北埼玉には、地中に埋もれた古墳がある。
行田市の真名板古墳と酒巻古墳群、
羽生市の小松埋没古墳である。
なぜ埋没しているのかというと、
利根川の氾濫による土砂の堆積と、
関東造盆地運動と言われる沈降によるものと考えられている。
小松埋没古墳は、完全に埋没しており、
その形態が前方後円墳なのか円墳なのかもわかっていない。
石室は地表から1.2メートルのところにあり、
床面までは3メートルという深さだった。
土砂と沈降によって、古墳がまるごと埋まるのだろうか?
埋まる。
1回だけならともかく、
何度も水をかぶっていれば古墳など埋まってしまう。
金山町での災害救助支援で、
土砂を土嚢に詰めながらそう思った。
土砂の堆積と地面の沈降によって、
小松や酒巻に林立していた古墳群は、
地中にその姿を消したのだろう。
真名板高山古墳はいまでもそびえ立っているものの、
かつては120以上メートルもの巨大な古墳であり、
周囲には深さ2メートルもの二重堀が張り巡らされたのである。
このような古墳を埋めてしまう力が川にはある。
川は破壊者でもあり、恵みをもたらすものでもあった。
その川を制する者は、土地をも制することが可能となる。
真名板高山古墳の被葬者は利根川の水運と無関係ではなく、
それによる経済力と外交力があったと指摘されている(※)
川は、人々の生活と密接に結びついていた。
小松村の隣に位置する砂山村は、
川の氾濫によって荒れ地だったのだろう。
『新編武蔵風土記稿』によると、文禄年間に開墾が始まったという。
川は恐怖である。
しかし、幸でもある。
まるで神のような存在ではないか。
酒巻、小松、真名板の古墳たちは、
そんな川の水を何度もかぶったのだろう。
そして地中深くに眠ることとなった。
いまも地中に姿を消している古墳は間違いなくある。
そこに眠っているものは何だろう。
川の記憶か、それとも……
※参照文献
塚田良道、中島洋一「真名板高山古墳の再検討」
(「行田市郷土博物館研究報告」第4集、1997)
真名板高山古墳(埼玉県行田市)
酒巻古墳群(同上)
小松埋没古墳(同県羽生市)
※最初の画像は利根川の旧河道跡(埼玉県羽生市)
行田市の真名板古墳と酒巻古墳群、
羽生市の小松埋没古墳である。
なぜ埋没しているのかというと、
利根川の氾濫による土砂の堆積と、
関東造盆地運動と言われる沈降によるものと考えられている。
小松埋没古墳は、完全に埋没しており、
その形態が前方後円墳なのか円墳なのかもわかっていない。
石室は地表から1.2メートルのところにあり、
床面までは3メートルという深さだった。
土砂と沈降によって、古墳がまるごと埋まるのだろうか?
埋まる。
1回だけならともかく、
何度も水をかぶっていれば古墳など埋まってしまう。
金山町での災害救助支援で、
土砂を土嚢に詰めながらそう思った。
土砂の堆積と地面の沈降によって、
小松や酒巻に林立していた古墳群は、
地中にその姿を消したのだろう。
真名板高山古墳はいまでもそびえ立っているものの、
かつては120以上メートルもの巨大な古墳であり、
周囲には深さ2メートルもの二重堀が張り巡らされたのである。
このような古墳を埋めてしまう力が川にはある。
川は破壊者でもあり、恵みをもたらすものでもあった。
その川を制する者は、土地をも制することが可能となる。
真名板高山古墳の被葬者は利根川の水運と無関係ではなく、
それによる経済力と外交力があったと指摘されている(※)
川は、人々の生活と密接に結びついていた。
小松村の隣に位置する砂山村は、
川の氾濫によって荒れ地だったのだろう。
『新編武蔵風土記稿』によると、文禄年間に開墾が始まったという。
川は恐怖である。
しかし、幸でもある。
まるで神のような存在ではないか。
酒巻、小松、真名板の古墳たちは、
そんな川の水を何度もかぶったのだろう。
そして地中深くに眠ることとなった。
いまも地中に姿を消している古墳は間違いなくある。
そこに眠っているものは何だろう。
川の記憶か、それとも……
※参照文献
塚田良道、中島洋一「真名板高山古墳の再検討」
(「行田市郷土博物館研究報告」第4集、1997)
真名板高山古墳(埼玉県行田市)
酒巻古墳群(同上)
小松埋没古墳(同県羽生市)
※最初の画像は利根川の旧河道跡(埼玉県羽生市)