まろの公園ライフ

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結核だった頃

2016年03月25日 | 日記

街角のポスターにふと足を止めることがある。
この日も乗換駅の構内を歩いていて
見覚えのある顔に思わず立ち止まってしまった。



左のハンサムボーイは
私が敬愛する歌人・石川啄木である。
その隣の坊主頭は言わずと知れた俳人の正岡子規。
右端は「たけくらべ」などで知られる女流小説家の樋口一葉。
いずれも教科書ではお馴染みの顔で
日本の近代文学の確立に多大な影響を与えた文学者ばかりである。
三人にどんな関係があるのか、一瞬首をひねったが・・・



キーワードは「結核」だった。
そう言えば三人はいずれも結核を患って亡くなっている。
明治時代は結核は不治の病だった。
当時、結核で命を落とす人は決してめずらしくなかった。
ただ、ストレプトマイシンの発見によって
結核は不治の病ではなく「根治できる病」になった筈だが・・・



今でも年間2000人以上が結核で亡くなっていると言う。
うーん、それは知らなかった!

実はかく言う私も立派な結核キャリアなのである。
小学生の頃、栄養失調が原因で結核菌に感染し一晩で足が腫れ上がった。
結核性骨髄炎という結核菌が骨まで蝕む病気で
まだ手術ができるような年齢ではなかったので長期入院を余儀なくされた。
一般の病院から学校を併設した肢体不自由児施設へと移り
無事に退院できるまでに二年近い歳月を要した。
結核は実にやっかいな病気なのである。
病は癒えたが今でも健康診断などでレントゲン写真を撮ると
胸には結核の痕跡が影となって残っている。
まことに怖ろしい病気なのである。



タレントのJOYさんも結核の感染者だったと言う。
その関係で結核予防会のボランティア大使をつとめているらしい。
忙しいタレント業でなかなか出来ないことである。
何なら私が替わって差し上げてもいいのだが、なぜかお声はかからない。(笑)

結核時代はつらく苦しい思い出ばかりである。
でも、そんな時代があったからこそ今の自分があるとも思う。
とりあえず咳が二週間以上続いたら
結核のサインを疑って病院を受診して欲しいものだ。
以上、結核予防会からのPRである。(笑)



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
結核菌は (さすらい日乗)
2016-08-23 10:44:05
私が横浜市役所に入ったころ、若いころ結核になって療養していたという人が沢山いて、そこの看護婦さんと結婚した人も多かったようです。
結核菌は、若い人の肉体が好みで、若い人がかかるのだそうです。

小説家斉藤綾子は、20代の時、男と遊びすぎて夏に結核になってしまい、秋に病院に隔離されたことを『結核病棟物語』で書いていますが、非常に面白い本です。
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結核というのは (まろ)
2016-08-23 18:57:14
さすらい日乗様
当時は「業の病」でしたが、どこかロマンチックな響きもありますよね。
療養中に看護婦さんとねんごろになるケースもよくあったようで
数多の文学作品にもなっていますよねえ。
斎藤綾子さんという小説家は、名前ぐらいしかしらないのですが
ぜひ、読んでみたいと思います。

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結核は (さすらい日乗)
2016-08-24 08:57:17
結核にかかると痩せて青白くなるので、美しくなるという俗説がありました。

西洋でも『椿姫』の主人公は、結核で死にますが、これも男との遊びすぎからでしょうかね。
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結核と言えば・・・ (まろ)
2016-08-24 19:05:42
さすらい日乗様
すぐに堀辰雄の「風立ちぬ」を思い出します。
宮本輝も確か結核のキャリアで作品にもそんなシーンがあったような気がします。
サナトリウムなどという言葉を聞くと、どうしても心がときめきます。(笑)
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