クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生城と秋の空

2022年10月30日 | 羽生城跡・城下町巡り
公にしていいものなのかわからないのではっきりしたことは言えませんが、
今年の春先に、羽生城とあるものを絡めた原稿の依頼がありました。
原稿用紙にして30枚くらいの依頼で、
枠にとらわれず書き上げたらおよそ50枚。
これを30枚までに削り落とすのに、いささか難儀しました。

掲げる史料を削り、内容が重複している箇所を見つけてはdeleteキーを押し、
なくてもさしつかえない情報をカットしたりと、
形態はどちらかと言えば論文形式のため、小説の会話文を大幅に消すような技は使えず、
推敲を重ねながら少しずつ減らしていくという作業です。

とはいえ、この作業もそろそろ背中が見えてきました。
締切の1ヶ月前となり、大きな抜けがないか最終確認段階に入っています。
版元から言われた30枚までようやく削り取ったので、
図書館や喫茶店の机でやきもきせずに済みそうです。

日中の仕事も半年が過ぎ、後半に入りました。
「一歩、一歩」と呪文のように唱え、病もぶり返すことなく日々を送っています。
秋が一つの山場でしたが、そこを乗り越えるのはあともうひと踏ん張りでしょうか。
周囲の人に支えられて仕事をさせてもらっていることを実感します。
感謝の一言です。
もちろん家族にも。

なんだかんだで、本を読み、文を書くことが一番好きですね。
この二つの車輪がわずかながらでも回っていれば、大きく転ぶことはないような気がします。
昨年は病でダウンしていましたが、最もつらかった時期は、車輪が二つも回っていなかったときだったと気付きます。
何をしても心は冷え込み、日々を送ることも苦痛でした。
いま思い出してもつらくなります。
あんな思いは、もう二度としたくないものです。

あの時期に意味のようなものがあるとすれば、
自分の中心軸に何があるのか、よくわかったことでしょうか。
心の中にあるどの井戸に水があれば前を向けるのか。
逆に、どの井戸に水が枯れたときに転ぶのか、
前から意識はしていたけれども、さらにクリアになってわかったことかもしれません。

「気分転換」をするにしても、主となる井戸に水を入れなければ、なかなか立ち直れません。
別の井戸にどれだけ水を入れたところで、「気分転換」にはならず、気は逆に重くなるばかり。
しかしながら、井戸同士が地下でつながっていることもあって、
予期しないところから、主の井戸に水が湧くことも皆無ではありません。
単純なのか複雑なのかよくわからないところですが、
その見極めが多少できるようになったとすれば、昨年のつらい想いも意義があったと思えます。

昨年を抜かせば、ここ数年間は羽生城に関することを積み重ねてきました。
埼玉県郷土文化会が発行する「埼玉史談」に論文を掲載してもらったのもその一環です。
タイトルは「羽生城主木戸氏の最期に関する一考察」。
木戸忠朝の最期について、埼玉県立文書館が所蔵する史料を基に論じたもので、令和2年に書き上げました。
この論文が「埼玉史談」第66巻第3号に掲載されましたので、興味のある方はご笑覧ください。
図書館で「埼玉史談」を取っていればいいのですが、近年は減ってきているようなので、
刊行に関わっている「まつやま書房」にお問い合わせください。

東北で興味深い史料を見付けたので、それに関する論文も準備中です。
なお、数年前からの書籍化の話もあります。
とはいえ、査読で落とされる可能がありますし、急に風向きが変わらないとも言えないので、
具体的になったらお伝えしようと思います。

いつも輝いている人は、主の井戸から満々と水が溢れ出ているのでしょうか。
それとも主の井戸がいくつもあって、
一つ枯れたくらいでは何ともないのでしょうか。
強くなる必要はないと思います。
持つ井戸の数やその種類も人それぞれです。
比べる必要はありません。
輝ける存在でなくとも、前を向いて歩いていき、
それがわずかでも誰かの役に立つことができたなら、きっと嬉しいことですね。
コメント (6)
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