ふわふわ気分で

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串田さんの反論「桜姫」パンフレットで

2009-07-27 | 演劇

コクーンの歌舞伎版「桜姫」のパンフレット。
串田和美さんが短文の中で、朝日新聞の劇評に痛烈に反論しています。

ちょっと長いけど、パンフの劇評からの引用の部分です。
『(略)歌舞伎脚本と近代戯曲の大きな違いは、
 前者がそれのみでは成立せず、俳優の演技やあり方と不即不離の点にある。
 別に言えば、物語性を抽出して、それをいかに工夫しても、
 舞台としては豊かにならない。さらにもう一度言い換えると、
 とうてい原作を超えられない。そうであるなら、何も書き換える必要は
 ないのではないか。(略)』

これが、引用文の前の方です。
6月12日の夕刊ですね。
わたしもちゃーんと切り抜いておきました。
もちろん一字一句変わりありません。

串田さんは、歌舞伎マニアのオタクがつぶやくのなら仕方ないけど、
とちょっとあきれながら、芝居を観る人よりも大勢の人が見る新聞記事に
このようなことを書かれて、どうしたらいいんだろうと悩み。

「歌舞伎脚本はそれだけでは成立しない。俳優の存在や演技があってこそ
 成立するものなんだ、なんてずっと昔からそんなこと言われているけど、
 それは別に歌舞伎に限らず演劇はみんなそうでしょう。
 もしそうならそれはその戯曲が書かれた当時の役者にしか演じられないことになるし、
 今やっている歌舞伎は何だということになる。」
また、コクーン歌舞伎そのものを否定しているわけですね。
と串田さんは、書いてます。

なるほど、そう読めますね。

後半の引用は、
『マリアがあの少年だと知った清玄のセルゲイが目の色を変えて追いかけ回すが、
 こういう設定は歌舞伎という夢幻劇でこそ甘受できても現代劇としては無理で、
 欲求不満やほころびが多い。』

串田さんは、歌舞伎は夢幻劇で現代劇は夢幻劇ではない。
という主張に、すごいこと言うなあ、と驚き、
そんな視点でしかコクーン歌舞伎を観ることが出来ない人が
「劇評家と称して、朝日新聞に書いちゃうんだから、やれやれです。
 やれやれまだ道は遠いや、と思うわけです。」

また締めくくりに、
「それに表現者はできる限りこんな発言はしない方がいい。
 だったらかわりに誰か語ってくださいなと、思うのであります。」
と書かれてます。

串田さん、自分の意見をはっきりと書かれてスゴイ。パチパチ・・・
自分の意見ってちゃーんと言うべきです。
それにしても、こういう劇評に対する反論って、
今までにもあったのかな、わたしが気付かないだけだったのかな。
反論する場も、なかったようだけど・・・

この演劇批評家さん、わたしのブログ(08.1.7)に以前登場してました。
2007年度の朝日舞台芸術賞の時に「コンフィダント・絆」について

「『コンフィダント・絆』は芸術家同士の友情があり得るかどうかを問い、
 ・・・『恐れを知らぬ川上音二郎一座』と、ともに群像劇というスタイルをとった喜劇だった。」
とコメントされてました。
やれやれ・・・

はい、いろいろあったみたいだけど、
コクーン歌舞伎わたしは大好き。
串田さん、これからも期待してますよ