魔界への誘い・
冥界への出入り口
小野 篁 は六道珍皇寺の井戸からあの世へ行き、
この世へ帰ってくる時は嵯峨野六道町にあった福生寺の井戸から出てきた。
それゆえに、鳥辺野の麓のほうを「死の六道」、
嵯峨野のほうを「 生の六道 」とよんでいました。
あだし野の露消ゆる時なく、
鳥辺山のけぶり立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、
いかにものあはれもなからん。
世はさだめなきこそ、いみじけれ 『 徒然草 』第七段
兼好法師が綴るように化野、鳥辺野は、京の二大葬送地です。
現在、鳥辺野といえば
清水寺の南西、大谷本廟の背後を指すが、
平安時代初期の鳥辺野は、阿弥陀ヶ峰の南麓だったようです。
山腹に阿弥陀堂があったことから
阿弥陀ヶ峰と呼ばれるその山は、標高196メートル、
葬送地として行基が開いたとも伝わる。
その麓に、あの世への入り口、六道の辻があります。
そのむかしは、道端に死体が捨てられ溢れ返っていたという。
眼お覆うばかりの光景に心を痛めた空海が、
辻堂を建てて自作の地蔵尊を祀り死者の菩提を弔った。
それが現在、
六道の辻の西側にある西福寺に通じている。
死者は、
六道( 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天 )の何処に向かうのか。
この世に残る者たちは、
死者の行方を案じて、
この六道の辻で地蔵菩薩に祈願する。
亡くなったのが幼子なら、
六道の辻での婆さんが道に迷わないように案内役をしてくれる。
鳥辺野へ向かう坂の途中にある珍皇寺は、
死者に引導を渡す所で、
小野篁が施主となって堂塔伽藍を整備し、
死者を送る手助けをした。
そして自身も、
本堂横の井戸からあの世へ赴いたのでした。