クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

「新説!?日本ミステリー」。“さきたま古墳群”には誰が眠る?

2008年04月30日 | 考古の部屋
――関東には謎の巨大国家“日本王国”がある。
そんな仮説で調査が進められているテレビ番組「新説!?日本ミステリー」(テレビ東京)。
その昔、“王”なる者が存在し、
大和政権に対抗しうる力を持っていたのかもしれません。

“さきたま古墳群”(埼玉県行田市)をはじめとする武蔵には、
古墳が数多く所在。
その多くは利根川沿いに分布しています。
かつての川は交通の動脈です。
川の流れを利用して物資が運ばれる一方で、
西国で破れた一族が関東に落ち延び、
集落を築いたとも考えられます。

ところで、昭和43年に“稲荷山古墳”から出土した“鉄剣”に、
銘を発見したのは同53年。
出土した鉄剣は全体が錆びており、
偶然発見されるまで10年の歳月を要しました。
その後は世紀の大発見と大きな話題になります。
いまや教科書にも登場し、
考古ファンの心を惹きつけてやみません。

その鉄剣に施された銘文によれば、
剣を作らせたのは“乎獲居臣”(をわけのしん)という人物です。
この人物が誰なのか定かではありません。諸説に、

①中央に出仕した武蔵の豪族。鉄剣を武蔵に持ち帰り、死後に共に埋葬された。
②中央の豪族。武蔵に派遣されてきて、同地で死去、埋葬。
③中央の豪族ヲワケに仕えた武蔵の臣。鉄剣を貰い武蔵で死去、埋葬
④その他
などがありますが、
眠れる新説は多くあるでしょう。
歴史ミステリーのひとつに数えられます。

歴史は“過去”を対象としているようで、
日々変化しているのが魅力です。
特に、歴史ミステリーは現代を生きる我々の想像力をかき立ててやみません。
謎は深淵で、単なる答え探しではなく、
世界はどのように成り立ち、今後どうあるべきか、
あるいは自分とは何者かという問いに繋がっていきます。
まさに「愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ」(ビスマルク)です。

さて、関東には本当に“日本国家”なるものがあったのでしょうか?
さきたま古墳群内においても、
ひときわ大きな“丸墓山古墳”や“二子山古墳”は発掘調査が行われていません。
果たして誰が眠り、
どんなものが眠っているのか……。

謎に考えを張り巡らし、ときに仮説を立てる。
その真偽はともかくとして、
古墳という一見単なる土の山は、
不思議な輝きを放ち始めます。


丸墓山古墳に続く道。
これは戦国時代に忍城を水攻めにすべく、
“石田三成”が築いた堤(石田堤)の1部です。


金錯銘鉄剣が出土した稲荷山古墳頂


二子山古墳

参照URL
埼玉県立さきたま史跡の博物館
http://www.sakitama-muse.spec.ed.jp/top-page/home.html
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4月30日生まれの人物は?(図書館記念日)

2008年04月30日 | 誕生日部屋
4月30日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

フィリップ3世(国王)
メアリー2世 (国王)
カール・フリードリヒ・ガウス (数学者・物理学者)
クロード・シャノン (工学者)
伊藤雅俊 (経営者・イトーヨーカ堂設立)
亀井善之 (政治家)
ラリー・ニーヴン (SF作家)
Mr.オクレ (タレント・俳優)
黒田秀樹 (映画監督・CMディレクター)
沖直美 (俳優)
久美沙織 (小説家『丘の家のミッキー』)
キルスティン・ダンスト (俳優『ヴァージン・スーサイズ』)
ATSUSHI (ミュージシャン(EXILE))
常盤貴子 (俳優)

この日起きた事件は以下のとおりです。

法隆寺が全焼(670)
源義経死去(1189)
足利尊氏没死去(1358)
日本初女子修道院トラピスト修道院創立(1898)
軍艦マーチ神戸沖の観艦式で初演奏(1900)
東京女子大学開校(1918)
ヒトラーベルリンで自殺(1945)
ソニーが世界初トランジスタテレビ発売(1960)
ベトナム戦争終結(1975)
植村直己、世界初単独北極点到達(1978)
アイルトンセナがレース中事故(1994)
細川護煕元総理突然議員辞職(1998)
「図書館法」公布。ゆえにこの日は“図書館記念日”(1950)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“義務を負いすぎる人”とのことです。
誕生花は「カルミア」、花言葉は「優美な女性」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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羽生の桜の下には……(47) ―清水卯三郎の生家跡(おまけ7)―

2008年04月29日 | ふるさと歴史探訪の部屋
現在、清水卯三郎の墓碑がある寺は、
埼玉県羽生市北2丁目に所在する“正光寺”です。
清水家代々の先祖も同寺に眠っており、
中でも清水誓信夫妻の墓碑は市の文化財に指定されているせいか、
清水家ゆかりの寺のイメージが強いですが、
さらに関係の深い一族がいます。

それは羽生城主の一族。
正光寺は“羽生城主の母”が天文12年(1543)に開基したと伝えられる寺です。
由緒書には「此段創建之儀羽生城主木戸右衛門太夫母儀開基ト申傳候」とあります。
この母が没したのは弘治2年(1556)8月16日。
法号は“廣應院殿月清正光大姉”で、
境内にはその廟所と伝えられる石仏観世音が建っています。

この正光寺に隣接して鎮座するのは“大天白神社”。
ここは“羽生城主の奥方”が、
弘治3年に安産祈願のために勧請したと伝えられています。
奥方はその後どのような人生を歩んだのか定かではありません。
城が落城する際、沼を渡って落ち延びたという伝説がありますが、
羽生城は“落城”ではなく“自落”です。

ところで、この正光寺と大天白神社が所在する“簑沢”には、
“竹の内”という小字があります。
これは「館(たて)の内」の転訛であり、
かつてここに館があったことを匂わせています。
この通称“簑沢館”に誰が住んでいたのかというと、
正光寺と大天白神社が隣接してあることから、
どうやら羽生城主一族のようです。

最初、簑沢館に居館していた彼らは、
情勢に応じて東へ城を拡張していったのかもしれません。
いわば、簑沢館は羽生城の前身です。
「竹の内」と称す家は正光寺から東南約100mのところにあり、
その付近を流れるやや深い堀は、
簑沢館の堀跡の1部とも考えられます。


簑沢館の堀の1部か



“上杉謙信”に属し、その姿勢を最後まで貫き通したと言われる羽生城。
何度か後北条氏に属したという説もありますが、
上杉謙信と関係のあった城であることは間違いありません。
天正2年(1574)閏11月、城の維持を望めないと判断した謙信は、
城を破却し城兵を引き取っています。

この羽生自落と同じ頃、「一国を得るに等しい」と言われた関宿城も、
後北条氏によって落城。
北条にとって関宿城攻略が先決であり、
羽生城は“北条氏繁”が担当していました。
独立性の強い忍城主“成田氏”も、
隣で睨みをきかせています。
もし関宿落城後も羽生城が存続していたなら、
激しく槍玉に挙がっていたことでしょう。

しかし、関宿・羽生両城は同時に陥落。
第4代小田原城主“北条氏政”は念願を果たし、
小田氏治に宛てて次のように書き綴ります(賜蘆文庫文書)。

 輝虎(謙信)敗北、あまつさえ羽生自落、並びに関宿も明日出城に落着。
 残るところ無く本意を遂げ候

羽生城主木戸忠朝は戦死したか、
あるいは生きる望みを失って自害。
かくして、木戸氏の治める羽生城時代は終わりを告げました。

後北条氏も天正18年(1590)に豊臣秀吉によって滅亡。
北条の家臣だった清水家は元和年間に羽生に移ると、
簑沢村に家を構えます。
そして、寛永6(1629)に元羽生城家臣の酒井家と湯本家の誘いに応じ、町場へ移転。
それから200年後の文政12年(1829)3月4日、
清水卯三郎はこの羽生で産声を上げるのです。
(「清水卯三郎の生家跡(おまけ)」了)


「開基木戸右衛門太夫母儀廟所ト申傳石佛観世音造立有之候」(由緒書より)


正光寺参道
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4月29日生まれの人物は?(昭和の日・羊肉の日)

2008年04月29日 | 誕生日部屋
4月29日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

昭和天皇 (124代天皇)
粟津高明(牧師・日本基督教会設立)
デューク・エリントン(ピアニスト・作曲家『A列車で行こう』)
武田長兵衛(実業家・武田薬品創業)
中原中也(詩人『山羊の歌』)
牧羊子 (詩人)
安倍晋太郎 (衆議院議員)
田中小実昌(小説家『浪曲朝日丸の話』)
岸田今日子(俳優)
ズービン・メータ (指揮者)
蓮貫重彦 (フランス文学者・評論家)
原田泰治 (画家)
アンドレ・アガシ(テニス)
ユマ・サーマン(俳優『キル・ビル』)
二岡智宏 (野球)
千代大海 (相撲)
一色紗英 (俳優)
田中裕子 (俳優)

この日起きた事件は以下のとおりです。

米国で世界初電車開通(1851)
夕張炭坑爆発事故267名全員死亡(1912)
山下泰祐19歳で柔道全日本チャンピオン(1977)
ヒッチコック監督死去(1980)
天皇誕生日「みどりの日」に(1989)
海部俊樹首相がASEAN諸国歴訪(1991)

※4(よう)2(に)9(く)からこの日は“羊肉の日”

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“イメージ作りの達人”とのことです。
誕生花は「杜若」(かきつばた)、花言葉は「幸福はきっと貴方のもの」
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“ムジナもん”と遊びませんか?(24) ―こどもまつり―

2008年04月28日 | ムジナもんの部屋
今年もゴールデンウィークに開催される“こどもまつり”。
場所は“キヤッセ羽生”です。
(埼玉県羽生市三田ヶ谷1725)
さきたま水族館の隣に所在し、
祭りと水族館の両方が楽しめるでしょう。
こどもまつりの概要は以下のとおりです。

<キヤッセ羽生 こどもまつり>
期日:5月3日(土)~5月5日(日)午前10時~
会場:キヤッセ羽生(埼玉県羽生市三田ヶ谷1725)
内容
 5月3日:風船ショー・エレクトーン演奏・こども剣詩舞
 4日(日):加須騎西吹奏楽団
 5日(月):ヒップホップダンス・子どもの歌コンサート(埼玉純真短期大学)

なお、こどもまつりでは“ムジナもん”と
“いがまんちゃん”の着ぐるみが登場する予定です。


いがまんちゃん(左)とムジナもん(右)の着ぐるみ

ちなみに、ムジナもんのシッポは“ムジナモ”です。
ムジナモとはミジンコなどを食べる食虫植物。
根はなく、水の上をプカプカ浮かんでいます。
稀に花を咲かせることがあり、
それは「幻の花」と言われています。

以前は日本各地に生息していましたが、
現在は羽生市三田ヶ谷でしか自生していません。
ゆえに、ムジナモが自生している“宝蔵寺沼”は、
国の天然記念物に指定されています。

その宝蔵寺沼は、さいたま水族館とキヤッセ羽生のすぐそばに所在。
一般の方は立ち入り禁止ですが、
ムジナモはさいたま水族館で見ることができます。
この機会にムジナもんのシッポでもあるムジナモの、
本家本元を見てみてはいかがでしょうか。


ムジナモ


まれに開花するムジナモの白い花
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4月28日生まれの人物は?(缶ジュース発売記念日・サンフランシスコ講和記念日)

2008年04月28日 | 誕生日部屋
4月28日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

エドワード4世 (国王)
佐伯祐三 (洋画家)
ゲーデル (数学者)
サダム・フセイン (大統領)
メアリー・マクドネル (俳優『ダンス・ウィズ・ウルブス』)
玄侑宗久 (小説家『中陰の花』)
ミシェル・ファイファー (俳優『危険な関係』)
麻生詩織 (歌手)
辻元清美 (政治家)
生稲晃子 (歌手・俳優(おニャン子クラブ))
松下里美 (歌手)
ペネロペ・クルス (俳優『ウーマン・オン・トップ』)

この日起きた事件は以下のとおりです。

大坂夏の陣始まる(1615)
清の商人が日本に初めて象を献上(1729)
日本銀行、永代橋の近くで営業開始(1883)
ブラジルの第1回移民783人出発(1908)
サンフランシスコ平和条約安保条約発効。ゆえにこの日は“サンフランシスコ講和記念日”(1952)
NHK放送終了時に「君が代」放送開始(1952)
明治製菓が日本初の缶ジュース・明治オレンジジュースを発売した(1954)
日本がOECD経済開発協力機構に正式加盟(1964)
返還を求めて沖縄デー(1969)
任天堂のゲーム機「ゲーム&ウォッチ」発売(1980)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“揺るぎない信念をもつ人”とのことです。
誕生花は「山桜桃梅」、花言葉は「郷愁」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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羽生の桜の下には……(46) ―清水卯三郎の生家跡(おまけ6)―

2008年04月27日 | ふるさと歴史探訪の部屋
小説『田舎教師』ゆかりの羽生に訪れた3人の小説家。
すなわち、川端康成・横光利一、片岡鉄平は昭和13年4月14日に、
埼玉県羽生市に赴きました。
そして、清水卯三郎の生家跡の前に建つ“梅沢旅館”(現「羽生館」)に一泊します。

この梅沢旅館も、ほんの一瞬ではあるものの『田舎教師』に登場する場所です。
二十章に次のように登場します。

 旅人は今夜は羽生の町の梅沢という旅店にとまるという。
 清三は町に入る処で、旅店へ行く路を教えて遣って、田圃の横路を右に別れた。
 見ていると、旅人はさながら疲れた鳥が塒(ねぐら)を求めるように、
 てくてくと歩いて町に入って行った。

3人の小説家は主人公のモデル“小林秀三”が眠る“建福寺”をはじめ、
秀三が勤めた“弥勒高等小学校跡”や、
小説にも登場する利根川に足を運びます。
彼らの目に羽生の光景はどう映ったでしょう。
『田舎教師』愛読者の片岡鉄平は、
小説の描写と重ね合わせていたのかもしれません。

そのときまで『田舎教師』を読んでいなかった川端と横光は、
ゆったり時の流れる田舎町に日常の煩瑣を忘れたのでしょうか。
初めて羽生を訪れた横光利一は、
「東京から一時間足らずで、こんなのんびりした所に来られるとは誰も知るまい」
と、言ったそうです。

この文学紀行を写真に収めるべく、
カメラを手にしていたのは川端康成です。
列車に乗って羽生へ向かう横光と片岡、
梅沢旅館で羽生の人々の訪問を受けるところや、
利根川の土手を歩く風景など、
川端は次々にシャッターを切りました。
ゆえに、川端自身は写真に写っていません。

3人は『田舎教師』に登場する「小川屋」で食事をしたあと、
東京へ戻りました。
横光利一はこの文学散歩を記念して、
羽生に置きみやげを残しています。
それは句。
横光は梅沢旅館の扇に次の句を書き残したのでした。

 山門に木瓜咲きあるる羽生かな

この3人の旅については、
のちに片岡鉄平が「文学的紀行」に詳しく綴っています。
そして羽生では、3人の「田舎教師遺跡巡礼の旅」の記念として、
建福寺の境内に句碑を建てました。
そこには横光利一の詠んだ句が刻されています。
かくして『田舎教師』熱は、羽生でますます上がるのでした。


建福寺境内に建つ句碑


「田舎教師」ふるさと資料展示室(市民プラザ内2階)
ここに『田舎教師』ゆかりのものをはじめ、
3人の文学紀行の様子を写した写真もわずかながら展示されています。


展示室。
かつて、これらの資料は図書館・郷土資料館に展示されていました。
市民プラザのオープンに伴い移ったのですが(平成11年)、
以前の郷土資料館展示室ロビーの常設の方が、
人の目に触れる機会が多かったような……。

※参照URL「市民プラザ」
http://www.city.hanyu.lg.jp/kurashi/shisetsu/plaza.html
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4月27日生まれの人物は?(悪妻の日・婦人警官記念日・国会図書館開館記念日)

2008年04月27日 | 誕生日部屋
4月27日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

三井高平 (豪商・越後屋呉服店創業)
エドワード・ギボン (歴史家『ローマ帝国興亡史』)
サミュエル・モース (画家・電信機とモールス符号を発明)
ハーバート・スペンサー (哲学者・社会学者)
ユリシーズ・S.グラント (18代大統領)
鷲尾雨工 (歴史小説家『吉野朝太平記』)
ウォーレス・カロザース (化学者)
ジョージ秋山 (漫画家『浮浪雲』)
加藤雅也 (俳優)
冨樫義博 (漫画家『幽☆遊☆白書』)
岸田繁 (ミュージシャン(くるり))
原千晶 (タレント)
シラタマ (ミュージシャン(ポルノグラフィティ))
船木和喜 (スキー(ジャンプ))
間下このみ (俳優・タレント)
鈴木杏 (俳優)

この日起きた事件は以下のとおりです。

哲学者ソクラテス死去(BC399)
桓武天皇が田地、宅地を寺に売ることを禁ず(795)
足利尊氏、討伐のため挙兵(1333)
マゼラン、フィリピン諸島にて死去(1521)
「国会図書館」開館。ゆえにこの日は“国会図書館開館記念日”(1897)
初めての「駅伝」開催(1917)
日本初婦人警官62人勤務に就く。ゆえにこの日は“婦人警官記念日”(1946)
「ローマの休日」日本封切(1954)
サントリー日本初ビン詰生ビールを発売(1963)
日大遠征隊が日本人初北極点到達成功(1978)
松下幸之助死去(1989)

※ソクラテスの妻が悪妻として有名であることからこの日は“悪妻の日”。

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“満ちたりた人”とのことです。
誕生花は「著我」、花言葉は「反抗的」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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羽生の桜の下には……(45) ―清水卯三郎の生家跡(おまけ5)―

2008年04月26日 | ふるさと歴史探訪の部屋
“清水卯三郎”の生家跡である入山商店から、
道路を挟んで建っているのは“羽生館”。
(埼玉県羽生市中央4丁目)
ここは清水卯三郎と直接関係はありませんが、
のちの時代に小説『田舎教師』の文学散歩に訪れた“川端康成”や
“横光利一”、“片岡鉄平”が宿泊した場所です。

『田舎教師』は明治42年(1904)に左久良書房から出版された小説。
作者は“田山花袋”(たやまかたい)。
埼玉県羽生市を舞台にし、実在した人物をモデルにした小説です。
花袋と親しい詩人の“太田玉茗”は羽生の建福寺の住職であり、
また妻は玉茗の妹だったため、
花袋はしばしば羽生に訪れていました。


『田舎教師』初版本

そして、田舎で寂しく没していった青年“小林秀三”を知り、
彼が生前遺した日記を基に、『田舎教師』は書き出されます。
「反響はかなりあった」と花袋自身が述べているように、
『田舎教師』は多くの人々に読まれ、
花袋の代表作のひとつに数えられるようになりました。

『田舎教師』に感銘を受けたひとりに“片岡鉄平”がいます。
16歳のときに読みふけった『田舎教師』の舞台へ行きたいと思った鉄平は、
“川端康成”に話を持ちかけると快諾。
“横光利一”もその話を聞き、
「俺も行きたい」と同行することになりました。

しかし、川端と横光はそのときまで『田舎教師』を読んでいなかったようです。
片岡の文学紀行とは性質の異なるもので、
そのことに彼は寂しさを覚えています。
かくして3人が向かった羽生の町。
ときに、昭和13年4月14日のことでした。


田舎教師のブロンズ像


現在の建福寺の本堂。
同寺境内に田舎教師の墓碑があります。


建福寺の旧本堂


本堂から見た建福寺の参道と山門

※最初の画像は羽生館です。
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4月26日生まれの人物は?(世界知的所有権の日・よい風呂の日)

2008年04月26日 | 誕生日部屋
4月26日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

山科言継 (公卿)
ヒューム (哲学者・思想家)
ウージェーヌ・ドラクロワ (画家)
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン (哲学者『理哲学論考』)
飯田蛇笏 (俳人)
胡桃沢耕史 (推理小説家『黒パン俘虜記』)
鶴ヶ嶺昭男 (相撲)
ターザン山本 (編集者・プロレス評論家)
風間杜夫 (俳優)
新谷かおる (漫画家『エリア88』)
大木こだま (漫才師(こだまひびき))
有栖川有栖 (推理小説家)
伊秩弘将 (音楽プロデューサー)
加藤浩次 (お笑い芸人(極楽とんぼ))
田中直樹 (お笑い芸人(ココリコ))
福留孝介 (野球)
綾小路翔 (ミュージシャン(氣志團))

この日起きた事件は以下のとおりです。

仏国歌[ラマルセイエ-ズ]作られる(1792)
日比谷公園で日本初ボクシングの試合(1924)
関門国道海底トンネル開通(1939)
ジュネーブで極東平和会議が開催(1954)
黒澤監督「七人の侍」公開(1954)
日本道路公団設立(1956)
巨人王貞治選手初ホームラン(1959)
初めて放送広告の日(1968)
FM東海がFM東京と改称(1970)
チェルノブイリで史上最悪の原発事故(1986)
名古屋空港で中華航空機事故264人死亡(1994)

※「よい(4)ふ(2)ろ(6)」の語呂合せからこの日は“よい風呂の日”。

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“生まれついての庭師”とのことです。
誕生花は「矢車草」、花言葉は「繊細」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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羽生の桜の下には……(44) ―清水卯三郎の生家跡(おまけ4)―

2008年04月25日 | ふるさと歴史探訪の部屋
“清水卯三郎”の生家跡から程近い場所に店を構える「まつのや」。
和菓子屋さんです。
この店には“うさぶらうまんじゅう”が販売されています。


うさぶらうまんじゅう

「うさぶらう」とは、言うまでもなく清水卯三郎のこと。
羽生で生まれ、グローバルな視点で動乱の時代を駆け抜けた卯三郎にちなんで、
その名がつけられたのでしょう。
羽生の推奨品にも選ばれており、
そのガイドマップには次のように紹介されています。

 羽生出身の偉人で江戸時代のパリ万博に参加をし、
 かな文字の普及に力を入れた清水卯三郎の名を商品名として長く伝えています。
 もちもちとした口あたりと風味を生かした当店自慢の一品です。

うさぶらうまんじゅうは1個63円(平成19年12月当時)。
黒砂糖の香りと甘さが癖になります。
清水卯三郎の墓碑が平成10年に羽生の正光寺に移されてから、
このうさぶらうまんじゅうが販売されるようになりました。

卯三郎の生家跡の入山商店、
先祖代々と共にその墓碑のある正光寺。
清水卯三郎ゆかりのものを訪ねた際は、
うさぶらうまんじゅうをおひとついかがでしょう。
“卯三郎”をお土産にもできます。

<まつのや>
菓子製造販売店
住所:埼玉県羽生市中央4-8-19
営業時間:9時~19時
定休日:毎週月曜
自慢の逸品:うさぶらうまんじゅう・いがまんじゅう

<入山乾商店>
酒類・たばこ販売
住所:埼玉県羽生市4-2-28
営業時間:9時~9時30分
定休日:毎週日曜・祝日
自慢の逸品:当店オリジナル純米酒うさぶらう
(「羽生商店街マップ」より)


「まつのや」のある通り。通称“城上横町”。


入山商店。清水卯三郎の生家跡
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4月25日生まれの人物は?(国連記念日・歩道橋の日・ギロチンの日)

2008年04月25日 | 誕生日部屋
4月25日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

徳川家宣 (6代江戸幕府将軍)
三條西實隆 (公家・歌人『実隆公記』)
クロムウェル (軍人・政治家)
ピョートル・チャイコフスキー (作曲家)
グリエルモ・マルコーニ (電気技師)
クロード・モーリヤック (小説家・批評家)
三浦綾子 (小説家『氷点』)
宇野鴻一郎 (小説家『鯨神』)
タリア・シャイア (俳優『ロッキー』)
上原きみ子(漫画家『炎のロマンス』)
鳥羽一郎(歌手)
坂東玉三郎(歌舞伎俳優)
アル・パチーノ(俳優)
豊田順子 (アナウンサー)
鶴田真由(俳優)

この日起きた事件は以下のとおりです。

フランスでギロチンの実用化。ゆえにこの日は“ギロチンの日”(1792)
元新撰組隊長近藤勇死去(1868)
廃仏毀釈から仏教保護へ(1872)
市制・町村制が公布される。ゆえにこの日は“市町村制公布記念日”(1888)

新橋演舞場で吉本興業が特選漫才大会を開催(1934)
サンフランシスコで連合国50か国代表による会議が開催。以後この日は“国連記念日”(1945)
都民劇場発足(1946)
岩波書店創業者岩波茂雄死去(1946)
大阪駅前に初横断歩道橋。ゆえにこの日は“歩道橋の日”(1963)
銀座1億円ふろしき包み事件(1980)
尾崎豊死去(1992)
細川護煕内閣在任260日で総辞職(1995)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“見かけより実質を重んじる人”とのことです。
誕生花は「美女撫子」、花言葉は「純粋な愛情」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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羽生の桜の下には……(43) ―清水卯三郎の生家跡(おまけ3)―

2008年04月24日 | ふるさと歴史探訪の部屋
清水家の菩提寺である“正光寺”。
ここには清水卯三郎をはじめ、清水家歴代の墓碑が所在しています。
中でも、天保5年(1834)に“清水誓一”が建てた“誓信”夫妻の墓碑は、
羽生市指定の文化財です。
誓信は卯三郎の祖父にあたり、
多くの社会事業を行った人物でした。
その業績が墓碑に刻されています。


清水誓信夫妻の墓碑(羽生市指定の文化財)

北埼玉は板東太郎の異名を持つ利根川が流れる土地。
ひとたびまとまった雨が降れば、
川は暴れ村々を襲います。
そんな水害に苦しむ人々を救うべく、
誓信は下奈良村(現埼玉県熊谷市)の“吉田宗敏”らと私財を投じ、
復旧に尽力したのでした。

ちなみに、下奈良村の吉田家は、誓信の妻の実家。
卯三郎から見ると、祖母の実家ということになります。
誓信は卯三郎が4歳のとき、
すなわち天保3年(1832)8月17日に53歳で他界しました。
倹約を心がけ、人のために事業に惜しまず私財を投じ、
それでいて名誉を惜しまなかった祖父の教えと生き方は、
その後の卯三郎の人生にも深く影響を及ぼしたことでしょう。


埼玉県熊谷市下奈良

一方、吉田宗敏は卯三郎が16歳のとき、
天保15年(1844)7月29日に没しています。
この宗敏もまた、世のため人のために私財を惜しまなかった人物です。
祖母の実家ということもあり、
卯三郎は一時期吉田家に預けられたこともありました。
その家の前には荒川から引いた小さな川が流れ、
水車が回っていました。
十代のやんちゃだった卯三郎は、この川に入って水泳を覚えたと、
自伝『わがよのき 上』に綴っています。

祖父誓信や吉田宗敏の生き方は、
卯三郎に少なからずの教訓と影響を与えたはずです。
国際的な視野を持ち、西洋から新しい文化を取り入れ、
よりより国作りに尽力した卯三郎の気質は、
「三つ子の魂百まで」だったかもしれません。

先に述べたように、清水誓信は正光寺に埋葬されました。
吉田宗敏は熊谷の集福寺に埋葬。
その墓碑は昭和36年に埼玉県の文化財に指定されています。


吉田宗敏の墓碑


吉田宗敏の墓碑のある集福寺(埼玉県熊谷市下奈良)


集福寺の鐘楼
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4月24日生まれの人物は?(植物学の日・日本ダービー記念日)

2008年04月24日 | 誕生日部屋
4月24日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

牧野富太郎(植物学者『日本植物志図篇』。ゆえにこの日は“植物学の日”)
服部公一(作曲家)
シャーリー・マクレーン(俳優)
バーブラ・ストライサンド(俳優)
星野富弘(詩画作家)
つかこうへい(劇作家・小説家『蒲田行進曲』)
ジャン・ポール・ゴルチエ(服飾デザイナー)
嶋田久作(俳優)
堀尾正明(アナウンサー)
山咲千里(俳優)
古賀いずみ(ミュージシャン(カズン))
大鶴義丹(俳優・作家)
村上てつや(歌手(ゴスペラーズ))
村田善則(野球)
山本梓(俳優・タレント)

この日起きた事件は以下のとおりです。

大奥女中3700名大量解雇(1651)
紀伊国屋文左衛門死去(1734)
米国スペイン戦争勃発(1898)
青森~函館の電話開通.本州~北海道間で電話が通じ(1926)
第1回日本ダービー開催出走馬は19頭(1932)
国電が燃え死者105人を出す(桜木町事件)(1951)
中国初人工衛星打上成功(1970)
スペースシャトルディスカバリー打上(1990)
青島幸男東京都知事横山ノック大阪府知事初登庁(1995)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“世話好き”とのことです。
誕生花は「小手鞠」、花言葉は「品格」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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羽生の桜の下には……(42) ―清水卯三郎の生家跡(おまけ2)―

2008年04月23日 | ふるさと歴史探訪の部屋
清水家に町場への移転を勧めた“酒井家”と“湯本家”。
正光寺門前の東側に住んでいた清水家は、
寛永6年(1629)に町場へ移ります。
かくして清水家は、酒井と湯本の間に屋敷を構えるのでした。

その屋敷跡が現在の“入山商店”です。
(埼玉県羽生市中央2丁目)
入山商店の隣には“足利銀行”が建っていますが、
ここが酒井家の屋敷でした。
酒井家はその由緒によると、羽生城主“木戸忠朝”に仕えた家臣で、
後北条氏や忍城主成田氏と干戈を交えます。

戦乱が終わり、徳川家康が関東を治めるようになると、
新しく羽生城主に就いたのは“大久保忠隣”。
酒井家はそのまま羽生で新しい時代を迎えたのでしょう。
城主忠隣は1度も羽生には足を運びませんでしたが、
叔父の“大久保彦左衛門”が羽生領の内2千石を領しており、
酒井家は彦左衛門と深い交流を持っています。

慶長19年(1614)、大久保忠隣の改易によって羽生城は廃城。
その後も酒井家は豪商として、代々羽生に住み続けます。
明治になり、自由民権運動の嵐が吹き荒れる頃になると、
羽生で結束した民権結社“通見社”に、
その離れ家“松月亭”を提供しました。
そこは300余人もの人数が集合できる大広間で、
酒井家の屋敷の規模が窺えます。

しかし、清水家と同様に時代の波と共に、
その屋敷は姿を消していきました。
松月亭もなく、現在路地の一角に、
「通見社」の碑がポツンと建っているのみです。
これも時代の流れなのでしょう。
ただ、羽生市内の“正覚院”には、
酒井家の隆昌を偲ぶ大きな墓碑が並んでいます。


路地の一角に建つ通見社碑
掘越寛介や斎藤珪次たちの夢の跡

※最初の画像は足利銀行(酒井家跡)です。
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