クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

壁にぶつかったとき、わずかでも……

2024年03月22日 | コトノハ
3月はなるべく穏やかに過ごそうと心がけているのに、毎年バタつく。
詰めなければならない事業、切られるのを待つ伝票たち、あくびをしながらこちらを見ている実績報告書、腕を組んで構えている来年度の契約書や申請書……。
その他、組織改正に伴う荷物の運搬があって、慌ただしさに目が回る。

3月、編集者のY氏と打ち合わせをした。
改めて編集方針を話し合うと案外すっきりした。
なるほどそういうことか。
テトリス棒が溝にはまった音が聞こえた気がした。

以前渡した原稿は、行動規制を余儀なくされたコロナ禍を挟んだせいか、
原稿用紙800枚を超えていた。
さすがに書きすぎた。
ゆえにY氏を煩わせることになり、
どのような形にするか、これまで何度となく話し合ったが、漠然としたまま月日が流れた。

ここに来て、版元の編集方針がはっきり見えた。
改めて原稿を読み直し、大幅な推敲を決行することにした。
期間は約2週間。
締切は自ら設定した。
自身で首を絞めたような、そうでもしなければズルズルしてしまうような……。

原稿を最後に読んでから、どのくらい経ったのだろう。
その分、新鮮な気持ちで読めるし、気付く点も多い。
反面、空白期間が長くなるほど、再読は苦痛が伴う。
自分の未熟さと嫌でも向き合わなければならないからだろう。

日中は書類に追われ、夜は原稿が待っていた。
休日の外仕事に立ち会ったその足で、作業着のまま図書館へ直行した。
夜の喫茶店で閉店時間まで机に向かった。
ヘトヘトになったのに、ブラックコーヒーのせいか午前3時まで眠れなかった。

急遽、羽生城史をテーマにした講演依頼があった。
初夏の町歩き講座の原稿も迫っている。
眩暈がした。
脈拍が早くなるのを感じた。

しかし、逃げ出したいと思わなかったのは、方向性がやっと見えたからかもしれない。
来た。
そう思った。
これまで五里霧中だった。
流れを止めたくない。
このまま一気に勢いに乗りたい。

希望と士気は比例している。
希望が見えないと士気は下がり、
逆に士気がないと、希望を失っているものだ。
人は、心に頑張れる何かを持っていれば、乗り越えられるものなのだろう。

人生もそう。
壁にぶつかっても、わずかでも希望があれば、乗り越えられる可能性が皆無ではない。
例え何の根拠はなくても、漠然と信じるものがあって行動に移している人は強い。
項垂れる時期はあっても、そういう人は形に残る結果を出している。
「まあ、何とかなる」という楽観が、現実を凌駕する。
いまはどうにもならずとも、気持ちと視点を変えてみるのが大切なのだろう。

ただ、年を重ねると希望の持ち方を忘れがちになる。
若い頃は、意識せずとも「何とかなる」と思えた。
40代半ばになると、「本当に何とかなるのか?」と疑問に変わる。
経験と年の功のせいなのか。
あるいは単なる老いなのか……。

年を重ねたからこそ希望を持ちたい。
必ずチャンスがやってくると信じたい。
性格に左右されるものだろうが、直視したくない現実を前にして「まあ、何とかなる」と声に出したい。

800枚以上もの原稿の手直しが終わるのか?
まあ、何とかなる……
のかなぁ。
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特別展「鉢形城主 北条氏邦」が埼玉で開催されている?

2024年03月20日 | お知らせ・イベント部屋
特別展「鉢形城主 北条氏邦」が、埼玉県立歴史と民俗の博物館で開催されている。
多くの古文書が展示されている中、兜や刀剣、十二神将も特別展を彩っており、
子どもたちはやはりそちらに食いついていた。

管見によるが、同館で中世の歴史をこれだけガッツリ取り上げるのは初めて見たかもしれない。
令和6年5月6日までの開催だから、もう一度見に行きたい。
新年度になれば、仕事で同館を訪ねる機会がありそうだから、そのときがチャンスかも。

昼過ぎから妖しくなり始めた雲行きは、いつの間にか雨を降らせていた。
博物館内の静けさが深くなった気がした。
体験コーナーで、たくさんの子どもたちが賑やかに資料と触れているのに、博物館独特の静けさがある。
初めて一人で同館を訪れたのは平日の昼間で、そのときの静けさが脳に焼き付いているからなのかもしれない。

博物館には雨がよく似合ふ。
太宰治風にそう思い、雨に打たれながら駐車場まで歩いた。


特別展「鉢形城主 北条氏邦」(埼玉県立歴史と民俗の博物館ホームページ内)
https://saitama-rekimin.spec.ed.jp/tokuten_ujikuni
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夜に訪ねる水海城は?

2024年03月03日 | 城・館の部屋
水海城(茨城県古河市)は夜闇に沈んでいた。
深夜というほどではないが、夜はだいぶ更けていた。
が、思い立ったが吉日。
一人車を走らせ、利根川を渡った。

最後に水海城址へ足を運んだのはだいぶ前になる。
文献上では何度も目にしていた城だから、よく足を運んでいる気がしていたのかもしれない。
それに、関宿城(同県野田市)が近い。
同城を並べてしまうと、個人的な親近感もあって、どうしても水海城は後回しになってしまう。

とはいえ、両城とも簗田氏と関係の深い城である。
簗田氏が関宿へ移る前は水海城を本拠にしており、その城跡は「南部地域」にあったと考えられている。
発掘調査が実施されたのは「内水海」地区で、神明社付近が城跡に比定される。
内水海の城は、南部地域の城よりも新しく構築されたとみられている。

政治的にも軍事的にも重視された城だが、遺構らしきものは見当たらない。
そこが城跡という認識を持たなければ、何の変哲もないのどかな田園風景である。
夜の水海城は闇に包まれ、ナビの地図を見なければ自分がどこにいるのかわからなくなる。

平地が広がり、少し向こうに利根川の土手が連なっていた。
一台の車とすれ違っただけで、ほかに人の姿はなかった。
車をとめる場所もない。
車から降りたところで、夜闇の中どこを歩けばいいのかわからない。
窓を開け、水海の空気を吸い込むことくらいしかできなかった。

古寺を訪ねるには時間が遅すぎる。
ぶらぶらしても、パトロール中の警官に呼び止められるかもしれない。
平城だからまだいいものの、整備されていない山城では入っていくこともできないだろう。
夜の城跡は独特の空気がある。
決して嫌いではない。
(地元の羽生城を訪ねるときも、ダントツ夜が多かった)

暗闇で目に入ってくる情報が遮られている分、より往時を偲ぶことができるかもしれない。
長い時間うろついて地域住民を不安がらせてもいけない。
ひと巡りしたあと帰路に就いた。
願わくば、今度は平日の昼間に訪ねたい。

※最初の画像は昼間の水海城址
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