羽生城主“木戸忠朝”は、
その年の羽生自落を予感していたのだろうか。
天正元年12月に上杉謙信から金200両を送られたとはいえ、
共に上杉方に属す関宿城も風前の灯火であり、
忠朝は神仏に城の堅固を祈るしかなかった。
明けて天正2年1月、忠朝は羽生領の正覚院に祈願状を出す(「正覚院文書」)。
此度當地堅固之御祈念 奉任貴寺候 入眼之上 千疋之御寺領
可奉寄進者也 仍所定如件
天正二年甲戌
正月吉日 忠朝(花押)
正覚院
御同宿中
つまり羽生堅固の願いが成就したならば、
千疋(十貫文)の寺領を寄進すると書き記している。
ぼくはこの文書が好きだ。
孤立無援に追い込まれた状況の中で、
城を必死に守ろうとしている忠朝の心が窺える。
一般的にあまり知られていない人物だが、
北武蔵の小さな城にすぎない羽生城には、
このような男がいたということをいまに伝えている。
ちなみに、2005年に羽生郷土資料館で「第1回社寺宝物展」が開催された。
第1回目ということで、そのときは市内の文化財を一堂に集め、
その中に忠朝の祈願状も展示された。
マイナーな人物ゆえに、
知らない人はそれが羽生城主で、
どのような状況下で書き記されたのか知るはずがない。
ある女性二人組は、忠朝の文書の前に差し掛かると、
「昔の人は字が綺麗ねぇ」と言って、
立ち止まることなく通り過ぎたのを覚えている。
もし関心があって、その文書について会話を始めたら声を掛けるつもりだったが、
彼女たちは2度とその前を通らなかった。
確かに、忠朝の文字は流麗で綺麗だ。
父“木戸範実”の歌学を受け継いでいたことを窺わせる。
ただ、その綺麗な文字の向こうには、
往時の忠朝の想いがある。
もし忠朝の祈願状を目にしたら、
ちょっとだけ立ち止まってほしい。
約400年前に生きた武将の夢が、
そこから見えてくるかもしれないから……
(続く)
正覚院の参道
羽生市立図書館・郷土資料館HP
http://www.lib.city.hanyu.saitama.jp/
その年の羽生自落を予感していたのだろうか。
天正元年12月に上杉謙信から金200両を送られたとはいえ、
共に上杉方に属す関宿城も風前の灯火であり、
忠朝は神仏に城の堅固を祈るしかなかった。
明けて天正2年1月、忠朝は羽生領の正覚院に祈願状を出す(「正覚院文書」)。
此度當地堅固之御祈念 奉任貴寺候 入眼之上 千疋之御寺領
可奉寄進者也 仍所定如件
天正二年甲戌
正月吉日 忠朝(花押)
正覚院
御同宿中
つまり羽生堅固の願いが成就したならば、
千疋(十貫文)の寺領を寄進すると書き記している。
ぼくはこの文書が好きだ。
孤立無援に追い込まれた状況の中で、
城を必死に守ろうとしている忠朝の心が窺える。
一般的にあまり知られていない人物だが、
北武蔵の小さな城にすぎない羽生城には、
このような男がいたということをいまに伝えている。
ちなみに、2005年に羽生郷土資料館で「第1回社寺宝物展」が開催された。
第1回目ということで、そのときは市内の文化財を一堂に集め、
その中に忠朝の祈願状も展示された。
マイナーな人物ゆえに、
知らない人はそれが羽生城主で、
どのような状況下で書き記されたのか知るはずがない。
ある女性二人組は、忠朝の文書の前に差し掛かると、
「昔の人は字が綺麗ねぇ」と言って、
立ち止まることなく通り過ぎたのを覚えている。
もし関心があって、その文書について会話を始めたら声を掛けるつもりだったが、
彼女たちは2度とその前を通らなかった。
確かに、忠朝の文字は流麗で綺麗だ。
父“木戸範実”の歌学を受け継いでいたことを窺わせる。
ただ、その綺麗な文字の向こうには、
往時の忠朝の想いがある。
もし忠朝の祈願状を目にしたら、
ちょっとだけ立ち止まってほしい。
約400年前に生きた武将の夢が、
そこから見えてくるかもしれないから……
(続く)
正覚院の参道
羽生市立図書館・郷土資料館HP
http://www.lib.city.hanyu.saitama.jp/