春になると妙に“詩”が読みたくなる。
高校三年の春に『中原中也詩集』を読んだせいか。
あるいは、詩人の“正津勉”先生に出会ったのが、
春だったためか……
ぼくの郷里の“羽生”は詩人の町でもある。
古くは“木戸範実”が武家歌人として歌集を著し、
「二流相伝」という独自の歌学を生み出した。
文化人として名を馳せた幸手城主“一色直朝”も、
木戸範実をかなり意識している。
その孫の“木戸元斎”は羽生城自落のあと越後へ移り、
越後歌壇に大きな影響を与えた。
“直江兼続”と親交を結び、
必ずと言っていいほど歌会に参加している。
一方で、近代になると、
新体詩人として“太田玉茗”がいる。
生まれは行田だが、羽生所在の建福寺の住職となり、
田山花袋と深い親交を結んでいた。
また、戦後最大の詩人と言われた“田村隆一”が、
羽生に疎開したことはあまり知られていない。
「ああ上野駅」を作詞した“関口義明”氏も羽生出身である。
また300校近く校歌の作詞をした“宮澤章二”や、
童謡詩人の“矢辺たけを”氏も輩出している。
そんな羽生では「ふるさとの詩」が行われている。
現在活躍中の詩人“アーサー・ビナード”氏も、
ふるさとの詩で賞に輝いた経歴を持つ。
そんな詩の街で育ったせいではないが、
春になると妙に詩を読みたくなるのだ。
春という一つの節目が、
そうさせるのかもしれない。
別れがあれば出会いもある。
人は一つのところに留まり続けることはできない。
何も変わっていないようでも、
どこかで何かが変わっている。
特に春はそんな季節。
そんなあやふやさそのものが、
詩なのかもしれない。
最後に、“石垣りん”の「銭湯で」という詩を載せて、
この記事の締めとしよう。
「銭湯で」
東京では
公衆浴場が十九円に値上げしたので
番台で二十円払うと
一円おつりがくる。
一円はいらない、
と言えるほど
女たちは暮しにゆとりがなかったので
たしかにつりを受け取るものの
一円のやり場に困って
洗面道具のなかに落としたりする。
おかげで
たっぷりお湯につかり
石鹸のとばっちりなどかぶって
ごきげんなアルミ貨。
一円は将棋なら歩のような位で
お湯の中で
今にも浮き上がりそうな値打ちのなさ。
お金に値打ちのないことのしあわせ。
一円玉は
千円札ほど人に苦労もかけず
一万円札ほど罪深くもなく
はだかで健康な女たちと一緒に
お風呂などにはいっている。
(『石垣りん詩集』思潮社より)
高校三年の春に『中原中也詩集』を読んだせいか。
あるいは、詩人の“正津勉”先生に出会ったのが、
春だったためか……
ぼくの郷里の“羽生”は詩人の町でもある。
古くは“木戸範実”が武家歌人として歌集を著し、
「二流相伝」という独自の歌学を生み出した。
文化人として名を馳せた幸手城主“一色直朝”も、
木戸範実をかなり意識している。
その孫の“木戸元斎”は羽生城自落のあと越後へ移り、
越後歌壇に大きな影響を与えた。
“直江兼続”と親交を結び、
必ずと言っていいほど歌会に参加している。
一方で、近代になると、
新体詩人として“太田玉茗”がいる。
生まれは行田だが、羽生所在の建福寺の住職となり、
田山花袋と深い親交を結んでいた。
また、戦後最大の詩人と言われた“田村隆一”が、
羽生に疎開したことはあまり知られていない。
「ああ上野駅」を作詞した“関口義明”氏も羽生出身である。
また300校近く校歌の作詞をした“宮澤章二”や、
童謡詩人の“矢辺たけを”氏も輩出している。
そんな羽生では「ふるさとの詩」が行われている。
現在活躍中の詩人“アーサー・ビナード”氏も、
ふるさとの詩で賞に輝いた経歴を持つ。
そんな詩の街で育ったせいではないが、
春になると妙に詩を読みたくなるのだ。
春という一つの節目が、
そうさせるのかもしれない。
別れがあれば出会いもある。
人は一つのところに留まり続けることはできない。
何も変わっていないようでも、
どこかで何かが変わっている。
特に春はそんな季節。
そんなあやふやさそのものが、
詩なのかもしれない。
最後に、“石垣りん”の「銭湯で」という詩を載せて、
この記事の締めとしよう。
「銭湯で」
東京では
公衆浴場が十九円に値上げしたので
番台で二十円払うと
一円おつりがくる。
一円はいらない、
と言えるほど
女たちは暮しにゆとりがなかったので
たしかにつりを受け取るものの
一円のやり場に困って
洗面道具のなかに落としたりする。
おかげで
たっぷりお湯につかり
石鹸のとばっちりなどかぶって
ごきげんなアルミ貨。
一円は将棋なら歩のような位で
お湯の中で
今にも浮き上がりそうな値打ちのなさ。
お金に値打ちのないことのしあわせ。
一円玉は
千円札ほど人に苦労もかけず
一万円札ほど罪深くもなく
はだかで健康な女たちと一緒に
お風呂などにはいっている。
(『石垣りん詩集』思潮社より)