クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

かつて羽生には“映画館”が2つあった?

2011年12月25日 | 近現代の歴史部屋
2007年11月、羽生市内に大型ショッピングモールが誕生した。
その当時、わりとよく耳にしたのは、
「これで羽生でも“映画”が観られる」の言葉だった。

確かに、ぼくが物心ついた頃から、
羽生に映画館の「え」の字もなかった。
強いて言えば、レンタルビデオ屋さんがあったくらいである。
あるいは、文化ホールでの映画上映。

ゆえに、ぼくらが映画を観に行くときは、
熊谷か大宮へ出ることが多かった。
女の子を映画に誘うことは、
地元を出てのちょっとしたデートを意味していたのだ。

もし市史を編纂するなら、
「2007年11月、羽生に初めて映画館ができる」と書きそうなところである。
しかし、歴史はそんなに甘くはない。

実は、大型ショッピングモールが誕生するずっと前に、
すでに映画館は存在していたのである。
しかも2館あった。

一つは、羽生駅近くの電報電話局の北隣。
もう一つは、葛西用水路近くの士辺通りである。
前者は“セントラル”、
後者は通称“電気館”といった。

聞いた話によると、セントラルは洋画、
電気館は邦画を主に放映していたという。
「電気館は便所くさかった」なんて話を聞いたことがある。

両館とも写真が残っているが、
なかなか立派な建物である。
セントラルはその後“羽生京王”と名前を変えて営業していた。
人々に娯楽を与えていたのだろう。

羽生は、昭和30年代から同40年代前半にかけて、
被服バブルを迎えていた。
好景気に見舞われていた当時の羽生は、
芸者さんもいたし、接待用の華やかな店もあった。
東北から羽生に出稼ぎに来る若者もたくさんいて、
教育を受けさせるための学校もできた。
これが現在の羽生高校である。

それ以前にも羽生は好景気を迎えており、
そうした産業を支える人たちの娯楽の一つとして、
映画があったに違いない。
映画を観ることで、
現実世界の憂さを晴らしていたのかもしれない。
人によっては、セントラルと電気館は夢の国だっただろう。

しかし、時代は否応なしに流れていく。
被服バブルも次第に落ち着きを取り戻していった。
そうした流れの中、
セントラルと電気館は姿を消すことになる。

2011年12月現在、セントラルの跡地は駐車場、
電気館だった場所には民家が建っている。
娯楽の拠点だった面影はまるでない。

昭和54年生まれのぼくは、郷土史を始めるまで両館の名前どころか、
その存在すら知らなかった。
古写真を見ると、こんなものがかつて建っていたのかと、
新鮮にすら感じる。
大型ショッピングにはない“味”がある。

年輩の人の前で講演をするとき、
セントラルや電気館の話を出すと、わりと反応がある。
どうやら両館は懐かしい思い出のようだ。
セントラルは昭和40年代まであったから、
さほど古い話ではない。

しかし、時代の流れは待ってはくれない。
後輩と話をすると、世代の違いのようなものを感じることが多々ある。
やがて、セントラルや電気館の話をしても、
キョトンとする世代が増えていくのだろう。
(ぼくもその世代だが)

今後さらに、セントラルと電気館は古い話になっていく。
ただ、羽生の好景気を象徴する映画館がかつてあったという事実は、
郷土にとってその歴史的意義は深いと思うのだ。


電気館のあった士辺(埼玉県羽生市)
最初の写真はセントラル跡付近

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
映画館 (treasure)
2011-12-25 09:43:47
ギャップを感じても、語り継がなければいけないんでしょうね。梅林堂がある交差点付近には、小さな商店街があったということも、いつかは語り継がなければいけない日が来るかも?個人商店の玩具店が羽生には、6店あったのが、今では1店のみというのも語り継がれる日が来るかもしれません。
treasureさんへ (クニ)
2011-12-26 23:50:11
無関心でも、知ることは大切ですよね。
誤ったイメージが一人歩きして、ふるさとを陥れかねません。
郷土史を始めるまで、羽生に映画館があるなんて知りませんでした。
意外に思う反面、興味を覚えました。
映画ができる歴史的背景はあるはずで、それを知ることは新しい創造へとつなげられると思います。
語り継ぐことは大切ですね。
文章に書かれないことは特にです。
語り継いでいけば、我々もいつしか「古老」と呼ばれるのかもしれません(笑)
オープン、ゲッ! (くそじじい)
2024-04-13 08:38:12
羽生で生まれ育って60年。キンカ堂の仮面ライダーショー(V3)は町じゅうの子供が押しかけエライことになった。
そう、映画館でもゴジラ、ガメラでいっぱい。その頃すでに電気館は廃館で倉庫になっていて建物はそのままで、中に入って遊んだり、前の空き地でバイクの練習をした中学時代。二階(席?)もあり、これ劇場?なんて思ってた。現在は旭会館となっている。新しもの好きの人間ばかり、何もかも変わってしまい、寂しいかぎりだ。
Unknown (クニ)
2024-04-16 01:18:40
コメントありがとうございます。
日本の人口が減少しているニュースを目にしたばかりで、電気館があった頃は子どもが多かった時代ですね。
夏休みに映画を観るのに、セントラルで並んだと聞いたことがあります。
キンカ堂で田舎教師展や羽生城展も開催され、後者のパンフレットをたまに読み返します。
1997年にキンカ堂で古本市が開催されていたのを見かけたのも遠い昔になってしまいました。
一瞬存在した「コロちゃんコロッケ」もなつかしい……。

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