クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

“羽生城”へ行きませんか?(54) ―古城堀の内Ⅱ―

2008年09月26日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
もうひとつの伝承は、
堀の内近くに祀られていたという一位社、二位社、三位社である。
この社にもいわくがある。
すなわち、羽生城主の子3人が戦死し、
これを祀ったというのである。

前二社は堀の内近くにあり、
三位社は対岸の飯野にあったという。
明治44年に一位社と二位社が八幡社に合祀されたが、
三位社はいつしか不明になったと伝えられる。

また、この三社の口碑は、羽生城主だけに留まらない。
流罪になった公家3人を祀ったとも言われる。
村君地区には古墳群が所在し、
「高貴な人」の伝承がいくつかあることから、
そこから派生したものかもしれない。

いずれにせよ、『新編武蔵風土記稿』が「祭神及び来由等と伝へず」と記すように、
はっきりしたことは不明である。
拙ブログでは、この三社を公家ではなく、
羽生城主に関係していると考えたい。

では、「子3人」とは一体誰なのだろうか?
口碑によると、長男を一位社、次男を二位社、
三男を三位社として祀ったという。
だとすれば、「羽生城主の子」として挙げられるのは、
菅原為繁、木戸重朝、木戸元斎の3人である。
しかし、前2人は天正2年当時、羽生を撤退し生き延びている。

羽生市岩瀬の「天神宮縁起」に“柴山縫殿助”という者が、
重朝の弟として登場するが、羽生城主の子として数えるには疑問が残る。
例え入れたとしても、重朝、為繁の2人であり、
もうひとりは誰なのか適当な人物が見当たらない。

按ずるに、この三社に祀られたのは「子」ではなく別の者であろう。
それは公家ではなく、羽生城主一族と想定する。
そこで自ずと浮かび上がってくるのは、
広田直繁、木戸忠朝、木戸重朝の3人である。

直繁は元亀元年以降に館林城へ移って消息を絶ち、
忠朝と重朝は天正2年7月からその名が消えている。
直繁は謀殺、木戸父子は戦死・自害と考えられ、
羽生自落のとき3人はすでにこの世からいなくなっていた。
もし城が安泰ならば、重朝が羽生城主に就いていたはずであり、
この三者が祀られていてもおかしくはないだろう。

堀の内に留まり、天正18年の戦乱の終わりを見届けた渋井氏か、
あるいはその付近の者が三者を祀ったのではないだろうか。
特に渋井氏は、永禄4年(1561)の小田原城攻めに参加した「渋江平六郎」と比定され、
羽生城主とは身近な関係であった。

後北条氏が滅び、徳川時代が幕を開けたとき、
亡き主君を偲んで三者を祀ったのだろう。
あるいは、祭神や由来が不明なことから、
天正2年以降の忍城主“成田氏”の支配時代に、
人知れず三社を建てたのかもしれない。

ただし、これはあくまで推測である。
新しい史料の発見によっては、
知られざる史実が明るみに出るだろう。
例えば、忠朝、重朝、源光斎を祀ったのかもしれず、
口碑のように公家に関係しているのかもしれない。

いずれにせよ、ここには「古城」があり、
自落に関連する伝承が残っている。
月夜の晩、この堀の内に足を運んでみてはいかがだろうか。
もしかすると、源光斎の吹く笛の音が、
どこからともなく聞こえてくるかもしれない……
(続く)


不動院(埼玉県羽生市名)から八幡社を望む


不動院境内にある延命地蔵


漢学者“渋井太室”の墓碑。
不動院墓地に所在。
銘の中に堀の内城に関する記述が見える。
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9月26日生まれの人物は?(ワープロの日・伊勢湾台風の日・八雲忌)

2008年09月26日 | 誕生日部屋
9月26日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

ハイデガー (哲学者)
T.S.エリオット (詩人・批評家)
シャルル・ミュンシュ (指揮者)
鈴木義司 (漫画家)
牧伸二 (ウクレレ漫談家)
マウリツィオ・グッチ (経営者)
オリビア・ニュートン・ジョン (歌手)
リンダ・ハミルトン (俳優『ターミネーター』)
三井高福 (事業家)
伊東康孝 (経営者・すかいらーく社長)
風間深志 (冒険家)
天童よしみ (歌手)
木根尚登 (ミュージシャン・小説家)
池谷幸雄 (タレント・体操)
佐藤藍子 (タレント)

この日起きた事件は以下のとおりです。

織田信長が足利義昭を奉じて入京(1568)
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)死去。ゆえにこの日は“八雲忌”(1904)
台風15号で青函連絡船洞爺丸が転覆。死者・行方不明者1151名(1954)
観測史上最大の台風、伊勢湾台風上陸。死者行方不明5200人余。ゆえにこの日は“伊勢湾台風の日”(1959)
アメリカ大統領選の初のテレビ討論(1960)
日本相撲協会が部屋別総当たり制の導入決定(1964)
プロ野球選手の福本豊が世界新記録の105盗塁を達成(1972)
東芝のワード・プロセッサー第一号機が完成。以後この日は“ワープロの日”(1973)
ホメイニ師、「悪魔の詩」の作者・ラシディに死刑を宣告(1988)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“粘り強い完璧主義者”とのことです。
誕生花は「紅蜀葵」(もみじあおい)、花言葉は「温和」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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