少し遅めの打ち上げが、
羽生駅前の「日本海庄や」で行われた。
昨年出版された『行田・加須・羽生の今昔』の打ち上げで、
共に執筆した人たちが店に集まる。
「日本海庄や」は居酒屋だ。
店内は和風の雰囲気で、
席は個室のように仕切られている。
これまで何度か入ったことはあったが、
2階へ行くのは初めてだった。
実は、「日本海庄や」の羽生店舗は元マクドナルドだ。
店内は一変しているものの、
階段の位置はマクドナルドの時代と変わらない。
よく見てみれば、店のどこかにマクドナルドの面影が残っているだろう。
ぼくらは生ビールで乾杯する。
生さんまのお造りやマグロのカルパッチョを注文し、
「もう秋だね」と誰かが言った。
同席した人とは今回が初めてではなく、
顔見知り合いの気楽さも手伝って酒も進む。
おつまみに注文した“冷や奴”は丸い形をしていた。
なぜだろう。
ぼくはそれを目にしたとき“秋”を感じた。
その形が満月のように見えたからかもしれない。
「日本海庄や」がマクドナルドだった頃、
秋にしか販売されない“月見バーガー”を買ったことがある。
同級生の女の子がそこでバイトをしていて、
販売の最終日にその子から買った。
マクドナルドは全国に何店もあるけれど、
そのとき食べた月見バーガーが1番おいしかったのを覚えている。
あのときの味はいまでも越えられていない。
その子は卒業して間もなく、
同じマクドナルドで働いていた年上の人と結婚した。
ぼくが知っている同級生の中で1番早い結婚だった。
子どもも次々に生まれ、いまでは3児の母親である。
小柄な人だけど、子どもを抱きかかえるその人の姿は、
高校時代にはなかった強さがある。
歳月の流れを感じるのは、
昔を知っている人と会うことかもしれない。
高校生だったぼくらも間もなく30になる。
「わたしの青春はまだ終わっていないんです」とその人は言う。
昔、好きな人の影響を受けて使うようになったという丁寧語は、
いまでも変わらない。
「30を目前に“青春”も何もないんじゃない?」と、ぼくは言う。
「そんなことないわ。40になっても青春かもしれないですよ」
「40じゃあ子どもが青春の真っ直中じゃない」
「わたし思うんです。青春の終わりはあなたが結婚するときだって」
その人はクスクス笑う。
「人の気も知らないで……」
ぼくは思わず目をそらした。
あの頃想像もできなかった年齢にいま立っていて、
高校生だった自分たちが遠い異国の人のように思える。
何も変わらないようでも、
何かが確実に変わっている。
これからいくつもの秋が巡って40を迎えたとき、
29のぼくらはまるで別人のように見えるのだろうか?
これこそ本のタイトルのような「今昔」だなと思う。
駅前のマクドナルドは「日本海庄や」になり、
隣接していたスーパーも「魚民」に変わっている。
当時、東武線で1番古かったという羽生駅舎も新しく建て直され、
駅前はがらりと雰囲気を変えた。
目に見える変化はいつも激しい。
満月のような冷や奴を口を運ぶと、
ほど良く冷えていて生姜がピリッと効いた。
※最初の画像は羽生駅舎
「日本海庄や」の店舗。隣接して「魚民」やカラオケ店もある。
『行田・加須・羽生の今昔』(郷土出版社)の広告チラシ
「日本海庄や」にこの本を見掛けた。
もし店のものなら見ることは可能かもしれない。
酒のつまみにおひとついかが……?
羽生駅前の「日本海庄や」で行われた。
昨年出版された『行田・加須・羽生の今昔』の打ち上げで、
共に執筆した人たちが店に集まる。
「日本海庄や」は居酒屋だ。
店内は和風の雰囲気で、
席は個室のように仕切られている。
これまで何度か入ったことはあったが、
2階へ行くのは初めてだった。
実は、「日本海庄や」の羽生店舗は元マクドナルドだ。
店内は一変しているものの、
階段の位置はマクドナルドの時代と変わらない。
よく見てみれば、店のどこかにマクドナルドの面影が残っているだろう。
ぼくらは生ビールで乾杯する。
生さんまのお造りやマグロのカルパッチョを注文し、
「もう秋だね」と誰かが言った。
同席した人とは今回が初めてではなく、
顔見知り合いの気楽さも手伝って酒も進む。
おつまみに注文した“冷や奴”は丸い形をしていた。
なぜだろう。
ぼくはそれを目にしたとき“秋”を感じた。
その形が満月のように見えたからかもしれない。
「日本海庄や」がマクドナルドだった頃、
秋にしか販売されない“月見バーガー”を買ったことがある。
同級生の女の子がそこでバイトをしていて、
販売の最終日にその子から買った。
マクドナルドは全国に何店もあるけれど、
そのとき食べた月見バーガーが1番おいしかったのを覚えている。
あのときの味はいまでも越えられていない。
その子は卒業して間もなく、
同じマクドナルドで働いていた年上の人と結婚した。
ぼくが知っている同級生の中で1番早い結婚だった。
子どもも次々に生まれ、いまでは3児の母親である。
小柄な人だけど、子どもを抱きかかえるその人の姿は、
高校時代にはなかった強さがある。
歳月の流れを感じるのは、
昔を知っている人と会うことかもしれない。
高校生だったぼくらも間もなく30になる。
「わたしの青春はまだ終わっていないんです」とその人は言う。
昔、好きな人の影響を受けて使うようになったという丁寧語は、
いまでも変わらない。
「30を目前に“青春”も何もないんじゃない?」と、ぼくは言う。
「そんなことないわ。40になっても青春かもしれないですよ」
「40じゃあ子どもが青春の真っ直中じゃない」
「わたし思うんです。青春の終わりはあなたが結婚するときだって」
その人はクスクス笑う。
「人の気も知らないで……」
ぼくは思わず目をそらした。
あの頃想像もできなかった年齢にいま立っていて、
高校生だった自分たちが遠い異国の人のように思える。
何も変わらないようでも、
何かが確実に変わっている。
これからいくつもの秋が巡って40を迎えたとき、
29のぼくらはまるで別人のように見えるのだろうか?
これこそ本のタイトルのような「今昔」だなと思う。
駅前のマクドナルドは「日本海庄や」になり、
隣接していたスーパーも「魚民」に変わっている。
当時、東武線で1番古かったという羽生駅舎も新しく建て直され、
駅前はがらりと雰囲気を変えた。
目に見える変化はいつも激しい。
満月のような冷や奴を口を運ぶと、
ほど良く冷えていて生姜がピリッと効いた。
※最初の画像は羽生駅舎
「日本海庄や」の店舗。隣接して「魚民」やカラオケ店もある。
『行田・加須・羽生の今昔』(郷土出版社)の広告チラシ
「日本海庄や」にこの本を見掛けた。
もし店のものなら見ることは可能かもしれない。
酒のつまみにおひとついかが……?