クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生で年越しそば

2023年12月31日 | コトノハ
志多見の「辻九」が閉店して初めて迎える大晦日。
大切な場所を失ってしまったような、そんな喪失感を覚える。
閉店を知った翌日には、厨房で働く夢さえ見た。
「辻九」は高校時代のバイト先で、思い入れは深い。
閉店は寂しい限りだが、いままでありがとうと、感謝の気持ちを伝えたい。

昨夜、やや空腹感を覚える状態で睡眠薬を飲んだせいか、変に体がだるかった。
気を抜くと落ち込みそうだったから、ロラゼパムを飲む。

昨夜の余熱が残っている内に、『東京・埼玉の城郭』(新人物往来社)を読む。
年末年始、人ごみを避けて閑散とした城館を訪ねるのが好きだった。
それなのに、病気になってからというもの、羽が折れてしまった感がある。
何か強い力で背中を押されないと動けない。
ちょっとの力では思い付きで終わってしまう。

妻から言わせると、自分は会心の一撃を狙っているのだとか。
そんな一撃はなかなか出ないのだから、少し気になったら行動に移せばよいと言う。
なるほど、そうかもしれない。
そう思っても、体が動かない。
変にだるい。
寒風吹きすさぶ中、自転車で巡っても楽しかったあの頃は何だったのだろう。

ほんの少しだけ、駅前へ足を運ぶ。
道は案外空いていた。
スーパーの中も人が少なかった。
車内でノートを開き、思い付いたことを書く。

約1週間前に気が重くなる原稿を書いたが、未だに鉛のようである。
続きを書きたくもないし、読み直したくもない。
視点が変われば書けるのかもしれない。
一旦反故にしよう。

背後で電車の通り過ぎる音がした。
幼い頃、祖母に連れられて電車を見に行ったことをふと思い出す。
駅近くの踏切に自転車をとめ、電車が通り過ぎるのを待っていた。
普通電車、急行、貨物電車が通り過ぎていったのを覚えている。
祖母はもうとっくに亡くなっている。
大晦日のせいか、すぐ近くに祖母がいるような気がして、ノートに文章を綴りながら落ち着いた気持ちになる。

夕方、必要なものを買いに、家族で群馬県千代田町まで出かける。
店は駅前よりも混んでいた。
絵が好きな娘にスケッチブックを買う。
今年、ここで出会った書き心地が倍増する下敷きは、まだ目立つところに置かれていた。
職場と自宅用に2枚購入したが、いい買い物をしたと思っている。
来年も良き文房具と出会いたい。

羽生の「よしみや」で刺身を買うのは毎年恒例。
その後、同じく羽生の「よしの」へ年越しそばを食べに行く。
「よしの」も高校時代から親しんでいる店である。
やや太めでコシのあるそばが好きだ。
ゆったりと落ち着いた空間は居心地がいい。
食べれば高校時代の記憶がよぎり、失いたくない場所の一つ。

知っている方が家族連れで入店したのに気付く。
毎年、年越しそばは「よしの」なのだろうか。
帰り際、あいさつをして店を出る。
忙しそうではあったが、お店の人にもあいさつができてよかった。

いつの間にか通り雨が降ったらしく、地面が濡れていた。
そこはかとなくする優しい雨の匂いが、忘れてしまった遠い記憶を運んできそうな気がした。
雨降って地固まる。
来年は今年の課題が解決、あるいはいい方向へ向かいますように。

今年1年ありがとうございました。
来年もまたどうぞよろしくお願いいたします。
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東京で知った「8番出口」

2023年12月30日 | コトノハ
『方舟』(夕木春央、講談社)と『つげ義春日記』(講談社文芸文庫)を読む。
前者は、なるほどそんなどんでん返しがあるのかと唸らされる。
後者は、そのタイトルの通り著名漫画家の日記。
「つげ義春」という人物を情報として知っているから面白く読める。

日記文学ついでに『紫式部日記』を紐解く。
『つげ義春日記』とはまた別の味わい。
(研究として読んでいるわけではないので、口語訳と原文を行ったり来たり)
底本は、小学館の『日本古典文学全集』。
「ちょっとしたことで後にふと思い出されることもあるし、そのときは「をかしきこと」と思っても忘れてしまうものもあるのはなぜだろう」という一文に共感する。

息子が東京へ行きたいと言ったので、急遽首都高に乗る。
日本橋→東京駅→GHQ本部→皇居→桜田門→警視庁→国会議事堂→各省庁→国立公文書館→勝鬨橋→銀座の時計塔→都庁
を見て回った。

誰に似たのか、息子は歴史に関心が強い。
大河ドラマ「いだてん」や「映像の世紀」(いずれもNHK)の影響もあるらしく、いちいち反応がいい。
中でも、日本橋と皇居、東京駅と国会議事堂にテンションが上がっていた。
「名探偵コナン」(日テレ)や「相棒」(テレ朝)、「シン・ゴジラ」(庵野秀明監督)の影響もあるかもしれない。

車をビルの地下駐車場にとめ、皇居の二重橋前から桜田門まで歩いた。
コロナが収束したせいか、外国人の姿が目立つ。
皇居から文化庁は近い。
同庁が京都へ移転したのは今年の3月だった。
年明け早々、文化庁とやり取りをする仕事があるのを思い出す。
ひとまず、仕事のことは皇居の外濠にそっと流す。

社会科見学のつもりで、地下鉄にも乗る。
妻と子どもから、「8番出口」というゲームの存在を聞かされる。
娘が「違っているかも」とポスターを指さしているときはわからなかったが、ユーチューブ動画を観て納得。
そんな視点で駅構内を歩いている人は、いま多いのかもしれない。

東京都庁は相変わらずかっこいい。
初めて目にしたインパクトから全く色褪せていない。
男子の心をくすぐる。
巨大組織の象徴。
太田道灌や徳川家康が目にしたらどんな言葉を口にするだろう。

帰りは、埼玉県の大宮に寄り道した。
数年ぶりに復活した店で夕飯を食べる。
氷川神社参道にはすでに露店が用意されていた。
明日以降、多くの参詣者で賑わうに違いない。

帰宅後は、短いものを書く。
鉄は熱いうちにと、江戸太田氏を論じた黒田基樹氏の論文を読む。
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子をつれて“いなほの湯”

2023年12月29日 | コトノハ
旧川里町(現鴻巣市)へ足を運ぶ。
ここにはお気に入りの公園がある。
公園といえども、人がほとんどいないのが気に入っている。

車内でとめどないことを書きながら、『つげ義春日記』(講談社文芸文庫)と『正津勉詩集』(思潮社)を読む。
つげ義春氏の日記には不安や苦悩が綴られているが、やはり華やかさもある。
日記には正津詩人も登場する。
2021年、正津先生は『つげ義春「ガロ」時代』(作品社)を上梓し、話題になった。
両先生のような売れっ子ではない自分は、閑散とした場所で赤城おろしに吹かれているくらいがちょうどいい。

12月のはじめ、下旬に一度打ち合わせをしましょうと言った版元からの連絡は結局なかった。
年末年始にゲラの手直しができると期待したが、幻の仕事になりそうだ。
「予定」が自然消滅することが続いている。
徒労と疲労が濃くなりつつある。
暮れに電話がかかってきたある人の話では、本がいよいよ形になってきているらしい。
どのような内容かは知らぬが、同ジャンルとすれば先を越される予感。

川里の図書館は年末のためお休み。
博物館も軒並み閉館である。
年末年始だから仕方ない。
読み書きに疲れると、小さな川沿いを散歩した。
と書くと、川里の光景が志賀直哉の静養地「城崎」のように見えてくる(なわけないか)。

午後は子どもたちを連れて「いなほの湯」を訪れる(妻は体調が優れず同行せず)。
ここは、水着を持参すると男女関係なく入ることのできる風呂がある。
今年最後の営業日ということもあってか、チビッ子を連れたパパさんママさんの姿が目立つ。
水着姿とはいえ、プールではないので泳ぐことはできず。
子どもたちと鬼ごっこをして遊ぶ。
それ以外は、窓の向こうで暮れていく空をぼんやり眺めた。

共同風呂はお湯がぬるい。
普通の男湯で温まりたかったのだが、娘同伴のため諦める。
とはいえ、風呂から出れば体はポカポカし、子どもと一緒にソフトクリームを頬張った。
その甘さとともに、コロナの収束をかみしめる。
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古城天満宮と仕事納め

2023年12月28日 | コトノハ
仕事納めの日。
机の上を少し片づける。
昼は、上席から振舞われたそばをおいしくいただく。

その後、古城天満宮まで散歩した。
ばったりH部長と会い、天満宮に掲げられた幟旗について立ち話をする。
部長は社会科の教員ということもあり、さすが目の付けどころが違う。

拝殿の前で手を合わせ、この一年の報告と翌年の無事を祈念する。
昨年の暮れは土器の欠片を拾った。
縄文時代の土器片の可能性が高い。
今年も何か見付からないか気になったが、探している時間はなく職場へ戻る。

以前借りた考古学関係の研究報告書の返却に教育長室へ入る。
秋本教育長は、いつも有益な資料をご教示くださる。
さいたま文学館へ随行させていただいたことも二度ほど。

本来僕のようなポンコツが足を踏み入れる場所ではないのだが、市長室をはじめ、教育長室に入って出たあとはいつも違う。
何か一つ以上のものを得て出てくることが多い。
圧倒的な知識と情報の前で、自分の視野が広がるからなのだろう。
自分の書く文章にお名前を出してよいとの許可を得たので、ここに出させていただいた。

夕方、仕事納めの式に出る。
河田市長からのお言葉を聞く。
病気で休んだ年もあっただけに感慨深い。

昔の羽生を知っていると、町が大きく様変わりしたことを肌で実感する。
いまや、市内外から人や物が羽生に集まってくる。
武蔵・上野・下野の境目に位置し、水陸交通の要衝地に築かれた戦国時代の羽生城を連想させる。
これからの町の未来を思い描くとき、感じるのは「暗澹」ではなく「ワクワク」。
むろん、課題が皆無なわけではないが、戦国時代の羽生城が敵から攻められても落ちなかったように(1574年は落城ではなく自落である)、不屈の精神で突き進んでいくに違いない。

鐘が鳴ったあとは、みんなで掃除をして「よいお年を」。
スーパーへ食材の買い物をしてから図書館に寄り道した。
2023年最後の図書館である。
さすがに机に向かう時間はなく、書架を見て回る。

読書生活を送る人たちは、年末年始に読む本はすでに準備万端なのだろう。
「あ、借りられてる」と思う瞬間がしばしばあった。

貸出カウンターへ行くと、かつて同じ建物で仕事をしたことのあるSさんがいた。
古典の動詞の活用を諳んじたSさんを覚えている。
古典文学に精通していると見た。
が、なかなかゆっくり話す機会はない。
Sさんに「よいお年を」とあいさつして、図書館をあとにした。
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昭和40年代の羽生から

2023年12月27日 | 近現代の歴史部屋
年明け早々に講師の仕事があり、その仕込みをする。
昭和40年代の羽生の商店が載っている本を読み、パワポとレジュメを作る。

当時は個人商店が多く、被服や布帛を扱っている店が多い。
旅店も少なからずあり、現在とは別の勢いを感じる。
朝の羽生駅を写した古写真には、改札口を出る多くの女性たちの姿があり、埼玉県内で言えば大宮駅の光景のようだ(ちょっと言いすぎかな)

東北から北埼玉へ働きに出てきた若い人も多かったという。
羽生の町中には2つの映画館があり、駅前にはボーリング場もあった。
束の間の休息、娯楽施設で息抜きをした人も多かっただろう。

インターネットもなかった時代。
化粧品を買いに行くにも個人商店だったろうし、人と人との距離がいまより近かった。
在宅勤務やテレワークといった勤務形態など、想像もしていなかったはず。
冬休み中の子どもたちを見ていると、彼らが職業人になったとき、いまの我々が想像もしていない働き方をしているのだろうかと思う。
それとも、働くという概念そのものが変わっているかもしれない。

2023年がもうすぐ終わり、また年を重ねる。
ドラマ「オヨビでない奴」(TBS)を観ていた小学生の頃が遠ざかる。
このドラマには植木等が出演し、「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」と歌い、主人公は「無責任男」の男子中学生(高橋良明)だった。
その数年後、流れたCMには「24時間、戦えますか」と歌っていた。

昭和後期と令和の働き方も隔世の感がある。
そもそも、僕らが小学生の頃は、親世代と似た景気(あるいはそれ以上)の中で働くものと思っていた。
まさか、ロストジェネレーションなどと呼ばれるとは思いもしなかった。

昭和40年代の商店の古写真には、右肩上がりの勢いを感じさせる。
それなのに、いま目に映る景色はどうしてどこか重く、疲れているように見えるのだろう。
昭和はもはや歴史の領域になっているが、「オヨビでない奴」の第20回のタイトルのように、「明るく楽しく調子よく」の心を思い出してもいいのかもしれない。
コメント (4)
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再開のラー活

2023年12月26日 | コトノハ
行田真名板から年輩の方が再び訪れ、同地域の歴史をまとめた資料をいただく。
色々と調べられており、地元に伝わる口碑も取り上げている。
他に類のないもので、ありがたく頂戴する。

羽生のK君とラー活(ラーメン活動)を再開する。
彼は来月から職場復帰するという。
心療内科の病院のことで相談を受けたのは今年の春だった。
通院、入院、復職プログラムと段階を経て、晴れて復帰。
あんなに苦しそうなK君を見るのは初めてだったから、鴻巣で食べたつけ麺の味は一入だった。

そんな彼は、休職中にジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をクリア(読破)したという。
「翻訳不可能」の枕詞が付きがちな『フィネガンズ・ウェイク』も、原語に当たっているらしい(同書は柳瀬尚紀氏の翻訳が出ている)。
秋口に会ったときは、日本の古典文学を集中して読んでいた。
神田古本まつりにも足を運び、買い出しに丸の内の丸善へ足を運ぶという。
オンラインの読書会にも参加しているそうだから、なかなか素敵な読書生活を送っていると思う。

少しウォーキングをして帰ると、ネットで注文した本が届いていた。
やや手に入りにくくなっている本で、このタイミングで自分のところにやってきた感がある。
一日遅れのクリスマスプレゼントの気がした。
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クリスマスイヴに古墳を訪ねる?

2023年12月24日 | コトノハ
クリスマスイヴということもあり、図書館へ行くのは自粛した。
子らが仮面ライダーや戦隊ものを観ている間、本の世界に入り込む。

二十代の頃、イヴ当日に群馬県の山城を訪れたことがある。
思い付いて出掛けるには家族に迷惑がかかるので、山崎一氏の『群馬県古城塁址の研究』を開いて脳内旅行をする。

ついで、上野国の国衆について論じた黒田基樹氏の論文を読み直す。
興に乗ってきたところで、『史料綜覧』『大日本史料』『越佐史料』を拾い読む。
数枚カードを書いてファイルに綴れば、旅の思い出ができたようなものだ。

子2人を連れて真名板高山古墳へ行く。
数日前、真名板から職場を訪ねてきた年輩者からある情報を貰った。
その確認をしに行った。
なぜだろう。
行くならいましかない気がした。
イヴに見る古墳もなかなか乙なものである。
(振り返ったら、2018年にも三島神社古墳を見に行っていた)

同僚は古墳時代を専門としている。
イヴに行くおすすめの古墳などあるだろうか。
あとで聞いてみよう。

同期のTさんは、近日中に息子の試合の関係で大阪へ行くらしい。
彼女はハニワ好きで知られる。
試合の間隙を縫って古墳巡りを企んでいるとのこと。
健闘を祈りたい。

妻はサンタ業務で、自分は夕飯係だった。
真名板から羽生のモールへ向かうと、閑散とした古墳とは違って人で賑わっていた。
この「静」と「動」のギャップが好きだ。
ギャップが激しいほど、両者の味わいが深くなる。
夜の帳が下りて、夜闇に包まれた古墳を見に行きたくなったが、子と一緒なので自粛した。

ところで、今年の6月に『戦国の城攻めと忍び』(吉川弘文館)の執筆陣と一献傾けたとき、
誰かがサンタと忍びのことを言ったのを覚えている。
どんな発言だったかぼんやりしてしまった。
が、個人的にはサンタと忍びはいると信じたい。
その方が幸せな気持ちになれる気がする。
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気が重くなる原稿

2023年12月23日 | コトノハ
ウコンの威力のせいか、寝覚めはすっきりしていた。
頭痛もせず、気持ち悪くもない。
K部長に報告せねば。

西の図書館へ行き、原稿を書く。
前から考えていた案を下書きしてみた。
が、題材が精神衛生上あまりよろしくない。
思い出すたび気が重くなる。

娘をスイミングスクールへ連れていく。
年の瀬とはいえ、チビッ子でいっぱいだった。
娘は背泳ぎを合格して級が上がったと嬉しそうだったので、帰りにショートケーキを買う。
ささやかなお祝い。

子が図書館へ行きたいと言い、地元の館へ連れていく。
そういえば、今日は大河ドラマ「どうする家康」が再放送していた。
終了を惜しむように『国史大系』収録の『徳川実紀』を拾い読みする。
『大日本史料』に収められた三方ヶ原合戦関連史料を読む。
(阿部寛氏扮する武田信玄がカッコよかったな)

大久保忠隣は登場しなかったが、個人的に楽しめた大河ドラマだった。
意図せず静岡と浜松の大河ドラマ館にも足を運んでしまった。
今年の大河は、女性の描かれ方が秀逸だったと思う。
その集大成が茶々だったかもしれない。

今週は何かと夜に用事があったので、午後から妻が自由時間だった。
子らと地元のスーパーへ行き、夕飯の材料を買う。
パスタを茹でて食べる。
佐藤博信氏の論文と『空飛ぶタイヤ』(池井戸潤、講談社)を読む。
お笑いのユーチューブを観て、久しぶりに爆笑する。
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熊本と明和のサンタ

2023年12月22日 | コトノハ
明和のTさんと赤ちょうちんへ飲みに行く。
平日最後の金曜日とあって(28日が仕事納めなら)、どの店も人で溢れていた。

夏に一度だけ、居酒屋で出会った熊本のSさんと偶然顔を合わせる。
あのとき飲み代を全部払ってくれたSさんをサンタさんのようだと話したが、
このクリスマスシーズンに再会するとは。

Sさんの息子が大学に合格し(推薦入試だろう)、春から関東に住むらしい。
喜ばしくもあり、寂しくもあると、前にSさんは話していた。

複雑な父親心である。
うちの息子はまだ小さいが、何となくわかる気がする。
Sさんは九州男児ゆえ、そんな内面はおくびにも出していないのだろうが。
目に見えないところで、蒔いた種が少しずつ春に向かっている。

明和のTさんは酒が強い。
大ジョッキを何杯も飲み干し、顔色も呂律も変わらずケロリとしている。
Tさんの奥さんが、うちの子どもたちへお菓子のクリスマスプレゼントを用意してくれた。
赤と緑の包装紙で、そのお心遣いがありがたい。
店に財布を忘れていっても、このクリスマスプレゼントだけは持ち帰らねばならない。
どんなに酔っても肌身離さず持っていた。
過日のリンゴもおいしくいただきました。
改めて深謝します。

ところで、Tさんの飲むペースについていくと、翌日は決まって頭痛に見舞われる。
Tさんに会う2時間前、K部長からウコンを勧められた。
これを飲むと、ほどよく酒の酔いを楽しめ、翌日すっきりしていることが多いという。

なるほど。かつて職場の同期会で誰かが持ってきたウコンを飲んだのを思い出す。
ぼんやりとした記憶だが、少なくとも翌日は二日酔いではなかった気がする。
仕事帰り、K部長が持っていた同じウコンの飲料水をコンビニで買って飲む。
その結果はいかに。

赤ちょうちんを出ると、酔っ払いとおぼしき集団が駅に向かって歩いていた。
誰かがよろけ、店のシャッターを激しく響かせていた。
僕も酔っていたが、外のあまりの寒さにそれどころではなかった。
歩きながら酔いに身を任せ、遠回りして家に帰ることもできず。
思い浮かぶものに思考をゆだねることもできず。
ひたすら忍耐である。

帰宅後に構想ノートを開く。
書き綴ったものを読み返し、マーカーや赤線を引いた。
が、一緒に飲んだ相手は酒豪のTさんである。
ノートの文字は千鳥足のように揺れ、踊っていた。
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なぜ、ゆず湯に入るのか?

2023年12月21日 | 民俗の部屋
午前は出勤し、午後は久喜の病院へ行く。
忙しさを理由に、しばらく心療内科から遠ざかっていた。
よくないと思いつつ、実際よくなかった。
主治医のいない曜日だったが、せめて年を越せるだけのクスリを処方してもらう。

年の瀬のせいか、病院は混んでいた。
診察の待ち時間にカポーティの小説、薬局では斉藤孝氏のノート本を読む。
ついで、書きためたメモの整理をする。

病院は待っているだけで疲労感を覚える。
薬局を出ると、ひどく体が重かった。
銀行へ寄り、コンビニで濃いめのコーヒーを買う。
カフェインで少し体力を回復。
その勢いで県立図書館へ足を延ばした。

病院と異なり、図書館に人はまばらだった。
パソコン優先席に座り、短編を書き進める。
「了」まで辿り着く。

11月いっぱいで、まとまった作品を書き終えたばかりだ。
なので、あまりカチッとしたものは書きたくない。
いまは、思いゆくまま書きたいものを書く。
そうしている内に、何かのタイミングでまとまったものを書き始めることが多い。
人生は何ごともタイミングだと思う。
振り返っても、しみじみそう感じる。

図書館を出て、ゆずと卵を買って帰宅。
冬至には1日早いが、ゆず湯にして子どもたちと一緒に入った。

夜が最も長いこの季節、太陽の光をたくさん浴びて育ったゆず湯に入ることで、
その滋養と活力を得ようとする昔からの年中行事である(諸説ある)。
家によっては、ゆずのみそ漬けやカボチャの煮物を食べる。
ほかに、屋根に水をまいたり、赤飯を焚く家もあったらしい。
そうすることで、痛風が治ったり融通(ゆうずう)が利くようになると言われた。

年末年始は、「年中行事」を最も感じる季節でもある。
ゆず湯からあがったあと、市町村史の民俗編を読み返す。
そういえば、ある地域で年中行事を調査しようとしていて、年明けにその会議に出席することになっている。
それをふと思い出し、パタンと本を閉じた。
民俗学ついでに、宮本常一の本を読みたくなる季節でもあるかもしれない。
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年の瀬の一人打ち上げ

2023年12月20日 | コトノハ
午後7時に東町公会堂で出前講座があった。
テーマは「古城天満宮と羽生城」。
これが今年最後の講師の仕事だろう。

できるだけ公務として引き受けさせてもらっているから、
午後7時スタートというのは珍しい。
フレックスタイムを活用して、10時45分に出勤した。

朝は旗当番で、通学するチビッ子たちを見送った。
帰宅後、台所で昨日の原稿の続きを書く。
30分前に家を出て、普段と異なる通勤路を辿る。
風もなく穏やかに晴れていて、職場ではなかなか味わえぬのどかさを感じた。

昼休みに小山清の「小さな町」を読む。
この作家の親しみやすさは何なのだろう。
読んでいて心地よい。
ちなみに、小山清の作品に触れると、二十代のときに通っていた正津詩人のゼミを思い出す。

ゼミは読書会で、テキストを読み込み、感想なり批評を一人ずつ述べていく形式だった。
口下手の僕が述べる感想は、いつも尻切れトンボで終わっていたと思う。
そんな僕が、講師で約90分間話をしているとあの頃のゼミ生が知ったら、失笑するかもしれない。

今年最後の講師業ということもあり、羽生市役所近くのラーメン店のカウンター席で一人打ち上げをした。
車通勤ゆえお酒は飲めず、お冷で「おつかれさま」。
後ろの座席では若い女性四人組が女子会をしていた。
年の瀬のせいか、昼間とは違うのどかさが漂っていた。
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火曜から夜更かし

2023年12月19日 | コトノハ
書きかけの原稿の新しい視点が思い浮かび、帰宅後ポツリポツリ書いていたら午前一時になっていた。
しまった。
週の後半ならともかく、まだ火曜日である。

昔は寝不足でよく風邪を引いた。
睡眠が不足すると免疫力が下がるのだろう。
勤務先が東京だった頃、寝不足で乗る満員電車は地獄だった。

不足と言えば、執筆に集中すると本を読む時間が削られる。
これが結構ストレス。
昼休みにカポーティの短編、仕事で『羽生町便覧』の必要箇所を読んだ。
今日の読書はそれでおしまい。

二十代の頃は、睡眠時間を削ってでも書いたり読んだりするべきと思っていた。
若い時分にしかできないことだから。
いまやらずしていつやるのか、という精神だった。

三十代は無理しない程度にやるべきという考えに変わった。
それでも多少の無理はきく年代で、まあ熱いうちに燃えていたかったのだと思う。
ただ、風邪をひきやすくはなったけれど。

では、四十代は……。
自分が思うほどもう若くはない。
無理は禁物。
それに僕は一度躓いている。
長く続けていくためにも健康管理は大切である。
のはずが、今日のようにたまに時間をオーバーしまうから油断大敵。
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「辻九」の閉店

2023年12月18日 | コトノハ
週明けの会議はエネルギーを要する。
しかも、会議が二つとなると、消費エネルギーも倍増かも。

午後二時からの会議は観光関係のものだった。
委員として出席したからいわば受身。
午後七時からの会議は郷土芸能発表会の打ち合わせ。
自分が主担当だから主催者側である。
事務局側になると、日程調整やら資料作りやら会場作りやらと、何かと仕事が多い。

一方で、委員として出席する会議は責任が重い。
自分の考えもあれば、事務局側の意図もある。
どちらが楽で、簡単というわけではない。
ただ、受身で出席する会議は、議長の進行や、事務局の段取りが参考になる。

会議が終わり、会場を出たのは午後八時頃だった。
夕飯を食べに加須市志多見の「辻九」へ足を運ぶ。
ところが、店は真っ暗。
店の出入り口に貼り紙がされているのに気付き、スマホのライトをかざして読む。
それは閉店を知らせるものだった。
また一つ、大切にしていた場所が失われてしまった。
 
帰宅後、カポーティの短編を読む。
書きかけの短編を読み、手直し。が、すぐに眠くなる。
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待てるか待てぬか

2023年12月17日 | コトノハ
川向こうの図書館へ行く。机はガラガラだった。昨日の短編の続きに取り掛かり、書き終える。

夏に50枚近くの論文を書き、それを基にした小説を秋に100枚ほど書き終えた。
それが陽の目を見るか、いまは「待ち」の時期。
論文は分けて掲載してくれるらしいが、いかんせん電話で聞いただけだから、活字になるまでは兜の緒は緩めぬ方がよい。

急いては事をし損ずる。
せかしたところで結果は出ぬ。
待てるか待てぬか。
それが案外岐路となる、というのが持論。

午後は家族で義父の墓参りへ行く。
義父は僧侶だったが、ときどき大学で教鞭も執っていたという。
抜刷の論文を読ませてもらったこともある。
義父は義父なりの論文執筆法を持っていただろう。
生きていれば聞いてみたかったな。

夜は大河ドラマ「どうする家康」の最終回を観る。
息子と娘は途中で寝ると思ったのに、最後まで観ていた。
大河ドラマが終わればもう年の瀬。
残業せざるを得ない1日は長いのに、歳月の流れはどうして早いのだろう。
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12月のアイスケーキ

2023年12月16日 | コトノハ
娘がつかまえてきたアマガエル用の生餌を買った。
生餌でないと食べぬものらしい。
生餌を買うたび、生き物が生まれながらにして背負う罪を感じる。

生餌を車内に残したまま、図書館へ流れ着く。
運よく机が空いていたから、短編を書く。
一区切りつけ、息子の誕生日ケーキを取りに旧鷲宮町のショッピングモールへ足を延ばした(誕生日は数日前の平日だった)。
金曜ロードショーで流れるCMの影響か、ここ数年はアイスの誕生日ケーキである。
個人的には生クリームケーキの方が好みだが、祝われる本人が食べたいというのだから仕方あるまい。

ケーキついでに、書店でトルーマン・カポーティの初期短編小説を買う。
クリスマスシーズンと短編を書いたせいだろう。
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