倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

いずれの道を

2019-05-31 | 日記

 5/30 Thu.

 

◇環境関連の話題 二題

地球の成層圏に存在し、太陽からの有害な紫外線を吸収し地上の生態系を保護してくれる、地球環境保全に欠かせない存在の 「オゾン層」 この保護のために、さきには国際条約が締結され、フロンの製造自体が全廃されていることはご案内のとおりです。

ところが、そのフロンの一種で、エアコンや冷蔵庫の冷媒として使用された 「CFC11型フロン」 が、中国東部において2013年以降に大量に放出されているとの分析結果を、つくば市にある国立環境研究所などの国際チームが発見、発表したことが報じられました。

フロンについては、過去に使われたものが製品から漏れ出るケースもありますが、今回の測定数値が非常に大きかったことから、現地(中国東部)で新たに製造 ・ 使用されている疑いが強いということです。

※下図の赤い部分がフロン発生源

 

 

同研究所の主任研究員(大気化学専攻)は 「発生源が特定できたので、今後は中国での生産や使用方法といった実態を把握し、禁止するよう働き掛けていく必要がある。」 と深刻な表情を浮かべ、話しているとのことです。

 

 

 

一方、ところ変わって欧州。さきに執行された欧州議会選挙では 「緑の党」 という政党が大躍進を遂げ、その動きを後押ししたのは 「地球の問題(気候変動問題)を最大の政治課題と考える若者世代」 だったことが報じられました。

緑の党を支援したグループの先頭には、心ある若い女性らが立ち、気候変動に警鐘を鳴らし、それが多くの共感を呼んだとのことでした。

ドイツの女子大学生の有志グループは 「気候の問題は有権者にとって大きな関心事になっている。」 とし、彼女たちが先頭になって街頭デモやSNSを通じて地球環境保護のために緑の党の支援を発信し、それが大きな共鳴を得ることになったそうです。

若年層の活動が有権者を動かす力になったことは否めない、と現地の政治評論家も その活動ぶりを評価しているそうです。

 

 

 

 

環境問題は 「今さえよければ後はどうなっても構わない。」 と考えるか 「今のうちに将来世代のことを慮(おもんばか)って環境保全に心を砕こう。 」 と考えるかで、後の結果が大きく変わってしまう命題と申せます。

 

前段の 「中国で未だフロン製造か」 の話題は、確信犯なのか、それともフロン全廃の情報が末端にまで浸透していないのかは懐疑的な面がありますが、いずれにしても 「地球規模での約束ごと」 が反古にされつつあるのは事実であり、一部の金満主義の者たちの愚行は厳しく律せられるべきでしょう。

 

一方、欧州議会において 「気候の問題=環境問題」 を選挙のテーマに掲げ、勇躍 政治参加した若者たちの存在には、遠く離れた異国の者としても心強く感じたものでした。

「これからの地球環境」 は、われわれ現役世代はもとより、これから社会を担う若者たちこそが先頭に立って考えるべき、まさに将来課題です。

そんな中、今回の欧州議会選挙で、若者たちが 「環境問題」 を選挙課題の筆頭に据えて積極的に行動したニュースは 「一筋の光明」 と申せます。

 

 

この対照的なニュースは、私たちに改めて 「どちらの道を選ぶべきか」 を考えさせる機会となったのでした。

 

 

 

 

☆これも 「環境問題 」の一部か

「草木も眠る丑三つ時(うしみつどき)」 深夜の長野市中心市街地。

 

 

 

場所は 「長野市岡田町」 県庁も間近の、市のど真ん中です。

 

 

そこを縦貫する幹線道路の電光表示板に、ややミスマッチな表現が。

 

 

 

こんなところで、野生動物への注意喚起がされていました。

 

 

 

これはおそらく、この頃 付近で 「クマ」 が目撃されたことに伴い、ドライバーに対しても、彼らの夜行に注意をと呼びかけたものでしょうが、本来 遠く山中(さんちゅう)で表示されるべき内容が、こんな街中(まちなか)で出されているのには、一抹の違和感を感じざるを得ませんでした。

 

 

これも、広い意味では 「環境問題」 と言えるのかもしれませんね。

 

 


多様性

2019-05-30 | 日記

5/29 Wed.

 

ここのところ、朝方の冷え込みと日中の暑さとの日較差の大きさが顕著で、やや身体がついてゆけない状態になっています。

とりわけこの日の朝は、前日からの雨で体感温度は更に低くありましたが、日中は一気に晴れモードとなり、結局汗ばむほどになりました。

列島においても、数日前には北海道で猛暑日を観測、と思えば朝方には零度近くにまでの冷え込みを観測する地点が報じられるなど、寒暖計は大忙し💦といったところでしょうか。

 

いずれにしても、風邪っ引きなど体調管理は自己責任ですので、私も含めて この気温の変化には充分留意したいものです。

 

 

一方、地域の基幹産業である 桃などの果樹にとっては、この気温差が最適環境だそうです。一日の中での気温差は、その差が大きければ大きいほど 糖度アップや色づきの良さにつながるとのこと、果樹農家のみなさんにとっては「理想の天候」が続いているといったところでしょう。

 

ムラに遍在する桃畑、花の時期をとうに終え、青々とした桃の葉の緑が広がっています。 

 

 

緑の葉に覆われた桃の樹ですが、各枝には、適果を終え選ばれた桃の実が生(な)り始めています。

 

 

 

 

朝晩の温度変化が、美味しい桃を育ててくれるとすれば、この気温変化も厭(いと)わず、といったところでしょうか。

 

 

 

 

 

◇多様性、ここにまで

「オンラインゲーム」などへの過度な依存により日常生活に支障をきたすことが「ゲーム障害」として社会問題化していますが、WHO(世界保健機構)は、インターネットやスマートフォンの普及に伴い、オンラインゲームなどに過度に依存する「ゲーム障害」を、病気の世界的な統一基準である「国際疾病」の分類第11版に「新たな疾病」として盛り込む方針を示したことが報じられました。このことにより「ゲーム障害」は、アルコール依存症やギャンブル依存症などと同様「治療が必要な疾病」に位置づけられるとのことです。

WHOによると「ゲームをしたい欲求を抑えられない」「ゲームをすることを他の日常生活の活動よりも優先してしまう」「家族関係、仕事、学習などに重大な問題が生じていてもゲームをやめることができない」といった症状が1年以上続いた場合「ゲーム障害」と診断される。ただし、特に進行の早いとされる幼少期においては、全ての症状にあてはまり重症であれば、より短い期間でも依存症とみなす。」としています。

 

 

現在、スマートフォンを初めとするモバイル機器は、私たちの生活に欠かせない存在となっています。

私自身、スマホ無しで一日を過ごすことは難しい状態です。

そんな中で、スマホ機能の代表格である「ゲーム機能」これにハマッてしまったユーザーが、寝食を忘れて熱中してしまうことが「疾病」に認定されたことは、まさに現代社会の縮図であり 人々の多様性を顕著に表していると思うところです。

このニュースに触れ「ゲーム障害」の実態を再認識すると同時に、現在頻発する さまざまな社会問題や事件・事故の陰(かげ)には、かかる「多様性」があるのでは、とも思わされたところです。

 

 

今さらですが、難しい時代になったことを再認識させられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


どうやって守れば

2019-05-29 | 日記

5/28 Tue.

 

この日の朝、またもやの悲報が列島を駆け巡りました。

 

川崎市の、いつもの平穏な朝を 文字どおり切り裂くことになった凶悪事件は、再び みたび私たちの心を震撼させ「なぜ・・・」としか言いようのない結末をまき散らしながら、事(こと)を起こした者の一方的な都合で一方的に幕を閉じることとなりました。

事件の報に触れ、驚き・怒り・悲しみ・やるせなさ、あらゆる負の感情を呼び起こさせられたところです。

 

 

「防ぎようがない」そう思ったのは 私だけではないでしょう。

私たちは、いったい どうやってこの種の事案に向き合えばいいのでしょう。社会で孤独を極めた者が、自暴自棄となって暴発する事件、何の落ち度もない市民、それも将来ある幼児(おさなご)の命をも奪う事案には、やるせなさが募るばかりです。

でも そのような存在も存在として認め、暴発を未然に防ぐことができる環境づくりもなければ、また どこかで暴発する者が現れるかもしれません。

 

古き佳きコミュニティ社会から 核化社会へと変遷した中で、負のエネルギーが培養された結果 発生したかの今回の事案は、またもや私たちに、重い社会課題を突きつけたまま終焉したのでした。

 

 

 

過日、あいさつ回りに同行してくださった N 幹事長、かつて公僕として建築設計に携わった方は、移動中、こう漏らしたのが印象的でした。

 

 

「なあクラちゃん、例えば道路なんかの公共物は、人知に限りはあるけれど、人の安全は工夫次第で防ぐことができるんだ。

例えばだな、こないだの大津の事故は、交差点に「ポール」が無かったんじゃないか。あそこにポールが一本建ってさえいれば、大切な生命は守られたろう。」

 

 「これからの社会、どうすれば安心安全を守ることができるか、その一点だけに集中して物事に臨む。そんな気構えが求められているのかもしれないな。」


印象的なつぶやきだったのでした。

 

 


安全確保を

2019-05-27 | 日記

5/27 Mon.

 

大雨時に避難誘導や水害対応などを担う、消防団(水防団)に関し、国土交通省は、豪雨災害や河川氾濫などの水難の際、団員自身に危険が迫った際に活動を中止する「退避基準」の策定に着手したことが報じられ、耳目を引きました。

災害時には 我が身を省みず対応に当たられる消防団員の方々が、その「我が身」を守るべきことに改めて目を向けたことは、至極妥当なことと申せ、むしろ 今まで避難基準があいまいだったことに、意外な印象を抱かされました。

 

 

昨年末、全国から抽出した消防団・水防団 223団体の2230人を対象にアンケートを実施ししたところ、半数超の回答を得ました。その結果、34%の団体は「基準がない」35%が「基準はあるが十分ではないと感じる」と回答、全体の7割近くの団で判断基準が無いかあいまいのままでいることが判りました。

 

 

 

 

出動した際、団員自身の身体に危険が及ぶ恐れが生じたときに「退避!」を判断する「退避基準」があいまいなままだと、出動したまま災害が拡大するのに いつまでも現場の逗留を余儀なくされ、結果 逃げ遅れて被害につながる事案が少なからずあり、その危険に7割以上の団員がさらされている実態は憂慮せざるを得ません。

この件については、さきの東日本大震災然り、長野県においても かつで中信地域で発生した水害の際に悲報があったことを記憶しております。

 

団員さんの立場に立ってみれば、災害現場において、身の危険は感じつつも 災害が継続しているのに現場を離れることは、何か「敵前逃亡」のような印象があり、それが「逃げ遅れ」の要因となってしまうことは 大いに推し量ることができます。

消防団活動において「出動の基準」があれば「退避の基準」も併せて整備されるべきであり、その「基準」が、生業を持ちながら 日常生活を割いて消防団活動に参加し、そのあげくに生命の危険に遭う悲運を避ける「命綱」になれば何よりと思うところです。

 

国交省は、この退避基準の早期公表を目指して作業を急ぎ、最終的には 水防活動を監督する市町村に対し「地域版の基準」の作成を促したい考えを示したとこのとで、私としても、今後の推移を注視してゆきたいと思います。

 

 

 

「究極のボランティア」と称される消防団活動、地域の安心安全を守ると同時に、その崇高な任に赴く団員各位の安全確保をもシッカリ行なってゆくのは、行政(政治)の責務と申せます。

 

 

 

 


みなさんの「思い」に報いるべく

2019-05-27 | 日記

5/26 Sun.

 

この日、新生なった後援会が中心となり 「倉野立人君を応援する拡大会議」 を開いてくださいました。

私の  「再生」 を期して ご関係のみなさんに足を運んでいただいたことに、ただただ感謝するばかりです。

 

開会にあたり 「開会のことば」 で 新たにご就任いただいた T 後援会長代行は、まちづくりの諸活動における 私の 「必要性」 を説いてくださり、今回の会議を契機に 皆で盛り立ててゆきましょう!と語気を強めてくださいました。

 

その後登壇した、今回 やはり新たにご就任いただいた Y 後援会長は、ボランティア活動を通じて知り合った、私との 「馴れ初め」 を懐古(回顧)しつつ、私のことを まちの 「財産」 に見立てられ、このまま埋没させるべきでない、と、私にとって過分な言葉を重ねてくださいました。

そのうえで、Y 後援会長は、ご自身が永年に亘り 「保護司」 の任を担っておられたことに触れ、その中で 「やり直しのできる社会の大切さ」 を述べられ、私の支援をつうじて、現在 残念ながら、ひとたびでも道を誤れば社会復帰が難しい状況にある日本社会の風潮の中で、曰く 「倉野君を 「再生」 させることで、イイ意味での 「寛容のある社会」 をつくることができれば。」 と、崇高な理念も伺わせながら、出席者のみなさんに 私の支援を訴えてくださいました。

 

 

私は、この日の会合を 「奇跡」 と擬(なぞら)えさせていただきました。

一般的には、あのような形で道を閉ざした者、それも公職にあった者が、再び活動を始めること、ましてや、第三者による、それも 「周囲の声」 に起因する形で 「後援会組織」 が再結成されることなどは 「ほぼ無い」 のが 「通例」 でしょう。

しかし今回、私に対し心を砕いてくださる方々が、私の 「再生」 を期して、改めて組織化を果たしてくださいました。

このことにより、私は再び 「スタートライン」 に立てようところでありますが、そのこと自体が 「奇跡」 以外の何ものではないと、その厳しさを知る者だからこそ実感するところであります。

 

私のことを応援してくださっていた方々が、私の不始末により、みなさんご自身が大きく傷つき、ときに周囲からも詰(なじ)られる負い目を受けたことを承知しています。

そのみなさんが、私の再生を期して 自ら声を挙げて組織を再構築し、再びあい寄り励ましてくださる、こんな奇跡はありましょうか、そして、そのご厚情に対し、何と言って御礼の意を表していったらよいのでしょうか。

 

このご厚情に報いるには、結果を出すしかないと、改めて強く自覚するところです。

そのためには、私に対する評価が 二分三分(にぶんさんぶん)する中、全てのご意見を 全てありがたく拝聴し、そのうえで、最終的には心を寄せていただけるよう、努力を重ねてまいりたいと存じます。

 

この度の 「新生後援会」 には、みなさんの 「多様な思い」 が込められていることを改めて実感し、そんなみなさんの 「思い」 に報いるためにも、全力を尽くしてゆく決意を新たにいたしたところです。

 


なくせ「食品ロス」

2019-05-25 | 日記

5/25 Sat.

 

まだ食べられるのに捨ててしまう「食品ロス」の削減を目指す「食品ロス削減推進法」が、24日の参院本会議で全会一致で可決・成立したことが「日本農業新聞」の第一面で報じられ、「食と農」の切り難い相間関係が表されていました。

 

 

わが国で、半ば垂れ流し的に発生し続けている「食品ロス」この「究極のムダ」を無くすため、永田町がようやく腰を上げたというところでしょうか。

さまざまな場面で遍在する「食品ロス」根絶に向け、政府や自治体、企業の責務のほか、消費者の役割をも定め「国民運動」として問題解決に取り組むこととしていました。

同法は超党派の議員立法(全会一致)で、公布後6カ月以内に施行されるそうで、政府に対し、食品ロス削減推進の基本方針を定めることを義務付けた外、都道府県と市町村には「削減推進計画」を策定するよう努力義務が課されるとのこと。企業については国や自治体の施策に協力し、消費者も、食品の買い方を工夫することなどで自主的に削減に取り組むよう求めているとのことです

 

 

 

 

 

わが国の「食品ロス」、農林水産省によると、国内で2016年度に廃棄された食品は2700万トンをゆうに越え、このうちまだ食べることができたものは600万トン以上もあったそうです。

地球規模では飢餓にあえぐ国が現にある中、日本という国は、矛盾だらけのうちに「食品ロス」を発生させ続けています。

食料自給率が40%に届かず、多くの食材を輸入に頼りながら、一方で食品ロスを発生させている原状は、同じ国民でありながら首を傾げざるを得ません。

わが国の食品ロスの量は、国連WFP(国際連合世界食糧計画)による、世界中で8億人に上る飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食料援助量 約350万トンを大きく上回っています。

 

 

 

 

また、この食品ロス量(600万トン超)は、日本のコメ生産量(約850万トン)に追いつきそうな勢いで、いわば農家の方々の汗の結晶(の量)をそのまま廃棄しているというような状況に、日本人は、何とも矛盾に満ちた食生活を送っていると言わざるを得ないですね。

 

 

この法律については、政府をはじめ、それぞれの立場の方々に対し、一定の取り組みを求めています。が・・・

 

 

その通底には「食べ物をムダにしない」という「意識づけ」が重要であることが強く感じ取られるところであり、もって同法は「理念型法制」と言えるのではないかと思うところです。

実際にお膳に向かう当事者・食事を提供する家庭や販売する事業者など、そのときどきに「食」に関係する全ての方々が「ムダは止めよう」と心から思って行動することこそが「食品ロス」を無くすための第一義になると思うところです。

市民レベルでは、宴会などで 食べずにお酌に回る行為を諫めるための「30・10(さんまる・いちまる)運動」や、家庭で購入したまま使われないでいる食材を他者に寄付する「フードバンク・フードドライブ」などが緒に就き、事業所においては、大手コンビニが 期限切れ間近の食材の値引き販売を検討することが報じられるなど「食品ロスの撲滅」に向けたさまざまな取り組みを耳にするようになり、喜ばしい限りです。

 

 

併せて、前述のとおり「日本農業新聞」が この話題を第一面に載せたように、国民一人ひとりが、食の大切さに=農業の大切さ に目を向け「地産地消」などの地場農産品を積極的に購入し、もって日本農業の「復権」に寄与していただきたいと願うところです。

 

 

いずれにしても、国民生活の根幹に関わる食生活の真の向上のための「食品ロス削減」、今回の法整備に併せて進捗することが大きく期待されます。

 

ところで、この法整備に尽力された 永田町のセンセイ方におかれては、このような時機を得た法律をせっかく成立させたのだから、これが国民生活に浸透し、実際に食品ロスの削減につながるよう、あらゆる機会を通じて啓蒙すること、また各自も あまたある宴席に出席する際は 食べ残しすることのないよう、自覚ある行動を求めたいものです。

 

 

国民にとって、不毛の議論は もうお腹いっぱい。たまには「実践」で示してほしいと願うのは、私だけではないでしょう。

 

 

 


ブランド化

2019-05-25 | 日記

5/24 Fri.

 

ネットのニュースで、北海道夕張市特産の「夕張メロンの初競り」が24日、札幌市中央卸売市場であり、最高値は1箱(2玉)500万円で競り落とされた、と報じられました。 

 

 

確かに、メロンの入った木箱の札には、5の後に0が6つ連なった数字が書かれています。 

 

この落札価格は、これまで最も高かった昨年の320万円を上回ったとのこと。今年は好天が続き、甘みが強いそうです。

 

現場レポートでは「午前7時の開始直後に「500万円!」と手が上がった。周囲から「本当か?」と声が漏れ、値札を確認する人だかりができた。落札したのは、食品飲料メーカーのポッカサッポロフード&ビバレッジ。同社は夕張メロン味のソーダを10年間販売しており、今回初めて競りに参加した。岩田義浩社長(57)は「元号が令和になって初の競りであり、夕張メロンの生産農家さんへの感謝の気持ちも込めた」と語った。」とあり「究極のご祝儀相場」として、驚きと賞賛をもって市場の話題をさらった様子が伝えられていました。

 

 

 

 

「夕張メロン」といえば、メロンと聞いただけで夕張を連想するほどの「ブランド」ですよね。

今回の夕張メロンの初値のニュースも「メロンの季節到来」を告げる、今や 季節の風物詩ともなる話題と申せ、この「夕張メロン」だからこそ付いた高値、とも言えるでしょう。

 

 

 

 

農産品の「ブランド化」は、生産した作物に「ネームバリュー」という付加価値を付け、販売価格をより高値に導くために欠かせないスキルのひとつと言われています。

消費者が「〇〇(農産品)といえば△△(生産地)」と連想してくれるようになれば、それは購入の際の重要な判断基準となり、たとえその価格が高値を付けても、逆に消費者は そこに満足感も抱きながら財布のヒモを緩めて(購入して)くれるものです。

「高くても売れる」これが「ブランド化」の最たるところでしょう。

 

ここ川中島においても「川中島白桃」が全国に著名なところであり、今や「桃といえば川中島白桃」と言われるほどになっています。

 

 

そのうえでの課題は、やはり「ブランド化」にあり、と関係者は課題意識をもち、その「ブランド化」にむけ取り組みを強めています。

前述の「夕張メロンの初値500万円!」は やや極端な事例でしたが、やはり、さまざまな苦労を重ねて育てた農産品が、一円でも高く市場に出回り、その高値もが「顧客満足度」につながり、最終的に購入に至ってもらえれば、それは「生産者冥利」に尽きるところでありましょう。

そんな「生産者の願い」を実現するべく、川中島地区の住民自治協議会においては「まちづくり計画」の一環として「川中島の桃のブランド化」を主要テーマに掲げて取り組みを緒に就けています。

 

生産者の苦労が価格に反映されれば、それが「やり甲斐」となって、ひいては農家収入の低価により不足する農業後継者増加の好要因となり、もってまちの活性化につながれば・・・との願いを込めての「ブランド化」への取り組みは「桃のまち川中島」にとっての「まちづくり」の欠かせない要件と捉えられています。

 

 

 

 

夕張メロン初値の話題を イイ意味での刺激にしながら「川中島の桃のブランド化」に向けた試行錯誤は続いています。

 

「川中島桃ツアー」でのひとコマ

 

 


身近な食材が救世主

2019-05-23 | 日記

5/23 Thu.

 

この日の信濃毎日新聞の第6面【経済面】に「高野(こうや)豆腐 床(とこ)擦れ改善効果」の記事を見つけ、家族と苦労を体験した一人として、光明を見た思いがしました。

記事によると、高野豆腐(凍り豆腐)のメーカーでつくる「こうや豆腐普及委員会」が「高野豆腐を食べると、床(とこ)擦れ(褥瘡/じょくそう)の改善に効果があると発表した、とのこと。

こうや豆腐に含まれるタンパク質や亜鉛などの栄養素が、床擦れの改善に寄与してくれるとのことでした。

 

 

 

ご案内のとおり「床擦れ/褥瘡(じょくそう)」は、主に高齢で 長期に亘り寝た状態を余儀なくされている患者の身体で、常に床(とこ)に触れ続けている部分の血流が滞ることで皮膚が爛(ただ)れたりする症状のことを指し、慢性化すると、その一点の皮膚に「穴」が開いたようになってしまいます。ひとたび褥瘡ができてしまうと なかなか治りにくいやっかいな病理です。

 

 

実は 私の亡父も、生前の要介護生活の中で褥瘡(じょくそう)ができてしまい、本人はもとより看取る私たち家族も往生したものでした。

肢体不自由になって久しい中、極端にやせてしまった親父、横になる時間が長くなる中で、背中の肩甲骨と尾骨に褥瘡(じょくそう)ができてしまいました。

看護師さんからは「できるとやっかいだから気をつけて」と言われており、寝返りなどの対応はしていたつもりだったのですが、赤くなってきちゃったな、と思っていたら、アッという間に皮が剥(む)け、ほどなく患部に「穴」が開いてしまいました。

いったん褥瘡(じょくそう)ができてしまうと、本人の身体のカロリー自体が患部の治癒に向いてしまい、ますます身体が細るの悪循環に陥ってしまいます。

また、身体の表面に開いた「穴」は存外に根深く、ガーゼの取り替えや薬の塗布に手間がかかり、肝心のリハビリや病理対策が後手に回ってしまうこととなり、看護師さん曰くの「できるとやっかいだよ。」の言葉が 図らずも実感されることとなったものでした。

 

そんなやっかいな褥瘡(じょくそう)の改善に「こうや豆腐」が役立つとは。

親父も他界し年月も経過してしまいましたが、在宅介護のタイヘンさを知る者とすれば、今も多く居られる介護家族の方々が、要介護の方が高野豆腐を摂ることにより褥瘡(じょくそう)になりにくい身体が形成され、ひいてはご家族の介負担が軽減されるとすれば、これは歓迎されるべきデータ、としみじみ思うところです。

 

 

やはり褥瘡(じょくそう)は、身体が弱ったところを狙って?発生する傾向にあることから、そうならないために必要な栄養=たんばく質・亜鉛などを摂取しておくことが肝要で、そして その成果は実に顕著のようです。

 

こうや豆腐の摂取と褥瘡(じょくそう)発生の相関関係は、キレイな反比例のグラフとなって表されていました。

 

 

 

 

家族の介護、それも在宅で介護する家庭におかれては、その負担は でき得る限り軽くあることが望まれるところであり、そのためには 要介護の家族の方に褥瘡(じょくそう)ができないように努めることは 第一条件に挙げられるといっても過言ではありません。

 

私の実家のつたない介護経験からも、褥瘡(じょくそう)は タイヘンだった思い出の五指に入るところであり、そんなことを踏まえても、各ご家庭におかれては、今回のデータ発表に基づき「こうや豆腐」を積極的に介護メニューに取り入れていただき、ご本人の体調維持、ひいては介護の負担軽減につなげてもらいたいと切に願うところです。

 

 

 

何より「おいしく食べて体調維持」これに勝る幸せはないですもんね。

 

 

 


相手に応じて

2019-05-23 | 日記

5/22 Wed.

 

現在興行中の「ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)」で、バンタム級に出場の日本人選手・井上尚弥選手が、準決勝でIBF王者エマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)に、わずか2ラウンド/259秒でKO勝ちし決勝に進んだことが、ボクシング界で驚きと賞賛をもって報じられています。

 

 

 

井上尚弥選手といえば、2013年に日本ライトフライ級王者に輝いて以降、まさに破竹の勢いで連戦連勝を重ね、戦いの場を世界戦に移してもその強さは変わらず、今や「モンスター」との別称も受けながら、この度アメリカの専門誌「リング」選定の「パウンド・フォー・パウンド」で、キャリア最高となる世界4位に評価されたとのことです。

 

とにかくその強さは、開始ゴング早々に発揮されます。例えば、ロドリゲス戦の前に対戦した 元WBA世界スーパー王者のフアン・カルロス・パヤノ(ドミニカ共和国)との対戦では、開始わずか1ラウンド70秒、左ジャブからの右ストレート一発で元王者をリングに沈め、これは驚きというか、半ば呆れたと言われるほどに井上選手の強さを象徴したKOシーンでありました。

 

 

 

 

このように破竹の快進撃を続ける井上選手ですが、その強さの秘訣は、天賦の才能と不断の努力に併せて「相手に応じて修正する能力の高さ」が挙げられるそうです。

 

「世界最強」を競うWBSSでは、井上選手自身、自分以外の選手の「強さ」を強く意識し、そのうえで ゴングが鳴り「手合わせ」が始まった瞬間から相手との間合いを測(はか)り、どのようにしたら自分の有効打が繰り出せるかに集中しながら、短時間のうちに「修正」を重ねているとのことでした。

準決勝のロドリゲス戦においても、最初の1ラウンドは相手の出方を伺うに終始し、ほどほどにパンチをもらいながら「修正」を重ねたそうです。

 

 

そのうえで臨んだ第2ラウンド、姿勢をやや前傾に「修正」して繰り出した右フックが相手の顔面を捕らえ最初のダウンを奪うと、あとはえぐり取るようなボディへの連打が 現役IBF王者の戦意を奪っていったのでした。

 

 

 

 

「秒殺」と言われる井上尚弥選手ですが、それは決してアッサリと片付けているのではなく、相手に応じた戦い方を リングの上で試行錯誤しながら行なっていたのでした。

ただ、その「相手に応じた修正作業」があまりに早いので、結果「秒殺」になっているようですが。

 

 

 

 

ボクシング界の日本の至宝と言われる井上尚弥選手の、痛快ともいえる戦いぶりは、いちボクシングファンとして冥利に尽きるところですが、その裏にある「相手に応じた修正能力」を知り、やはり人と接する機会の多い私にとっても大いに参考になりました。

 

通り一辺倒ではなく、対面する方々の状況に応じて、また「会話の接(つ)ぎ穂」の中で、抱(いだ)かれるお考えなども推し量りながら適切に向き合うことに努めることが、会話をより充実したものにできる、と改めて自覚したところです。

 

 

 

 

さて、順調に勝ち上がった「モンスター井上」決勝ではどんな戦いぶりを見せてくれるのでしょうか。

 

 

いずれにしても「まばたき禁止」の一戦となることは間違いなさそうです。

 

 

 

 


令和の警鐘

2019-05-22 | 日記

5/21 Tue.

 

18日に鹿児島県屋久島が集中豪雨に見舞われ、多くの登山者が孤立を余儀なくされたことが報じられました。

 

 

孤立した登山者については、ガイドさんの適切な対応・誘導と、自衛隊への迅速な救助要請など行政対応も早く、幸い生命の危険に陥る方は無く 全員が救助されたとのことで、安堵を共にしたところです。

 

 

 

しかし、この低気圧の塊は、このままの強い勢力を保ったまま一気に列島を東に進むこととなり、昨日は関東エリアに猛烈な雨を降らせました。

雨のピークは皮肉にも通勤時間帯に当たってしまい、職場や学校へ向かう方々は、濡れネズミの憂き目に遭うことに。

 

 

千葉では駅の構内に多量の雨水が流入、池と化してしまいました。

 

 

列島においては、こないだ沖縄エリアが梅雨に入ったばかり、無論まだ台風シーズンでもないこの時期の集中豪雨は異例とも言え、ワイドショーでも 被害状況や その原因などについて喧々諤々(けんけんがくがく)となっていました。

 

 

 

 

 

近年ここのところ、いわゆる「想定外」とされる大雨に伴う災害が頻発しており、「令和」となった今年もまた、人智(人知)を越えた不測の自然災害が発生することが懸念されるところです。

 

ここ長野市においても、都市化が進み 排水路などで飲み込み切れなくなった雨水が低地に流れ込む「都市型水害」や、市内を縦貫する河川の氾濫などが大いに危惧されます。

公共事業として「雨水渠(うすいきょ)」や「排水機場」の整備が進められているものの、「水は正直」必ず低い方へ低い方へと流れ、結果 一定エリアの「一番低い場所」が 水っつきの憂き目に遭うことになってしまいます。

例えば、市内にあまたある「アンダーパス」も 低床の象徴的公共物として警戒の対象になっています

 

 

 

 

梅雨にもならない こんな早い時期に起こった豪雨被害、私たちはこれを「令和の警鐘」と捉え、イザというときにの備えに心を配るべきと改めて思いました。

 

 

 

 

とある晴れた日、空を見やれば、まるで真夏のような入道雲が。

 

 

いつでも夕立を降らすぞと、言わんばかりの空の構えに、季節はカンケー無くなっちゃったのかと思わされたところです。

 


 

 

 

 


悪しきキーワード

2019-05-20 | 日記

5/20 Mon.

 

社会が多様化する中「ネグレクト」なる言葉(の意味する行為)が「悪しきキーワード」になっているそうです。

 

ネグレクトとは「無視すること/ないがしろにすること」と訳されており、一般的には「育児放棄」が挙げられています。

子宝に恵まれ 親にはなったものの、さまざまな理由や事情で子育てに行き詰まり、あげく育児そのものを投げてしまう。

そのツケは そのまま子どもに降りかかることとなり、食事や入浴など、とても一人ではこなせない幼児・児童が、自分の家にいながら日常生活もままならない状態におかれてしまうのは由々しき事態といわざるを得ません。

 

さらに最近は「セルフ・ネグレクト」なる事案も遍在化しつつあるそうです。これは、読んで字の如く「自らを放棄する」ことで、統計上は 独り暮らしの女性に多いそうです。

この「セルフ・ネグレクト」に陥るのは、キャリアだったりと それまでの人生が前向き・順調であった人が、何らかの事情で挫折した途端、張り詰めていた糸が切れるように それまでの生活習慣が瓦解し、仕事や遊びはもとより、日常生活までもがイヤになって、生活の全てを放棄してしまうものだそうで、ひいては「孤独死」にも至る、いわば「現代の社会病理」だそうです。

 

かかる「ネグレクト」その要因には、やはり地域社会での「核化」が挙げられるでしょう。

困ったとき 落ち込んだときに、相談したり愚痴を聞いてくれる相手が居ないまま、事態が深刻化するのに身を任せてしまう、そんな「世知辛い世の中」が生み出してしまった社会現象といえるでしょう。

 

この「ネグレクト」の話題に触れたとき、私自身も「もしかしたら陥っていたかも」と感じたものでした。

自らを要因とし挫折した際には、全てがイヤになってしまい自己放棄になりかねない時期がありました。

そんなどん底のときに、周囲の方々に励ましの声をいただき、どうにか立ち直ることができました。

その「声」こそが、私を「ネグレクト」から救ってくれたと、今さらながら実感するところです。

 

 

そんな体験も踏まえ、私とすれば「ネグレクト」などという悪しきキーワードに起因し、地域のみなさんが辛い思いを重ねることの無いよう、適切なコミュニティを維持する一助を成してゆきたいと思いをいたしたところです。

 

 

 

 

みなさんご案内のとおり、イルカやクジラなどの水生動物には、独特の「言語」があるそうです。

人間には聞き取りにくい「声なき声」独特のコミュニケーションを常に交わす彼らにとっては「ネグレクト」は無縁のようですね。

 

 

 

 


ふるさとの魅力

2019-05-20 | 日記

5/19 Sun.

 

ネットのニュースで 「江戸時代の宿場町の雰囲気が残る長野県南木曽町の妻籠宿と、岐阜県中津川市の馬籠宿を結ぶ旧中仙道の 「馬籠峠」 を歩く外国人ハイカーが、近年増加している」 と報じられ、一抹の郷愁を思うと同時に、イマドキの観光事情を実感させられました。

 

 

中仙道の魅力については、イギリスのテレビ放送などで報じられ知名度が上昇、2018年度は65の国・地域の人が訪れ、初めて3万人を突破しました。

これは日本人観光局より多い6割超を占めており、まだまだ増えそうな勢いだとのことです。

 

 

 

 

長野県人であれば 誰しもが知る 「妻籠宿 」と 隣県にある 「馬篭宿」 は、はるか昔の日本の郷愁を今に伝える場所として、奈良井宿などと並んで著名な観光名所です。

 

 

二つの宿場の距離は約9キロ、徒歩で約3時間の道のりがあり、さらに山坂があって歩き堪(ごた)えのあるハイキングコースです。

来訪した外国人ハイカーは、交通の便の良いJR中津川駅から馬籠宿に入り、妻籠宿まで歩く人が多いそうで、江戸時代の旅が体験できるとして広まり 「OLD JAPAN」 を肌で感じることができると人気が高まっているそうです。

 

 

近年の外国人観光客の増加に対応すべく、妻籠宿の住民らでつくる公益財団法人 「妻籠を愛する会」 は、両宿のほぼ中間地点にある 「一石栃(いちこくとち)立場(たてば)茶屋」 を整備。無料でお茶を振る舞うサービスを行なっているそうです。

この茶屋は江戸時代後期の民家を改装したもので、いろりや畳の休憩場がある。古い日本の雰囲気が楽しめることから、多くの人が立ち寄っているとのこと。訪れた外国人観光客は「とても美しい宿場町と峠道だ。昔に戻ったよう。」と満喫した様子だったそうです。

 

「一石栃(いちこくとち)立場(たてば)茶屋」

 

 

外国人の峠越えは、09年度は約5850人でしたが、18年度は約3万1400人に増え、5倍を超えたそうです。

これは、前述のとおり、イギリスのテレビ放送(BBCチャンネル)の番組で取り上げられた数年前から顕著になったそうで、メデイアの威力いかばかりかというところです。

その一方、峠を歩く日本人は年々減っていて、18年度は全体の4割を切ったことも伝えられ、本家?の者としては残念しきりといったところです。

 

 

 

「木曽は全て山の中である」 と島崎藤村に詠まれ、これといった目玉もなく思われていた木曽谷、昨今では御嶽山の噴火などで凋落の印象が強くなっていたところですが、ここへきての外国人観光客の増加は、何らかの 「起爆剤」 となることが期待できるでしょう。

 

また、これとは若干異なりますが、木曽町においては 「ヘルスツーリズム」 として 「健康」 をテーマにした観光メニューを発信するなど、あの手この手で来訪人口の増加に向け頑張っていることも報じられ、ルーツを木曽谷にもつ私としても、大きくエールを送るところです。

 

 

 

 

「日本人が知らない ・ 日本人が忘れた日本の魅力」 遠く海外から再評価されることを知るにつけ、私自身、改めて 「足元を見直すべき」 を 感じ入ったところです。

 

 


報恩

2019-05-19 | 日記

5/18 Sat.

 

地域を「改めてのご挨拶回り」に歩いています。

伺ったお宅での反応や、かけていただく言葉は様々(さまざま)で、その度に内省を深めるばかりです。

 

夕刻に伺ったお宅では、奥様は笑顔で迎えてくださったものの、当主の御主人は「もういい、帰ってくれ!」とピシャリ。

その背中に、私に対するお怒りがにじみ出ているのを見て、私には ただ頭(こうべ)を垂れるしか術がありませんでした。

 

その心情を、奥様が代弁してくださいました。

「ウチの人は、それは熱心に倉野さんを応援していたの。もとより生真面目なひとなので、中途半端な思いではなく、それこそ真面目に応援していたのよ。

それが、倉野さんがあんなことで挫折することになってしまって、それはそれはショックを受けていたわ。一緒に応援していた方から電話が来たりすると、涙まで流して悔しがっていたの。

そう、今日の主人の応対は、失礼な面もあったかのしれないけど、いままでの倉野さんへの「思い」への裏返しと思って堪忍してね。」

 

 

私は その心情に触れ、それが御主人のみならず、多くの方々が同様に抱く「思い」であると感じ、心底申し訳ないと思うと同時に、改めて自分の愚行に後悔と反省と贖罪の思いを深め、そのうえで決意も新たにいたしました。

 

私のことを当初からご支援いただいてきた方々におかれては、私に対し それ相当の期待をかけていただき、私もそれらを背に活動を重ねてきました。

それが、私の自覚のなさから軽率な行動に走り 全てを失うことになったのですが、その「喪失感」は、当の本人同様、イヤそれ以上に、私をご支援いただいたみなさまが抱かれたものであったのでした。

 

「覆水盆に返らず」の如く、今となっては如何ともし難く、過去を消しゴムで消すことはできませんが、せめて私とすれば、それら様々な 私に対する「思い」に、今後 全力で応えてゆくしか道はない、と改めて強く思うところです。

 

それは即ち、再び地域に貢献することであり、その私の行為そのものを、かつてご支援いただいた方々に再び見ていただくことこそが、いずれ「報恩」につながるのではないか、と。

 

私に対し言葉をいただき 居間に戻る御主人の背中を目に焼き付け、自覚を新たにさせていただいた 大切なひとときだったのでした。

 

 

 


支えとなる存在

2019-05-18 | 日記

5/17 Fri.

 

社会が多様化し、戦後構築?された核家族化の伸張に伴い、近隣同士の「古き佳きコミュニティ」が薄らいできた中、地域社会で孤立したり、誰にも言えない課題を抱えたまま過ごす家庭や住民が 密かに、そして着実に増えていることが伝えられています。

 

そんな中、いわばジャンルを超えて あらゆる「困りごと」の受け皿となってくれる「コミュニティソーシャルワーカー」なる業務が改めて注目されています。

 

「コミュニティソーシャルワーカー(ワーク)」とは、イギリスにおいて提案された「コミュニティに焦点をあてた社会福祉活動」のことを指します。

地域において、支援を必要とする人々の生活圏や人間関係等の社会環境面を重視した援助を行なうとともに、行政との橋渡しや地域ボランティアとのコーディネイト、また課題に対応する新たなサービスの開発などを行なうこと とされています。

 

いま 地域社会では、独居の高齢者世帯・高齢者と息子(娘)の世帯・引きこもり家族の居る世帯・在宅介護の世帯・障がいを持つ家族の居る世帯・外国人世帯などなど、とても一言では片付けられない複雑な事情や課題を抱えた家庭が多くあります。

本来、それらの方々の課題は 行政が受け入れるべきところですが、行政(お役所)には、担当ごとに業務が異なる「縦割り」という いわば弊害があり、困りごと解決にスムーズにつながらない、下手をすれば「担当がいません」との無責任回答に至ってしまうことも懸念されるところです。

 

そんな中 登場した「コミュニティソーシャルワーカー」は、かかる課題を抱えた住民に寄り添いつつ、課題の「中身」を咀嚼(そしゃく)したうえで、行政の担当部署を適切に判定して紹介したり、住民ボランティアを養成して、ひと昔前は当たり前だった「古き佳き地域コミュニケーション」の如く「支え合い」を実践したりしながら、緩やかに温かく支援を行なっているそうです。

 

例えば、団地での「ゴミ屋敷問題」。コミュニティソーシャルワーカーが入る前は、他の部屋から「ゴミ屋敷」と嫌われ 孤立を極めていたのですが、ワーカーさんが入ってヨク聞いてみると、本人はゴミを片付けてキレイにしたいのですが、身体が不自由になってゴミ捨ても間々ならなくなり、かといってゴミ捨てを頼む人もいない中でどんどんゴミが溜まってしまい、結果「ゴミ屋敷」になってしまったとのこと。

本人は、望んで「ゴミ屋敷」を成していたのではなかったのです。

 

 

それを聞いたコミュニティソーシャルワーカーは、行政の環境部署や障がい担当部署、さらに地域のボランティアに連絡を取り、この世帯のゴミ処理を補助すると同時に、エレベーターの無い4Fに暮らしていたのを1Fに引っ越させることにより、ゴミ出しを含んだ今後の日常生活がし易い環境改善を果たしたとのことでした。

 

このように、地域社会の中では「他人様に言うに言えない課題」が数多く内在しており、それが引き金になって社会的に孤立したりするケースが やはり数多くあることから、これからの地域には そんな「声なき声」を拾い上げる存在が欠かせないことを改めて実感したところです。

 

私としても、かかる「コミュニティソーシャルワーカー」のマインドを心に留め、今後の活動に活かしてゆきたいと思いをいたしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


次世代への責任

2019-05-17 | 日記

5/16 Thu.

 

この日、関係者があい寄り「まちづくり計画」における行政への対応策などについて協議しました。

 

私こと、さきには議員職を辞職し、内省と贖罪の日々を送っておりましたが、ある時期に 住民自治協議会のご関係者から「君の今までの経験を「埋没」させるのはもったいないから、課題の多い住自協において その活動をサポートしてください。」と乞われ、以降 いち住民として共々に諸課題に向き合っています。

 

この日の協議も、いわば その「サポート活動」の一環でありました。

地域の永年の懸案となっている「都市計画道路 川中島幹線の北部延伸」に関連して、そのために必要な 関係エリアの「市街化区域編入」のための意見聴取を、長野市が期限を切って行なうことをやや唐突に通告してきたことから、この投げかけにどのように対応すべきかを話し合う場となりました。

 

 

詳細については後日に譲ることといたしますが、いずれにしても私たちは 一連の計画・活動のキーワードを「次世代への責任」と据えました。

 

というのも、人口減少に伴う縮小社会が伸張する中、行政サイドにおいても、市街化編入などについて、それが市[市民]にとって有為な土地利用であるにも関わらず消極的傾向にあり、ここ川中島エリアに対しても、ややもすると「手つかずで済ます」如くの深層心理が垣間見えています。

それに対し私たちは イイ意味で反論し、最終的に地域全体が元気になるための提案を携え、下から上への「ボトムアップ」のアクションを興(おこし)しゆくことを再確認しました。

 

人口減少社会が伸張するからこそ、地域において地力(自力)をつけ、魅力ある「まち」を創造し、そこに暮らす方々が豊かになると同時に、ひいてはUターン・Iターン人口の増加を図ることこそが、これからの地域づくりに求められていると申せます。

そのためには、まさに「今」を生きる私たちが 英知を絞って「まちづくり計画」を行なってゆく責任があるのです。

これが、もし時機を逸してしまえば、10年先・20年先になってから「あの頃の先人達は、結局「何もしなかった」ね。」と揶揄されることとなるでしょう。

 

 

その所以をっもって、私たちは「次世代への責任」を果たすために、さまざまなハードルを乗り越えながら頑張ってゆきます。

ややもすると行政(市)側は「無事これ名馬」の故事の如く、何もしないでやり過ごすことが最大の功績であるかの雰囲気・・・そこに イイ意味で鞭むち)を入れるべく、試行錯誤が続きます。

 

 

 

 

住民パワーで 歳末の川中島駅前を彩るイルミネーション。

 

 

 

 

これら、みなさんの「地域への思い」を次世代へとつなげ、結実させなければ、と。