栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

オール素人の時代

2004-09-23 01:25:57 | 雑感
 私の欠点はサービス精神旺盛なことではないかと時々思う。
講演でも研修でも、引き受ければ自分が持っているものを全部出してしまう。
最初からそのつもりではないのだが、ついつい披露してしまうのだ。
特に聴衆がいいとこれでもかというぐらいに出してしまう。
普段は無口で通っている私だが、講演などでは一転多弁になってしまうから困ったものだ。

 何が困るかというとまず疲れる。
最近も、ある会社で社員研修をした時、午前午後合わせて4時間も立ちっぱなしで喋ったので、その後声は枯れるし、疲れてグッタリとなってしまった。
手を抜くということができないのだ。
これは非効率である。

 ある会で講師が「今日は参加料1,000円だから、話はここまで。これ以上の話は別途金額が必要になります」と言ったのには驚くと同時に、儲けようと思うとああいう風にしなければならないのかと妙に感心した。
ただ、自分はそんな風にはできないので、やはり金儲けはできないなと、これまた変なところで納得してしまった。
 実際、私は安い原稿料のものも高い原稿料のものも同じように力を入れて書いてしまう。かける時間はほぼ同じなのだ。

 ある時、羽振りがいいコピーライターと話をした時のことだ。
彼は仕事をする順位、力の入れ方を金額で決めると言った。
この仕事はいくらだと、お金に見えるからスイスイとやると言ったのだ。
この時は本当に飛び上がる程ビックリした。
それと同時に彼と私の収入の違いを納得してしまったのを覚えている。
私には欲がなかったのだ。
これは致命的な欠陥だと思った。
 だが、私には彼のように仕事が紙幣にはどうしても見えないのだ。
これは善し悪しではなく性分である。
だからどうしようもない。
不器用に生きるしかない。

 それでも時々思う。
その程度の話でそんな金額を要求するのか、それでプロと言っているのかと。
いまはプロとアマの境目がない時代、というより素人の時代である。
喋る方が素人なら聞く方も素人。
オール素人の時代だ。
だから、素人に毛が生えたような人達が横行する。

 それにしても呆れたのは件の講師だ。
自分が話をしている時に私語を交わしている人を厳しく注意しながら、自分の出番が終われば平気で横の人と私語を交わしていた。
この程度の講師を評価する人達は一体何だろう、とついつい考え込んでしまう。