クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

代休の午後、足利市立図書館へ

2024年01月27日 | 歴史さんぽ部屋
1月某日。
半日代休をとって、足利へ足を延ばした。
ふと足利が思い浮かんだのは、気まぐれと思い付き。

午後の休みに史跡を訪れるのが好きだ。
半日だから、それほど遠くは行けない。
でも、定時よりは時間があるし、体力も残っている。

その町の図書館を訪れるのも好きなことの一つ。
足利は史跡が多い。
そのせいか図書館が死角になっていたことに気付く。

鑁阿寺や織姫神社には目もくれず、まっすぐ足利市立図書館へ行く。
同館の開館は昭和55年ということから、自分と同年代ということになる。
レンガ調の建物で、足利市らしい歴史的雰囲気の佇まいである。

その図書館のカラーを見るのに、自分は参考調査室・郷土資料室を基準にしている。
その館でしか出会えない資料がある。
地元の人が調べてまとめたものや、ガリ版刷りの報告書などがそれにあたる。
一方で、流通はしているが、一般書架にはあまり置かれない事典類や史料集、市町村史の充実度によって、その町の利用者や職員の顔が見えてくる(ような気がする)。

図書館2階は、学習室と参考調査室が併設されていた。
後者はカバンの持ち込みは不可で、筆記用具を持って入室する。
居心地のいい空間だった。
平日の午後というせいか、人もまばら。
個人机も設けられており、カウンターに申請すれば利用できる。

西奥の書架の一角は『大日本史料』で埋まっていた。
『平安遺文』『鎌倉遺文』も並んでおり、『戦国遺文』は後北条氏編が揃っている。
『栃木県史』はさることながら、県内の市町村史も書架に並んでいた。
『史籍集覧』『史料綜覧』『大日本古文書』『大日本古記録』の姿もあり、さすがは足利市。

気になる論文を見付けたので複写の申請をする。
対応してくれた職員も親切だった。
丁寧で説明もわかりやすい。
館もまた人である。
人の印象がいいと、また足を運ぼうという気持ちになる。

二階で書き物をして、外へ出たときは薄暗くなっていた。
足利から来ている同僚から、郷土資料館の話を聞いた。
今度は資料館へ足を運んでみよう。
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埼玉大学からの「卒業まで」

2024年01月25日 | コトノハ
調査報告検討会。
ムジナモに関する仕事で埼玉大学へ行く。
それぞれ専門的な観点から調査した今年度の結果を報告し合う。

毎年春先に開かれるこの会を楽しみにしている。
北浦和駅で下車してバスに揺られる。
金子康子教授の研究室のドアを開き、「知」に触れる。

この仕事をしていなければ、出会わなかった世界かもしれない。
静かな語り口調でも、その言葉の一つ一つが熱い。

冷たい風が吹き荒れていた。
そのせいとクスリを忘れたせいかもしれない。
一人になると、悲しいわけでも苦しいわけでもないのに時々にわか雨に見舞われる。

検討会が終わったあと、同大学の図書館へ足を運ぶ。
なぜだろう。
脈絡もなく、遠い記憶が浮かんでは消えていく。
書架に手を伸ばしても、つかみたいものはずっと遠くにある気がした。

混雑したバスに揺られて北浦和駅へ戻る。
駅前の居酒屋で雨宿り。
にわか雨に酒が効くときもあれば、荒天になることもある。
今回はそのどちらでもなかった。
持ち歩くカバンには常備薬をしのばせよう。

一人飲んでいたら、フォークギター調の綺麗な音色にふと肩を叩かれた。
検索してみると “僕が見たかった青空”の「卒業まで」という曲だった。

アオハルに弱い。
この年なのに。
この年だからなのか。
あの頃手を伸ばしてつかみたかったものは何だったのだろう。
グラスを傾け、鼻で笑った。
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日曜の雨は嫌い

2024年01月21日 | コトノハ
日々の忙しさでペースが崩れているのを感じる。
朝から雨が降っていた。
日曜の雨は嫌い。
いつも心を塞ぐから。

窓の外に城が見える図書館へ足を運ぶ。
館内は空いていた。
個人机に座り、書き物をする。

が、何もしたくない。
何も書きたくないし、読みたくない。
眠気がまとわりつき、離れそうもなかった。
軒から滴り落ちる雨をぼんやり眺めた。

こんな日もある。
早めに切り上げて、ランチに魚料理を出す店へ行く。
店内は賑わっていた。
なんでそんなに楽しそうなのだろう。
窓の外は冷たい雨が降っているのに。

出したクリーニングを取りに行く。
空いていたせいか、店員が珍しく話しかけてきた。
明るくて、元気で、クリーニングしたみたいに目がキラキラしている。
なぜそんなに明るいのだろう。
窓の外では重たい雨が降っているというのに。

帰宅して子らと過ごす。
妻は買い物へ。
文庫本2冊読む。
が、心は靄がかかったみたいにすっきりしない。

いつの間にか雨が上がっていた。
子らを連れて駅前の図書館へ足を運んだ。
そのついでに散歩をする。
借りた本を返却し、井伏鱒二や武田泰淳、安岡章太郎の作品と、ドストエフスキーの日記を拾い読む。

本は借りなかった。
これ以上重たくなりたくなかったから。
東の空にオリオン座が見えた。
親子三人、その星を眺めた。

日曜の雨は嫌い。
いつか終わりがやってくる。
始まりではなく終焉が。
そんな夜の重さに潰れそうになるから。
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背後から追いかけてくる

2024年01月16日 | コトノハ
時間が追いかけてくる。
バタバタと大きな足音を立てて、背後から迫ってくる。

どうしてこんなに忙しくなってしまったのか。
メインとなるのは、文化庁に提出する書類作成と郷土芸能発表会の準備。
前々から準備をしていたはずなのに、一気に芽吹いてきた感じ。

コーヒーを淹れたり、トイレへ行く時間さえもどかしい。
たまには机から離れて体を動かしたいし、ムジナモにも会いに行きたいのだが、時間がそれを許さず。

仕事のことで同期のTさんを訪ねる。
彼女は数字を取り扱っている。
机に広がる資料を一見するだけで、難しそうなことをやっているご様子。

そんなTさんは古墳好きだ。
顔を合わせると、古墳やハニワの話をしてくれる。
先日、さきたま古墳群(行田市)へ行ったらしい。
丸墓山古墳を登ると、あることに気付いたという。
南側の階段は99段、北側は104段あったらしい。
それが正式な段数か自信はないと前置きしつつ、何か意味のある数字なのではないかとTさんは話す。

ふむふむ、いい感じ。
心に余裕が失われつつあるだけに、そういう話に癒される。
いくつかの仮説が思い浮かぶが、それをここに記すのは野暮というものだろう。
ぶっとんだ仮説であればあるほど、(いまは)面白い。
夜になると、段数が逆転するなんて展開があればワクワクする。
楽しい話題を提供してくれたTさん、ありがとう。

寒風が吹き荒れる一日だった。
15日にS君が誘ってくれたラーメンランチを逃したのも返す返すも悔やまれる。
体も温かくしないと、心は冷え込んでいくばかり。

締切に追われても、残業しても、自宅の机(?)で過ごす時間は逃したくない。
思い付いたことをノートに書く。
小山清の短編「おじさんの話」や深町眞理子の『翻訳者の仕事部屋』を読む。

心がなごむ。
こんなときは、仕事にあまり関係のない本に親しみたい。
『ピーターラビット』や『マザーグース』が遠くで呼んでいる気がするのは、春の予感。

※最初の画像は二子山古墳
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西新田から熊谷へ、のち雪

2024年01月13日 | 歴史さんぽ部屋
羽生市内の西新田集会所で学級が開かれ、依頼を受けて講師を務める。
テーマは新郷地区の歴史と文化財。

少し早めに家を出て、羽生市上新郷に鎮座する白山神社を訪れた。
空は青く、午後から雪が降る予報が嘘のように晴れ渡っていた。

利根川の拡幅工事がすぐそこまで迫っている。
社殿はすでに南へ移動済。
土台だけを残す旧社殿は、いずれも土手下に埋もれてしまうのだろう。

ここに来るたび、あの年の秋を思い出す。
当時、境内には木々が鬱蒼と生い茂っていた。
高木が数本立ち、隠れ家的な雰囲気に包まれていた。
ここに加藤清正にまつわる伝説が眠っていることなど、当時は知る由もない。
明治43年の大水では、現在の白山神社から東手で堤防が切れたという。

中学生の頃や1994年の冬、土手中腹のサイクリングロードを使って利根大堰へ向かった。
そこを通るたび、意味深に視界に入ったのが白山神社だった。
あの頃の感受性をもって同社を見ることはできない。
そのサイクリングロードも間もなく姿を消す。

すぐに忘れられるだろうと思っていたものは、大人になったいまも記憶に残っている。
何気ないとき、ふとしたときにそれを思い出す。

忘れられるはずがない。
忘れることは、記憶が消えることと同義ではないからだ。
デティールは別にしても、記憶として残り続ける。
忘れるものがあるとすれば、当時の感性や感情、想いの方なのだろう。
だから痛みや苦しみは時間と共に和らいでいく。
流れる血は、少しずつ少なくなっていく。
あの頃のことをそのまま書こうとしても、リアリティが薄れるのはそのためだ。

残り続ける記憶はいまの自分を照射し、行動や心理に影響を及ぼしている。
なぜ、あのとき自分はそこにいたのか。
なぜ、あのようなことが起こったのか。
数百年、数千年前の歴史を読み解くより、時に自分の軌跡において起こったことの方が、解けぬ謎かもしれない。

土手上でそんな想いに耽ったあと、西新田集会所へ行く。
旧石器時代から現代まで、地域における歴史の流れを追う。
近現代に入ると、参加者が自分の体験したことを教えてくださった。
本には載っていない貴重な話ばかりである。
なお、参加者の一人に父をよく知っている方がいた。
年齢が父の一つ下だという。
あとで父に話してみよう。

終わったあと、上新郷の「いせや」へ行くのがお決まりのパターンだった。
町中の「伊勢屋」とは味が違う。
だから選べる楽しさがあったのだが、上新郷の「いせや」は閉店してしまった。
少し隙間風を感じつつ集会所を出た。

その後、埼玉県立熊谷図書館へ流れ着く。
机に座って書き物をする。
短編というか随筆というか、亡き考古学者に想いを馳せたもの。

県立熊谷図書館が取り扱うジャンルの一つは「歴史」だ。
書架の間に立つだけで論考の雨に打たれる思いがする。
さまざまな人がそれぞれの観点で論述している。

史料集もある。
特に、『大日本史料』で埋まった書架は圧を感じる。
確かではないが、映画「シン・ウルトラマン」で主人公が図書室とおぼしき場所ページを捲っているシーンがあったが、その背後の書架に埋まっていたのは『大日本史料』ではなかったか。
(ネットで検索したら、ロケ地は千葉県立図書館だったらしい)


さほど長居はせず、帰宅する。
夕方から急激に気温が冷え込み、窓の外を見ると雪が降っていた。
息子の提案で、「スーパーマリオブラザーズ」の映画を観る。
マリオ世代としては、結構面白く観ることができたと思う。
展開もスピーディで、畳みかけてくる。
ただ、クッパの魂の歌声を聴いてしまうと、なかなか耳から離れない。
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5度の期せずして

2024年01月12日 | コトノハ
羽生市内の須影小学校が創立されて150年が経つ。
最初は「日正小学校」という校名だった。
その150周年記念行事が執り行われる。
期せずして河田羽生市長と電話でお話をする。
今日はここから始まった気がする。
いつもと違う金曜日が始まる予感。
それにしても、150年という年輪の中に、我々も刻まれているかと思うと感慨深い。

午前、羽生郷土研究会からの依頼を受けて講師をさせていただく。
思えば、同会を知ってから20年が経つ。
20代半ばだった僕にとって、何にも代えがたいご縁だった。
右も左もわからぬ若造を優しく迎え入れてくれた。
羽生郷土研究会に育てていただいたようなものである。
自分が講師などおこがましい。
先日も、間仁田会長から資料をいただいたばかりだった。
今回も色々なことを教わり、逆に勉強させていただく。

午後、ずっとバタバタしていた。
コーヒーを飲む時間もなかった。
体が追いついていかない。
が、職場の皆様の助けにより、今日中に文書を発送し、書類上の直したい文言を修正し、割り出したい面積もヒントを得た。
感謝申し上げます。

歯科医院の予約時間の直前、期せずして同僚から連絡が入る。
急遽仕事の対応をする。
今日はこの思いがけないことが5度あった気がする。
最後は歯科医院で起こる。
歯科医のY先生が、拙著『歴史周訪ヒストリア』を以前から所蔵していただいたらしく、そこにサインをする機会を得た。

中学生、いや小学生の頃から診てもらっている先生である。
中学一年の春休み、手術が必要なものを見付けてくださったのがY先生だった。
もし発見が遅れていたら、春休み中に退院できなかったかもしれない。
以来、ずっとY先生にお世話になっている。
むしろ、こちらがサインをいただきたいくらいである。
その歯科医院を訪れるたび、1995年の冬に待合室で太宰治の『津軽』を読んだのを思い出す。
サインをいただくとしたら、『津軽』の中かもしれない。

医院を出たら、妙に力が抜けた。
その後は何もできず、羽生郷土研究で教えてもらった情報をコンパスに、ふらふらしただけだった。
思い付いて飲みに行こうとしたが、自らセーブをかけてしまう。
体が心に追いついていかない。

帰宅して、『『アリス・ミラー城』殺人事件』(北山猛邦、講談社文庫)を読み終える。
うーん、思いがけない結末。
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それでも午後はやってくる

2024年01月10日 | コトノハ
浮き沈みの激しい1日。
動くと凶が出る。
やることなすこと裏目に出る。
そんな日がある。

だから、じっと静かにしようと思う。
なのに、向こうから電話が鳴り、よくない知らせを伝えてくる。
聞きたくない情報を伝えてくる。
こんな日は、人里離れて電話も何もないところに籠っていたい。

が、全て沈んでいたかと言えば、いくつかの“浮き”があった。
昼休み、たまたまそば屋の「よしの」へ行くと、下羽生のS君とばったり会った。
息子と二人で食べに来たらしい。

会うのはいつぶりか。
息子さんはだいぶ大きくなっていた。
来年は中学生らしい。
S君の姪っ子は今年二十歳になったというし、「じい」「ばあ」と呼ばれる日もそう遠くないのかもしれない。

思わぬ対面に、ぎりぎりまで「よしの」で過ごす。
議員になったという同級生、自分も何度か顔を合わせたS君のコミュニティがいまも続いていること、自転車を買ったこと、単管パイプを7本買ったことなど、“今”と“昔”が交錯する。
道路交通法が適用されるのかわからぬ道(?)を、自転車で二人乗りした放課後が懐かしい。

店を出ようとすると、サザエさん的なアクシデントがあった。
偶然が偶然を呼んだらしい。
笑ったせいか、午前の重たい気持ちが軽くなった。

それでも午後はやってくる。
時間を追うごとに気持ちは沈み込んでいく。
立て続けにクスリを2錠飲んだが、底なし沼だった。

あえて動いたおかげでよかった点もある。
総じて仕事は進んだ方だろう。
が、こういうときに限って外部からの急なお願いがある。
足をすくわれた気持ちになる。

思い付いて、帰りに古城天満宮へ足を運んだ。
参拝者は一人もなく、境内は夜闇に包まれていた。
羽生城研究者の冨田勝治先生と出会ったのは、2004年の春だった。

自分は25歳で、先生は95歳だった。
あの頃の春が懐かしい。
もがき、書き散らし、生きていた。
そんな自分はまもなく45歳になる。
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よくわからぬものを……

2024年01月09日 | コトノハ
暮れから取り掛かっていた原稿を、台所でひと通り書き終える。
よくわからぬものとなった。

何を書きたかったのか。
何を考えたかったのか。
ただ、紙を文字で汚しただけではなかったか。
つまらぬ。笑えぬ。やりきれぬ。
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子をつれて“カスリーン公園”へ

2024年01月08日 | 歴史さんぽ部屋
冬休み最終日。
西風が吹き荒れる中、西へ向かう。
旧川里町(現鴻巣市)と行田。

書き物をする。
ペンをあれこれ変えず、万年筆一本でいく。
記憶の断片を切り取った文章を綴る。
エッセイというより散文詩か。

なぜか英文を読みたくなって、カーペンターズの「Rainy Days And Mondays」の詞を書き写した。
英文の詞を書写するなど初めて。
西風の影響か。

万年筆は書き心地がいいし、疲れない。
インクの色も綺麗だ。
なので、職場で書類を発送するときは、封書と一筆箋はなるべく万年筆を使っている。
鮮やかなインクの色とは違い、自分の字は綺麗ではないのが難点だが。

生活用品を買うのに、ベルク行田長野店へ立ち寄った。
店に入りかけた途端、同店で高校の同級生がバイトしていたかもしれないことを突如思い出す。
いや、気のせいか。
熊谷の結婚式場でもバイトしていた(と聞いた)のはぼんやり覚えている。
いかんせん二十歳過ぎのことで、実際に店舗で顔を合わせたことはなかったから、記憶は曖昧である。

「そういえばバイトしてなかったっけ?」と、さくく訊ければいいのだが、手繰り寄せる糸を自分は持っていない。
西に住む人だった。
同級生の中でも結婚したのは早かった気がする。
気軽に交わす会話が楽しかったのに、糸が切れた風船のようにどんどん遠ざかり、やがて見えなくなった。
泡沫に過ぎていく3年の月日は、例え風が吹かずとも、いずれ遠く離れるものなのかもしれない。

子をつれて北へ向かう。
旧大利根町(現加須市)の“カスリーン公園”は西風が吹き荒れていた。
冬休みの宿題に縄跳びと駆け足が残っているという。
わざわざ利根川の土手上へ足を運んだのは、父の気まぐれにすぎない。

土手下を流れる利根川は、冷たそうな色をしていた。
西には浅間山、北には男体山、東には筑波山、南には富士山がそびえたっていた。
風を遮るものがなく、かなり過酷な環境である。

が、息子は筑波山に向かって縄跳びをした。
鮮やかな空の下、小さな背中と筑波山の対比が絵になっている。
思わずカメラを向けてしまう。
息子は足が縄に引っかかりもせず、案外長い間跳んでいた。

よくわからない記憶として残るかもしれない。
娘は土手上の柵のところまでダッシュ。
寒いと言いつつ、笑いながら走っていた。
少なくとも、大人よりは寒そうではない。

大利根図書館を経由して帰路に就く。
心和む図書館である。
今年もよろしくお願いします。

図書館から西へ向かうと、新しい道路が開通していた。
アクセスがだいぶいい。
『古利根川奇譚』(まつやま書房)を書いていた頃に比べると、町がだいぶ変わってきていることを感じる。
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子はわからぬ父の二十歳の写真

2024年01月07日 | コトノハ
羽生市の「二十歳の集い」(成人式)は、産業文化ホールで開催された。
ので、出勤する。
今年は受付係を担当。
昨年は新型コロナにかかって迷惑をかけたので、万難を排して臨んだ(つもり)。

仕事の都合上、毎年のように成人式を目にする。
そのたびごとに、二十歳の自分と再会する。
髪を染め、ピアスをして、タバコを吸っていたあの頃。
まるで別人である。
その頃の写真を子に見せたら、父親がどれかわからなかった。

二十歳の子たちに、もはや知っている顔はない。
知っている顔があるとすれば、同伴の保護者の方だろう。
子どもが二十歳を迎えた同級生を何人か知っている。
それが自然な年齢に達してしまった。
今回は知っている顔は見当たらず。
たまたまか、単に気付かなかっただけか……。

式は無事に終わり、昼に解散となる。
そのまま羽生図書館へ足を運ぶ。
今年初めての入館。
「二十歳の集い」の華やかさと賑やかさとは異なり、館内は地味でとても静か。

書架を見て回る。
いま、心の琴線に触れるのが何なのか、意外な書架に着地する。
が、よく考えればそうでもなかった。
自分が10代だった90年代に端を発している。
遠く離れても、いまだ過去とつながっている。
過去が現在を照射する。

一旦帰宅。
案外疲れていたらしく、ウトウトする。
録画した「映像の世紀 プレミアム」を息子が観始めたので、つい引き込まれてしまう。
東京オリンピックの開催年の映し出したもの。

過去の積み重ねの上にいまがあるということがよくわかる。
時間の大きな流れと、うねりを感じるのが好きだ。
それは命の熱さに触れるからなのかもしれない。
現在、命を燃やしている我々はどんな未来を築いていくのか。
「映像の世紀」はそんな問いを投げかけてくる。

二十歳の子たちが二次会を始めたであろう時間帯に加須中央図書館へ行く。
やはり静か。
琴線に触れる本を手に取ってキーワードを拾っていく。
少し書き物もした。
が、考えは迷走し、まとまらない。

今夜からスタートの大河ドラマ「光る君へ」を観る。
意外と、息子と娘は最後まで黙って観ていた。

「お前が男に生まれればよかったのに」
そんなセリフが出てきた。
ドラマ終了後に『紫式部日記』を開き、その根拠となっている記述を子らに見せる。
ドラマとはいえ、歴史ものは資料を基に描かれている。
そのことを肌で感じてもらおうとしたが、時期尚早か。
大きくなって思い出してくれればよい。

ついで、久しぶりに『藤原道長「御堂関白記」』(講談社学術文庫)を開く。
以前買ったきり読み通しておらず、使ったこともない。
始まった「光る君へ」をきっかけに、脳が「あれ、ここは重要じゃね?」と反応するようになるだろうか。
と、思うのは『すごい脳の使い方』(加藤俊徳、サンマーク出版)を読んだから。
この本は、大人になっても学び続ける人にとってはヒントをもらうだろう。
生涯学習社会の観点からも参考になる。

二十歳という年齢を、「もう」と思うか「まだ」と感じるか。
一つのゴールと感じている二十歳は少なくないかもしれない。

では、いま自分が置かれている立場はどうか。
「まあいっか」と思うか「まだまだ」と意気込むか。
どちらでもいいと思う。
ただ、後者を選ぶ人は、未来を変えていく可能性が高い。
現在、この瞬間、どれだけやるか。
思い描く像が未來へ結びつていく。
40代半ばの自分には耳の痛い話ではあるが。
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子をつれて“新田義貞供養塔”と“金山城主墓碑”へ

2024年01月06日 | 歴史さんぽ部屋
冬休みも残りわずか。
今時の小学生は、タブレットを使っての宿題がある。
しかもタイピング練習。
自分が小学生のときは「タ」の字もなかった。
時代に合わせた教育が考えられているわけで、先生たちも大変だなと思う。

子の宿題に付き添いながら原稿を書く。
脳におけるゴールデンタイムは午前中にある。
宿題も午前にあてた方が能率はいいかもしれない。

妻が娘を習い事へ連れて行ったので、息子と出掛ける。
羽生の「伊勢屋」で昼食をとる。
今年初のラーメン。
店内には、明日の「二十歳の集い」に出席するため帰省中とおぼしき若者が多かったような……。

その後、群馬県太田市へ足を運ぶ。
金龍寺で新田義貞の供養塔と、金山城主由良氏(横瀬氏)の墓碑を詣でる。
お寺やお墓へ足を運んだ際は、本殿と墓碑にそれぞれ手を合わせるようにしている。
親子並んで合掌した。

息子が墓碑を指差したので、それは失礼にあたることを伝える。
人を指差すことと同義である(と思っている)。
マナーにもいろいろあるが、相手を敬う心は持っていたい。
ということが、息子に伝わったかな。

金龍寺から“史跡金山城跡ガイダンス施設”は近い。
金山城の発掘調査を基にした展示構成となっている。
文献だけではこの施設はできなかっただろう。

コントローラーを持ち、画面上で金山城を自由自在に散策する「城ナビ」がある。
これが息子の心をくすぐったらしい。
飽きずにしばらく金山城散策を満喫していた。

ふと、岐阜城下の資料館だったか、同じようにコントローラーで操作しながらCG散策したのを思い出す。
コントローラーはなかったが、七尾城の資料館ではCGで再現された同城が映し出されていたのが印象的だった。
今時の展示方法だろう。
博物館学における展示論も、時代に合わせて変わっていくに違いない。

ガイダンス施設を出たのは五時近かった。
展望台にも本丸にも足を運ばなかった。
そのまま帰路に就く。

金山城に関する参考文献は多い。
帰宅後は、とりあえず『群馬県史』の横瀬氏や由良氏の項を再読する。
いずれ、どの県史や市町村史も気軽にデジタルで読める時代が来るのだろう。
(国会図書館ではそのサービスを始めている)
文庫化したら面白いのだが……
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資料館からやってきた「茨城城郭サミット」

2024年01月05日 | コトノハ
郷土資料館のY氏と今年初めて顔を合わせる。
2月10日に開催される「茨城城郭サミット」のチラシを持ってきてくれた。

副題は「茨城県中世城郭跡総合調査成果報告会 ―県央・県西編―」とあり、
2018年度から開始された総合調査が2023年3月に完了したのを受け、
携わった研究者が一堂に会し、その魅力を報告するという。

三が日に茨城県の逆井城(坂東市)へ行き、茨城の風に吹かれてきたばかりである。
行きたい。
が、2月10日は郷土芸能発表会のリハーサルが入っている。
作家京極夏彦氏の講演会が、さいたま文学館で開催されたときと同じパターンである。
100歩譲って、埼玉県内ならかろうじて行けるかもしれないが、会場が茨城県笠間市では手も足も出ない。

職場の窓から、ぼんやりかすむ筑波山が見えた。
筑波山はいつ見ても美しい。
手の届かぬ憧れの人のようである。

それにしても、同僚のO氏といい資料館のY氏といい、自分に関連の情報があると持ってきてくれる。
ありがたし。

同期のO氏から電話を貰う。
仕事の話だったが、余談として紅白歌合戦を見に行ったと聞いた。
たまたま抽選が当たり、2023年大晦日に会場へ足を運んだという。
「あいみょんの歌を聴いてきたよ」と、彼は言った。
あいみょんが歌ったのは、連続テレビ小説「らんまん」の主題歌「愛の花」。

持っている。
「らんまん」効果で、去年の宝蔵寺沼ムジナモ自生地(羽生市)は大盛況だった。
その締めくくりに、生の「愛の花」を聴いたO氏はさすがと言える。
個人的には、伊藤蘭さんの「春一番」を含むキャンディーズメドレーを見たかった気がする。
(でも、あれは会場が別だったかな)

年が明けたせいか、ふとしたところに春の気配を感じる。
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仕事始めに大阪の古墳とハニワの話

2024年01月04日 | コトノハ
仕事始めの日。
道は案外空いていた。
子らを実家に預ける。
両親に感謝。

仕事納めの式がつい昨日のことのように感じる。
能登半島地震と羽田空港事故の話題が何度も出た。
「よいお年を」と言っていた年末、まさかこんな年明けになるとは思いもしなかった。

今週末には、成人式ならぬ「二十歳の集い」が待っている。
担当する係はバタバタ忙しそう。
担当者はこの大きなイベントを見据えて年末年始を迎えたことになる。
仕事のできる人は段取りをしっかり組んで、オンとオフを使い分けているのだろう。

連絡ボックスの前で同期のTさんに会う。
大阪で開催された息子の試合に付き添いつつ、密かに狙っていた古墳訪問を成就できたという。
足を運んだのは、大阪府藤井寺市にある古墳。
(正式名称は裏を取ってから書こう)。
地震の影響はなかったらしい。
古墳とハニワの話をする彼女はキラキラしている。
お肌が艶々して見えるのも気のせいではないだろう。
Tさんのその好奇心と行動力にあやかりたい。

今年も初日から歴々(歴史歴史)していた気がする。
同じフロアのHさんと、豊国廟や金龍寺の由良氏墓碑、足利市が3億円で購入した「山姥切国広」や平将門の首塚、歴史上における怨霊の話題が出る。
向かいのSさんとは、大河ドラマや石打こぶ観音、加須の不動尊などの話をした。
歴史は世代を超えて話ができるのがいいところだと思う。

一時期、歴史の話題を出しても誰からも関心を持たれなかったことがある。
自分自身、何でこんなものに関心があるのだろうと思っていた。
もっと若者らしい一般的なものでいいのに、と。
小学生の息子は、我々両親がそう育ててしまったのか、歴史の話題を出すことが多い。
しっかり受け止めてあげようと思う。

実家でたくさん遊ばせてもらったのか、娘は帰宅途中に寝てしまう。
そのまま爆睡。
帰宅してパソコンを立ち上げ、昨日書いた分の原稿を読み返しながら手を入れる。
眠くなる。
夜の7時~10時における推敲は、チェックする目が他の時間帯より厳しくなっている気がする。
10時以降は、逆に夜に酔って甘くなる。

厳しい目だとストレスがたまり、眠気を誘う。
眠気覚ましに『鉄の骨』(池井戸潤、講談社文庫)を開いたら止まらなくなった。

 (前略)だからね、好きなことしなさい。そして、気が済むまでやること。そうじゃなきゃ後悔するわ。後からやろうなんて、結局は無理なの。人間いましかできないことっていうのがある。それをやらなきゃね(『鉄の骨』最終章より)

いいこと言う。
子どもが大きくなって道に迷ったとき、自分はこれと同じことが言えるだろうか。

小説読書の勢いを落ち着かせるべく、『日本伝奇伝説大事典』(角川書店)の平将門の項を読む。

※最初の画像は群馬県の古墳
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三が日の羽生とイオン

2024年01月03日 | コトノハ
年賀のあいさつに実家へ行く。
妹一家も来て、子どもたちはいとこたちと楽しそうに遊んでいた。
自分の幼い頃の記憶と重なる。

母方の実家の祖母が亡くなったのは昨年だった。
わかってはいるが、1980年代の正月の光景はもう二度と見ることはできない。
幼い頃に見た祖父母の笑顔が消え、心の隙間を感じる。

いまの住まいで使用頻度が少なくなった本を実家へ持っていく。
代わりに必要になった本を持ち帰る。
2冊、行方不明の本がある。
実家にあると思っていたが、どうしても見付からない。
(逆に重複して買ってしまった本が発覚)
一体どこへ行ってしまったのだろう。
必要なときに限って、神隠しが起こるのはなぜなのか。

空は朝から薄曇りで気分が塞ぐ。
昨日の余熱を逃さず、『茨城県史 通史編』と、国衆を論じた埼玉県内の市町村史を再読する。
どこかへ足を運ぶと、目に映る景色から素朴な「なぜ」の視点が生じる。
その疑問を持って本を紐解くのが好きだ。
場の空気がそうさせるのか、「鉄」ならぬ“関心”が高まる。
その熱を逃さず、打つべし。

県史や市町村史、論文の類は基本的にお堅い。
食後に軽く何かを読むというとき、手を伸ばすには気怠い(個人的に)
なので、出掛けた先の光景や体験、疑問を大切にしている。
それが道しるべとなり、読み取るべき情報が明確化するから、県史や論文が推理小説の解答編のように読みやすくなっているのがチャンスである。
浴びるように読みたい。

なお、アウトプットのタイミングは表現の形態によって変わる。
エッセイならば書けなくはない。
が、論文となるとさらなる調査が必要になる。
茨城県立図書館へ行ったり、ほかの史跡を見て回りたいが、明日から仕事はじめ。
心に生じた熱は、生活の忙しさに紛れて次第に冷めていくのだろう。

原稿を書いていたら、読む時間が少なくなった。
時間は限られている。
休日“だけ”1日30時間くらいあると助かるのだが。

羽生のイオンは激しく混んでいた。
周囲の道も渋滞していた。
人が集まるということはいいことである。
羽生で福を見付けてほしい。
羽生で心をポカポカにしてほしい。
サービスカウンターでTさんを見かけたが、多忙そうだったので声はかけられなかった。

実家で今年初めてお酒を飲む。
すると、しゃっくりが止まらなくなった。
たまにこういう現象が起きる。
よく先輩から笑われた。
体質的なものだから仕方がない。
78回目のしゃっくりで予言を言う。
今度、そんな売りで話してみようかな。
内田百閒のような小説が書けるかもしれない。
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子をつれて逆井城

2024年01月02日 | 歴史さんぽ部屋
午前中はどうしても動けなかった。
クスリが効きすぎたか。

妻が職場へ行く用事があり、家に籠っていると気持ちが塞ぎそうだったから、子をつれて出掛ける。
会心の一撃は狙わず、何とはなしに逆井城(茨城県坂東市)へ足を延ばした。
この城跡は、二重櫓や物見櫓が再現されているほか、堀や土塁も現存している。
平城でここまで現存・整備されているということは、地元の人たちが尽力したからなのだろう。

城跡へ足を運ぶときは歴史と対話し、静かに内省したい。
が、子ども2人をつれてはなかなか難しい。
息子が歴史好きと言っても、織田信長や徳川家康といった歴史的有名人が出てこない城にはピンとこないらしい。

ひと通り城跡を歩いたが、ずっとお囃子を聞いているようなものだった。
携えてきた『猿島町史 資料編』と『関八州古戦録』はチラリと見た程度。
車に戻った途端「喉が渇いた」と異口同音に言うので、すぐに本を閉じて出発した。

下妻城や古河城を射程に入れつつ、関宿城(同県野田市)の見える公園へ行く。
子どもの目にも関宿閘門は迫力があったらしい。
城跡よりもテンションが上がっていたかもしれない。
栗橋城(同県五霞町)は断念。
帰路に就く。

帰宅後、逆井城址で見た“鐘堀池”を機に、久しぶりに『日本伝奇伝説大事典』(角川書店)を開く。
境界と異界を強く意識する。
逆井城へ向かう途中、利根川を目にしたせいもあるかもしれない。
ついでダンテの『神曲 地獄篇』(平川祐弘訳、河出文庫)を読み返す。
春の足音がかすかに聞こえた気がした。

インターネットで痛ましい事故のニュースに触れた。
昨日の地震といい、暗澹とした気持ちになる。
能登半島地震関連のニュースと映像は、地震の凄まじさを伝えている。
亡くなられた方たちのご冥福をお祈りします。
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