クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

“羽生城”へ行きませんか?(43) ―木戸忠朝の祈願状―

2008年09月07日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
羽生城主“木戸忠朝”は、
その年の羽生自落を予感していたのだろうか。
天正元年12月に上杉謙信から金200両を送られたとはいえ、
共に上杉方に属す関宿城も風前の灯火であり、
忠朝は神仏に城の堅固を祈るしかなかった。

明けて天正2年1月、忠朝は羽生領の正覚院に祈願状を出す(「正覚院文書」)。

 此度當地堅固之御祈念 奉任貴寺候 入眼之上 千疋之御寺領 
 可奉寄進者也 仍所定如件
  天正二年甲戌
      正月吉日                忠朝(花押)
   正覚院 
     御同宿中

つまり羽生堅固の願いが成就したならば、
千疋(十貫文)の寺領を寄進すると書き記している。

ぼくはこの文書が好きだ。
孤立無援に追い込まれた状況の中で、
城を必死に守ろうとしている忠朝の心が窺える。
一般的にあまり知られていない人物だが、
北武蔵の小さな城にすぎない羽生城には、
このような男がいたということをいまに伝えている。

ちなみに、2005年に羽生郷土資料館で「第1回社寺宝物展」が開催された。
第1回目ということで、そのときは市内の文化財を一堂に集め、
その中に忠朝の祈願状も展示された。
マイナーな人物ゆえに、
知らない人はそれが羽生城主で、
どのような状況下で書き記されたのか知るはずがない。

ある女性二人組は、忠朝の文書の前に差し掛かると、
「昔の人は字が綺麗ねぇ」と言って、
立ち止まることなく通り過ぎたのを覚えている。
もし関心があって、その文書について会話を始めたら声を掛けるつもりだったが、
彼女たちは2度とその前を通らなかった。

確かに、忠朝の文字は流麗で綺麗だ。
父“木戸範実”の歌学を受け継いでいたことを窺わせる。
ただ、その綺麗な文字の向こうには、
往時の忠朝の想いがある。
もし忠朝の祈願状を目にしたら、
ちょっとだけ立ち止まってほしい。
約400年前に生きた武将の夢が、
そこから見えてくるかもしれないから……
(続く)


正覚院の参道


羽生市立図書館・郷土資料館HP
http://www.lib.city.hanyu.saitama.jp/
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9月7日生まれの人物は?(CMソングの日・クリーナーの日・鏡花忌・英治忌)

2008年09月07日 | 誕生日部屋
9月7日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

嵯峨天皇(神野親王) (52代天皇)
中村柊花 (歌人)
島木健作 (作家)
エリザベス1世 (国王)
エリア・カザン (演出家・映画監督『エデンの東』)
山本コウタロー (歌手・音楽プロデューサー)
清水由貴子 (タレント・俳優)
ヘレン笹野 (タレント)
柄沢次郎 (俳優)
アンディ・フグ (空手)
テイ・トウワ (ミュージシャン(ディーライト))
桂出丸 (落語家)
河口りか (モデル)
永田杏子 (タレント)
北原雅彦 (ミュージシャン)
長渕剛 (歌手・俳優)

この日起きた事件は以下のとおりです。

東京海上保険会社設立出願(1878)
安政の大獄始まる(1858)
ナイアガラの滝を軽業師ポンテが綱渡り(1890)
ボクシング最初のタイトルマッチ(1892)
キュリー夫人がラジウム単離に成功(1910)
ミス・アメリカ・コンテスト初開催(1921)
泉鏡花死去。ゆえにこの日は鏡花忌(1939)
初めてCMソングを使ったラジオCMがオンエアされる。ゆえにこの日は“CMソングの日”(1951)
吉川英治死去。ゆえにこの日は“英治忌”(1962)
長島茂雄がローマ法王パウロ2世に謁見(1982)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“成功を追いもとめる人”とのことです。
誕生花は「ランタナ」、花言葉は「厳格」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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