったのでありました。

どうやら、被災地の自治体と業界団体との連絡が滞ってしまったようなのです。

 

 

 

 

報道によると、被災地となった石川県は 災害時に段ボールベッドを提供してもらう協定を、名古屋市の業界団体と結んでいたとのことです。

ところが実際には、輪島市や珠洲市(すずし)など 被害の大きい6市町の指定避難所248か所に対し、発生から1週間が経(た)っても この団体から段ボールベッドが供給されていませんでした。

このことについて業界団体は「石川県の依頼で発送する取り決めだが、連絡が無かった。」とのことで、それについて石川県は「段ボールベッドの手配は 国に依頼した。」とのこと。

その後、最近になって国から業界団体に要請があり 発送の運びとなっているそうです。

このチグハクな対応は、いったい誰のせい とすればいいのでしょうか。

業界団体は、県の指示待ちで動かず(百歩譲って動けなかった)・県は国に投げた(頼んだ)のでそっちの裁量で手配してくれ・で、国は国で 忘れていたのか手が回らなかったのか…。

いずれにしても、泣かされたのは 一番に手が差し伸べられるべき被災者の方々でありました。

 

このことについて、その〝タライ回し感〟に絶望すると同時に、そもそも自治体で備蓄していなかったのか疑問を抱かされたところです。

災害が起きてから名古屋市の業者に依頼?途中のインフラ(陸路)が途絶していたらどうする?空路?業者が避難所の住所ごとに配送?それとも県庁に届いてから避難所に仕分け?

順調に依頼がされたとしても、時間的ロスは少なくないところでありましょう。

「段ボールベッド」については 少なくとも地域ごとに適当数が備蓄されているべきであり、被災者全員とまではゆかないまでも、せめて高齢者などの社会的弱者には 避難所入りと同時に供給されるような体制ができていなければならないでしょう。

長野市においては、市内に遍在する「災害備蓄庫」に それぞれ段ボールベッドが備蓄されており 石川県のような後手にはならないことになっていますが、そもそも〝地震多発エリア〟とされる能登半島の自治体が こんなことになっているとは…見通し(予測)が甘かったとの誹(そし)りは免れないところでありましょう。

 

まだまだ、これからも続く 厳しい避難生活。

そのうえで 従前も触れましたが、被災後1~3ヶ月のうちには「災害関連死」が急増する悪しきパターンが懸念されることになっています。

各避難所には、一日も早く段ボールベッドが届けられ せめて〝雑魚寝〟から改善が為(な)されるよう願うばかりです。

 

このように、各避難所の模様(状況)は 対岸の火事ならぬ「他山の石」としなければなりません。

課題が見える分、全ての者が自分事と捉えることが期されています。


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令和6能登半島地震「中学生の集団避難」への評価と、物事の成否を決めるのは「人」と「組織」との実感

2024-01-18 | 日記

よりによって元日に起きてしまった「令和6年能登半島地震」は、能登半島エリアの方々に甚大かつさまざまな様態の被害を与えることとなり、それ(被害)は 時間経過と共に膠着(こうちゃく)しているものもあります。

とりわけ、地震や火災 それに津波などにより住むところを失なった被災者家族の方々は、着の身着のままで避難所に逃げ込み それから今もそこでの(避難)生活の継続を余儀なくされています。

この〝避難生活〟については、非常に残念ながら 大規模な災害においては欠かざる要件となっているものですが、今回の「令和6年能登半島地震」においては この如何(いかん)ともし難い状況に際し、これまでにない取り組みがされ 私だけでなく社会全体が評価し、その推移を見守ることになっています。

 

輪島市の中学生を対象にした「集団避難」です。

これは、被災の大きかった輪島市においては多くの住民が一時避難所になっている小中学校の体育館を現在も利用している(利用せざるを得ない)状況にあり、また施設の損傷も激しいことから学校としての機能を果たすには厳しい状況であることから、生徒らの学習の場を確保するためには他所(たしょ)への集団避難しかないとの判断の下で行なわれたものです。

実施については あくまで保護者の同意を得た生徒・本人がその意向を示した者に限られましたが、最終的に輪島市内の全3校401人のうち、希望した 1年生73人・2年生81人・3年生104人、計281人が 近市の白山市内にある「青年の家」や「少年自然の家」を拠点に生活し、同施設や白山市内の学校施設で学習に励むとのことであります。

 

 

 

 

この「集団避難」過去には 2000年に起きた「三宅島(東京都)噴火」で全島避難となった際に、小中高生約360人が都内あきるの市の高校施設で寮生活をしたことがありましたが、いわゆる本土での災害で実施されるのは極めて異例とのことです。

この取り組みには、輪島市教育委員会 とりわけ今の小川教育長の強いリーダーリップ(英断)があることが伝えられて(伝わって)います。

 

 

 

 

報道によると こちらの小川教育長は、かつて小木中学校(能登町)の校長を務めていたときに「東日本大震災」を目(ま)の当たりにし、それをきっかけに「防災教育」の大切さを再認識し、以後 学校を挙げてハザードマップの作成や津波の避難訓練を実施してきたそうです。

そんな、災害に対する意識の高い小川氏が教育長となってから発生してしまった大震災ですが、氏は そんな窮地においても、児童生徒の学習環境を如何(いか)にして整えるべきかを思案したうえで「集団避難」を苦渋の選択とし それを石川県教育委員会に打診したうえで実現したとのことであります。

ややもすると保守的・旧守的といわれる教育行政において、過去に例の無い「集団避難」を短期間で判断し実行に移すというのは、並大抵のことではなかったことでありましょう。

その(集団避難の)具体的な計画・保護者や教職員への説明と理解を得ること・結果への責任等々 事業実施に向けてはいくつものハードルがあったと思いますが、その全てを小川教育長は一身に背負い 実行につなげていった。

この判断(英断)は、輪島市教育行政の長(ちょう)としての「子どもたちへの責任」に他ならず そこに小川教育長の強い意向を感じ取るところです。

そのうえで氏は 英断を余所(よそ)に「子どもやご家庭に 大変な選択をさせてしまったことをお詫びする」としたうえで「輪島市に残る選択をした生徒の学習環境を整える」と全体責任を全うする考えを強調したことが伝えられていました。

 

私は、これこそが「行政責任」の表れではないかと高く評価したところです。

被災により現場が混乱している中においては、目の前の事(こと)の対応に追われるだけで 先を見通した判断はできにくいものです。

ましてや、前例の無い取り組み それも児童生徒や保護者に直接に影響の出るかもしれないことを遂行することは、公僕の者が最もやりたがらないものです。

ましてや「無事これ名馬」を標榜し〝保身〟を第一優先とする者(公僕)はなおのことです。

しかし それを、批判やリスクを恐れず断行した輪島市教育行政の英断。

そこには(前掲のとおり)小川教育長の経験と強い意志があったことは言うまでもありません。

自分の立場(保身)を顧みず「とにかく 子どもたちのために何が最善で、われわれ大人は何を為(な)すべきか」だけに注力しての実行力。

これこそが、教育行政かくあるべきを体現したものと思うところです。

 

 

 

 

・・・・・・。

さて このことに比して、ジャンルは全く異なるものの「人・組織」が為(な)した〝対極の悪しき行為〟が報道されています。

従前にも触れましたが、和歌山県のトンネル(県道)で コンクリートの厚さが不足するなど施工不良が見つかった問題で、施工を行った建設会社が17日に会見を行ない、社長らが一連の問題について謝罪したことが報じられていました。

 

 

 

問題となっているのは和歌山県の串本町と那智勝浦町の町境をつなぐ県道のトンネル「八郎山トンネル」です。全長711mのこのトンネルは、地震などの災害時には、海沿いの国道42号の迂回道路として重要な意味合いを持つ県道として整備中で、トンネルは一昨年の9月に完成し 昨年12月に供用開始の予定でした。

しかし、完成後に行なわれた照明の設置工事で 作業員が(照明を)設置しようとアンカー用の穴をあけたところ、トンネル全長の約8割に「空洞」があり、さらに調べてみると 本来の設計なら必要な30cmのコンクリートの厚みが 最も薄いところで僅か1/10の「3センチ」しかなかったことが判明したのです。

トンネル工事は和歌山市内の企業のJVが手がけ、事業者は完成後「覆工コンクリートの厚さは設計以上に確保されていた」という内容の書類を提出しましたが、その後の聞き取りで「検査でコンクリート(厚)が薄いことは把握していた」と回答し、書類を設計値以上に書き換えたことを認めたとのことでした。

さらにその後、JVに参画した会社で 驚くべき実態が明らかになったのでした。

事業者(A社)によると、今回のトンネル工事を担当した現場所長(B所長)は社内でも経験が豊富で〝トンネル工事と言えばこの人〟と称される“敏腕社員”だったとのこと。

B所長はヒアリングに対し「覆工コンクリートの厚さが確保できないことを認識しながら、本社に相談することなく工事を進め 数値を偽装して検査を通した」と回答。

さらに 現場の従業員へのヒアリングでは「作業所長の判断は絶対」とか「とりわけ B所長を超えて内部通報はできない」との回答が大半だったということでありました。

また 会見で公表されたコンプライアンス委員会の提言書によると、ヒアリングで現場所長は「手直しをすれば工期に間に合わなくなる。赤字にしたくない。1次覆工で強度は保たれているのでトンネルの安全性に問題はないと判断した。そもそも 覆工コンクリートは化粧コンクリートのようなもので、厚さが足りなくても問題ない」と話したということです。

さらに「何より 自分はトンネル工事の専門家であり、本社に相談してもどうなるものではない」と回答したというのです。

 

これ(B所長の発言)が事実であるとするならば、何という独善・何という利益優先主義でありましょう。

落盤という最悪のケースを全く念頭に置かず、自社の利益と自分の立場を最優先した 人命軽視の最も許されざる判断と言わざるを得ません。

また このA社においては、かかる最悪の判断があり もしかしたら人命に関わるかもしれないのに、このアホ上司に対して「それは違うんじゃないか」と言えない体質があった。

これは 見方によっては共同正犯であると断罪されても仕方のないところでありましょう。

 

 

この2つの事例。

自らの職責において「子どもたちのために」を最優先して集団避難を決断(英断)した 輪島市の教育長と、人命がどうなろうと利益と自分の立場を優先してコンクリートをケチった会社の作業所長…この両者の〝認識の違い〟は、まさに雲泥の差といえるところであります。

このように、社会の中では「守るべきものは何か」との価値感によって 人の行動は分かれてくると思います。

そしてそれが 組織の中で判断されるときには、組織全体の体質のようなものがクローズアップされることになります。

言うまでも無く、為(な)すべきことは前者でありましょう。

当事者として、いわゆるエンドユーザー(この場合は子どもたち)の利益のために最善を尽くすべき。そのためにあらゆる可能性を求めて努力してゆこう。

この心根こそが、厳しい状況であるからこそ発揚されるべきであり、そこからの真摯な行動は 必ずや衆人の理解を得られることになることと思います。

 

それに比して、片やの〝独善・保身行動〟は論外。

ところが、得てして娑婆(しゃば)では こちらの悪しき価値観で動く者が多いことに嘆息(たんそく)させられているのも また事実であります…。


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阪神淡路大震災から29年が経過…能登半島地震の被災者への「共感」

2024-01-18 | 日記

この日 1月17は、あの「阪神淡路大震災」が発生した日。今年で29年を迎えたところでありました。

被災した中心的都市である神戸市をはじめ、関係する多くの地域で鎮魂の灯が点(とも)され、犠牲者への追悼と回顧の思いが巡らされたことが報じられていました。

そして…ことさらに今年は、よもやの あの大震災を思い出させるような地震被害が他所(能登)で発生、この未曾有の出来事を通じて 人々は思いを一(いつ)にすることともなったのでした。

 

 

 

 

29年前の1995年(平成7年)1月17日5時46分、兵庫県沖の明石海峡を震源として マグニチュード7,3の大地震(兵庫県南部地震)が発生し、阪神・淡路エリアに甚大な被害を及ぼしました。

高速道路の高架が倒壊するという にわかには信じ難い映像が流され、また 白馬村からのスキー客(復路)を乗せた夜行バスが、落折した高速道路の架上で あわやのところで転落を免れているところも配信されていたのが 今も強く印象に残っています。

 

 

 

 

M7を超える大きな揺れは、家屋といわずビルといわず あらゆる建屋にも大きなダメージを与え、神戸市の市街でも多くのビルが倒壊している様子が伝えられていました。

 

 

 

また 発災時刻が朝であったことから、朝食の支度のために多くの家庭が「火」を使っていたこともあり、被災地のあちこちで火の手が上がり それが被害を大きくしたことも併せ伝えられていました。

 

 

 

 

・・・・・。

あの大震災から29年。あのときに 衝撃をもって見させられることとなった被害の状況を、またも 同じ時期に目(ま)の当たりにするようになることなどとは、誰が想像したところでありましょうか。

またも、私たちの平穏な社会生活に大きなダメージを与える地震:令和6年能登半島地震が 時(とき)を経て今年の正月/それも元日に、再び三度(みたび)の形で発生したのでした。

 

この日の 阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂の集いは、同時に 今まさに被災の窮状にある能登半島の被災者の方々への お見舞いと激励の形を成しておられたことが報じられていました。

 

 

 

 

そのサブタイトルは「共に」…当時 未曾有の大災害となった地震被害を経験した方々が、同じ被災者としての 能登半島の(被災者の)方々に思いを寄せ、かつての自分たちと同じ境遇になってしまったことに「共感」の思いをもっておられることが伝わってきます。

 

 

 

 

慰霊会場では、竹や紙で作った灯籠を囲み 関係する方々が手を合わせておられたことが報じられていました。

そこには、阪神淡路大震災の犠牲者への追悼と、今まさに窮状にある能登半島での犠牲者や被災者の方々への同様の思いが込められていたことでしょう。

 

 

 

 

慰霊会場には「寄せ書き」が掲げられ、多くの方々が 能登半島の被災者へ「激励の一言」を記(しる)しておられました。

 

 

 

 

奇しくも 共に年の初めに起きた大地震による甚大な被害、その惨状を見た阪神淡路大震災の被災経験者の方々は とても他人事で済まされない思いがしたところでありましょう。

その 心からなる同情(心)が「共感」として共有され、それが この日の慰霊祭で「共に」の言葉となったと思います。

 

なにいう 私たち長野エリアに暮らす者も、6年前に「令和元年東日本台風」で被災した経験をもつところであり、それらをもって やはり今回の震災の被災者の方々に「共感」し、被災地の窮状を慮(おもんばか)りながら 一日も早い復旧・復興を願うところです。


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令和6年能登半島地震 =地殻隆起・液状化がもたらす通信遮断や下水問題=

2024-01-17 | 日記

よりによって元日に発生した「令和6年能登半島地震」は、時間経過と共に 人的・物的ともに様々な被害の状況が伝えられてきており、私たちは一様に胸を痛めています。

被害(被災)状況については 報道等でご案内のとおり、家屋の倒壊・土砂崩れ・津波による建屋破壊など いわば目に見える被害はもとより、時間経過が進むうちに 目には見えないものの私たちの社会生活に欠かせない社会インフラの被害が 厄介な「難題」として被災者の前に横たわっており、多くの被災者の(避難)生活にとって 不自由に輪をかける状態になっていることが伝えられています。

その(難題の)代表格が「通信インフラ障害」と「下水道の途絶」ではないか と。

このことについては報道各局も 被災地の深刻な問題として取り上げています。そして それらの被害は、今回の能登半島地震の 悪しけき特徴として挙げられています。

 

 

 

 

ご案内のとおり 今回の「令和6年能登半島地震」は、日本海に面した(突き出た)半島の全域を揺るがす地震となりました。それ(地震)は、建屋の崩壊など いわゆる地表面における多大な被害をもたらすことはもとより、地下(地中)における地殻の大規模な変動により 数メートルに及ぶ隆起が起きるなど、これまでの地震を凌駕する悪しき自然現象に見舞われています。

 

 

 

さらに、主に沿岸部のエリアでは 土地の基礎部分が砂地であり、そこに大量の流体(水)が混入・攪拌(かくはん)されることにより「流動化現象」が発生、土中がうねり ありとあらゆるものが傾き崩れるような「大規模かつ難儀な被害」を及ぼしています。

 

 

 

 

そして、これら「隆起」と「流動化現象」が、被災エリアの生活に欠かせない 通信インフラと下水インフラに大きなダメージを与えていることが伝えられ、見ているこちらまでも頭を抱えたくなる事態となっているのです。

従前には本ブログでも触れましたが 奥能登をはじめとする〝孤立地域〟では、テレビはもとより インターネットなどの通信網が途絶し、物資だけではなく 情報面でも孤立を極めていることが伝えられています。

ムラの識者のIさんに訊くと「これは通信業界で定石の知識だが、基地局が被災等で機能しなくなると、その基地局範囲のインフラ(スマホやネット)は使えなくなってしまう」とのことです。

この(災害の)場合は、電波を受信する場所の基地局の電源が切れたりアンテナが破損したりすると通信インフラは不通に。

とりわけ 土砂崩れ等で孤立した地域は、修理の機器材や人員の投入が難しい状況にあることから 直ちに復旧するのは容易ではないだろう とのことです。

 

 

 

 

この状況に際し、後の報道によると 大手通信社(NTTドコモ・KDDI/AU)は6日から共同で、船舶上に携帯電話基地局の設備を設置した「船上基地局」の運用を開始しているとのことです。

「海底ケーブル敷設船」に携帯電話基地局の設備を設置し、衛星アンテナで受信した電波を船上から発信することで 陸路が絶たれていることから復旧が困難な石川県輪島市の一部沿岸エリアの復旧を図っているとのこと。

 

 

 

 

ただこれも、船上基地局から電波の届く範囲は数キロと限られていいることから 直ちに全域の(通信インフラの)解消というワケにはゆかないようですが、いずれにしても業界も人智を尽くして通信インフラの回復を図っていることが伝えられています。

で…逆にいえば、既存(地上)の基地局が損壊されると 一気に情報社会から取り残されてしまう〝現実〟を見せられた感、私たち〝スマホ依存社会〟の者たちにとっては、何というか生命線を断たれてしまうかの 影響(被害)の大きさを実感させられるところです。

万が一、自分たちの暮らすエリアで そんなこと(通信インフラ途絶)になった日には、さまざまな面で深刻な状況に陥ることは自明であり、それだけに 今まさに〝情報孤立〟に陥っている被災者の方々の不安な心情を思うとき、真に同情に堪えないところです。

 

 

他方、これも代え難く 社会生活に重要不可欠な社会インフラ「下水道」についても、能登半島の被災地の窮状はいかばかりかと こちらも強い同情を禁じ得ないところです。

ご案内のとおり 下水道については、排泄物を流すためには「自然傾斜」が不可欠です。

これ(傾斜)が無かったりすると 排泄物が詰まるなどして流下が儘(まま)ならなくなり、その時点で 公共下水道は使うことができなくなってしまいます。

 

 

 

 

ところが、今の被災地の状況はどうでしょう。

前述のとおり、地盤隆起や液状化現象により 土中はぐちゃぐちゃの状態になっており、下水道の自然傾斜どころか 水平すら保てない状況になっていることでしょう。

 

 

 

 

今回の「令和6年能登半島地震」は、被害状況によっては その量や質ともに、過去の大きな自然災害をも上回る被害ではないかと言われ始めています。

通信や下水道の途絶、この全く別モノの社会インフラの障害は 今後の被災地にとって、ボクシングのボディーブローのように 時間をかけて悪しけくダメージを蓄積させ、被災地(者)を更に困窮に追い込む要因となることが憂慮されています。

関係者・関係機関においては、あらゆる知見を集めて被災者に注力し 一日も早いインフラ回復が成されるよう願うばかりです。

 

 

ところで、さきのニュースで 自衛隊が海外の軍と共同で「降下訓練」を実施したことが報じられ、このことについて識者Iさんと認識を共有しました。

この訓練は、陸上自衛隊第一空挺隊が 上空の飛行機からパラシュート降下したり、双発ヘリにジープなど車両を吊り下げ降下させるもので 自衛隊の年頭行事となっているそうです。

このニュースに触れたとき、私とIさんは「これって…」と顔を見合わせました。

 

 

 

 

これこそ 奥能登で孤立を極める被災地上空に展開し、精鋭の自衛隊員や ジープのみならずユンボなどの掘削機械を吊り下げて降ろし、たとえ道路が寸断されていても「空路」で機器材と人員を投下し、直ちに救援・復旧作業に当たれたんじゃないか。

既に自衛隊員は投入されており「それはそれ これはこれ」との〝別モノ〟ではあろうと思いますが、彼ら(空挺隊)の晴れ姿を映し出す映像を見るにつけ この精鋭たる能力を被災地支援に活かせないものかと 歯がみした二人だったのでした。

 


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令和6年能登半島地震 =〝トリアージ〟無き普遍的な被災者(地)支援を=

2024-01-15 | 日記

よりによって元日に発生することとなってしまった「令和6年能登半島地震」は 時間経過と共に被害の実態が見えてくることになり、それに伴い これから間違いなく〝長期戦〟となることが懸念される避難生活が始まってます。

今回の地震災害は、発生が元旦であったことや (能登)半島部分での被災であったことなどもあり、情報量が少ない中で推移しているような気がします。

1月1日の午後4時過ぎに「石川県能登地方でマグニチュード7の地震が発生、1~2mの津波の可能性」との速報が流され 私たちの住む長野エリアでも揺れを体感したところですが、そのときはこの震災が これほどの大きな被害を及ぼすことになることは予想だにすることはできませんでした。

その後 刻々と報じられる被害の模様には、多くの方々と同じに 驚きと嘆きの感を強めるばかりであり、その後の被災地の惨状と避難所の窮状には ただただ心を痛めるところです。

 

現場の混乱と困窮は いかばかりかと存ずるところです。

かかる震災被害が経過する中 被災者の方々は、行政対応も混乱する中で 先ずは生命を維持するべく避難生活を余儀なくされることとなっています。

それらの様子を見聞するうち 私は、万(ばん)やむを得ない中でありながらも 被災者(避難所)対応について、(被災者の)状況によって〝差異〟のようなものが起きてしまっていることを感じ取り そこに問題意識を与えられた感がしたところです。

災害発生後、行政は直ちに避難所を設営し (その状況(現状)は厳しいものではありますが)被災者支援に努めておられます。

一方 奥能登など半島の内部域の地区は、半島特有の限られた道路事情(海沿いの一本道)に起因する 土砂崩れによる幹線道路の寸断による「孤立化」が発生し、物資や情報そのものが途絶する中 非常に厳しい避難生活を強いられていることが伝えられています。

 

 

 

これら孤立域については、さらに時間が経過した後に 自衛隊が人力(じんりき)で分け入るなどして救援に入り、遅蒔(おそま)きながら支援の手が伸べられることになっています。

この、孤立地域や または避難所に依(よ)らず在宅生活を余儀なくされている方々への支援、これが後手になっている(ならざるを得ない)状況は〝避難所に行かない(行けない)人は支援が遅れる〟かのタイムラグ(遅滞)感を禁じ得ないところ…ここに問題点を投げかけられた感であります。

 

そして…これが 私が〝差異〟として感じさせられたところなのですが、同じ被災者でありながら 避難所での共同生活に馴染(なじ)めない障がい者の方々の避難生活の「公助」が間に合っていない現状が伝えられ、ここにも問題を与えられた感でありました。

 

 

 

障がい者には 身体・精神・知的がありますが、身体障がい者さんについては 移動困難などのハンディが、精神・知的障がい者さんについては 災害のショックに加えて慣れない避難所生活に上手く適応できずに、大声を上げてしまったり突発的行動に出るなどして それが〝迷惑行為〟と誤解されて退所を求められるなど、同じ被災者でありながら避難所に居(い)られない(居ずらい)という不条理な〝現実〟があるところです。

このため 障がい者支援団体などにおいては、一度(ひとたび)被災しても 直ちに避難所に駆け込むことができずに 被災した状況のままの施設に留(とど)まったりせざるを得ない状況にあることが今回の地震においても伝えられており、実質的に支援が後回しにされている実態にあることが慚愧(ざんき)に堪えないところです。

 

「トリアージ」という行政システムがあります。

これは 災害などの有事の際に怪我人などが多発したときに、それぞれの怪我の状態に応じて治療などの対応に序列を付けて搬送するもので、これは 限られた医療機関(ベッド)を効率的に活用する善策です。

 

 

 

この(トリアージの)事例は 今回の話題(避難生活における差異)に共通するものではありませんが、こと〝序列〟という括(くく)りにおいて準(なぞら)え 私が言いたいことは、被災者の様態によって 避難態勢に差異(序列)があってはならないということです。

「この被災者が先、こちらの被災者は後(あと)で」というような〝被災者対応のトリアージ(序列)〟はあってはならない。

無論 冒頭に述べたとおり、被災地においては 行政職員など関係者が不測の事態に向き合い、被災者対応に全力を尽くしておられるところでありますが、そのうえをもっても生じてしまっている 避難生活の差異…このことについて私たちは、当然に起こり得るものとして想定し対応できるようにすべきと思うところです。

 

具体的には「福祉避難所の強化」これに尽きると思います。

避難所については、一義的に いわゆる避難所に来ていただき、その後 支援の必要な方々には「福祉避難所」に移っていただくことになっていますが、この際は発災後直ちに「避難所」と「福祉避難所」を並行して開設し、該当される方々はそこへ直行していただく。

予(あらかじ)め〝受け皿〟を定めて即応することが求められているのではないかと思考を奨(すす)められたところであります。

 

 

[追記]いきなり支援金1000億の不思議

過日、岸田総理が被災地に自ら足を運ばれ 被災地の現状を視察し後、記者団に対し「被災地の生活再建に向け、予備日を1000億円 供出する」と表明されました。

 

 

 

このことについては「総理が自ら現地を訪れたうえでのご英断」と高く評価する声がありますが、このニュースを耳にした私は「大幅増額されたからイイじゃん」とする声に同調する一方、別の意味で首を傾げざるを得ませんでした。

これまで国(政府)は、今回の地震に際し「予備費を47億円 供出する」としており、このことについては「ウクライナ支援(対NATO)より少額か」と揶揄(やゆ)されていましたが、それが 総理が現地に行った途端に、倍増なんてもんじゃない増額です。

これを聞いたとき 私は「それじゃあ、さきの47億円の試算は何だったんだ?」と思わざるを得ませんでした。

おそらく、霞が関の官僚がソロバン弾いて「こんなもんでどうでしょう」と額を出して それを政治家が了としたのでしょうが、その後に この跳ね上がり…テキトーとは言いたくありませんが、あまりに違う支援額の算出には 別の意味で驚いたところです。

で あったのなら、もっと早く実態を把握し 状況に合った(支援金の)算定が行なわれて然るべきと思ったところ…公金の拠出根拠は何ぞや? と、不可思議な思いがしたところでありました。


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令和6年能登半島地震 ~災害で助かった命が失われる〝災害関連死〟の非情~

2024-01-13 | 日記

よりによって元日に発生することとなってしまった「令和6年能登半島地震」は 時間経過と共に被害の実態が見えてくることになり、それは即ち被害拡大という形で表(あらわ)されることとなっています。

従前にも述べましたが、地震そのものの犠牲者は 被災の瞬間には相当数が発生し、その数は(非常に残念ではありますが)「発見」という形で(その数が)計上されることになります。が、災害の直接的な犠牲者は増え続けることはありません。

ところが(そのうえで) これは 増して非常に残念なことでありますが、発災後に その数(死者数)が悪しけく右肩上がりで増え続けている実態がある…これが「災害関連死」であります。

「災害関連死」とは 災害によって直接的・物理的に生命を脅かされた「事故死(水死・圧死等)」ではなく、災害によって負った傷の悪化や 避難生活中の身体的・精神的負担によって起きた疾病が原因となって死亡するケースのことをいいます。

いわば、災害を逃れ せっかく助かった生命が その後の(避難)生活の中で失われてしまうという、残念極まりない「死」なのです。

 

 

 

災害関連死が具体的に定義づけられたのは、1995年の「阪神淡路大震災」がきっかけとのこと。法的な定義は「災害による傷病の悪化や避難埼葛(きとう)における身体的負担によって死亡する」というケースの中で『災害弔慰金の支給等に関する法律(昭和48年法律第82号)に基づいて災害が原因で死亡したと認められたもの』と定義されています。

 

私だけでなく 多くの方々が、今回の「令和6年能登半島地震」において連日報道されている被災状況のレポートに接する中で、避難生活や避難所の劣悪な状況を見聞しては胸を痛め そして、発災後2週間余りが経過する中で ここのところ連日に亘り「災害関連死が▽名」と報じられていることに慚愧(ざんき)の念を深めておられるところです。

「せっかく大災害の難を逃れたのに、その後になって むざむざ死ななければならないのか…」

 

「災害関連死」は、過去の大災害の中でも数多く発生していることが記禄されています。

その傾向については、持病などの「既往症者」が多いこと・高齢者が多いこと・死亡時期は発災から1ヶ月から3ヶ月で多く発生すること・原因は 避難所生活が3割/避難中の疲労が2割/病院機能停止が2割 というようなもの(傾向)だそうです。

具体的な災害関連死の事例は下記のようなものが挙げられています。
 病院の機能停止による初期治療の遅れや既往症の悪化
 交通事情等による初期治療の遅れ
 避難所等への移動中の肉体・精神的疲労
 避難所等における生活の肉体・精神的疲労や災害のストレスによる肉体・精神的疲労
 救助・救護活動等の激務 等

そして「災害関連死」は、過去の災害においても多発していることが判ります。いくつかの事例が挙げられています(「東日本大震災」については、分母(被災者の総数)があまりに多いため割愛します)

▼熊本地震(2016年/平成28年発生)

熊本地震での死者数の273人のうち、実に8割に上る223人が「災害関連死」でした。

▼新潟県中越地震(2004年/平成16年発生)

新潟県中越地震でも、死者数68名のうち8割に及ばんとする52名が「災害関連死」でした。

 

このように、過去の大きな災害においても「災害関連死」は、少なからず というよりも、非常に多く発生していることが数字に表(あらわ)されています。

(前掲のとおり)災害を逃れ せっかく助かったのに、その後の(避難)生活の中で死に至ってしまうことは、かえすがえすも残念極まりないところです。

 

 

で、災害関連死を防ぐためには「K・T・B」の3要素が重要であることが言われています。

これは「トイレ・キッチン・ベッド」の略とのこと。

汚いトイレを避けて清潔なトイレにすること・冷たく栄養の不十分な食事を避けて滋養のある暖かい食事を提供すること・床での雑魚寝を避けて就寝環境を整えること を指(さ)しています。

 

 

 

 

で、この「災害関連死を防ぐ3要素」を 今回の「令和6年能登半島地震」に当てはめてみると…それが尽(ことごと)く満たされていないことが感じられ、それは即ち 今後も被災地(能登半島エリア)で災害関連死が増え続けるのではないかとの懸念材料になるところです。

例えば「T」のトイレ問題。

被災地においては上下水道の寸断に起因する断水はもとより いわゆる生活用水自体が不足している状況となっており、それはすなわちトイレ環境の悪化の要因となっています。

日頃のトイレが使えない→仮設トイレに利用が集中するも数が限られている→生活用水が不足し清潔な洗浄ができない→汚れて不衛生な環境に陥る→トイレの回数を減らすために水分摂取を控える→脱水症状や血中濃度髙による梗塞(こうそく)・口腔内の水分(唾液)不足による(口腔内の)細菌増加による誤えん性肺炎等の疾病増加 との〝負のスパイラル〟に陥る。

しかして、今回の被災地(避難所)のトイレ事情はどうか…報道等によると、液状化現象等で上下水道インフラの被害はことのほか大きく、それに伴い 避難所のトイレも劣悪を極めていることが伝えられています。

また例えば「K」キッチン(食事)問題

被災後の被災地や避難所では、一定期間の食事は固く冷たい非常食を余儀なくされ 特に高齢者は嚥下(飲み下し)が難しいことから十分な口径物の摂取ができにくい状況に陥ります。また、食事内容も偏(かたよ)ったものにならざるを得ず、それは高血圧や循環器系疾患につながりやすくなります。

それに、そもそも災害のショックで 食欲そのものも萎(な)えてしまう人も少なからずおられることでありましょう。

ただ今回の災害でも 各地から炊き出しボランテアが駆けつけてくださり、温かい食事が供されていることが伝えられているのは有り難い限りであります。

さらに「B」ベッド 雑魚寝問題は…。
避難所の状況を見れば、体育館などの床に(直(じか)に)横たわる「雑魚寝」が多く、またマイカー車内での座位での仮眠も少なからずあるとのこと。床で寝ることはストレスや深い眠りにつけない寝不足の要因・また床に近いことで埃(ほこり)を吸引しての肺炎・免疫力低下・呼吸器系疾患の要因となり、座位での仮眠はエコノミークラス症候群による血栓の要因ともなっています。

これらをして非常に残念ながら、能登半島の被災地における「K・T・B」は 未達状況にあることを再認識させられてしまうところです。

 

また 事例として挙げた「熊本地震」や「新潟中越地震」そして今回の「令和6年能登半島地震」の共通点として 発生した場所が中山間地域などのローカルエリアであること、それは即ち  被災地の地勢が不利であること・そこに住む方々の多くが高齢者であることを再認識させられるところです。

高齢者にとって、被災そのものはもとより 避難所生活も非常にキツいものがあるでしょう。

まず仮設トイレ。特に従来型の水洗タイプは便器の下部がタンクになっていることから トイレ内に入るまでに大きな段差があり、足の悪い人は難儀であること・また(従来型の)多くは「和式」であることから使用に耐(堪)えられないこともあろうと思います。

また 血圧などの常備薬を飲み続けなければならない人は、災害によって それら摂薬行為が途絶することは、医療の途絶と同じ。直ちに健康被害につながることが懸念されます。

また(前掲の)口腔内の不衛生からくる肺炎・食欲不振や運動不足など、高齢者にとっては大きなハンディを負わされる環境に陥っていることも伝えられています。

このことについて、齢(よわい)95才になるオフクロに水を向けたところ「あたしゃ とても無理。もしそんなことになったら、ここで死ぬわ。」と即答されたものでありました。

 

不測の災害によって多発する「災害関連死」何ともやるせない思いにさせられるところであります。

そして、何より問題(課題)なのが、このこと(災害関連死)が 災害の度に発生していること→(発生が)分かっていながら 抜本的な対策が講じられていなかったと言わざるを得ない状況(現実)にあることではないか、と思わされるところなのです。

1995年に発生した「阪神淡路大震災」から約30年、この間 いくつもの大災害を経ていながら、今回の「令和6年能登半島地震」でも次々に災害関連死が発生している事実…事(こと)はここに及んでしまっておりますが、私たちは いま一度、この未達ぶりを反省しなければならないのではないでしょうか。

この〝変わらない状況〟が続けば、いずれ 災害関連死をも「人災」と定義づけられることになることを憂慮する者の一人です。

 

一方、この状況(大規模災害の度に多発する災害関連死)を「防ぎようがない」と〝分析〟する人もおられます。

「地震大国に暮らし、それも中山間地域に特に高齢者が多い状況の中で 地震などの大規模災害が起きれば、その対応にも限界がある。災害が起きても いつもどおりの社会生活や 医療・介護サービスを維持しようったって、それは不可能だ」とのシビアな意見です。それも ごもっともと聞かされるところです。

しかし 私たちは、だからといって努力を放棄するのではなく、さまざまな経験を踏まえ「今度こそ」の意義をもって 減災に取り組むべきでありましょう。

今回の「令和6年能登半島地震」においても、遅まきながら ホテル等への「1,5次/2次避難」が始まっており、高齢者などの社会的弱者を優先しながら「KTB」の環境があるエリアに避難していただくこととなっています。

「対応が遅々とし散発的」と これまで以上に厳しい評価が寄せられる今回の大震災。今後のイイ意味での巻き返しを求めるところです。

 

「災害は いつも課題を 突きつける」

日々の災害関連のニュースに触れるにつけ、思わず詠んだ五七五でありました。

 


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令和6年能登半島地震 ~新たな災害の予兆に胸騒ぎが~

2024-01-12 | 日記

よりによって元日に発生することとなってしまった「令和6年能登半島地震」は 能登半島全域に大きな、そして さまざまな被害を及ぼすこととなっています。

 

震度7の大きな横揺れ(キラーパルス)に伴う建屋の倒壊・夕刻の街に発生した大規模火災・沿岸部を飲み込んだ津波被害・奥能登の集落を分断に至らしめた土砂崩落・そもそも砂地の基礎から発生した液状化現象…これらの災害は、様態が多様である分 実にさまざまな面で被害のトリガー(引き金)となっています。

 

そんな中、ここへきての被災地(被害状況)ニュースに〝新たな災害の予兆〟が包含されるのを耳にし、私自身 何ともいえない悪しき胸騒ぎを覚えるところです。

輪島エリアの山中から流下する河川に「土砂ダム」が、複数箇所で できつつあるというのです。

 

 

 

 

「土砂ダム」とは、主に山中(さんちゅう)を流れる河川の途中に、何らかの事象による堆積物によって流れが遮断され 流下すべき河川水が行き場をなくしてその場に溜(た)まり、時間経過と共に〝ダム〟となってしまうものです。

この「土砂ダム」最初の頃は大したことのない水量ですが、流れ下るハズの河川水が遍(あまね)く溜まることで その貯水量は天井なしに増え、やがて堪えきれなくなった〝ダム〟は決壊し 一気に流れ下った水は堆積物を伴って下流域に大きな被害を及ぼすというものです。

 

 

 

現場の航空写真によると、平時はどうということの無い河川が 地震による法面崩落に伴い堰(せ)き止められたことで「土砂ダム」を成すこととなり、今もそこに流下できない河川水が溜まり続けているとのことでありました。

今後、いつか土石流が発生するのではないかと 強い懸念をもって事態を見守るばかりであります。

 

 

 

 

「土石流」の怖さといえば、私たち長野県民は 平成26年に発生した「南木曽町土石流災害」を想起せざるを得ません。

これは 土砂ダムではありませんでしたが、土石流の怖さを知らされる災害として想起するところです。

南木曾地区の山の奥部で大量に降った雨が 臨界点を超えた瞬間にせきを切り、蛇行させながら形成した沢(梨子沢)を堆積物を伴って真っ直ぐに流下し 下流の集落に大きな被害を及ぼしたものでありました。

 

 

 

 

また、平成18年には記録的な豪雨災害があり、岡谷で土石流が発生したのも記憶に残るところです。

 

 

 

これらの災害で私たちは、土石流の勢いの強さと及ぼされる被害の大きさを思い知らされたものでありました。

 

 

発災後にできつつある「土砂ダム」…これらについては、時間経過と共に蓄えられた悪しきエネルギーが暴発しなければいいがと心底思わされます。。

これらの滞留水については、例えば さきの「令和元年東日本台風」の際に、長野市域(浅川エリア)での排水作業に 国交省の「排水トラック」が活用された経緯もあることから、これらを駆使して強制的に排水するなどし、何とかして水を無為に貯めないようにしてほしいところです。

 

 

 

 

天気予報によると、これから以降も現地では ややまとまった降水(降雪)があるとのこと。

さまざまな被害を生じさせている令和6年能登半島地震、こんなこと(土砂ダム決壊)でも新たな被害の要因とならないことを願うばかりであります。

 


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