クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

9月23日生まれの人物は?(万年筆の日・不動産の日・海王星の日)

2008年09月23日 | 誕生日部屋
9月23日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

葛飾北齋 (浮世絵師)
幸徳秋水 (評論家・社会運動家)
牧野省三(マキノ省三) (映画監督)
金子兜太 (俳人)
福本和也 (評論家)
阿部和重 (作家)
ミッキー・ルーニー (俳優)
ロミー・シュナイダー (俳優)
レイ・チャールズ (歌手)
稲葉浩志 (ミュージシャン(B'z))
木村世治 (ミュージシャン(ZEPPET STORE)
中山雅史 (サッカー)
川平慈英(ジェイ・カビラ) (俳優・タレント)
イジリー岡田 (タレント)
高原愛美 (タレント)
斎藤梨沙 (タレント)
渡部建 (お笑い芸人(アンジャッシュ))
鈴木杏樹 (俳優)
井上晴美 (歌手・俳優)
後藤真希 (歌手)

この日起きた事件は以下のとおりです。

フレデリック・バーソロミュー・フォルシュが万年筆を考案し特許をとる。ゆえにこの日は“万年筆の日”(1809)
ベルリン天文台のガレが海王星を発見。ゆえにこの日は“海王星の日”(1846)
米人宣教師ヘボン来日(1859)
札幌にビール醸造所が開業(1859)
第一回全日本ヨット選手権開催(1933)
巨人の王貞治選手が55本のホームラン日本新記録(1964)
TBSテレビ「8時だョ!全員集合」放送終了(1985)
漫画家藤子F不二雄が急死(1996)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“苦難の道を切りひらく人”とのことです。
誕生花は「バロータ」、花言葉は「忍耐」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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クニのウラ部屋雑記(30) ―秋―

2008年09月22日 | ウラ部屋
秋は箸が転がっても傷つきやすい季節(とぼくは思う)。
不安定な気候のせいなのか、
あるいは乾いた秋の風のせいなのか、
どこからともなく寂しさと不安を運んでくる。
冬の季節を前にして、
生の絶対的孤独がそう感じさせるのだろうか。

2008年9月20日、埼玉県加須市で映画「靖国YASUKUNI」を観た。
テレビでもしばしば取り上げられていたように、
話題のドキュメンタリー映画である。
県内では深谷に続いて、2番目の上映だったらしい。
映画の内容についてはここで触れない。
ただ、人々の関心の強い映画であることは確かで、
会場の席はほぼ満席だった。

翌日、同県さいたま市で街頭演説を偶然目にした。
演説者は総裁選挙立候補者たちである。
演説は大宮駅西口の「SOGO」の前で行われ、
多くの人だかりができていた。

その後、池袋のメトロポリタンホテルから夜景を眺めた。
灯火のひとつひとつが“生”の光りのように見える。
喜びとか哀しみとか、
人はいま何を感じ、何を考え、何に悩み、何を背負って生きているのだろう。

  それはまるで、目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが、
  咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。
  淋しい 光りの粒々だったね。
  私が友人の方を振り向いて〈卵〉というと
  彼も肯いて答えた。〈せつなげだね〉
  (吉野弘「I was borm」より)

数え切れない秋が通り過ぎていく。
どんなに時代が移り変わっても、
秋の心の痛みはきっと変わらない……


東京


同上
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9月22日生まれの人物は?(救世軍日本伝道記念日・孤児院の日)

2008年09月22日 | 誕生日部屋
9月22日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

明治天皇(祐宮睦仁親王) (122代天皇)
吉田茂 (首相)
本多秋五 (評論家)
幸徳秋水(社会主義者)
貞永方久 (映画監督)
岡田眞澄 (俳優)
アンナ・カリーナ (俳優)
谷沢健一 (野球)
石毛宏典 (野球)
五大路子 (俳優)
鈴木雅之 (歌手)
石井竜也(カールスモーキー石井) (ミュージシャン・映画監督)
ふせえり (お笑い芸人)
ボブ・サップ (米:挌鬪家)
橋本潮 (歌手)
緒形直人 (俳優・緒形拳の子)
小林久美子(料理研究家)
ロナウド (サッカー)
角田智美 (タレント・モデル)
羽田実加 (タレント)
北島康介 (水泳)
Eriko(今井絵理子) (歌手)
渋谷すばる (タレント(関ジャニ8))

この日起きた事件は以下のとおりです。

リンカーンが奴隷解放宣言(1862)
会津若松城落城(1868)
石井十次が日本初の孤児院「孤児教育会」を創設。ゆえにこの日は“孤児院の日”(1887)
救世軍日本支部が設立。ゆえにこの日は“救世軍日本伝道記念日”(1895)
サウジアラビアが誕生(1932)
米政府が「降伏後における米国の初期の対日方針」を発表(1945)
イラン・イラク戦争突入(1980)
横綱千代の富士が本場所通算965勝の最多記録達成(1989)
淡谷のり子死去(1999)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“じっとしていられない人”とのことです。
誕生花は「リコリス」、花言葉は「悲しい思い出」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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“羽生城”へ行きませんか?(おまけ7) ―羽生落城説―

2008年09月21日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
武州羽生城は天正2年(1574)閏11月に自落した。
孤立無援になっても“上杉謙信”に属したが、
落城寸前だった羽生城をみすみす敵に奪われるのを不憫に思った謙信は、
破却を命じたのであった。

“冨田勝治”先生の長年による研究によって、
いま羽生城史を知ることができるが、
それ以前は説が錯綜としていた。
羽生領の源長寺という寺に“武田家の高札”があるため、
羽生城は信玄の属城と記すものがある。

羽生城の終焉にしても、
忍城主成田氏に攻められて“落城”したというのが流布していた。
例えば、『関八州古戦録』や『成田記』には、
成田氏による羽生落城が記されている。
その落城年号も、永禄8、9年である。

羽生攻略に成田氏が関わっていたことは間違いないが、
「諸説錯綜」と言えるだろう。
羽生に伝わる「簑沢一城根元亡落記」には、
成田氏との戦闘がわりと生き生きと記されている。

 町場口より火を懸ける折節、南風はげ敷吹懸け城中不残火煙の黒煙り立上りければ、
 運命是迄と観念して主人忠朝を初家臣従卒百余人一騎も不残相果けり。
 (「簑沢一城根元亡落記」より)

また、羽生城絵図のひとつ「武陽羽生古城之図」には、
羽生城史に関する詞書がある。
それには“謙信”が羽生城を攻めたとしている。
城主木戸忠朝は「自殺」。
ときに「天正三年也」と伝えている。
謙信が源長寺に大砲を設け、
羽生城に向かって撃ったという伝承もあるらしい。

このように説は入り乱れ、
正確な羽生城史を知る者は誰もいなかった。
冨田先生が登場するまで、
迷宮の城と言っても過言ではなかっただろう。

ただ、先生の研究によって
その歴史を知ることができるようになったとはいえ、
全貌が明らかになったわけではない。
解き明かされない謎は残っている。

いま、羽生城跡は何の変哲もない町の風景になっている。
遺構は何もなく、
そこが城跡と気付くことはできないと思う。
いま連載している記事「“羽生城”へ行きませんか?」で、
いずれ羽生城跡について書くつもりだが、
1度足を運んではいかがだろうか?
知らず内に迷宮に入り込んでいるかもしれない……


羽生城絵図


「武陽羽生古城之図」詞書の1部(写し)
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9月21日生まれの人物は?(国際平和デー・ファッションショーの日・宮沢賢治忌)

2008年09月21日 | 誕生日部屋
9月21日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

安倍晋三 (政治家)
スティーヴン・キング (作家)
正田英三郎 (経営者)
ビル・マーレイ (俳優)
H.G.ウェルズ 評論家・SF作家)
菱田春草 (日本画家)
佐々木ゆう子 (歌手)
高橋悠治 (作曲家・ピアニスト)
ジョー山中 (歌手)
菅原進 (歌手)
並樹史朗 (俳優)
松田優作 (俳優)

この日起きた事件は以下のとおりです。

日本法律学校(のちの日本大学)が開校(1890)
宮沢賢治死去。ゆえにこの日は“宮沢賢治忌”(1933)
東京三越呉服店で日本初のファッションショー開催。ゆえにこの日は“ファッションショーの日”(1927)
大相撲で土俵の4本柱を廃止。吊り屋根式に改造(1952)
横綱北の湖が通算勝ち星873勝で大鵬の記録を初めて更新(1982)
協和埼玉銀行が「あさひ銀行」に行名変更(1992)
プロ野球でフリーエージェント制導入(1933)
台湾大地震(1999)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“流行の先端をいく人”とのことです。
誕生花は「蛇の目菊」、花言葉は「私を見つめて」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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“羽生城”へ行きませんか?(52) ―羽生城兵の撤退―

2008年09月20日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
上杉謙信の命によって羽生城は自落した。
敵にみすみす城を奪われる前に、城を破却したのである。

大沼を背景に、堀と曲輪で形成された羽生城は、
石垣も天守閣もない砦のような城であった。
城内にどのような建物が建っていたのかは定かではないが、
破却はそう難しいものではなかっただろう。

羽生城兵は謙信に引き取られることになった。
謙信の書状には「千余人」を引き取ったとあるが、
これは膨張のきらいがある。
羽生を去る者がいれば、残る者もいた。
謙信の命によって派遣されてきた“斎藤盛秋”も、
羽生に残りのちに帰農している。

城を去った者が新たに配置されたのは、
上州の膳城と山上城である。
羽生城を破却した謙信は厩橋城へ戻っていることから、
城兵たちも共にしていたのかもしれない。
『小田原編年録』によると、羽生城兵の撤退のときに、
飯野城兵と一戦交えたらしい。

飯野城は、川向こうの群馬県板倉町飯野に所在している。
対岸には羽生支城の“堀の内城”がある。
『渋井氏家譜』によると、堀の内城主は“栢場源五郎吉家”であり、
その甥である“渋井越前吉元”が家老を務めていたという。
この渋井越前は、
「羽生之衆」(関東幕注文)に名を連ねる「渋江平六郎」と比定される。

おそらく羽生城兵は堀の内城へ赴き、
その裏を流れる利根川を使って羽生を撤退したのではないだろうか。
このとき、対岸の飯野城兵と干戈を交えた。
大きな合戦ではなく、小競り合い程度だったと思われる。
このとき敵をひとり討ち取ったとして、
謙信から陣羽織を褒美として貰った者もいる。

撤退する羽生城兵の中には、“菅原為繁”と“木戸元斎”がいた。
おそらく再び羽生に戻ってくることを誓って、
城をあとにしたであろう。
しかし、2人が羽生城を取り戻すことは2度となかった。
(続く)


堀の内(埼玉県羽生市名)
『武蔵志』に「古城堀の内」とあるが、現在その遺構はない。
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9月20日生まれの人物は?(空の日・バスの日)

2008年09月20日 | 誕生日部屋
9月20日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

王陽朝(儒者)
小田切秀雄 (文藝評論家)
麻生太郎 (衆議院議員(自民党))
小田和正 (シンガーソングライター)
すがやみつる (漫画家)
五十嵐淳子 (俳優)
石川ひとみ (歌手)
速水典子 (俳優・歌手)
鈴木砂羽 (俳優)
ソフィア・ローレン(俳優)
石井聖子 (歌手)
加藤隆志 (ミュージシャン・東京スカパラダイスオーケストラ)
ハルイチ (ミュージシャン・ポルノグラフィティ)
一青窈 (歌手)
堀江由衣 (声優)
安室奈美恵 (歌手)

この日起きた事件は以下のとおりです。

マゼラン、最初の世界周航に成功(1522)
浮世絵師喜多川歌麿が死去(1806)
明治天皇が江戸城に向けて京都を出発(1868)
日本初の営業バスが走る。ゆえにこの日は“バスの日”(1903)
日本生命保険が開設(1889)
山田猪三郎が開発した飛行船が東京上空を1時間にわたり初飛行。ゆえにこの日は“空の日”(1911)
東京六大学野球が始まる(1925)
第1回カンヌ映画祭開かれる(1946)
国産ロケット1号機発射成功(1957)
鈴鹿サーキット完成(1962)
林家三平が死去 (1980)
イチロー、過去最高の1シーズン200本安打を記録(1994)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“有能なマネージャー”とのことです。
誕生花は「玉簾」(たますだれ)、花言葉は「便りがある」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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“羽生城”へ行きませんか?(51) ―羽生・関宿城の落日―

2008年09月19日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
上杉謙信の目に羽生城はどう映っただろう。
孤立無援に追い込まれながらも、
羽生城将たちは謙信の救援を待っていた。

謙信が駆けつけたところで、
全てが改善されるわけではない。
後北条氏に属せば、自ずと忍城主成田氏の支配を受けることになる。
それは羽生城将らにとって、
落城も同然だったのかもしれない。
城を枕に最後まで戦い続けるつもりだったのだろうか?

関東で反北条の姿勢をとる武将はいるものの、
かつて11万5千余騎で小田原城を取り囲んだ勢いはもはやない。
謙信が帰国すれば、羽生落城は目に見えることだった。
みすみす敵に奪われるのを不憫に思った謙信は決断する。
城を破却し、羽生城兵を引き取ろうと……

かくして羽生城は自落する。
広田・木戸氏の羽生城時代の終焉である。
謙信は蘆名盛氏に宛てて次のように書き送った(「名将之消息録」)。

 武州・総州境羽生之地、謙信守手前ハ、内ゝ雖為可申付由、
 能ゝ見届候、第一浅地自味方百里内無之候条、守手前者、
 不見功所差置、徒ニ可為滅亡儀不便候間、従類千余人引取、
 羽生之地者越衆諸勢申付令破却

城の破却は「越衆諸勢」が行った。
ときに天正2年(1574)閏11月中旬のことであった。
それを目にした羽生勢はどう思ったことだろう。
このとき、羽生城主“木戸忠朝”は生きる望みを失って、
自害したとも考えられている。
嫡男の重朝もそのあとを追ったのかもしれない。

同じ頃、関宿城も後北条氏の手に渡っている。
北条氏にとって宿願の関宿陥落だった。
謙信と北条の対決は、これによりひとつの区切りがつく。
羽生と関宿の陥落は、北条氏政にとって余程嬉しかったのだろう。

 輝虎敗北、剰羽生自落并関宿も明日出城ニ落着、無残所遂本意候、
 御大慶察存候

と、小田氏治に書き送っている(「賜蘆文庫文書」)。
古河公方“足利義氏”には、
諸将から謙信の敗北を祝う品が届いていた。
ちなみに、関宿城主“簗田氏”は北条に属し、
水海城に移っている。
(続く)
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9月19日生まれの人物は?(苗字の日・子規忌)

2008年09月19日 | 誕生日部屋
9月19日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

加藤周一 (評論家・作家・医師)
小杉天外 (作家)
吉田忠雄 (経営者・YKK創業)
小柴昌俊 (天体物理学者)
小野寺昭 (俳優)
高信太郎 (漫画家・演藝評論家)
MALTA (ジャズサックス奏者)
一条ゆかり (漫画家『有閑倶楽部』)
井田由美 (アナウンサー)
加藤邦彦 (歌手・俳優)
高橋美紀 (声優)
桂歌助 (落語家)
山田秋親 (野球)
川本えこ (ラジオパーソナリティ)
TOMOKA (ミュージシャン(ZONE))
天田貴子 (俳優)
西川貴教 (歌手)
おさる (お笑い芸人)

この日起きた事件は以下のとおりです。

太政官布告により平民も苗字が許される。ゆえにこの日は“苗字の日”(1870)
正岡子規死去。ゆえにこの日は“子規忌”(1902)
ディズニー製作の「蒸気船ウィリー」が完成(1928)
ラジオで初の臨時ニュース、内容は満州事変の第1報(1931)
原水爆禁止日本協議会(原水協)結成(1955)
アメリカがラスベガスで初の地下核実験(1957)
種子島宇宙センターで初のロケット打ち上げに成功(1968)
埼玉県行田市の稲荷山古墳出土の鉄剣銘文115文字を解読(1978)
新宿駅西口で、中年の男がバスにガソリンをまいて放火する。6人が焼死(1980)
昭和天皇の容態が急変(1988)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“美的センスにこだわりをもつ人”とのことです。
誕生花は「女郎花」(おみなえし)、花言葉は「親切」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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“羽生城”へ行きませんか?(50) ―上杉謙信の侵攻Ⅱ―

2008年09月18日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
小山会談のあと、“佐竹義重”と別行動を取ることになった謙信は、
古河・栗橋・館林を蹂躙した。
そして、再び利根川を渡り、
騎西・菖蒲・岩付などの「武州敵地」を悉く放火する。

あくまでも“放火”であり、“決戦”ではない。
領民は城に籠もり、上杉勢が行き過ぎるのを待ったのだろう。
城兵もあえて決戦を挑もうとはしなかった。

謙信は猪突猛進のきらいがある。
幼少の頃は「直情径行」であったという。
かの“太田資正”は謙信を、
「十にして八つは大賢人、二つは大悪人ならん。怒りに乗じて為し給ふ所、多くは僻事なり。是悪しき所なり」
と評している(『名将言行録』)

また、北条氏康も怒りに駆られた謙信は手の施しようがないが、
ほとぼりが冷めれば「その勇釈然として万事において思慮あり」と評したという。
つまり、謙信と決戦を挑むより、
ひたすら嵐が行き過ぎるのを待つのが得策と考えたのだろう。
したがって、領地が放火されても、
城兵たちは一歩も城を出ず謙信をやり過ごした。

武蔵国で、謙信に恨みを持つ者はおそらく多くいたはずである。
特に、騎西領は永禄6年(1561)にも謙信の侵攻を受けており、
そのときの戦いは凄まじかったと伝えられる。
城に籠もった男女3千人余りが撫斬りとなり、
その光景は目も当てられないほどだったという。(『北条五代記』『関八州古戦録』)


騎西城跡(埼玉県騎西)に残る土塁。


騎西城の支城“油井城”(鐘撞山)。同県加須市油井ヶ島。
永禄6年の騎西城攻めの際、この城も落城したという。


油井城のそばに広がる油井ヶ島沼。

人々は謙信の来攻を恐れ、
ただ行き過ぎるのを待った。
騎西のみならず、各城がそうであっただろう。
約40日に及ぶ謙信の侵攻であったが、
結局干戈を交えることはなかった。
城外へ出る者はひともおらず、それは隠れているわけでもなく、
謙信の働きによるものだろうと、
謙信自身も蘆名盛氏に宛てて書き記している(「名将之消息録」)

そして謙信は向かう。
ひたすら自分の救援を待っていた羽生城に……
(続く)
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9月18日生まれの人物は?(かいわれ大根の日・満洲事変記念日・蘆花忌)

2008年09月18日 | 誕生日部屋
9月18日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

横山大観 (日本画家)
藤島武二 (洋画家)
土屋文明 (歌人)
内藤陳 (俳優・書評家)
神谷明 (声優)
五十嵐めぐみ (俳優)
土井隆雄 (宇宙飛行士)
うじきつよし (タレント・ミュージシャン)
森朗 (気象予報士)
グレタ・ガルボ (俳優)
Hiroshi (ミュージシャン(CASCADE))
中井貴一 (俳優)
石橋保 (俳優)
森本毅郎 (キャスター・アナウンサー)
井原正巳 (サッカー)
大貫亜美 (歌手)
稲本潤一 (サッカー)

この日起きた事件は以下のとおりです。

料金をめぐりロイヤル・オペラ・ガーデンの聴衆が暴動(1809)
ニューヨークタイムズ創刊(1851)
作家の徳富蘆花死去。ゆえにこの日は“蘆花忌”(1927)
満州事変が勃発。ゆえにこの日は“満洲事変記念日”(1931)
全日本学生自治会総連合(全学連)が結成(1948)
蔵前国技館が落成。相撲博物館開館(1954)
海老原博幸がボクシング世界フライ級チャンピオンに(1963)
哲学者サルトルと作家のボーボワールが来日(1966)
東京駅前に「八重洲ブックセンター」開店(1978)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“謎に満ちた神秘の存在”とのことです。
誕生花は「御辞儀草」(おじぎそう)、花言葉は「敏感」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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“羽生城”へ行きませんか?(49) ―上杉謙信の侵攻Ⅰ―

2008年09月17日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
天正2年(1574)10月、関東へ出陣した上杉謙信。
同月15日、謙信は上州の仁田山城を陥落させている。
まるで春の鬱憤を晴らすがごとく、
その攻撃はすさまじかったらしい。

 彼城ニ籠者共、一騎一人不残男女共に悉くなてきりニ成之候、

謙信は10月19日付で、“太田資正”にそう書き送っている(「太田文書」)。
11月7日には、利根川を渡って武蔵に侵攻。
怒濤の勢いで各領を蹂躙した。
まず鉢形・忍・松山に侵攻し、これを放火している(「那須文書」)。

 去七日利根越河、鉢形城下・成田・上田領悉放火

ちなみに、『成田記』や『関八州古戦録』には、
上杉謙信による忍城攻防戦が記されている。
謙信に向けて鉄砲を撃っても一向に当たらず、
金で作った弾でも虚しく空を切るだけで、
城兵たちを恐れさせたという話である。

『新編武蔵風土記稿』によると、
謙信はさきたま古墳群内の“丸墓山古墳”に登り、
忍城を一望したという。
これらの記録は天文22年(1553)や永禄12年(1569)とあるが、
天正2年の忍城放火の記述なのかもしれない。
このとき忍領の“須加城”も放火されたらしい。


丸墓山古墳から忍城を望む


須加城跡(埼玉県行田市須賀)。現在の須賀小学校と推定される。


同上


同上

謙信は再び利根川を渡って、嵐のように各領に侵攻した。
足利・館林・新田をことごとく放火(「那須文書」)。
小山城で“佐竹義重”と会談し、
共に関宿城を救援することついて話し合った。

ところが、義重の家中に謙信へ不信感を持つ者が、これに異を唱えた。
そこで、謙信と義重は独立して行動することが決まる。
関宿城の救援は佐竹義重が一任された(「名将之消息録」)。
謙信は再び利根川を渡って武蔵に侵攻。
再び各領を焼き尽くすのである。
(続く)
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9月17日生まれの人物は?(モノレール開業記念日・牧水忌)

2008年09月17日 | 誕生日部屋
9月17日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

正岡子規 (俳人・歌人)
東野英治郎 (俳優・初代「水戸黄門」)
松下正治 (経営者)
金丸信 (政治家)
中井英夫 (作家『虚無への供物』)
園田高弘 (ピアニスト)
曾野綾子 (作家)
橋爪功 (俳優)
ちあきなおみ (歌手・俳優)
嶋村由紀夫 (アナウンサー)
大島さと子 (タレント・俳優)
蝶野正洋 (プロレス)
ビスマルク (サッカー)
三瀬真美子 (タレント)
花島優子 (タレント)
小島可奈子 (タレント)
なかやまきんに君 (お笑い芸人)

この日起きた事件は以下のとおりです。

足利義満が初めて公方と称する(1396)
アメリカで飛行機事故犠牲者第1号(1908)
歌人若山牧水死去。ゆえにこの日は“牧水忌”(1928)
西日本に枕崎台風、死者・行方不明者2400人余(1945)
浜松町~羽田空港間の東京モノレール開業。以後この日は“モノレール開業記念日”(1964)
週刊マーガレット創刊(1965)
阪神江夏投手が354三振を奪い、シーズン最多記録を塗りかえる(1968)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“我慢と忍耐の人”とのことです。
誕生花は「チューベローズ」、花言葉は「危険な快楽」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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クニのウラ部屋雑記(29) ―ふじみ鮨―

2008年09月16日 | ウラ部屋
味覚の秋である。
自転車を走らせるにも一番いい季節だ。
ちょっと疲れたときに知らない店に立ち寄るのも、
秋の楽しみ方のひとつだと思う。

埼玉県行田市に「ふじみ鮨」という店がある。
高校生のときから知っているのだけど、
実はまだ一度も行ったことがない。
帰り道に行田を通るとき、
ときどき「ふじみ寿司」の前も通り過ぎる。

いつ創業なのだろう。
少なくとも、ぼくらが高校生のときにはあった。
高校時代、「ふじみ鮨」でバイトをしていた同級生がいた。
本気か冗談かよくわからないけれど、
「もしお店に来たら、メロンをおごってあげる」
と、言ったのを覚えている。

彼女の仕事は裏方ではなく、カウンターだったのだろう。
メロンを食べたかったわけではないけれど、
近い内に必ず行くつもりだった。
友だちにも声を掛け、一緒に行く約束もしていた。

しかし、高校時代の季節の移り変わりと、
20代のそれとは違う。
その後、思いがけない色々なことがあって、
結局「ふじみ鮨」には行けなくなってしまった。

予定や交わした約束が守られるのは、
実は思うより難しいことなのかもしれない。
一度それが崩れると、そうなるはずだった時間と、
現実の時間が生まれる。
それはときとして後々まで尾を引く。
そんなもうひとつの時間は、
誰もが抱えているものだろう。

以来、その人と言葉を交わすこともなくなった。
ケンカ別れでもなく、ただ寂しさが残った。
その人がいつまで「ふじみ鮨」で働いていたのかわからない。
結局ぼくは、店へ行くタイミングを完全に失ってしまった。
以来、そこへ行く話は一度も持ち上がっていない。
店の前を通り過ぎれば、
メロンをおごってあげるというその人の言葉が、
決まって聞こえてくるだけである。

その人は結婚して母親になったという。
きっとメロンのことなど忘れているだろう。
一緒にいた時間はとても短かったし、
言いようのない寂しさのわりにあまりに平穏だったから。

「ふじみ寿司」の周囲も新しい店が次々に建ち、
田んぼの中に立っていた店の看板もなくなった。
何の変哲もないところだけど、
そこを通り過ぎるたびに季節の移り変わりを感じる。

ところで、「ふじみ鮨」には本当にメロンが置いてあるのだろうか?
鮨屋なのに魚の話が全然出てこないのは変だけれど、
やはりメロンが気になる。
いつかふじみ鮨へ行きたい。
近い内か、それともまだ先か……
来店する“はず”だった時間が、
現実の時間に塗り替えられたら、
メロンではない何か別の物になるだろうか?


ふじみ鮨(埼玉県行田市)
コメント (2)
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9月16日生まれの人物は?(国際オゾン層保護デー・競馬の日・マッチの日)

2008年09月16日 | 誕生日部屋
9月16日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

渡邊崋山 (蘭学者・画家)
竹久夢二 (画家・詩人)
本郷かまと (長寿世界一のおばあちゃん)
古橋廣之進 (水泳)
B.B.キング (ブルース歌手・ギタリスト)
ピーター・フォーク (俳優)
ジョージ・チャキリス (俳優)
ミッキー・ローク (俳優)
宮川大輔 (タレント(チュパチャップス))
五味美保 (タレント)
樋口アンジェラ明日加(俳優)
森野いづみ (タレント)
杉田篤志 (歌手)
そのまんま東 (お笑い芸人)
内野聖陽 (俳優)

この日起きた事件は以下のとおりです。

薩摩藩主島津斉彬が自画像を撮影(1857)
モース博士が大森貝塚を発見(1877)
共立女子職業学校の設立(1886)
マッチの自由販売が認められる。ゆえにこの日は“マッチの日”(1948)
中央競馬会設立。ゆえにこの日は“競馬の日”(1954)
ニクソン元大統領が特赦される(1974)
日本人宇宙飛行士毛利衛がスペースシャトル「エンデバー」から初の宇宙授業(1992)
田村亮子がシドニーオリンピックで悲願の金メダル(2000)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“不屈の精神の持ち主”とのことです。
誕生花は「杜鵑草」(ほととぎす)、花言葉は「永遠にあなたのもの」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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