倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

時間経過

2019-12-31 | 日記

12/30 Mon.

 

早いもので、今年も 残すところ あと2日となってしまいました。

師走というのに 降雪がほとんど無いまま、アルプスだけは冠雪が現認され、辛うじて冬の風情を醸し出してくれています。

 

自然の摂理の中では、冬に雪は降るべきものではありますが、こと この冬に関しては、年末ギリギリまで台風被害による農地復旧に取り組んでいる方々や 馴れない仮設住宅などで暮らす方々のことを思えば、しばらくの間は〝雪無し〟でいてくれた方がありがたいのかな、と思わされるところです。贅沢を言えば、スキー場など山部にだけ降って その他のエリアは雪無しでいてくれれば などと勝手な思いを巡らせるところでもあります。

 

歳末にあたり 関係エリアを巡るうち、改めて思わされるのは「未だ台風被害は終結していない」ということであります。

こちらの建屋(篠ノ井御幣川の理髪店さん)、千曲川の枝川(岡田川)の逆流により水害(半壊)に遭ってしまいました。あれから2ヶ月余、外見上は平穏を取り戻しているように見えます(許可を得て撮影)

 

しかし、建屋の内部は 被災の影響を受けたままになっているのです。

お客様のニーズに応えるべく 営業は再開したものの、店舗内の壁は コンパネを貼ったままの状態。

 

 

これは、12/22の記事(12/21付)でも触れていますが、壁の内部の断熱材に河川水が染みこんでしまったために、一旦剥離して 壁の内部全体を乾燥させる必要があるため、当面の間 コンパネ貼りを余儀なくされているとのこと。

 

また 自宅部分の床は、やはり浸水からの乾燥のために フローリングを剥がしたままでの越冬を余儀なくされていました。

 

家人の方は「イチバン困るのは 暖房費(灯油代)です。店部分は断熱材が無く、家部分は2階での居住で底冷えして、どうしても暖房を強めに焚かなければならず、この経費は馬鹿になりません。」と嘆いておられました。

外見上の平穏をよそに、被災された方々は 未だに苦労を強いられている現実を聞き及ぶこととなりました。

 

いずれにしても この家人の方(だけではないですが)には、県・市からの「義援金配分の通知」をご確認のうえ、速やかに必要事項を記入し返信してくださるよう念を押させていただきました。

金額は些少ですが、心ある方々からの貴重な浄財です。それこそ 暖房費の足しにでもしていただければと思うところです。

 

 

一方、篠ノ井塩崎(上篠ノ井)の堤防からの越水現場。

 

千曲川の流れは 穏やかさを取り戻していますが、甚大な被害になりかけた堤防には 未だブルーシートがかかったままになっています。

 

 

従前にも触れていますが、この場所は 本流が大きく東へカーブを切る地点で、河川水が異常増水すれば 曲りきれない多くの濁流が 集落に〝直進〟する恐れがあり、現に 今回の台風19号においては越水により 堤防の北側の集落の多くが冠水被害を受けることになってしまいました。

そして そのうえで再認識されたのが、この地点が 長野エリアの千曲川最上流における〝最大の危険箇所〟ということであります。

今回の台風19号では 不幸にして穂保の堤防が決壊、甚大な被害が及んでしまいましたが、ときがときなら、この塩崎ポイントが決壊したことも大いに想像でき、もし そのようなことになれば、千曲川の全ての河川水が〝直進〟して 塩崎エリアのみならず、篠ノ井全域から川中島エリアまでも 水に呑み込む可能性があったことは大いに想像できます。

その〝最悪の結果〟を防ぐためには、今後、国が進めようとしている「長野市穂保の千曲川堤防本復旧工法」を、この塩崎ポイントにも導入し、堤防の強化による被害の最小化を図らなければならないと 強く考えるところです。

 

 

未だ 復旧作業が手つかずの現場を確認した後、ムラのまとめ役であるTさん方のチャイムを鳴らし、年明け早々にも 衆議院長野一区選出の篠原 孝代議士を交え「勉強会」を行なうなどして、関係機関に対し強力に働きかけてゆくことで一致しました。

 

被災のまま、時計がとまったかの災害現場。単なる復旧ではない〝強靱化〟が求められています。

 

 

一方で、その やや下流 篠ノ井横田エリア(岡田水門下流)では、かかる「国土強靱化計画」の一環として「河川断面を確保する工事」が緒に就いていました。

 

 

 

 

これは、河川の本流を掘削することで 河道を明確化し、なし崩し的な越水を予防しようとするもので、流域の状況に応じて 順次着手されているのもです。

 

工事予定箇所に向け、ダンプの経路(鉄板)が 延々と敷設されています。

 

この公共工事により、この台風19号で発生した越水被害の再びの発生を抑止することが期待されるところです。

 

「被災現場」においては、いよいよ歳末を迎える中 様々な〝顔〟を見せ、それぞれに課題を内包しながら推移しています。

そんな中ですがか、誰もが迎える年の瀬、少しでも平穏のうちに過ぎてほしい、そう願うのは 私だけではないハズです。


歳末警戒 ~社会安全に欠かせない善行~

2019-12-30 | 日記

12/29 Sun.

 

長野市消防団においては 28日から30日にかけて、暮れの社会安全を期して 警戒活動を行なっています。

この日の夜、この地区においては「本部巡視」として、所轄の消防局長・警察署長・市消防団幹部による 各分団へ激励のための巡回が行なわれ、詰所前に団員らが整列し、激励のための訓示を受けました。

 

夜気の中に団員が整列、巡回後の無事を報告した後に 各来賓の激励を受けます。

 

 

巡視には ラッパ隊も帯同し、ファンファーレを奏で 場を盛り上げてくれていました。

 

 

長野市の消防団は、生業をもちながら ムラの社会安全維持の担い手として 火災・風水害等の「災害防御」や、火災を出させないための「予防消防」を行なうなどして、地域防災上 重要な役割を果たしていただいております。

特に 年末を控えたこの時期は、社会全体が慌ただしい中で 不測の事態が起こらないように警戒活動を行なってくださり、その不断の取り組みのおかげさまで 私たちは安心して年の瀬を迎えることができるところです。

ただ最近は、世の中が どんどん世知辛くなる中、やれ半鐘(はんしょう)や拍子木(ひょうしぎ)の音がうるさいだの、積載車(消防車両)の赤灯が眩しいだのと 心無い声が寄せられ、消防活動も 何というか〝自粛ムード〟となってしまっておりますが、彼らの善行は 間違いなく地域の社会安全に欠かせないものだということは、私も確信をもって言わせてもらうところです。

 

そんな中、まさに消防団の活動の「意義」を裏付けるかの出来事があり、私たちは認識を新たにしたものでした。

さきの台風19号の際の 地元消防分団長らによる〝半鐘乱打による避難警報〟です。

10月13日未明、台風19号の豪雨で千曲川の堤防決壊が差し迫る中、長野市長沼地区にある4カ所の半鐘が鳴り響きました。打ち鳴らしたのは 市消防団長沼分団長のIさんら4人の団員でした。

今回の台風で堤防決壊の被害を受けた長沼区には、大町、穂保、津野、赤沼の各区に 高さ6~8メートルほどの「火の見櫓(やぐら)」がありました。この 火の見櫓の半鐘が、デジタル化・近代化の進む今、住民の命を守る重要な役割を果たしたのでした。

 

 

 

10月12日の夕刻から 千曲川の急激な水位上昇を現認したI消防団長は、同日23時半頃の巡回の際 千曲川の越水の危険を感じ取り、積載車で避難を呼びかけて集落を回りました。しかし 事態は切迫しており、巡回だけでは間に合わないと思い、とっさの判断で それぞれ(4カ所に)分かれて櫓(やぐら)に上(のぼ)り、半鐘を打ち鳴らすことで 地区全体に危険を伝え、避難を促したのでした。

櫓(やぐら)の上で団員が必死に叩く半鐘の音。これを耳にした住民は「これは ただならぬことだ。」と理解し、慌てて避難を始めたり 建屋の2階に上がるなどし、その(半鐘の音の)おかげで多くの住民が間一髪で 取りも遭えず生命だけは助かることができたのでした。

地元消防団員の とっさの判断と勇気ある行動が、地域住民の生命を守ることにつながったのでした。

この善行については、後に 当事者(団員)をはじめ さまざまな回顧がされることになりました。美談として称えられる一方で、東日本大震災では半鐘を鳴らしていた消防団員自身が被災してしてしまった実例もあることから、最善策は何だったのか・・・災害の警報手段について一石を投じることとなりましたが、ただ一つ 共通見解とされたのが「消防団の大切さと 活動の意義」でありました。

 

彼らの存在と その活動は、地域住民の社会安全を確実に守ってくれている。

今回の被災地の勇気ある行動は ある意味〝究極的な活動〟でありましたが、各消防団においても 地勢や人口動態など 取り巻く社会環境に差異はあれど「住民生活の安心・安全を守る」という点では共通しているところであり、これからも かかる崇高な意義を胸に活躍してもらいたいと 大きく期待されているところです。

 

この日の夜も、時間を見計らって 積載車がパトロールに出動、

 

 

団員さんらが班を編成、寒さをものともせず パトロール(当分団は 自転車部隊)に当たってくれていました。

 

 

地域コミュニティの存続が問われる昨今、一説には「消防団が編成できるか否かで、そのムラの状況が判る」とさえ言われています。

すなわち、その地区に、その地区の住民の社会安全を守ってくれる現役世代(の住民)が居るかどうか、が、地区存続の分かれ目になる、ということでありましょう。

 

これからも、かかる現役世代間の横の連携を取りながら、地域の社会安全の〝守り神〟として不断の活動を継続していただきたいことを、私の立場からも強く期待いたしたところです。

 

 


川底浚渫

2019-12-29 | 日記

12/28 Sat.

 

須坂の実家に向かう途上、親交のある 若穂牛島地籍の砂利採石事業所に立ち寄りました。

 

こちらの事業所は、千曲川堤防沿いの やや低地に作業場と事務所があり、さきの台風19号の際には、千曲川堤防の越水被害を まともに受けてしまいました。事務所の1階部分が冠水しましたが、こちらのN社長曰く「被害は建屋とデスクの中の書類くらい。〝生命線〟のダンプは予め逃がしておいたからよかったヨ。」とのことでした。

そのうえで、N社長や関係者と向き合う中「河川の浚渫(しゅんせつ/川底の砂石の除去)」について 改めて意見を交わしました。

 

こちらの関係者とは、台風19号による 堤防からの「越水被害」の報が伝えられた時点から、その(今後の)対策の一つとして「河川の浚渫(しゅんせつ)」の重要性について 意識を共有しています(11/20記事:11/19表記)。

(これについては12月4日の記事で触れていますが)今回の千曲川流域における越水被害は 多くの地域に多大な被害を及ぼしました。

河川水が堤防を越えるのを防ぐためには、主に ①堤防の嵩(かさ)上げ ②川底の浚渫(しゅんせつ) の2つの手法が考えられ、いずれも水が流れる河川の「容積」を増やして越水しないようにする事業ですが、同様の効果を目(もく)する中で、いわゆる〝手っ取り早く〟行なえる事業は、やはり川底の浚渫(しゅんせつ)ではないか、と言えるでしょう。

 

このことについて、採石業を専門に営むN社長は「千曲川をはじめとする この辺りの河川の多くは、川底に大量の土・砂・石が堆積したままの状態、いわゆる「天井川」になっている。川底が浅ければ 河川水を流す「容積」は当然小さいのだから、ひとたび暴れ出せば(増水すれば)、川の水はたちまち溢れて流域周辺を水びたしにしてしまう。で、これが 今回の台風被害の主要因と言ってもいいんじゃないか。」とのことでした。

 

その対策については、前述のとおり、川底の浚渫(しゅんせつ)が 最も早道(はやみち)であることから、早期の対応が求められるところであり、私も被災地を巡る中で、いずれ〝暴れる〟ことが懸念される支川について早期の浚渫を、との声を受け 関係者と協議を始めんとしたところですが、そんな中、国→長野県千曲川工事事務所 の主導で、千曲川の屋島橋から上流部について浚渫工事を行なうこととなったことが伝えられ、こちらの事業所も その工事に参画される とのことですので、一旦は その工事の進捗を待って 支川の浚渫について検討を始めましょう、ということになりました。

 

これは、国の2019年補正予算に盛り込まれた「緊急性の高い防災・減災対策」の一環としての「台風19号で被害を受けた施設の復旧と強化を同時に進める〝改良復旧〟」の名目で行なわれるもので「河川の水位上昇を防ぐ工事」に位置づけられているそうです。

 

その後 市内を移動中、作業が想定される屋島橋上流部分を現認してまいりました。

現場は、本流は幅広い河川を成していますが、その中央部分には〝島〟といえるような大きな中洲がデンと座り、一見しただけで川底が浅くなっている様子が見て取れます。

 

中洲部分には大きな木も自生しており、長年に亘り〝天井川状態〟であることを示していました。

 

こんな浅い川を 大量の河川水が流れれば、水が溢れるのは 至極当然の話し。今回の台風19号においても、上流からの河川水は、ここに留(とど)まることなく、アッという間に流れ下っていったことでしょう。

早期の〝河川の容積アップ〟が求められるところです。

 

くだんのN社長によれば、過日 関係事業者を対象にした説明会があり、来年早々 1月中旬には この辺りの河川底の浚渫作業が着手されるとのこと。河川の大きさ(広さ)を考えれば、簡単にはゆかない作業となることが想定されますが、(過日の記事でも触れたとおり)今後〝1000年に一度の災害〟が、もしかしたら しょっちゅうやって来るとすれば、何がなんでも河川の容積を大きくし、河川水が 暴れることなく海へと向かってくれるよう、人智を尽くしてゆかなければならないことは 論を待たないところです。

 

私の立場でも、今後の作業を注目しながら、一日も早い〝天井川の解消〟に向け 関係者と取り組みを強めてまいりたいと思うところです。

 

 


台風災害復興祈願旅行

2019-12-28 | 日記

12/26(木)~27(金)にかけ、後援会有志による旅行が開催されました。

 

 

この行事は、私が現役の頃から〝暮れの正月品 買い出し旅行〟として定着しており、今年の市議選で 私が再選を果たしたことから〝復活〟し、役員さんが 選挙後すぐに計画を進めておられたものです。

 

しかしながら  そんな中、長野市域を台風19号が襲来、各地に大きな被害を及ぼしていったのでした。

台風の影響は、長野市民の物心に対し、大きな影を落とすことになりました。被害に遭った方々はもとより、被害の無かった方々においても、同じ長野市民として嘆きを共有し、ややもすると俯(うつむ)き加減になってしまいます。

本来であれば、季節は行楽の秋、また多くのイベントが開催されるところではありましたが、当然ながら自粛の意識が共有されることとなったことは 万(ばん)やむを得ないところと申せます。

倉野後援会においても多分に漏れず、当初 参加を申し込んだ方々におかれても「こんなときに 旅行なんか行ってイイものか・・・。」との声が聞かれ、状況によっては中止もやむなし、と思い始めたところでした。

そんな〝世論〟を受け そのこと(中止もやむなし)を、公私共に親交のある旅行会社のМさんに伝えると、電話の向こうのМさんは 普段の明るい声が一転、やや切実な声で「クラちゃん、そんなこと言わないで ぜひ実行してくれヨ。」と言ってきたのでした。

実は、旅行会社のМさんの自宅は 堤防決壊直下の「津野区」にあり、Мさん宅も全壊の大きな被害を受けた一軒であったのでした(写真はМさん宅の内部/掲載は了解済み)

 

旅行業で生計を立てるМさん、ご自宅が壊滅的被害を受けたうえに、前述の〝自粛ムード〟が追い打ちとなり、この秋 受注していた団体旅行が軒並みキャンセルを食らい、10・11月だけで数百万円の売り上げがフイになってしまったそうです。

このうえ、倉野後援会の旅行までキャンセルになってしまえば「年を越せない」と嘆いておられたのでした。

Mさんは 電話の向こうで「大きな災害が起きたから、イベントなどを中止しようという心境になるのは判る。で、みなさんの心の中には おそらく被災地や被災者に心を寄せて、悲しみや辛さを共有しようという「思いやりの心」があるのだろうけれど。そして、そんなみなさんの心には 併せて、被災地や被災者を応援しようという心もあると思うのだけれど・・・であるとするならば、今回の旅行は「被災者支援」の一環として ぜひ予定どおり行なってほしいんだ。」

「被災地(者)支援には、スコップ持ってボランティア活動に参加してくれるのも支援、一方で、被災者の生活支援のために、例えば被災地の農産物を積極的に購入するとか、今回のように 被災者が営む生業(なりわい/この場合は旅行業)の商品などを購入(この場合は旅行)することで〝経済効果〟に貢献することも、大切な復興支援になると確信するんだ。」

「だから、もし倉野後援会のみなさんが、被災地に心を寄せて、復興支援を行ないたいと思ってくれているなら、今回の旅行は中止などせず、予定どおり行なってくれるよう 伝えてほしい。」とのことでした。

 

かつて 倉野後援会では、東日本大震災の復興支援のために「東北の旅」を行なったこともあり、その際には 被災地の旅館や土産物店の方々に 過分な感謝の言葉をいただいたことがありました。

旅行会社のМさんの言葉を借りれば、やや類(たぐい)は違いますが、旅行の実施が いわゆる「被災者支援」につながる、そのことが強く訴えられたことから、その旨を参加申し込みの方々に改めて伝えたところ「で、あるなら、予定どおり実施しましょう。」ということになり、もって 一泊二日の旅となったのでした。

 

もとより気心の知れた参加者各位、被災地の方々に心を寄せつつ 和気あいあいのうちに旅路を進めてゆきました。

今回の旅先は、越後は村上市にある瀬波温泉。塩泉の温浴効果が評判の海沿いのホテルに一泊し 身体と親交を温めながら、今年いちねんの労をねぎらい合おうという好企画です。

 

 

旅の途中には、休憩を兼ねた施設見学や お買い物タイムが用意され、みなさん それぞれに時間を楽しんでおられました。

 

食事には、米どころ新潟の それは美味しい飯、それに海の幸や 温かい汁ものが供され「食べ過ぎちゃうわ。」のウレシイ悲鳴が聞かれます。

 

こちらの名産は、遡上した鮭を加工した「塩引き鮭」です。鮭と住民との歴史を伝える資料館にも立ち寄り、自然と共存する村人の生活の歴史を知る機会ともなりました。

 

物産館には これよとばかりに塩引き鮭が吊るし並べられています。

 

みなさん、真剣な表情で品定めをしながら 地域の経済効果にも貢献されていました。

 

 

ホテルでの夜は、おいしい料理に舌鼓を打ちながらの楽しいひとときとなりました。楽しい会話あり、カラオケありのひとときは、今年いちねんの垢(あか)を流すに十分過ぎる懇親タイムとなしました。

 

翌朝は、大荒れの天候を覚悟していたものの イイ意味で予報は外れ、風は強いものの、傘は不要の そこそこの空模様となり、一行は笑顔のうちにホテルを発(た)ちました

 

 

 

一行は、2ヶ所に亘って 水産物の販売拠点に立ち寄り、暮れの買い物を満喫されました。

 

家で待つご家族や、年末年始に帰省する家族のためにと 海の幸を買い込みます。

 

 

帰路に見える日本海は、車窓の中から 冬ならではの高波を見せてくれました。

 

車窓に冬の風情を眺めながら、車内ではカラオケが興(きょう)されました。そこで、普段は歌など思いもしない方がマイクを握っておられてビックリ。

 

イイ意味での 意外性の発揚の場となっていたのでした。

 

ところで・・・詳細は避けますが、宿泊の夜 メンバーの方が痛みをもよおしてしまうことになってしまい、それに伴い 宴会の開始時間が延びることになってしまったのですが、それが みんなの「思いやりの心」のおかげさまで大過なく済み、結果として それが旅の大きな思い出となることとなりました。

旅の行程に影響が出た際には ややもすると「何やってんだ。」などと 心ない言葉が発せられることも間々あり、そして 一度(ひとたび)そんな言動があると、旅の雰囲気そのものが壊れてしまうところですが、当後援会の参加者におかれては、そんな無碍(むげ)な言葉を発する方は ただの一人もいませんでした。かえって 心配の声をかけてくれたり、医療従事を経験した方などは 持参の痛み止め薬を供してくださるなどして、みなさんが その方をはじめ全体を思いやりながら過ごしてくださり、一連の時間経過を通じて みなさんの優しい心が再認識され、何というか 心が温められた感しきりだったのでした。

 

今回の旅は、挫折し 再興した私を励ましてくださる旅である、それ以上に、台風の被災地(者)に心を寄せ、各人が〝できること〟の一環として 旅行参加という形で「復興支援」を体現してくださる ありがたい旅となったのでした。

そのうえ、旅先での不測の出来事があっても 誰も文句を言わず、かえって互いを思いやる言動に終始してくださり、感謝に堪えないところでした。

今年も残すところ あと僅かとなりましたが、私自身 改めて皆様のご厚情に感謝しながら、帰途に就くことができました。

 

参加者の方々は、降車場所ごとに別れを告げる中、いつまでも名残惜しそうに 手を振っておられたのでした。

 


市政報告会

2019-12-26 | 日記

12/25 Wed.

 

この日は、ことのほか寒い朝となりました。

 

夜気からの空気は刺すように冷たく、いわゆる冬らしい 朝の陽気です。

クルマの窓も 白い布を張ったように真っ白に凍りついています。

 

季節感を実感すると同時に、台風の被災者の方々におかれては 安住でおられるかを思案したところです。

突貫で造った仮設住宅に住む方々も、自宅なれども 1階が浸水して2階で暮らす方々も、被災前の住居環境とはゆかない状況であろうと拝察いたすところです。

これから この日の朝のように寒い日々が想定される中、風邪など召さずにお過ごしくださることを祈念するばかりであります。

 

 

◇有志の地区が「市政報告会」を企画してくださり、改めての感謝 でした。

夕方には、川中島地区の本町区(もとまちく)の方々が、私を囲む「市政報告会」を開催してくださり、改めての御礼と 市政報告の機会をいただきました。

 

 

こちらの地区は、私が議員秘書を務めていた頃から可愛がっていただき、以来「第二の故郷」とも言えるほど、私自身 愛着をもって親交させていただいております。

もとより、私の活動が決して順調でなかったにも関わらず、いかなるときも応援の姿勢を貫いてくださり、そのおかげさまをもって 私は力強い勇気と元気をいただき、これまでを歩んでこれたところです。

この日は そんな〝育ての親〟を代表して、地区在住のTさんらが世話人として「市政報告会」を企画してくださったのでした。

 

本来ですと、こちら側(後援会サイド)が企画すべき行事でありましたが、私が ご案内の災害対応に追われ時間ばかりが経過する中、かかる状況を斟酌して〝自発的開催〟を為(な)してくださり、感謝に堪えないところでした。

選挙後は、1ヶ月も経たないうちに台風が発生、改めてみなさんに会うことも叶わないままに今日に至ってしまいました。実は私自身、発災以来 活動服着用の日々が続いており、スーツを着ること自体が 約2ヶ月ぶり。ネクタイは上手く結べないは 議員バッジは忘れるはで〝セルフ浦島太郎状態〟でしたが(苦笑)それでも 力強く支援して下さった方々を前に、精一杯のご挨拶をさせていただきました。

 

親しくお世話になるみなさんの前に立ち、一体 どこからお話しすればイイか迷うところではありましたが、過去にしでかした不始末のお詫び~出馬に至るまでの挫折の日々~再びみなさんにご推挙いただくまでの経過~厳しい選挙戦~再選を果たした際の感慨~改めての登庁後の現場での様子、そして、息つく間もなく対応に追われている台風災害の取り組み等々、まるで久しぶりに里帰りした息子が、実家の親に その間の出来事を話すみたいに 駆け足ではありましたが 心を込めてご報告させていただいた次第です。

 

結びとして、こちらの本町区が脈々と育む「ムラのコミュニティー」は、これからの地域社会を持続させるうえで非常に大切であることを述べさせていただき、多様化が進む昨今であるからこそ、良好なご近所つきあいを継続してくださることをお願いいたしたところです。

 

 

この集会には、さきの選挙でたいへんお世話になった 篠原たかし衆議院議員も駆けつけてくださり、さっそくでしたが 閉会した国会の様子や、昨今の国政の状況を 資料を交えて分かりやすくお話しいただきました。

 

後に行なわれた懇親会の場面では、Y後援会長からも そのお立場から みなさんに御礼の言葉を述べていただきました。

 

乾杯の発声は、辛口を旨とするKさん、この日も 半分ハッパをかけていただきながらの発声となりました。いつもながらの弁舌に拍手が起こっていましたヨ。

 

 

酒間の中で、私に対する激励や、その延長線上にある「まちづくり」への期待などを口々に伝えていただき、改めて感謝の意を強めると同時に「これから」に向けた責任感をひしひしと感じる機会となりました。

おかげさまで再選を果たさせていただきましたが、それで終わりではない。私に期待されているものは「これからの活動ぶり」であることを 強く認識いたしたところです。

 

 

この日の夜も、本町区の有志の方々が設(しつら)えた「イルミネーション」が、川中島駅前を明るく飾っていました。

 

 

みなさんの〝地域を愛する心〟このマインドを私も共有し、これからも積極的な活動展開に努めてまいります。

 

 


今のままでいいのか

2019-12-25 | 日記

12/24 Tue.

 

折に触れて意見を交わす ブレーン的存在のMくんと 久々に会う機会があり、旧交を温めました。

くだんのMくん、独特の視点で社会的課題に切り込み、ときに斬新(本人は ごく当然の見解だ、と言い切りますが)な視点で論を展開してくれ、その度に 私自身、目からウロコ の新鮮さをもって接しさせてもらっています。

そのやり取りは、ときに禅問答のような展開のようでもあり、一休さんとの会話のようでもあり。いずれにしても 興味をそそられる時間を過ごすところです。

 

Mくんは、私と会うなり「ね、クラノさん。「1000年に一度の災害」って、何?」と水を向けてきます。

それはまさに「防災ハザードマップ」の〝キャッチコピー〟を指すものでした。

 

その論に入る前に、Mくんも私も、長野市の策定した防災ハザードマップの精度については 高い評価を共有したところです。

ご案内のとおり 今回の台風19号災害においては、長野市の防災ハザードマップは ほぼ想定どおりの浸水域を正確に表示しており、その精度は 図らずも今回の浸水被害によって証明されることとなったのでした。

 

 

例えば 市域の長沼エリアにおいては、千曲川の堤防決壊に伴う浸水域は、残念ながらではありましたが、防災ハザードマップに沿うように広がりました。

 

その(浸水の)影響で、JRの新幹線車両基地が水没の憂き目に遭ったことは 記憶に新しいところです。

 

他方、同様に台風被害に見舞われた自治体によっては、防災ハザードマップと 実際の被害が合致せず、被害を拡大したところがあったことが伝えられてもいます。

 

そういう面では、長野市の防災ハザードマップは適正に作成されたと評価されるところであり、これからも〝災害のバイブル〟として活用してゆくべきことでは一致したところです。

 

そのうえで、Mくんの「1000年に一度の災害とは何ぞや」という投げかけについて共に考えたとき、最終的に出された結論は「今回の水害は、もはや1000年に一度ではない。」というところです。

このキャッチフレーズと、今回の水害を重ね合わせて単純に考えれば・・・さきの台風19号が 1000年に一度の大規模水害を想定したハザードマップに合致したということは、こないだ 1000年に一度の水害が来たから、あと999年は この規模の水害は来ないよね、ということになります。

 

そんなことは決してありません。

むしろ、昨今の 太平洋の海水温の上昇傾向は、さきの規模ほどの でっかい台風上陸を常態化させることとなっています。

 

そんな 最近の自然現象に倣(なら)って Mくんと出した「1000年に一度の災害」の〝正しい解釈〟は、1000年に一回 大きな台風が襲来するのではなく「1000年に一度 発生するかどうかの規模のでっかい台風が、毎年に亘ってやって来る。」と改めなければならないのではないか、ということになりました。

 

くだんのМくん、この「ハザードマップの解釈」に端を発し、今の社会の様々な問題を提起してくれました。詳細については後日に譲るものとしますが、総じて言えることは「今のままでは 社会は立ち行かなくなる。どこかで 誰かが変えてゆかなければ。」と、実に純粋な眼差(まなざ)しをもって語ってくれたのでした。

 

このMくんのように「今のままでいいのか。」と 高い見識で問題意識を抱かれる方々が居られます。

私としても、機会の毎(ごと)に かかる方々の知見を拝聴したうえで 今後の活動のエンジンとさせていただき、彼らの崇高な思いが結実できるよう 力を尽くしてゆきたいと 思いを新たにいたしたところでした。

 

 


年の瀬を控え

2019-12-24 | 日記

12/23 Мon.

 

台風19号災害から2ヵ月以上が経過し、時節は年末へと近づいてまいりました。

関係各方面においては、発災後から ときに試行錯誤を重ねながら、さまざまな支援活動を打ち出しているところですが、年末が近づいていることに際し「支援」や「お知らせ」など 主なものを掲載させていただきます。

 

◇長野市「生活支援・地域ささえあいセンター」が活動開始 ~寄り添う姿勢で~

長野市社会福祉協議会による、被災者の方々への見守りのための「生活支援・地域ささえあいセンター」が開設され、活動が緒に就いています。

これは 被災後、住み慣れた我が家を 一時期でも離れることを余儀なくされた被災者の方々が、慣れない仮設住宅などで暮らされる中、さまざまな困りごとや社会不安に苛(さいな)まれることを想定し、巡回活動などを通じて「聞き取り」などを行ない、少しでも不安を和(やわ)らげていただこうという取り組みです。

「生活支援・地域ささえあいセンター」長野市HP

          ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/soshiki/fukushiseisaku/443641.html


 

私としても 災害からの復旧・復興には、建物復旧などの「ハード面の復旧」に併せて、心理面の立て直しを図る「ソフト面の復旧」が非常に重要であり、そのためには 被災者の方々の心情に寄り添い、当事者意識を共有した中で〝心のケア〟を地道かつ継続的に行なってゆくことが肝要と考えています。

そういう面で、今回スタートした 同センターの巡回活動は非常に有意義であると評価するところです。

ややもすると、災害対応については 堤防復旧などの〝目に見えるモノ〟がクローズアップされるところですが、述べたような、目に見えない部分の支援こそが、真に被災者の方々の再興の大きな助力になるのではないかとも思うところです。

不測の自然災害により、人生設計をも狂わされてしまった 被災者の方々の心情はいかばかりかと拝察いたすところです。当事者の方々の やりばの無い怒り・嘆き・あきらめのような「心の叫び」は、当事者の方にしか解(わか)らないところではありますが、せめて私たち周囲の者は、精一杯の思いやりをもって寄り添うこと、そのことが 被災者の方々の心をほぐすことにつながる。その第一義は「傾聴=聞き取り」ということではなかろうかと思うところです。

センターのスタッフにおかれても おそらく息の長い支援活動が求められることになろうと思いますが、どうか当事者目線に立って 被災者の方々が自分の足で歩むことができるまで、温かな見守りを継続していただきたいと期待いたすところです。

 

 

 

 

◇県が被災世帯に「家電」を支援(対象→住民税非課税世帯又は生活保護世帯)

長野県は、台風災害により 家財(家電品)を失った世帯のうち、住民税非課税世帯又は生活保護世帯の方々に 家電品を支給する支援を行っています。

支援対象は、住家が半壊以上又は床上浸水の判定を受けた住民税非課税世帯又は生活保護世帯のうち、家電を失い買い換えることが困難な世帯です。

で、その申し込み期限が、明後日(12月25日)となっています。もし ご関係者に対象世帯がいらっしゃるようであれば、とり急ぎご連絡していただき 受給漏れのないように計らっていただきますよう ご案内申し上げます。

長野県による「被災者への家電品支援」のHP

        ↓

https://www.pref.nagano.lg.jp/bosai/happyou/191112-2press.html

 

 

今回の台風で 建屋への浸水被害と同様に 見せつけられたのが「1階にあった家財(家電)への被害」です。浸水などの水害においては (当たり前ですが)そのすべてが1階を基に被害を受けており、しかも殆(ほとん)どの世帯の生活拠点は1階、そして そこには殆(ほとん)どの家財(家電)が置かれていたことから、急な浸水により それらの全てが水に浸かってしまったのでした。

中には、10月の消費税率アップの前に新調した世帯も多くあり、買ってまだ半月も経っていないのに「被災ゴミ」になってしまったという 笑えない事例も聞き及んでいます。

 

水害における〝被災ゴミ〟は、長野エリアだけで20万トンに及んでしまったところですが、その主要因は「生活拠点の1階がやられた」ことに他ならないところです。

家屋などの被害に併せて、多く発生した 家財の被害。「水」による被害が 実にやっかいであることを実感させられたものでした。

 

 

◇長野県+長野市 の「災害義援金」の配分額が決定 ~振込口座の返信をお忘れなく!~

今回の台風災害に際し、多くの方々から義援金が寄せられました。災害復興ボランティア 然り、この義援金 然り、「他者を思う御心(みこころ)」が 多方面から寄せられていることに対し、私の立場でも感謝に堪えないところであります。

本当に ありがとうございました。

 

そのうえで、先般 長野市の方から、長野県から各市町村に配分された義援金と 長野市独自に寄せられた義援金の配分を合算し、被災の程度に応じて「配分金」が支給されることが発表されています。

「災害義援金の配分」長野市HP

       ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/soshiki/kaigo/443835.html

 

寄せられた義援金は、長野県分(長野市への配分額)が4億5,658万8,000円、長野市への義援金が1億7,122万500円で 合計6億2,780万8,500円となっており、それを「長野市災害義援金配分委員会」の協議を経て上記のHPサイトのとおり決定し、被災者世帯に支給することとなりました。

 

長野市においては、できる限り 年内に決定通知書を送付したいとして 手続きを進めているとのことであります。

但し この義援金配分については、被災世帯から振込口座を記して ご返信いただかないことには配分することができませんので、対象世帯におかれては、どうかどうか手続き(返信)をお忘れなきよう、くれぐれもお願い申し上げます。

 

なお 私の邪推(じゃすい)ですが、この義援金配分についても〝特殊詐欺〟の標的になることも考えられないことはありませんので、行政からの郵送手続き以外の 勧誘めいた働きかけには、一切応じないよう 併せてお願い申し上げます。

 

令和元年の年の瀬を控え、被災者の方々が 少しでも安心して過ごせるよう、心からお祈りいたす次第であります。

 

 


ありがとう

2019-12-23 | 日記

12/22 Sun.

 

◇「全国高校駅伝大会」開催 ~地元高校選手が力走~

京都市で「全国高校駅伝(男子/第70回・女子/第31回)が開催され、私の出身校である長野東高等学校が 13年連続で女子の部に出場しました。

 

私も何度か現地に行き エールを送っていましたが、ここのところは それも叶わず、今年もメディアを通じての応援となりました。移動中のカーラジオから伝えられる選手の力走に一喜一憂しながら「ガンバレ!」の声よ届けとばかりに声援を送りました。

 

今年の長野県代表チームには「もうひとつの期待」が寄せられていました。

それは〝被災地に元気と勇気を与えてほしい〟というものです。

台風の被害に遭い、ややもすると疲弊しがちな長野の人々にとって、地元高の若者たちの躍動は、代えがたいエールとなってくれました。

不測の災害に見舞われ 復旧作業に追われる日々、どうしても下を向きがちになってしまう中だけど、ひたむきに走る若者たちの姿は、私たちにとっての一筋の光明となってくれるものです。特に、長野東高の女子駅伝チームにおいては、練習場所となっている犀川河川敷も倒木などの被害に見舞われ、練習に支障の出る状態となってしまいました。(写真は 隣接するマレットゴルフ場の被災状況)

 

そんな厳しい状況となった中でしたが、被災直後には 地元の方々が率先して出張(でば)ってくれ、コースを再整備してくださったとのことです。

そこには、東高の選手たちと地元の方々との〝親子〟ともいえる良関係がありました。

同高陸上部のT監督は、ただ速いだけではない〝礼節と感謝の心〟を子供たちに教え、その一環として、地域で行なわれる運動会には 補助員として積極的に参加し、ムラの行事の手助けをしてくれています。

 

また、ランニングコースに隣接するマレットゴルフ場の復旧作業の際には、練習を中断して作業に参加してくれました。そんな 競技以外の場でも地域とのつながりを深め、互いを思いやりながら歴史を重ねているのです。

 

 

そんな彼女たちは、まさに〝雑草集団〟とも称される地道な練習を重ね、起伏のあるコースをひた走りながら成績を収め、今年も都大路の切符を手にしたのでした。

 

令和元年の今回大会は、長野の人たちにとっては 未曽有の台風被害を経て「これから頑張ってゆこう!」と〝再び立ち上がる元気と勇気〟を選手たちに与えてもらう大会であり、わが長野東高校の選手たちは、その期待に十二分に応えてくれる走りを尽くしてくれました。

 

何度か現地に行っている私には、今年のレース後の選手の様子・・・入賞が叶わず涙に暮れ、応援団に頭を下げる様子 が、手に取るように伝わってきます。

それでも、私は 選手諸君に送りたい。「ありがとう」の言葉を。

君たちの不断の努力は、あらゆる方々に感謝の思いをもって ひた走る姿は、私たち周囲の者に力強いエールを送ってくれました。災害に遭い、厳しい状況となった今だけど、君たちの頑張りを見て、私たちも頑張ってゆく。

 

どうか 胸を張って帰長してほしいと思います。そして また、元気に走る姿を見せてください。

 

 

 

 

◇台風19号 災害復興ボランティア、年内の活動を終了 ~本当に ありがとうございました~

10月12日~13日にかけて発災した 台風19号被害における「災害復興ボランティア」の年内の活動が、12月22日をもって終了することとなりました。

 

 

未曽有の台風襲来により、被災者住民はもとより 行政側も、精一杯の活動の中にも その時点での限界が感じられる中、全国から多くのボランティアの方々が被災地に集結、支援活動を展開してくださいました。その参加数、延べで 実に6万2,000人余り。まさに「マンパワー ここにあり」といった感です。

その活動も多岐に亘り、被災ゴミの搬出・泥土のかき出し・避難所の運営等々、ときに行政の手の届かないところにまで手を差し伸べてくださり、私たち 被災者の市民は どれほど助けていただいたか計り知れないところであります。

 

本当に、本当に ありがとうございました。

また 年明けには、改めて募集があり、参加に意欲を示してくださる方々も数多くおられるとのことですが、これからも息の長いことが予想される復興支援です。どうか無理のない範囲で 被災地に心を寄せてくださるよう お願いいたす次第であります。

 

一方、かかる ボランティアさんの活動に頼り切りでいいのか、本来 復興作業は行政の責任で行なうべきではないか、とのご意見があることも事実であります。私も各地を巡る中、そのような意見をお聞きする傍ら、あるボランティアの方からは「オレらは自発的にやって来てるんだ。ボランティア活動は、被災地のためでもあるし、自分たちの達成感のためでもある。イヤなら来ないよ。」と話してくださる笑顔にも接しています。

これからは、そんな それぞれの思いを紡(つむ)ぎながら「官民協働」での復興支援活動を継続的に行なうことが肝要と思うところです。

 

 

 

 

この日、後援会の方々と交流する機会があり、その場で Y後援会長が「♪ありがとう♪」という曲を歌ってくださいました。

 

ありがとう ありがとう 言い尽くせない ありがとう♪

Y後援会長におかれては、ご参加の方々に対しての「ありがとう」であると同時に、私との出会いにまでも「ありがとう」との言葉を尽くしていただき、それこそ感謝に堪えないところでした。

私自身 ここに至り、全ての方々に「ありがとうございました!」の言葉しか見当たらないところです。

 

Y後援会長の歌声に合わせて「ありがとう~♪」と口ずさみながら、感謝の念を新たにいたしたところでした。

 

 

 


会合 二題 ~これから に向けて~

2019-12-22 | 日記

12/21 Sat.

 

この日 会合二題あり、それぞれに「今後」を占う意味合いアリと認識しました。

 

◇川中島地区住民自治協議会 臨時評議員会

私の住む 川中島地区の住民自治協議会の評議員会が臨時的に行なわれ、今後の運営について提案・審査が行なわれました。

 

今回の臨時評議員会は、住民自治協議会の組織の見直しと、その 見直された組織における活動内容の方針説明のために行なわれたものです。

住民の 住民による、住民のための地域自治 いわゆる「都市内分権」をめざして発足した住民自治協議会は、早いもので10年になんなんとする歴史を有し、地域住民の方々の熱意に支えられながら現在に至っています。

ここ川中島地区においても、市内31地区の中でも早いうちに組織の産声を上げ、住民生活の安心・安全、地域福祉の向上など、ときに試行錯誤を重ねながら さまざまな活動展開に努めてこられました。

それら活動を重ねてきた住自協組織ですが、時間経過の中で 今の人口減少社会を踏まえるなどして、活動の 理統合を踏まえた見直しを行ない、これからも息の長い 持続可能な活動が継続できるよう計らうこととしました。

これまで8つあった活動グループ(部会)を5つに再編成し、総務・福祉・地域振興・防災防犯・教育文化の各部門が有機的に活動してゆくことになりました。

 

 

議事の中では、これまで検討を重ねてきた 新たな部会の活動計画が発表されました。まちの将来を見据え 各部会の代表者が〝プレゼン〟を行ない、出席した評議員は 熱心に耳を傾けていました。

 

 

私は ここでも、この評議員会を さきの台風被害に置き換えざるを得ませんでした。

さきの台風被害においては、その復興に 多くのボランティアの方々が、それは大きな役割を果たしておられます。

不測の災害の発生に伴い「どこからともなく」と表現したくなるほど 自発的に心ある人々が被災地に集結、行政とは一線を画したところで被災地の復興支援に当たられ、そして大きな成果を収めてくださっています。

その「心ある活動」に対し 行政は〝後方支援〟に回ることとなり、前線で活躍するボランティアの方々が活動しやすいように環境整備を整えることで、官・民のバランスある支援活動に努めることとなりました。

住民自治協議会も また然り、と思います。

住自協活動に関わる方々もまた ボランティアに他ならず、自薦・他薦はあるにせよ、いずれにしても地域の自治に心を砕き、時間と労を割いて活動を重ね、私たちの地域社会活動の礎(いしずえ)を成してくださっています。

 

そのうえで言えることは、これからの地域自治は「官」だけでは為し得ず、そこには そこに暮らす住民の方々の自発性・積極性が欠かせない、ということであります。

今回の評議員会の大きな課題となったように、これからは 少子高齢化のによる人口減少社会の伸長に伴う〝縮小社会〟が現実のものとなってくるでしょう。しかし、そんな中でも 私たちは、その状況に見合った 健全な社会生活を構築してゆかねければなりません。

そのために必要不可欠な「住民力」。この構築のために、新たに策定される「まちづくり計画」に基づき、みんなが一丸となって進んでゆくことを期待するばかりです。

 

 

◇「被災家屋修復のポイント」勉強会

夜は、松代商工会議所で、さきの台風で被害(水害)に遭った建屋(家屋)の修復についてレクチャーする会が行なわれ、聴講しました。

 

 

これは、今回の台風19号において 存外に大きな家屋被害のあった松代地区において発足した「松代復興応援実行委員会」が主催したもので、かつて経験したことの無い「水害」について、その正しい修復の方法をアドバイスしたり、修復にあたっての資金調達など 実質的な面についてもアドバイスするものだそうです。

 

私は 前半のみの受講となりましたが、建物修繕支援を行な団体の代表者の方が、ありがちな「水害からの復旧における間違い」などについて スライドを用いて分かりやすく説明してくださいました。

 

さまざまな事例をもっての説明でしたが、説明を総じて「家屋のどこかに潜む〝水気〟の怖さと その完全な除去」が非常に重要であることを実感いたしました。

 

すなわち、浸水被害を受けた建屋は、外見上では乾いたと思える状態でも、内壁の中や 床下部分には 相当の期間、相当の〝水気〟が残っているものであり、それを除去しないことには、後にそれらが カビや腐食の要因となり、カビにおいては健康被害、腐食においては耐用年数に影響が及ぼされるとのことでした。

その一例が、壁の内部にある「断熱材」だそうです。浸水から水が引いた後、壁紙や床の清掃に努め、一定期間 風にさらした家屋は、一見的には乾燥しているように思えますが、長い時間を経た後にも カビ臭などに悩まされかことから、意を決して壁を壊してみると、そこには水分でグズグズになった断熱材があったそうです。

 

そこで そのお宅は、再度 調度品を室外に出して 壁の下部を剥(は)ぎ、湿った断熱材を除去して入れ替えを行ない、ようやく快適環境を取り戻すことができたとのこと。

講師曰く「水気は ちょっとした隙間から住居のあらゆる部分に入り込み、根深く居座るものです。時間をかけ、あらゆる可能性を想定して追い出すことが肝心です。」とのことでした。

 

発災から2ヵ月以上が経過し、すでに修復を終え 再び生活を始めた世帯も数多くあり喜ばしいところですが、意外なところに〝台風の残物〟が隠れているかもしれないという事実には、何とも複雑な心境にさせられてしまうものでした。

そのうえで、これからも末永く 住み慣れた我が家で暮らしてゆくためにも、時間は経過しても チェックを怠りなくし、必要に応じて補修を重ねてゆくことも肝要と実感させられたところでした。

 


商工業被害

2019-12-21 | 日記

12/20 Fri.

 

長野市の商工労働課が19日、さきの台風19号に伴う「商工業分野」の被害額が、約500の事業所で 被害総額が 728億8,500万円に上ることになったとの調査結果を明らかにしました。被害額の内訳は、工業分野が約350億円、商業分野が約380億円とのこと。今回の調査は あくまで中間調査で、今後 その数値が変動(増加)することも考えられるとのことです。

発災から2ヵ月、改めて 台風被害の大きさを実感させられることとなりました。

 

 

10月に発生した台風19号は、多方面に大きな被害を及ぼすことになり、その影響は 今も、私たちの社会生活に影を落としています。

千曲川堤防からの越水により 多くの家屋や建屋が水に浸かり、そのままでは住めなくなるような被害が生じました。

 

越水に止(とど)まらず 堤防か決壊したエリアでは、集落そのものが濁流に押し流される被害を受け 復旧には相当の期間が要することが懸念されています。

 

また、千曲川沿いの「堤外農地」では、果樹園などの農地が冠水や漂着物の堆積などで被害を受けました。〝果樹王国〟といわれる長野エリアならではの被害、とも言われ、その後の対応も含め 大きく報じられているのはご案内のとおりであります。

 

 

一方、そんな「目に見える被害」の傍ら、今回の市の中間まとめにあるとおり、存外に大きな被害を受けたのが「商工業部門」の事業者の方々と言われています。

堤防が決壊した 長沼エリアの西方には「北部工業団地」があり、多くの事業所が軒を並べる中で 長野市の製造業を支えていただいております。

その〝長野市工業の拠点エリア〟もまた、堤防決壊による冠水の標的にされ 工業団地の大部分の事業所の1階部分が 水に浸かる被害が出てしまいました。

 

もとより、各事業所の1階部分には 製造ラインがあり、そのための大きな作業機械なども設置されています。それらの動産は 自重も数トンに及ぶことから「水か来るぞ!」と言われても 容易に移動することなどできず、むざむざ冠水を許すこととなってしまいました。

 

事業所の中には、10月の消費税率引き上げを契機に 機械の新規入れ替えを行なったところもあり・・・稼働期間 わずか半月で新型機が水没、泣くに泣けないことになった社もあるとのことです。

今回の被害状況を聞き取る中で、ある製造業の社長は「ウチら〝機械屋〟にとって、今回の水害の一番の敵は、水じゃあない〝河川泥〟だ。」と言っておられたのが印象的でした。

「いいか、クラちゃん。機械にかかったのが「水」だけなら、まだ乾けば何とかなる。ショートした配電盤も交換すれば済むことだ。でも、本当に厄介なのは「泥」なんだよ。河川水の中に含まれる泥、これがまた細かい粒なんだが、これが たった一粒、例えばスライド部分に付いただけで、機械は引っかかって動かなくなる。しかも、日々のメンテナンスの中で 駆動部分には必ずと言っていいほど注油しているから、そこに泥が混じれば、もう その機械は終わりだ。今回の浸水では、多くの機械が この「河川泥」に泣かされたんじゃないか、ウチも含めて。」

今回の台風による〝泥〟被害は、リンゴ果樹の根を塞ぐ被害がクローズアップされていますが、こんなところにも泥の被害が及ぼされていることを再認識させられたところでした。

 

また、11/28の記事でも触れましたが、製造業の事業所においては、多くの製品や 原材料などの在庫品が水に浸かり、廃棄を余儀なくされたところが多くあることも伝えられています。

 

このことについては、今回の台風被害に対する 国などの支援策が、新規投資などの〝これからの再興〟に光が当てられている一方で、失った在庫品や設備そのものについては補償し切れない側面があることから、事業主の方々におかれては、こちらの面でも「泣くに泣けない」と言っておられました。

 

発災から2ヵ月、そして 令和元年の年の瀬を控え「生業(なりわい)」を持たれる方々の支援も 欠かざるべき取り組みであります。

生産計画や出荷見込み、また設備投資などに伴う事業所の「運転」について、今回の台風は それらの面でも〝想定外・未曽有の被害〟を及ぼしたと申せます。

先日の「公費解体」でも述べましたが、かかる事業所運営についても、個々の企業には それこそ様々な形態や状況があることから、ある意味 個人の生活再建にも劣らぬ〝個別対応〟が求められていると言っても過言ではないと思います。

 

私たちの社会生活を支えてくださる さまざまな産業に携わる方々が、真に「復興した!」と言っていただけるよう、精一杯に心を寄せて できることを考える。そんな当事者意識を持って、これからに臨んでゆくべきと 思いをいたしたところです。

 

 


公費解体説明会

2019-12-20 | 日記

12/19 Thu.

 

今週から、市内各所で「公費解体」についての説明会が開催されています。

これは、さきの台風19号で 家屋が浸水などで大きな被害(全壊・半壊)を受けた世帯に対し、その建屋の解体作業を被災者住民に代わって行ない、その費用を公費で賄(まかな)う「公費解体制度」について、対象となる被災者の方々に説明を行なおうというもので、千曲川堤防が決壊した長沼区(穂保・津野)をはじめ、豊野エリアや犀南エリアに会場を設けて 順次行なわれています。

 

公費解体説明会日程のご案内(長野市HP)

      ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/soshiki/kouhikaitai/443389.html

 

この日は、知人のMさんが住まわれ、区長さんとも連携を取るようになっている「津野区」で説明会が行なわれたことから、傍聴に足を運びました。

 

こちらの津野公会堂、発災直後から 地区内の被災住民の寄り処として機能しています。

看板をヨク見ると、「津野公民館」の字の「公」から下の文字と板の色が薄れているのがお判りでしょうか。これは この高さにまでで水がついたことを示しているのです。

 

この公会堂も 水害の憂き目に遭ってしまいました。しかし、そんな厳しい状況だからこそ〝ムラの拠点〟住民にとって欠かせない存在として機能しているのでした。

 

会場には、入りきれないほどの多くの方々が集まっておられました。この殆(ほとん)どの方々が公費解体の対象者=甚大な被災者 と思うと、今回の台風被害の大きさが 改めて思い知らされるところです。

 

 

こちらの地区においては、被災から1ヵ月が経過した際に 第一回目の説明会を行なったところですが、その時点では まだ(公費解体の)制度自体が固まりきっておらず、また 市の体制づくりも途上であったことから〝不完全燃焼〟の感、住民の方々にもフラストレーションが溜まることとなってしまいましたが、この日の説明会においては、行政トップの環境部長を筆頭に 新たに設置され、公費解体だけを専門に所管する「公費解体対策室」の職員が詳細な説明に当たるなどしたことから、出席された方々も「具体的な内容」に触れることができ、総じて納得しながら説明に聞き入る様子が見受けられました。

 

説明会は、イラストなどを交えた資料で分かり易く示され、みなさんは 公費解体対策室長の説明を聞き入っておられました。

 

ご主人が仕事で来れないという こちらの方は、聞き漏らすまいと 熱心にメモを取っての聴講です。

 

 

長野市においては「公費解体」の工事を、来年2月にも始める方針を明らかにしています。罹災(りさい)証明書で「半壊」以上に区分された住宅に加え、倉庫や中小企業の事務所なども市の調査で半壊以上と認められれば対象とすると 新たに発表しています。また、被災者が業者と契約して 自ら行なった「自費解体」工事についても、公費解体の費用以内を条件に市が負担するものとし、その(自主解体)申請受付けを1月10日に始める としています。
長野市は さきの議会で、公費解体関連の費用として12月補正予算に52億1200万円を計上したうえで、来年度に向けた債務負担行為(予算の事前確保)として124億6千万円を設定しています。但し、この費用の9割がたは国が負担することになります。

 

 

この日の説明会では「公費解体対策室」から、公費解体は 建屋全部を解体することをいい、屋根や外壁など建物の一部を解体する場合は対象外です、とか、周辺の植木などは基本的に対象外だが、解体作業に支障がある場合は併せて解体します、などの、かなり具体的な内容になっており、被災者住民におかれては、公費解体のイメージが具体的に描ける説明となっていました。

また、全てを行政に委ねる「公費解体」と、被災者が 業者と直接契約し、解体作業後にその費用を行政に申請する「自費解体」についての、メリット・デメリットについても説明がされました。

この2つの手法の最大の差は「時間」vs「費用」でしょう。公費解体は、被災者の〝持ち出し〟は無いものの、順番待ちなどにより 作業終了まで相当の時間がかかることが懸念されます。一方、自費解体については、被災者⇔解体業者の直接契約のため、時間は早く済みますが、費用が高くついてしまった場合も、市は 一定額しか支払えないため〝自腹費用〟が発生することも考えられます。「どっちを選ぶか」被災者の方にとっては悩ましいところではあります。

 

それら、さまざまな事業内容や課題などについて、公費解体室のF室長ならびに I担当は、実に丁寧な説明に当たっておっれました。

 

非常に物腰の柔らかい口調で 説明に当たられたほか、会場から次々に出された質問や要望にも懇切丁寧に答えておられました。どんな質問や要望に対しても「それはできません。」などと紋切り口調では応じず、すべての発言を聞き取ったうえで「どうしたら適切に答える(応える)ことができるか。」を一心に考え 回答に努めておられ、その真摯な姿勢は、おそらく出席者の方々にも伝わり、会場は この手の説明会にありがちな〝殺伐とした雰囲気〟が感じられない、極めて冷静な雰囲気のまま推移していったのでした。

 

組織の人事には〝適材適所〟が言われるところですが、今回の 公費解体対策室の人事は、まさに適材適所、こんな人が担当でいてくれたら、という人が部署についてくれ、私としても 安心して見ていられるような、適切なやり取りが交わされていたのでした。

 

いずれにしても、被災地の復興に向けた「公費解体」発災から2ヵ月、ようやく〝実質スタート〟となったところです。

今回の説明会を皮切りに、これからは「具体的作業」が始まることになります。被災者住民におかれては、生活形態も、社会環境も それぞれ異なるもの、画一的にはゆくハズもなく、また、そんな〝ひとくくり施策〟ではあってはならないと強く認識するところです。

長野市においては、今後「公費解体推進室」を中心に作業が行なわれるところですが、まさに「個々の被災者に寄り添った姿勢」に努め、いずれ 希望する全てのみなさんが 笑顔で帰宅できるよう、挙げて取り組むべことを再認識したところです。

 

なお、長野市においては 20日から、公費解体や自費解体制度の利用を希望する被災者からの相談を受ける公費解体コールセンター【フリーダイヤル⇒〔0120〕567272】を開設するとのこと、説明会を通じても分からないこと、新たな疑問点などについて、お気軽にお問合せください、とのことであります。

 

 

 

被災地の公道を 路面清掃車が巡回していました。

 

日々、少しづつでも の、環境整備が図られています。

 

時間はかかっても、再び 平穏な日々を。

 

最も甚大な被災地。そこの復興が果たせた時点で、長野市が真に復興したと言えるでしょう。

 


〝予兆〟に ご注意を

2019-12-19 | 日記

12/18 Wed.

 

さきの選挙で、副出納長として たいへんお世話になったNさんが体調を崩された、それも「脳梗塞」になったということが伝えられ、心配を極めました。

何でも、4日ほど前に不調を訴え かかりつけ医に行ったら、直ちに大病院を紹介され そちら(厚生連病院)で受診したところ否も応もなく入院措置が取られ ICU(集中治療室)で3日を過ごし、その後 一般病棟へ移ったとのこと。

取りも直さず お見舞いに伺ったところです。

 

ナースセンターでNさんの病室を聞き 入室すると、そこには 心配していたよりもはるかに元気なNさんが、やや驚きの表情をもって迎えてくれました。訊けば、ICUには入ったものの、ほとんどの時間を検査で過ごし、手術なども行なうこと無く 点滴だけで現在に至っているとのことです。ただ 残念ながら、左手の人差し指と親指に軽度のマヒが残ったことから、そこだけについてはボール握りなどのリハビリに努めることを指示されているとのことでした。

その他の五肢は異常ナシ、ご本人曰く「点滴以外は退屈な時間を過ごしているんだ。」とのこと、先ずはひと安心といったところでした。

私が取りあえず〝大過なき〟を喜ぶと、Nさんは やや照れながら「心配かけちゃったね。」と頭を掻いておられました。

ことの顛末は次のとおり。

4日前の朝、めっちゃ早起きのNさん、この日も目覚めた後の午前4時半頃、朝刊が配達されるのを待って 玄関まで取りにゆき、それから布団を畳もうとしました。すると、この日の朝に限って 左手が痺(しび)れるような感覚があり、布団の端を掴(つか)むうち、左手が思うようにギュッと(布団を)握れなかったそうです。

それでも、肩こりの延長くらいにしか感じなかったNさん、5時くらいになって 日課の散歩に出かけようと思いましたが、洗面所で一緒になった奥さんに「実は今朝・・・」と、左手の痺れのことを伝えたところ「それって、どこか悪いんじゃない?」と指摘され、とりあえず朝の散歩は中止し、それでも時間が早過ぎたので 朝食を摂ってから近所のかかりつけ医に行って様子を話すと、念のため精密検査を、となり、後は前述のとおり 直ちに大病院へ!となったとのことです。

 

Nさん、特に奥さんは〝予兆〟を感じ取り、最悪のケースを未然に防ぐことができました。

今回のNさんの「手の痺れ」脳梗塞の症状とすれば 初期のうちの初期、ややもすれば見逃してしまったかもしれません。

最悪のケースは、朝の異変をNさんが気にかけず、または気にかけても奥さんに話さないまま、日課の早朝の散歩に出かけけてしまったとすれば。その時点では脳梗塞が進行しつつあったのですから、極寒の朝に外に出歩くことによる〝温度差〟により、散歩の途中で劇的な症状に見舞われたとすれば、その場(戸外)で重度の障害に見舞われたり、最悪の場合 生命の危険にさらされることも無かったとは 決して言えないことと思います。

 

Nさんに関しては、主に奥さんの早期発見による「水際(みずぎわ)でのファインプレー」が光ることとなりました。

実は私、周辺で このような〝命拾い〟の事例を、何件か目にし 耳にしています。

ある事例は、会議の最中に 発言内容が支離滅裂になってきた人に対し、かつて自らも脳梗塞を経験した方が「おかしい」として救急車を呼んだところ、そのものズバリで緊急入院して助かったもの、また ある事例は、朝食の際に ご主人の「目の焦点が合っていない」ことを気にかけた奥さんが、やはり かかりつけ医に行かせて症状を検出し、無事に済んだというもの、いずれのケースも「早期発見・早期対応」が功を奏したものばかりです。

 

・・・・・。

私自身、あの台風災害以降、あらゆる事象を「そこ」につなげてしまうところですが、社会の中で いろんな〝不測の事態〟が発生する中、やはり大切なのは「早期発見・早期対応」ではないかと思うところです。

課題を認めながらも 対応を先送りにしたあげく、起きてしまったトラブルは すなわち重大事案として大きな影響(被害)に及んでしまう。

公共施設の耐用年数や老朽化など、さまざまな面で〝金属疲労〟を迎えることとなった昨今、取り返しのつかないことにならないように 今のうちに手を打っておかなければ・・・Nさんの〝大過なき重大疾病〟に接し、さまざまな面に思いをいたすに至ったところです。

さらに言えば、仮設住宅などで暮らすを余儀なくされる方々が、慣れない生活の中で体調不良に陥らなければよいが、と心配されるところであり、一層のケアを期するところです。


 

〝読者〟の方々におかれましても、これから寒さが厳しくなる折、Nさんご夫婦の〝おしどりファインプレー〟に倣(なら)い、ご自身はもとより、周辺の方に「異変」があったら、迷うことなく病院の門を叩いてください。

Nさんも ドクターによくよく言われたそうです「全ては、時間勝負です。放置した時間の長さが、そのまま後遺症の程度につながります。」と。

 

 

 

 

とある寒い朝、西の彼方に冬本番を迎えたアルプスが。

 

日付データを見たら、この景色を撮った日に、Nさんが入院したみたいです。

寒かったです。だから 朝の散歩に出かけなくて、ホントによかった。

 

暖冬とはいえ、朝晩は シッカリと「冬」ですから。

 

 


「個」の復興

2019-12-18 | 日記

12/17 Tue.

 

市内を移動中、カーラジオから 切なくも嬉しいニュースが舞い込んできました。

 

「水泳の 池江璃花子選手が退院しました。」との報です。(以下、画像は公開中のものを引用)

 

ご案内のとおり 池江選手はといえば、若くして日本水泳界を期待を一身に背負う「日本水泳のニューヒロイン」として注目されています。3才から水に親しみ、中学生の頃からトップレベルのスイマーとして活躍、2016年リオデジャネイロ五輪では若干16才ながら 100mバタフライで5位入賞を果たし、次(東京五輪)への期待を膨らませました。その後は2018年のジャカルタ・アジア大会で6冠を獲得し 最優秀選手に輝くなど、長水路と短水路を合わせて個人11種目で日本記録を持つスーパー新星です。

 

来年には東京五輪大会を控え、このまま順調にゆけば〝メダル間違いなし〟の筆頭に挙げられる「ニッポン期待の星」でもあり、本人も それを強く自覚していたことだったでしょう。

 

ところが 今年になってオーストラリアでの合宿中に体調不良を訴え 帰国後に精密検査を行なうと、あろうことか難病でもある「急性リンパ性白血病」に罹患していることが判り、その後はメダル獲得に向けた戦線から離脱を余儀なくされるだけではなく、即座に入院~加療という閉鎖生活を余儀なくされたのでした。

これはまさに「青天の霹靂」としか言いようのないところでありました。何より、当の本人の衝撃は いかばかりかのことと思います。

これまで水泳を頑張ってきて、来年には地元(日本)でオリンピックが開催される。自分は そこに出て、必ずメダルを獲る。この必勝プランは、池江選手はもとより、日本水連や 私たち国民全体が描いていたものでした。

しかし それは、病魔の前に無情にも打ち砕かれてしまったのでした。

 

ところが、周囲の同情を受けながらも 池江選手は、気丈にも その現実を受け入れ、治療に専念することを決意し、そのことを 心配する周囲=国民にメッセージとして伝えたくれたのです。

自らが白血病であることを告げ、自分自身が混乱する中、それでも頑張る旨を宣言し、治療の道に向かったのでした。

 

 

その後 池江選手は、抗がん剤治療などの化学療法を重ね、合併症の併発による造血幹細胞移植なども行ない回復に努めてきたところ、その甲斐あって症状が治まる寛解(かんかい)と診断されてから体調も安定したため、今月上旬に退院に至ったとのことでした。

池江選手は 自身の公式ホームページのメッセージの中で「入院中、抗がん剤治療で吐き気が強い時や倦怠感もありましたが、とにかく「大丈夫、大丈夫、いつか終わる」と自分を励まし続けました。ネガティブ思考になる時もありましたが、まずは自分の気持ちをしっかり持たないといけないんだと思い治療に励みました。」と、およそ10ケ月にも及んだ入院生活を振り返っていました。

そのうえで「オリンピックを目前に控えていた中、突然、大好きなプールを離れ、失ったものが多いのではと思った方もいらっしゃると思いますが、私は病気になったからこそ分かること、考えさせられること、学んだことが本当にたくさんありました。」と綴(つづ)り、そこに 彼女の〝真の強さ〟が感じ取られたところです。

また「つらくて長い日々でしたが、皆さまからの励ましのメッセージを見て、早く戻りたいと強く思うことができました。」と感謝の言葉を述べながら、今後に向けては「医師と相談しながら、水中トレーニングが可能になり次第開始します。2024年のパリ五輪出場、メダル獲得という目標で頑張っていきたいと思います。これからも応援よろしくお願いします。」と記し、競技復帰への意欲を示していました。

池江選手のマネジメント会社によると、今後は病院に通院して治療を継続しつつ 医師と相談しながら徐々に陸上でのトレーニングなどを再開していくということです。

 

・・・・・。

この報道に触れ 私は、池江選手の様子を 今回の台風19号被害に置き代えずにはおれませんでした。

池江選手の道程は、病魔に襲われ 栄光の座から絶望の場へと落とされた辛(つら)い状況からの「復興」そのものではないか。

天賦の才能とたゆまぬ努力により 若くして水泳界の頂点を極め、来年には自国開催のオリンピックの出場が ほぼ約束されていた身が、自らは 何の非もないのに、病気という不測の事態によって、道が閉ざされてしまった。

しかし彼女は その厳しい状況を自ら受け入れ、辛い治療にも耐えながら 再起に向けて歩んでいるのであります。

 

台風の被災地においても、ときに理不尽ともいえる自然災害に遭いながらも、その現実の中で 被災者の方々は歩みを始めておられます。

私は、台風の被災者の方々と同じまちに暮らす者として、池江選手の病魔との戦いや そしてこの度の退院の報に触れ、改めてエールを送りたいと思いました。一時(いっとき)は 全てを失いかけた彼女が、今回のステージ(東京五輪)は断念するも、次なるステージ(パリ五輪)に向け頑張ると 力強く宣言した姿に感銘し、私たちも 彼女の〝折れない心〟を見習いながら頑張ってゆこう。彼女の姿は 逆に私たちにエールをくれているようにも感じたところです。

人生、何が起こるか分からない。でも、どんなときも「そこから どう頑張るか。」が大切、と、身をもって教えてくれた 池江選手のニュースだったのでした。

 

 


長野市議会12月定例会/最終日

2019-12-17 | 日記

12/16 Мon.

この日は、長野市議会12月定例会の最終日となり、初日に可決した 災害復旧費(補正予算)212憶円をはじめ、各常任委員会に付託された議案50本(うち初日に可決済み4本)を採決(可決)いたしました。

この日(最終日)には、台風災害からの復興に際し、専門家の知見や被災住民の要望・意見を反映させるための「長野市災害復興計画検討委員会」を設置するための条例改正案が提出され(議案第171号)、可決成立しました。台風19号の豪雨で広い範囲が被災した長野市は、今年度中の策定を目指す市の復興計画に被災した地域の実情や要望などを反映させるため、住民の代表などによる委員会を来月にも発足させることになりました。

この議案(条例改正案)は、未曽有の台風被害から長野市を復興させため、行政力と専門家の知見、そこに住民の〝思い〟を重ね合わせ、まさに「ONE・NAGANO」で取り組もうという市(市長)の意向が反映されたものと評価されるところであり、どちらか一方の価値観だけでなく、さまざまな立場の委員が さまざまな視点で課題を見つめ、それを(異なる立場の者が)互いに評価し合い検討を重ねることで、より良い復興計画の策定につながることと思います。

議会とすれば、この委員会の議論を尊重しながら それがさらに修練されるよう知見を加えてゆくことが役割になろうと存じます。非常に厳しい状況が続く中ですが、繰り返せば「ONE・NAGANO」の意識を礎(いしずえ)に、有形無形の復興が果たされるよう期するところであります。

 

 

各常任委員会に付託された議案・請願の審査結果に基づく採決の中で、私は、福祉環境委員会 所管の「請願第16号/ケアプラン有料化などの介護保険制度の見直しの中止を求める請願」について、同委員会が この請願を不採択(否決)としたことから、これに反対する「討論」を行ないました。

 

 

この件については12/12の記事でも触れていますが、消費税〃率が10%に引き上げられ、その大義名分として「すべて社会保障に充てる」と明言した 舌の根も乾かぬうちに、その社会保障の最たるものである「ケアプラン」を有料化しようという動きは、政策矛盾・言行不一致以外の何ものでもありません。

特に「ケアプラン」については、各家庭の介護活動における「これ以上症状を進ませないための指標=要介護にならないための予防措置」であります。すなわち、家族が介護を必要になってきたときに、適切にケアプランを作成し それに基づいて家族が挙げて取り組むことで、要介護状態への進行を未然に防ぎ、そのことは即ち介護保険料のいたずらな支弁を抑制することにもつながることが期待されます。

その「指標」ともなるケアプランを有料化することは、それを必要とする家庭が適切なケアプランづくりを行なうことを躊躇(ちゅうちょ)させる要因になる恐れがあり、そのことは即ち どうすることもできなくなってから相談に訪れる〝手遅れ状態〟の温床にもなりかねないと強く懸念するところです。

要介護1・2の「生活援助サービス」の市町村への押しつけも然り。介護度が低いうちに丁寧な指導を行なうことは、介護度が進んでしまうことを水際で防ぐ効果があることから、ここ(介護度1・2)をシッカリ守ることこそが国の責務であり、これを放棄することは、国の示す方向に逆行しているとしか申せません。

折しも、長野市の平成31年度当初予算のテーマの筆頭は(YOBOU/予防・呼ぼう)予算として掲げられています。これは、将来に向け「予め備え、対策を図る」ことを力強く宣言しているものであり、介護活動におけるケアプランの作成や、要介護1・2レベルでの適切な対応は「YOBOU」の最たるものです。

 

そんな、私たち市民(国民)の切実な思いの一方で、国における〝公金の使い方〟には疑問を呈せざるを得ないのは残念に他なりません。

多くの要介護家庭に負担を強いる矛盾だらけの施策を打とうと画策する者が、一方で公金を使って桜の時期に有権者を呼んで遊山に興じるかの行為は、国民不振の最たるもの、そんなところに税金を突っ込んで、その一方で税率値上げ直後に負担を強いることを聞けば「違うんじゃないの?」と言いたくなるのは、私だけではないハズです。

 

そんな背景をもって、私は この請願は採択すべきものして討論に臨みました。

残念ながら結果は委員会審査のとおり(不採択)となってしまいましたが、私とすれば、これからも是々非々の中で「言うべきは言う」のスタンスを貫いてまいりたいと思うところです。

 

 

〝台風被害対応議会〟とも言える 令和元年12月議会が閉会しました。

私にとっては、久々の〝現場復帰議会〟となったところですが、非常に緊張感を伴ったまま終結した感、であります。

長野市には 未だに多くの課題が内在していること、そのうえに発生した台風被害 と、厳しい状況に輪がかかった状況ではありますが、これからも初心を忘れず あらゆる課題に全力で対峙してゆくことを再認識した 議会最終日でした。

 

 

 

 

☆JR今井駅も明るく「イルミネーション」

地元の商工会青年部が中心になって、JR今井駅前がイルミネーションで彩られています。

 

 

これは 遡ること 確か7年ほど前、JR川中島駅前のイルミネーションに感銘を受けた 商工会男子の有志が「今井駅前も明るく飾りたい!」と一念発起して 電飾づくりに臨んだものです。

当時、私も相談を受ける中、電源の確保などでお手伝いした経緯がありますが〝出だし〟は ハッキリいって、植栽に数本の電飾が絡む程度の細(ささ)やかなものでした。

それでも「継続は力なり」回を重ねるうちにバージョンアップが果たされ、今では駅前のスペースを賑やかに飾る〝冬の風物詩〟となっています。

 

去る13日には「点灯式」が開催され、今井駅前には多くの方々、それも少年少女たちが集結しました。

と いうのも、こちらのイルミネーションの発案者である I くん、近隣の小中学校の生徒をイイ意味で巻き込み、子供たちに「作品」を作ってもらい、それを展示しながら賑わい創出につなげているのです。

 

点灯に先立ち「感想文」も披露され〝参加型イルミネーション〟の成果が表されていました。

 

やがてカウントダウンとなり「3・2・1、点灯!」の合図で、普段は閑散とする今井駅前が 明るく彩られるようになったのでした。

 

 

夕闇せまる駅前ロータリーに〝作品群〟が浮かび上がります。

 

リゾート地のデートスポットみたく〝記念撮影ゾーン〟も用意されています。

 

こちらはドルフィン?元気にジャンプで輪くぐりです。

 

 

灯式には、昭和小学校金管バンドの少年少女が〝生演奏〟で ファンファーレなどを奏でてくれていました。

何とも贅沢(ぜいたく)な演出です。

 

 

会場では とん汁も振舞われ、みんなが列を成していました。

 

寒空だけに 余計にあったかく いただきましたヨ。

 

 

先日の 本町区(もとまちく)のイルミネーションでも触れましたが〝こんなとき〟だからこそ、明るく努めることも肝要と思います。

 

下ばかり向いていても、何も始まらない。頑張って、元気を出して、前を向いてゆこう。 

川中島地区の2つの駅の駅前広場は、そんな「みんなの思い」が、電飾となって広がっているのです。

イルミネーションを眺めながら「あったかくて オイシイね😋」を交わす子らの笑顔が印象的だったのでした。

 

 


みなさんの胸中

2019-12-16 | 日記

12/15 Sun.

 

この日、台風19号で大きな被災を受けた「長沼区」の方々が一堂に会し「住民集会」を開催されました。会場(長沼小体育館)には(市内に点在する仮設住宅住まいなどで おそらく散り散りなっておられるであろう長沼区民の方々ですが)それは多くの方々が足を運ばれ、不安など様々な気持ちを胸にしながらも、久々に旧交を温めつつ 座しておられました。

会場におられた方のアドバイスにより 写真撮影は自粛させていただきましたが、見学に訪れた私にも みなさんの胸中にあるものが伝わってくる感がいたしたところです。

 

その「胸中」とは、先(ま)ずは 今回の堤防決壊の原因を明らかにしてもらいたいこと、そのうえで 今後どのような防災計画が立てられ、実行されてゆくのかを示してもらいたいこと、さらに 今回の災害を経たうえで、どのような長沼の「まちづくり」が成(な)されてゆくのかを知りたい、などの、いわば 不安と期待が綯(な)い交ぜになったようなものであり、これらを受け止める側(行政)とすれば、非常に微妙な住民の方々の〝心の琴線〟にふれながら事(こと)に当たるべきこと、イヤ 当たらなければならないことを実感いたしたところです。

折しも 先日のブログで触れたように、破堤の原因として 諸説が囁かれる中、行政サイドとすれば あらゆる可能性を否定することなく検証のテーブルに並べ、知見を振るって今後の防災事業に活かすべきでありましょう。「国がそうだと断じたから 市もそれに倣(なら)う」というような見識で物事を決めないように。そのような〝右に同じ〟的な論調は、今後の行政不信の火種になりかねません。

未曽有の災害を受け、恐怖と不安が今も 胸を渦巻いている。でも、長年ここで暮らし ご近所にも恵まれた土地で、これからも暮らしてゆきたい。そんな みなさんの胸中を真に理解したうえでの施策展開が求められているのです。

 

 


 

堤防の決壊により壊滅的な被害を受けた長沼区の穂保内町・津野地区、発災直後に比べると 堆積土砂の撤去や整地が かなり進んだ感でありました。


(下は発災直後)

 

この日も 複数の方々が出て 作業に臨んでおられました。

 

 

かつて 河川水と泥にまみれていたリンゴ畑も、耕作者や多くのボランティアの方々の汗によって 堆積物の撤去が進んでいます。

 

中には「雪吊り」を設(しつら)えた農地も。

 

長沼支所の裏手、破堤個所の眼前には〝トレーラーハウス〟を活用した「交流ハウス」が設置されました。

 

 

これからは ここを〝コミュニティーの拠点〟に据え「長沼区の明日」について活発な意見が交わされてゆくことが期待されるところです。

 

 

 

 

一方 被災エリアの家屋は、これから行なわれる「公費解体」に備える物件、または 改修(リフォーム)に向け 基礎や柱の乾燥を進める物件など、被災状況や各世帯の事情に応じて さまざまに混在している状態です。

 

また、地区内の体育館などの公共施設は、被災したままの状況に留め置かれ 今後の再建を待ちながら、現況を止(とど)めています。

 

 

被災地区は 少しづつですが、前へと歩み始めています。

しかし そこには、さまざまな葛藤(かっとう)が内在していることも また事実です。

 

私たち長野市民、共に歩んでゆきたいと 改めて強く思うところです。

 

 

 

 

☆こんなときだからこそ「イルミネーションで 地域を明るく照らそう」

早いもので 今年も師走を迎え、各地で「イルミネーション」が瞬(またた)く季節となりました。

JR川中島駅前では、当地区(本町区/もとまちく)の有志の方々の手によるイルミネーションが、駅前の夜を飾ってくれています。

 

今年は「令和」の新たな年を迎えながら 不測の災害に見舞われ、全体として 厳しい年の瀬となりそうな雰囲気であります。 

 

しかし そんなときだからこそ、前を向いて歩んでゆきたい。

今年のイルミネーションは、そんな皆なの心に灯を点(とも)す きっかけになれれば。

 

イルミネーションを設(しつら)えた方々の「思い・願い」が伝わってくるような、電飾の明るさでありました。

 

マスコットのキティちゃんも、今年は 道ゆくみんなにエールを送っているよう、ひときわの輝きを放っている風に見えたのでした。