倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

「家」

2019-10-27 | 日記

10/26 Sat.

 

先週末、猛烈な勢いをもって列島を通過した台風19号は、千曲川沿線で平穏な生活を送っていた方々の住まいをも奪い 去ってゆきました。

多くの世帯が水に浸かり、また堤防が決壊した市内穂保や津野地区などが住居そのものが破壊されるなど 甚大な被害を受けるに至ってしまっています。

 

 

そんな方々は、万やむを得ず「避難所」に身を寄せることになり、今も不自由な生活を余儀なくされています。

避難所運営については、当初は行政(市)により開設がされ、現在は社会福祉協議会や各種の任意団体などのボランティア支援を受け、災害発生当初に比べて格段に その住環境は充実してきました。

災害発生!の声を聞き、ときに関係者のネットワークを通じて、ときに自発的な姿勢をもって被災地に集結、被災者の心情に寄り添って運営に当たられるみなさんには 本当に敬意と感謝を申し上げるところです。

 

避難所は、被災者にとっての「家」なのです。

ある日 ある夜、唐突に住み慣れた自宅を追われ、慣れない避難所暮らしを余儀なくされた。そのストレスは いかばかりかと拝察するところです。

受け入れる行政側も、当初は「とりあえずの毛布一枚」であったものが、さまざまな方面から支援の手が差し伸べられ 環境整備に努めることができるようになりました。

堤防決壊や、町ごと浸水した被災者を受け入れる「北部レクレーションパーク」当初は固い床にブルーシートと毛布だけであったのが、被災から10日余が経ち、ずいぶん「家」らしくなってきました。

 

館内は 簡易なれど仕切りやテントが設置され、家族ごとのプライバシーが守られるようになっています。

 

仕切りの中には〝簡易リビングルーム〟が設(しつら)えられ、つかの間の団らんスペースも確保されていました。

 

従前は、床での雑魚寝を強いられていたところですが、支援企業さんからエアーベッドが届けられ 環境が大きく改善されました。

 

感謝の念、今も新たなるところです。

 

その後、各避難所には多くの「段ボールベッド」が搬入され、床から一段高い状態、より快適かつ衛生的な環境で過ごせるようになっています。

 

 

ある「家」には、ワンの姿も。

 

 

おそらく〝ご近所さん〟のご理解を得ての〝同居〟でしょう。

避難所の中で 互いに理解し合うコミュニティーが醸成されていることを感じさせてくれました。

 

長野市民の「優しさ」の現れです。

 

 

 

一方、こちらは被災地エリアにある 公民館を活用した〝ムラの小さな避難所〟行政的には「自主避難所」に位置づけられています。

 

こちらは まさに「家」そのもの。少人数(20名未満)の被災者の方々が身を寄せ、区長さんを中心に運営されています。

 

ムラに近く、カオの見える運営がなされる一方、自主避難所ゆえに行政の手が届きにくい面があり、区長さんはじめ地区役員さんの責任と負担が非常に大きくなっています。

伺えば、既に来所した市議の橋渡しにより 行政支援の手が厚くなったとのこと。グッジョブ!誰がやっても構わない、あらゆる立場の者が人智を尽くして環境改善を図る、まさに「ワン・チーム」で非常時に臨むべきと思うところです。

 

その 橋渡しの功(こう)でしょう、この「小さな避難所」にも保健師さんらが訪れ、被災者の方の健康カウンセリングを行なっておられました。

 

相談員の一人は 富山県からの派遣職員。遠く越境しての支援に感謝です。

 

 

被災者にとっての「家」でもある避難所は、みなさんが居られる間は、硬軟あいまっての環境の維持向上が求められるところです。

これからの心配は、やはり 感染症。特に これからは「インフルエンザ」が大敵となることでしょう。

保健師さんの衛生指導を軸に、自宅の清掃などに疲れた身体に 慣れない避難生活が重なれば、往々にして罹患することが予想(懸念)されるところです。

これ以上、心身共にのストレスを抱え込まないよう ご留意されることを願うばかりです。

 

 

ところで、災害の度に その存在意義が大きく高く評価されるのが「自衛隊」の存在です。

今回の台風19号においても、早朝の堤防決壊という〝不意打ち〟を食らい、2階や屋根に逃げるしかなかった住民を空から救出してくれたり、

 

多くの泥や被災ゴミの搬出に力を発揮してくれ、ここ長野エリアの被災地においても、自衛隊無くして災害救援・災害復旧ナシ、と言っても過言では無い まさに大車輪の活躍をいただいております。

 

そして かかる自衛隊諸員諸氏は、前述の〝ハード面〟だけでなく、まさに被災者の心に副(そ)った「温かい支援活動」も行なってくださっているのです。

 

私が「北部レクレーションパーク」に足を運んだ際、屋内から 何やら楽し気な音楽が流れているのが耳に入りました。

中に入ってみると、そこでは「コンサート」が開かれているではありませんか。

 

で、舞台?に立つ〝バンド〟は、何と 迷彩服を着た自衛隊員さんたちです。

 

自衛隊の音楽隊なのか、楽器演奏に心得のある有志なのかは知る由もありませんが、いずれにしても 彼らは巧みに楽器を操り 玄人はだしの歌を披露し、避難所で悶々と暮らすみなさんの心を和ませる役割をも果たしてくれていたのでした。

興が乗ったバンドメンバーは、ヒット曲「U・S・A」を演奏、客席?の子どもらを誘って一緒にダンス、普段静かな避難所は 大いに盛り上がっていたのでした。

 

一方、こちらは〝おゆうぎスペース〟

 

その一隅で、幼児たちが 迷彩服のお兄さんと折り紙に興じています。

 

一見 無骨に映る自衛隊員さんが見せる優しい〝パパの表情〟は、心温まるワンシーンだったのでした。

 

一方、戸外には 知る人ぞ知る「自衛隊風呂」が設営されていました。

 

読者のみなさん、自衛隊の仮設風呂と侮(あなど)るなかれ、中は、めっちゃ本格的なのです。

 

「東之湯」の暖簾(のれん)をくぐると、中は 広々とした脱衣場。

 

ベンチに脱衣カゴ、高齢者用の介護椅子も完備です。

傍らには、扇風機とストーブも。

 

浴室内は、広々とした浴槽が。

 

何と、シャワーも完備です。

 

 

仮設風呂を管理する隊員さん「被災者にとって〝風呂〟は、身体を洗うだけではなく、被災で塞(ふさ)ぎかちになる心をもリフレッシュしてくれる効果があります。われわれが常駐している間は、精一杯 温かなお湯を供給させていただきます。」と 笑顔で、そして力強く話してくださいました。

 

その間にも 給水車が帰還、今夜の〝バスタイム〟に備えて余念なしの体制となっていました。

 

第103補給大隊の活動に 感謝です。

 

 

避難所運営は、さまざまな課題を内包しつつ、そのうえで、さまざまな方々のご厚情をもって日々を運営されています。

ただ、時間経過と共に、かかる「家(避難所)」の統合などの経過後措置はやむを得ない面があることから、取りも直さず 一日も早く 被災者の方々が市営住宅などに住めるよう努めることが欠かせないところであり、私も含めて 関係者が心を砕いてゆくべきと自覚を新たにいたすところです。

 

 

避難所の一隅に、一枚の〝応援タオル〟が掲げられていました。

 

 

共々に、がんばろう!

 

 


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