自転車操業日記

自転車と組版ソフトについての備忘録。

本日操業──傍観者のための窓としての技術書

2013-09-19 05:49:02 | 泡沫
台風一過,一気に秋の空気に。
昨日の朝から,おじょうさまがアタシのお部屋の東側の出窓の定位置でお寝いになる。でも夜はまだ,お廊下のおいすのうえで,ひとりでおやすみだ。

ヒガンバナの花茎が上がっていた。アスパラガスみたい。間違えてくったらやばいけど。
名前通りの時期に遅れずに咲くのはえらいと思う。おうちにある白花は,フライングで咲き始めていた。

roadmanを引き取りに行かれずに,相変わらずダフネでpark & ride。停めておくのがいやだけど,心配でつい早めに上がってしまうのはよい循環だったりして。カギをひとつ増やそうかと思う。
飲み会と台風で5日乗れず,きのう久しぶりに乗ってみたら目がスピードについていけなくなってて恐かった。慣れはじめのところで中断してしまったのが悪かったのかも。今日はまあ,だいぶ慣れているのがわかったけど。しかし,上腕に来るわ。

ロバート・ウォルクというひとの『料理の科学』(全2冊,楽工社)読了。読みやすい文字組みだった。たぶん,少し行間が広い。あとA5判で,天地のアキが広く取ってある。この余白を取るために,A5にしたのだろうか?
読者からの質問に答える,というスタイル(新聞の連載コラムがもとになっているようだ)で,料理の手法と器具,材料等々の背後にある科学的な性質を解説する,というもの。食材そのものの性質についてはあまり取り上げられていないけど,岩塩と海塩がちがうのかちがわないのか,粗糖はカラダにいいけど上白糖は悪いというのはほんとかとか,放射線照射殺菌をした食品は害があるのかとか,電子レンジってどういう機械なのか,等々,ごく身近な話題ばかりで,すんなり読める。
身近なものの科学解説本というのはいろいろあるけど,この人は比喩がうまいのだと思う。それで,分子の挙動だとかをイメージしやすい書き方をしている。コラムから,というとハヤカワ文庫の『つかぬことをうかがいますが……』が近い気がするけど,あれはけっこう難しかった。
こっちは,科学の知識のほとんどない,たとえば小学校のコドモではどうかなと思うけど,中学1年の理科の履修が終わったあたりで読んだら,あとの助けになるという感じ。
ただ,扱われている内容のほとんどがエネルギーに関することで,化学反応についての話が少ない(イオン化傾向と電子のやりとりの話はあったけど,少ない)ので,そこのところは別のもので補足が必要だけど。
トンデモ科学についてはほとんど触れられていないけど,何か違和感をもったときにツッコミをいれる足がかりをつくってくれる役割は大きいと思う。たぶん,「擬人化」した比喩が使われていて,記憶に残りやすいのだろう(なんていうんだっけこういうの。3枚のカード問題だっけ。それ的な)。
いろいろ勉強になったけど,こういう著者は希有だろうなあ……。比喩って難しいよね。生半可な知識じゃできないし,センスも重要。

この前に読んだ黒田日出男さんの本もよくて,このところ当たりを引いていてうれしい。黒田さんのは,お仲間の本も読むつもり。

で,そのあとから読み始めたル=グウィンの『コンパス・ローズ』がもうすぐ終わる。小説を読むのは久しぶりで,ちょっと疲れる。小説を読むのは甘くない。ちょっと大げさだけど,彼岸に飛ぶ覚悟がいる。昔はそれがフツーにできていたのに,今は此岸との行き来に苦労する。自転車のように,トレーニングで戻せるとよいのだけど。
ル=グウィンはファンタジー嫌いだから避けていた作家。若い頃に読んでおけば,と思った。今読むとフェミニズム臭が鼻について,ちょっと古くさく感じてしまう。それに目をつぶれば,すごく刺激的な作品集なのだが。そのころ手の届くところにあったのに,看板で避けていた自分はアホ,大馬鹿者だ。口惜しい。サンリオSF文庫で出ていたらしいのだ。
冒頭,「アカシアの種子に残された文章の書き手」を読んでいて,大島一正「リーフマイナーの自然史と採集法、飼育法、標本作製法」を思い出した。われわれとは異なる論理で生きるものへの探針の先端の震えを,息を詰めて見る緊張感。技術の本というのは,異界を覗く窓のようなものなのだ,ということを突きつけられた気がした。
大島の「本」は,大学生協連の電子書店で,300円で買える(ちょっとだけ関係しているので,宣伝。タイトルで検索するとヒットするよー)。ラヒリとか,モームとか,とならべたらほめすぎだけど,過ぎた,辛く,そして甘やかな時間の集積を思わせる,美しい「短編」。読んでいて,目が潤んでくる。こういうものを読んで,そんなふうに胸を衝かれるとは思わなんだ。ていうか,トシなんだろうなあ。ま,読書は楽しいね。


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