クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

“羽生城”へ行きませんか?(53) ―古城堀の内Ⅰ―

2008年09月25日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
“堀の内”と呼ばれる羽生支城は、
埼玉県羽生市名にあったと推定される。
“不動院”と“八幡神社”が所在している場所である。

現在その遺構はない。
しかし、『武蔵志』には、
「名村古城堀の内と云、越後謙信臣渋井越前の居跡なり」と記されている。
この「古城」は、不動院と八幡神社を含めた一帯であったのだろう。
現在、利根川の土手が両社寺の真後ろで高く連なっているが、
遺構はその下に埋まっているものと思われる。

『渋井氏家譜』によると、
堀の内城主は“栢場源五郎吉家”であった。
渋井氏はその甥で家老を務めていたという。

羽生城が自落したのは天正2年(1574)閏11月である。
その際、飯野城兵と戦っていることから、
羽生勢は堀の内城から利根川を使って撤退したのかもしれない。
実は、堀の内には城兵の撤退時にまつわる伝承がいくつか残っている。

そのひとつに“源光斎の笛”がある。
源光斎は栢場源五郎の子であり、
『渋井氏家譜』によると盲目だったらしい。
羽生自落のとき、父源五郎は羽生を撤退したが、
源光斎は盲目のため一緒に行くことができなかった。
そこで、羽生に留まる“渋井越前吉元”に預けたという。

 羽生城没落越後引取之砌 源光斎盲目故 越前ニ預ケ 名村ニ留置
 (『渋井氏家譜』より)

肉親と離ればなれになった源光斎は、
寂寥感を募らせたのだろうか。
彼は肉親に想いを馳せながら笛を吹いたという。
やがて、この笛は某家の手に渡った。
そして正徳3年(1713)に神社に奉納された。
この神社が堀の内城内の“八幡社”である。
(続く)


不動院(埼玉県羽生市名)


渋井越前の墓碑(不動院内)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月25日生まれの人物は?(10円カレーの日・藤ノ木古墳記念日・介護の日)

2008年09月25日 | 誕生日部屋
9月25日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

フォークナー (作家)
グレン・グールド (ピアニスト)
スタニスラフ・ブーニン (ピアニスト)
魯迅(作家)
高木彬光 (作家)
菊池秀行 (作家)
武田百合子 (随筆家『富士日記』)
北村総一朗 (俳優)
古川タク (イラストレーター)
久和ひとみ (キャスター)
マイケル・ダグラス (俳優)
マーク・ハミル (俳優)
クリストファー・リーブ (俳優)
ウィル・スミス (歌手・俳優)
キャサリン・ゼタ=ジョーンズ (俳優)
古今亭志ん輔 (落語家)
多田かおる (漫画家)
井上喜久子 (声優)
豊原功補 (俳優)
アジャ・コング (プロレス)
清水美砂 (俳優)
MEGUMI (タレント)
内山信二 (タレント)

この日起きた事件は以下のとおりです。

バスコ・ヌネス・デ・バルボアが太平洋を発見(1513)
幕府、シーボルトを国外追放(1829)
明治政府が刑罰としての入れ墨を禁止(1870)
「東京新聞」の前身「今日新聞」発刊 (1884)
煙草の専売法が決まる(1907)
全国地方銀行協会設立(1936)
沢村栄治がノーヒットノーランを達成(1936)
田中首相が訪中。日中国交樹立へ(1972)
日比谷公園内の松本楼では、この日700円のカレーを10円以上募金した人に提供。ゆえにこの日は“10円カレーの日”(1983)
奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳の石室が発堀される。ゆえにこの日は“藤ノ木古墳記念日”(1985)


『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“社会ともちつもたれつの関係を築く人”とのことです。
誕生花は「萩」(はぎ)、花言葉は「思案」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする