倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

長野県民のモラル健在(遍在)/横断歩道での一時停止が8年連続で1位

2023-10-31 | 日記

さきの報道で「JAF(一般社団法人 日本自動車連盟)が経年に亘り行なっている「信号機のない横断歩道での歩行者横断時における 車の一時停止状況全国調査」によると、2022年は(も)長野県が停止率82.9%で全国1位となり、2位の兵庫県の停止率(64.7%)と比較しても高い停止率(18.2%の差)となりました。」と報じられました。

さまざまな都道府県別調査がありますが、取りわけ このこと(停止率)については、いち県民として内外に胸を張るところであります。

 

 

 

全体の順位は下記のとおりです。

 

 

 

 

私たち長野県民は(当たり前ですが)長野県内で日常生活を送っており、その際 移動に欠かせない自動車を毎日のように使って(乗って)います。

その(運転の)際には 数多(あまた)ある横断歩道を経由していますが、走行中に そこ(横断歩道)の手前に渡ろうとしている歩行者がいる際には、自然にブレーキを踏むものです。

で この行為、何というか わざわざ(無理をして)行なっているものではなく、いわば自然発生的にしている(停止している)もので ウチら(長野県民)にとっては〝どうということの無いこと〟なのです。

 

一方 このことについて、例年の記事の中でも「なぜ長野県(民)は クルマの停止率が優秀なのでしょう?」が話題となっていますよね。

SNS上でも「長野では信号機のない横断歩道を渡ろうとすると、ほぼ全てのクルマが止まってくれる」とか「長野県に引っ越してきたけど、横断歩道で ほとんどのクルマが止まってくれる。こちらが戸惑うくらいの停止率で、でも(歩行者とすれば)とってもウレシイ感じ」といった声が寄せられており、実際に長野県にいる(住んでいる)人自身も 停止率の高さを実感していることが伝えられています。

その分析の中で、長野県でクルマの停止率が高い理由として「県民の習慣として根付いている」ことが挙げられています。

私は それ(習慣)には「子どもの頃からの(イイ意味での)刷り込み」があるのではないか と思っています。

長野県においては、歩行者の立場である子どもらが 横断歩道で多くのクルマに一時停止をしてもらい、安全のうちに横断できています。中には 止まってくれたドライバーに対して(渡った後に)一礼する姿も見られ、それがドライバーにとっての心地よさにもつながり いわば〝一時停止の好循環〟にもつながっているようです。

幼少の頃に横断歩道でクルマに止まってもらう→「クルマは横断歩道に歩行者がいるときには止まるもの」と学習する/「止まってくれてありがとう」などの〝お互い様〟のような気持ちが芽生える→自分がハンドルを握るようになったら 今度は〝止まる立場〟になる→歩行者(横断者)から黙礼されるなどして達成感のようなものを覚える→さらに止まる→子どもらは学習する…との、世代を経る毎(ごと)に「横断歩道に歩行者がいるときは止まる」との〝イイ意味での刷り込み〟が重ねられ、もって 今般のような〝好成績〟につながっているのではないでしょうか。

 

他方 以前には「ヒヤリハット」のケースが。

いくばくかの数で流れる車列の中で、私の2台前を走るクルマが横断歩道に差しかかった際 歩行者を見て一時停止しようとしました。すると あろうことか、私の前を走るクルマが 横断歩道直前なのに、一時停止したクルマを追い越そうとし始めたのです。

慌てた私がクラクションを鳴らすと、件(くだん)のクルマは追い越しかけた状態でしたが辛うじて横断歩道の直前で停止、ビックリした歩行者さんでしたが 衝突は免れ無事に横断していったのでした。

で、無理な追い越しをかけたクルマのナンバーは 関東エリアの他県ナンバーだったのでした。

これは まさに習慣(刷り込み)の差でしょう。

おそらく 件(くだん)の他県ナンバー車は「前が空いているのに何で止まるんだ!」くらいの勢いで追い越しをかけたもの。そこに歩行者がいるなんてことは思いもしなかった…もっと言えば 歩行者がいても止まるなどとの習慣(刷り込み)が無いままにハンドルを握っていたのでしょう。

 

ただ 考えてみれば、歩行者がいるときに横断歩道の前で一時停止するのは 道交法で定められたドライバーの義務であり、もし止まらなければ違反キップの対象にあることはご案内のとおり。だから 横断歩道前での一時停止は、長野県民が優れているというよりも「当たり前のことをしている」というべきなのかもしれません。

 

先日 私は、やはり横断歩道にランドセルを背負った児童がいたので一時停止すると、子どもらは笑顔でこちらを見ながら横断を始めていました。

その可愛らしさに 私は思わず手を振ると、中の3人ほどが 笑顔のままに紅葉(もみじ)のような手を振り返してくれながら向こう岸?へと歩いてゆきました。その仕草は 私を何とも清々(すがすが)しい気持ちにさせてくさたものでした。

こんな無言の好コミュニケーション。こんなことの積み重ねが、8年連続1位の原資になっているのかもしれません。

 


一体感の醸成/障がい者支援団体が主催「ハーモニー夢まつり」

2023-10-30 | 日記

10月28日(土)、域内の中学校(川中島中学校)体育館を会場に『ハーモニー夢まつり』が開催されました。

 

 

 

このイベントは、域内にある 障がい者(知的障がい者)さんが通う多機能型事業所を運営する団体(社会福祉法人 花工房福祉会/エコーンファミリー)が主催し、近隣の他の授産施設と共に それぞれの施設で作られた製品や農作物などを販売したり、太鼓など 日頃習っている演目を披露するもので、そこに地域の方々(ボランティアさん)や 施設に隣接する川中島中学校の生徒らが混じって運営をサポートしているものです。

 

社会福祉法人「花工房福祉会」HP

      ↓

http://www.hanakobo-fukushikai.jp/

 

 

 

このイベントについても、御多分に漏れず〝コロナ禍〟の影響をまともに受け 禍中においては一切の集団(対外)活動が自粛を余儀なくされてしまい、今回 4年ぶりの開催となったところです。

この種のイベントは、4年も間が空けば ややもすると衰退・下手をすれば開催そのものが危ぶまれてしまうものですが、どっこい こちらの『夢まつり』は、久しぶりの開催にも関わらず多くの方々が足を運ばれ 大盛況となっていました。

どうやら(私も含め)みんなは、このイベントを待っていたようであります。

 

と いうもの、こちらの『夢まつり』には 独特の〝一体感の醸成〟があり、それが 心地よく来場者の胸に響くところがあるのです。

域内のいち施設さんが主催するイベントに他の多くの方々が共感し 施設⇔住民ボランティア⇔学校(生徒さん)らが協力し合って(行事を)運営、そこには立場や環境を超えた 何ともいえない一体感が生まれ、それがみんなの笑顔につながっているのです。

 

 

 

私は 開祭式の来賓挨拶の中で、会場の様子を「野(の)に 多くのタンポポの花が咲いているような温かな景色のようです。」と話させていただきました。

主催のエコーンファミリーのみなさんは、揃いの黄色いТシャツを着て行事に参加されています。

それが まるで野に咲くタンポポのよう。

そのタンポポの周(まわ)りには多くの人が集まり、一様に笑顔を浮かべながら さらにその笑顔の輪が広がってゆきます。

 

 

 

 

さらに このイベントが特徴的なのは、地元中学の川中島中学校の生徒たちが運営に携わっていることです。

川中島中学校においては、単にイベント会場をお貸しするだけではなく 生徒自身が運営をサポート・何というか 内面にまで踏み込んだ障がい者支援を行なっているのです。

そこには先ず 施設(エコーンファミリー)と中学校が隣接していることがあります。

施設が物理的に近いことで 登校時などには互いに顔を合わせ、いわば顔見知りになっていることでしょう。

そのことなどから 川中島中学校における障がい者理解が進み、いつしか学校には「福祉委員会」が設置され 生徒活動の一環として障がい者支援を行なうことになったそうです。

将来を担う若者たちが 障がい者さんとの交流を深め、その存在を理解したうえで「できること」を行なう。

強制や授業としてでは無く 自然発生的に障がい者支援に臨む環境の醸成は、まさに(障がい者福祉の)理想の形といえるのかもしれませんね。

 

 

 

 

なお、会場の一隅(いちぐう)では、地元のライオンズクラブによる「献眼活動」のブースが設置されていました。

 

 

 

献眼などの「献体」は、死してなお社会に貢献する「究極のボランティア」と申せます。

献眼についても 全国で約2,000人もの移植待機者がおられ、ここにも「救いの手」が求められています。

 

〔参考〕献眼についてのHP

      ↓

角膜移植とアイバンク|公益財団法人日本アイバンク協会

 

 

人 いや遍(あまね)く動物が生きる中で「目(眼)」というものは欠かざる部位の一つであり、ここに疾患(欠患)のある方にとって〝見える・見えない〟ということは 人生における分岐点と言っても差支えのないところでありましょう。

そんな 目に不自由な方々の「その後の人生」が、私の死後 まさに光明となることができるとすれば、私自身 こんなうれしいことはありません。

 

ただ残念なことに、とりわけ日本人の間には 死後の身体に手をいれる行為が「ご遺体を傷つける」との悪しき行為であるかの習(なら)わし的な考えがあり、そういう面では残念に思うところです。

ご遺体を傷つける のでは無い。ご遺体を「役立てる」のです。

そういう発想に立って物事(献眼/献体)を捉えれば、献体者数も増えてくれるのになぁと思わずにおれないところでした。

 

 

 

 

長い休止期間を経て再開された『エコーン夢まつり』は、障がい者さんたちを真ん中に さまざまな方々が「心」を持ちよって盛大に、そして温かな中で開催されていました。

これからも、このイベントで醸し出された「思いやりのある環境」の輪が なお一層広がることを期待して止まないところであります。

 

 

 


プロ野球ドラフト会議で 地元出身の「元 野球少年」2名が指名される

2023-10-29 | 日記

スポーツの話題で 内外にうれしい報が伝えられたことから レポートさせていただきます。

 

 

◇プロ野球ドラフト会議で、地元の少年野球チーム出身の2選手が指名を受ける

さきに行なわれた「2023プロ野球ドラフト会議」で、私の住む地域で活動を重ねる少年野球チーム出身の2名の選手が指名を受けたことが伝えられ、関係者と喜びを共有しました。

今年のドラフト会議での注目株は 何といっても上田西高の横山選手(上田市出身)です。

彼はオリックス・バッファローズから1位指名を受け大きくクローズアップされましたが、どっこい地元出身の2人のアスリートもまた指名の栄に浴しており、その両名が いわゆる〝地元出身〟であることが 関係者の喜びとなり、また「子どもたちの目標」となってくれることも期待されるのでした。

そして特筆され感動を呼ぶのが、この2選手の道程が 決して平坦でなかったことではないかとも思うところです。

 

私の住む地域(川中島町)には 3つの少年野球チーム(小学生対象)があるのですが、今回のドラフト会議では そのうちの2つのチームの出身者がプロ入りを果たすことに。

西武ライオンズから5位指名を受けた 宮沢太成選手(投手/24才)は『御厨神宮少年野球チーム』の出身なのです。

 

(宮沢太成選手(投手/24才) 御厨神宮少年野球チーム出身)

 

 

また、オリックス・バッファローズから7位指名を受けた 権田琉成選手(投手/23才)は『南原育成少年野球チーム』出身なのです。

 

(権田琉成選手(投手/23才) 南原育成少年野球チーム出身)

 

 

それぞれ報道の中では「長野県出身」とまでしか報じられおらず、どちらかと言えば その後のキャリアの方が注目されているようですが、彼らはいずれも少年時代を川中島町で過ごし、小学校時代は 地元の少年野球チームで白球を追っていたのです。

これらの報に触れ それぞれ関係者とLINEや電話でやり取りしましたが、いずれの関係者の方々も 喜びと驚きがない交ぜになったよう、興奮を隠せない様子でおられました。

 

そのうえで いずれの関係者も、この2選手の道程が 決して順調でなかったことを挙げ、両名の不断の努力が(スカウト陣に)認められたことを喜んでおられました。

御厨神宮少年野球チーム出身の宮沢選手は、川中島を巣立った後 北海道大学に進学、その後は在学しながら徳島県のアイランドチームに参加し 投手として活躍していたとのこと。

まさに文武両道の研鑽を積む中での吉報は、心身共にタフでなければ成し得ないものでありましょう。

また 南原育成少年野球チーム出身の権田選手は、大学時代にドラフトの対象と目(もく)されるも指名を逃し その後は社会人野球チーム(TDK/秋田県)に属して選手生活を続行していたところをドラフト指名を受けました。

本人曰く「寮で洗濯をしていたら 同僚から「指名されたぞ」と伝えられ驚いた」とのこと。自分でも予想しなかった中での吉報は、それこそ驚きと喜びの混在といったところでしょうね。

決して平坦でない道を歩んだ末に寄せられた好評価。このこと自体も、後進の者にとっても「あきらめないことの大切さ」を背中で教えてくれたものと思います。

 

私は、今回のこのうれしいニュースは、ご本人にとっての喜びであると同時に 彼らが在籍した少年野球チームをはじめ、多くの野球少年たちにとっても〝具体的な目標〟になること・そして それが地域にとってもポジティブ要素になると、そういう意味でも喜びと感慨を共有したところでありました。

今回のドラフト会議の結果を受け「ボク・私もいつかきっと」と先輩の背中を見上げ、今以上に張り切って試合に練習に臨んでくれることを期待して止まないところです。

 

(御厨神宮少年野球チームHPより)

 

 

御厨神宮少年野球チームHP

      ↓

https://mikuriyajingu.89dream.jp/modules/news/index.php?action=PageView&page_id=130413

 

南原育成少年野球チームHP

      ↓

https://minamihara.89dream.jp/modules/info/index.php?action=PageView&page_id=29429

 

 

 

なお、長野市においては この度、あまねく子どもに さまざまな体験をしてもらおうとの意図で「子どもの体験・学び応援モデル事業」を実施します。

 

 

長野市HP

  ↓

 

子どもの体験・学び応援モデル事業(「みらいハッ!ケン」プロジェクト)を実施します。

子どもの体験・学び応援モデル事業(みらいハッ!ケンプロジェクト)で電子ポイントを配布します。

長野市

 

 

 

この事業は、市内の全ての子どもたちに「事業(への参加)を通じて自分の好きな活動を見つけ、自己肯定感を育みながら成長できる環境を提供する」ことを意義として企画されています。

但し 私は、この企画の将来性(継続性)について疑問が拭えず 現時点で両手(もろて)を挙げて賛成というワケにはゆかないところですが、今回のドラフト会議の好ニュースなどを踏まえれば いわゆる総論として「子どもに体験の機会を」との意義については了とするところです。

 

いずれにしても、子どもは「可能性の塊(かたまり)」であると思います。

人生というものは 決して順風満帆にはゆかないものではありますが、そんな中でも さまざまな体験(経験)が「生きる糧」となってくれることは間違いのないところでありましょう。

 

 

 


長野市戦没者追悼式に思う

2023-10-28 | 日記

10月26日(水)、長野市芸術館において「長野市戦没者追悼式」が挙行されました。

 

 

 

 

 

さきの大戦から78年。

相当の時間は経過するも、ご関係者により英霊に対する慰霊と尊厳の灯(ともしび)は絶ゆることなく点(とも)され続けています。

図らずも時勢はコロナ禍となってしまいましたが、社会が通常状態に戻った今 これまでどおりの規模での式典の齋行となったところであります。

さきに長野市遺族会の会長に就かれたAさんは、私の近在の方でもおられ 識学の人であります。

氏の手にある式辞文は おそらく相当の推敲を経てまとめられたのでしょう、式典挙行への感謝・英霊への思い・現下の世界情勢への憂いなどが訥々(とつとつ)としたためられておりました。

参列した遺族の思いを凝縮した一文(いちぶん)でありました。

 

 

 

 

厳粛のうちに式典が進行し献花を待つ中、私は 今の世情を思い、悲しみというか嘆きというか…思いが上(あ)がれば 涙が出るような境地に至ったものでした。

おそらく、多くの方々と同じ心地であろう中で。

 

さきの大戦においては、日本だけで300万人を超えるとされる方々が尊い生命を奪われることとなってしまいました。

その散華(さんげ)も 自ら望んだものではなく、一部の政治家の野心ともいえる偏向(偏考)の末に下された過(あやま)てる判断の犠牲となったことに他なりません。

例えば 若くして特攻という無謀な作戦の矢面に立たされた若者も、表面的には「お国のために」と潔(いさぎよ)く出撃されるも、本心は違ったと思います。

それは 半ば諦(あきら)めの境地の中「こうなったからには仕方がない」と いわば無念を抱き操縦桿を握ったことと拝察され、それだけで胸が痛むところであります。

 

そんな、本当に多くの犠牲のうえにある今の平和社会。

戦争を知らず、ましてや戦禍によって生命が脅かされるなどという恐怖の実感も無く、ごく当たり前のものとして今の社会に居る私たちは、であるからこそ 今こそ先人が身を置いた(置かされた)当時の社会状況に思いを馳せ、二度と社会が戦禍に見舞われることの無い社会の構築に向け歩むべきことを自覚するところです。

 

ところが です。

テレビ等の報道に目をやれば、さきにはウクライナ情勢・近日にはパレスチナ情勢と 戦禍のニュースが毎日のように報じられており、その「現実」に胸が痛むばかりです。

朝のニュース帯の時間帯。

私たちが食卓を前に 普通に食事をしている目の前のテレビ画面では、ロケット砲により住宅が破壊され 担架で運び出される住人の姿が、病院(ほぼ野戦病院)で医薬品も無い中で呆然と横たわる 罪も無き子供の姿が映しだされ…食欲も一気に萎(な)えるところであります。

同じ世界で等しく生きる人間社会で、今もなお殺戮が繰り返されている現実。

それも そこに暮らす人々が望んだものでは決して無く、ときの政治の判断によって引き起こされた不幸の縮図であること。

 

「政治責任」という言葉があります。

ときの政治家は、民間の創業者のように いわゆる〝裸一貫〟で稼ぎ出した資産のうえにあるのでは無く、住民(国民)から納められた「税金」を原資として行動しているのであり、それは即ち納税者の福祉に叶う形で還元されなければならないと思います。

それが 究極的に最悪な選択は、戦争などにより国民の生活 ひいては生命までも脅かす結果を招くこと、そして それが、過去にも そして今でも為(な)されている。

こんなことは、福祉向上を願って納税した国民の望んだことではないハズです。

 

こと戦争という 極論的な政治選択とまではゆかないものの、ときに政治は 住民の望まない方向に住民の納めた税を支弁する帰来(きらい)があります。

で…さらにおかしなことに、(前掲のとおり)国民(納税者)から託された税を支弁(支出)する際、何だか自分たちが稼ぎ出したかの顔つきで振る舞うかの政治家の態度には「それは逆だろ!」と言いたくなるところです。

世の政治家は 何か勘違いしているんじゃないかと思わざるを得ない。

その勘違いの究極が「戦争」であるとすれば、それは直ちに正してゆかなければならない。

戦没者の御霊に献花をさせていただき、深く心に刻んだところでありました。


令和5年土木要望調査に同行

2023-10-26 | 日記

10月23日(月)・24日(火)にかけて、私が行政区として便宜上管轄する地区(川中島地区)において 令和5年土木要望調査が行なわれ同行しました。

(私たち市議は 長野市全域を選挙区としていることから、本来は地区を区切って活動するものではありませんが いわば便宜上 区分けされているものです)

各地区の区長会から上げられた要望書に基づき、所管(道路課・河川課・農業土木課・管理課/南部分室等)の職員が現地を訪れ、要望内容を確認し 今後どのように対応するか検討するものです。

 

 

 

 

地域の社会インフラは 経年によって整備が進む一方で、やはり経年に伴う劣化や 未だ未整備により市民生活に支障や不便が生じている箇所が散見されています。

市民生活に直結しながら業務に臨んでいる市行政ですが、そのうえで 地元住民として日々の生活を送っておられる住民(代表)の方に状況を伺い、状況把握と対応の如何を推し量る機会とするところです。

 

土木要望の内容(ジャンル)は多岐に亘っています。

先ず挙げられるのが、歩行者 とりわけ児童や高齢者などの交通弱者の安全を守るための修繕や改良などの要望です。

ここは、交差点付近の路肩に歪(ひず)みが生じ 普通に歩いていても歩行者が車道側へ寄ってしまう可能性のある部分の改修が要望されています。

この地点に止(とど)まらず、各地点で 交通弱者の安全を守るための要望が挙げられています。

 

 

 

また、経年によって造作物が劣化し このまま看過すれば大事(おおごと)になるのではないかと懸念が寄せられている箇所も。

こちらの水路は擁壁(ようへき)が剥(は)がれており、日々クルマが出入りすることから 車重で崩壊することが懸念されています。

 

 

 

こちらの地点は 道路の擁壁そのものが外側に倒れつつある状況にあり、直ちにどうこうなるものでは無いものの 近隣住民は万が一を考えては不安を寄せておられるそうです。

 

 

 

また 地区(団地)内の道路側溝の蓋(ふた)が経年劣化によって交換を要されている場所も。

併せて 地区(団地)全体で高齢化が進む中、側溝清掃の際に蓋(ふた)を起こすこと自体が難儀になっている問題も指摘されており それら社会状況の変化に対応することも求められていました。

 

 

 

 

また こちらでは、地区と地区を結ぶ道路が旧態依然の狭隘(きょうあい)のままであることから 大型のゴミ収集車が脱輪してしまう事案もあり、せめてもの拡幅が求められていました。

 

 

 

併せて 市道認定を受けながら土道(どみち)のままでいる箇所もあり、舗装などの改善が求められていました。

 

 

 

 

また、この地点は 一見すると開発により整備されているように見えるものの、低地があることから 一度(ひとたび)大雨が降るとアッという間に冠水の憂き目に遭ってしまうそうなのです。

早急の道路排水(工事・整備)が求められています。

 

 

 

この種の いわゆる都市型水害への対応は、地区全域から非常に多く挙げられているのが昨今の特徴とも申せます。

一見すると 何の変哲も無い住宅地の一角が、ゲリラ豪雨が降ると たちまち湖(みずうみ)のようになってしまう。

それは一時的なものではありますが、その瞬間に大きな被害を受けるのは そこに暮らす住民の方々なのですから、これは看過することはできません。

今までは 地下浸透や最寄りの圃場(田畑)が飲み込んでくれた雨水が、都市化に伴い表流水となって 低い方へ ゝ と流れ多量に溜まる・または道路側溝では排水し切れなくなって ときにバックウオーター(逆流水)として溢水被害を生じさせてしまう。

対応が非常に難しく、しかし早期の対応が求められる案件でありましょう。

 

 

また、こちらでは いわゆる「道普請(みちぶしん)」の要望が。

地区内を通り抜ける歩経路について、バラス石などの材料を供してもらえば そこに住む住民が出張(でば)って「道」を造ると言っておられるのです。

 

 

 

この地区(本町区/もとまちく)は、これまでも道普請によって 自分たちの手で歩経路を整備した実績があり、今回もまた〝セルフ公共事業〟にチャレンジしようとの好取組みの意向を示しておられるとのこと。

私の方でも支援してまいりたいと思うところです。

 

また 別の地区では、やや込み入った交差点について「ランドアバウト交差点」として整備する要望も出されており、住民の方々の探究心・造詣の深さに感心させられるところです(この件については後日に譲ります)

 

 

 

 

今回のレポートは 数多(あまた)ある土木要望のごく一部であり、これが市内全域となれば それこそ星の数ほど…ということになるところです。

私たち市民が日常生活を送る市域。先ずは社会安全を守りながら より利便性を向上させてゆきたいところです。

一方で 社会は少子高齢化が伸張し、人口動態も刻々と変化していることから「今までどおり」というワケにはゆかなくなっていることもまた事実です。

それら さまざまな状況を斟酌したうえで、いかに適切に社会資本を維持・整備してゆくべきか。

これからの市行政には、より高度な知見が求められていると申せます。


「アカシアの杜」でマレットゴルフ全国大会が開催される

2023-10-24 | 日記

10月22(日)~23日(月)にかけて、犀川河畔の「犀川南マレットゴルフ場(愛称/アカシアの杜)」で『文部科学大臣賞 第14回マレットゴルフ選手権大会』と銘打つ全国大会が開催され、全国各地から愛好者がエントリーされ 盛大に開催されました。

 

 

 

この大会は、現在「犀川南マレットゴルフ場愛護会」の会長を務め 同時に「長野県マレットゴルフ連盟会長」の任にあるHさんが、この施設が過般36ホールに拡張されたことを記念して誘致されたもので、無論 長野市においては初めての開催(大会誘致)となります。

この構想は 5年も前から温められていたところですが、あいにくのコロナ禍の影響で延期に延期が重ねられ この日ようやく開催にこぎつけることができました。

 

この間 施設の管理は愛護会の方々のご尽力で営々と続けられていますが、去る8月1日には突風による倒木被害にも見舞われてしまいました。しかし愛護会の方々は窮(きゅう)することなく即座に集結され、大会を控える中で必死の復旧作業に取り組まれたのでした。

 

 

 

 

この施設は、いわば自然との戦いの歴史を重ねて現在に至っています。

遡(さかのぼ)ること平成15年、行政への要望が儘(まま)ならない中 ならば「住民パワーで造ってしまいましょう!」との私の提案に呼応してくれた多くの愛好者が立ち上がり、まさに手弁当で施設の造成に取り組みました。

ただただ生い茂るばかりのニセアカシアの雑木林に分け入り、雑木・雑草・投棄ゴミの除去、うじゃうじゃと湧くようなアメリカシロヒトリの駆除や ときにはマムシにも出くわす中でひたすらに開墾に取り組み、やがてそれに行政も呼応する中で 2年越しの作業を経て竣工を迎えることができました。

 

(唯一残る作業風景写真/冬季の木材運搬)

 

 

ところが、平成17年の4月に竣工を迎えるも その年の6月に起きた「平成17年豪雨」の影響で犀川河畔(堤外)が冠水し、せっかく造ったマレット場が水没する被害に遭ってしまったのです。

このときの関係者の落胆ぶりは言語に尽くせないものがありました。

それでも、皆の目が死んではいないことを見た私は一同に向け「世の中には「盆暮れ勘定」という言葉があります。この被災についても お盆までに何とかしましょう!」と鼓舞して再び槌(つち)を振るって復旧作業に臨み、何とか その年のお盆までに復旧を果たした経緯もあるのです。

今となっては思い出話しとなるところです。

 

そんな苦節を重ねたうえでの全国大会。関係者の感慨はひとしおのことと拝察するところです。

件(くだん)のH会長、それら凝縮された歴史を踏まえて開会式での挨拶に臨んでおられました。

 

 

 

 

競技開始に先立ち 競技委員長から説明があったのですが、これがまた機を得たものになっていました。

曰く「全国大会ですので、本来は厳格にルールに則り厳しい環境(雰囲気)の中で行なわれるべきところですが、全国から参加ということで おそらくこのコースが初めてという人もおられるでしょう。ご覧のとおり このコース(アカシアの杜)はクレー(土)のコースでアンジュレーション(起伏)など難しい面があるでしょうから、今回は 本来は禁止されている「アドバイス」をフリー(解禁)とします。コースレイアウトなどで分からないことがあったら どうか地元の人に訊いてもらい、また地元プレイヤーは親切に教えていただく中で 和気あいあいのうちに皆が好スコアで上がれるように助け合ってプレーしてください。」旨の 実に粋(いき)な競技説明を行なってくださり、その一言で参加者の緊張は一気に解けた感でありました。

 

開会式の後は さっそくプレーに入ります。

アカシアの葉緑も映える林間コースは、そこだけを切り取れば あたかもリゾート地の施設のよう。

実に爽やかな雰囲気の中で スティックの打球音が響いていました。

 

 

 

こちらのパーティー(組)は、地元のSさんをオナー(筆頭)に 伺えば 愛知県・茨城県・飯田市からエントリーの方々だそうです。

 

 

 

もちろん「初めまして」の間柄ですが、そこは おんなじマレット愛好者です。スグに打ち解けるうちにコースに臨んでいました。

 

 

 

で、前述のとおり 今大会は「アドバイス解禁」です。

コースを知り尽くす地元のSさんが どこへどう打てばイイのか親切にアドバイスしてくださいます。

 

 

 

本来は スコアだけにこだわれば、いわば足の引っ張り合いになる個人競技ですが この「アドバイス解禁」により 一気に親睦の雰囲気が醸成されました。

このパーティーについても、Sさんを中心に 和気あいあいのうちにプレーが進行してゆく風でありました。

(なお、そんな中でも Sさんはさすが地元。9番ホールでホールインワンを達成しておられましたヨ)

 

Sさんのアドバイスを受けたメンバーは「それっ!」とばかりに第一打を放ってゆきました。

 

 

 

 

なお大会運営に際し、愛護会の役員さんが「コース管理委員」を担ってくださっていました。

と いうのも、ドックレック(屈曲)しているコースにおいては 打ち込みなどのトラブルの可能性があることから、それら該当コースに役員さんが配置され プレーの進行に応じて「打ってヨシ!」のジャッジを行なっておられました。

 

 

 

これら〝裏方さん〟の気働きのおかげさまで、順調のうちにトラブルも無く スムーズにプレーが進行できていたのでした。

 

 

 

 

この「アカシアの杜」には、名物のショートコースがあります(23番ホール)。

砲台グリーンが〝すり鉢状〟になっており、ホール(穴)は そのすり鉢グリーンの真ん中に。

で、みごとホールインしたボールは、予め設えられたトンネルを通って出口から出てくるのです。

これは かつてコースを造成した際に みんなが遊び心のうちに考えだしたもの(コース)なのですが、これがまた今回の参加者にも大ウケ。

 

 

 

ホールインしたのはイイのですが、ボールが穴に吸い込まれる格好になり「え?ボールはどこ行った?」と戸惑う人も。

やがてトンネルを通って、出口の鈴に当たって「チリリン」と音を立てて出てくるボールに 思わず笑みがこぼれていました。

 

手造りコースで行なわれた初めての全国大会。

非常にハイレベルの競技の中にも、温かな親睦の雰囲気が醸成されていたのでした。

 

 

 

 

夜には、市内のホテルで懇親会が催されました。

 

 

 

 

来賓として招かれた私は、おそらく これまでの経緯を知る者としては祝辞の指名を受け、挨拶させていただきました。

既に何人もの来賓が祝辞を述べた後だったので、私の指名の際には「またか」というような雰囲気も感じられたところでしたが、私は どうやら全国から参加された方々が「アカシアの杜」が住民が苦節の末に手弁当で造り上げたことを知らないままにプレーしていることを耳にした中で、その歴史をお伝えするべく ややウンザリした雰囲気の中でしたが、敢えてマイクを握ったところです。

 

 

 

 

この施設は 行政主体の〝出来合い〟ではなく、住民パワーで造成されたこと・幾度とない自然災害にも負けずに管理運営されていること・その主体は「愛護会」を中心にした〝市民〟であること・コース整備はもとより、コース脇に花を植えるなど心を込めた施設運営が為(な)されていることなど 他とは違う市民主体のコースであることをお伝えし、そんな手造りコースで全国大会が行なわれたことの意義を述べさせていただきました。

そのうえで「明日 第2ラウンドを迎えるにあたり、このコースの「手づくり感」と「施設に寄せる愛着の深さ」を感じ取っていただいたうえでプレーを楽しんでください。」と申し上げたところです。

 

 

乾杯後の懇親会は、初日のプレーを経ての和気あいあいの宴(うたげ)となりました。

会場には加藤前市長も出席され、皆に乞われて写真に収まりました。

 

 

 

 

長野市は「都市内分権」を推進しており、その通底には「地域の課題には地域住民主体で臨む」が挙げられています。

私は「アカシアの杜」の造成事業は、まさに この都市内分権の意義を踏まえた先駆的な取り組みであったと自負しているところです。

住民パワーで造成したからこそ、その後の管理運営も住民の手によって 愛着をもって全うされている。

これが 行政主導で「出来たから使って」というものでは、その後の管理も行政任せとなってしまい、そこに愛着心など醸成されることは無いでしょう。

今回の全国大会。大きな大会であったからこそ、その通底に流れる〝住民パワー〟を再認識したところでありました。

 


障がい者施設に「外部からのチェック(点検)」で透明性を高めることに =光明となるか=

2023-10-22 | 日記

20日の報道で、厚生労働省が 知的・精神障がい者らが支援を受けながら少人数で共同生活するグループホームの運営状況に関し「福祉の専門家や地域住民らが訪問し点検する制度」を導入する方針を固めたことが伝えられました。

ここのところ、本来は障がい者の方々を真に支援すべき職責を担っているハズの運営主体(社会福祉法人・企業・事業所)が、それ(職責)に背(そむ)いて虐待や不適切な対応を行なっている事案が次々に明らかになってきており、今や社会問題と言っても過言ではない状況となっています。

かかる看過できない状況を受け、所管の頂点である厚生労働省が「外部からのチェックで 運営の透明性を高める必要がある」と判断したものです。

 

所管省は、今後 職員配置や設備の基準を定めた『厚労省令』を2024年度中に改正し、早期の義務化を目指す としていました。

 

 

 

関係者によると、グループホーム等の運営主体が 福祉の専門家や地域住民・入居者(利用者)の家族による会議を設置し、現場(施設)を訪問するなどして 入居者(利用者)に対する職員の接し方や居住環境を確認したり、運営改善の助言を行なうようにするとのこと。

その(会議や調査の)頻度についても、現在は行政が3年に1回程度行なっているものを 年1回以上行なうようにするとしています。

報道は、今回の点検制度導入の背景として 厚労相の諮問機関である『社会保障審議会』が「(障がい者支援の)実績が乏しい法人(新規や異業種参入など)の参画が相次いだことで、知的障がい者に命令口調で話しかけるなど 障がいの程度や特性を踏まえない支援を行なっている施設が増えたことから「外部点検」を手厚くする必要がある」と提言したことを挙げていました。

なお 類似の先行事例としては、高齢者向けの認知症グループホームで 2006年から「運営推進会議」が設置されており、会議を構成する地域住民・家族・専門家が2ヶ月に1回程度 施設の運営状況を確認しているとのことです。

 

報道のとおり 今回、障がい者支援施設においては「〝外部の目〟による点検・調査が必要」であることを、所管の頂点である厚生労働省が認めることとなりました。

その通底には、かかる障がい者支援施設が いかに内向きな性質を持っているものであるか、いかに閉鎖された空間(状況)の中で〝間違った対応(取組み)〟を常態化させているということ、そして それ(間違った対応)は、もはや運営主体(法人等)の自助努力では改善でき得ないことを行政トップ(厚労省)が認めたことを物語っていると申せます。

 

そのうえで私は、今回の厚労省方針を超えての「〝外部の目〟の必要性」を実感させられています。

今回 厚労省の点検制度の理由として「(障がい者支援の)実績が乏しい法人(新規や異業種参入など)の参画が相次いだこと」が挙げられています。

ところが、です。それはそれとして相応(ふさわ)しい理由であると思いますが、この障がい者支援の業態の中には さらに悪しき実態があることが指摘されているのです。

前掲のような障がい者さんへの不適切対応が、永年に亘り障がい者支援を生業としてきた(している)歴史ある障がい者支援団体(社会福祉法人)でも為(な)されている実態があるのです。

素人集団だけじゃない。いわば障がい者支援のプロであるハズの団体の中でも不適切対応が為(な)されている。

 

このことについては、私も参画する障がい者支援グループ「Gota」のMキャプテンが、永年に亘る関係者への聞き取りや ときには障がい者や関係者からの訴えに基づき(不適切対応等の)事実を積み上げており、それらは もはや看過できない状況に至っています。

そのうえで、私は今回の記事に触れ驚きをもって受け止めたところですが、件(くだん)のMキャプテンは 今回の厚労省判断の遙(はる)か以前に、障がい者支援団体に対する「外部の目によるチェックの必要性」を強く指摘しており、図らずも「Gota」の指摘に厚生労働省が追随することになったのでした。

 

実はこの間「Gota」チームは、法人格を有する長野市内の障がい者支援組織に対し「外部の目によるチェック(≒コンサルティング)」の必要性を説(と)いていますが、当該組織は何じゃかんじゃ理由をつけて ダッチロール(蛇行)の如くの〝のらりくらり回答〟に終始しています。

また 当該組織は、自らの〝チェック機関〟として「評議員会」などの組織を挙げていますが、残念ながら それは〝当て職による追認機関〟に過ぎないことから、おそらくは厚労省のいう「外部からのチェックで 運営の透明性を高める必要がある」この目的に叶うとは言えないのです。

 

 

今回の厚労省方針は、あくまで少人数でのグループホームが対象になっているものではありますが、総じて「障がい者支援」との括(くく)りで見た場合、今後 関係者は大きく認識を改めるべきことになったことは必須です。

 

繰り返せば「外部からのチェックで 運営の透明性を高める必要がある」この指摘は、全ての障がい者支援組織・そこに関わる職員はじめ関係者にとって、新たな認識として重く受け止める必要があることを示しているのです。


恒常化している 障がい者支援を取り巻く問題 〜その一端に〝行政姿勢〟が〜

2023-10-19 | 日記

ここのところ、障がい者支援 とりわけ知的障がい者支援に関する事業について、実にさまざまな問題が発生していることが伝えられており 由々しき状況であることを改めて実感させられています。

その「障が者支援現場におけるさまざまな問題」は 多岐に亘ることとなっています。

施設における虐待、それも いわゆる体罰のような身体に関わる事案に止まら(とど)まらず、暴言などの言葉の暴力・逆に無視や威圧的対応などの心理的暴力・さらにはセクハラや預貯金干渉などの多様な虐待案件もあり、まさに〝何でもアリ〟の様相となっていることが伝えられています。

 

で これに加えてタチが悪いのが、かかる諸問題に対する「行政の関与」ならまだしも「行政の〝不〟関与」の実態が側聞されていることです。

例えば さきには「障害者優先調達法」の名の下(もと)で印刷などの業務を障がい者支援施設に発注するも、その先(真に作業に障がい者さんが関わっているか)については関与しないという実態が明らかになり、また別には 施設における虐待について、施設関係者から内部告発があっても それを担当課が受理しなかったという事案が報道されました。

 

そして、また〝別の次元〟での行政不関与の事案が。

私も加わる障がい者支援グループ「Gota」のMキャプテンのリサーチによると、高松市の障がい者支援施設が 多人数の職員が一斉退職し人手不足になったことを理由に9人もの利用者の(利用)契約を打ち切ってしまい、それに対して利用者ならびに保護者が高松地方裁判所に 入所の継続などを求める仮処分を申し立てたそうです。

そのうえで 悪しけく注目されたのが、自治体の福祉行政を司(つかさど)る高松市(市長)が「職員の応援に関しては、施設から要請がない限り 市独自で動くことは考えていない。」と(会見で)答えたとのことなのです。

 

 

 

Mキャプテンがリサーチした報道によると、当該の施設は 高松市にある知的障がい者支援施設「ウインドヒル」です。

 

参考/「ウインドヒル」ホームページ

       ↓

障害者支援施設 ウインドヒルについて | 社会福祉法人 ポム・ド・パン

 

 

この施設は 保護者の寄付などにより2004年に開所し「知的障がい者の社会生活支援・少人数単位での施設生活・個別療育プログラムによる指導・余暇時間の有効利用・職住分離の生活リズム・地域福祉活動に取り組んでいます」とされています。

ところが、今年6月から7月にかけて 職員のおよそ3割にあたる11人が相次いで退職してしまったとのこと。

 

 

 

このことから施設は、利用者の安全確保を図ることを理由として 利用者11人に対し契約を解除する通知を出し、このうちの2人が退所の意向を示したことから今月9日に残る9人の契約を解除しました。

 

         

 

 

この事態を受け、契約の解除に納得できない9人の利用者と保護者が 高松地方裁判所に入所の継続などを求める仮処分を申し立てました。

仮処分の申し立てで保護者側は「重度の知的障害や自閉症があり、入所を拒まれれば生命や身体に重大な危険が生じる可能性が高い」とした上で「職員の数は法定の要件を満たしており、入所の継続は可能で説明が不十分だ」としています。

 

 

 

これについて、施設側は「職員が相次いで辞めたことで、契約の解除は 利用者の安全の確保や残っている職員の職場環境を整えるため苦渋の決断だった。」とコメントしています。

 

で…今回の報道の中では、半ば一方的に契約を解除した施設のやり方も大きな問題と受け止められるのですが、一方で 別の意味合いで非常に大きな問題といえるのが、事態を受けた高松市(市長)の反応でありましょう。

事(こと)が明らかになった後の会見で、前掲のとおり「職員の応援に関しては、施設から要請がない限り 市独自で動くことは考えていない。」と答えたことです。

 

 

 

 

この高松市(市長)の対応(応答)について、香川県の依頼で障がい者福祉に関する研修などを行なってきた識者は「施設側は 先ずは障害者福祉の協会(香川県知的障害者福祉協会)に応援を要請すべきだった」としたうえで、施設を指導監督する立場の高松市に対しては「自治体の立場では 障がいがある施設利用者の人権を守る必要があるわけだから、ウインドヒルの要請がなくても 自治体として職員の応援派遣の要請を出すというのが普通の良識だと思います。」としておられます。

これに対し高松市(市長)が「具体的な職員のどうこうにつきましては 具体的なものはしておりませんけれども、施設が体制を整備した上で基準を満たすようであれば、できるだけ入所を受け入れてほしいというような話はしています」としたうえで、職員の応援に関しては「施設から要請がない限り 市独自で動くことは考えていない」としています。

この姿勢に 件の識者は「障害当事者やそのご家族の生きづらさを少しでも支援して改善していこうという課題意識を持っているとはとても思えない。」と断じ、高松市の冷たいとも言える姿勢に嘆きの声を上げておられたことが伝えられていました。

 

今回の案件には、なぜ多くの職員が一斉退職に至ったのか など報道だけでは知り得ぬ幾つかの問題と疑問点がありますが、この場では「行政の不関与」もっと言えば〝案件に対する他人行儀ぶり〟について触れさせていただきます。

〝縦割り行政〟という言葉があるとおり、とりわけ自治体運営においては 責任の及ばない部分については「われ関せず」を決め込む場合が多いことを 私たち関係者は苦く理解しているところです。

そのうえで残念極まりないことは、こと障がい者支援 とりわけ降って沸いたが如くの突然の契約打ち切りという緊急事態にも関わらず「施設の要請がなければ動かない」と 半ば平然と答えてみせる髙松市(市長)の態度には、果たして血が通(かよ)っているのかと疑いたくなるに他ならないところです。

 

福祉 とりわけ障がい者福祉については、1+1=2というワケにはゆかない面があります。そんな杓子定規にゆかない面を補完するのが行政の役割であり、もっと言えば 市長以下職員の「心」に依(よ)るところが大きいのではないでしょうか。

今回の事案そのものについても大きな問題点を見出すと同時に、見方によってはそれ以上に 行政の不関与という姿勢に大きな幻滅感を抱かされたところでした。

 

また一方で、当事者(障がい者)さんにとって「施設」がいかに大切な 欠かざる拠(よ)りどころであることも再認識させられました。

障がい者支援施設は、当事者ならびに家庭にとって無くてはならない存在なのです。

だからこそ、健全運営に努めなければならない。

そのうえでそこには「ここがなきゃアンタたち困るだろ」との高慢な心があってはならず、あくまで障がい者さんを芯から支えようという心根がなければ「健全な運営」は為し得ないハズであります。

ところが、現実には・・・。

 

私たちの立場においても やはりこれは対岸の火事とせず、他山の石として捉えるべきことは言うまでもありません。

 

なおその後 高松市は、契約解除後の最初の平日には(施設で)混乱が予想されたため 職員を現地に派遣し、今後も保護者の相談に応じるほか 代わりに入所できる施設の確保に協力していくとしているとのことです。

せめてもの 心ある行政対応が求められています。

 


「ニューヨークの地下鉄理論」が身近な公園で

2023-10-18 | 日記

去る日、私のスマホにLINEが送られてきました。

見れば、地区内の公園のグランド(御厨公園グランド)を拠点に少年野球活動をしているチームの保護者会長です。

LINEの内容は「グランドのバックネット裏に多くのゴミが捨てられ放置されており、景観上・社会衛生上好ましくないので (ゴミの)撤去の手配をお願いします。」との内容でありました。

一報を受け、合間をみて現場を確認しました。

 

 

 

(公園のグランドに)行ってみると、週末にはちびっこ選手たちが元気に白球を追っているグランドのバックネット裏に、飲んだ後のペットボトルなど 確かに多くのゴミが捨てられていました。

これらのゴミは 昨日きょう捨てられたものではない感じ…暑かったこの夏の置き土産の如くの散らかりっぷりでありました。

 

 

 

 

 

と…この状況を見た私、あることに気づきました。

このバックネット裏には、使い古されたペール缶が やはり置きざらしになっており、どうやら数多(あまた)のゴミは このペール缶に投げ捨てられており、それが経年によって溢(あふ)れかえっているのでした。

どうやらゴミを捨ててゆく人たちは、このペール缶をゴミ箱に見立て(ゴミ箱と思い込み)そこにグランドを使った者などがゴミを捨て、その後も そこにゴミが捨てられていることを見つけた者が「あ、オレも捨ててコ…」として捨てる。で また次の者も…となり、いわば〝ゴミ捨ての連鎖〟が起きているようなのでした。

 

これ(ペール缶)について当該の保護者会長に照会すると、従前から練習に使っただか何だかで(ペール缶を)置いたけれど、今は使っていないとのことでした。 

で、これを聞いた私は「ニューヨークの地下鉄理論」を思い起こし、件(くだん)の保護者会長に、このペール缶を直ちに撤去するよう具申したのでした。

 

「ニューヨークの地下鉄理論」とは、かつて落書きやゴミ等で汚れ 犯罪の温床となっていたニューヨークの地下鉄について、ときの市長が地下鉄車両とホームの美化を命じ 車両の落書き消しと美化を徹底したところ、周辺美化と同時に犯罪そのものも減少することとなったそうなのです。

 

 

 

 

マ、この公園のゴミ捨て状況を ニューヨークの件とイコールで結びつけるのにはやや無理がありますが、いずれにしても 環境美化を妨げる出来事(行為)について、それを抜本的に改めるためには 表面的な片づけなどに止(とど)まり相変わらずのイタチごっこになるよりも、その元凶となっている悪しき要素そのものを取り除くこと、このことが肝要であるという点では共通していると思ったところです。

 

なお 現場に散乱したゴミについては、わざわざ職員を呼びつけて(片づけに)時間を労させるほどでも無いと思い、私の方で片づけてさしあげました。

いったん戻って市の指定袋を持参し せっせとゴミを片づけました。

 

 

 

放置ゴミは 概ね市の指定袋 可燃3袋・不燃1袋に及びましたが、30分ほどで全てのゴミが撤去されました。

 

 

 

その後 当該の保護者会長に連絡すると、その数日後には ペール缶そのものを撤去してくれており、バックネット裏には その類いの物が無い状態になりました。

 

 

 

 

その後も たまたま私は現場を通りかかるのですが、良くしたもので ゴミ一つ捨てられていません。

奇しくも「ニューヨークの地下鉄理論」の効果が、ムラの公園グランドの一隅で証明されたのでした。

 

「環境美化」このことについては さまざまな取り組みが為(な)されていますが、基本の「き」は〝(人の)意識〟であり、それに勝る対応(方策)は無いと言っても過言ではありません。

そのうえかかる佳(よ)き意識が醸成されるよう環境整備を行なうことが、行政を含む周囲の(者の)務めではないか と。

どうせ皆で使う施設です。互いに気持ちよく使うべきこと そのために美化を欠かさないことは当たり前の「あ」ということでありましょう。


知的障がい者施設での虐待情報…そのとき行政は何を守ったか 

2023-10-17 | 日記

さきの報道で、東京都小平市の知的障がい者さんが通う作業所やグループホームを運営する社会福祉法人が〝蜱(ダニ)〟が発生するなどの不衛生な環境のままに施設を運営、これがネグレクト(保護の放棄)の「虐待」に当たるのではないかと(職員による)内部告発がされたにも関わらず、小平市の担当課が〝受け付け拒否〟していたことが関係者による音声データで明らかになったことが報じられています。

これを耳目にした私は、これまでも様々な様態の施設虐待が報じられている中 この事案は〝行政絡みの虐待の連鎖〟じゃないかと思わされたところでありました。

 

 

 

 

報道によると この法人は、今回のネグレクト情報の他にも 長期間に亘って役員ら複数の職員による利用者(知的障がい害者)暴行や暴言が常態化していたことが、内部資料や関係者の証言で判明しているとのことです。

今回の〝ダニ報道〟についても、衛生観念が確立している現代社会において そんな劣悪な環境が放置されていたということは、相当なネグレクトぶりであることが想像できます。

また 暴行や暴言についても、いわゆる平(ひら)の職員に止(とど)まらず 役員(=施設幹部)の者がそのような行為を常態化させていたということは、いわば施設ぐるみで虐待に加担していたということなのでしょう。

こんなところを利用していた(利用するしかなかった)障がい者さんは、不幸という他ないと 心が痛むところであります。

 

ところが、です。

今回のケース(虐待問題)は、施設の体制に止(とど)まらないことが指摘(報道)されており、私は むしろそっちの方が問題じゃないかと思わされたのでした。

施設の複数の職員らが「小平市は、過去にも通報を受けていたのに キチンとした指導をしなかった」と訴えており、市の不十分な対応が被害を長期化させた可能性があるようなのです。

職員らの話や音声データによると 昨年12月、この法人の職員2人が小平市の障がい者支援課を訪問し「グループホームで掃除がされず、ダニが発生した」と伝えましたが、応対した課長補佐は通報を受理しなかったとのこと。

施設内での虐待に心を痛め、勇気をもって 音声などの証拠を掲げて小平市の担当課に告発したのに、その善行を あろうことか小平市の担当者は、突っぱねて返したというのです。

 

さらに記事によると、障がい者への虐待を取り締まる「障害者虐待防止法」は、虐待の発見者に市町村への通報を義務付けており、この報道について所管省のである厚生労働省の担当者は「通常は受け付けて調査すべきもの」と答えているとのことです。

ところが一方で 小平市は取材に対し「法に沿って対応している」と答えたとのことなのです。

 

 

 

 

ここに 何が見えてくるでしょう。

私は「保身」のなれの果てが見えてしまいました。

先ずは所管の頂点である厚労省の職員は「通常は受け付けて調査すべき」と話しています。

一方で、その厚労省が定めたルール(法)に基づいて施設を監督・指導する立場の小平市は「(厚労省が定めた)法に沿って対応している」と話している。

で…この二者に共通する言い分は「自分たちは悪くない」じゃないか と。

 

それぞれが矛盾しているんですよね。

現場では ダニまで出て明らかな虐待(ネグレクト)が発生しているのに、小平市は 厚労省が定めた方に沿えば受付け義務は無いと言い張り、その いわば元締めである厚労省は「通常であれば受付けるべき」とサラリと答える…どっちの言い分が正しいんだと問い詰めたくなるところです。

そのうえで、一番の被害者は 当の施設利用者(知的障がい者)さんである現実。

 

今回のケースは、単なる施設での虐待を超えた〝行政絡みの虐待の連鎖〟ではないかと強い憂慮を覚えました。

前掲の施設職員の言うとおり もっと早期のうちに小平市(所管課)が適切な対応(監督・指導)を行なっていれば、施設にダニなど出ずに衛生管理が守られた(虐待が未然に防げた)ことでありましょう。

どこでどういう〝法を遵守〟した行動を取ったかは分かりませんが、少なくとも小平市の担当職員は「保身」だけに努めて職責を放棄したと言わざるを得ません。

こんな業務がまかり通るのであれば、地方自治体の福祉など向上するハズもなく その域内の福祉環境は腐る一方でありましょう。

 

今回の小平市の件。これは対岸の火事に止(とど)めず「他山の石」として捉えるべきことは論を待たないところです。

 

 


「やらされ感」じゃない。都市内分権の真骨頂『第2回川中島フェスティバル』

2023-10-15 | 日記

この日(15日)、私の住む地区で『第2回川中島フェスティバル』が、公民館・支所・駐車場スペースを活用して開催されました。

 

 

 

このイベントは、1998年の長野冬季五輪大会において 当地区に選手村(現在の今井原団地)が設置されたことを契機に、オリンピック開催記念イベントとして開催されてきたものです。

当初は 川中島幹線全線を使って開催されていましたが、時代の趨勢に伴い より身の丈に合った規模で開催(継続)しようということになり、前掲のとおり 3つのスペースを活用して行なわれるようになったものです。

表面的には〝規模縮小〟とのマイナスイメージが囁(ささや)かれるところですが、逆に言うと 様々なイベントが同一スペースでコンパクトにまとめられたことから、ブース間の移動など さまざまな面で効率的なものとなり、逆に親しみやすい質(しつ)となったのではないかと評価されているところです。

 

10時に「文化芸能会場」である公民館ホールで開会式が行なわれ、その後は団体・グループ・ソロによるステージ発表が行なわれました。

1番バッターは、恒例のエコーンファミリーさん(障がい者授産施設)による歌と演奏です。

 

 

 

いつも笑顔で精一杯に演じるエコーンさんメンバーに、温かな拍手が送られていました。

その後は、この度 全国大会に出場することになった「昭和小学校 金管バンド」の子らや、午後には 川中島中学校の卒業生である人気芸人「もう中学生」さんが出られるとのことで、おそらく大いに盛り上がったことと思います。

 

この日の天気予報は 大方(おおかた)が雨予想でしたが、みなさんのご人徳により曇天に止(とど)まることとなり、屋外の出店コーナーも賑わいをみせていました。

 

 

 

商工会(青年部・女性部)やJA・住民自治協議会地域振興部会・授産施設など さまざまな団体がブースを出し、元気な呼び声が交わされ 活況を呈していました。

 

 

 

と…屋外スペースの一隅に目をやれば、愛好者による手品が披露されていました。

 

 

 

玄人はだしの演目に 子どもらが見入っては、その度に歓声と拍手が。

 

 

 

で、その傍らでアシスタントを務めておられたのが 公民館館長のMさんです。

 

 

 

地元の名寺のご住職で、小学校の校長先生をお勤めになられて 今は公民館の館長さん。

そんな名士でありながら、このイベントでは「バナナの叩き売り」やら マジックショーのメンバーやら、仮装にも余念なく大活躍です。

 

 

 

言っちゃあ何だが、基本的に好きなんでしょうね こういう役回りが。

とってもお似合いでおられたのでした。

 

 

 

支所の2階スペースでは、主に親子さんを対象にした「工作スペース」が設(しつら)えられていました。

 

 

 

細長く膨(ふく)らむ風船を巧みに折り曲げたりして、動物や花を形づくる「バルーンアート」

 

 

 

目の前でキュッキュッと音を立てながら あれよあれよという間に造形物が出来上がり、子供らは目を丸くしながら(造形物を)もらって笑顔しきりでした。

 

 

 

こちらは風船工作。膨らませた風船に好きな絵を描き、おうちに飾るのだとか。

 

 

 

こちらは牛乳パック工作。中身を飲めば不要になる牛乳パックが、アート作品に生まれ変わるようです。

 

 

 

屋外イベントとはまた別の趣向で、こちらのスペースも笑顔も輪が広がっていました。

 

 

 

長野市においては 今「都市内分権(住民自治協議会活動)」が、大きな曲がり角を迎えようとしています。

(これまでも触れていますが)当時の鷲沢市長が、飯田市で実践されている 住民主体の地域自治活動を目にし「これだ!」とばかりに長野市に「都市内分権」として導入したまではよかったのですが、その(初期の)説明と住民理解が不十分(かみ合わない)ままに推移し、いつしか住民自治活動は「やらされ感」が蔓延することとなり、今では担い手不足や業務繁忙により見直しを余儀なくされているところです。

 

そんな状況下ではありますが、今回の『川中島フェスティバル』においては 企画・準備に相当なご苦労があったことと拝察されるとは申せ、みなさん非常に「やりがい感」をもってイベントに関わっておられた(おられる)ことが実感できました。

私はここに、都市内分権の原点を見た思いがしたところです。

自分たちの流した汗に 他の住民が共感し、それがやがて全体の笑顔につながる。そのことが達成感となり、次なる場面の努力にもつながる。

この いわば〝笑顔の循環〟こそが 地域自治の継続を後押しするものであり、それは「やらされ感」から「やりがい感」へのイイ意味での変化につながるんじゃないか。

 

この日のイベントは 一日限りのものではありましたが、地区の「明日」につながる意義を有していたと大いに評価されるものでありました。

週明けから また平時の住民自治協議会活動が継続されるところですが、そんな中に活力が注入された感の好イベントでした。

 

 


労働者団体に「障がい者支援を」と訴える =連合長野 2023年政策討論会=

2023-10-15 | 日記

この日(14日)、市内会場で 労働団体(連合長野)の方々と地方議員との意見交換会(政策討論会)が行なわれ、出席させていただきました。

 

 

 

私自身、これまで様々な経過を辿って現在に至っておりますが、さきの市議選においては 主要な労働団体である「連合長野(長野地域協議会)」さんからご推薦をいただき選挙戦に臨ませていただきました。

ご推薦を受ける際 私の方からは「連合さんとは 単に集票をお願いする程度の関係性ではなく、政策面・とりわけ地域の労働基盤を支える方々のお考えや思いを胸襟を開いた中で伺い 忌憚の無い意見交換を重ねたうえで地方政治に反映する役割を担わせていただきたい。」と述べたものでした。

それら経緯も踏まえたうえでの「政策討論会」です。そういう面でも 私としても意義を共有しながら臨席させていただきました。

 

 

 

会合には、私はじめ連合長野さんから推薦をいただいた 県内の県議・市町村議が十数名と、連合長野会長以下三役・連合に加盟している産業別労組の代表者 十数名が一堂に会し、連合長野が長野県に対し行なった(行なっている)政策提言の報告と それを端緒にした意見交換が行なわれました。

 

 

 

その(提言の)内容は 概ね下記のとおりです。

・中小企業対策の充実・強化

・少子化対策の推進

・外国人労働者の生活環境・労働環境の整備

・(公共)交通・運輸対策

・(交通)安全対策の推進

・(地域)医療体制の充実

・障がい者の皆さんが暮らしやすい環境の整備推進(条例の実行性確保)

・CO対策の推進

・投票率の向上

 

かかる政策提言を踏まえて 私を含む出席議員から意見等を求められたことから、私は「障がい者の皆さんが暮らしやすい環境の整備促進(条例の実行性確保)」について話させていただきました。

 

今、労働界においては 国を挙げて賃上げの動きが顕著になっており、長野県においても 最低賃金が時給948円とされ、今後 時給1,000円に向け取り組みが加速することが期待されています。

 

 

 

ところが、です。

いわゆる健常者の中では賃金アップが進められているものの、障がい者 とりわけ知的障がい者さんについては、時給は「工賃」に置き換えられ その額も時間給100~200円の低劣な状況に留め置かれています。

このことについては、就労する方々に非は無いものの、共に社会の中で働く者同士としては不均衡であると言わざるを得ません。

このこと(現実)を私の方から改めて伝えさせていただき、意識の共有を訴えたところです。

また、事業所における 障がい者の「法定雇用率」について、事業所は全体の2,3%・自治体は全体の2,6%の達成が求められていますが、実際には その「障がい者雇用」の括(くく)りのほとんどが〝身体障がい者〟となっており、法定雇用(率)の中に知的障がい者さんが含まれるケースが少ないことも伝え、そのことについての各労組(単組)の取り組み状況や考え方を問うたところです。

 

私の問いかけに対し、残念ながら 挙手してまで発言しようという労組代表者はおらず、労働者側の反応は鈍いものでありました。

辛うじて、連合長野のN会長が「今までは 障がい者雇用は、企業にとって〝負担〟であるとの(誤った)認識がありましたが、これからは 障がい者の方も貴重な戦力と捉え、障がい者さんでなければできないこと等の「特性」を見出し、積極的に雇用できるよう取り組んでゆかなければならないと考えています。」と、私の発言を拾う形でまとめてくださいましたが、このこと(障がい者雇用)については、企業側もさることながら、同じ労働者側においても意識啓発を強めてゆく必要性を実感させられました。

 

また、配布資料の中の「障がい者の皆さんが暮らしやすい環境の整備促進(条例の実行性確保)」の文中に「(3)県機関では障がい者就労施設から優先調達していますが、県発注の公共工事に対しても、新客観点数の加点に加わるよう検討していただくよう検討します。」との件(くだり)について、このことについては 解釈の仕方によっては障がい者支援に逆行する恐れがあることを敢えて指摘させていただきました。

 

 

 

このことについては 私も加わる障がい者支援グループ「Gota」が、市の施設に対して出された県の発注について、県事業を 障害者優先調達の恩恵の中で受注した施設が、実際に利用者の手を経ることなく外部に丸投げして実績だけをつくっている実態があることを調査した経緯を踏まえ「ただ単に(障がい者施設に)発注すればイイってもんじゃない」ということを警鐘したところでありますが、どうやら連合長野の方々は そこまで思い及ばず「とにかく障がい者施設(関係者に)発注を」の大義に囚(とら)われていることを実感させられました。

このことについて、この場で〝軌道修正〟を求めることは暇(いとま)がありませんでしたが、いずれにしても 労働側の立場においても「障がい者雇用促進・受発注向上」について より正しい認識の上に立って(正しく)取り組んでいただけるよう具申してゆく必要性を再認識させられました。

 

なお 連合長野が向き合う長野県は、ややもすると 障害者優先調達法の不十分な解釈や、過去には 障がい者の「個人モデルと社会モデル」などとピント外れの「県からのたより」を発行するなど、障がい者支援についての認識いかばかりかと思いたくなる面が少なからずあることから、それらを適切に軌道修正し いわば〝正しい(障がい者支援のための)政策論争〟ができるよう計らってゆきたいと思ったところです。

 

参考/「県からのたより」についてのブログ記事

   ↓

 

『県からのたより』に大きな違和感が - 倉野立人のブログです。

1/31Sun.この日の朝刊の折り込みチラシの中に、とある「たより」が入っていました。『県からのたより(長野県広報誌)』です。その表紙には、うら若き女性が2人寄り...

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いずれにしても、(前掲のとおり)地域社会の経済基盤を支える労働者の方々との意見交換は 私にとっても貴重な場となりました。

今後とも さまざまな課題について胸襟を開いたうえで意見交換を重ね、立場は違えど 同じ市民・県民として社会環境の向上に資してゆければと思いを新たにいたしたところであります。

 


令和元年東日本台風から4年

2023-10-14 | 日記

さきの市議選後、いくらか落ち着くかと思っていたら 全く逆です。

選挙後の事務など いわゆる〝戦後処理〟に加え 地方紙に偏向報道を流布されたことで、その対応と「無所属」になったことに伴い そっちの事務(手続き)等も重なりてんやわんやに。

で これはありがたいことでありますが、私の成り行きに関係なく さまざまな頼まれ事(ごと)が、何というか降る雪の如(ごと)くに舞い込んできており そちらの対応にも追われることとなっています。

私とすれば「頼(たよ)られているうちが華(はな)」と捉え、一つひとつの案件に真摯に向き合うを是(ぜ)として時間を過ごしています。

 

この日(13日)は、地区内(川中島町御厨区)に外科の専門医(医院)を誘致したいとの要望を予(かね)てより受けていたことについて、地元の区長さんと渉(わた)りをつけ 関係者と(区長さんへ)ご説明に伺いました。

この件の詳細については後日に譲ることといたしますが、かかる要望に際しても 私は単にアポを取るだけではなく、関係者が素案とした要望書の添削・校正を担うと同時に 市の担当課(建築指導課)との仲立ちなど、事前に修練しなければならない事項についても補助することとなり、この日に向けても事前に相当の手間と時間が要されることになっており いわば楽(らく)じゃない一翼を担っています。

今回のケースは、要望する専門医(医院)が開設せんとする場所が 長野市開発許可審査基準によると(許認可が)微妙な位置関係にあることから、単なる〝おねだり型要望〟ではなく、施設の公益性・社会貢献度を踏まえ それが許可に向かうよう理論武装することも要されており、いわば〝技術論〟での力量発揮が求められています。

私とすれば、要望する主体者の方々の願意・地域における社会的貢献度の大きさ・そこに加えて対応する行政職員の立場(認識)の全てを知る者として どのようにリードしてゆくのが最適であるかに思考を巡らせながら、仲立ち役を担っているところです。

楽じゃないけど やり甲斐はある。そんなスタンスで貢献してゆきたいと思っています。

 

 

と、そんなこんなで時間が経過していますが、併せてこの日(10月13日)は、あの「令和元年東日本台風」が発生した日であることを忘れてはなりません。

あれから はや4年。

これまでも(4年前から)レポートしてきているところですが、(前々回の市議選直後に発生した)未曾有の自然災害からの時間(歳月)の流れ(の早さ)に何ともいえない思いをいたしたところでありました。

各報道でも「あれから4年」を特集(報道)しておりましたが、いずれにしても復旧・復興は道半ばであること・時間経過に伴い 地元農業の再興など好事例の一方で、定住人口の減少や 未だ続く被災者の心の問題など〝目に見える課題・見えない課題〟が重く横たわっている実態も複雑に継続していることから、時間と共に それら諸課題が風化することの無いよう、私たちは永劫的に課題を認識して取り組み続けなければならないと 改めて思いをいたすところであります。

 

時刻は 午後4時を経過してしまいましたが、千曲川沿線の被災地を巡行しました。

長野市域内の第一(初点)の被災地であった 篠ノ井塩崎地点。

 

(現在)

(被災直後)

 

 

L字型にカーブする本流のドン突きにあるこの箇所は、最初の越水被害を受けた地点です。

被災後は強靱型の堤防が設(しつら)えられ、今は安全が保持されています。

 

 

 

なお この地点は、河川側のみならず 堤内側の堤(つつみ)も強靱化されているのが特徴です。

 

 

 

当時 多くの住宅と共に農地も冠水の憂き目に遭いましたが、今は堤内外共に強靱化された堤防に守られ、再び農地が展開されています。

 

 

 

発災当時、越水をまともに受け 決壊一歩手前にまで至った軻良根古(からねこ)神社の法面(のりめん)も強靱化のうえ復旧しています。

 

(被災直後)

 

(現在)

 

もしも この神社の堤防が完全に決壊していたとすれば、千曲川本流は一気に直進(北上)することとなり、そうであったとすれば あの災害の様相は全く違ったものになっていたことでしょう。

今でもこの現場を訪れる度に 複雑な境地に至るところであります。

 

 

塩崎地点から車首を下流に向けると、横田水門部分で「排水機場」の建設が行なわれています(県事業)

 

 

 

あの水害における いわば二次災害といえるのが「バックウオーター(逆流)被害」でありました。

千曲川本流の水位が臨界点を超えたことで、例えばこの地点においては「横田水門」が門扉を閉めるを余儀なくされました。

 

 

 

すると当然のことながら、平時は千曲川に流入する支川(岡田川)を流下する河川水は行き場を失ない それが支川流域に溢(あふ)れることとなり、支川流域の方々は 千曲川本流からの被害は受けなかったけれど、支川からの越水被害を受けることになってしまったのです。

さらに、場所によっては 排水機場自体が冠水被害を受け動力が起動しなくなり被害を拡大させた経過もあることから、それを受けて 各地点で排水機場の再整備も行なわれているところです。

 

普段は非常におとなしい岡田川。これが暴れることになるとは 想像だにしなかったところであり、そのことが認識の甘さとして 関係者に改めての取り組みを促しています。

 

 

 

 

 

その後 火急に乞われた用事を済ませて 長沼エリアへと。

時刻は17時半を過ぎ、あたりは薄暮となってしまいました(デジカメの露出を上げましたが、どうにもピントが合わず…見づらいのはご容赦ください)。

長沼堤防では「嵩(かさ)上げ」が村山橋手前まで進行していました。

 

 

 

長沼堤防については、約70mに亘って破堤する大きな被害を受け 集落の広域の建屋が全壊または浸水被害を受けました。

 

 

 

 

その後の復旧・復興事業については これまでもレポートしているとおりでありますが、いずれにしても 防災・減災については「これでヨシ」との結論は無い。

あらゆる事態を想定し「最悪のケースを考えて最善の手立てを尽くす」を旨とし、これからも取り組みを継続すべきことは論を待たないところです。

 

(向こうに見えるのが村山橋)

 

 

あれから4年。

時間は経過するも、私たちの取り組みは止まることはありません。


新人議員の市民目線からのシンプルな問いと、それに応え切れなかった先輩たち

2023-10-12 | 日記

これまでもレポートしているとおり 新生なった長野市議会は活動を開始しておりますが、そんな中、初当選組の それも20才代の新人議員の会議での発言が イイ意味で物議を醸(かも)すと同時に、私を含めて多選の現職が認識を新たにさせられることとなりました。

 

場面は議会運営委員会。各会派の代表者が公式の場として協議を行なう中で、さきに初当選し 新人議員だけで新たな会派をつくった「次世代長野」のN議員が、長野市議会のホームページで 議員個人のホームページ等のURL(検索アドレス)を掲載していないことについて触れ「議員名簿によって(議員が)紹介されているが、そこに さらにHPやSNS(交流サイト)も紹介されていれば、市民目線・若者目線として とても見やすいと思う。」と問題提起したとのことです。

 

 

この日の議会運営委員会では、市議会HPで議員の住所・連絡先などをどこまで公開するかを議論したとのことで、その議論の中でN議員は 個人HPなどのURLを公開すべきとしたうえで「公開しない意味が分からない」と訴え「(議員の)任意ででも公開すればいいのではないか」と主張したとのこと。

これに対し議会事務局は「長野市と同じ規模の中核市の議会ではまだ公開していない例が多い」と否定的な見解を示し、この日は現行のまま掲載しないとの結論になったものの、議論は続けることも確認したと伝えられていました。

 

この報に触れ 私は、2つの点を評価いたしました。

1つは、当選間もない若手新人議員が まさに市民目線で議会に一石を投じてくれたことです。

そのことに水を向けると 当のN議員は「(市民感覚で)当たり前のことを言っただけですよ。」と照れ笑いを浮かべていましたが、その「当たり前のこと(認識)」が これまで議会(活動)参画してきた議員には欠落していたのが事実です。私も含めて。

改めて長野市(議会)のホームページの中の「議員名簿」を検索してみると、確かにHPのURLなどを紹介する項はありません。

 

 

 

私自身、ブログ執筆を欠かさず行なってはいますが、それが議員名簿に反映されているか否かなどということは改めて確認すること無く今に至ってしまっています。

また、議会事務局の説明によると、中核市の議会では 議員のHP(URL)は未だに紹介していないとのこと…何と前時代的な対応でありましょうか。

今日び HP(私の場合はブログ)等の取り組みは、議員職の常識であったとも思っていましたが、それが適切に自治体HPに反映されていないこと・そして そのこと自体のチェックもなおざりになっていたこと内内省の意を新たにすると同時に、まずそこことに気づいた新人議員の〝市民感覚〟これは 私自身も改めて呼び覚まさなければならないと思わされたところです。

2つめは、この発言が 議会運営委員会の場で新人議員の口から発せられたことです。

そして その陰(かげ)には、これら新人議員が独立独歩で独自に会派を立ち上げたことが大きな意味を有しているのです。

これまでは(今もその傾向アリ)、新たに当選した保守系の新人議員は「寄らば大樹」とばかりに最大会派に加入することが多く、そこで いわゆる〝雑巾がけ〟をすることが定説となっていました。

その場所(最大会派)は、大きいがゆえに 御身(おんみ)は会派によって守られ、自分の力で何をするでも無くとも いわば護送船団によってドンブラコッコと一律に運ばれてゆき、そうこうしているうちに牙(きば)は抜け〝その他大勢〟の中に埋没するのが常でありました。

しかし、今回 初当選を果たした2人の新人議員は (かなりの秋波(しゅうは)があったようですが)最大会派に与(くみ)せず、小さいながらも2人で会派を組む選択をしました。

これは非常に勇気のある英断であったと高く評価するところです。

 

で、そのうえで…この議会運営委員会につながるのですが、2人は独立した会派を設立したからこそ(議会運営委員会で)発言できたのです。

もし この2人が、最大会派なりに入ってしまったとすれば、当選早々に議会運営委員会に出席することなどできないハナシ…であるとすれば、このような〝市民目線〟からくる発言など(議運に)出されることは無かったのです。

 

 

今回の議員の議会運営委員会での発言は、改めて議会の認識を問うものでありました。

彼の言う「当たり前」が為(な)されることなく推移してきた議会(行政)。

おそらく、そんな〝市民にとっての当たり前が当たり前じゃない政治(行政)〟は、私たちの前に当然として横たわっているかもしれない。

そんなことを感じさせてくれた、新人議員の 当たり前で、しかしながら新味のある議運発言でありました。

 

ところで、かかる新人議員の市民目線での提案に対し やはり議運に出席していた他の会派の議員の反応は著しく鈍かったそうです。

このような新味ある発言に即座に対応し 議論に付す(応える)ことができなかった〝先輩議員〟たちの感性やいかに?そちらの〝対応力〟には 一抹の不安を抱かされたところでありました。

 

 


新たな議会がスタート

2023-10-11 | 日記

この日(10日)、市議選後 初めての議会(臨時会)が招集されました。

正副議長が議員による選挙によって選出され、新たな体制での長野市議会がスタートしました。

(ただ、その中「副議長選挙」において 前代未聞の事態が。あろうことか副議長に立候補した者が 所信表明(決意表明)の時間になっても議場に姿を見せず、結果 候補者の決意や思いなどを聞くことなく選挙になってしまったのです。私は かかる事態…候補者の決意表明を聞くことなく選挙に臨むことは不可能と考え、最終的に「白票」を投ぜざるを得ませんでした。ただ それでも、一人だった候補者はそのまま当選。何とも釈然としない結果でありました)

 

それら大枠の手続きを経て、議会(議員)においては 各常任委員会・特別委員会の人事(委員選出)が行なわれました。

これまでもレポートしているとおり、私は今期 無所属でのスタートを余儀なくされています。

図らずも、会派から離脱勧告を受けての厳しい船出となっていますが、そんな中でも〝捨てる神あれば拾う神あり〟の状況をも甘受しています。

常任委員会については、今期(一年間)も「福祉環境委員会」に所属することができたのです。

と いうのも、議会人事(委員会所属)については とりわけ会派に属していると、その前年に所属した委員会の所属は避けるべきとの不文律があり、昨期に福祉環境委員会に属していた私は 会派に居るままでおれば、今期は福祉環境委員会以外の委員会に属さなければならないところでした。

ところが、(意に反してですが)今期から無所属になったことで、続けて福祉環境委員会に所属することができたのです。

マ、この人事も一年巡りになることから この福祉環境委員会も 今期(4年)のうち一年限りではありますが、私とすれば 昨年に引き続いて福祉・取りわけ障がい者支援について喫緊の課題が眼前にあることから、このタイミングで福祉環境委員に再任してもらったことはラッキーといえるところでした。

 

また、特別委員会については「水道事業広域化調査研究特別委員会」の所属となりました。

この特別委員会は、長野県および三市一町で検討している「上田長野地域水道事業広域化」について調査・研究を行なうもので、長野市域においては犀川南エリアが対象となっています。

この水道の広域化については、いち自治体で解決できる課題ではないこと・他ならぬ人の生命の源でもある「水」を扱うことなど 非常に難しい課題を抱える中で議論を進めることになることから、私としても 自治体議員として、またいち住民としても(難しいことを承知で)議論に臨むところであります。

 

さらに 余談ではありますが、無所属になったことで 新人議員たちと暫定控え室が一緒になり「次世代長野」の若い彼ら等と胸襟を開くこともできました。

私としても、実にフレッシュな彼らの考え(思い)に触れ 大いに刺激を受けると同時に、今後も不定期に(課題に応じて)意見を交わしてゆこうということになり、取りもあえずLINE交換をさせてもらいました。

 

 

述べたとおり 私にとっての新たな船出は、波瀾万丈の中なれど それなりに帆走(はんそう)してゆける気配であります。

今後、どのような展開が待ち受けているのかは知る由もありませんが、私とすれば モットーでもある「一日一生」を再認識し、その日いちにち全力を尽くすを旨として あらゆる課題に対峙してゆく決意を新たにいたしたところでありました。